――計算しきれない未来が欲しかった。
それが、狂気に堕ちた錬金術師の願いだった。
噂を具現化する一夜舞台も、模造された契約の紅い月も既にここにはない。
ただ風が吹き抜けるのみ。
死徒二十七祖第十三位・ワラキアの夜との戦いはどれ程続いていたのだろう。決戦を照らしていた月は沈み、勝利を祝福するかのように東の空は白み始めていた。そんな朝日を少女・シオン・エルトナム・アトラシアは崩れたビルの突端で、噛み締めていた。
破滅の未来を見続けた後に狂った錬金術師、人非ざる身に堕ちてまで破滅の回避のために奇跡へと至ろうとした自らの先祖、500年以上も続いたその狂気に終止符を打ったのだ。
「馬鹿ね。生まれ落ちたものはいずれ滅びる。それが例え、人類という種であっても、この星でも。それを知っていたはずなのに、滅びを受け入れられず、守りたいものまで贄として」
星の触覚たる真祖の姫・アルクェイド・ブリュンスタッドは、いずれ来る破滅を受け入れられず藻掻いた錬金術師を、そう切り捨てた。
「シオン、上手くは言えないけれど、あいつは、ワラキアの夜のやろうとしていたことは……」
シオンの協力者である少年・遠野志貴の言わんとしていることは、シオンに伝わっている。人類種の未来の救済、それがワラキアの夜の始まりだった。
「わかっています。ワラキアの夜という死徒の始まりに悪意はなかった。だとしても、だからといって彼の犯した罪が消えることも、軽くなることもありませんから」
「さぁてと、終わったことだし、撤収!撤収!感傷に浸るなとは言わないけれど、こんなに派手に壊しちゃったし、早くしないと面倒な人達に見つかっちゃうかもしれないわよ?」
先程までの張り詰めた雰囲気など何処にいったのか、アルクェイドは普段のとぼけた調子に戻っていた。しかし、彼女の言っていることは尤もである。
戦いの余波は大きく、決戦の地となった高層ビル・シュラインの上層部は崩落を起こしている。誰の眼から見ても明らかな異変、遅からず駆けつける者たちがいる。見つかってしまえば言い訳のしようもない。早くこの場を去るのが懸命だろう。
「と、そうだな。シオン、行こう」
「ええ、志貴」
早く立ち去る、と言ったものの困ったことに戦闘の余波でエレベーターホールのあった辺りまで瓦礫の山と化してしまっていた。行きはエレベーターを利用して屋上まで上がったが、この有様ではどうしようもない。時間は掛かるがどうやら階段で降りるしか無いようだった。
どうしたものかと振り返ると、早く行こう、なんて初めに言い出したアルクェイドが空を見つめている。そんな彼女の眼は何処か懐かしいものを想うような、それでいて何かを待ち焦がれているようだった。
「どうしたんだよ、アルクェイド。早く行こうぜ」
「ああ、ごめんね。何でもないわ!さ、行きましょう」
「行きましょうって、階段はあっちだろ?……うわっ!」
有無を言わさず、志貴はアルクェイドの肩に担ぎ上げられてしまった。相手は吸血鬼とは言え、女性に軽々と抱えられるのは男として少し悲しいものがある。
「あなたは一人で行ける?」
「御心配なく、私にはこれがありますから」
訳も分からず抱えられてジタバタする志貴を尻目にアルクェイドとシオンは何故か通じ合っている。シオンのいう“これ”とは、極細の繊維・エーテライト。
「おい!下ろしてくれ、一人で行けるよ!」
「本当に?一人で行ってみる?無理だと思うけどなぁ」
そうこうしている内にアルクェイドは屋上の淵へとたどり着いてしまった。嫌な予感はしていた。だが、選択肢からは除外していた。しかし、ここまで来てしまえば、次の展開は決まっている。アルクェイドは数十メートル下の地上を見下ろして、「こっちは大丈夫そう」なんて、何かの確認をしている。
「ちょっと待て、そりゃあ確かに早いだろうけれど……!」
「よっ、と!」
容易に想像できる、最良で、最悪の展開。小さな段差を飛び降りるかのような、軽い掛け声と共に、アルクェイドは屋上から飛び降りた。
たった数秒のフリーフォール。着地の衝撃こそ無かったものの、徐々に近づく地面に心臓が破裂してしまうかと思えた。未だに落ち着かない鼓動を落ち着かせているとその元凶である金髪の吸血鬼が笑いかけてきた。その様子に傍らの少女も釣られて笑い出す。初めて出会った時からは、想像もつかない、心からの笑顔だった。
示し合わせた訳ではないが、自然とシュラインの入り口から少し離れた広場へと足が向かっていた。そこは、シオンと志貴の始まりの地。そして、別れの地となる場所。風の強い屋上とは違い、地上では太陽はまだ顔を出したばかりだというのに、相も変わらず夏の暑さが身体に纏わりつくようだった。
「志貴、私はもう少し旅を続けてみます」
「体の方は、大丈夫なのか?今ならアルクェイドとゆっくり話し合えると思うけれど」
シオンと話がある、そう言って遠ざけられたアルクェイドは二人の二十メートル程後方で空を見上げていた。
「ワラキアの影響が消えた今、吸血衝動は十分抑えられるほどに落ち着きました。日常生活を過ごすのに支障は出ないかと。それに、吸血鬼となったこの体の治療法の研究も勿論ですが、この破滅に晒された世界だからこそ、私に何が出来るのか、その答えを探したい」
「シオンらしい。初めて会ったときから全く変わっていないな」
「ズェピアの言った通り、いずれ、私も抜け出せない穴蔵に落ちるというのであれば、その前に、この世界をちゃんと自分の眼で確かめておきたいんです。無論、独りではなく、貴方とそうであったように、一つ一つの出会いを大切にしながら」
出会いを大切にする。それは、シオンの他者から情報を抜き出すという性質が変わっていなくとも、シオンの変化を感じ取れる言葉だった。初めて出会った頃のシオンからは考えられないような言葉に、志貴は自然と笑顔になる。
いつまでも、この時が続けばいいと思った。しかし、そうはいかない。目指すもののため、平穏な日常のため、二人は歩き出さなければならない。シオンは右手を差し出す。
「志貴、別れの前に握手を、してもらえませんか」
「ああ」
それは、シオンの知る精一杯の親愛の証だった。組み合った手を、互いに思いの強さを確かめるように、強く握り合う。
「貴方に出会えて良かった。貴方が私の力が必要な時、私は何時でも貴方の力になる。
――貴方は私の友人だから」
「俺の方こそ。困ったときは呼んでくれ。こんな俺で良ければいつでも力になる」
固く結んだ手がゆっくり解ける。それが、二人の別れの合図。
「それでは、また」
「ああ、またな」
いつかの再会の誓い。もしかしたら、その時は訪れないかもしれない。それでも、あっさりと、しかし、これ以上にない鮮やかな別れを二人は交わした。
斯くして終演、舞台に幕は降りた。
二人が別れの会話を交わす間、ずっとアルクェイドは南の空を見つめていた。
(そう……。彼がここに、ね)
先の志貴の問いかけには何でもないと誤魔化したアルクェイドだったが、胸の奥底に感じる鼓動、そして強くなる熱に、彼女は確かにこの地へと向かってくる者を感じ取っていた。近づいてくるそれは……、
――星の光。
見上げた空の遥か向こう、アルクェイドは星の光を持つ者へと思いを馳せる。
全てが終わり、何事もない平穏無事な日常に戻った少年が駆け寄ってくる。
「じゃあ、俺達も行こうか」
「うん、行こ!」
二人は揃って歩き出す。帰り道は一緒だ。
それでも、二人の視ているものは違う。自身の行先を見る少年と、空を見上げる姫。
「――待っているわ、ガイア」
自身の一歩先を歩く少年には聞こえないほど小さな囁きが真祖の姫から漏れた。
――同時刻、太平洋上空。
「五分後に三咲町上空に到着予定。何か動きは?」
《現在、目立った動きは見られないわ。各種データにも異常なし》
「了解。到着次第、僕の方でも調査を行うよ」
状況確認の通信を終えると、青年は腰のツールボックスから金色の装置を取り出した。
装置の中央にはめ込まれた窓、その中で、赤い光と青い光が明滅する。
「待っている……。地球よ、君は僕に何を伝えたいんだ?」、
音速を越える銀色の翼の中で、青年は光と同調する脈動を感じていた。
――舞台の幕引きは、新たなる舞台の幕開けとなる。
かつて、穴蔵の錬金術師達はいずれ来る破滅を予言した。
幾年後、新たなる錬金術師達が生み出した英知はいずれ来る破滅を予言した。
そして、二つの予言の通り、この星に破滅が確かな貌を持って降り立った。
最古の錬金術師と最新の錬金術師、決して出会うことのなかった二つの軌道が交わる時、滅びに覆われた蒼き星の未来は動き出す。