二度目の初恋を月の下で   作:檻@102768

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 「期待に応える」とは、どういう()()を指すのだろう?

 …………そもそも、前提として。
 「期待に応えるという事象」自体――――実現可能なのだろうか?


 それは相手の要望通りに事を為す事だろうか。

 だが、それが仮に要望通りになったとして、それは本当に誠実だろうか。


 だって、私達は本当のところで彼らの意見がわからない。
 以心伝心なんて思い上がり。自分のことで精いっぱいな私達は、周りの事なんて本当は眼中にも入れていない。
 自分の事すら分かり切ることなどないのに、他人の事なんてわかる訳がない。


 例えば競馬。観客は(ひいき)の馬を選び、馬券を買って応援する。
 それが期待通りになることもあるだろう。無駄になることもあるだろう。

 だが、馬にしてみればそんなことは知ったことではない。
 自分のベストを尽くした結果に、外野が値段をつけているだけ。期待を背負った……なんて気構えはないだろう。
 それでよくやったと賞賛を投げ掛ける連中は皆便乗しただけ、たまたま『尻馬に乗った』だけだ。

 これを成し遂げた馬は、誠実なのか?
 それを(しん)()と、呼べるのだろうか。

 思いを無下に結果だけ出すのは、本当に誠実なのか? ――――いや。





 結果を人任せに(ひとにきたい)すること自体が元々、誠実からは程遠いのか?





 だが気に病む必要はない。もしそれが真であるのなら。
 そもそもにおいて私達は、行動に常に裏切りがついて回る生き物で。
 そして最初から、裏切られる期待しかできない生き物なだけ。

 それは別段恥じ入る事でもなければ。
 特段胸を張ってまで誇る事でもない。


 生き物は誰の考えにも関係なく、生きる道を選ぶことができる。
 元より生まれ落ちた時点でその身は独立したもの。別々のもの。

 だから最も身近な親の気持ちすら、私達は共有しなくてもいい。
 しなくていいし、できもしない。真意を汲み期待に応えるなど。



 それは自分が一番大事な者には、とても救いがあって。

 そして他人が一番大事な者には、とても残酷な、話なのかもしれなかった。









 人を愛し、人に愛され、昨日とは違う今日を生きるあなたに問います。
 誰かの愛に応え、誰かの愛を袖にし、明日を迎えるあなたに問います。

 その想いに眼もくれない時。
 或いは応えたふりをして、その実踏み(にじ)る時。


 胸中に()ぎる言葉は。




「ざまぁみろ」


「ごめんなさい」




 果たして、そのどちらでしょうか。



 あなたは、どう思いますか?






終極
心に名前をつけるなら


 

 ――――そんな、幼い夢を見た。

 

 

 …………瞼を開けた途端、飛び込んできた星空と海の明かりに目を細める。

 

 何も必要(いら)なくなる所為(せい)で、誰にも必要(さびしい)と叫べなくなるまでの過程。

 細くて重くて冷たい、でも失いたくないと本気で思える繋がりが、まだ確かにあった時。

 

 

 …………そんな悲しいだけの関係が、自分の一番で。

 

 でも、何もない今よりかはまだ、幾分かの救いがあったと。胸を張って断言できた頃のお話だった。

 

 

 そんな気分のまま暫し佇み、ゆったりと気持ちの整理をつけた。…………そろそろ(しお)だろう。

 居心地のいい悪いがない交ぜになった耽溺(とうひ)から気を取り直して、今一度彼女に声を掛ける。

 

 

「お気に召して頂けたかな?」

 

 

 月のサカナをひたすら愛でていた少女は、その言葉にはっとなって見返してくる。

 その様子から、今の今まで一心不乱だったらしい事が伺えて。微笑ましい姿に思わず破顔する。

 彼女が心底から望んだものではないとはいえ、そこまで気に入ってもらえれば御の字だろう。

 

「その様子を見るに、満足いく一品みたいだね。良かった」

 

「え、ええ」

 

 つい頬が緩むのを抑えられない。

 自分が手懸けたもので満足してくれたことは勿論、それ以上に、彼女のわたわたとした姿を見られたのが愉しくて仕方がない。

 

 …………本当、目の前の彼女にはいろいろなものを貰ってばかりだ。

 本も知識も、それ以外のものも。

 

 

 

 魔道の頂点。人類最後の異能を受け継ぐという、呪わしい名誉を冠する一族――――なんて立場を、ずっとずっと忌々しいと思っていたが。

 

 

 この血に宿る無益な修練もえげつなさも。

 そこに至るまでの本人では掴みとれない栄光を求める執念も。

 

 そんなつまらないものの結晶(おかげ)で、こんな素敵な女の子の姿を見られたのなら。

 積み重ねられた無為無謀も、最悪よりかは、ほんの少しだけマシだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 そんな風に和まされつつも、時間はとめどなく過ぎていく。

 それは一種残酷な程に慈悲深い。

 どんな深い感動も風化させ、どんな深い失意も慰撫する。

 

 少なくとも今の私には残酷だ。()()()()()()この景色を、せめて満足いくまでは眺めていたかったのに。

 

 

「えっと…………言ったとおりの”月のサカナ”、確かに用意できたんだし。

 

 というか、その…………わたしと結婚、したい……の?」

 

 自分の中で一段落がついたのだろう。何とか冷静になったらしい彼女。

 

 それでも恐る恐るというか、探り探りというか。

 そんな彼女らしくないおどおどとした様子で、ちらちらと上目遣いにこちらを伺う。

 

 難題を踏破した暁には、一生をかけて報いる誓い。

 そして今、このまま彼女に明け渡せば、私は見事それを果たした……と言えるだろう。

 

 

 

 

「いや? 君と結婚はしないよ」

 

 

 

 

 という訳で。

 軽く手を振りながら。そんな風に苦笑しつつ、否定の意を示した。

 

 断られるとは思いもしていなかったのか、ぱちくりと目を(しばた)かせる彼女。

 その様がおかしくて、つい表情を緩めてしまう。

 

 

 …………それが面白くなかったのか、先程までのご機嫌ぶりを返上して睨みつけてくる。

 

 ただその発端は、袖にされたことを怒っているというより、

 どうして無下にされたのか分からないことに憤っている。そんな感じだ。

 

 予想外だというのも想像はつく。

 なんというか、こちらを不機嫌に見返すその顔すら可愛いと思う時点で、もう本当にどうしようもない。

 

 

 私は確かに難題を解いた。()()()()()()()()()()()()()

 だがそれは本意に沿っていない。それを彼女は理解していない。

 

 そう在るコトでもないだろうし、(とう)()(そく)(みょう)とはいかないか。

 

 

 両手を上げて降参の意思表示。

 納得させる為に、自分の性能を極々単純に要約して伝える。

 

「ごめん。少し見栄を張った。

 

 端的に言うとだね。

 諸事情在って、私はほぼ全能に近い万能性を有している。

 少なくとも、君の難題を”難題(こんなん)”とも思わない位には」

 

 だから、私はそもそも君の条件を満たしていないんだ。

 

 

 きょとんとする彼女。その返答がいまいち腑に落ちないのか、疑問符を浮かべているのがありありと見て取れる。

 流石に省き過ぎたらしいので、言葉の数を増やしてもう少しだけ補足した。

 

「だから――――万能だと言っただろう? 今見せたように。

 それが”月のサカナ”であろうが何だろうが、私は大抵の物は創造できる。

 

 つまり私には価値が分からないという事なんだ。

 どんなものでも十把一絡げに作り出せるのだから、そも”価値観”という概念自体が成立しない」

 

「…………? 価値が分からない人が作ったものには価値がないの?」

 

「いや、価値はあると思うよ。だがこの場合は駄目だろう。

 価値はあっても、価値自体(そのもの)を君が求めていないことが問題だ。

 私はこのサカナにも手に入れた過程にも、何の思い入れもないのだから」

 

「?? やっぱりよくわからないわ。どういうこと?」

 

 

 未だピンと来ていなさそうなので、喩えを交えて解説してみることにする。

 

 

 彼女の難題は、愛と価値を同一視しているが故の物だ。

 

 彼女は愛をそれ以上の価値で証明しようとした。

 そも釣り合わないことが前提の天秤。向こうに重い分銅(むりなんだい)を載せた上で、軽い受け皿(じぶん)の側に秤が傾くのを待っている。

 

 そんなのは矛盾だ。

 矛盾が解けないのは問いが難しいからではなく、問いと出てきた解答の整合性がとれないから矛盾なのだ。

 

 

 そして。矛盾を解き明かしたいのなら、背理で解決するのが手っ取り早い。

 矛盾の非整合性そのものを暴き突きつけ、問題そのものを解体すればいい。

 

 愛と価値は無論別物。一体化するほど絡まった認識を(ほぐ)して、別々の糸に選り分ければ、それで済む。

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 仏教における説話の一つ。

 

 

 ある日、死んだ子を背負った女が釈迦を訪ね、こう口にした。

 

 「我が子は身動きが取れないほどに重い病を患っています。あなたが真に己を仏と仰るのなら、どうかその御業を以て、愛しき我が子を癒して下さい」

 

 しかし悲しいかな、子供はとうに息絶え朽ちて、背負われたその体躯は腐敗を始めている。

 女は死んだという事実が認められずに、まだ救いのある病という事にして、自分自身を欺いていたのだ。

 

 それに対し釈迦は、こう告げたという。

 

「宜しい。真に君が我が子を慰めたいと思うのなら。

 一度も死者を出したことがない家から、芥子(けし)の実を貰ってくるがいい。

 そうすれば、君の子を救ってあげよう――――」

 

 

 その言に女は狂喜し、方々の家を訪ね回った。我が子を救う道を得たと。後はそれを駆け抜けるだけでいいと。

 どこかにたった一つでも、誰も亡くなったことのない家を求め、無数の居住を訪問した。

 

 

 

 しかし、誰一人として「いない」と答えたものは居なかった。

 

 

 

 どの家でも死んだ人がいた。誰かしらを残してあの世に去っていた。

 残された彼らは寂しそうな顔をしながら、それでも日々を生きていた。

 

 そんな彼らを見るうちに、母親は愕然となっている自分が内にいるのに気が付いた。

 誰もが大切な誰かの死を(いた)み、それでも、それを乗り越えて今日を生きているのだと。

 

 

 母親は知っていた。本当は、我が子がもう亡くなっていることを。

 知っていて、見ない振りをしていた。狂った格好を演じていただけだった。

 

 だって、そうすればいつまでも悲劇に浸っていられるから。

 自分に同情してあげていられるから。自分を慰めていられるから。

 「我が子を亡くした哀れな母親」という偶像に酔っていられたから。

 

 (もう)(ひら)けたその母親は、釈迦の元に再度訪れ、生涯を懸け帰依することを誓ったという――――

 

 その姿に、釈迦はこう言葉を掛けた。

 

 

 

「ああ。どうやら、病気は治ったようだね」

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 …………などと、一連の説話を滔々(とうとう)と告げた。

 

 原典からかなり端折ってはいるが、要点は押さえてある。

 必要なエッセンスは何一つ取り零していない。理解に問題はない筈だ。

 

 

 一拍置き、汲み取れる教訓を現状に落とし込んで話してみる。

 

 

「これに(なぞら)えて君の難題を解いてみようか。

 この場合釈迦の提示したもので重要なのは芥子の実ではなく『死んだ者がいない家』だろう? 芥子の実自体は舞台装置(マクガフィン)の一種に過ぎない。それが別に塩でも椀でもなんだって構わなかった。

 この話の神髄は、『誰もが悲劇に見舞われ悲痛に暮れることがあれど、それでも区切りをつけ、当然(あたりまえ)のように日々を送っている』という()()の方にある筈だ。それと同じ。

 

 君が欲しいのは無理難題にまで昇華される、前人未踏でかけがえのない価値あるもの――――()()()()

 その価値が(あらわ)す愛の筈だ。価値あるもの自体は本来どうだっていい。別に無くたって構わない。愛さえあれば。

 

 私には愛は分かるが価値が分からない。

 そんな生き物(わたし)が価値あるものを差し出したところで、愛の証明にはならないだろう」

 

 

 過程も成果も、それぞれが独立した人間の意志だ。

 だからこそ、結末(さいご)だけあっていればいいなんて格好がつかない。みっともないにも程がある。

 途中式は重要だ。試験(テスト)は理解度を試す為のもので、破れかぶれで答えを埋める為のものではないのだ。

 

 たとえ合格に届かずとも、そこに至るまでの試行錯誤は評価に値すべきもの。過程が欠落した解答など空欄にも劣る。規則違反(カンニング)を疑われ、非難されるのも止む無しだろう。

 

 

「今その気になれば、私は君の望むものを差し出せるだろう。

 躊躇なく未練なく逡巡なく。

 だが、それは君を愛しているからではない。愛情によるものではない。

 

 ただ単に、私は価値に価値を見いだせないだけなんだ」

 

 

 つまりは、それが万能()()()()()――――完全に届かない私の最後の欠落だった。

 

 私は万物を創造できるが故に、どうやっても被造物に『かけがえのない』という価値を付加することができない。

 そしてそれが唯一無二の価値を持たない以上、他者にとってどれだけの逸品だろうが等価値であり無価値だ。全ては幾らでも代用可能、取り返しのつくものでしかないのだから。

 どんな代物であろうと組み上げられるなら、それを計る明白な基準は喪失する。確固たる一でない限り、無と無限はどうしようもなくイコールで差し引きはゼロだ。

 

 

 そこまで説明すると流石に理解が追いついたのだろう。

 先程の険が取れた表情で、それでも食い下がってきた。

 

「それでも、わたしは構わないわよ?

 わたしの提示したものを用意できた人に一生を捧げるのが、わたしの約束だし」

 

「そう言うと思った」

 

 君なら間違いなく、なんの気負いも躊躇いもなく。

 その濁り無き双眸で、そう口にすると信じていた。

 

 

 

 そんな君にこそ、応えて欲しいと思う。

 

 そんな君だから――――――応えて欲しくないと思う。

 

 

 

「ごめん。君は約束を守ってくれるんだろうけれど――――守りたいんだろうけれど。

 私の方が、約束を望めない。

 

 私、ね。一度、共感しないままひとの願いを叶えたことがあるんだ。私の両親。

 「もう、やめたい」っていう願い。

 私を完成させた(そだてきった)ら、もう自分たちは用済みで楽になれるから。こんな時代だから、仕方ないと言えば仕方ないんだけれど。

 

 …………でも、それは失敗だった。

 私、両親のことは大好きだったんだけれど、その願いは本当は嫌だった。

 でもそれを拒んで嫌われるのが怖くて、結局一度も口答えしないまま叶えてしまった」

 

 

 初めて掛けられた願いを遂げた時に、知った事だ。

 共感のないまま願いを叶えるのは、自分の知る中で一番辛い事だった。

 

 期待に応えられない事より。

 力及ばず膝を屈する事より。

 

 …………応えた果てに、自分一人が残される事より。

 

 

 歩んだ道に殉じて培った末に出した結論を、何一つ味わっていない自分が()()()()()()()()()()のは許せない。

 彼らがそこまで必死になる理由をどうしても、自分のものにはできなかった。……していい理由を、見つけられなかった。

 その人の幸福はその人の悲劇は、それを選んだ決意は、私のものではないのだから。

 

 出した結果は十全だった。

 理想に現実で応え続けた。

 期待に成果で報い続けた。

 願望を努力で叶え続けた。

 

 

 でも、過程に心が伴っていない。

 

 

 自信がなく、根拠がない。

 困難に猛る魂がない。自分がそれに相応しいという自負がない。

 何としてもやってのけようという気概がない。

 

 私はどうしようもなくハリボテだった。貰い物で義理を済ますだけだった。

 まさしくブリキの人形だ。

 中身がなくとも外身は動く。電気の刺激に反応する、仕掛けの様なもの。

 構成するのが肉か無機物(ゼンマイ)かの違いだけ。

 

 それは心を伴わない、入力した通りに動く、只の機械だ。

 

 

 …………それを。空っぽでしかないと思った胸に、何より痛いと感じたのだ。

 

 

 応えられる根拠の見えない希望は重くて。

 力及ばず取り零してしまうのが恐ろしくて。

 見てくれしか用意できない有様が情けなくて。

 

 それは、辛かった。

 

 

 

 本当に本当に――――――――言葉にできないくらいに、辛かったのだ。

 

 

 

 自分は間違っていると思っているのに、誰も咎めてはくれないのだ。

 罪ですらない業がどれだけ償いようがないかなど。泣き叫びたくなるほど知っている。

 

 

 だから…………今回はそうしない。

 

 

 教訓を得たのなら、それに殉じなければ。

 過ちを犯したのなら、それを繰り返さない様にしなくては。

 

 損失を生み出したのなら、それを埋め合わせなければ。

 少なくとも、更なる損失を避けるために活用しなければ。

 叶うのなら、それ以上の利得を生み出す土壌にしなくては。

 

 自己改革は生命の義務だ。

 失態を晒したのなら、二度と同じ経験(きず)を負わない様、自分を戒めなくてはならない。

 

 

 それが自分の願いを軸に成長する道ではなく、環境(ひと)に合わせて成長する道を選んだ者が得た、愚かな教訓だ。

 

 

 

 

「君のことは好きだけれど、君の願いは好きではない。

 その願いは私に相応しくない。叶えたく、ない」

 

 

 

 愛とは共感の一種だ。全く異なる筈の他者と同化し、意識的な産物である幸福を増やそうという機能。

 献身を旨として総量を誤魔化す、物質の充足と精神の充実を引き換えにする等価交換。

 

 

 

 だから。

 

 もし誰かの感情(こうふく)を、自分のものにできないのなら。我が事の様に、思えないのなら。

 自分の気持ちを決めつけられるのも、他人の気持ちを決めつけるのも、我慢できないのなら。

 

 

 どれだけ他人を想う事があったとしても。

 

 

 この世で、きっと私だけは。

 

 

 

 

 

「だから私は――――――君を愛してはいない」

 

 

 

 

 

 

 この世できっと私だけは――――――――それを愛と呼んでは、いけないのだ。

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 自慢じゃないけど、わたしは殿方に言い寄られた事なんて何度もある。

 

 それは、人類復興の使命を果たそうとする為だったのかもしれないし、

 わたしの優れているらしい容姿目当てだったのかもしれないし、

 この光り輝く海の珊瑚の威容を求めてだったのかもしれない。

 

 求婚だって十六回もされた。そしてその全てを断り続けた。

 誰にも解けない様な難題を考えて、それを解くことを受け入れる条件にした。

 どんな困難も無茶無謀も無理難題も、愛さえあれば覆せるのだと信じて。

 

 

 思えば――――わたしは期待してたんだろう。

 

 

 この星から失われたという、人が生きていく上で、いちばん強くてきれいな理由。

 それを証明してくれるのなら、この一生を捧げるのに値すると。無意識に高望みしていた。

 

 

 

 

 だから、本当に初めてだった。

 

 提示した難題の品を用意してくれた人は。

 

 

 

 そして、初めてだった。

 

 「わたしを愛していない」なんて言う人は。

 

 

 

 

「そう、なの?」

 

「ああ。私は君を、愛していないのだから――――――――

 だからこの話は、これでおしまい」

 

「…………そっか」

 

 

 彼の返答はたしかに予想外だったけど、それで取り乱すなんてことはない。

 むしろ納得した位だった。

 

 難題を達成した暁には、全てを捧げると決めていた。

 だって、その人はそこまで必死になって私を求めてくれたのだと思ったから。

 

 だから今目の前にいる、こともなげにソレを成し遂げた人は見合わない。

 

 

 彼が作ってくれたものは、決してわたしが望んだものじゃないんだと。

 

 (わたし)は本当に、自分(かれ)に相応しくないのだと。

 

 

 ただ一つ引っかかる。納得はしたけど、納得したかった訳じゃないこと。

 どこかもやっとした何かが渦巻いている。それが妙に気に(さわ)るのだ。

 

 そんな内心を知ってか知らずか、彼は茶化すみたいに表情を崩して。

 

「もし先程のが、君からの求婚だったのなら御愁傷様。

 私は今、君をふってしまった――――というだけ。

 

 ふられたのは、初体験だったかな? 

 …………いや、”君達”には、二度目になるのか」

 

 そう悪戯っぽく微笑んだ。

 

 

 ………………その笑顔が、少しだけ悔しい。

 

 知らず(はし)った、胸の奥底に凍り付くみたいな焼けた痛みと、冷たい後ろめたさに顔を歪める。

 

 

「えっと、ごめんなさい」

 

「どうして、謝るのかな」

 

「だって…………わたし、嘘ついちゃったし。

 もし難題を叶えられたら、一生を捧げるって誓ったのに」

 

 

 今の言いぐさが、わたしに責任を感じさせない為だってことくらい分かってる。

 それが、少し哀しくて、悔しい。

 

 そこまで気を遣わせたのが。そうせざるを得ないくらいの格好悪さが。

 みっともなくて、やるせない。ふがいないし、なさけない。

 

 

「それは違う。君は約束を守ってくれた。

 もともと求婚の為に来た訳でもなければ、その為に作ったわけでもないからね。

 ここに来た時、そう告げていただろう?

 

 私はもうこの島には来ないけれど。

 でも、君の本を読む。この本、本当にお気に入りだから。……本当に素敵だった。何もかもが。

 きっと何度も読み返すことになると思う。この素敵な物語を。

 

 君がその手で記してくれたことも。

 記している間に交わした会話も。

 そうしてくれた君の思いも。

 憶えている。憶えておくから」

 

 

 呼吸(いき)を呑む。

 

 

 

「だから君はもう何もくれなくていいんだよ。何を責任に思う事もない。

 

 私が最初に願ったものを、君はちゃんと用意してくれたんだ」

 

 

 

 だから。

 もう。

 

 

 

 それ以上は望まない――――と。

 

 

 

 その瞳が言っている。

 

 言葉にしなくても伝わっている。

 

 

 

 その言葉を呼び水に、遠い昔の記憶が甦る。

 自分の聞いたことがない、でも知っている記憶が駆け巡る。

 

 

 あの空に輝く死の世界が死の世界に戻る直前。

 かつて誰もいなかった星が、もう一度誰もいなくなる間際。

 

 

 

”落ち着いて。君に、私はもう必要ない。その心は人恋しいだけなのです。

 ですから、あの星に落ちなさい。あそこには君の望む全てがある”

 

 

”人間がイヤで、何もかもを見限って、月に昇ってきたのです。

 そんな私が、人を■する訳にはいきません”

 

 

 

 ――――そんな。

 

 そんな言葉を、むかし。耳にしたことが、あって。

 

 

 それが■とは呼べなくても。■ではなくとも。

 

 お互いを想い合っていた筈なのに。

 お互いを、想い合っていたのなら。

 

 

 それでも、とは思わなかったのか。

 

 

 

 それでも――――――――…………

 

 

 

 わたしは何分もかけて、目の前にいる鳥を捕まえるような、蝶を掴むような動作で、手を持ち上げかけていたのを、押し(とど)めた。

 

 

 

 ああ――――わかっちゃった。

 

 

 

 たとえわたしを愛してなくても。

 

 彼が、難題()()解けない人であっても。

 

 どれだけわたしに相応しくなくても、わたしは。

 

 

 

 

 彼のことを、思いの(ほか)気に入っていたらしい…………なんて。

 

 

 そんな今更過ぎることを、全部が手遅れになってから、ようやく気付いたみたいだった。

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 何かを吹っ切ったような、澄んだ表情。晴れた、とは少し違う。

 

 (まさ)しくこの夜空の様な、突き抜けるようで、でも日の光の暖かみとはまるで違う何かで満ちた面持ち。

 それは硬く無骨な金属の冷たさではなく、気持ちの良い、さっぱりとした水の清涼さを思わせる。

 

 

 長きに渡った念願が(つい)えて尚こんな表情ができるのなら。

 本当にもう、私は必要ないのだろう。

 

 それもずっと前から気付いていて。

 でも私には、なんでもできる私だからこそ、どうにもできない事だった。

 

 

 

 ――――人には、人でないものの願いは叶えられない。

 

 

 

 そして私の両親は、人ではなかった。

 だから私は人を辞めた。そうならなければ、叶えられなかったから。

 

 

 それ自体が両親の願いだった。

 

 魔術師(ひとでなし)として完成する。それこそが存在理由。

 

 

 

 

 

 そして人になった月の願いは、

 

 

 もう人でなくなった魔術師には叶えられない。

 

 

 

 

夜光何德(月は何の得があって) 死則又育(満ち欠けを繰り返し) 厥利維何(彼に何の得があって) 而顧菟在腹(その腹に兎を飼っているのだろう)

 

 それが「月が兎に惚れたから」なら。我が身を捧げ尽くすのが、月の愛になるのだろう。

 でも、もし兎が月に惚れたのなら。愛の証明に何を差し出せるのか、なんて知らない。

 

 その身を()ませる訳にもいかない。肉体はとうに帝釈天(シャクラ)に捧げた後だ。

 兎は人外(かみ)への献身の報酬として、輝く(てん)に招かれたのだから。

 

 

 …………これはたったそれだけの話。

 

 もう人間(ひと)の心も、他人(ひと)の心もわからなくなったいきものが。

 今更ひとをどうこうする資格もないと、それだけの話だった。

 

 

 

 

 

 

 魔術を行使し、ふわりと宙に浮きあがる。

 ここを飛び立ち、後にする準備を整えた。

 

 

「それでは。そろそろ幕引きにちょうどいい頃合いだろう。

 名残惜しくはあるけれど、これで、()(ひら)きにしようか。

 

 何かと世話になったね。ありがとう」

 

「こちらこそ。いろいろ楽しかったわ」

 

 互いに別れの口上を述べる。はっきり言って遅すぎだ。

 さよならの挨拶なんて、随分と前に済ませておくべきだっただろう。私の用件はとっくに済んでいたのだから。

 

「…………それで貴方、もう本当にこの島にはやってこないの?」

 

「すべきことはもう終えたからね。それがいいだろう」

 

「そう。…………次はもっとうまくやるわ」

 

「次?」

 

「ええ。詳しくは秘密だけど」

 

「…………、……ああ、求婚についてか。実際、私相手には失敗したしね」

 

 次は万人の愛の証明になるよう、難題の詳細を練り直しでもするのだろう。

 詰めが甘い所は確かにあった。…………いや、私のようなケースは本当に例外(まれ)だろうが。

 

「そんなところ、かも。でも全部は教えない。

 今のわたしには、ちゃんとした言葉にできないから」

 

「そうか。今度は上手くいきそう?」

 

「うん。次はきっと。

 ありがとう。貴方のおかげで、おばあちゃんの願いは叶ったみたい」

 

「良かった。その思い出を(さかな)に、君の本を読むとしよう」

 

 

 その口ぶりから察するに、今の段になって何か企んでいるらしい。

 どうにも一癖ありそうな予感。

 

 

 ただ――――私には関係のない事だろう。

 

 もう二度と、彼女に会う機会がない私には。

 

 

 

 そう思うと、じくりと刺すような痛みが胸中に広がった。

 

 惜しいと思う。今何もかも(なり)()り構わず彼女の手を掴めたなら、どんなに幸福かと思う。

 

 

 でもしない。今、どれだけ■おしく感じようと。

 肉親を見捨てた時点で、その権利は己が手で焼き捨てた。それを、(たが)えない。

 

 遥かな誓い。誰も愛さないと決めた。共感しないと決めた。

 もともと私の人類愛は故障している。

 

 

 

 

 だからこそ、こんな世界にやってきた。

 

 

 だからこそ、こうやって得られる筈の時にしか、心の所在(ありか)に気付かなかった。

 

 

 

 

 罰のように思い出す。私は昔、そういう人間だったのだと。

 

 

 

 ここから先はロスタイム。

 既に規定時間は過ぎており、続く言葉はもれなく蛇足。語る言葉は残らず余録。

 

 

 

………………それでも、もう少し。

 

 

伝えて――――――――おかないと。

 

 

 

「それでは最後に。

 

 いつか。

 君を愛し、君の難題をその愛を以て証明する。そんな弱くて誠実な人がいつかきっと現れる。

 だから、この島で待てばいい。ここには君の望む全てが揃う。

 

 願わくば。誰も愛せない私とは違う、素敵な人と一緒になれるよう、祈っている」

 

 多くの人々と違い、強く、身勝手になれなかった人でなし。

 そんな機械に、他人(ひと)を思いやる機能はないとしても。

 

「わたしを愛してないっていうくせに、幸せになって欲しいって言うのね?

 貴方の方は、それが幸せにならないのに」

 

「ああ。そうだよ」

 

 仮令(たとえ)この想いを愛とは呼べずとも、私は、彼女が好きなのだ。

 そう想ったことは、正しくはなくとも嘘ではない。

 

 …………そういいつつ、障害物を取り除くだけで実際のゴールインを他人任せにするのは、正直かなり格好つかないが。

 

 

 くすくすと笑い声が耳に届く。

 それが堪えられないくらいおかしかったのか、彼女は眼の端に涙すら浮かべながら微笑んでいた。

 

 

「………………あなた、本当に変な人」

 

「そうだね」

 

 

 

 私は、そんな生き物だから。

 

 

 

 

 

 

「だからこそ――――君みたいな(ひと)に恋をした」

 

 

 

 

 

 

 愛とは違う。想う事で幸福になれるかどうかなど考えずに。

 貴方には光あれと、身勝手にも願ったのだ。

 

 目を貫く星と海。

 髪を(なび)かせながら、暗い(そら)に落ちていく。

 

 

 島を去っていく。

 君を去っていく。

 私は今、かつてないほど人間的だ。

 

 

 

 

 そうか。失恋を知る為に、私は星の裏へ渡ったらしい。

 

 

 


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