二度目の初恋を月の下で   作:檻@102768

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余章
月が煌くいつかの夜に


 

 

 

 

――――――――――――ふと、目が覚めた。

 

 

 

 

 冷たい夜。

 閉じたような世界の果てで、夢を見ていた。

 

 霞がかった意識のまま本能的に、ぼやけた目で周囲のあたりを見渡す。

 眼前に広がるのは、歪んだ瞳でも変わりないと一目で気付けるほどに見慣れた景色。

 

 威圧するように何本も(きつ)(りつ)し、階層と天井を支える柱も。

 只人には足を乗せることすら(はばか)られそうな豪奢な絨毯も。

 それら全てを上座から(へい)(げい)する、自分が腰掛ける玉座も。

 

 まるで舞台の一幕のようだが、生憎と舞台ではない。

 そんな(なま)(なか)な作り物ではないし、それを見に訪れるものもいない。ましてや、観客の座る席などあろう筈もない。

 

 

 …………別に、どうという事もなかった。

 

 特筆すべき変化など欠片もないし、取り立てて騒ぐ価値ある物もない。ああ、全く持って平常運転。いつも通りだ。

 

 見慣れているのも当たり前だった。

 

 ここは紛う事無く己が住処で、来訪者を迎える謁見の間。

 魔道の頂点が君臨する玉座を讃える自室。

 

 一時はこの身を縛る呪縛を断ち切り飛び立ち。

 そして――――どうしてか戻ってきてしまった、自分の家だった。

 

 

 

 斜めに注ぎ込んでくる明かりに微かに目を細める。

 

 

 空を仰ぐと、飛び込んできたのは四角く切り取られた天井から見える蒼白の威容だった。

 嵌め込まれた玻璃(ガラス)を通り越して届く光源につい視線を奪われる。

 

 夜空の大半をふてぶてしく占領する真円の姿はどうにも頼もしい。

 どうやら、座ったままに束の間の眠りに堕ちていたところを、無言のままに起こされたらしい。

 

 

 

「ああ――――今日は、満月なんだ」

 

 

 

 閉じ切った沈黙に、振動(おと)が広がる。

 

 ふと動きを止めれば、耳を(そばだ)てるまでもなく、大気の掠れる音すら聴こえてきそうな程の静寂が満ちた。

 流れる空気は「生きる」という不純を拒みそうな程清潔すぎて、広大な空間にも拘わらず(そと)(なか)の両方から圧迫される。

 

 

 もっとも。

 そんな静寂を苦しく思う生き物は限られているのだが。

 

 当たり前だ。ここには誰もいない。

 ここで動くイノチはない。言葉を話すモノはいない。熱を持つヒトはいない。

 

 誰も、誰も。

 

 

 己以外には、誰も。

 

 

 

 

 

 

 ふと手元にかかる重さに目をやると、そこには見慣れた一冊の本が収まっていた。

 月の物語を記した一編だ。

 かつて恋した少女が、手ずから記してくれた一編だ。

 

 私の、大切な宝物。

 

 

 意識するまでもなく、それに手をかける。慣れた動作。流れるように自然な動きでおもむろに開いた。

 時間をかけて細部まで丁寧に読み込み、背表紙まで念入りに眺めた後、ぱたんと閉じて、瞼をつぶり追憶に耽る。

 

 

 

 正しく月並みで、変わり映えのない、変える必要を感じない日課。

 

 これがこの城で何度となく繰り返した、穏やかな日常だ。

 

 

 それが一体いつからだったか。

 

 こうして気が付くと、一冊の本を読み返すのが日々の定番になっていた。

 

 

 

 

 

 

 『満月の夜に光る海』を飛び去ってからしばらく。

 

 私は捨てた筈の出処に帰郷していた。かつての第十七都市。

 

 

 ()の島を発って、いくつかの土地を巡ったものの、余りに鮮烈なあの出会いの味わいに負けてしまったのか。

 押しかけた場所で新たに知った物語達に驚愕を覚え心を波立たせることはあれど、胸に響くものは一つもなかった。

 

 

 

 どうやら。

 

 あの島の出会いに――――私は満足し過ぎたらしい。

 

 

 

 今でもふとした拍子にあの夜を思い返す。

 恋した少女と別離を刻んだ夜を。

 そうして気付けば、またこの本に指をかけている自分が居て。

 

 何度も何度も隅から隅まで眺めた。

 細部までもぬかりなく、文字の癖から些細な染み一つに至るまで記憶している。

 今更、未知(みりょく)を感じる要素などない筈だった。

 

 にも拘らず、繰り返し読むことを止めようとは思わなかった。

 

 だから、少なくとも今が今であることに不満を持たない間は。

 この刺激に慣れ、感動が薄れるまでは。

 何をどうしたところで、きっと野暮なだけだろう、と。

 

 

 生きているからには――――いずれは霞み、傷み解れ、霧散していくと。

 いつしか飽き、退屈に思える日が来るだろうと知っているから。

 

 

 

 

 せめて、そうなるまでは。

 

 この一片を、愛で続ける事に決めたのだ。

 

 

 

 

 

 

 幽かに、月光が途切れた気がした。

 

 

 雲隠れとは違う不自然さに思わずソラを仰ぐ。

 

 虚空を湛えた死の世界。

 夜闇に開く幽谷への入口。

 

 

 その白銀に、そぐわない黒い塊が横切ったのを見た。

 

 

 

「……ああ、また彼女に求婚者が出向いていたのか」

 

 

 ぽろりと(うそぶ)く。

 月光を遮って浮かびあがる、魔術師(わたし)に次ぐ最後の文明。あるいはその名残。

 

 彼女曰く、あの島は空から飛んで訪れる必要があるとの事だった。

 確かに私以外には、あんなものでもなければ難しいだろう。

 

 そして、こんなご時世に飛行機を飛ばす案件など、きっとそれ位だろうから。

 

 

 

 

 「自分が何もしないと世界は何も変わらない」なんて台詞があるが、その実大した思い上がりだと思う。

 それは世界が自分だけで構成されている場合(ケース)だけの言い分だ。

 自分が何をするまでもなく、世界(まわり)は動く。生きている。変わっていく。

 舵取りを放棄する以上、望む方向からは程遠い方向に逸れていくのが多いのは否定しないが。

 

 

 苦笑する。

 

 私はこうして時を重ねつつも、何一つ積み重ねてはいないけれど。

 自分に実感がないだけで、確かに周りは動いているのだ。

 

 こんな時代でも、情熱を忘れず生きられる人はいる。

 遠い彼女と、同じように。

 

 

 銀月に僅かに被さる様にして空を射抜く鋼の機体を見遣る。

 

 

 

 

 

 彼女はまた、袖にしたのだろうか。

 

 それとも、今度こそは――――……

 

 

 

 

 

 …………そうして結論付ける前に、思考を無理やり打ち切った。

 

 

 所詮果てまで導いた処で推測の域を出ない。それにどちらにせよ、悪い結果ではないのだ。

 

 斜に構えた所があるようで、根っこの部分は本当に素直(まっすぐ)な子だったから。

 

 

 

 …………悔いは、ない。或いは、諦めだったのかもしれないが。

 

 ()()()()理解(わか)っていたし、それを承知で成り果てた。

 決して望んだ結末ではなかったが、それも仕方のないことだと納得(たっかん)していた。

 「ああすればよかった」なんて幸せすぎるIF、とうの昔に考え尽くしている。

 

 ……………………それを決して、自分は選ばなかっただろうという事も。

 

 

 瞳を閉じる。月光を遮る瞼の裏で、泡のように浮かんでは消える記憶の粒。

 

 光を放ち弾ける姿は一時だけ瞬く星のよう。

 朧げに姿を変え、また次の明かりを灯していく。

 

 

 

 

 

 ああ、でも。

 

 もう一度だけ、思う。

 

 

 もしあの時、彼女の手を取っていればどうなっただろうか。

 

 

 

 

 飛び去る事を止めて、それを願う事は、できただろうか。

 

 恋した少女と隣り合う未来も、あったのだろうか。

 

 

 もしも。もしも――――……

 

 

 

 

 

「――――――なんて、ね。

 

 もしそうしていたのなら、その時点で彼女は無価値になる。

 そんなこと、赦せるはずがない」

 

 

 

 

 

 知っている。

 

 どうせ、そうやって手に入れたものは――――望んだものではなくなるのだ。

 

 

 

 

 日本の御伽噺の一つ。

 龍宮伝説・浦島太郎。

 

 虐められている亀を助けた礼に龍宮城に招かれ歓待を受けるものの、故郷を(しの)び俗世への帰郷を望む話。

 彼は図らずも得た幸運で、永劫過ごすことを赦された楽園を、己の意志で後にした。

 

 誰もが羨む理想郷への滞在権。何故ソレを彼は捨ててしまったのか。

 

 

 

 ――――人は心が伴わなかったり、容易く手に入れた物にそこまで強い思い入れを持てない。大事に、できない。

 

 私にとっての魔術の産物の様に。月の珊瑚の全能性の様に。

 

 もし、”月のサカナ”なんていう、()()()()()()()()()()()と引き換えに彼女を手に入れてしまったのなら。

 その時点で彼女は私にとって、その”どうでもいいもの”と等価という事になってしまう。

 

 「かけがえのない」という、何よりも尊い価値を失う。

 私に唯一、理解できる価値を喪失する。

 

 

 …………私は恋し、誰よりも憧れた彼女を、そんなつまらないものにしたくはなかったのだ。

 

 

 

 あの空に瞬く月と同じだ。

 星ほど隔てた遠目からではなめらかな真球でも、表面に降り立てば無数の凹凸に彩られている。

 

 届かないからこそ、その美しさにだけ憧れていられる。

 

 想像(ゆめ)とはどんな現実より美しい。それが現実に出力できた時点で、その意義を見失うとしても。

 きっと私の祖は――――それを百も承知で、望みをカタチにする魔術(すべ)を、必死になって求めたのだろうから。

 

 

 そしてその(すべ)を手に入れた所で、『実行したいかどうか』は、また別の問題。

 

 

 

「……なに。こんなにも変わり映えのない生活をしているんだ。

 いつかは変わる筈の想いが潰えるのにも、それなりにはかかりそうか」

 

 

 

 玉座(いす)に深く腰を下ろし、もう一度強く目を閉じた。

 

 

 選択の時は去った。

 

 惜しくはある。

 その上で、これがベストだと思う。

 

 ただ――――――――認めて尚、こんな結末が最善だという事実が、残念なだけ。

 

 

 でも、それでいい。

 

 私は私といる彼女の幸福より。

 私でない誰かとの幸福を願ったのだから。

 

 

 自分で無価値に墜とした物を手に入れるより、

 価値ある物が誰かの手に渡ることを是としたのだから。

 

 

 

 

(ふふ…………本当に、月の様な少女だったな)

 

 

 

 

 あの空の月は別に満ち欠けで、本当に抉られたりはしない。

 単に陰りで見えなくなっているだけ。それもまた一時の事。

 

 欠けた月はいずれ埋まり、遍く一切を照らし上げる――――輝く満月になるのだろう。

 

 

 彼女にそんな日が来るのがとても楽しみで。

 それをこの目で見られないのが、少しだけ惜しかった。

 

 省みない想いを向けるという意味では、私もあの二人の子だったんだな、と。

 どこか納得してしまえる自分が居て。

 

 

 

 そんな思いを抱えながら体重を預け、()ねる様に意識を閉じた。

 取り留めのないものを取り留めのないまま置き去りに、(すい)(きょう)へと沈んでいく。

 

 

 

 別にいい。

 

 何か焦るような事もなければ、急ぎたいほど熱意を引かれるものもない。

 

 

 

 そうやってずっとずっと。立ち止まって過ぎ去った時間を眺めていた。

 だってもう、私には叶えたい願いも、叶えて良いと思える願いも、何一つなかったのだから。

 

 

 

 

 あの島を去ってから本当に長くて、本当に短い時間を過ごしている。

 

 

 一冊の本に退屈することすらできない程度の刹那だったようにも、

 一冊の本を味わい尽くすに足りない永遠だったようにも感じられる。

 

 

 そこに前の(ページ)と変わらない一節が刻まれようとするその狭間で。

 

 

 

 

 

 ガタガタ、と。

 

 静寂を破る、らしからぬ無粋な物音を聴いた。

 

 

 

 

 

 

 軽快に歩を進める誰かの靴音。

 

 最初はほんの僅かに地を伝わる波だったが。

 耳を澄ませるまでもなく、音は次第に大きくなる。

 

 

 

 これは――――近づいてくる?

 

 

 

「………………?」

 

 

 誰だろう? 私は本気で疑問に思った。

 

 こんな(へん)()を縦に三つ重ねたような所に用がある者など思い当たらない。

 

 

 …………そもそも現代で『用がある者』自体が希少種だ。

 

 

 加えて、まだ覚醒しきっていない微睡みの名残が残った頭では答えを出す暇もない。

 

 そんな曖昧な答えすら、出さないままの答え合わせが始まった。

 

 

 ぎぎぎ、と、重苦しい音を立てながら。

 扉は開いた。あっけなく。あっさりと。

 

 

 

 

「――――あ、見つけた。ここにいたのね」

 

 

 

 

 柔らかくも空間に響かせるだけの高さを持つ、鈴のような女性の声。

 

 この声を知っている。私が知らない訳がない。

 

 

 

「こんばんは。いい夜ね」

 

 

 

 微笑むのは、いつかの亜麻色の彼女。

 

 

 

 自分が恋し傷付け(おしえ)、惜しみながらも未来へと送り出した、

 

 あの冴え渡る、完全無欠の天蓋より尚恋しい、

 

 

 まるで、欠けた月の様な少女が、そこにいた。

 

 

 

 

 

 ――――その姿をこの目で見て、私はこれを夢だと思った。

 

 この景色を夢だと思った。

 本当に、夢のような光景だった。

 

 覚めたつもりでいただけで、未だ夢の途中だと。

 

 

 …………だって、こんなの絶対におかしいし。

 

 

 夢に溺れるなんて文化は遥か昔のことだった筈だと、その声を朧と無視して、また瞼を閉じようとする。

 

 夢の中で寝ようとするのもどうかと思うが、まぁ、他にどうすべきかもわからなかったのだ。これくらいは容赦して欲しい。

 

 

 

 だが生憎と、その程度で霧散するようなものでもなかったらしい。

 

 つかつかと歩み寄ってくる音が響く。私しかいなかった場所に。

 遠くは私すら、居なくなっていく筈の場所に。

 

 私でない者が、足跡を刻んでいく。

 

 

 

 足音が、手前で止まる。

 

 

 

 …………なんというかもう、降参だった。ああ、本当に夢のようだけれど。

 

 どうやらこんな都合が良すぎる一幕は、幸か不幸か現実らしい。

 

 

 諦めて目を見開く。

 

 

 

 

 息を呑む。

 

 

 見間違える筈もない。あの時から幾度も幾度も思い返した姿だ。

 

 

 

 その白い体躯も。

 例えようもなく整った顔立ちも。

 そして、まるで珊瑚(コーラル)の宝石のような瞳も。私は憶えていて。

 

 その面影を確かに残しながら、彼女は前と違う彼女になっていた。

 

 

 かつては正しく少女だったが、今はそう呼ぶのもやや躊躇うくらいにずいぶんと大人びているように見える。

 

 手足も背丈も伸びているし、その華奢だった体躯も女性らしい丸みを帯びていて。

 

 以前は何処となく幼さに欠けた雰囲気だったが、顔立ちからも未熟(あお)さが幾分か抜け、充分に『女』を感じさせる相貌になっていた。

 

 

 

 欠けた月の少女は埋まらないまま、大きく、輝きだけを強くしている。

 

 

 

 そんな月光をカタチにしたかのような、妖精かと見(まが)う女性が、今目の前に立っていた。

 

 その事実を真実(夢ではない)と認めた上で、想像と納得の齟齬で理解が止まる。思考の歯車に異物が噛んでしまっている。

 

 (きゅう)(かつ)(じょ)するような余裕はなかった。

 挨拶を返す事すらままならない。ギチギチと歯車は軋みを上げたまま、押し潰したような声が口から漏れた。

 

 

「君、どうして――――ここに?」

 

 

 どうやって、とは訊かなかった。あの島に渡るには空を飛ぶ(すべ)があればいい。

 同時に、この都市に来るのも飛行機の一機でもあればできるだろう。

 覚束ないなりに今の状況を検分すれば、あの時月を横切った鉄塊はその為の物だったと想像はつく。

 

 

 だから、問題は。

 

 

 彼女がなぜ、ここにいるのか。

 

 ただそれだけが、疑問だった。

 

 

「ええ。単純なことなんだけど」

 

 

 間近で聞く声は、(うつつ)は夢より鮮やかで。

 

 続けられたのは、たった一言。

 

 

 

 

 

「――――――――求婚しに来たの。貴方に」

 

 

 

 

 

 想定外に過ぎたその言葉に、再び思考を停止させられた。

 

 

 

 

◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 時を、少し巻き戻して――――

 

 

 

 旧:第十七都市。

 

 かつては人類の使命の片割れである蘇生セクションを担い、最後の神秘の集大成を作り上げたその残骸。

 

 そこに、奇妙な一団が来襲していた。

 

 飛行機から降りて先陣を切る、見目麗しい女性と。

 それに付き従う、着物の装いをした妙齢の二人。

 

 

「じゃ、行ってくるわね」

 

 

 そう言うが早いか一人突き進む女性。それを引き止めるような、焦ったような声が響く。

 

「ひ、姫様! 本当にこんなところに目当ての方がいらっしゃるのですか!?」

 

「多分ね」

 

「多分って……」

 

「イセ、うるさい」

 

「あなたはなんでそんなにのんびりしていられるの! スイ!

 アリシマ様にもご迷惑をおかけして、もう……!」

 

 

 やるせない感情を無理やり吐き出した溜息は、もう何度目かもわからない。

 

 何もかもが予想外でついていけそうになかった。挙句の果てに開始の号令すら()うの昔に鳴っていたという話。

 いつの間にこんなにも置いてきぼりにされたのかと唖然としそうになる。が、そんな暇はない。

 事の発端すら思慮の外。なら、せめてこれ以上差をつけられないようにしなくては。

 

 

 気付かないうちに姫が側近の自分が知らぬ殿方と丸一月も逢瀬を重ねていて、しかもふられていたなんて聞いた時には度胆を抜かれたものだった。

 

 ――――――その殿方が、()の難題を解いていたという事も。

 

 

 

 それはいい。いや、決してよくはないがまだ許容範囲だ。

 今まで散々断ってきたのだから、図らずも内密だった一件が破談になったところで問題にはならない。

 あちらから断られたというのも、別にいい。思うところがあっても些末程度。

 

 

 問題は。

 

 あれだけの無理難題で数多の求婚者を拒み続けたこの姫様が、自分をふったその殿方にご執心だというのだ。

 しかもその殿方の居場所はあっちこっちを飛び回り、行方知らずなのだという。

 

 

 そこで膝を折る材料は十分だったのに、だからと言って諦めるつもりは寸毫もないと言わんばかりの、姫らしからぬ活力に溢れた姿には思わず愕然とさせられたものだった。

 

 

 しばらく前の事。

 ここに来るまでの準備として、過去の求婚者達を招き一堂に集めての演説。

 

 

 

『――――わたしにはもう添い遂げると決めた殿方が居ます。

 誰よりも先に、わたしの難題を解いた方と』

 

『わたしはその方を迎えに行きます。そしてその為に必要なものがあります。

 どうか、恋焦がれる人に今一度会う為に、力を貸してください』

 

『わたしに語った愛が真に事実なら

 わたしを真に愛しているというのなら。

 愛される事も報われる事も省みない程視野に入らない程、愛おしいと思ったのなら』

 

 

『わたしの手を掴めたのに、そうしなかった人は、それがいいのだと言いました。

 願いを叶えて宝を捧げて見返りを求めず、自分以外の者と幸せにと、願ってくれました』

 

 

『わたしはそんなあの人に――――――』

 

 

 

 

 その言い分を聞いた者達は、一人を除き一様に顔色を変え、形容しがたい顔のまま去って行った。

 私は、立ち去る者達を引き止めなかった。

 

 無理もない。

 

 何処の誰が、報われない想いに多大な労を費やして、負け戦の当て馬を引き受けてくれるというのだろう。

 誰よりも親身である世話役の自分ですらそう思うのだ。

 

 自分に求婚(アプローチ)をかけてきている相手に、恋患っている相手の元へ行くまでの飛行機(あし)まで強請(ねだ)るなんて本当どうにかしているとしか思えない。思い出すだけで頭が痛い。胃がきりきりと悲鳴を上げる。

 

 

 

 次第に、彼らは席を立っていき。

 一刻と掛けず、部屋は占領された箇所が取り除かれ、ありのままの広さをほぼ取り戻していた。

 

 

 そして最後(そこ)に。

 

 自分が知る、最も新しい求婚者だけが、残っていた。

 

 

 

 

◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

 

 

 

「アリシマ様。本当によろしかったのですか」

 

 堪らず主人に声をかける。

 側仕えらしからぬ不作法だが、それでも。黙ってなどいられなかったのだ。

 

 

「ああ。勿論だとも」

 

 

 陽気な声。

 ()(しつけ)を咎める事無く応えてくださるのは恐縮だが、『それでいい』という言葉の真意は読み取れなかった。

 

 視線だけでもう一度問いてみる。どうしてでしょうか、と。

 

 

 

 ――――――あの姫君の宣誓からしばらく。

 

 

 今日この日に至るまで。この主が、どれだけ精力的に活動したのかを知っているからこそ。

 

 それだけではない。一連の為に各方面への作った貸しは、側近の自分だからこそ全貌を把握している。

 こんな時代に飛行機を一機融通するのには、多大な財とコネを要した。

 加えて方々を飛び回り行方知れずだという、魔術師なる得体の知れないその青年の居場所まで探り当てたのだ。

 

 主人は人類復興委員会の中でも輪をかけての大物だが、それをして決して軽くはない散財である。

 

 

 

 そこまで尽くした結果が報われないというのは…………

 

 

 しかしまたしても主人の言は、そんな独白をあっさりと(はら)う。

 

 

「良いのだ。姫がそこまで熱を上げているというのなら、私は潔く身を引こう。生木を裂くような無粋な真似はしたくない。

 もともと求婚自体は難題を解いた者の早い者勝ちで、私はそれに届く見通しすら立たなかったのだから。

 

 それに……姫が誰と結ばれたところで、委員会の任は果たせるからな」

 

 

 …………それも、事実だ。

 

 今の人類の使命は、()の島の姫が誰かと結ばれる事。

 人類の希望はあくまであの島であり、アリシマ様といえど、どこまで行っても一求婚者でしかない。

 

 姫様の難題は、解く為のとっかかりすら見えない程に支離滅裂だった。

 その姫様の方から恋焦がれる相手がいるというのなら、誰もが結ばれる当てすらない以前よりかは随分と前進したと言えるだろう。

 

 

 だから現状はその使命に沿っている。沿ってはいるが…………やはり、納得はいかなかった。

 

 

 かつての、あの姫君への主人の返答を思い出す。

 

 

『貴女の願い、確かに聴き受けました。

 どうぞお任せください。必要なものはこちらで一切を不足なく工面致します。

 お望みのものを全てご用意して見せましょう』

 

 

『ただ、一つだけこちらもお願いがございます。

 

 それら全てを揃えた暁には――――――――私の愛を、信じて下さいますか』

 

 

 

『その愛に応えて欲しいとは申しません。既に心を射止めた殿方がいると確かに伺いました。

 その上でただ。認めて頂きたいのです』

 

 

 

『かつては測れなかったという――――――――――――私の、愛を』

 

 

 

 それだけが主への報酬だった。

 納得はいかない。…………大体、今更認められても、どうだというのだ。そう思う。

 

 認めた所で受け入れられないのなら、それは徒労と変わりない。

 袖にされるのを前提で、なぜそこまでするのかと。疑問は晴れない。

 

 

 だというのに、主人は変わらず喜ばしそうだった。

 

「なに、そうたいしたことでもない。

 お人よし、というよりかは……惚れた方の弱み、なのだろうな。

 

 あんな難題をこなして見せる者が現れるとはついぞ想定していなかった。

 だから周りもそうに違いないと、状況に胡坐(あぐら)をかいたのは私の責任だ。

 

 それに…………」

 

 くくっ、と声を立てて笑い、未熟な果実を眺めるような眼で私を見る。

 懐かしむような、慈しむような。とても微笑ましいものを見る瞳で。

 

 視線を切る。どこか遠くを眺める様な目で、満月の昇る空を仰ぎ。

 欠片も(よど)む事無く、言葉は続けられた。

 

 

 

「恋に破れたからには潔く身を引き、

 

 惚れた女性には省みることなく尽くすのが――――『いい男』というものだろう?」

 

 

 

 

◆  ◆  ◆  ◆  ◆

 

 

 

 

 ()(ぜん)とした表情の彼。

 その面持ちはびっくりとしか表現できない。

 

 そんな表情を引き締める事無く、たどたどしく言葉を紡ぐ。

 

 

「求婚、って………………」

 

 

 (おう)()返しに彼の口から音が零れた。その姿を見て、つい嬉しくなってしまう。

 我ながら完璧な不意打ちだった。…………いつかの仕返しが、今になってやっとできた。

 

 今まで言いたくてたまらなかったことが、今になってやっと言えた。

 それが、とっても誇らしい。

 

 

「私は君を――――愛してはいないよ?」

 

 

 愛が欲しかったんじゃなかったのか、と。

 確かめるように、(なじ)るように。問い詰めてくる。

 

 気を揉んでくれるのは嬉しいけど、要らない心配だった。

 もうその件は、自分の中で決着がついてる。

 

 

「いいの。今まで愛しているって言った人と、愛してないって言った貴方と、正直違いが判らなかったし。

 貴方が言うように、わたしは(しあわせ)を必要としていないのなら、それはもういいかなって」

 

 あっさりと卓袱(ちゃぶ)(だい)を割るような返答を告げた。

 拍子抜けしたような肩透かしを食らったような、茫然とした表情の彼。

 

 

「貴方がわたしを前にふったのは憶えてるわ。

 ――――――でも、今もそう?」

 

 生命は変動するものだって言ってたでしょう?

 あの時の貴方にはふられたけど、今の貴方にはどうかしら?

 

 

 片目を瞑って、悪戯っぽく問いかける。

 後は、彼の答えを待つだけだ。

 

 

 この告白が、どうなるかなんてわからないけど。

 

 受け入れてもらえたらいいなって、そんな都合のいいことを思う。

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 彼女の言い分に絶句する。

 確かに、そんなことを言った覚えがある。

 

 所詮個人も人格も、流れる時間の前では曖昧でしかない。

 脳内の電気信号は一秒ごとに配列を組み替える。

 生命は変わり続ける以上、名前(ラベル)はただ連続するだけで、中身は一瞬しか持たずに切り替わっていく”別人”だ。

 

 

 なら。

 私は今まで唯一以外に価値がないと思っていたが、それら全ては連続して見えるだけで、どれもがかけがえの無い唯一だったという事ではないのか。

 

 

 

 なら、それは嬉しい。とても喜ばしい。

 あんなにも恋い焦がれた少女が、彼女の方から求めてくれたのだ。

 

 だから一も二もなく、それを了承しようとして。

 

 

 

 

 

 ――――――ぐらりとした眩暈(めまい)に襲われる。

 

 

 

 

 

 続いて心の(ぞう)()氷柱(つらら)を刺し込まれたかのような錯覚。

 

 のぼせ上がっていた頭が無造作に掻き乱されたのち、一瞬で芯まで冷却される。

 

 

 …………どう返事をすべきかなんて、わかっていた。

 自分がどうしたいのかも、十分にわかっていた。わかって、いて。

 

 

 

 嗚呼(ああ)、それでも――――――――

 

 

 

 

「嫌だ」

 

 

 

 

 ――――――それでも、口を突いて出たのは拒絶の言葉だった。

 

 なんてことはない。ただ、思い出しただけだ。

 自分が、どんな生き方を選んだ生き物だったのかを。

 

 

「以前も断った筈だ。

 何で君に、応えないといけない」

 

 往生際が悪いにも程がある台詞だった。

 

 ああでも仕方がない。それは許せない。

 認める事など、できそうにない。

 

 その要望に応える事がどんなに満たされて虚しいのか、わかってしまっているから。

 

 

「なんで? わたしの事、嫌い?」

 

「君の方こそ、なぜ私なんかに執着する。

 言った筈だ。君に相応しいものは、待っているだけであの島に揃う。

 私でなくていいのに、何で私にこだわる。君らしくもない」

 

 (うつむ)きながら吐き捨てる。

 彼女が今、どんな表情をしているかはわからない。意図せずだったがそれは幸いだった。

 その顔を見たくない。辛すぎるだろう。そんなもの。

 

 

 だって、そうだ。

 

 私には――――何もできないのに。

 何でもできるから、何もかもに価値がないのに。

 

 

 そうだ。私は無価値だった。

 価値があるのは私の立ち位置だけで、私はそれを守らされている番人でしかない。

 その立ち位置すら、”魔術師”なんて言う人でなしの願いを叶えるだけのもの。

 

 彼女は違う。

 人の理想(ユメ)である星の化身が人を望んで、それを叶えた願いのかけら。

 私のような紛い物とは違う。真に価値のある人の理想。その体現。

 

 

 

 全てを見捨てなかっただけで、その実、自分の全てを取り零した青年がいて、

 全てを拒んでいたようで、その実、何一つとして無視しなかった少女がいた。

 

 輝く海と煌く月の狭間に、穏やかな夜が満ちていた島で。

 己の(いびつ)さと真逆の尊さを見た。

 

 

 

 なのに。何故。

 

 

 

「私が手にする者は皆――――――――無価値に落ちるしかないというのに」

 

 

 恋した君をそんな下らないものにしろと、私に言うのか。

 

 

 

 嘆くように()()した言葉は、彼女にどう届いただろう。

 

 

 また無価値なものを手に入れるのかと思った。

 誰もが欲す宝石を、よりにもよってなぜ私に(あて)がうのか。

 どんな財宝も石ころにしか思えない自分などに委ねるのか。

 

 彼女をそんなどうでもいいものにしたくなかったから、あの島を去ったのに。

 何故、今になって彼女を、自分の手で貶めなければならないのか。

 

 

 

 どうしてそんな選択を、また自分に突きつける――――――――!

 

 

 

 

 

「いいじゃない、別に。価値なんてなくっても」

 

 

 

 

 

 届いた言葉に凍り付く。次いで恐る恐る顔を上げた。

 

 それで(ようや)く、先程まで直視を拒んでいた、彼女の顔が目に入る。

 断りを入れた以上はそれなりに衝撃を受けていると思ったのに、彼女は先程より一層柔らかな、見るものを穏やかにするような笑みを浮かべていた。

 まるで夜の中天に(ましま)す月の様な、決して人を害さない、それでいて絶対的に揺るがない自信を備えているように見える。

 

 その自信の出所が、根拠がわからなくて困惑する事しかできない。

 

 

 …………自分の知っている彼女は、こんな顔をするような人だっただろうか?

 

 

 

 

 

 

 顔を上げた彼の顔を見返すと、意図せずとも自然に目が合った。

 そこにあるのは不可思議と申し訳なさ。それらを一杯に湛えた彼の顔は、涙が零れていないだけで、まるで泣いているみたいに見えた。

 

 それを見ると、しょうがない子供を見るみたいな気分になる。特に後ろめたさみたいなのは欠片も湧いてこなかった。

 

 

 …………うん。自分でも身勝手な事を言ってると思う。

 そんな顔をさせるような事を言ったのも確かにわたしだし。

 

 でも、言いたい事が言えた。

 

 

 彼は一つ失念してる。彼が気付いていない事を、わたしは教えてあげられる。

 それが解ってるから、ぶれない自信を持って、こうして彼と向き合える。

 

 

「わたしが無価値になるっていったけど。

 わたしが無価値だと、何か困るの?」

 

「何か、って…………」

 

「貴方がわたしを愛してないのも、知ってる。

 それでも、わたしはいいの。わたしが愛を必要としていないって言ったのは貴方。

 貴方は、違うの? わたしに価値がないとだめ?」

 

「……………、………それ、は」

 

 

 そうだ。彼が固執するだけの価値が”価値”にあるのか。それを彼は忘れている。

 説得力は折り紙つきである。何しろ実体験だ。

 

 わたしは愛を求めてないって教えてくれたのは――――他ならぬ貴方でしょう?

 

 

 わたしが愛を求めていたのだって、それをうまく想像できなくて、それを知りたかったから。

 だからそれをいらないと知った今、そもそも、そこまで固執したい理由の方がなかったのだ。

 

 理由なんてわからないけど。愛じゃないかもしれないけど。

 でも、愛の存在証明に、難題が役に立たないのなら。愛を条件にしないのなら。

 

 

 だから、最後に残ったのはそれだけだった。

 

 だから、それだけが望みになった。

 

 だから――――

 

 

「わたしには愛が必要なくて、その上で誰か一人を選ぶなら――わたしは貴方がいいと思ったの。

 貴方は、そうじゃないの? …………そう思っては、くれないの?」

 

 

 我ながら自分勝手なことを言ってるって自覚はある。

 自分がそうだからって。相手もそうだとは限らない。

 

 

 でも、それでいい。

 あの月の物語を記した時みたいに。

 

 同じものを知って、同じものを見て。

 全く違う結論を出したとしても。

 

 それを、違っていることを悪いことだと思わない。

 

 

 

 だから――――――――お互い違う者同士で、違うものを見比べて。

 全く同じ結論を出したとしても。

 

 それでも別に、いいんじゃないかと思う。

 

 

 でも、もちろん。

 

「貴方は、本当に価値がないと認められない人なのかもしれない。

 だからわたしが嫌なら、もう一回でも何回でも、断ってくれてもいい」

 

 

 そういいつつ一回や十回断られた程度で、諦めるつもりもないけど。

 

 あの月の物語を覚えている。

 お互いを想い合っていたのに、一緒に居なかった人を知っている。

 折角知ってるんだから、その結末が気に入らなかったのなら。

 

 自分が感情移入しきれなかった、あの執筆の時とは違う。

 その最後だって納得いくよう、いくらでも頑張ればいい。

 

 

 同じ失敗をしないように、知識(けいけん)は活かさないと。

 

 それも――――彼から教わったことだった。

 

 

 

 

 

 

「でも――――――できれば、応えて欲しい。

 

 

 なんの価値もないけど、そうしてくれると、きっとすごく嬉しいわ。……わたしも、貴方も」

 

 

 

 

 

◆  ◆  ◆

 

 

 

 

「――――――――――――――」

 

 

 

 

 

 思考が、止まる。

 

 向けられた言葉がどうしようもなく胸に()みる。

 

 

 

『貴方がいい』

 

 

 それは、あの時聞きたかった言葉だった。

 

 そして、聞けなかったはずの言葉だった。

 

 

 それを言ってもらえた今が、どれだけの奇跡の上に成り立っているのかを、もう一度噛み締める。

 

 

 

 振り返って、思う。欲しいものはあった。こんな自分にも。

 気付かなかっただけで、叶える資格がないと思っていただけで、叶えた時点で無価値になるのが嫌だっただけで。望みはあった。確かな一が、ここにあった。

 

 仕方がない、と。満たされない切なさを、今まではひたすら諦めだけで埋めていた。

 そうして塗り固め、押し止めていた本音が溢れ出す。

 

 

 

 

 ――――――独りは、寂しかった。

 

 

 

 

 最初は置いていかれて。両親は私を見届けることはせず、この世から去って行って。

 二度目は置いていって。私では彼女の理由(あい)に相応しくなくて、自分から身を引いて。

 

 そしてまた、独りになった。

 それが寂しかった。

 

 

 孤独そのものよりも。

 自分の為と相手が手を放していく事を。

 自分が孤独になると知った上で手を放される事を。

 

 自分は繋ぎとめる未練(りゆう)になれない事こそを、何よりも「寂しい」と呼ぶのだと知っていた。

 

 

 彼女は違うのに。

 私とは違うのに。

 

 私が置いていったところで――――私がいなくなったとしても、孤独になどならなくて。

 

 

 それでも『私がいい』と。

 

 私である必要は、どこにもないのに。

 それでも必要ない筈の私を追いかけ、こんな星の果ての辺境にまで、迎えに来てくれたのだ。

 

 

(ああ、私があの島を去った時、君も寂しかったんだな。

 

 私を惜しんで――――――寂しがって、くれたんだな)

 

 

 

 それが何よりも嬉しかった。

 この上ないほど胸打たれた。

 

 

 そこには確かに価値はないかもしれない。

 

 

 

 

だが、誰も幸せにできない価値に…………一体、どんな意味があるのだろう?

 

 

 

 

 その価値という物自体に、今。全く価値を見いだせなくなった。そしてそれが嫌ではない。

 この手を振り払う事を強いる”価値”なんていらない。()()()()()を重視する理由はどこにもない。

 

 無価値も何もない。私には関係ない。

 そうでいいのだと。それを今、彼女に教わった。

 

 

 既成概念が崩れ、改めてどうしたいのかだけを考える。そしてそれは瞬時に終わった。そんなもの、考えるまでもなかった。

 

 あの時からずっと、彼女にそう言ってもらいたかったんだと。

 目を逸らしていただけだ。愛も価値もなくとも共にいたいのだと、ずっとずっと願っていた。

 

 

 

 息を吐き、気持ちを整える。

 

 かつても少し前も告げられなかった本当の気持ちを、今、やっと口にする。

 

 

 

「ああ……いいよ。その求婚、喜んで受けよう。

 

 それほど追い求めた愛より、

 愛の証明足りうる宝物より、

 君を愛せもしない私の方がいいというのなら」

 

 

 

 椅子から立ち上がり、彼女の手を取る。

 

 

 抱いた気持ちを違えないよう言葉(カタチ)にして、誓う。

 

 

 共に行こう。

 共にいよう。

 

 永遠に、私は君の隣に在ろう。

 

 

 

 想いを表すように強く強く、彼女の手を握り締める。

 それにふんわりと微笑む彼女。もう、それだけで良かった。

 

 

 

 笑みを返し、手を握ったまま、一度だけ振り返る。

 

 いつかまで誰もいなかった、

 そしてこれからも誰もいなくなる、故郷の城を。

 

 一瞬目を強く瞑る。そして前を向いた。思うところがない訳がない。

 それでも、もう用はない。十分に十二分に、役割は果たしてくれた。

 

 雛鳥が飛び去るのも尻込みするくらいに頑丈すぎる巣だったが、それでも巣立ちの時はやってきた。

 

 

 私は幸せの青い鳥ではなかったが、

 私がいてくれるだけで嬉しいと言ってくれる人がいた。

 

 それだけで、巣を後にするには十分だった。

 

 

 

 歩き出す。

 止まっていた時計を壊して。

 凍り付いていた時間を溶かして。

 縛り付けていた鎖を打ち砕いて。

 

 身を委ね、縋っていたものを緩やかに、悉く過去にしていく。

 

 

 

 

 この答えを得るまでに、随分と遠回りした気がする。

 

 それでも、望んだゴールにはたどり着けたのだから――――それで良しとしておこう。

 

 

 

 

 歩みを進める。

 

 

 ここにはないと思っていた未来が、私達を待っていた。

 

 

 

 

 

 












「――――――――――――――――あ。そうだ」


「…………? 何か?」

「ひとつ、言い忘れてたことがあったの。うっかりしてた」



 彼の、もう何度目かの困惑した表情。
 本当ならこうして手を取ってもらう前に、伝えないといけなかった。


 ――――言葉で、想いが伝わり切るなんて思わない。


 そもそも分かり合える事なんてない。彼がそういってたし、それが正しいと思う。
 ひとつなんて言わず、言いたいことならきっと他にもあった。溢れるくらいあった。
 あの夜空に無数輝く、星みたいにあった。


 でも、どんな風に明文化しても、それをどれだけ言い募ったとしても、決して伝えたいことに及ばないという確信がある。


 決まって言葉は、心に足りない。




 でも、それでいい。きっとそれで構わないんだ。


 言葉を紡ぐのは、伝え切れない思いを伝える為でなく。

 伝えたい、届けたい思いがあることを示すために。最善(ことば)は尽くすものなのだ。



 前に別れた時から言われっぱなしで、ずっとずっと言いそびれてた、最後の一言。







「あの時からずっと。貴方に、恋してる」







 ―――まるで満ちた月の様な、輝かんばかりの笑顔で。

 少女はかつて告げられなかった、その想いを口にした。



 思わず赤面する彼の手を握って引っ張る。
 照れているのはお互い様だ。耳まで真っ赤になってるのが自分でわかった。

 朱に染まった顔を見られないように、ぐいぐいと先を行く。



 返事は待たない。だってもう貰ってる。






 ――――同刻。


 彼女の故郷の海は、まるで遠い結末を歓迎するかのように、一際強く瞬いた。



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