都市で触れられる情報の海からのサルベージは、もう全て済んでしまっていた。ここでもう学ぶものはない。得られる意味はない。
なので、都市の外から更なる文化の回収を目論んだ。それは事実であり口実でもある。
もう果たすべき役割が失せてまで、外にまで求めた理由は単純。
私はどうしようもなく、物語が好きだったのだ。
だって物語は人とは違う。決定的な差異がある。――――――彼らはこちらに語りかけはしても、踏み込んでは来ないのだ。
自意識を持ち交流を
いつかの先で知る月の裏側の物語の様に。
――『人と人でないものが共にあろうとするのは難しい』という異なるものとの教訓ととるか。
――『完全故に届かないものを求め、それを失った愚かさ』という身に余る渇望の末路ととるか。
――『恋い焦がれた一人の為に、自分の全てを懸けられる愛の強さ』という恋の物語ととるか。
本の解釈とは、その持つ意味合いは、全て読み手に委ねられる。
書かれた本意を主観で決めつけたってかまわない。
たとえどんな横暴な結論を出そうとも、それに反論をしてこない。
ぶつからない意見交換。異なる解釈を自儘に許し、咎める権利もないもの。
分かり合う必要性のない、価値観の集合。自分を侵略する恐れのないもの。
自分が脅かされることを、危惧しなくていい他者。
まったくなんて素晴らしい――――咎なく貪れる知識の果実。
奪われる心配のない変化の材料。悲劇を共感する懸念のいらない愛情の矛先。
それは私の望みに合っていた。だからそれをひたすら追い求めた。
礼装を組み上げ、術式を用意し、外界でも十全に神秘を行使できるよう
復興を掲げながらも、病的なまでに他人に無関心な都市の人々は、私の作業に注意を払わなかった。役割さえこなしていれば、誰も私生活には干渉しないのだ。
術式を編み込んだローブを纏い、私は故郷を発った。
ここではないどこかを巡る日々。
尤も、あてどない旅では目論み通りに事が進むはずもない。なんせこんなご時世だ。赴いた先に文化が伝承されず残っていなかったり、教えてくれるだけの熱意も無かったりと空振りに終わる事も多かったが。
充実、していたと想う。
少なくとも、食べ残しすらない皿を眺め続けるよりかは。
空を飛んでの
胸に飛来したものは強烈な罪の所在だ。
「私は物語が好きでも、魔術師が嫌いだった訳ではない。
ただ――――彼らの期待を、無碍にしたくなかっただけだ」
故郷を去る事を決めた契機を思い出す。
両親が眠り、それを以て” ”に到達したあの日。
全てが決定的に変わり、もう何もかもが行きつく処まで行き詰った夢の端っこ。
「私にはできる」と、よくわからない根拠で期待した父母と。
自信もないまま、見込み通りにそれを叶えてしまった自分を。
その内心。
ただ向けられた念願を。まるで私の人格を考慮していない要望を。
本当は怒号を吐き捨て、激昂と共に叩きつけてやりたかった。
実感の伴わない期待を、踏み
だって。そうすれば、二人は。
未だ、私の隣にいてくれたのに。
役目を終えれば、後は死を選ぶだけと分かっていたのに。
両親を止められる言葉を、私は持たなかった。
だって。受け入れて貰えない事くらいは、分かっていた。
彼らの願いは、彼らが絶対に見られないものだから。
彼らが生きている限り、彼らの夢は成就しないのだから。
生命は変動を原則とする。
子を為した時点で親は本来お役御免なのだ。
いっそ死を選ぼうが、それは個人の自由だった。
それを引き継ぐ為に、本当はもうずっと止めてしまいたかった筈なのに。
無理を押して育んでくれたのだから、それ以上の我儘は言えなかった。
せめて安らかに、介錯する様未練を断ち切る事しかできないなんて。
ずっと前から分かっていた。
たとえ自分の
見ていたのが『自分達によって作られる、魔術師としての集大成』だったとしても。
そんなひとでなしでしかなくとも。
こんな自分を育ててくれた、大事な家族だったのに。
ロバを売りに行く親子の童謡を思い出す。
助言してくれた人達だって、決して嘲笑い、
たとえ的外れに見えたとしても、それは狙っている的が違っただけ。ただ単に、見据えているものの違いだ。
彼らにとって一番大事なのが”魔術師としての在り方”で。
私にとって一番大事なのが”家族”だったというだけ。
それを知っていた。
知っていて、見ない振りをしていた。
嫌われることを恐れ、自分を主張せず、ただ飲み込み続けた。
…………わかってもらうために言葉を尽くさなかったのは――――私の方だった。
それでも。
もし思いを汲むのなら別人になる。
それまで恐れていたものと同じになる。
それは自分を殺す儀式だ。
魔術師とはつまり、祖先の思いを守る為に、真っ先に
それを嘆かない日はなかった。”人間”でしかない頃は、夢と現実の境界が覚束なくなっていくのが堪らない程恐ろしかった。
眠る前は二度と覚めないのではと怯えながら、起きた時には実は夢ではないかと震えながら、一日の終わりと始めを繰り返した。
でも。
――――人のかたちをしたままでは、人でないものの願いは叶えられない。
それを、知っていた。
だから…………
彼は愛された、愛されるに足る自分でいる為に。
愛し続けて欲しいと願った、自分が愛したものに別れを告げた。
だから、これはどこまでも当たり前の話だ。
相手を理解しようとしなかった生き物同士が、互いの真意を知ることなく。
なあなあでその場しのぎを繰り返すうちに、さざめく時に押し流されて、つながりを断たれたというだけの。
…………その響きを聞く者はいない。
胸中の独白に応える声はない。
顔を覆う両の手は、凍える心を包むに程遠い。
今や同類などただのひとりもいない。
震える肩は、灯りの遠い空気によってか。それとも、隣り合う誰かのいない寒さによってか。
呟いた悲哀の歌はカタチもなく。風は言葉をかき消すばかりで。
心の揺れは
押し潰した
無数の光が並ぶ、いつまでも眺めていられる星空も、温もりを分けてはくれない。
空も海も夜も、あらゆる嘆きを受け止めてくれるだけで、何かを返すことはない。
あれだけ追い求めた本達と同じだ。こちらの嘆きを否定はしない。見向きもしない。
ただ、受け入れる。
その手応えのない大らかさが今、何より寂しさを助長した。
私は父を死に追いやり母を死なせた。
だから世界と、人間を見捨てただけ。
何もかもが億劫になって、相互理解の繋がりを、精神的に断ったのだ。
例えば。
今にも飢えて死にそうなものにとって、一片の
それを愚かと吐き捨てることは誰にもできなくて、同時に誰にだってできること。
だって死にそうなのは自分ではないから。コトの渦中にいない以上、異なる意見を見いだせるのは当然で。
『パンに命程の価値がある訳がないだろう。命を
――――――――そんな風に反論するのも誰にだってできる。できてしまう。
そしてそれは間違いではない。間違っているのは答えではない。
人の善悪の如くくるくる回る時価に、万人に共通する確実な指針を求める事自体が間違っている。
それは。
つまり。
自分の大切なものを、他人は大事とは思ってくれなくて。
誰かのかけがえのない何かを、決して我が事のようには思えない。
人と共有できるのは言葉だけで、その
たとえ”大切”という言葉の意味が同じでも、その”大切”が指し示す物も度合も違う。違ってしまう。
なら『君の気持ちがわかる』なんてほざくのは所詮部外者の思いあがりで。
それに『私の何が分かる!』と吐き捨てるのは結局当事者の独りよがりでしかないのか。
何も言わない事が真に誠実で。
期待をしなければ絶望する事もなくて。
触れ合えばいつだって傷付けあうばかりで。
信用しなければ裏切られる事なんてなくて。
分かりあえているなんていうのは唯の愉快な勘違いで。
好きになりさえしなければ、冷める事からも無縁でいられて。
「”うざいから、私には関わるな”」
――――もし心から、そう言えたのなら。
どうせ真に理解し合う事が叶わないのなら。
心がそう在れたなら、どれだけ、幸せだっただろう。
でも寂しい。それはきっと辛い。神様でないなら耐えられない。
ヒトの黎明。まだ原初の罪を持ち得なかった頃。
神以外はいなかったし、それ以外はいらなかった。
人間にはそれを是とできなかったから知恵の実を
神の口から出る一つ一つの言葉だけで生きられなかった、人の罪への罰なのか。
それとも。
傷付かないだけの、虐げる者がいないだけの楽園を、楽園とは思えなかったから。
誇るのではなく、寂しいと思ってしまったから。孤独を孤高にできなかったから。
全てを承知の上で
そうして楽園を捨ててまで辿り着いた新天地が人の世だったのは。
分かり合う者がいない世界を去って、
分かり合えない者しかいない世界に来たのは。
果たして正しかったのか。間違いだったのか。
誰かに、わかってもらえるだろうか。
それとも――――それすらも、わかってもらえないのだろうか。
神ならぬ身にとって、楽園もこの人の世も、かくも生き