ロンはマルフォイ邸の大きな門を前にして大きなため息をついた。
こんなに金持ちじゃ性格も歪むよな。
高い柵の向こうには庭園が広がっていて、奥にある邸は霞んで見えた。
人攫いに引っ張られながらロンはハリーたちと離れたことを後悔していた。
しかし後悔と同時に逃げられたという安堵も存在し複雑だった。
人攫いはロンを雑に大広間に蹴り出した。
靴を音を響かせてやってきたのは厚ぼったいまぶたに血色の悪い唇をした魔女。ベラトリックスだった。
最悪だ…。
ベラトリックスはロンを見るとにんまり笑った。
「あんたの顔は見覚えがあるねぇ、ウィーズリー。お友達とはぐれちまったのかい」
「…僕が逃げたんだ」
「血を裏切るものは友達まで裏切っちゃうの?」
ベラトリックス耳障りな声で高笑いする。ロンは悔しさで顔が真っ赤になるが自分があの二人から逃げたのは本当だった。何も言い訳しようがない。
しかしロンの荷物を持った人攫いを見て、ベラトリックスはさっと青ざめた。
「なぜ剣がそこにある?!」
「へえ、こいつの持ち物でさ。駄賃代わりに頂きますよ」
グリフィンドールの剣をニヤニヤ笑いながら弄る人攫いに一瞬で足縛りの呪いをかけ、ベラトリックスは剣を取り上げた。
「これは金庫にあったはずだ!お前、どうやって盗んだ?!」
「ち、違う!贋作だよ…!金になると思って作ったんだよ!」
ベラトリックスは激昂してロンに掴みかかった。その声を聞いてやってきたらしいマルフォイ夫人がロンの顔を見て狼狽しながらベラトリックスに提案する。
「地下牢にゴブリンがいるわ。ねえ、落ち着いて…そいつに真偽を見てもらいましょう?」
「ああ、そうだ…そうだったねシシー」
ベラトリックスは振り乱した髪を整え深呼吸した。
「ルシウスを呼んできな。もしこれが本物だったら…」
想像するのも恐ろしいと言いたげにベラトリックスは黙った。マルフォイ夫人は慌てて階段を登って行き、ベラトリックスはピーターを呼びつけてゴブリンを連れて来させた。
ゴブリンは同じ魔法界に属し、グリンゴッツを運営してはいるが明確にヴォルデモートとダンブルドアどちらかの味方をしたことはない。
ゴブリン個人の考えによるのだろうが、魔法族とは根本的価値観は異なる。
この剣を偽物だと言ってくれ、と連れてこられたゴブリンの瞳に訴えかけた。
奇跡的に祈りは通じたらしい。ゴブリンはその剣の刃をじっくり眺めた後に贋作だと断言した。
ベラトリックスは納得がいってない様子だった。
「ハリー・ポッターはどこにいる?」
「わからないよ。はぐれてだいぶ経ったから」
「本当のことを言え!」
「本当だよ!僕もうハリーたちについていけないって逃げたんだ…」
ベラトリックスは嘲るように唾を吐くと、腹いせにロンの腹を殴った。
「臆病者が。…いいさ。お前はしばらく地下牢にいるがいい」
ベラトリックスはゴブリンを残してロンを地下牢へ閉じ込めてしまった。
「ロン?」
地下牢の暗闇から夢見がちな声がした。
「誰?」
「あたしだよ。ルーナ。久しぶりだね。逞しくなったみたい」
埃と泥で薄汚れたルーナがひょこっと顔を出した。後ろには同じく汚れてよれよれした老人、杖作りのオリバンダーがいた。
「ルーナ、なんでこんなところに?学校はどうしたの?」
「パパが死喰い人を怒らせちゃったんだ。学校はもう安全じゃないもん…ここの方がむしろいいかも」
「そんなわけないだろう…」
「ハリーは?」
やはりみんな同じことを聞く。当然ではあるが今のロンには答えにくい質問だった。
「僕はハリーたちと別れたんだ」
「ハリー・ポッター…彼は無事なのかい?」
「無事…っていうか……」
ますます答えにくかった。口ごもるロンを見てオリバンダーは勘違いしたらしく辛そうな表情で目を伏せた。
「例のあの人はおそらくニワトコの杖を手に入れるだろう。…もう彼を止められない」
「あー…」
ロンはハリーの筋肉を不気味がってはいるし怖がってはいたが、信じていた。
ニワトコの杖を持っていようと、ヴォルデモートに一発当てれば勝てそうだという見込みはある。
「まだなんとかなる…と思います。うーん」
しかしハリーはまだ死喰い人と戦ったことがない。本当に筋肉で呪文をはねかえせるんだろうか。
今ここにいないハリーを思っても無駄かもしれないがロンはここにハリーがいればと強く後悔した。
「あのゴブリンは誰?」
「彼はグリップフックだ」
オリバンダーの言葉の後に、上から悲鳴が聞こえた。
「大丈夫かな…どうしよっか、ロン。杖は?」
「取り上げられた。拷問でも受けてるのか?」
「何故拷問を?」
「グリフィンドールの剣を僕が持ってたから、ベラトリックスが怒り狂ってるんだ」
「ゴブリンは人とは価値観が違う…」
どちらの味方でもないグリップフックには拷問にかけられてまでグリフィンドールの剣が偽物だと主張する理由はないはずだ。もし本物だとバレたら次はきっとロンの番だ。
案の定すぐにロンが呼ばれた。
「この、剣をッ…どこで手に入れた!」
ベラトリックスは般若のごとく怒り、ロンの首元に杖ではなくナイフを突きつけた。
「これは主から預かったんだ!もし持ち出されたことが知れたら…ッお前の首の皮を剥いで飾ってやる!お言い!どう手に入れたんだ!」
鋭いナイフの切っ先が食い込み、白い首に一筋血が滴った。
「わからないよ!本当にとってない!川の底にあったんだ!」
ベラトリックスにはもう何を言っても通じなかった。
血が流れたところだけがいやに暖かかった。ナイフの当たってる場所は燃えるように痛む。
筋肉があればナイフなんて怖くないんだろうか?
ナギニの牙を粉砕したハリーの腕を思い出した。
ベラトリックスがナイフを引こうと腕に力を込めた瞬間、ロンは死を覚悟した。
しかし、それとほとんど同時にシャンデリアが崩壊しロンとベラトリックスの真上に落ちてきた。
流れ星が落ちてきたのかと思った。
ガラスと宝石が砕け散り星屑のように輝く中、大岩のような巨体が瓦礫と埃の中ゆらりと動いた。
「僕の友達に手を出すな」
それは殺気に満ちたハリーだった。唖然としているベラトリックスの顔が見えた。
「ロン!」
ハリーの背中に乗っていたらしいハーマイオニーが杖を投げよこした。
「私の魔法を解いて!」
ハリーの筋肉に慣れている分、ロンが有利だった。ハーマイオニーの魔法を解くために杖を振り上げるとほとんど同時にベラトリックスが我を取り戻しハリーへ呪文を放った。
「クルーシオ!」
禁じられた呪文だった。ロンとハーマイオニーを庇うためにハリーは回避できず、もやっとした光の球にあたり、くぐもった唸り声をあげた。
形容しがたい苦しみそのものが身体中を駆け巡るようだった。
しかし
「筋肉痛よりなまっちょろいぞ!!」
ハリーは自分を一括し、無理やり筋肉を駆動させてめちゃくちゃに腕を振った。
痛みと苦しみは変わらずあった。しかしそういった感覚や感情と乖離したところで筋肉は己のために動くのだ。
ロンがハーマイオニーの呪文を解くと、ベラトリックスは身を翻して二人から距離を取ろうとした。
このまま突っ込んでも、負ける。
ベラトリックスの直感は正しいもので、その判断は長年の経験がなせる技だった。
ハリーの動きは磔の呪いでかなり抑えられた。しかし別の獣が解き放たれたのだ。
「ベラトリックス、なにを…!」
やっと駆けつけたルシウス・マルフォイが大穴の開いた天井を見て息を飲んだ。
「いったい…これは…?」
そして杖を取り上げられ心身ともに弱り切ったその貧弱な体を、ハリーのめちゃくちゃに振り回した腕が容赦なく刈り取った。
風圧がルシウスの軽い体を吹っ飛ばし、ナルシッサが庇う余地もなく壁に打ち付ける。
そしてナルシッサが姉、ベラトリックスの安否を確かめるために顔を向けた時。すでにベラトリックスは吹っ飛んでいた。
折れた歯が弾丸のようにナルシッサの頬をかすめた。そしてやっと肉の砕ける音がして、拳を振り抜いたハーマイオニー(と言う名の筋肉の塊)が先ほどまでベラトリックスがいたところに立っているのを確認した。
「やっと…安心できたわ」
ハーマイオニーのスピードはついに音を置き去りにした。
ナルシッサは二人が一瞬で戦闘不能にされたのを見て、思わず杖を取り落とした。
それを確認した二人は無言で床に拳を振り下ろし、中に閉じ込められた人質三人をすくい上げた。
「わー。ハリーとハーマイオニーおっきくなってるね」
ルーナは流石だった。
「君がこんなところにいるなんて」
「ハリーこそよく来たね」
「ロン、無事でよかった」
ハーマイオニーがぎゅっとロンを抱きしめた。ロンのあばらが悲鳴をあげた。
「君たち…どうして?」
「親友じゃないか」
「そうよ。…ロンのばか」
ロンは思わず顔がほころび、なみだがあふれるのを止められなかった。
筋肉ダルマになっても、まだハリーたちは人の心を持っていたんだ。
助けに来てくれないと諦めかけた自分が恥ずかしかった。
「き、きみたち。それより早く脱出だ」
グリップフックが命からがらといった様子でグリフィンドールの剣を拾い上げ、オリバンダーがそれを支えた。
「手を合わせて。姿くらましだ」
「行き先は、貝殻の家だ。そこなら安心だ」
こうして六人はマルフォイ邸から見事に脱出した。
「な、なんだこれ…!」
突如半壊した自宅を前にしてドラコは崩れ落ちた。
瓦礫の中からボロボロのベラトリックスと父を支える母を見て、慌ててかけよった。
「いったい何が…?爆発でも起きたの?」
「ハリー・ポッターだ…ハリー・ポッターがきた…」
うわごとのようにハリー・ポッターという名を繰り返すベラトリックスにドラコは困惑する。
ハリー・ポッターにベラトリックスがこんなボロボロにされる?
確かにハリーは強いがベラトリックスだってその倍くらい強いはずだ。それが半殺しに?
「ドラコ…筋肉………化け物……鍛えるんだ……」
ドラコは仕方なくフクロウで応援を呼び、ベラトリックスの歯を拾い集めた。
そのうわごとの意味はよくわからなかったが、とにかくハリーがものすごく強くなったということだけが分かった。
「無事で何よりだわ。グリップフックが傷つけられたのを見てハリーが飛び出した時はどうなるかと思った」
「ごめんよハーマイオニー。黙って見てられなくて」
「…どこから見てたんだい?」
「屋敷の外に生えてた一番高い木の上だよ」
一キロ近く広がる庭と窓の少ない壁を越えて見えるのか?という問いをロンは飲み込んだ。
「君たちがいなきゃ死んでた。あの時はついていけないなんて言ってごめん。助けに来てくれてありがとう」
「当たり前じゃないか…」
「私達こそごめんね、ロン」
ハーマイオニーがぎゅっと手を握った。関節が折れそうな音を立てた。
しかしロンは腹をくくった。
危険を承知で駆けつけ、二人を庇うために禁じられた呪文を受けたハリーを見て決めたのだ。
「君たちが許してくれるなら、また僕を連れて行ってくれないか?力になりたいんだ」
この二人は、筋肉のおかげで基本的に強い。
しかし禁じられた呪文は効くのだ。
このままパワープレイを続けてしまったら…きっと二人はふとした瞬間に死んでしまう。
たとえどんなに脳筋になっても六年以上付き合ってきた二人を失いたくない。
ロンは決意した。
ハリーとハーマイオニーは笑顔でロンを抱きしめた。三人抱き合いながら笑いあった。
「明日から早速作戦会議だね!ロン!」
「もちのロンさ」