二度目の初恋を月の下で   作:檻@102768

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虚構も時には欲される

 その宣言に束の間、一度だけ正気を疑った。

 

 それがわたしか彼のどちらかであったかは、判然としないけど。

 

 

 

 耳に届いた言葉を言葉として認識できない。

 否、認識したからこそ、その指し示す意味を理解できない。

 

 別に熱に浮かされた訳でもないのに、妙に頭の廻りが悪い気がする。

 言葉の金槌で頭を横殴りにされたような錯覚。質量なんて綿菓子より乏しい筈なのに。勢いなんて今まで綴られた愛の語らいより緩やかだったのに。

 

 こともなさげに口にされたそれに、酩酊したように視界が揺らいだ。

 

 

「――――――――――――、え?」

 

 

 口から洩れたのは、そんな間の抜けた声だった。

 他ならぬ自分の呟きで意識を取り戻す。気が付かなかったが、思わぬ申し出につい絶句していたらしい。

 …………でも、これは仕方ないと思う。

 今まで誰もが(さじ)を投げた無茶無謀を、こんなにあっさりと(こな)して見せると断言されたのは初めてだったんだから。

 

 余りにも淡白に。気負う素振りも感じさせず。

 その気安いまでの口ぶり自体もだけど、何よりも驚いたのは。

 久しく忘れていた求婚者への難題を、他ならぬ彼が望んだこと。

 

 この一ヶ月の間、彼をずっとそんな目で見ていなかったものだから。

 今更それを他ならぬ彼が、前触れもなく口に出す事について。まるで裏切られたような、割り切れないような。そんなもやもやも浮上する。

 

「え、えと」

 

 口がまごつく。舌が咥内に絡む。ええい、落ち着けわたし。

 今、大事なのはそれじゃない。捨て置くつもりもないけど、とりあえず今は脇によける。

 

 すぐに、真っ先に確認しないといけないのは――――

 

 

「難題、って…………解けるの?」

 

 

 風船が萎んでいくような、今まで丸々と見栄えだけが立派だったものが、内側から崩されていくような。

 漏れ出たのは、それこそ風船から時間とともに微かに、だが確実に零れていく気体の様な、そんなか細い声だった。

 

 確かに自分が出した声なのに、本当に口にしたのかも覚束ない。

 自分の喉から出た筈なのに、向こうに届いているかどうかの自信もない。

 

 

 今まで堂々と課題として提言しておいて何て言い草と思われるかもしれないけど、そんな自分をして唖然となる程、緊張した素振りもなく言われたらやむを得ないと思う。

 

 

「まぁ、私ならね。恐らくは可能だろう。

 そこで何か、私にも一つ出してみてはくれないか。話はそれからでも遅くはない」

 

 遅くないと言いつつ『出来る』と断言する彼に少し愕然とする。まだ詳細を聞いてもいないのに、どうにも自信があるらしい。

 とん、と胸を叩いて待ち構えるその姿にはあきれるやら頼もしいやら。

 

 そんな内心の紆余曲折はありつつも、何はともあれ。聞かせるだけなら問題ないということで。

 他にどうすべきかもわからなかったから、お望み通りに告げてみることにした。

 

 

「えっと、じゃあ…………、……月のサカナを用意できる?」

 

 

 …………流石に想定の範囲外だったのか、耳を疑ったように口に手をやり、少し首を傾げる彼。

 

「それは何かの謎掛けか比喩表現? それとも、字面通りに解釈していいのかな?」

 

「文字通りの意味で大丈夫。一番新しい求婚の時に出した難題なんだけど」

 

 なんて、こちらの発言が何かを疑うような、胡乱な目を返された。もちろん中身も外身も間違えてない。無理に勘繰らなくてもけっこうだ。

 詳しくしないまま提示した件について、騙し討ちみたいな気がして妙に後ろめたい気もするけど、それ以上にしてやったりな気分もある。さっきの外套の時のにやにやした顔は忘れてない。不意打ち気味の宣言の意趣返しにもちょうどいい。

 

 

 そんな風に。

 いくらなんでも、少しは物怖じなり、諦めを滲ませるなりするかと思って待ち構えたのに。

 

 

 

 

「そうか――――では、やってみよう」

 

 

 

 

 わたしの耳に届いたのは、またあっさりと口にされた、そんな気軽な宣誓だった。

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 すっ、と海に映った月に向かって手を(かざ)す。

 

 

 それが今、地上で自分だけが為せるであろう奇跡であろうとも。

 そんな成果が紙切れ数十枚の対価として見合わなさ過ぎるという客観も。

 

 そういった些事は何一つ告げず、ただ望みを形にする。

 

 

 

 魔術回路のスイッチを入れる。起動のイメージは鳴り響く(しょう)(ろう)

 時の流れを刻み、年の終わりを告げ、そして新たな始まりを謳い上げる転換の象徴。

 

 耳を(つんざ)くほどの勢いで(リン)という音を響かせたのを合図に、自分の肉体が全く違う装置へと成り果てる感覚。つい一瞬前までの自分と劇的に違う物になる乖離感。

 ただその程度のアクションでレールを切り替えるように丸ごと()げ変わる、己が仕組みの精密さ、或いは単純さに確かな誇りと僅かな恐怖を。

 

 自己から生まれながらも受け入れがたい魔力は、その恐れを(つか)えることなく飲み込むことで精製される。

 外部ではなく体内から生じる何かに侵略されると言う矛盾。灯った熱は(さなが)らのたうつ蛇のよう。体内に根付く回路を通して駆け巡り、丸呑みにせんと蹂躙する。

 

 内側から実体ある血肉を炙りにかかる、(めぐ)り回る星の命。そのひとしずくたる生命の火。

 あらゆる神話の元となるもの。あまねく存在の鍵となるもの。

 

 

 

 

 いかなる科学でも計測できない熱量に(うな)されるように勢いそのまま、

 

 人の扱う神秘幻想、その最奥に至る扉を叩いた。

 

 

 

 

 

命は巡る(くりかえす)生まれる(いみがある)死に絶える(いみがなくなる)また生まれる(ぬりかわる)

 連なる墓標に名を刻み(はじめとおなじをつなぎあわせて)出来るは骸の高き塔(くるくるまわるじゅずのたま)

 さてはてここでご質問(いえをもとめてあるきまわる)ここは黄泉路の何番目?(わたしのねどこはどこでしょう?)

 

 

 詠唱を紡ぎ魔術を行使する。科学の前に打ち捨てられ、もはや形骸を残すだけの骨董品といえど、実用性は折り紙付きだ。

 駆逐は出来ても殲滅はし切れなかった、一世を風靡した威光は多少古ぼけたところで小揺るぎもしない。

 

 流れた時の糸を逆再生する事で、月のデータベースにアクセスする。

 水面に映った揺らめく像を媒介に、灯りの絶えた世界の死をなぞる。

 

 かつて人間は文明を駆使し、あの天上の星々すらも(おの)が領土として宣言した。

 一から道を創る必要はない。使う者がなくなって少しばかり寂れているだけで、とうに経路は繋がっている。

 木に実った林檎と違い、地上に落ちてこない神々の領域という幻想は失われて久しい。

 生命の息吹が残らない残骸に抵抗はほぼ皆無。他のどの星より近くて地上のどこより遠い天体の、過ぎ去った系統樹を辿っていく。

 

 過去数百万年の記録を遡及し、千を数え万を過ぎて億に及ぶ生態系を(そう)(ざら)い。

 いちいち細かく検分するのも難儀なので、地球の”サカナ”の大雑把な特性を入力し選り分け(サーチ)開始。

 地上のルールで翻訳可能な、概念的に”サカナ”に近似する物をピックアップする。

 

――――――――――――

 

 

――――――――――

 

 

――――――――

 

 

――――――

 

 

 

 

 

――――…………あった。

 

 

 

 歓喜を上げるも内心だけで表には出さない。研ぎ澄ませた表情のまま、それを契機にガチリと方向転換。早速発掘した目当ての生命のデータを転写し、異常識の構造を解析に回す。

 構成する原子や基幹となる骨格、それを駆動させ補強する筋肉や器官の仕組みを、自分の知識で成り立つ形で解釈できるようこじつける。

 

 完成形が見えたのなら次は復元の作業。リスト化した必要な原子を魔力で転換し代用。出来上がったものを片っ端から繋ぎ合わせる。二度手間にゴリ押しもいいところだったが、消費も消耗も省みない。

 大気に満ちたマナはどうせ、誰かが使うアテもない。折角やる気の有り余る身なので、(はばか)る事無く存分に活用させてもらおう。

 

 

 そうやって外装を整え終えれば、後は生命として完成させるだけ。

 空中に浮かぶ出来かけの何かは確かな鼓動を刻んでいるが、今は肉が電気信号(しくみ)に従って脈を打っているに過ぎない。人で例えるなら植物状態だ。

 

 最後は魂の息吹を吹き込むプロセス。なに、取り立てて難しいものではない。死者の蘇生ならまだしも、あくまで過去の存在を現代に再現するだけ。

 人造人間(ホムンクルス)然り、生命の創造のノウハウなんてとっくに自明と化している。心が宿ったことのない(つち)(くれ)にすら意思を与えられるのに、サカナの体にできない道理はない。

 遠い日に、自然の流れの中でひとつのいのちとして成立していたそれを、今度は人の手を以てして、確立させるだけのこと。

 

水は生命(ゆれる)土は血肉(かたまる)空は息吹(かたちどる)

 虚数は暴かれ(「ない」を「ある」に)記号になる(「ないがある」に)

 枠は収める(とびだせふしぎ)はみ出たものも(こたえあわせだ)

 斯くて全ては箱の中(でてきたものはなんだった?)外は空っぽ、すっからかん(なかにはじけたけしきはどこの?)

 四角い世界は誰のもの?(はこにのこったあなたはだあれ?)

 

 

 呪文を新たに重ねる。

 星の生命力を玉鋼に、個の生命へと打ち直す。

 

 架空要素(エーテル)は万物への代用が利く無形の変数だ。

 先刻の肉体の構築にも使用したが、本来それは魂などの実体のない存在を再現する際、より顕著に効力を発揮する。

 

 術式が天を覆う。

 並べた歌を媒介(とおりみち)に、魔力が所狭しと走り回る。

 

 

 穿ち、

 割り、

 砕き、

 削り、

 磨く。

 

 

 打ち鳴らされる仮想の(つち)の音。

 まるで鍛造のように忙しなく火花が散り、一秒ごとに光が振り撒かれる。

 

 森羅万象を写し取るインゴットを精錬し、有象無象の(カタチ)を与え、収まる様に叩き上げる。

 万物に変動しうる素質(かのうせい)を意図的に絞り上げ、損失のみを世界に生み落とす劣化変換。

 

 

 

 

 

 そして。

 魔力の明かりも鍛造の火花も、夜闇を貫く月の光も一緒くたに。

 

 遥か上回る命の輝きがそれを払い、周囲一帯を照らし上げた。

 

 

 

 

 

 組み込まれた魂が肉体に適応し癒着し一体化すれば、晴れて完成。

 月の海が枯れてから久遠を経て、今。遥か異境の地上にて、月のサカナのお目見えだった。

 

 

 まるで天からの授かりもののように、空からゆっくりと、地に降りてくる水中の命。

 表面は三回りほど大きな雫がぐるりと囲い覆っている。穢れを知らぬ幼い肢体を守るかのように包んでいる。

 光を零しながら夜空の中で生まれた月の(ざん)()

 

 ようやく産声を上げた月のサカナは地上(人の目)から見ても美しかった。

 体躯はおよそ六寸程度。月の生命は親に似て色素が薄いのか、白一色で出来ている。その一辺倒の色合いに微かな親近感を抱いた。

 (ほの)かに月光を反射して煌めくモノトーンの鱗は、生まれたての無垢な魂を顕すかの如く眩い。

 

 

 一連の作業を終えて、達成感と共にほっと一息。

 その感慨は作業の困難さではなく、作業が無事に実を結んだことに対するモノだ。

 

 

 …………正直に言うのなら、月のサカナのデータが見つかるかどうかは半々程度の賭けだった。

 

 遥か昔の話。伝え聞く第二の魔法使いが討ち倒した吸血鬼は、月の王さまだったらしい。

 太陽系における八の天体と月において、”王”と称される個体は星の意思の代弁者であり、その星全ての生命体を殲滅できる能力を有する。

 言い換えれば、比較対象である”王”以外の側の生命もいた筈なのだ。

 その中に、地球におけるサカナに該当する種族も存在しただろうと考えたのだが……どうやら的外れではなかったようだ。いなかった可能性も加味して、だから半々。

 

 駄目なら駄目で、力尽くで月に母なる海を作って、原核生物からの進化のサイクルを月向けに方向修正しながら月版のサカナを仕立てる見積りもあったのだが…………魔力の消費は比べ物にならなかっただろう。

 別に糸目をつけるつもりはなかったとはいえ、無駄遣いはよろしくない。なんとかリーズナブルな方で済んでよかった――と独りごちる。

 

 

 

 …………本人は特になんでもないかのように一連を成し遂げたが、仮に千年前の、魔道に微かでも覚えがあるものが見たのならそのデタラメ振りに腰を抜かしただろう。

 しかしそれもむべなるかな。力量以上に、周囲の環境が違い過ぎる。

 

 西暦にして三千年を数えた現代において資源(まりょく)など有り余っている。人に熱意が消え失せてから、星は長い忍耐の果てにあらゆる自然を持ち直した。

 費やす見通しもなく何百年も放逐され、大部分が使われないまま大気に地層の如く積み重なったそれらは、ただ一人では千年を掛けようと枯渇する事はない。

 

 

 魔術とは秘匿されるもの。

 使う者、広めようとする者が軒並み情熱を失ったこの時間軸において、今、この地上でたった一人の魔術師。

 

 神秘というリソース、太源(マナ)というエネルギーを図らずも独占する彼には、物量的な意味での不可能など、事実上消失している。

 

 

 

 何はともあれ望み(オーダー)通り。

 ちらりと視線を戻すと、難題を解くと言った時より目と口を大きく開けたまま、ぽかんとこちらを凝視する少女が居て。

 今まで彼女の前で使用したのは浮遊や飛行等、見た目は随分とコンパクトな物ばかりだったから驚いているのだろう。

 

 

 放っておくと、いつまでもそのままでいそうな少女についつい和まされながら。

 

 

 

 

「――――――お待ちどうさま。こんな具合でどうだろう?」

 

 

 

 事の始まりの時と同じように、意気込んだところなど欠片もなく。

 ただただ気楽に気さくに呼びかけた。

 

 

 

 

 

 

「へぇ、これが……”月のサカナ”。

 やっぱり地球とはどこか違うのね」

 

 あれから意識を取り戻した少女は、てこてこと私と月のサカナの間近に寄ってきて、ふーん、とどこか素っ気なさそうに生返事を返す。

 それを見て他人事なのについ心配になった。本人(わたし)にとっては、解ける程度の問題の難易度などどうでもいいが、今のが自分以外にとってどれだけ困難かを客観的に理解している。

 ここまでやっておいてこんな対応では、実際に彼女を追い求め奮起した求婚者達が見たら、やるせなさで(くずお)れるのではないか。

 

 

 …………が、しかし。今の一連を無為と断じるのは早計だったらしい。

 

 よくよく見れば、あれは興味がないのではなく、目の前の未知に夢中なだけだ。

 逸る気持ちは静められても、そわそわとした雰囲気が抑えられていない。

 

 爛々(らんらん)と輝くその瞳を見て、なんとも現金なものだと苦笑する。

 先程は、難題のものが欲しい訳ではないと言っていたのに。

 

 

 

 本当――――――可愛い所もあるものだ。

 

 

 

「…………触ってもいい?」

 

「いいけれど、一つお手柔らかに。

 こちらの重力にも適応するよう仕立てたし、体こそ一人前に出来上がっているが、まだ何の温もりも冷たさも知らない稚魚(おさなご)だ。

 どうか優しくしてあげて欲しい」

 

「うん。わかった」

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 彼の許可も降りたことだし、早速その古くて新たな命の姿に触れてみることにした。

 水槽と言いつつ、それは四角形ではなく不定形。

 実体のある容器に収めるのではなく、中にある水をそのまま拡散しない様、どうにかして緩めに抑え込んでいるらしい。

 

 水風船のように破れたりはしないだろうし、彼がいいと言った以上は大丈夫だろう……と、中と外を繋ぐ入り口を作るかのように、宙に浮かんだ巨大な雫にゆっくりと、けど躊躇いなく指を突き刺す。

 

 大気と水を隔てる表面の膜を通り過ぎると、中の感触は液体とは思えない程軽い。水自体の体積に押しのけられる感じはあるものの、こちらから押し出す分には抵抗を殆ど感じない。

 なんとなく、この水槽を後ろから見ればそこをてっぺんに山なりに出っ張っているような気がする。

 

 故郷(つき)のように白い身丈に指をあてがい、驚かせないようにゆっくりと背中あたりを撫でる。

 突然のコンタクトに逃げられるかと少し不安を抱いたものの、月のサカナは生まれたばかりで警戒心がないのかされるがままだ。

 

 自分が知る、今までのどんな感触にも似ていない肌触りを堪能する。

 指を介して、どこまでも初々しく鮮烈な、跳ねるような命の音が伝わってくる。

 

 彼に目を移さずひたすらに指を動かし愛でながら、ふと思いついたことをそのまま口にしてみた。

 

「そういえば、月ってとても暑かったり寒かったりするって聞いたんだけど、普通に触っても大丈夫な温度なのね?」

 

「人間が持ち込んだものではない、自然な生命に溢れていた頃の物を復元したとはいえ、検索に用いたサンプルは地球のものだからね。私達の常識(かんきょう)からそう逸脱しないモノが選ばれたのだろう。

 それに、元より月は地球から生じ、分離したものだ。生態系・文化圏が理解できる範疇でも不思議はない」

 

 相変わらず真面目な返事。

 詳しい意味は解らないけど、そういうことらしかった。

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 全てに平等である時そのものが、過ぎ去る事を惜しむかのように流れの穏やかな一幕。

 その中で私は(ほう)けた様に、眼前の光景に釘付けになっていた。

 

 遥かな昔に地に降りたものと、つい先程地に生じたもの。

 遠い日に星から消えたものと、新たに星を去ったもの。

 

 それらが揃い戯れる様はまるで、一幅の宗教画にも似て。

 

 

 その片翼たる、(りん)(こう)を振り撒きながら揺蕩(たゆた)う月のサカナ。

 自身の業を以て組み上げたソレも自信作だが、それに比べて尚麗しいと形容する他ない少女が居る。

 

 どこか色褪せながらも生気を(あらわ)す亜麻色の髪。

 肩に届きながらも顔にかからない程度の長さは、整い過ぎた輪郭のラインをさり気なく強調している。

 

 華奢な体躯を包むカジュアルな服装は、素材の優美さを阻害しないまま快活さを演出する。

 細くしなやかで、でも脆弱な印象を抱かせない、何一つ付け加える必要を感じさせない完璧なフォルムの手足。

 

 そんな訳がないと知りつつ輝いているかと見違える、(がん)()に収まったふたつの瞳に。

 ふと、磨き抜かれた珊瑚(コーラル)の宝石を連想した。

 

 

 わざわざ加工するまでもなく壮麗なのに、どうかそれ以上であって欲しいと乞われ、人の手で丹念に研ぎ澄まされた末の光沢。

 

 自然(ありのまま)に満足できない、口出しせずにはいられない――――変化を基軸にする生命の、祈りのカタチ。

 

 

 或いは。

 

 それは誰も立ち入らぬ筈の神域、生無き者のみ滞在を許される死の世界で唯独り輝くよりも。

 ふと訪れた来訪者と語り合いたいと。まるで身に付けられるように傍に、隣にいたいと願った結果なのか。

 

 願いを叶える為に人に降りたもの。

 人の願いを抱く為に、人になったもの。

 

 進化と呼ぶか真価と呼ぶか。

 退化と呼ぶか対価と呼ぶか。

 

 それをなんと形容すべきか。…………私には、わからない。

 

 

 わからなかった。が。

 

 

 

 

 己の知るあらゆる生き物の中で、どんなものより美しいこの少女そのものよりも。

 

 ここに至るまでの道のりを、それを歩むと定めた想いの方を尚。

 美しいと、思っていた。

 

 

 

 

 

 

 人の夢である魔術を統べる私をして、幻と見違えるそんな一幕を、私は特等席で観賞している。

 静かに淑やかに、それでいてどこか陽気にはしゃぐ少女を、夜の冷気に洗われた目で、澄み切った空気越しにただ眺めている。

 

 

 

 …………ああ、可愛いな。

 

 

 

 ふっと、そんな当たり前の様な、でも今まで意識しなかった感触を胸に抱いた。

 

 

 惹かれている。

 近寄ってみたいと思う。

 彼女を■しいと、感じている。

 

 気が散ったまま、望むものを差し出せば生涯を共にすると言った少女を、今一度真っ直ぐに見つめた。

 

 

 

 ――――私であれば。

 

 

 

 今、万能の域に足を浸している己であれば、それもまた叶うだろう。

 星に満ちる魔力は潤沢。目の仇の科学は落ちぶれ神秘は濃厚。

 先刻の行使で熱が入った回路は十全。世界に(わだち)として奥深く刻まれた基盤は独占。

 先のサカナと同程度のものを”難題”と称すのに、この身は(いささ)か以上に自由(しばりがなさ)すぎる。

 

 

 

 

 ……………………けれど。

 

 

 そうして差し出したものは、決して彼女が望んだものではないだろう。

 

 

 

 

 目を、(つむ)る。

 あれ程真摯に眺め続けた景色を遮断する。

 

 意識をいくらか手元に残しながら、自分の領域に、(ゆめ)(まぼろし)の域に沈んでいく。

 

 夢と分かって、見る夢だ。

 目が醒めながら、見る夢だ。

 

 

 

 

 だって。

 

 私は。

 

 いつだって。

 

 

 

 

 

 ひとの心が、わからない――――――――

 

 

 

 


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