戦闘民族は迷宮都市の夢を見るか 作:アリ・ゲーター
温かい色味のランプに照らされ、並んだ料理は二割増しで旨そうに見える。
年季の入った樫のテーブルに腰掛けた労働者や冒険者、旅人や商人、怪しげな占い師にひっかけられた青年。
思い思いに話し、酒を飲み、歌い、笑い、後ろ暗そうな話をし、時には嘆きの声も聞こえる。
酒場というのは良いものだ。
大きな町や都市ではギルドの支部が行う事も多いが、ちょっとした町くらいだと酒場が仕事の紹介をやっている事も多い。
もちろん酒を飲み、食事をしているだけでもうわさ話が耳に入ってきたりもする。
どうやらラキア王国がまたぞろ
「ラキアかあ」
ブラウン・エールを飲みながらそう呟く。
この地方に来たら飲めと言われる酒だ。ナッツにも似た香りが口の中に広がり、これがまたびりっと
むろん頼んでいる、子羊のナヴァランソース煮込み。ピリリと辛い、味も濃く、チリソースのような味だ。
頬張り、やたら柔らかく煮込んであるラム肉を口の中で溶かす。そのくらい柔らかい。うまし、そしてエールをごくり。オッサンめいているがたまらない。
ラキア王国、その名前を聞くのも久しぶりに感じた。
開拓地を巡っての争い、あれからすでに二年も経っている。
ロイとミレイは元気でやってるだろうか。
二人とも奉公人の道を選んだ。ベッジフ翁と気が合ったようだ、今頃は元気に働いているだろうと思う。
少し心配があるとすれば、俺がやった事──二人を自由の立場にしたことでやっかまれているのではないか、というところだ。
モンスター退治を仕事にし、一人で居る事の多かった俺とは立場が違う。確かにあの農場では奴隷の身とはいえ長く真面目に働けば自分の身代を買い戻せるのだが、最低でも10年、最初の取引額次第では30年掛けても無理だ。諦めている者も多い。そんな中で突然自由の身になる者がいればどうなるのか。
「まあ平気か」
ロイの事だ、抜け目なく、上手くやる事だろう。ミレイも別れ際には随分個性が出てきていた。何事にも一生懸命な姿は年上に、特に年配の人に好評だった。心配するほどの事もない。
そのうち近くを通りかかった時にでも訪ねてみようか。
そう思い、空になったジョッキを持ち上げお代わりを頼んだ。
二年の間に俺も色々な経験をし、知識も得た。
今の俺は冒険者というより、何でも屋。尻尾を隠し
モンスター討伐は元より、運び屋、
失敗は数多い。
意気込んで旅に出てみたものの、思えば俺の頭の中には
一番危なかったのは救出依頼と騙されて身一つで砂漠のど真ん中に取り残された時だったろうか──
水も無し食料も無しという状況が一番の天敵だと身を以て知った。あんな状況に投げ出されるくらいならベジータ様のお料理地獄耐久24時間の方がまだマシというものだった。
足の向くまま旅をする。そんな無軌道な生活を続けていたが、一応軸になっているものはある。
闘いと飯だ。
なんとも野蛮で原始的なのだが、楽しいし旨いから仕方無い。
それも闘いが好きと言っても、サイヤ人としては変わっているのか、単純に破壊や蹂躙して楽しいというのではなく、戦闘行為そのものが楽しいようだった。ついでに自分の全力を出し尽くし、勝てれば申し分ない。
もっとも、相手にはなかなか恵まれなかった。
当たり前かも知れない。
強い奴と闘いたいと思ってもそうそう居るわけでもなく、必然、モンスターとの戦いが多くなった。
古代に地上に進出したモンスター達だが、強さが薄まっているとはいえ、フォモールやブラックライノス、ダンジョンの深いところから来た連中は中々手強い。
深層から来ただけに単純ではなく、地上に順応し、適応し、技を覚え、人と戦うための手段、生きるための手段を覚える。
そしてそういうモンスターは大抵の人間ではどうしようもできず、居ついた場所は、森であれば『死の森』とか呼ばれていたり、山間だったら『絶望の渓谷』とか大層な名前がついていたりもした。判りやすい。
とはいえ半年もそんな場所ばかり攻めていたら、さすがに物足りなくなってきて、力を抑えて人相手に戦う事が多くなった。それはそれでモンスターには無い技巧を味わえる。その意味では俺より格上はごろごろ居るのだ。
強くなる。
日々強くなる。その実感に俺はどうもどっぷりハマっていた。
□
白いわたあめのような雲が悠々と空を泳いでいる。
出港してからしばらく聞こえていた海鳥の鳴き声も今はしない。
波が舳先で砕かれ、しぶく音。船の軋む音。
白い四角の帆はほど良い風を受け、気持ちよさそうに膨らんでいた。
しばらくすると水平線にあるぽつんと小さい点にしか見えなかったものがやがて大きくなり、はっきりと島の影に見えるようになる。
「オジナ島が見えたぞーっ! 底ずりに気をつけえー!」
先頭を行く船からよく通る声が伝わる。
岩礁地帯らしい、俺が乗っている船の
島を迂回するような形で進むと、遠間に見える海がわずかに黒みがかって見えるようになった。
漁場に到着したらしい。
帆はかえって邪魔になるのか下ろされ、たたまれた。
先頭を進んでいた船が二隻、ゆるゆると近づき、何やら話している。
ややあって相談がまとまったのか、他の船に向かい手での合図となにやら大声で漁師用語らしい、マキだのサゲだのという言葉が聞こえる。
二隻の船が錨を下ろし、網の真ん中部分の支えとなった。網の両端をそれぞれ一隻づつの船が受け持ち、浮きのついた網を次々と投入しながら大きく輪を描くように進んでいく。
「良い陽気じゃ。今日は大漁な気がするのう」
「お、そうなんかい?」
日焼けで真っ黒になった太い腕を組みながら、この船の船頭であるドワーフがそう声を掛けてきた。
あまり海では見かけないドワーフ達だが、本人曰く、魚好きが高じて海に出てしまった変わり者らしい。
「おやっさんはいつも大漁な気がしてるじゃないですかい」
横合いの
「しかしナッシュよ、腕前の方を見せてもらっといてなんだがなあ、本当に素手でいいのか?」
船頭の若干不安そうな声に、俺は、素手が良いんだ、と笑って答える。
各地を回るようになってから、サイヤ人の名前である『ナッシュ』で通している。これは偽名を使った方が良いというローレンの助言だ……偽名というわけではないけども。どうもあの時の戦争で、ラキアのお偉いさんに名前と顔を覚えられてしまったらしい。最初のうちこそ来るなら来いという気分だったのだが、考えてみれば真っ当に暗殺とか仕組んでくるならともかく、人質を取られたりすると非常に困る。確かに用心は必要だった。
「来たぁっ!
見張りが悲鳴のような声を上げ、急を知らせる。漁をしている船達にも聞こえるようにか、首からかけていた貝笛を取り、大きく長く鳴らした。
「一発目で当たりとはのう、やはりよほどの大漁だったか」
がははと腹を抱えて船頭が笑った。笑い事じゃねえっすよ! と
「さてナッシュ、頼んだぞ。ふぅむ……景気付けに一杯
「ドワーフ流の景気付けは後で頼むよ、じゃあちょっくら行ってくる」
俺は船縁を蹴り、大海原に姿を見せた巨大なモンスター、小さな島ほどもある亀、あるいは竜とも言える
『
この全長50
その図体に見合う大食いで鯨や鮫など、食いでのある獲物ばかりを狙う、人間からしたらたまたま遭遇でもしない限りは比較的安全なモンスターなのだが。
どうやらこの
間も悪かった。
この国には海の守護を旨とし、モンスターと戦う武闘派【ファミリア】もいるのだが、海に囲まれた島国であるため、守る範囲が広すぎるのだ。今は遙か西の海に行っており、助けを呼んでもいつ来るかが判らない状況、季節も今が
そんな生活がかかって藁をもすがる思いで討伐依頼を出していた漁師達と、凄いモンスターが居ると聞いてノコノコやってきた俺の利害が完全に一致したというわけだった。
海面を蹴る。
歩けば沈む水面もある程度以上の速さで蹴ればそれは踏み固められた地面と同じようなものだ。
爆発するような音としぶきを後ろに残し、さらに一歩、一歩と加速。
見る間にその小山のごとき大きさが迫ってくる。
彼我の距離は1000
勢いのままに、牙を剥く顎を下から蹴り上げる。
ばぐん、と顎が閉ざされ膨らんだ長い首から異様な音が聞こえた。
盛大な
むろんそれで終わらせない。
海面に着水するや、両の足で思い切り蹴りつけた。
水面の爆発と共に跳躍──
「らァァッ!」
衝撃。
のけぞり気味だった首が血煙を上げてさらに持ち上がる。同じ箇所に二度攻撃を食らい、揺すられ、視界はドロドロだろう、人間ならば。
だがこいつは竜種、1000年もの時間、その中の世代交代で魔石を削り弱体化したとはいえ、まごう事なき最強種の竜。
こんな程度の耐久力ではない。
口元が緩む。一足でその場を離脱、距離を取った。
「グオオオオオオオァァァ!!」
竜が吼える、そして巨躯を生かし、水面下の前足で大波を起こしてみせた。
回避はしない。厚みの無い波だ、突破できる。
両手を前で組み、波に向かい跳んだ。
速度のせいか、ゴムで出来た壁を抜くかのような重さがガードした両腕に加わる。
しぶきをあげて波を突破した前にあったのは、大きく口を開いた竜の顔だった。口内には魔石の輝きを紅く染めたような色が。
「あ、これやば──」
熱波か光か判らない奔流に吹き飛ばされ、海中、海中のくせに熱波で沸騰したか真っ白な気泡だらけの海だ。
ガードの姿勢のままだったのが良かった。
強い。
わずかな攻防ですら下手すれば死にそうだ。
だがそれでこそ。
長引けば死。
それでこそ。
ヒリヒリとした緊張感に恐怖と歓喜が沸いて、それを丸ごと楽しむ自分が居る。
──海底に足がついた。
分からない。分からないからこちらから行く。
食いしばった歯の間から泡が漏れた。
気を右足に溜め、思い切り蹴りつける。
ごぼん、と足場の岩盤が割れる音がし、俺は吹き飛ばされた方向へ一直線に向かう。
そして見えた竜の
追ってきていた。
昂揚感のままに笑う。
気づき、食ってしまおうと大口を開ける竜の前で再び水を蹴り方向転換、長い首に沿い腹部へ回り込む。
「ぶ、ち……」
腹甲、首の付け根を狙って渾身の気を集中させた右拳を──
「抜けェ────ッ!」
叩き込んだ。
爆圧が俺自身にも傷を付け、吹き飛ばす。視界の端に大きく胸部が抉れ、断末魔の叫びを上げる
□
満月に近い、大きな丸を描く月が雲間に見えている。
身のうちに猛々しく、凶暴なものがうごめくのを感じ、苦笑した。二、三日は夜の外出を控えた方が良いようだ。大猿になっても理性を保てるわけじゃない。山中の奥深くで試した所、気づけば裸で周囲の被害はそれは甚大なものだった。環境破壊も良いところだ。
モンスター討伐を果たし、謝礼金とおまけの歓待を受け、良い気分で夜道を歩く。
戦闘の成果も上々。気の
「気かぁ……」
意識せずとも常に体内、体外を巡り、取りまいているもの。
これそのものは感じていたが、意識的に制御できるようになったのはラキアとの戦い以降だ。
何となく手のひらの一部分に集める。
手から離れさせると、僅かなゆらぎを残し、拡散してしまった。
「かめはめ波とか撃ってみてえなあ……」
結構なロマンだが、正直どうやって良いものかが分からない。
当然といえば当然か、絵で知っているだけで見たことがないのだ。模倣もできず、完全に自分で暗中模索していくしかない。
今のところ分かるのは自分の体から離れれば離れるほど気の制御が難しくなること。
竜のブレスを防いだ時も両手に気を練り、盾のように放出して防いだが、末端部はダメージを通してしまっていた。
気を漫然と放出するだけでなく、回転、あるいは対流を起こす。外縁部はそれにより気の圧縮が起き……ないか。それをやるにはやはり拡散させず留めるための鍛錬が要るようだった。
土ではあるが綺麗に整えられた道を歩き、川をまたぐ橋を通る。かつては赤色に塗られていたらしい橋も相当に時間が経ったらしい、夜目にもわかる茶褐色になっている。
木製の橋、飾られた欄干、川の向こうには板張り屋根に重しの石が乗せられた家々。
合間合間には昔話に出てくるような茅葺き屋根の家も見える。
ノスタルジーというか郷愁というか、やはりそういう思いに囚われる事が多い。
本当にこの『極東』と呼ばれる島は、日本に近いようだ。それもどこか時代めいた。
ここに来て良かったものはやはり食事だろう。米の飯──大陸でもあるにはあったが何となく違うモノだった。それがここでは思い出にある白い飯、ほっかほかの粘りのあるご飯が食えるのだ。
それに調味料も味噌、醤油という大豆から作るものが揃っている。この国に来て炙り味噌のおにぎりを食べた時は、それはもう何とも言えない感慨深い味だった。
……思い出すと腹が減る。漁師達の宴席らしく、山ほどの海の幸を食ってきたというのに。
今ならまだ飯を頼めるかもしれない。宿への道を急ぐ事にした。
□
極東に滞在する事しばし。
居心地の良さについつい長居してしまっている。
飯が旨く、酒が旨いだけじゃない。
この地はこの地で戦乱があったらしく、あちこちで戦火の残り火が燻り、荒々しい者達が多く、当然トラブルも多い。おかげで俺のような腕っ節で稼ぐタイプにはこの上ない稼ぎ場所にもなっていた。
そんなある日、それを見たのはただの偶然だった。
海と巨大な湖に挟まれた小高い台地、ちょっとした仕事の帰りに近道として通りがかった時だ。
雑木林の中、開けた場所で元気の良い声が聞こえた。
子供達が5、6人集まり、武術の練習だろうか、稽古をしている。
年齢はバラバラだったが、10歳前後に見える三人が技も一段上のようで、年少の子にあれこれと教えてもいるようだ。
妙な髪型──古代日本の髪の結い方のような、その男が何ぞや笑いかけながら重さを感じない動きで子供達の前に立った。
神だろうとは一目で分かった。気の性質が人とはまるで違うし、なんと言うか格好も浮いている。
どうやら神が武術を教えようとしているらしい。
ちょっとした興味本位で見ていた俺は、次の瞬間硬直していた。
それはどうやら剣の型のようだった。
連続した一つの流れ、上段からの振り下ろし、突き、下段、小手による受け、上段から打ち落としての逆袈裟。
動き自体は遅い。子供達に見せるためだろう、ひどくゆっくりしたものだ。
だが──淀みなく、無駄がない。
俺自身剣術なんてど素人だ。だからそれで斬りかかられたと想定して考える。
気づけば神の動きは終わっていた。俺は知らずに止めていた息をゆっくりと吐く。
自分と同じ力と速さを持った相手が、あの技量で斬りにきたらどうなるか。
俺の中のイメージでは一手は打ち落とすが、二手で致傷、三手で詰んだ。
子供の声が聞こえる。
「タケミカヅチ様。もっと一撃必殺のようなものはないのですか?」
「はは、桜花は体に恵まれているからな。いずれ斧術でも教えてやろう」
「はい!」
タケミカヅチ、か。
幾度か口の中で名前を転がす。
俺は頷き、気づかれないよう気を消しその場を後にした。
明確に超えたいと思ったのは初めてかもしれない。それほどの衝撃だ。
その日、宿に帰る気にもならず、一晩中高山の奥で体を動かしていた。