戦闘民族は迷宮都市の夢を見るか   作:アリ・ゲーター

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1.はじまりの記憶

 おぼろげに覚えている記憶がある。

 脳に直接転写された情報とは別の、感触、音、色、そんなようなものだ。

 外に見える圧倒的な黒。輝く無数の星々。そして凄まじい振動。冷凍睡眠( コールドスリープ)が溶け、こわばる手足。

 自分を食いに来たケモノ。

 それを倒し、俺を抱き上げ、微笑んだ( おやじ)の顔。

 ついでに言えばさらに昔の記憶もあった。

 記憶というより記録というべきもの。家族に恵まれず、境遇に恵まれず、自力で自身の生を切り開く事も出来なかった。作り物の話に逃げ込んでいつの間にか死んでいた、何にもなれなかった人間。

 その記録の知識からすると、何とも困った事に──ドラゴンボールのようだった。

 漫画のはずだ、創作物のはずだと思っても、宇宙ポッド内で転写された知識がそれを真っ向から切って捨てる。

 ──惑星ベジータ生まれのサイヤ人。王の近衛を務めたエリートの血を引きながらも戦闘力が低く、辺境の惑星送りにされた出来損ない。

 

「ナッシュ」

 

 俺に付けられた名前らしい。池の水面で自分を映し、もう一度その名前をつぶやく。

 首をひねった。やっぱりどうも自分の名前である気がしない。

 

「アウル」

 

 枯れた男の声がした。

 俺は振り返り、お帰りと声をかける。

 何度も呼ばれた名だ、養父(おやじ)に付けられた名前だった。やはりどうもこっちに馴染みがある。

 

「魚でもいたか? 」

 

 俺は首を振る、何となく眺めていたと伝えると、養父は肩をすくめた。

 

「飯になるならともかく、ただ水面見つめててもなあ……どっかの偉い先生じゃあるめえし」

 

 呆れ顔でそう言い、次いでニカッと笑みを浮かべる。

 

「喜べ! 今日は大量でな、たっぷり稼いできたぞ。さあメシだメシ!」

 

 そう言い、右手で食料でパンパンになっているらしい大きな麻袋を掲げてみせる。

 体は現金なもので、まるでそれを合図にしたように腹がぐるると猛獣のようなうなりを放った。気分も浮ついてきて、思わず「おっしゃー」と声が出てしまう。こんなにメシが大好きになったのはきっとやっぱりサイヤ人ボディのせいだ。三度のメシが美味いったらない。色々小難しい事を考えてても落ち込んでいても、食べればケロッと忘れるのだから得なもんだ。

 

「おお、てめーはまったくいつもいつもよく食うなあ」

「おやじは飲んでばかりだな」

「そりゃおめー、おりゃ酒が飲みたくてわざわざ酒の神(ソーマ)様の【ファミリア】に入ったんだからよ、毎日飲んで当然だろ? そいでちょっとのツマミに良い女でもいりゃ俺は満足ってもんよ」

 

 めちゃくちゃ俗物な事を言う。何でも酒屋の跡取り息子だった養父は若い頃この迷宮都市(オラリオ)にとんでもなく美味い酒があると聞いて訪れ、それが市場に出回るものでなく、【ファミリア】内で限定的に飲まれているのを知ると、一も二もなく志願し、冒険者となったらしい。

 とはいえ、そのとんでもなく美味い酒、この【ソーマ・ファミリア】に入ったからとはいえ易々と飲めるものでもなく、何かの機会にちょっとしたおこぼれに預かるか、探索で結構な貢献をした団員に褒賞(ほうしょう)として下げ渡されるというものらしい。あまりの美味さに、ソーマを飲みたいがために探索で無茶をしてしまう団員も後を絶たないようだ。

 もちろん、今養父が目の前で煽っている酒はそんな上等なものではない。とはいえ庶民が毎日の楽しみに飲むにしてはかなり値の張る蒸留酒(ブランデー)らしいのだが。

 

 しかし、と思う。本当にドラゴンボールなんだろうか? ドラゴンボール始まるんだろうか?

 あの世界の地球は結構……こう、なんでも有りだったし、こんな場所があってもおかしくないとは思うのだが。

 神様が都市をうろちょろ歩いていて、底の知れないダンジョンがあって、世界はモンスターが一杯。ヒトという種族がヒューマンだの獣人だのエルフだのって色々居るのは、何となくドラゴンボールでも地域によってありそうな気もしなくもないけども。

 地球じゃないのか?

 そんな事も思う。というかそっちの確率の方が高い。頭に焼き付けられたサイヤ人としての知識、そして命令(オーダー)を考えるに、地球と似たような環境の惑星なんだろう。そして、その惑星を売り物にするために送り込まれた先兵であり侵略者(インベーダー)が俺という事らしい。

 むろん、そんな命令に従う気はさらさらない。身のうちに眠る暴力的な衝動──煮えたぎるような闘争心は感じるものの、同時に駄目な人生だったろうと、一度でき上がった人格を下敷きにしているのだ。街の子供との喧嘩はしょっちゅうだったがやりすぎるって事もなく、今のところひどくサイヤ人らしからぬサイヤ人だと言える。きっと悟空より大人しい。

 育ての親にも──恵まれた? のだろうか、少なくとも悪い養父ではない。余った時間に受けた都市外の調査依頼で倒れていた俺を拾ってくれたという。怪我かと思ったら空腹で倒れていたのだそうだ。周囲には破壊されつくされた地形、巨大な足跡が見つかり──新種の巨人型モンスター、その破壊の痕跡だという事になったらしい。俺はおそらく、どこかから連れられてきた被害者、いわば食い残しだろう、という事だった。

 うん。

 その巨人型モンスター、俺だよね。

 状況的に多分、宇宙ポッドからでてすぐ月を見てしまって大猿化、暴れ回ったに違いない。ブルーツ波怖い、まともに月見もできなくなった。

 

 食事を終えると、食器を洗い、踏み台をどかす。多分今五歳くらいだと思うのだけど、とても身長が小さい。家事をやるのも一手間かかる。居間に戻ると、養父が空の酒瓶を抱いていびきをかいていた。

 

「ああもう、仕方ねーおやじだな」

 

 寝台(ベッド)から布団を抱え上げ、養父の体にかける。むごむごと何かを呟き、再びいびきをかき始めた。

 この養父は悪い人ではないのだが、結構な生活無能力者なのだ。

 放っておけば服は買って洗わず汚れが酷くなったら捨て、食事は屋台で全て済まし、掃除もせずネズミやゴキブリと同居生活になるだろう。記憶も曖昧で、物心つくかつかないかって年の俺が「ああこりゃ駄目だ」と思って家事を覚えるくらいには駄目だったのだ。

 しかし、正直、なんで養父が俺を拾ったのか、今でもよくわからない。

 聞けば気まぐれとしか言ってくれないが。

 ──まさか小間使いほしさに子供を?

 いやそれはさすがに無い。三歳児みたいなのがまともに家事できるとか思うわけがない。多分、きっと。信じてるおやじ。

 ふと浮かんだ想像を頭を振って追い出しつつ、俺もまた設えられた寝台に潜り込み、寝る事にした。

 サイヤ人とはいえ、子供は子供、たっぷり食べれば次に来るのは眠気なのだ。

 たっぷりの中綿のある布団に包まれ、とろとろと意識は閉じていった。

 

 □

 

  【ソーマ・ファミリア】の団員は本拠地(ホーム)にはあまり居ない。

 それは神酒(ソーマ)に釣られた団員たちが熱心にダンジョンで稼いでいるという事もあり、貴重な神酒(ソーマ)を保管してある酒蔵に守りを割いているためでもあるが、なにより本拠地(ホーム)そのものがそう広いものではない、多くの団員は無所属(フリー)の一般人と同じように各々で部屋を借りたり、かなり以前に購入されたものらしい、本拠地(ホーム)と酒蔵の丁度間ほどに位置する集合住宅で寝起きをしている。

 何しろ主神が主神だ、ファミリアの運営には興味を示す事もなく、そのためか団員が増えても本拠地(ホーム)の拡張もおざなりで、嘘か真か話によればもう百年ほどちょっとした修繕のみで済ましているらしい。

 集合住宅の方も建築されて何年経ったか判らないほど古い建物だ。もっとも基礎部分は全て石造りなので、木造部分を定期的に取り替えれば半永久的に持つ家なのかもしれないが。

 そんな古い住宅の一室に俺と養父は住んでいた。

 隣の部屋──といっても両隣は空き部屋なので、一部屋おいて隣に三人家族が住んでいた。

 小人族(パルゥム)という種族だ。一般的なヒューマンよりも背が低く、力も低い。その代わり器用ですばしこい、と養父は教えてくれた。

 

「にーちゃ! うま!」

「へいへい」

 

 そしてそんな小人族(パルゥム)のアーデ夫妻、その一人娘が今、俺の背中からよじよじと這い上り、肩にまたがろうとするリリルカだった。

 肩に登ったのを確認して足を押さえて立ち上がる。

 

「たかーい!」

 

 どう考えても普通の肩車なのだが、どうもこれがリリの言う『うま』らしい。視点が高くなるのが楽しいようで、俺の記憶にあるお馬さんごっこという奴をやったら「うまじゃない!」とむくれさせてしまった。

 

「いけー!」

 

 という突撃命令に従い、ドアを開けて外に出る。通りにはいつも通り、通る人の姿は少なく、荷物を積んだ馬車が混雑するメインストリートを避けて通る程度だ。貧民街(スラム)でもあるダイダロス通り、通称迷宮街に隣接していて、お世辞にも治安が良いとは言えない。地価も安いのか周辺に住んでいる人達も一般的な市民からすると、『ガラが悪い』感じらしい。

 ともあれ、既に慣れた俺や生まれたリリにとってみれば当たり前の風景だ。

 近所に住むお婆さんが散歩している隣をリリを担いで挨拶しながら走る。

 

「ごー! ごー!」

「さー! いえっさー!」

 

 遊びの中で教えた言葉を使うリリ。さすがに複雑な意味の言葉までは覚えてくれないものの『GO』が前進や進めなどという意味だって事は早々と理解してしまったらしい。

 リリを担いだまま通りを走り、三段の階段を一飛びに飛び降りる。小さな農園の柵を飛びまたぎ、野鍛冶の看板にリリが当たりそうになるまで近づき、しゃがんで回避させる。

 俺にとっては障害物競走だが、乗っているリリにとってはジェットコースターのようなものだろう。

 最初は散歩するだけだったのが、段々こういう遊びになってきてしまった。リリがまたきゃっきゃと喜ぶので、つい俺もノリにノってしまったのが原因かもしれない。近所の人ももう慣れっこなのだろう、冒険者の子という事で「元気だねえ」程度に思われているようだ。

 最後のカーブを曲がり、膨らんだ分は壁を蹴って減衰、路地の奥にあったのはそこそこに広い敷地と、山積みになっている大量の煉瓦、板材、鉄パイプ、切り出された石だ。

 何か建物が建つ予定だったらしいが、間際にごたごたと面倒臭い事情が起きて、そのまま放置されたらしい。板材などは(さん)積みされているものもあれば立てかけてあるものもあり、野良猫が喜びそうな狭くて雨露をしのげる空間が出来ている。

 もちろん地元の子供もこんな絶好の遊び場を逃すわけもなく、煉瓦を勝手に組み替えて秘密基地を作ったり、互いの秘密基地を攻撃して陣取り合戦めいたものをやっていたりもしていた。

 

「到着だぜっ」

「ついたー!」

 

 俺達が到着すると、先に陣取り、石材の上に腰を下ろしてふんぞりかえる茶髪の子供が腕を組んでこちらを睨む。その頭には尖った大きな耳、少々ボリュームの少ない尾はその眼光とは裏腹に元気よく揺れていた。

 モール・ハーブル。俺の同い年の狼人(ウェアウルフ)だ。我が強くちょっと間が抜けているが、正々堂々を好み、人も良い。子供たちのガキ大将だった。

 

「よく来たなアウル・ノーザンホーク!」

「いやお前が呼んだんじゃん」

 

 俺はそう突っ込みつつしゃがんでリリを下ろす。

 

「にーちゃ、にーちゃ」

「おう?」

「負けちゃ……やー!」

「おうよ!」

 

 幼いながらの激励を受け取った。

 俺はリリの頭を一つ撫で、ちょっと離れて見ててな、と言う。

 うんと頷き大人しく離れて行くリリを見届け、モールに向かい合う。

 やっと喋って良いのかとアイコンタクト、良いと頷くとモールも頷き言葉を続ける。

 

「いよいよお前とのしゆうを決する時がきたっ! 俺は今までの俺と違うぞ!」

 

 どこかの劇か本で覚えたような台詞を、ドンという効果音が浮かんできそうな顔で喋る。

 周囲の子供が意味が分からず、しゆうって何だ? と小声で喋っていた。

 

「おおお! 何が違うんだ!?」

「ファハハ! 聞いておどろけ、俺はダンジョンにいってきたぞ、コボルトを二体も倒してきた!」

「すげーな、モール! 怖くなかったか?」

 

 本当に驚きから疑問を投げかけると、モールは沈黙した。たっぷり十秒は黙り込み「怖くなんてなかった」と言う。

 周囲の子供達は訳知り顔でうんうんと頷く。俺もまた頷き、頑張ったなと声をかけた。

 

「う……あり──う、う、うるせえ!【ステイタス】を更新してもらった俺は今までの俺とは違うぜ!!」

 

 そう言い構えるモール。

 言葉の通り、モールは神の恩恵(ファルナ)を幼少にありながら受けた子だった。

 ファミリア内での結婚、出産はままある事らしい。眷属(ファミリア)内に出来た子供は同じく眷属と見なす。そういう暗黙の掟じみたものがオラリオにはあった。リリもそうであり、きっとモールもそうなのだろう。

 喧嘩友達というのがいるとしたらこういうのを指すのかもしれない。

 俺の中身はともかく、体は極めつけだ、戦闘民族半端ない。馬鹿げた身体能力ゆえに養父も、どこかのファミリアの中で生まれた子なんじゃないかと言っていたくらいだ。一応親も探してくれたらしいが、少なくともオラリオにはいないと言っていた。それは……当然なのだがちょっと後ろめたくもなった思い出だ。

 そしてこの近場ではモールだけが俺に対抗でき、張り合って見せた。

 逆に言えば神の恩恵(ファルナ)持ちのモールも、自分の相手になる同年代が居なかったのだろう。

 この遊び場の大将だったモールは初めて見た時、ふんぞりかえってるくせにどこかつまらなさそうでいじけて見えたのだ。

 

「おっしゃ、こい!」

「おおッ!」

 

 だんッ、とモールは立っていた石材を蹴り、一跳び、二跳び、跳ねるように石材の山を駆け下りた。

 狼人(ウェアウルフ)の得意とする戦い方はサイヤ人とも通じる。強く、速い。元より強い身体能力が神の恩恵(ファルナ)の強化で、五体そのものが凶器と化す。

 最初の交差で掌底がひねりを加え、放たれる。狙いは肩、これまでの喧嘩で真っ正直な頭や首狙いは当たらないと判っている。動きの限定された所を狙ってきた。

 躱せない、いや、躱さない。

 体を落とし、逆に肩からぶつかる。

 がつんという衝撃──が少ない!?

 不思議に思う間もなく、すり抜けるように側面に回ったモールの唇がにやりと笑った気がした。

 脇腹に衝撃。体が浮かされる。

 見えたのは膝だ、掌底は最初からフェイクだった。

 十分に重さとスピードが乗った膝を受け、体が後ろに一回転した。地面に手を付き、さらに一回転、そこでようやく足から着地する。

 脇腹がジンジンする。おう……けっこう痛い。

 

「おお、やるなあ、モール。そんなのいつ覚えたんだよ」

「……母ちゃんにならった……つか、覚えさせられたというか」

 

 いかん、トラウマスイッチだったらしい。モールの目からハイライトが消えたような気がする。尻尾も元気なく垂れ下がった。

 モールは頭をぶんぶん振ると、まだこんなもんじゃない、と姿勢を低く取る。

 土煙を残し、こちらに迫る。

 極端に低い姿勢のままの走法、『敏捷』アビリティのおかげだろう、通常では不可能な事もなんなくこなす。

 なるほど、と思った。自分の目線より低い位置にあると、距離感がずれる。もしかしたら体格の良いモンスター相手にもこういう体さばきは有効なのかもしれない。気づけば間合いを詰められている感じと言えば良いのだろうか。

 でもなあ、とタイミングを合わせてただ真上に跳ぶ。

 

「え゛う!?」

 

 空振りに終わった左フック、それを眼下に眺め、俺は重力に任せて落ちた。

 

「っげふ!」

 

 無防備なモールの背中に着地。

 モールは姿勢を維持できず、そのまま潰される。

 

「いやー、それ真っ正面からやる技じゃないだろ多分」

「んぐおぉ……ちくしょう」

 

 モールの背中に乗っかり、言った。

 いくら距離感が掴みにくかろうと真っ正面から来れば、別に何と言うこともないのだった。おそらく、誰かと連携して戦う時こそ最大限に効果があり、次点で気づいてない相手に奇襲をかける時くらいだろうか。

 

「いつまで乗ってんじゃ……ねえっ!」

「んぉ!?」

 

 モールは腕立て伏せのような形で全身を跳ねさせ、俺をはねのける。向き直り、あったまって来たぜと笑った。

 釣られるようにこちらも笑い、腕をぐるぐる回す。

 

「よーっしゃ、次は俺から行くぜー!」

「いつでもこいよッ」

 

 構えたモールに向かい、俺は馬鹿正直に正面から走る。

 一歩、二歩、三歩、一足ごとに増す速度。

 そして正面から、遠い間合いで、全力の張り手を唐竹割のごとく、大上段から放った。

 モールの驚く顔が見える、もちろん間合いが遠すぎる、当たるわけがない。

 でも良い。その勢いのまま、左手も右手を追い、前転の要領で体を丸める。

 伸ばした左足の踵がガードの姿勢をとったモールの腕に衝撃を与える。

 縦回転の胴回し蹴り、とでも言うんだろうか。

 回転は止まってしまったが追撃はこない。残った右足も使い、さらに一撃を加えると、その反動で跳躍、後方に回転して距離を取る。

 

「っいっっでえええええ!!」

 

 ガードした両手をわなわなさせながら叫んだ。

 

「なんて威力だちきしょー! ばか力が!」

「にっひひ、力だけじゃねーもんね」

「くそ、フェイントか、真似っこしやがって」

「おうさ、さっきの歩法ってか技も真似させて貰うぜー」

「やれるもんならやってみろ!」

 

 そんなじゃれ合いじみた喧嘩を続ける事しばし。

 体力の限界か、立ち上がれないモールを後ろに、俺は勝利の拳を突き上げていた。

 

「今日も勝ち越しだぜモール! これで俺の35勝3敗だな」

「あ゛~くそう、勝てなかったー」

 

 終わったと言うのを感じたのか、リリがとてとてと駆け寄ってきた。

 

「にいちゃ、だいじょぶ?」

「おう、へーきへーき、リリのおかげで勝ったぜー!」

 

 そう言って抱き上げ、高い高いの要領で抱え上げた。

 

「よう」

 

 モールが声を上げる。そこに込められた複雑な感情に俺は思わず息を飲んだ。

 

「俺な、ちょっとしたらオラリオを出るたいだ」

「モール? そりゃどうしたんだ?」

「知らねえ、判んねえよ。でも親父も母ちゃんもそう言うんだ。神さまと一緒に行くんだって」

 

 細かい事情は知らされていないらしい。

 何かがあったんだろう。神同士のいさかいか、団員同士のいさかいか。二年前にゼウス、ヘラという二大【ファミリア】がオラリオを去ってしまい、その影響は未だに都市を揺さぶっているらしい。

 といっても、子供の耳に聞こえてくる情報なんて場末のうわさ話か団員達の会話から漏れ聞こえるものでしかないが。逆にいえば子供の耳にも入ってくるくらい、この都市は今不安定なのかもしれない。

 

「最後ぐらい勝ちたかったんだけどなあ」

 

 そんな事を言うモールを夕日が照らす。その顔はどこか大人びて見えた。

 俺はおさまりの悪い髪を掻いた。

 そろそろ帰らないとどやされる時間だ。それに何も言わないでこのまま、というわけにもいかない。

 ただ、どうも上手い言葉ってのが出てこない。良い旅を(ボン・ボヤージュ)……って、どこからそんな言葉が出てきたのか謎過ぎるぞ俺の頭。

 

「モール」

 

 色々考えたけど、結局単純な言葉しか浮かばなかった。面倒臭い事はどうにも無理だ。

 だから言う。

 

()()()

 

 モールは一瞬目を丸くし、次いで頷いた。

 手を振り言う。

 

「ああ、またな!」

 

 再会はいつになるか、再会できるかもわからない。

 それでも言う。また会おうと。

 俺と同じく初耳だったらしい、空き地の皆がモールに何かと声をかけている。その様子を視界の片隅に入れ、俺は手を一つ振ってその場を離れた。リリもまた真似をするように手を振っていた。それ自体が楽しくなってきたのか、いつまでも。


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