誰もが逃げだす無理難題。
その困難を空想ではなく現実として描き出せる彼は、それを一部も違えず成し遂げたにも拘わらず、わたしの手を取らずに去っていった。
燐光を撒きながら飛び去った、最後の幻想。
二度と、彼がこの島を訪れる事はない。
わたしに会いに来ることはない。
一連を鑑みるに…………うん。
どうやらわたしは、本当にふられたらしい。
いきなり不意打ち気味に求婚の品を出してきた件については許してあげようと思ったのに。
よりにもよって解いた上で、まさかあっちの方から断りを入れてくるなんて考えもしなかった。
「そのくせ、”月のサカナ”はおいていったし。もう」
仕方ないんだから、と一人呟きながら遠い
見守ってくれる遥かな故郷を仰ぎつつ、遠ざかっていった背中をつい
…………彼の言った通り、望みは確かに叶わなかったけど。
でも、とても素敵な出会いだったと思う。
望みがただ叶うだけよりも――――きっと。
愛されこそしなかったけど、恋は、「誰かを想いやる」という感情は理解できた。それはもう、十分すぎるほど。
求められたものを用意する能力がないからではなく。
折角手を尽くしようやく手中に収めた、手元の宝が惜しいからでもなく。
わたしを欲すが故に。
わたしを思いやるが故に。
手が届く筈なのに。
手を伸ばせば、それを掴み取れる筈なのに。
「君の待ち人は自分ではない」と。
わたしに伸ばす手を押し
慈愛と焦燥がない交ぜになった、わたしでは持ちえぬ切望で満ちた瞳を覚えている。
前人未到の無理難題が正しいカタチで遂に叶ったとしても、決して自分では浮かべることがないだろう――――握られもしていない手が溶けてしまいそうなほどの、熱。
わたしは愛を知らなかった。知識では知ったけど実感があるかは今でも怪しい。
安心も打算も組み込まれた、明確な作業として現実に現出させられる訳でもない。
別にそれでいい。なにもおかしくない。
『実在はしても実体はない』。
単にそれはもともと、そういうモノなのだという。
言われてみれば単純な話だった。
情熱がないと思っていた自分には理解できない…………なんてこともなかった。
それが凄く誇らしくて、同時にちょっとだけ残念。
あの時こちらから掛けられる、相応しい愛の言葉を一つでも知っていれば――――わたしに惹かれるが故に伸ばされ、わたしを想うが故に引かれるその手を。
わたしの方から、繋ぐこともできたかもしれないのに。
あんなタイミングで気の利いた言葉のひとつも出てこないとは、読み書きを進んで学ぼうとしなかった報いがこんなところで回ってくるなんて。
遠い昔のかつての人は、青春の大半を将来使うかどうかもわからない勉学に費やしたと聞くけど。少し前の執筆しかり、今の己を省みるに、学ぶところは案外に多かったらしい。こんなところで祟って
活かせなかった教訓に口惜しむ。
いまの人類にとっては一期一会がスタンダード。
けれど。だからこそ。
こんな取るに足らない程短くて。
その分剥き出しで濃密な感情を向けられた、このほんの束の間の邂逅を。
きっとわたしは死ぬまで忘れない。
否――――この記憶は終わらない。わたしがいなくなっても。
「彼女の主観は君の主観」と彼は言った。
この記憶は終わるまで続く。決して忘れえない一
わたしに恋するが故に求め、恋するが故に去った人がいた事を、いつかの先まで繋いでいく。
平行線がほんの少し傾いた所で、触れ合うのは一瞬だけ。
後は傾きそのままに、時が経つ程に離れていく。
お互いに求めたが、愛し合うことはなく。
ほんの数瞬交わった道は、またそれぞれの未来に向かって伸びているのだろう。
だから、重なるのは一度きりで。
このままならきっと、二度と
意思を伝え合うことはあっても、分かり合えることはなかった。
一方通行の恋路。
ひとりよがりの決断。
でも、相手の幸福だけを祈っていた。
それで残るものがあるコトを、少し前のわたしなら信じていなかっただろうけど。
「ああ――――」
隣に居ずとも。
愛ではなくとも。
自分を心から、想ってくれる人がいる。
たった、それだけのことが。
「なんて、幸せなんだろう」
彼女の声を口ずさむ。
懐かしい歌を思い出す。
触れ合えずとも彼は遥かな地平の先に。
光る海。