「比企谷、ちょっと良いか?」
夏休みが始まってから2週間近く経ち、8月3日。防衛任務が終わったので、作戦室でアイスを食べながらダラダラしていると、辻が話しかけてくる。
「何だ?模擬戦でもしたいのか?」
「いや、そうじゃなくて新しい戦術について話をしておきたい」
「あー、例のスパイダーを使用した戦術だな。もうモノにしたのか?」
辻は玉狛で木崎さんからオプショントリガーの使い方を、迅さんから実践練習を習っているが、戦術の話ということはスパイダー関係だろう。
「ああ。ワイヤーを狙った場所に設置する事は完璧になったし、少し付き合ってくれないか?」
「それは構わないが、俺必要か?」
スパイダーを使った戦術は大きく分けて2つある。1つはあらゆる場所に張って敵の動きや判断力を鈍らせるパターン、もう1つはメテオラを併用して地雷のような罠を作るパターンだ。
それは理解しているが、わざわざ俺の力が必要になるとは思えない。もしかしてアレか?罠の被験体になれってか?
そう考えていると……
「ああ。スパイダーを罠だけではなくてお前の移動支援にも使えないか試してみたい」
辻は予想外の言葉を口にしてくる。俺の支援だと?
「それはつまり……八幡先輩がワイヤーを利用して高速機動戦の戦術の幅を広げるという事ですか?」
「ああ。前にスパイダーを張る練習をしていたら、比企谷ならスパイダーを利用して高速機動戦を出来るかもしれない、と思ってな」
スパイダーを利用して高速機動戦か……なるほどな。確かに、もしそれを会得出来たら比企谷隊は戦術の幅を広げられるし、敵からしたらウザく思われるだろう。
結論から言うと……
「良しわかった。試してみる価値はあるしやってみるか。歌歩、防衛任務が終わって早々で悪いがトレーニングステージの製作を頼む」
歌歩に頼んでみる。俺個人として色々と試してみたいので辻の案を実行してみる事にした。
「わかったよお兄ちゃん。ちょっと待ってね」
言いながら歌歩はアイスのカップをゴミ箱に捨ててオペレーターデスクに向かったので、俺達戦闘員3人はトレーニングステージに行く準備を始めたのだった。
それから2分、俺達戦闘員3人はトレーニングステージの入口に立っていた。正面にはワイヤーが張りやすいように建物が沢山存在していた。
『準備OKだよ。辻君から見て建物の配置は不満はある?』
「大丈夫だよ。それにランク戦じゃ不満を言ってられないかね。どんな場所でも張れるようになりたいから変えなくて良いよ」
言いながら辻は建物が密集している場所に行き、手元に矢尻の付いたキューブを複数生み出した。同時に矢尻が伸びて建物に当たり、そこからワイヤーが張られる。
手元にあるキューブが全てワイヤーに変わると、辻は少し移動して同じように手元に矢尻の付いたキューブを複数生み出して同じようにワイヤーを張る。
2分くらいすると歌歩が用意した仮想の建物群には大量のワイヤーが張られ、ジャングルジムの一種のようにも見えるようになった。
「とりあえずある程度張ってみたから試してみてくれ」
「はいよ」
言いながらグラスホッパーを使って辻の横に立ちワイヤー群を見るが、近くで見ると……
「敵として見たらこの上なくウザいだろうな……」
大量に張られたワイヤーを見てそう呟く。今は割と見えやすいが、スパイダーは敵に視認し難いように調整する事も可能だ。敵が見え難いように大量に展開したら全てに対処する事は出来ずに1回や2回は転ぶ自信がある。
「ああ。色々考えた結果、俺は『自分自身の得点力を上げる』道じゃなくて『敵の得点力を下げながらエースの得点力を上げる』道にした。照屋さんも今狙撃の練習をしてるけど、ワイヤー陣と組ませたら役に立つと思ってな」
まあ確かにワイヤーがある中で長距離からの狙撃をされると絶対に嫌だな。俺自身ランク戦で結構狙撃手に落とされてるし。
「だろうな。そんじゃ早速試してみるか……よっと」
言いながら俺は建物から飛び降りて近くにあるワイヤーを踏んで蹴りを放つ。するとギシッと小さい音が聞こえ、身体は蹴りを入れた方向と真逆の方向に向かう。
その先にもワイヤーがあったので今度は右手で掴んでから、身体を捻り向きを変えてワイヤーを離す。同時に間近にある建物を蹴り視線の先に向けて移動をする。
そして近くのワイヤーを蹴って建物の屋根を掴み、そのまま屋上に上がる。
「どうだった?ワイヤーの移動方法は?」
すると俺がいる建物にやって来た辻が感想を聞いてくるが……
「悪くないな。慣れれば変幻自在の動きも可能だろうし、グラスホッパーと併用すれば尚良いな」
それが俺の感想だ。ハッキリ言ってかなり気に入った。極めればB級上位が相手でもエース以外なら速攻で倒せると思う。
「なら良かった。じゃあ実践練習をするか?」
「だな、文香。ちょっと付き合ってくれ」
「わかりました」
離れた場所にいる文香に頼むと、文香は頷いて走り出し、ワイヤーに囲まれた場所に移動する。
「んじゃやるが準備は良いか?」
「いつでも大丈夫です」
屋上から地面にいる文香を見るとそう言って頷く。今回はあくまで練習だが、当然倒すつもりで行かないとな。
そう思いながら俺は屋上から飛び降りて近くにあるワイヤーを掴み思い切り引き、途中で方向転換する。そして方向転換した先にある建物に足をつけて蹴り上げて地面に向かって突き進む。
対する文香は弧月を作って構えを見せる。構えからしてカウンター狙いだろう。身体を動かしていつでも準備万端と言った所を見せてくる。
俺は文香がいる場所に滑空しながら主トリガーのスコーピオンを起動して距離を詰める。そして距離を3メートルまで詰めると右側にあるワイヤーを掴んで引っ張る事で方向転換をして、文香の後ろに回ろうとする。
しかし文香も直ぐに後ろを、俺がいる方向に身体を向ける。背中を晒すのは愚策だから当然の行動だ。
しかし俺は文香が完全にこちらを向く前に上にあるワイヤーを引っ張って丁度文香の真上に上がる。すると文香は一瞬だけ辺りを見渡すも直ぐに上を向くが一歩遅い。
(このままスコーピオンで首を……)
そこまで考えた時だった。
「うおっ!」
いきなり足に軽い衝撃が走ったかと思えば空中で体勢を崩していた。チラッと上を見ると足にワイヤーが引っかかっていた。どうやら使用していないワイヤーを見落としていて、落下中に足に引っかかったようだ。
(いくらワイヤー陣での戦闘が初めてアホ過ぎだろ俺?これじゃあ……)
チラッと下を見ると文香が申し訳なさそうな表情で弧月を振るってきた。予想外の展開によって動きを鈍らせた俺に対処の方法などなく……
『伝達系切断、お兄ちゃんダウン』
首を刎ねられて、歌歩の声がトレーニングステージに響く。今回は初陣だから仕方ないが、次はもっと周囲を把握するように心掛けよう。ワイヤーは相手を撹乱するのに使えるが中途半端なやり方では今回のようにこっちも引っ掛かる可能性があるし。
そう思っていると、仮想戦闘モードの効果によって刎ねられた俺の首が元に戻り、その反動で足に引っ掛かっていたワイヤーが外れ、俺は重力に従って……
「え?!は、八幡先輩?!」
真下ーーー文香がいる方向に落ちていき……
「うおっ!」
「きゃあっ?!」
そのまま文香を巻き込んでしまった。俺は文香の上にいて文香が背中を地面に打つのが見えた。そして間髪入れずに俺は文香の上に迫ってしまう。
予想外の落下に思わず目を塞ぐと同時に……
ちゅっ ちゅっ
俺の唇と頬に柔らかい感触を感じながらそのまま文香の上に乗ってしまう。
衝撃が消えたのを確認して目を開けるとそこには真っ赤になりながら目を見開いている文香がいた。
同時に俺は理解してしまった。俺の唇が文香の頬に、文香の唇が俺の頬に当たっている事を。さっきの柔らかい感触は文香の唇と頬の感触だったようだ。
つまり俺と文香は今互いの頬にキスをし合っているのだ。それを理解した瞬間、頬が熱くなるのを自覚する。
(や、ヤバい……歌歩や姉さんの頬にキスをした事はあるが、文香は初めてだ!文香の頬……歌歩や姉さんとは違った感じの柔らかさ……って違ぇ!)
何を堂々と文香の頬を堪能してるんだ?!急いで離れて謝らないといけないってのに!
「わ、悪い文香!直ぐに退くから待っ……!」
慌てて文香の頬から唇を離して起き上がろうとしたが、俺は再度思考を停止してしまった。何故なら……
「やっ……は、八幡先輩……」
さっきまでキスの衝撃で失念していたが、俺の右手が文香の胸を鷲掴みしていたのだ。手にはこの世のものとは思えない程モッチリとした柔らかい感触が伝わってきている。
(待てぇぇぇぇ!どうしてそうなった?!どんだけ運があるんだよ?!)
幸運か悪運のどっちかだって?聞くな。
しかし何時までも揉んでいたら悪いと慌てて手を文香の胸から離す。
「んっ……あんっ……」
すると文香は顔を赤くしながら小さく喘ぐ。それによって内心ドキドキしてしまう。そんな声を出されたら変な気分になっちまうし。
内心そんな事を考えながらも文香に謝まろうとするが……
「……八幡先輩のエッチ。い、いきなりは困ります。その……嫌ではないですけど、恥ずかしいです」
『お兄ちゃん。ちょっと作戦室に戻ってきてね』
「……骨は拾ってやるからな」
3人の声が聞こえてくる。どうやら俺は作戦室に戻らないといけないようだ。後辻君、骨を拾うだけでなく助けてくれませんかねぇ?
その後、俺は歌歩に正座を強いられて1時間近く説教を食らったが、今回は俺が全面的に悪いので文句を言わずに歌歩の説教を大人しく聞いたのだった。
そして文香に何でもすると言って土下座をして許しを乞うたら、明日の4日に一緒に遊ばないかと言われた。
しかし4日と5日は遥姉さんの家に泊まりに行く約束があるので無理と断ったら、文香と隣にいる歌歩が物凄く機嫌が悪くなり、罰として夏休みの終盤に2人の家に泊まるように(半ば無理矢理)約束された。
本来なら拒否したい所だったが、2人の醸し出す雰囲気に逆らえず、気が付けばいつの間にか了承していたのだった。
しっかし、姉さんにしろ2人にしろ何を考えているんだ?俺なんかと1日過ごしても楽しくないと思うがな。
閑話休題……
まあ何はともあれ、文香と歌歩は俺が了承したらいつもの状態に戻ったので良しとしよう。
ただし作戦室に戻った瞬間、ダッシュで作戦室から出て行った辻はマジで許さん。次に会う時にはエロ本を見せて思い切り動揺させてやるつもりだ。
そんなアホな事を考えている間にも時間は経ち、翌日の8月4日……
「いらっしゃい弟君」
遥姉さんの家で2人きりのお泊まり会が幕を開けたのだった。