数学、それはこの世で最も必要ない存在である。無くても生きていけるし、大学受験でも俺のように私立文系を目指す人には無用の長物である。よって夏休みの数学の宿題はやらなくて良いはずだ」
「いや良くないからね?はい次の問題に行くよ」
どうやら口に出していたようだ。遥姉さんがジト目を向けながら俺の頬を突いてくる。その仕草は可愛いが数学の宿題は嫌だなぁ……
現在俺は姉さんの家で夏休みの数学の宿題をやっている。夏休みの宿題は修行の邪魔になると思い、殆どは7月に終わらせたが数学だけはやる気になれず8月になっても残っていたので姉さんから教わっている。
そして何故図書館やボーダーの作戦室ではなく姉さんの家でやっているかと言うと……
「今日はお泊まりするからちゃんと頑張るようにね、弟君?」
そう。俺は今日と明日ーーー8月4日と5日は姉さんの家に泊まるのだ。理由としてはその2日、姉さんの両親は出張と昔の友人との再会の為に泊まりで外出していて、寂しさを感じると思った姉さんが俺に泊まるように頼んできたからだ。
最初は断ろうとしていたが、メールの内容を見て断ったら姉さんは間違いなく悲しむだろうと思い、それを避けるべく姉さんの誘いに乗ったのだった。
「はいよ……これで合ってるか?」
言いながら姉さんから教わったやり方で解いた問題を見せる。ノートを見た姉さんは目を動かし確認する。そして……
「うん正解。苦手なのによく頑張ってね偉い偉い……んっ……ちゅっ……」
姉さんはそう言うと笑顔になり、右手で俺の頭を撫でながら顔を寄せてきて俺の両頬にキスを落としてくる。
(……大問1つ正解したらご褒美に頭撫で撫でと両頬にキス……改めて考えると凄いご褒美だな)
既に数学の宿題を始めてから数時間、何十回もご褒美を貰っているが未だに飽きる気配がない位だ。今更だが俺も大分姉さんのスキンシップに慣れてきたな。少し前なら顔を熱くしながら慌てている自信がある。
「じゃあ次の問題に行くよ。次は難しいから頑張ってね」
「はいはい」
俺が嫌々そう返すと姉さんは頬を膨らませて指で俺の唇を突いてきた。
「弟君。めっ、だよ。はいは1回」
何この姉さんの仕草。小動物みたいでメチャクチャ可愛いんですけど?こんな風に言われたら従うしかないだろ?
「わかったよ。次からは気を付ける」
「良い子良い子。次からは気を付けようね?」
姉さんはそう言うと笑顔に変わって再度撫で撫でをしてくる。ダメだ、歌歩とは違うベクトルで癒される。義姉……姉さんから提案してきた事だが、グッとくるな。
そんな事を考えながら俺は姉さんに頭を撫でられてドキドキしながらも数学の宿題を再開したのだった。
それから更に数時間して……
pipipi……
アラームが鳴り出したので問題集から顔を上げると、テーブルの上にあった姉さんのスマホが5時を告げていた。
「もう5時かー。今日の勉強はここまでにして夕食を作ろうか」
姉さんはそう言うと伸びをする。すると姉さんが持つ割と立派な膨らみが揺れたので思わず目を逸らしてしまう。薄着だからか凄い躍動感を見てしまった……!
内心ドキドキする中、姉さんは俺のリアクションに気付くことなく立ち上がる。
「じゃあ今から作るけど、1時間位待っててくれるかな?」
「あ、いや。それは悪いし手伝うぞ?」
いくら客とはいえ姉さんに料理をさせて自分は1時間位暇潰しをするのはどうかと思うし。
「そう?じゃあお願いして良いかな?」
「ああ」
「ありがとね弟君。それじゃあ行こうか」
姉さんはそう言うと自室から出て行くので俺もそれに続く。階段を降りてキッチンに入ると結構立派なキッチンである事を理解した。
「で、何を作るんだ?」
「ちょっと待ってね……弟君はお肉とお魚、どっちが好き?」
姉さんは冷蔵庫を見ながら聞いてくる。うーむ……どちらも嫌いではないが……
「肉だな。朝は魚を食べたし」
夜は肉の気分だな。そう判断して返事をすると姉さんは冷凍庫から豚肉を出してくる。
「じゃあ豚の生姜焼きでどうかな?」
「構わない」
「決まりだね。じゃあ弟君はサラダを作ってくれる?」
「了解した」
言いながら俺は姉さんの出してきた野菜を水で洗う。全て洗い終えて、まな板を出して包丁で一口サイズに切り始める。隣では姉さんが生姜焼きの前に味噌汁を作るつもりなのか鍋に水を入れていた。
それを確認した俺は野菜を切っている時だった。
「ねぇ弟君」
「何だよ?」
いきなり名前を呼ばれたので横を見ると……
「こうやって2人で料理をしているのって……まるで新婚夫婦みたいだね」
「ガハッ!」
ウットリした表情で爆弾を投下してきた。や、ヤバい……!破壊力があり過ぎる……!
「馬鹿言ってないで料理を続けるぞ」
「むぅ……」
俺は姉さんから目を逸らして目の前にある野菜を切るのを再開する。断て煩悩よ!余計な事を考えずにサラダを作るのに集中しないと……!
しかし新婚夫婦か……あり得ないがもしも姉さんと夫婦になった場合……
『おかえりなさい、アナタ♡』
『ただいま姉さん』
『もう……私達は夫婦になったんだから姉さん呼びはお終い』
『わ、悪かったよ……は、遥』
『よろしい。それでアナタ……ご飯にする?お風呂にする?それとも……わ、私にする?』
(って、何を考えてんだ俺は?!)
「え?!弟君?!」
とんでもない妄想をした俺は煩悩を断つべく首を思い切り振ると、姉さんは心配そうな表情で俺を見てきた。
「大丈夫弟君?!何かあったの?」
いや、姉さんとの夫婦生活を妄想したらヤバい妄想をしただけです。
「(まあ馬鹿正直には言えないけどさ)い、いや何でもない。気にするな」
「いや気にするからね?!本当に大丈夫?!」
言いながら姉さんは俺との距離を詰めて俺の顔を覗き込んでくる。それによって姉さんの顔が嫌でも目に入る。
麻栗色の艶がかった綺麗な髪、見る人に希望を与える美しい瞳、長くパッチリとした睫毛、俺の頬に何度もぶつけてきた小さくも美しい桜色の唇、端正な顔。
改めて考えると俺の義姉は凄く可愛いのだ。実際嵐山隊の特集でも姉さんは美人と評されているし、学校のファンクラブでは既に会員が20
0人近くいるのだ。
そんな姉さんが俺を心配してくれている。それについては嬉しいが……
「だ、大丈夫だ姉さん。気にしないでくれ」
そんな表情で見つめられたらドキドキが止まらなくなってしまう。俺はさりげなく姉さんを押して距離を取りながら心配ない事をアピールする。
「本当に?もし気分が悪いなら無理しないでね?」
「大丈夫だって」
俺がそう返すと姉さんは不満タラタラの表情を浮かべながらも俺から目を逸らして味噌汁を作るのを再開する。
危なかった。しかし姉さんも割と心配性だな。予想以上で驚いた。
(まあ他人に心配された事なんて碌に無かったし、嬉しかったけど……)
もしも姉さんと夫婦になったら同じように心配性を発揮するのだろうか?いや、するだろうな。
しかし姉さんと夫婦になった場合……
『じゃ、じゃあ遥にしたい』
『もう……昔から変わらないわね。本当にエッチなんだから』
『待て姉さん。俺は『遥』……遥。俺は別にエロい事をした事はないからな?』
『ふーん。文香ちゃんを押し倒したり、歌歩ちゃんとちゅっちゅっしたり、柚宇さんの胸に鼻の下を伸ばしたのに?』
『すみませんでした』
『やっぱりエッチじゃん。まあ過ぎた事だから文句は言わないけど……もう私以外にはエッチにならないでね?』
『あ、ああ』
『なら良し。その代わり私になら幾らでも……』
(ダメだ……!煩悩退散煩悩退散!色欲は消えろ)
「弟君?!」
煩悩退散の為に首を振っていると、再度姉さんが話しかけてくる。
何て妄想をしてるんだ俺は?!義理とはいえ姉に対してそんな感情を抱いているとは……!マジで恥ずかしいな。
「弟君?!やっぱり疲れてるんだね。私が料理するから座ってて」
「いやちょっと待て。俺は「良いから座る!」あ、おい!」
姉さんは俺の言葉を無視して、俺の背中を押して強制的に椅子に座らせた。同時に俺は立ち上がるのを諦めた。立ち上がった所で再度姉さんに座らさせられるのは間違いないし。
(それに場合によっては俺の妄想を知られる可能性も万が一にあり得るかもしれないし大人しくしておこう)
そう判断した俺は姉さんに逆らわずに食事が出来るまで椅子に座り続けた。そして夕食の時にも姉さんに心配されて、あーんで食べさせられたがアレは恥ずかしいから自重して欲しかったです。
「そう言えば弟君さ。最近何かあったの?」
夕食後、俺は姉さんと一緒にリビングのソファーに座って前回のランク戦を見ているが、俺の膝の上に乗っている姉さんがそんな事を聞いてくる。
「どうしたいきなり?」
「うーん。今の試合を見てても、弟君の動き方がこう……野生的というか……少し激しくなった気がするんだよね。何か修行でもしてるの?」
そう言って姉さんがテレビを見ると、テレビに映る俺は影浦先輩と相対しているが戦闘中に蹴りを多用したり、空中で1回転して影浦先輩のマンティスを辛うじて避けている。
姉さんは俺が変わったというが正解だ。これは間違いなく玉狛で小南と戦った影響だろう。小南の動きはかなり独特で対処がし辛いので、俺も見様見真似で実行している。今は殆どの動きは猿真似だが、遠くない未来には会得するつもりだ。
しかし馬鹿正直に説明するつもりはない。姉さんの事は大切に思っているが姉さんは俺達比企谷隊と同じようにA級を目指す人間ーーーいわばライバルだ。おいそれとこちらの手の内を晒すつもりはない。
「まあ色々だよ」
「むぅ……教えてくれない?」
すると姉さんは一度俺の膝の上から降りたかと思えば、俺と向き合う形で再度膝の上に乗って膨れっ面を見せてくる。
つまりこの状況を説明すると、俺はソファーの上に、姉さんは俺の膝の上に座って見つめ合っている状況だ。姉さんの手は俺の肩に触れているので端から見たら抱き合っているようにも見えるかもしれない。
(姉さんに抱きつかれるのは慣れているが……ドキドキを完全に無くすのは無理だな)
いくら殆ど毎日抱きしめられているとはいえ、姉さんの匂いや美貌、身体の柔らかさに対して、ある程度焦らずに済むのは可能でも平静を保つのは無理だろう。
しかし……
「そんな顔をしてもダメだ。まあ嵐山隊が新しく考える戦術を教えてくれるなら構わないが」
しかしこれは拒否するだろう。俺が姉さんの立場なら絶対に断るだろう。案の定姉さんも膨れっ面のまま、ため息を吐く。
「まあ普通そうだよね。私が弟君の立場なら何があっても教えないだろうし……ごめん、さっきのお願いは忘れて」
「別に怒ってないから気にするな。敵チームの情報を調べようとするのは基本中の基本だからな」
「んっ……ありがとう弟君」
言いながら姉さんは優しい笑顔を浮かべて自分の頬を俺の頬に当ててスリスリしてくる。今更だが姉弟は普通こんなスキンシップを取るのか?いや、取らないだろうな。
(まあ俺自身嫌じゃないし、断ると姉さんが悲しむから断らないけど……)
そこまで考えていると………
piroro……
「あ、お風呂が沸いたみたいだね」
軽やかな音楽が流れたかと思えば姉さんがそんな事を言ってくる。そういや姉さんはランク戦を見る前に風呂を洗っていたな。
「じゃあ弟君。先に入って良いよ」
「ん?普通家主のお前が先じゃないのか?」
「弟君はお客様だから先で良いよ。わ、私は後で入るから」
言うなり姉さんは真っ赤になりながらも俺の膝の上から降りて俯く。何故真っ赤になるんだ?訳がわからん。
しかし姉さんを見る限り動く気配は全くない。無言で先に行けと言っている気がする。
「……わかった。じゃあ先に入らせて貰うぞ」
「う、うん。ごゆっくり……」
真っ赤になった姉さんに一言だけそう言って、俺は持ち込んだ着替えを持って風呂場に向かった。
そして服をパパッと脱いで風呂場に入る。見ると湯船はかなり大きかった。ウチの2倍くらいありそうだ。
ぬ
(本来ならゆっくり入りたいが姉さんを待たせるのは悪いし、早めに身体を洗って出ないとな……)
俺は桶で湯船のお湯を掬って頭からぶっ掛ける。熱いお湯が全身に浴びる事になって気持ちが良い。
お湯を全身に浴びた俺は間髪入れずにシャンプーを頭に付けて擦り出す。大量の泡が生まれ目に入りそうになったので目を閉じた時だった。
「弟君、お湯の温度は大丈夫?」
扉の向こうから姉さんの声が聞こえてくる。
「大丈夫だ。丁度良い」
熱いお湯は俺の汚れと疲れを落としてくれるからありがたい。内心俺にピッタリの温度に合わせてくれた姉さんに感謝しながらシャワーを浴びてシャンプーを洗い流す。熱いお湯が頭から降り注ぐ中、手で頭を擦り汚れを落とす。夏ながら汗臭いし念入りに洗わないとな。
そう思いながらも俺はシャンプーを全て洗い流した。
(良し、次は身体を洗うか「お、お邪魔します」……え?)
次の方針を決めようとした時だった。扉の開く音と姉さんの声が聞こえたので振り向くと……
「せ、背中を洗いに来たよ……お、弟君」
バスタオル以外に何も身につけていない姉さんが顔を真っ赤に、恥じらいを露わにしながら風呂場に入ってきたのだった。
……え?