戦闘民族は迷宮都市の夢を見るか   作:アリ・ゲーター

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8.巡り巡り

 季節は過ぎゆく。

 木を枯らせ、葉を落とさせた冷たい風はいつしかぬくもりをおび、溶けた白雪の中から顔を覗かせたふきのとうも大きく育ち、花を咲かせる。

 鳥たちが子育ての準備に追われ、巣作りのための枝を運び、人々もまた一冬の間に硬くなった田に鍬を入れ始めた。

 雪解けでかさを増した川の流れも落ち着き、水の色は透き通っている。かじかむ、というほどでもなくなった水温に誘われるように、子供達が川辺で遊びだし、あるいはその日の夕餉にでもするのか笊を持ち、沢ガニを探す姿もあった。

 日ごとに増す活気。

 しかしそんな人里とは裏腹に、(やしろ)ではどんよりとした空気が流れていた。

 

「聞き回ってみたのですが、やっぱり……行き先はわかりませんでした」

 

 桜花(オウカ)(ミコト)千草(チグサ)(やしろ)の中で育った子供達の中では年長の三人が神タケミカヅチの前でうなだれていた。

 タケミカヅチもまた、あぐらを組んだ足を揺すり、難しい顔で「うむ……」と唸った。

 

「……お前達、とりあえず年下の子供らには春姫(ハルヒメ)の事は伏せておけ。いずれ知る事になるかもしれんがな」

 

 そう言い、ふう、とため息を吐いた。

 ──窮屈そうな暮らしを知り、羽根を伸ばさせてやろうとしたが、人の子らには余計な世話だったのか。

 タケミカヅチは懊悩していた。こういう結果になってしまった一因は自分にもあるのではないかと。

 神社の麓にあるひときわ大きな館。その家の娘、春姫(ハルヒメ)という狐人(ルナール)の少女。

 心優しい少女だった。素直な感情で人をいたわれる素朴な優しさを持っている。

 年頃は三人と同じく11歳だ。五年ほど前から篭の鳥のような境遇を見かねて連れ出させ、養育している子達と遊ばせたのだった。

 その少女が勘当されていたのだという。

 極東の大神、アマテラスに仕える代々の貴族の家だ。滅多な事では血族を義断するなどという事はない。

 なにかがあったのだ。

 神の力(アルカナム)を手放し、人と同等の身として地上に降りた身だ。タケミカヅチにそれを後悔する気持ちはない。ただ、時に不自由な自らにもどかしさを感じる事は──万能でありえた自らを知るだけに尚更だった。

 

 日が傾き、影を伸ばす。

 夕焼けの橙に染まった海の見える港町をアウルは歩いていた。

 曲がりくねった道を知った物のようにすいすいと入って行く。

 黒髪黒目という特徴は似たような者の多い極東では目立ちもしない。大きな徳利を片手に酒屋に入るのも、酒を買いに出された子供とも見える。通い帳を持っていない事を除けばそう珍しくもない姿だろう。

 ただその姿がさらに荷積み人足達住まう長屋の一画にあり、そしてそこが賭場だと知る者からは少し疑問を抱かれる風体だったかもしれない。

 (おもて)番の、まだ少年の色が残る若い男もまた困惑した面持ちだった。

 

「代貸を呼んでくれるかい? ナッシュが来たって言えば通じるよ。それと良い酒を持ってきたんだ、ちょっと燗にしといて欲しいんだが」

「はあ……え? その、飲まれるんで?」

 

 そんな反応にアウルもまた慣れているように小さい苦笑いを一つこぼす。

 

小人族(パルゥム)ってんだ、この辺りには少ないか、聞いた事はあるだろ? こう見えて結構年いってんだぜ?」

 

 しゃあしゃあと嘘をついた。精神年齢はともかく少なくともアウルが生まれてから13年しか経っていない。

 ただアウルにとっても既に慣れた擬態だ。旅をし、依頼を受け稼ぎを得る中で、いわば舐められないように、いつしか馴染んだ設定だった。

 やがて応対に出てきた中番が恐縮しきりな態度で奥座敷に案内した。

 

「へえ、今代貸がお出でになりますんで、少々お待ち下せえ」

「いや急に訪ねたのは俺の方だから、急がないでくれって言って貰えるかい。ゆっくり待たせてもらうよ」

「そう言っていただければ有り難く。今、茶をお持ちします」

 

 そう言って中番が下がったが、ほどなく引き戸が開かれ、遊女らしき女を連れた端麗な容姿の男が姿を見せた。

 

「よく来てくれましたねナッシュの旦那。前もって言って下されば馳走の一つも用意したんですが」

 

 少々残念そうに笑い、アウルの対面に座った。

 ダークエルフだ。エルフのうちの一種族と言われている。

 くすんで見える銀髪に褐色の肌、長い耳は片方が半ばから千切れていた。

 額や頬にも傷跡が残り、細く端麗な容姿とはうらはらに峻烈たる風情を漂わせている。

 艶やかな衣装の女が盆から香の物やぬた、刺身など、急いで用意したのだろう肴を並べ、二人に酒を注いだ。

 アウルとダークエルフは共に杯を持ち上げる。

 

「しかしこうして旦那が来てくれるのは初めてですね。今日は一つ遊びにでも?」

「あーいや、急に悪い。戦田川の寒作りが出来たってんでついな」

 

 そんな事を言い、後は手酌で良いか? と聞く。

 なるほど、と察した様子のダークエルフは頷き、遊女を下がらせた。あまり聞かせられない話があるという事だろう。

 女が部屋を出、布の擦れる音が遠ざかるのを待ち、アウルは空になった杯に酒を注ぎ、もう一杯と飲み干す。

 

「今年は仕込みが良いようですな」

「だねえ、もう少し辛くても良いんだが」

「これから暑くなりますからねえ、この位のを甕に汲んで井戸水できゅっと冷やしたのも美味いですよ」

「燗を頼んだのは失敗だったかな」

「いや、これはこれで」

 

 などとしばし他愛の無い事を話す。杯を卓に置き、一拍間を置くと、アウルは口を開いた。

 

「サンジョウノ・春姫(ハルヒメ)って娘、狐人(ルナール)なんだが、何か知らないか?」

 

 ダークエルフは、ほうと呟き、逡巡を隠すように杯を空ける。

 

「サンジョウノ……なかなかの大物ですな。しかもお役人だ。私らなどでは仰ぎ見るだけで肩が凝ります」

「だなあ、大物だ。そこの娘が勘当されて行方が判らなくなった。サンジョウノと同僚の小人族(パルゥム)が一口噛んでるみたいだが、どうもキナ臭くてさ」

 

 アウルはアウルで、あまり(やしろ)の孤児達には知られたくない手段で探りを入れていた。

 情報収集を得意とするわけでもなんでもなかったが、使用人に小金を握らせ口の回りを良くする程度の事は世の中を渡る上で覚えていたのだ。

 もっとも、それで判った事は(ミコト)達が集めたような情報に毛が生えたようなものに過ぎなかったが。

 それでもサンジョウノの家の(みやこ)に赴任している嫡男、その位階がつい最近上がった事。くだんの小人族(パルゥム)がその推薦者となった事などを知り、見えない部分で何かがあると感じていた。

 餅は餅屋、というわけでもあるまいが、代貸に聞きに来たのも、何か耳にしている事があるのではないかと思ったからだ。

 

「……旦那。渡世の仁義ってもんがこちらにもありましてね」

 

 案の定だったのだろう。ダークエルフは難しい顔でそう言う。察しろという事なのだろう。

 

「……んー。そうか、仕方ねえな」

 

 アウルとしても無理に口を割らせる気はない。

 極東に来て早々に知り合った男だった。

 モンスターの棲まう自然洞窟に縄で縛られ、放置されていたのだ。技を試しに来ていたアウルが居なければモンスターの胃袋の中だっただろう。

 その時はたまたま助けたというだけだったが、後日再び会う機会があり、ウマが会ったのか時折酒を飲み交わす仲になっていた。

 ダークエルフはエルフと同じようにやはり閉鎖的であり人里離れた場所に村を作って暮らしている事が多い。ただ、そんな場所にも戦火が及び、焼け出され、野盗に捕まり売られ、逃げ出した。

 そんな半生だったらしい。

 無宿者の中で育ち、博徒となって頭角を現し、『片耳の』馬刀(バト)そんな名前で恐れられるようにもなった。

 むろん出る杭は打たれる。アウルと会ったのは、そんな、出過ぎたがゆえに制裁を受け、死ぬ間際の事だった。

 借りがある。

 命そのものの借りだ。

 ダークエルフは悩み、やがて額を二度こんこんと打って言った。

 

「こいつぁ噂なんですがね──」

 

 遊郭の亡八達が二人、無残な姿で川に浮かんでいたのだという。

 ただ亡き者にするだけならわざわざ人目に晒す必要はない。それこそモンスターの餌にでもしてしまえば何も残らない。

 

「内緒ででかい仕事を引き受けていたって話です、大陸の連中ともツルんでいたらしくてね」

 

『親』からの制裁、見せしめだろうと言った。

 いやはや金とは恐ろしいと、首を振る。

 

「お狐さんは海を越えていざ知らず。まったくこんこんちきな話って奴ですよ」

 

 銚子を傾け、いつしか空になっているのに気づくとおおいと声を上げて人を呼んだ。

 

「いやはや、生臭いうわさ話です。酒で清めるに限りますね」

 

 話は終わり、という事だろう。

 やがて酒を女が酒を運んでくると、アウルは仁義を曲げてまで教えてくれたダークエルフに礼意として一献、と酒を注いだ。

 

 アウルにとって、サンジョウノ・春姫(ハルヒメ)という存在はあまり近しいものではない。

 彼がタケミカヅチに師事し、(やしろ)の孤児達と親交を持つようになった時には(やしろ)の経営のために特に仲の良かった三人も日銭を稼ぎに走り回っており、狐人(ルナール)の少女と遊んでいる姿を見た事は無かったし、会った事も無い。

 むろん話は聞いた事があったが、結局それは親しい人の友人というだけで、そう重きをなすものではなかった。

 今回の一件についても、一肌脱いでやろう、という気持ちで動いただけだ。

 ただ、その結果があまりはかばかしいもので無い事には多少暗然とせざるを得なかった。

 

「あまり良い報告じゃない」

 

 そう前置きして神タケミカヅチに情報源を伏せ、話す。おそらくこうだろう、という推測も交え。

 対面するタケミカヅチはあぐらをかき、腕を組んだまま静かに聞き終えると、ぽつりと、そうかと呟いた。

 

「その話、孤児(こども)達には話したか?」

「いや、話せねえよ」

「うむ。桜花(オウカ)はともかく(ミコト)千草(チグサ)がな……黙っておいてくれ」

 

 知れば己を責め、必要以上に落ち込むだろう。

 桜花(オウカ)は幼い時期から頼られ慣れているせいか、精神的には最も強いが、(ミコト)は生真面目で千草(チグサ)は優しすぎる。

 そして桜花(オウカ)とて別に冷たいわけでもなんでもない、耐えられるというだけだ。

 

「手の届かん所に行ってしまったか」

 

 人間(こども)達というのは──難しいな。

 (タケミカヅチ)は目を閉じ、呟いた。

 

 □

 

 白亜の摩天楼が巨大な影を落とす。

 西日を遮る天を突くがごとき偉容。

 幼い時から慣れ親しんだ影だ、地元の子供達がゆっくり動くその影で遊んでいる。

 リリルカ・アーデはその姿を見て、わけもなく醜い感情が首をもたげるのを覚えた。

 ただ、そんな感情すらさらさらと音を立てて崩れるように、すぐに消えていってしまう。

 ──疲れている。

 とぼとぼと歩く足。

 とぼとぼとしか歩けない。

 

「限界……かな」

 

 自分は駄目なのか。という諦念が重くのしかかる。

 パーティの目から逃れるようにして得たわずかな魔石を換金する余力すら無く、ダンジョンを出て、安全な場所についてからは柱の影に隠れるように座り込み、立つ事もできなかった。

 自分に冒険者の才能はない。リリルカがその事に気づいたのはダンジョンに入るようになってすぐの事だ。

 二年前か、三年前か。

 父と母は段々金にうるさくなり、しばらくすると顔を見る事さえなくなり、いつしかダンジョンで死んでいた。

 死骸の無い墓。その墓の前で【ソーマ・ファミリア】に養われた恩を返すべきだと言われ、親の代わりとなる形で半ば無理矢理ダンジョンに連れ出された。

 それでも最初はまだ良かった。

 年端もいかない少女が初めから上手く戦えない事などは当たり前だからだ。

 【ロキ・ファミリア】などには最速昇格記録(レコード)をもつアイズ・ヴァレンシュタイン、8歳にしてLv.2への昇格(ランクアップ)を果たした少女もいるが、それは例外中の例外というものだ。

 【ファミリア】の団員も当然ながらそこまでは求めておらず、将来的に親並の戦力になればいいという程度の期待だったが──リリルカにはそれも重荷に過ぎた。

 力が弱く、反応が鈍く、選択を迷う。

 訓練次第ではどうにかなりそうな部分もあれば、転じて長所になる部分もある。ただ【ソーマ・ファミリア】という環境がそんな悠長な成長を許さなかった。

 求められたのは即戦力。

 リリルカは苦手を押して戦い続けた。

 懸命にダンジョンに潜り、体力に少しでも余裕が出来たら訓練をし、戦い続けた。

 5歳の時に仲良くしていた年上の幼なじみがいなくなり、しばらくしたら親もまたいなくなった。

 リリルカの名前を呼んでくれる者はもうパーティの仲間くらいしかいない。

 誰でもいいから認められたかった。

 しかし、どれだけ努力しても、積み重ねても、リリルカは足手まといのままだった。

 努力すれば必ず成果は出る、なんて言葉をどこかで聞いた覚えもある。そんな事誰が言ったのだろう。

 きっと、才能に恵まれてる奴に違いない。

 リリルカが血を吐くような思いをして努力し得たものは、無能を蔑む目と、アーデ、とただ人を識別する記号のようにファミリーネームでしか呼ばなくなった仲間だった。

 ──自分は要らない。

 その事実を頭は理解し、感情は拒んだ。

 世界から自分だけ疎外されているような感覚。恐ろしいほどの寒さ。

 ──自分は要らない。

 認めざるを得なかった。死にたいほどの自己嫌悪が貫き、同時に死ぬ程の勇気もない事を理解する。

 自分ではなくなりたかった。

 

「にーちゃん、リリは……困ってるよ」

 

 誰もいない、手入れもされなくなった寝るだけの部屋でそう呟く。

 その声は誰にも届く事はなかった。

 

 □

 

 自分を呼ぶ声にアウルは振り向いた。

 境内にある椎の木から孤児の一人である男の子が下りてくる。

 

「鏡か」

「アウルさん行っちゃうの!?」

 

 本殿の縁側で先程タケミカヅチに伝えた事を聞かれたらしい。

 アウルは頭を掻き、言う。

 

「おう。まだもうちょい居るけどな」

 

 アウルが極東に来てから既に春を二度迎えていた。

 武神(タケミカヅチ)に師事し、教わるべき事は教わったという感じがしている。

 未だ立ち組み手では勝った試しが無いものの、相当に食い下がれるようにはなった。

 しっかり形の決まった技というものは教わっていない。

 タケミカヅチの見たところ、アウルにそのようなものは余分であり、いかなる時でも自在に体が動くようにするための心、技。そして搦め手に引っかからない為の経験が必要だと言う。

 基礎をずっと固めていたようなものだ。

 後はそれを生かし、実戦の中、あるいは自らで創意工夫して練り上げるのが良い。

 そう判断し、旅に出る事を言うと、タケミカヅチは頷いた、それが良いだろうと。

 ふむ、と顎を一つ撫で、思いついたように言った。

 

「アウル、俺の【ファミリア】に入らんか?」

 

 困ったように笑い、首を振るアウル。

 

「そうか、そうだろうな。お前の主はお前だ。姿形(なり)は小さいくせに、その辺はお前は誰よりも大人だな」

「ごめん、ありがとうな、その……師匠」

 

 多少照れながらアウルがそう言うと、タケミカヅチは豪快に笑った。

 

 一晩降った雨もすっかり上がり、雲一つない空に太陽が輝く。

 我先にと伸び出した草木の香りが風に乗り、鼻をくすぐった。

 これから暑くなってくるのだろう、狭間の季節。

 アウルは大きな鳥居の下で見送る孤児達と一人一人話をして別れを告げる。孤児達にはアウルが武者修行の旅に出る、とタケミカヅチから話がしてあったらしい。

 年長の三人などはこの二年で随分身長を伸ばし、一応年上のはずのアウルを大きく超えていた。

 もうどっちが年上に見えるかなんて判らねえなあ、と嘆き、笑いが起こる。

 

「いつでも遊びに来い、土産もいつでも歓迎だぞ」

 

 (やしろ)の主神がそう言い、(ミコト)千草(チグサ)が餞別にと作った大きな弁当を渡す。

 野鍛冶を手伝いながら作ったという無骨な短刀を桜花(オウカ)も渡し、元気でと声を掛ける。

 

「じゃあな、みんな!」

 

 腕を上げ、意気揚々と階段に足を踏み出した。

 行き先は決めてある。大陸中央の険峻というのも馬鹿らしいほどの山岳地帯。

 かつては主要な街道に沿った旅だったゆえに聞きかじっただけの場所だ。

 難所中の難所、岩山のあちこちは、ダンジョンなら深層に出現するモンスター。飛竜(ワイヴァーン)が巣を作り、麓の集落も時折被害に遭うらしい。

 気の制御(コントロール)にも慣れ、構想していた技がある。

 ──腕を試すには丁度いい。

 獰猛、というには角が取れた、楽しい事を目前にした子供のような笑みが浮かんでいた。


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