二度目の初恋を月の下で   作:檻@102768

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宙と海、そして珊瑚礁

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

 

 二人の時はそれから半年ほど続きましたが、

 終わりはあっさりしたものでした。

 

 

 彼は彼女を抱えて船に乗り込みました。

 

 いきなりのことで驚きましたが、彼女はここのところ弱っていたので簡単に乗せられてしまいます。

 

 影の海を離れるのは不安でしたが、彼がいるのならば喜ばしい。

 彼女は狭い船の中で幸せそうに目をつむります。

 

 

 

「人間がイヤで、何もかもを見限って、月に昇ってきた」

 

 

 

 声は船の外側から。

 

 今まで誰もこなかった、これから誰もいなくなるはずの荒野から響いてきます。

 

 

 

 

「そんな私が、人を愛する道理がない」

 

 

 

 

 体は動きません。

 気づいても扉は開きません。

 彼女はもう世界()から離れてしまったから、世界も動いてはくれません。

 

 星を(おお)っていた氷は、夢のように砕けていきます。

 

 

「君が私に向けている行為は愛情ではないと思う。

 単に君が人を知らないだけだ」

 

 

 彼女は(のぞ)き窓にすがりついて、忘れていた(おきて)を思い出しました。

 

 あちらの人間に恋をすると、罰として永遠に別れるのです。

 

 

「あの地上にはふさわしい相手が山ほどいる。

 君はそこで生きればいい」

 

 

 ああ、彼はここに残るのだと彼女は嘆きました。

 

 

 

 

 同時に。

 

 それが彼にとって一番いい選択なのだと、理解してもいたのです。

 

 

 

 

 以前の彼女からすればちっぽけな花火。

 今の彼女にすれば恐ろしいほどの光と熱を吐き出して、船は地表を離れていきます。

 

 

 銀色の大地。

 

 彼女そのものだった世界は今では他人のよう。

 ヒトになりかけていた彼女の目には、遠ざかる小さな星。

 暗い海に独りきりで、きらきらと輝くのです。

 

 

 

 でも彼女に涙する時間はありませんでした。

 彼は本当にひどい人間で、彼女の安全に配慮していなかったのです。

 

 船は地球の重力圏に入るだけの燃料しかなく、六倍の重力下での不時着に耐えられる設計ではありません。

 船は空で分解し、彼女はそれはそれは悪い冗談のように、真っ逆さまに青い海に落ちました。

 

 

 それがこの島の始まり。

 

 彼女は一命を取り留めましたが、落下のショックで記憶がところどころ欠けてしまいました。

 

 

 

 島に新しい珊瑚ができたのはこの時から。

 彼女はここで暮らし。子を(はぐく)み生涯を終えました。

 

 

 

 ただ、毎月満月の夜になると。

 

 空を見上げては――――――

 

 

 

 

 

 幸せそうに笑っていたというコトです。

 

 

 

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 

◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

 

 

「ところどころ君の主観がまじっているね。描写に偏見も」

 

「好きに書いていいって言ったじゃない」

 

「別に咎めている訳ではないよ。単なる指摘として受け取ってくれればいい」

 

「その指摘を活かす場所はあんまりなさそうだけど」

 

 今夜は幾望(きぼう)の月が(そら)の主役だ。空に無数浮かぶ星々も、際立って(おお)きくまんまるに近い銀の天蓋と比べられては仕方ない。

 本番へのお(めか)しにはもう一晩掛かるのに、明日への前奏の姿だけでそれ以外の全てが圧倒されているみたい。

 

 脱稿した分を読み進めている彼の言い様にほんのり口を尖らせる。折角のそんな風景を放ってまで執筆してるのに、もう少しやる気を引き出す言い回しはできないのか。

 

 とはいえ、怒っている訳じゃないけど。

 

 幹に腰掛け、樹の枝に足を伸ばしながら応対するも、視線は原稿に向けたまま。軽く減らず口を挟みつつ、筆が望むままに躍らせ続ける。

 

 

 そうだ。彼女と彼の物語も、もうすぐ終わる。

 いや、違う。とうの昔に終わっていた物語が、わたしの手で息吹を込められ、形あるものとして新生する。

 

 幸いにも、いつか彼が零していた通り「書き始められれば割合すっと進められる」というのは嘘じゃなかったらしい。

 執筆が終わればお払い箱だというのに、ペンは躊躇う事も留まる事も無く、次第にインク(やくめ)をすり減らす。健気にも自分の寿命を新たな物語の種火へと()べながら、舞台を最後へと進めていく。

 紙と奏でるサラサラとした音は、ふとした事で霞んで消える程度の、ほんの微かな拍子を刻んでいるみたいで。

 

 

 

 

 残り三行。

 

 

 二行、

 

 

 一行…………

 

 

 

「うん、いいかな……」

 

 

 そうして。

 今、ようやく結びを記し終えて、筆を置いた。

 

 

「はい、これ最終ページ」

 

「おお――――! ありがとう。お疲れ様」

 

 感極まった風に弾んだ声。

 手渡そうと向けた原稿を丁寧ながらも素早い所作で受け取る彼の姿が妙に可愛らしい。

 このはしゃぎっぷりを見るに余程お楽しみだったみたい。ここまで感無量だと筆者冥利に尽きるというか……うん、予想外の面倒事も悪くない。

 

 水を差すのも野暮だろうし、食い入るように読み(ふけ)る彼をしばらく放っておいてあげることにした。

 …………わたしが先日放置された時の態度は、気にしない方向で。

 

「んー……」

 

 

 なんとか成し遂げた達成感と開放感に身体を預けていると、ソラに浮かんだ月が思わず目に留る。

 

 

 真円というには、まだほんの少しだけ欠けた天の珠。

 僅かに陰りを残しながらも、ついため息を零すほどに冴え渡る銀色。

 

 彼と彼女が出会い、そして別れた物語の舞台。

 誰の目にも映らない月の裏側で起きた、ほんの幕間のできごと。

 

 

 

「綺麗な月……明日は晴れるかしら」

 

 

 未だに一面に光が行き渡らない不完全な威容だけでも、満月の時の(ぜっ)()ぶりが見て取れるよう。

 

 星の(ひかり)が燃える音も吸い込むような、どこまでも深く暗く、しんと静まった夜空も。

 そんな夜空ですら覆い隠せないくらい(ちりば)められた星も。平時ならどちらも主演を張れそうだが、今はダメだ。とても足りない。

 闇は光を浮き彫りにし、光は更なる光輝を引き立てる。かけがえのない持ち味の全部が全部、貫禄に満ちたあの銀を盛り上げる端役(スパイス)に見えてしまう。

 今夜は行方知れずの雲も本番当日に所在なさげに漂うよりかは、ぜひ空気を読んでそのまま引っ込んでいてもらいたい。ましてや(あめ)(ふら)すなんて言語道断だ。

 

 何せ月は幾多の星と違い、纏った衣装で十全と輝けるのは一夜だけ。

 刻むように三十日分の暦を費やして(てん)()に至る。あんなに()(ばゆ)く光るのも、一晩限りだからこそと言われれば納得だ。

 やっているのはかつての人類と同じ使い回しなのに、ただ節約の為に使うか、溜めて溜めて使うかの違いだけで、大した贅沢になるものだと思う。

 

 

 そして明日はその満月……つまりわたしはまる一ヶ月、この二色の人に物書きを教えてもらっていたことになるのね。

 はじめこそ彼の姿に面食らったり、会話のすれ違いに戸惑ったけど、おおむね刺激的な時間を過ごせた。真っ白な瞳孔は光も何もかもを遮るようで、奥深くは見通せないけど。

 

 

 彼は真面目で。

 

 好奇心旺盛で。

 

 なにより正直だった。

 

 

 はじめから、(うそ)現実(しんじつ)を区別しない生き物のように。

 

 

 

 

「――――――読了した。感想を述べてもよいかな?」

 

「ひゃ、はい!!」

 

 

 不意打ち気味に訊ねられたのに、計らず声が上ずった。

 ぎこちないままにささっと居住まいを正し、背筋を伸ばして身構える。らしくなく緊張しているみたい。

 

「どうぞ。お手柔らかにお願いします」

 

「大変に楽しませて頂いたとも。

 月やこの島の成り立ちを知られたのも面白かったが、恋愛模様も見事だった。

 特に、この彼女は実に可愛らしい」

 

「そうかしら? 少し無防備というか平和すぎると思うんだけど、どのへんが気に入ったの?」

 

「行動に揺らぎがないからね。とても正直な人だったんだろう。

 周りに振り回されなかったのは、自分を曲げてまで嘘をつく意味がない程まっすぐだったからだ」

 

 

 その言に。

 少しだけ、心がささくれ立った。

 

 

 褒めてくれている筈の言葉にも拘わらず、妙に刺々しい気分。

 それが八つ当たりに近いと半ば自覚しつつも、口から溢れる言葉を止めようとは思わなくて。

 

 どこか口調が荒くなったまま、咎めるみたいに言い募る。

 

「ずいぶんと肩入れするのね。

 そんなのわたしの本だけじゃ断定できないのに」

 

「できるよ。ひとかけらの無念も見受けられなかったから。

 彼女の記憶から読み取れるのは、最後まで自分の選択を誇った事実だけだ」

 

「…………」

 

 

 そんなつもりはなかった。

 むしろわたしは反感をこめて筆をとっていたはずなのに。

 

 

 …………そう。子供の頃からおばあちゃんの話には疑問があった。

 わたしから見ればこのお(とぎ)(ばなし)はひどい物語だ。

 

 尽くした末に捨てられたのに、どうして彼女はあんなにも幸福だったのか。

 

 

 裏切られてもかまわない献身が愛だというのなら、わたしはやっぱりそういうものとは反りが合わないと思う。

 

 

 

 腑に落ちない思いで胸が詰まって。

 尖らせた口のまま、納得のいかないままに食い下がった。

 

「わたしは、悲劇として書いたつもりなんだけど」

 

「彼女の主観は君の主観だよ。君たちはそういう生き物だ。

 純粋無垢な複製でありながら、祖先の(おもいで)を継承する珊瑚の姫。

 母方の記憶を自分のものとして受け継いでいる。

 

 過去は変えられない。事実の解釈(してん)は異なっても、想った(しんじつ)は覆らない。

 君がどう思おうと、君の遺伝子には原初の気持ちが刻まれている」

 

 何より、と前置きして。

 

「仮にこれが悲劇であろうと、”悲劇と思うかどうか”は読み手(わたし)の自由だ。

 この物語を、

 『人と人でないものが共にあろうとするのは難しい』という異なるものとの教訓ととるか、

 『完全故に届かないものを求め、それを失った愚かさ』という身に余る渇望の末路ととるか。

 

 それとも。

 『恋い焦がれた一人の為に、自分の全てを懸けられる愛の強さ』という恋の物語ととるか、ね。

 

 大事に大事に中に囲い、欠ける程我が身を食ませるのも当然だ。

夜光何德(月は何の得があって) 死則又育(満ち欠けを繰り返し) 厥利維何(彼に何の得があって) 而顧菟在腹(その腹に兎を飼っているのだろう)』……なんて知れたこと。

 そんなの、月が兎に惚れてしまったからに決まっている。

 

 君にはともかく、私にとってこれは本当に素敵な恋の物語だとも」

 

「…………」

 

 

(この男性はひどい人物ですね)

(そうでしょー)

 

 

 自分の裡に鳴り響く声が聞こえる。昔々、おばあちゃんに語り継がれた時から抱いていた感想。

 所感を口にしたあの時、祖母は笑って流してくれたけど。内心ではどう思ってたんだろう……?

 

 

 それが、妙にばつが悪くて。

 

「…………よく分からないけど。

 お眼鏡にかなったってコトでいいの?」

 

 胸中に走った思いを振り切る為に、口ごもりながらも結論を出すよう急かしてみた。

 逃げるみたいでシャクだったけど、実際そうだからしょうがない。

 

「私の期待とは違ったが、それ以上のものを頂けた。

 お気に入りの一編だよ」

 

「期待? 何を期待していたの?」

 

「珊瑚の話。

 どうしてこの島の珊瑚は光るのか、月の珊瑚の(すえ)である君ならば、詳細な知識を受け継いでいるかと思ってね。

 

 …………物語の主題からは外れるけれど、もしよければ(うかが)っても?」

 

 

 この島特有の、満月の夜に光る珊瑚。

 都市部の人々に言わせれば、あの珊瑚たちは、周期的に大量の酸素やら窒素を生み出しているという。

 結果として少しだけ人間の歴史を延命させているそうだ。

 

 ……しかし『伺っても?』なんて言われても。

 

「今までその価値を聞いてくる人はいたけれど、なぜ光るかなんて聞く人はいなかったわ。

 大体『何故?』なんて……考えたこともなかった」

 

「なるほど……君たちにとって明かりを(とも)す珊瑚は当たり前のものなんだね。

 もっとドラマチックな背景があるかと思っていたけれど、あの発光は単なる偶然の産物なんだろう。こういっためぐり合わせもあるのだと解釈する」

 

 そんな風に、本来納得いかないだろうことも”たまたまそうなっただけ”であっさり納得しちゃったみたい。なんというか拍子抜けというか。好奇心旺盛な割に探究心は控えめというか。融通が利き過ぎるというか。

 そんな彼に、ちょっとだけ呆れていたから。

 

 

 

 

「この一編、是非とも貰い受けたい。

 事後承諾気味だけれど、お代は如何(いか)(ほど)かな?」

 

 

「…………えっ」

 

 

 

 

 いきなりの申し出に、つい二の句に詰まってしまった。

 

 そんなことを言われても、その、困る。何か払うだけの価値がある……と認めてくれたのは嬉しいけど、別に欲しいものなんてないし。

 頼まれたから書いただけなんだから、ただであげちゃってもいいんだけど。

 刺激的なこの一ヶ月で満足と言えば満足。…………何より、あんなに楽しそうに読んでくれただけでわたしには十分だった。

 

 ただ――――そんな返事はお気に召さなかったらしい。

 彼は難しそうな顔で、

 

「む……流石に無償、というのは気が引ける。ほぼ丸一月費やしてもらっての一品だからね。

 そうだな……一日。また明日伺うので、その折までに何か考えておいて貰えるかな。可能な限り対応してみよう」

 

 以前のように知識を教授してもいいのだし、それまでは……と原稿を手渡される。

 

 

「ではまた明日に。おやすみなさい」

 

 今まで何度か見ていたけど、彼の魔術? というものらしい。ふわり、と浮き上がって立ち去ろうとする。

 風に揺らされてどこか危なげに見える遊泳。これでも生身で行きたい所まで行けるらしくて、この島にもこうやって来たのだと言っていた。ちょっと積極的な空中の海月(くらげ)みたいな人である。

 

 

「え!? ちょっとっ」

 

「? 何か? 欲しいものでも思いついた?」

 

 そうして躊躇いなく飛んでいこうとする彼を、何故か反射的に呼び止めた。

 とはいえ(とっ)()に引き留めようと出た言葉だから、思考の方は咄嗟には追いついてはくれない。

 

 勢いに押されただけの漠然とした感情のまま、無理矢理間を持たせるみたいに、振り返った彼に問いかける。

 

「……本の評価をまだ聞いてない。

 それで、点数は?」

 

 その言葉に、どこか後ろめたそうに苦笑した顔を伏せて、

 

 

 

 

「いやだな。意味に価値(てんすう)なんてある訳がない。私には荷が勝ちすぎるよ」

 

 

 

 

 そんな、よくわからない言葉を残して、彼は西の空に消えていった。

 

 

 初めて聞いた、人間らしくない声だった。

 

 

 







 『月の珊瑚』の表コンセプトはかぐや姫だそうですが、この話を書いている途中、私には羽衣伝説を裏返したものがモチーフかと思いました。

月の珊瑚は
・地上から男が天に昇る
・男に惚れた彼女が男を助ける
・彼女が星から離れられるようになる
・彼女と男は永遠に別れる
物語。

羽衣伝説は
・天から天女が地に降りてくる
・天女に惚れた男が羽衣を隠す
・天女は天に帰れなくなる
・天女は男と添い遂げる
物語。





天に昇った男 / 地に降りた女
愛さない側と / 愛される側と
 与えるのか / 奪われるのか
(ほし)の王である資格を捧ぐ者 / (そら)の民である資格を失う者


愛した女の羽衣を奪い自分の領域に引きずり下ろすのか
愛した男の姿を真似て相手の領域に己を堕としめるのか

羽衣を奪った男を愛し、辿り着いた相手の住処で共に在るのか
庇護を与えた女を拒み、捨て去った自分の故郷に追いやるのか




 愛し愛されの悲喜交々(こもごも)が人の営みとは言うけれど。
 惚れるのと惚れられるのでは、一体どちらが素敵でしょうか。

 この真逆の物語が互いに互いの裏返しというのなら、或いは。



 果たしてどちらが喜劇であり。

 どちらが、悲劇なのでしょう?




 質問しては、いけません。



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