ダンジョンに突入したラプラス達の道程は至って順調と言えるものであった。
現在、彼らは13階層。ダンジョンに突入から早数時間、『上層』を抜け、『中層』にまで足を踏み入れていた。
『ヴモォォォ!!』
どこか遠くから獣の雄叫びが反響して聞こえることを確認できるほど、安定した探索を進めることが出来るのは、先程からモンスター達を一網打尽にする彼女によるものであった。
木刀と二本の小太刀を惜しみなく振るい、ダンジョンを縦横無尽に駆け巡る。彼女が通った後に残されるのは魔石とドロップアイテム、そしてモンスター達が身につけていた
「ふむ、強い。そして何より速いな。目にも止まらぬ速さというのは正にこの事だ」
感心したように唸るラプラスはパーティの中でも後方にいた。前衛をリューが担当し、奇襲や僅かな撃ち漏らしを中衛として【タケミカヅチ・ファミリア】の命と桜花が対応する。殆どこの3名で今のところ問題なく進めており、ラプラスはダンジョンに来てからというもの、一度だけ『上層』でフロッグ・シューターを屠ったきり、剣すら振るっていない。
余りの蹂躙具合に、思わずラプラスはヘルメスに小さく不満を漏らした。
「神ヘルメス、これでは散歩だ。ダンジョンに来れたのは踊りたくなるほど嬉しいが、全く張り合いのない冒険というのも風情がないぞ」
むすっと文句を垂れるラプラスに、目の前の優神は思わず笑ってしまった。
「オレはダンジョンに連れて行くと言っただけで、その後どうなるかは自己責任さ」
ハハハ、と笑い飛ばすヘルメスにラプラスは口をつぐむ。
その様子を見ていたヘスティアは納得いったようにヘルメスに視線を向けた。
「……やっぱりヘルメスが悪知恵を入れたのか。ダンジョンに行けないと言っていた彼が突然着いてくるなんて裏があると思ったよ」
じとっと非難の目を向けられたヘルメスはこれまた笑みを浮かべて流すだけだった。
「それに、彼女もだ。君の団員は軒並みLv.2じゃなかったかい?」
ヘスティアの視線の先には、先ほど現れた二匹のコボルトの眉間に正確に針を打ち出し、瞬時に絶命させたアスフィの姿があった。その動きは明らかにLv.2のそれではなく、後衛も彼女一人で全て解決している状態であった。
ヘスティアの言うことにラプラスは内心賛同する。団の実力を偽っていたこともそうだが、そんな得体の知れない彼らが現在【ロキ・ファミリア】と同盟を組んでいること、そして個人的な付き合いはあってもヘルメスがわざわざ自分に、この捜索隊の同行を勧めてきたことに疑問符を浮かべた。
(昔から食えない方だが、今回は特に妙な動きをされる……)
いくら迷宮都市の中でも特に懇意にしている神であっても、自らの
「それで、どこを探すんだアンドロメダ。闇雲に探しても、彼らは見つかりっこないぞ」
モンスターとの遭遇が一段落した頃、桜花がアスフィに尋ねた。中層といえど、その広大な範囲を隈なく探すことはできない。捜索隊が時間をかければ、その分だけベル達に危険を晒すことになる。
それがわかっているからこそ、捜索は迅速にかつベル達の足跡を正確に辿る必要があった。
「日帰りの装備で中層へ赴いたベル・クラネル達が、迷宮に滞在している以上、彼らの選択肢にない事故が発生したと考えるのが妥当でしょう」
「事故、ですか」
アスフィの言葉に命が返す。中層に留まらざるを得ないその予測不可能な事故、それは。
「縦穴に落ちたのだろう」
少し離れたところでリューが倒したモンスターが持っていた
「ダンジョンの縦穴は神出鬼没だ。予想だにしない場所に落とされ、しかも初めて見る階層で自らの位置を特定することは不可能に近い」
鋭い槍のような細身の
アスフィはさらに続ける。
「地上に帰還する選択肢を捨て、あえて
優秀な
ダンジョンの恐ろしさを知るものであれば、未到達階層に足を踏み入れることがどれだけ危険なことかは重々承知のはずだ。
信じられないという表情を浮かべる【タケミカヅチ・ファミリア】の3名。
「私なら、そうする」
そこに凛とした声音が響く。
パーティの先頭に立つ彼女の背中に視線が集まる。
「一度冒険を乗り越えた彼なら、ここで退く判断はしないでしょう」
それきり口を閉ざした覆面の冒険者。ケープで隠れたその顔を見つめていたアスフィは、神々に意見を求めた。
「ヘルメス様達はどう思われますか?」
ヘルメスはアスフィ達の意見に同意し、その隣でヘスティアも黒髪のツインテールをみょんみょんと動かしながら、彼女たちの意見に賛成した。
「決まりですね、18階層に向かう。この方針でいきます」
◇
隊の方針が定まり、再び下層に向けて前進する。
前衛のリューが殆どのモンスターを斬り伏せ、そのすぐ後ろで命と桜花が確実に残りのモンスターを迎撃する。さらにアスフィが遊撃を行い、破竹の勢いで彼らは進んでいた。
ふと、【タケミカヅチ・ファミリア】のサポーター千草は、ここまで特に目立った動きをしていないもう一人の同行者であるラプラスを気に留めた。
ヘスティアから、前衛のあの覆面の冒険者を説得してくれた人物であり、彼自身も冒険者であると聞かされていたが、ここまで彼がしたことと言えば、一度モンスターの奇襲を返り討ちにしたことくらいで、後は散らばる魔石やドロップアイテムを拾っては何処かへとしまっているくらいであった。
サポーターなのかと問われれば、普通は持っているはずの大きなバックパックも持たず、かといって普通の冒険者のように武器を身に付けていない、不思議な身なりをしていた。
そんな視線に気付いたのか、ラプラスは千草に声をかけた。
「む、おれの顔に何か付いているか?」
突然話しかけられ、自分が彼を見ていたことに気付かれた千草は慌てふためいた。
「ひぇっ! あ、ごめんなさい……! その、見ていたとかそういうのではなく……!」
元々、人見知りな所がある彼女は、不躾な視線に彼が怒ったのかと考え、一目散に謝罪する。
そんな彼女の様子を見たラプラスは突然謝られて逆に困惑した。
「あ、いやすまない。見られていたことは気にしていない。寧ろ、おれが何故着いてきたのか疑問に思って当然だ。彼女らほど役に立ってもいないしな」
前を見ればケープをはためかせ、リューがモンスターを細切れにしていた。
眩しそうにその姿を見やる彼の表情を千草は見つめる。
「おれはベルを助けると共におれ自身の家族も助けにきた。偶然利害が一致したため、このパーティに参加させてもらっているに過ぎない。だが、同行させてもらった以上、役には立つ。安心して任せて欲しい」
真っ直ぐ千草の目を見て言い切るラプラスに、彼女は思わず顔を背けてしまった。慎重に言葉を選んだ彼女が口を開きかけた時、前方からしまった、と声が上がる。
千草がそちらを振り向くと、アルミラージが此方に向かって突撃してきていた。その兎は瀕死の状態であったが、最期の力を振り絞り、前方の包囲網を抜け、一矢報いろうと捨て身の特攻を仕掛けてきていた。
千草はせめて神々だけでも守ろうと彼女らの前に手を広げ立ち塞がる。束の間に訪れるであろう痛みに耐えるため、目を瞑り大きく息を吸い込んだ彼女に、果たしてその痛みが訪れることはなかった。
ゆっくりと目を開くと、アルミラージは突撃してきた勢いのまま跳ね返されたかのように槍で貫かれ、壁に突き刺さっていた。自らの身体に何が起きたのか理解することも出来ぬまま、灰と化した。
「大丈夫か? ……さらば、久方ぶりの
それを行った当の本人はこちらを心配しながらも、どこか哀愁を漂わせ、突き刺さった衝撃でボロボロと崩れ去る槍を見つめていた。
「よく反応してくれました。今のは冷や汗でしたよ」
アスフィが褒めるも、ラプラスはハハ、と乾いた笑いを漏らす。
また見つかりますように、とぶつぶつ呪文のように唱える彼の姿を見た千草は、先ほどまでの少しの心配が晴れていることに気がつく。
そして、彼らと一緒ならばきっとベル達を助け出すことが出来ると強く思うのだった。
◇
14階層に向かう階段に着いた頃、ヘスティアは疑問に思っていたことを口にした。
「ところで、正規ルートとやらを通ってきたわけだけど、途中にある縦穴を通った方が早かったんじゃないかい?」
ヘスティアは道中何箇所か見かけた縦穴を何故利用しないのか、冒険者達に問う。下に繋がっていることがわかっているのならば、真っ先にそこに飛び込んでしまえば良いのではないかと。
その最もな疑問に、相変わらずモンスターの相手をしていないラプラスが答えた。
「いえ、神ヘスティア。中層の縦穴は先ほども言った通り、神出鬼没。開いたと思ったら次の瞬間には閉じている、そういうものです。それに迂闊に飛び込んでしまっては、今度は我々が現在位置を把握出来なくなってしまいます」
「それに、ベル君達が上層に向けて帰還している可能性も考えられるしね。万が一入れ違いにならないように正規のルートを辿った方がいい」
ヘルメスも、ラプラスの意見に続いた。なるほど、と頷くヘスティア。先を見れば、覆面の冒険者が階段を下りていく。
「それで、いい加減説明してくれないかヘルメス」
階段を下り終わり、再び捜索が再開される中で、ヘスティアが隣にいるヘルメスに問いかけた。
どうやら、ヘルメスが何故見ず知らずのベル・クラネルを助けに行こうとしているかについて言及しているようだった。
ラプラスは彼らの話は自らにはそれほど関わりのないものである、と聞き流す程度に耳を傾けていたが、ふいにある言葉が彼の耳に飛び込んできた。
「オレはこの目で確かめ、見極めたいんだ。時代を担うに足る、
その言葉に思わず反応するラプラス。隣を歩く千草にはその様子を気取られることはなかったようだが、彼の様子を横目で見ていた男神がいた。
(それに、彼のこともね)
ラプラスは一瞬反応しただけで、今は至っていつもと変わらぬ様子であった。ヘルメスの視線に気づいているのか、その瞳は僅かに青い光を讃えていた。
◇
14階層を難なく突破した彼らは、その後15、16階層も問題なく踏破した。しかし、未だにベル達は見つけられておらず、時間だけが刻一刻と過ぎていくのだった。
「ここが17階層……ここまでベル君達は見つからずじまいか……」
ヘスティアは不安を押し殺し、呟いた。
その様子に、隣のヘルメスは明るく問いかけた。
「でも、ベル君の反応はまだあるんだろう? ならもしかしたらオレ達より先にとっくに18階層に着いていたりしてな」
ヘルメスの言葉に、ヘスティアも大きく頷いた。
「うん、ベル君は生きている! 絶対見つけてやるんだ!」
ヘスティアが腕を大きく振り上げて意気込む中、前衛にいた彼女は17階層の異様な空気を一番に感じ取っていた。
「……静かすぎる」
え、と彼女に視線が集まるが、その声すらもまるで階層全体に響き渡っているかのようだった。16階層以前までの怪物の遠吠えのようなものも、襲いかかるモンスター達もやって来ない。
この空間だけ時が止まり、置き去りにされているかのように静寂に包まれていた。
「嫌な予感がします。急ぎましょう」
アスフィが出発の合図をし、一行はすぐに18階層への道を進む。しかし、その道中最短ルートを辿っているが、全くモンスターが襲ってこない。そこには確かにモンスター達の気配を感じる。冒険者達を目の前にしても、彼らは身を潜め、何かに怯えているかのように姿を表すことはなかった。
「なんだい、ここは。モンスターが全然いないじゃないか。いつもこうなのかい?」
ヘスティアはこれまでの道程を振り返ると、あまりにもスムーズに進むことができるこの階層に疑問を覚えた。モンスターが襲ってこない階層があるのかと。
「……いえ、ここは『
ラプラスはヘスティアの質問に答えながら、ある一つの答えに辿り着いていた。まさかいるのではないかと、生まれているのではないかと。
「彼の言うことに間違いはありません。ですが、ここまで静かとなると原因は恐らく……」
アスフィがその正体を口にしようとした瞬間、大きな地響きに、階層全体が揺れる。そしてそれと同時に反響し、どこか遠くから聞こえる『咆哮』。
「なんだい!? 今のは!?」
ヘスティアが思わず尻もちをつき、先程の咆哮について尋ねる。
ラプラスは咆哮の聞こえてきた方角を見やり、呟いた。
「生まれたか、『
咆哮による余波がなくなる頃には、彼らの周囲には先程まで隠れていたモンスター達が群がっていた。
主の誕生に感化され、その雄叫びに応えるように叫びをあげる怪物達。
「ここからがこの階層の本気ということか」
ヘルメスの言葉が開戦の合図となったかのように、モンスター達は一斉に襲いかかる。
強襲を退けながら、ラプラスはヘスティアに近づいた。
「神ヘスティア、先程の『咆哮』はこの17階層の主人、『
「はぁ!? 正気かい!? あんな恐ろしい雄叫びをあげるモンスターだぞ!」
「しかし、18階層に向かう唯一の道の前に奴の存在する大広間があります。奴の懐を掻い潜るしか18階層に進む方法はありません」
ぐぬぬ、と唸るヘスティアに、ラプラスは顔の前で指を立てると続けた。
「一つ、希望的観測をするならば、クラネル達は『
その言葉にヘスティアは顔を上げる。にやりと口元に笑みを浮かべたラプラスは彼女にはっきりと告げる。
「つまり、我々がここを乗り切りさえすれば18階層でクラネル達と再会できると思われます」
ヘスティアはラプラスの方に顔を向ける。彼の黒い瞳の中には青い光が爛々と輝いていた。その溢れるような深き青の光に言及する間もなく、彼は迫り来るモンスターを退けるために、彼女から離れていく。
ひとしきり唸った後、ヘスティアはパーティ全員に聞こえるように声を上げた。
「行こう! 18階層へ! 必ずベル君に会うんだー!!」
タグやらあらすじやらちょくちょく変えていますが、そんなに気にする人いませんよね?