空は暗雲に閉ざされ、廃墟と化した街には人影一つ無い。それはまるで世界の終焉を想起させる。
突如として迷い込んだ夢とも現実ともつかない世界に、私は一言も発することが出来ずにいた。
どれ程歩いただろう。崩れ落ちた街はいくら進もうとも終りが見えない。残骸は
手遅れだったのだ。迫りくる破滅に打つ手など無く、人類は滅び去ってしまった。
ビルの残骸の間を巨大な破滅の影達が闊歩する。ここは、既に彼らの世界なのだ。
何度、その足を止めようと思っただろうか。その度に、後一つ瓦礫の山を越えれば、違う世界が視えるはずだと、何度も自分は奮い立たせ、ここまで来た。
しかし、それも、もう終わりだ。疲れ果てた身体に残された力はない。もう歩みを止めてしまおう。そう思った。
だが、せめて、立ち止まる前に、この一山を越えよう。例え、その先に希望が無くとも、未来を見ず、立ち止まるわけにはいかない。
埋もれた瓦礫の頂点に到達した時、空に閃光が走った。真夏の太陽よりも強烈な光、でも、眼を背けるわけにはいかない。それが、私の待ち望んでいたものなのだから。
空はいつの間にか青空を取り戻していた。相変わらず広がる廃墟の世界。しかし、そこに世界を閉ざしていた破滅の影はない。
見上げた空に、光が二つあった。一つは煮えたぎるマグマよりも赤く、一つは深き海の底よりも青く、その輝きを湛えていた。
私には只々光を見上げることしか出来なかった。そんな私をよそにやがて光は収束し、巨大な人の姿を模していく。
眼前に在る巨大な背に、ある種の安心感が湧き上がる。先程まで心にあった不安は最早ない。
「あなた達は……」
ようやく絞りだすことの出来た言葉。その言葉が届いたのか、二人の巨人は振り返り、私を真っ直ぐに見つめ、――たった一度だけ、頷いた。
人影の気配のしない街にセミの声とヘリコプターのローター音が響く。その日も変わらず、真夏の日差しが照りつけ、揺らめく陽炎と焼けたアスファルトの匂いが視覚と嗅覚から熱気を伝えてくる。そんな今にも窒息しそうな真夏の空気の中、廃墟の影で、シオンは目覚めた。
(夢、か……)
たった数時間前まで、シオンは協力者の遠野志貴と真祖・アルクェイドとともに人々の恐怖を具現化する現象、死徒二十七祖・ワラキアの夜と死闘を繰り広げていた。その戦いの後、協力者たちと別れ、拠点としていた廃墟に戻った途端、どうやら眠りについてしまったらしい。
「さて」
頭に残った眠気を振り払うようにシオンは背筋を伸ばす。
三年前、ワラキアの夜を追い、そして己の身の吸血鬼化を治療する為に、シオンはアトラス院を飛び出した。その目的の達成のために、自らの研究成果の流出も辞さないほどの決意であった。だが、この行為は、成果の秘匿を是とするアトラス院の方針に背くものであり、当然の如く、危険視され、アトラス院や要請を受けた聖堂教会から追われる身となってしまった。
そうやって討伐のため、逃亡のための旅を続ける間に、世界はその様相を一変させてしまった。変わってしまった世界を見て、アトラス院に戻ろうかと幾度となく迷うこともあったが、シオンは当初の目的であるワラキアの夜討伐を優先した。結果として、ワラキア討伐には成功したものの、世界を取り巻く状況は刻一刻と悪化している。
一体、自分が今の世界に対して、何が出来るのか。シオンはその答えが知りたかった。
つい先日まで、殺人鬼の噂に怯えていた街に、新たな事件が起きた。
建設途中だった高層ビル・シュラインの最上階付近が昨夜、突如として崩壊したのだ。
最上階が部分的に崩れ落ち、立入禁止の札が下げられたビルの前には、事態を聞きつけたマスコミと、見物に集まった野次馬たちの群れが形成されていた。
上空をホバリングするヘリコプターもこの事件を撮影しに来たのだろう。
野次馬たちも、ある者は崩落した部分に、またある者は規制線の内側へ携帯電話やカメラを向けている。
そんな野次馬の群れから一歩引いた木陰で制服姿の眼鏡をかけた少女が、カレーパンを片手に怪訝そうな顔でビル周辺の様子を伺っていた。
「通信、記録媒体、科学技術の発達は目を瞠るものがありますね」
事件の真相を知る者の一人である埋葬機関の代行者・シエルは忌々しそうに呟いた。
異端を狩ることが埋葬機関の任務の大部分を占めるが、己や異端たちの存在を公にしないよう、戦闘の痕跡や情報を隠蔽することもシエルの任務の一つだ。無論 昨夜のシュラインで起きた戦闘も例外ではない。
――この街も危ないのか。
――これは、破滅の前触れなんだろうか。
シエルの耳に届く野次馬たちの会話はどれもそんな不安を綴っていた。
「勝手に推測して、勝手に結論を出してくれるのなら、こちらとしても仕事がやりやすいのですけれどね。それに……」
シエルの見上げた先、抜けるような青空には、ホバリングするかのように静止する飛行機の影、そして、地上の規制線の内側では灰色を基調とした制服の青年が携帯端末を片手に、汗を流しながら右往左往していた。
「彼らが隠れ蓑になってくれるだろうから、その点は助かりますが」
古風なSFに倣えば、地球防衛軍とでも呼ぶのが適切なのだろうか。G.U.A.R.D.と名乗る彼らは、高性能コンピューターで予測した破滅に対抗すべく秘密裏にその戦力を蓄えていた。そして半年前の事変で滅びの襲来に対し、表舞台に姿を現した彼らは、人類への脅威に対抗すべく、世界各地で頻発する様々な怪奇事件の捜査を開始した。
無論、そこには今回のように、吸血鬼や魔術師の関わる事件も少なからず含まれていた。実際に、表舞台に姿を現す前から、活動していたようで、一年前、三咲町で起きた事件の際には、そのような手合を幾度か見かけたこともある。だが、突出した科学力を有する彼らでも神秘体系には未だ手が届いていないのか、魔術等の神秘が関わるケースを解決出来ている様子はない。
「こうなってしまっては事件の隠蔽はほぼ不可能、ならば後処理は彼らに任せるとして、後は」
昨夜の戦いの顛末を知らなければならない。昨夜、シエルはタタリとして出現した混沌との戦いを強いられ、シュラインにたどり着けなかった。教会から正式にワラキアの夜討伐の指令が下っていた以上、足止めされて決戦に参加はおろか、立ち会うことすら出来なかった、では何を言われるかわかったものではない。
昨夜のシュラインにいたであろう人物の見当は付いているが、その内の一人は連日の深夜外出を家人に咎められ、ほぼ軟禁状態。シエルがノコノコ出向いたところで面会などさせてもらえそうもない。
もう一人は、端から除外。その人物に頼るくらいならば、ありのままを報告するだろう。そうなると、残りは一人なのだが……。
「おや」
そんなことを考えていると、公園の方から紫髪の少女がこちらへ歩いてくるのにシエルは気がついた。シエルが軽く手を振ると、相手もシエルに気がついたようで、そそくさとその場から逃げ去ろうと踵を返す。
「別に逃げなくてもいいじゃないですか。今日は一応オフ同然ですから、危害は加えませんよ」
その言葉に歩みを止めた少女が恐る恐る振り返り、シエルの顔を伺う。
「丁度良かった、シオン・エルトナム・アトラシア。あなたと話がしたかった。聞きたいことが沢山あるので」
シオンはズルズルと引きずられるように、中心街の複合ビルへと連れられていった。押し込まれたエレベーターを抜けると、エスニックな雰囲気の内装とブレンドされた香辛料の香りが頭に飛び込んでくる。ここから導き出される結論は一つ。
「カレー屋、ですか?」
「はい!」
満面の笑みでシエルは、シオンの手を引いた。
結果として、昼間のカレー屋・メシアンでの二人の会話は他愛のないものだった。行動を共にした遠野志貴の話、アルクェイド・ブリュンスタッドへの雑言。シエルが二杯目のカレーを食べ終えた時点でメシアンを後にし、日が傾くまで何を買うでもなく、ごく一般的な少女のようにウィンドウショッピングで時間を潰していた。
淡い灯とアンティーク調の家具で統一された店内は、時代を錯覚さえ起こさせる。ここは喫茶店・アーネンエルベ。日も沈み始め、辺りは夕闇に包まれようとしていた。
「さて、人払いは済ませてありますし。……本題に入りましょうか」
「いいでしょう」
「まあ、予想はついているのでしょうけれど、随分と素直なんですね。もっと、こう、嫌がられるかと思っていましたが」
「昼間のあれやこれやは、私の警戒心を解くためでしょう?それに、あなたの人となりは志貴から聞いていますから」
シエルは当初の予定通り本題、つまり昨晩の戦いの仔細についてを切り出した。教会側でも確認されていたタタリの発生、そしてその終息について、討伐指令の下された代行者が決戦の地に立ち会うことすら出来なかったでは格好がつかない、口には出していないがシオンはそのことを察していた。シエルには、アトラス院からの追撃要請を見逃してもらった恩もあるため、全てを話すわけにはいかないが、シオンは昨晩の戦いをシエルに語った。――真祖を模したタタリとの激闘、空想具現化により創り出された契約の終わりを告げる紅い月、そして、引き戻されたズェピアとの最後の戦い。
伝えなかったことがあるとすれば、それは、ズェピアの想いくらいだろう。今となってはただの感傷に過ぎない考察を語ったところで代行者には関係がない。
「協力、ありがとうございます」
話が終わった頃に、シエルが人払いの暗示を解いたのか、注文していたストロベリーパイとブルーベリーパイがテーブルに運ばれてきた。
「ここのパイはどれも絶品なんですよ」
どうぞ、とシエルが切り分けた二種類のパイを取り皿に乗せ、シオンに差し出した。真っ白な取り皿は、扇状に切り取られた鮮やかな赤と深い濃紺に彩られている。
(――赤と青、か)
皿の上のコントラストに、ふと今朝見た夢の巨人達がシオンの頭を過ぎる。
半年前、人類に破滅を招く存在がこの星に現れた時、未知なる脅威に対して、人類の兵器は通用せず、人々は星が蹂躙され尽くすのを只々呆然と見上げることしかできなかった。
だが、この星に出現した者は破滅だけではなかったのだ。光と共に現れ、破滅を討ち払う。それこそがシオンが夢に見たあの巨人達だった。
「どうかしましたか?」
「私も、一つ、聞きたいことがあります。……代行者、あなたは今、世界が置かれている状況をどう思いますか」
「それは、我々の見解を聞きたい、ということでしょうか?」
鋭い目つきになったシエルを見て、シオンは慌てて否定する。実際、聖堂教会の見解が気にならないわけではない。だが、これはただのシオン一個人の問題なのだ。組織を巻き込んで諍いをおこしても仕方がない。
「そんな大層な話ではないですよ!ただ、あなた個人がどう思っているのか、私はそれを知りたいだけなので」
「私の、ですか?」
「……そうですね、いつ世界が滅びてもおかしくない、それこそ明日にでも。そんな状況を怖くない、といえば嘘になりますね。それに、破滅をもたらす者達が、何者で、何故この星を狙っているのか。そんな根本がわからないことに恐怖を覚える人も多いのではないでしょうか?」
ストロベリーパイの一片をフォークで小突きながらシエルは続ける。
「そういう意味では、あの巨人だって同じですよ。人類の守護者と持て囃されていますが、彼らが何者で、本当の目的が何かを知っている者はいないでしょう?」
確かに、シエルの言うとおりだ。巨人は結果として破滅と呼ばれる存在と戦い、人類に対する脅威を排除している。しかし、その正体や目的を知る者はいない。戦いの最前線にいるG.U.A.R.D.ですらその答えを持ち合わせてはいないだろう。
「我々人類も抗う術を持ち合わせているというけれど、最終的には正体不明の大きな力に委ねざるを得ないことばかりじゃないですか。……結局のところ、破滅にしろ、巨人にしろ、正体不明の者達が人類の未来を握っている。随分とアンバランスな世界に成ってしまったと思いますよ」
「そういう、あなたはどうお考えなんですか?こんな事を聞くということは、何かしら思うところがあるのでしょう?」
「……私は、私に何かやるべきことがあるのならば、直ぐにでも行動を起こしたい」
シオンの口からなかなか言葉が出てこない。
「……でも、今の私はその答えを持ち合わせていない」
バツが悪いのか、シエルと、そして皿の上のパイから眼をそむけるように、シオンは腕を枕に蹲ってしまった。
「準備をしてきたはずだった。ずっと、ずっと。それでも、滅びは訪れてしまった」
人類を滅びから救うために、堕ちた祖先の泣き笑いが頭に浮かぶ。彼は、今の世界を見て、一体何を思ったのか。それを知るすべはない。
「だから、答えを探すためにも、私は、――に会いたい」
それが新たに決意した旅の、本当の目的だった。
この半年の間、どれ程巨人との遭遇を待ち望んでいただろう。それ故に今朝の邂逅の夢に対しての、虚しさは途方も無いほど大きい。
実際に会えたところで、何が出来るというのか。彼らと意思の疎通が取れるかも解らない。それに、自身の抱える問題に答えが出るとは限らないのだが、それでも、シオンは彼らに会いたかった。人類を守り、戦う巨人達に。
「会えるといいですね」
「え?」
シエルから出た意外な言葉にシオンは顔を上げた。否定されると思っていた。寧ろ否定された方が楽になるとも思っていた。
「さっき言った通り、私はあの巨人達には懐疑的ですよ。でも、それは貴方の望みを否定する理由にはならない。……もしかしたら、貴方が巨人に出会えたことで解る、何かがあるかもしれないですしね」
「――はい」
「そうだ。あなたなら“彼ら”に、混ざれるんじゃないですか。計算はお得意でしょう?それにほら、丁度よく錬金術師ですし。その方が、あの巨人のデータも手に入りやすいんじゃないですか?」
二十年程前を境に、突発的に世界中で誕生した天才児達。成長する過程の中で、彼らは、独自のネットワークで繋がりを持ち、一つの集団を形成した。
――アルケミースターズ。それが、シエルの言う“彼ら”だ。
古来より続く錬金術師を差し置いて、「錬金術の花形」と名乗る彼らに、少しばかりの反発心はあるにはあるが、嫌っているわけではない。実際、人より並外れた思考力、計算力を持ち、破滅に対抗しようとする彼らと私達は何処か似ているとすら思える。
だが、同じ道を歩むようで、彼らと道が交わることは、決してない。いや、交わってはいけないのだ。
「茶化さないでください。そんなことをして、どういう事態になるか、あなたが一番ご存知でしょう?」
「ああ、もうそんな怖い顔して。冗談ですって!わかっていますよ。そんなことしたら、今以上にあちこちから追われるのは目に見えていますからね」
両手を振りながら否定するシエル。まったく、冗談だとしても、言っていいことと悪いことがある。
「おっと、もうこんな時間ですか。さて、ちょっと散歩のお付き合い、よろしいでしょうか?」
「すみませんね、見回りまで付き合わせてしまって」
一年前、無限転生者・ロアがこの街に残した傷跡は大きく、未だに屍者が街には潜んでいた。街に残る屍者を完全に消し去るまで、夜の見回りはシエルの日課となっている。そんな街の見回りを終え、二人はシオンが隠れ家にしていた廃墟に来ていた。
「私は、もうしばらく日本に滞在します。こんなこと、いつか敵になるかもしれないあなたに教えるのはおかしな話ですが」
「ご自由に、再会しないことを祈りますよ」
この街で過ごした時間は確かに短い。だが、その短い時間の中で得たもの、友という存在、共に過ごした思い出は、限りなく大きい。この街を離れたとしても、思いは変わることがない。かつて、アトラス院にいた独りの自分とはもう違うのだ。
そんな思いを胸に、街に、共に戦った者たちに別れを告げ、シオンは踵を返した。
――その時、誰かの、嘲笑う声が聞こえた。
シエルとシオンに背筋を這いずるような、悪寒が走る。瞬間的に、二人は同じ方向に向き直った。
窓の外、丁度シュラインのある方角に、天に届かんばかりの紫色の光柱が立ち上がっている。
輝きを増す光の柱の中で蠢く黒い影。そのシルエットから連想されるものはまさしく、――破滅。
「まさか、怪獣……!?」
眠りにつこうとする夜の街に異常を知らせるサイレンが鳴り響く。逃げ惑う人々の足音と悲鳴、おおよそ、一般人の考える日常からはかけ離れた世界を知る者から見ても、それは非日常、フィクションではないかと錯覚させる光景だった。
段々と内部に轟く影はその存在を色濃く、はっきりとさせていく。怪獣が姿を露わにするのも時間の問題だろう。
「私達も、離れた方がいい」
脅威から、廃ビルまでは十分に距離がある。とは言えそれは、人間視点からの距離だ。あの巨体が暴れだしたとすれば、ここも無事では済まないだろう。
だが、その呼びかけを無視するかのように、シオンは駆け出した。
向かった先は屋上。周囲のビルよりも頭一つ抜けているため、周囲に遮るものはない。部屋の中よりも、はっきりと変異の全貌が観測できた。
光の出現から、ものの数分。消滅する光の中から、破滅が遂にその姿を現した。
遠方からでもはっきりと確認できる。頭部に二本の巻角、太古に滅びた恐獣を思い起こさせる凶悪な面貌、背には翼の如き突起、その全てが、まるで悪魔を思い起こさせる巨体が、その存在を誇示していた。
「あれは、パズズ!」
柱の中から出現したのは、雷獣の異名をつけられた怪獣・パズズ。一ヶ月程前に、近県の街に出現し、その双角から放つ雷により甚大な被害を与えたのが記憶に新しい怪獣だ。
天を仰ぐと、パズズは、まるで、産声のように雄叫びを上げた。
待ち構えていたかのように地の四方八方から、そして、空に浮かぶ光点から、パズズ目掛けて、無数の光弾が放たれた。衝突した光は弾け、無数の火花を散らすが、パズズは意にも介さない。間髪入れずにパズズに向けて攻撃は続けられるが、そのどれもが決定打とは成り得てはいない。
――足りない。あの場にあるのは、調査隊の持ち合わせた最低限度の装備なのだろう。その程度の戦力で、あの怪獣を止められるとは思えない。
天高く咆哮を上げるパズズ、その双角に僅かな光とスパークが走る。
「いけない!」
叫んだところでどうすることも出来ない。一際大きく、強くなる放電は、空中を這いずり、地を滑る。雷の枝に追従するように上がる火花と土煙。そして、一瞬遅れて、まばらに爆炎が上がった。爆炎の表すもの、それが戦力の喪失を意味するのは、誰の目から見ても明らかだった。
それでもなお、パズズに対抗すべく、光弾は吐き出され続ける。しかし、攻撃は怒りを増幅させるばかりで、パズズの身体に目に見えるダメージを与えることは出来ない。
紅く染まる夜空、立ち昇る黒煙、空裂き地掃う雷の閃光、そして、破滅をもたらす巨大な影、目の前の世界の終焉を予期させる光景に立ち竦み、一歩も動くことが出来ない。
強く握りしめた拳の指先にぬるりとした温かい感触がある。突き立てられた爪により破られた皮膚から溢れた血の雫が指の間から滴り落ちた。
破滅に瀕した世界で何が出来るかを見つけたい、そう言ったのは自分自身ではないか。だというのに、燃える街を黙って見ていることしか出来ない無力な自分が、ただただ悔しかった。
「昨日のビル崩壊が怪獣の仕業だ、なんて言われていましたが、まさか、本当に現れるなんて……」
同じように唖然としていたシエルが呟いた。昼間の人だかりや、街の人々の会話を思い出す限り、確かに、街の人々は怪獣出現の予兆に恐怖していた。
「怪獣の、噂……」
だが、怪獣出現の予兆と噂されていたビルの崩壊は、ワラキアの夜との戦闘の余波が原因だ。そこに怪獣の入る余地はない。
そうだと言うのに、噂をなぞるように、あの怪獣は出現した。人々の間で蔓延る噂の姿を借り、顕現する恐怖。
そう、それは、まるで――。
導き出されたのは、有り得ない結論。“それ”は確実に、自身の、そして協力者達の手で滅ぼしたのだ。再来する筈などない。
パズズの唸り声と爆音に混じり、確かに聞こえてくる風切り音。振り向き、音のする方を見上げると、三つの光点が確かにこちらに近づいている。
XIGのファイター機。G.U.A.R.D.の先鋭部隊が保有する航空戦力だ。赤道上空に基地を有するという彼らだが、昨日の今日だ。流石に対応が早い。基地から三咲町までの距離を考えれば、きっと最高速での到着だろう。
すれ違いざま、ファイターから発射された光弾が、パズズの顔面を捉え、炸裂する。
思わぬ敵の出現に、パズズは雄叫びを上げて、ファイター目掛けて放電するが、歴戦の戦士である彼らには通用しない。寸分違わぬ華麗な機動で身を翻した三つの機影に雷は届かず、空で弾け、火花を散らした。
数度繰り返される攻防、高速飛行するファイターの動きに、パズズは完全に翻弄されていた。
続く交錯、追い疲れたパズズの動きは目に見えて鈍っている。この機会を逃すまいと、ファイターが最後の追い打ちとばかりに光弾を連続発射する。
頭部、胸部、腕部、脚部、全身に打ち込まれた光弾は、パズズに確かなダメージを与えている。パズズはよろめく巨体を支えようとするが、その脚に既に力は無く、膝から崩れ落ちた。
「よし!」
シエルの歓声が飛ぶ。これが怪獣の沈黙に対しての正しい反応。だが、どうしても素直に喜びを表せない。胸の何処かにある、違和感がそれを邪魔している。
「どうしました?難しそうな顔をして」
どうやら表情に出ていたらしい。顔を覗き込んできたシエルが訝しげだ。
「まさか、巨人の出現を期待していた、とか」
「そんな訳、ないじゃないですか。ただ――、いえ、何でもありません」
今、パズズは、完全に沈黙している。抱いていた不安も杞憂に終わったのだ。街の被害は最小限に抑えられ、怪獣は退治されたのだ。
そんな喜びは、すぐに打ち砕かれた。微動だにしないパズズの肉体が僅かに光を放ちだした。放電の光とは違う、妖しげな紫光。それは確かにパズズが出現した際に、その身を包んでいた光と同一のもの。
光に包まれたパズズの身体が、震え出す。まるで、糸に吊られたマリオネットが引き起こされるように、巨躯がゆらり、と起き上がる。
途端、パズズの纏う光が弾け、同時に、全身に無数の亀裂が走った。
目の前で起こる明確な異常。それをみすみす見逃せないとばかりにファイターからの攻撃が再開された。各機から放たれるレーザー。
――そして、ファイターの攻撃に反応するように、亀裂が一斉に裂けた。
裂け目から現れたもの、それは、眼。湿り気を帯びた表面、ギョロギョロと不気味に蠢く、まさしく、“眼球”がパズズの全身に産まれた。
妖しげな光を放つパズズの眼。ファイターの攻撃が当たる瞬間、その光は更に輝きを増した。
直撃、その光景を観ていた誰もがそう思ったことだろう。だが、レーザーは、パズズの目前で掻き消されたかのように、消滅してしまった。
先程までとは違う、どこか嗤い声にも似た不気味な雄叫びを上げるパズズ。その全身の眼玉から怪光が発射された。
怪獣の再動、身体の変化、攻撃の消滅。完全に不意を突かれたファイターの、怪光への反応が一瞬遅れる。直撃こそ免れたものの、掠めた光弾は機体に確実なダメージを与えていた。
煙を吐きながら、力なく高度が下がるファイター。旋回を続け、どうにか市街地への墜落は避けられたが、瓦礫の上に不時着し、火花を散らす様子から、戦闘の続行は望めそうもない。
「不気味な……」
全身に眼球を配した嫌悪感すら覚えるパズズの姿に、無意識にそんな言葉が漏れた。
嘲笑うかのような雄叫びを上げるパズズ。最早、パズズの進撃を邪魔するものはいない。全身の眼は獲物を探すように蠢き、街の隅々に視線を送っている。
無数の眼球に、再び妖光が灯る。標的は決まった。後は、蹂躙するのみ。そう言いたげに、パズズは唸り声を上げる。
――何故、彼は来てくれない?
結局、私は、“彼”が現れる事を望んでいたのだ。会いたいという想いと、この事態をどうにかしてくれるという期待。俯いたのは現実から眼を背けるためか、それとも、未だ姿を現さない“彼”への失望からか。
伏せた視界が光に染まる。それは、パズズが街を焼き払う残光か。
だと言うのに破壊が伴う衝撃音は聞こえてこない。聞こえたのは――。
「光……」
ただそう呟いたシエルの声だけだった。
その声に、顔を上げた先に在るのは――赤と青の光の奔流。
絶望が覆うかの如く空を埋め尽くす暗雲を断ち切り、その元凶とも言える破滅と相対する光がそこに在った。
まるで、パズズが出現した時のような巨大な光の柱。だが、決定的に異なるものがある。あの光から感じられるものは、――安堵。
「新手……?」
突然の介入者にシエルは戸惑っている。だが、あれは、違う。
「あれは……。彼は――」
見間違えるはずもない。ずっと会いたかったのだから。
破滅の襲来により、世界の有り様は様変わりした日から、ずっとあの光は、破滅に怯える人々を照らすように、いつも寄り添っていた。
光の柱の中を強烈な閃光が走り抜けた瞬間、まるで殴り飛ばされたかのようにパズズの巨体が後方へと大きく吹き飛んだ。
更に輝きを増し、まるで真昼の太陽の如き煌めきを湛える光の柱。その中心に、一際輝き光る巨人の輪郭が現れた。
その巨体を誇示するように高々と掲げられた右腕、迸る力を表すが如く曲げられた左腕、そして、一歩も退かない意志を思わせるように両の足はしっかりと地面を捉えていた。
身を包む光が胸の発光器に収まり、銀のボディに赤のストライプが走る巨人の姿が遂に露になった。
初めて破滅が人類を、そして、この星を脅かした日。光と共に巨人が現れた。
人々は彼を――。
「ガイア……!ウルトラマン、ガイア!」
――ウルトラマンガイア、そう呼んだ。