セブルス・スネイプはやり直す   作:どろどろ

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蛇と獅子たち

 

 

「送りはここまででいい」

 

 9と4分の3番線を前に、セブルスは父親にそう言い放った。

 

「父上は多忙な身だ。この先の案内はいらない」

 

 そうは言うものの、胸を張れる多忙では無い。 

 セブルスの家柄は良くなく、実家は近所でも有名な位の貧乏だった。近辺の住民からは差別が激しく、蔑まれながら生きてきたのは当時のセブルス・スネイプ少年にとっては苦痛以外の何でも無かっただろう。

 

 だから生活だって窮屈なのだ。父も母も寝る間を惜しんで働いている。

 しかし労力に見合った報いを受けたことはいままでで数回程度だ。息子がホグワーツで寮生活になるなら、少しは実家の生活も楽になるだろう。

 尤もそれまで夫婦関係が続いているほど、セブルスの両親は良い関係では無かったが。

 

「……へッ、そうかよ」

 

 吐き捨てるように告げた父の目は、セブルスに対する侮蔑の念が含まれていた。

 まあ、セブルスから父に対する軽蔑はより強い物だったが。

 

 さながら「とっとと消えろ、清々するぜ」と言わんばかりの父の態度を前に、セブルスは今一度実感する。

 

(……望み通り消えてやろう、立場上“こう”しているが、もはや貴様を父とは思っていない)

 

 セブルスの記憶の隅に追いやられていた両親の記憶――確か自分がデスイーターの道を歩み始めてから両親とは絶縁状態だったが、風の噂で母が父に殺されたと聞いていた。

 もはや感慨など残していない。この男よりも今は彼女の事だ。

 

「行ってくる」

 

 中身の籠っていない言葉を残して、セブルスは歩み始める。

 二度目の生徒としてのホグワーツ生活だが、セブルスがもしも心を躍らせるとしたら、やはりその事に対してでは無い。

 

 9と4分の3番線に入る。特別な柱の中を抜け、目の前にはこれからホグワーツで一緒になるであろう生徒の面々が。

 ここまで来れば、もうすでにローブに着替えている者も複数見られる。

 もうここは他界から隔絶された魔法界の一部なのだから。

 

 

「セブ」

 

 

 セブルスはもしも夢なのなら、死後の幻覚だとするならば、永遠にこの夢に酔いしれたいと思った。

 柔らかい赤毛に宝石のような緑玉色の瞳。容姿に関しては驚くほどに綺麗な顔つきであり、幼げな立ち振る舞いは無性に庇護欲を駆り立てられるものだ。

 

 彼女の名はリリー・エバンズ。

 セブルスが生涯愛し、想い続けた少女である。

 

「……リリー」

 

 いっぱいに引きずっている荷物を放置し、脱力したように、しかし瞳に淡い光を宿し、セブルスはたちすくんだ。

 間違いなく幼き日のリリーだ。

 その上どういう訳かこの世界は、この体験は、この存在は現実の物で確かにそこに実在していた。

 亡くなったはずの彼女が。

 

「リ、リリー……」

「……セブ? え、どうしたの?」

 

 こみあげてくる涙はどうにかこらえた。絶対に泣くつもりはなかった。涙はもう枯れるほど出し尽くしたのだから。

 しかし一歩、また一歩と何かに誘われるように前に進む。

 ほとんど無意識だった。

 

 リリーの頬にセブルスの手がのび、指がほのかに触れた。

 そうすると手のひら全体でリリーの頬を覆って行く。

 

「リリー……君なのか……」

 

 何が起こったのか理解できず、リリーは数秒に近い時間硬直していた。

 だがセブルスがいきなり頬に触れたと自覚すると、顔をゆっくりと赤くしていき、さらには瞳の終点を失った。

 

「ふぇっ!? セ、セブ? セブルス!?」

「まさか、本当に……」

 

 間の抜けた声をあげたリリーに構わず、セブルスはそのままリリーの身体を優しく包み込んだ。

 セブルス・スネイプは確かにリリーを愛してはいたが、数十年もその感情が不動なものであったのは恋愛感情を通り越していたからだ。

 

 そう、もはや親心に近い純然たる無償の愛。

 彼女を自分のものにしたい、そんな独占欲あふれる一般的な愛情ではなく彼女の幸せのみを一心に想う、正真正銘の純愛。 

 リリーが生きているのだ。

 

 しかもリリー・ポッターではない。

 リリー・エバンズが生きている。

 

 それだけでもはやセブルスの涙腺は崩壊寸前である。

 だがそこだけは意地でも守り抜いた。涙は完全に押し殺す。

 

「セブルス……そんな急に」

 

 愛称を忘れ本名で呼んでしまうほどリリーは動転してしまっていた。

 突然抱きしめられ、しかも苦痛を感じる寸前まで力を込められて、鼓動の音すら共有していると錯覚するほど密着しているのだ。

 

(……今更リリーに許しを請うつもりはない。彼女が私をどう思おうと、それでも私は――)

 

 ――だが今だけは……。

 

「もう少し、このままでいさせてはくれないか。……リリー」

 

 セブルスは自覚していなかっただろうが、リリーは分かっていた。

 すこし鼻の詰まったような声。つまりは涙声だったのだ。何かとてつもない感情を隠しているかのような。

 そんなセブルスを拒むリリーではない。

 

 リリー・エバンズはそのまま、無言でセブルス・スネイプを抱きしめ返した。

 

 沸騰しそうになる感覚に耐えながら。

 

 

 ◇◆◇

 

 

 セブルスのせいだが二人は危うく汽車に乗り遅れる所だった。入学初日に送れるのは冗談抜きでマズい。

 そのため汽車の中のコンパートメントは見る限りほとんど満席だった。

 二人は相席を頼める知り合いもおらず、どこかあいている所はないかと汽車内を徘徊していた。

 

「いきなり驚いたわよ、セブ」

「……すまない、寝ぼけていた」

 

 当にこれが夢の類いでないと気づいていたセブルスだが、こんなに行動的になったのはやはり、ため込んでいた感情の一端があふれ出てしまったからだろう。

 現実ならリリーを前に醜態をさらすようなことは絶対にしない。

 

 はっきり言って先ほどのやりとりは確実にセブルスの黒歴史として刻まれた。もはやトラウマである。その話をされるだけで身の毛がよだつ。

 

「どこにも空席はないみたいね」

「私が誰かに相席を申しでよう」

「……“私”?」

 

 リリーがセブルスの一人称に違和感を持ったのも当然といえるだろう。 

 普段はもっと普通のしゃべり方だ。

 

「“僕”じゃなくて?」

「……」

 

 ――この時はまだ、そう名乗っていたか。

 

 セブルスは撤回し、自分を“僕”と称することにした。

 屈辱だが、よくよく考えれば前世までのセブルスを知るものは誰一人としていない。セブルスがこの世界の人間を一方的に把握しているのだ。

 

「まだ寝ぼけているようだな、僕は」

 

 言い直し、二人を受け入れてくれそうなコンパートメントを探す。

 

 ――そういえば、この後か。

 ――忌々しい“奴”との馴れ初めは。

 

 セブルスはこれから起こる出来事を回避しようだなんて思わない。それに記憶だって曖昧だ。そうそう具体的に一人の人間を避けられるはずもなかった。

 よって“彼”に声をかけられるのも運命だったとしか称しようがない。

 

「お二人さん、お二人さん。空いてる席をお探しかい?」

 

 その声はわずかな活気に満ちており、いかにも自信家が発した声音だ。

 

 声の主はジェームズ・ポッター。

 癖の強い黒髪で、くすんだ赤みのある茶色い瞳が強く二人を見据えてくる。血色の悪いセブルスとは違い、綺麗な肌に綺麗なローブである。やはり高貴な家の子供はその雰囲気も相応なものなのだ。

 ジェームズは初対面のセブルスに少し違和感のある視線を送ったが――おそらくセブルスの容姿を不気味に思ったのだろうが――にっこりとこちらに笑いかけてきた。

 

「あら、もしかして相席させてもらえるのかしら」

「当然さ。これからは同じ学友になるんだからね」

 

 ジェームズのいたコンパートメントは四人用。したがって。もう一人先客がいた。

 ジェームズの正面を陣取るように座っているのが、セブルスより遙かに顔立ちの整った黒髪の美少年――シリウス・ブラックだ。

 

 さらりとコンパートメントの中に入ってくリリーに続き、セブルスも席に失礼する。できればこの二人とは相席したくないのだが。

 

「僕はジェームズ・ポッター」

「俺はシリウス・ブラックだ。よろしくな」

「ええよろしく。私はリリー・エバンズよ」

「……セブルス・スネイプだ」

 

 四人の自己紹介の内、セブルスのものだけ異様に威圧感があったのは平常運転のセブルスだからだ。

 普通にシリウスとジェームズは嫌いだし、普段の口調もこのようなものである。

 

「リリーとセブルスか。二人はマグル育ち? それとも純血かい?」

 

 ジェームズが振った話題にセブルスがぴくんと反応する。

 ジェームズはマグルも魔法族も差別しない。あまり“そういうこと”を気にせず、気さくにこういった話題も続けることができた。

 

「確か、セブは……半純血だったわよね?」

「ああ。父がマグルで、母が魔女だ。僕はあまり血に頓着はないがな」

 

 確かに魔法族を重宝すべきだ、という純血主義思想をセブルスは理解しているが、今となっては所詮『どうでもいいこと』に成り下がってしまっている。

 対してリリーは魔法族の血を受け継いでいない。

 

「私はマグル生まれのマグル育ち! 家族の中で初めての魔女なのよ!」

「へえ、なら僕たちとも気が合いそうだ。今度マグルの世界の話を聞かせてよ」

 

 言いながら、ジェームズが髪をくしゃくしゃと手櫛で梳かした。リリーは心底楽しそうに「もちろん!」と紡ぐ――その隣で、セブルスが冷め切った表情をしているのに気付かないまま。

 

「俺たちとは正反対だな。俺とジェームズは純血の家出身なんだ。だけど魔法族の純血主義にはうんざりしててな。純血じゃないってことは、君たちもそうなんだろ?」

「うーん、私はその『純血主義』ってのに詳しくなくて……」

「僕は純血主義を掲げる人間の気持ちも分からなくはないけどな」

 

 場の空気を乱そうが、セブルスは構わず続けた。

 

「魔法族を尊重するという意味でなら、構わないと思っている。マグルを受け入れるか受け入れないかは個人の自由だ。『純血主義』とは社会全体の動きの事ではない。個人の価値観を指すものだろう」

 

 純血主義を否定も肯定もしない、新しいセブルスの意見だった。 

 現にセブルスはマグルを疎ましく思うことは全くなく、純血も半純血もマグルも等しく興味が無いのだ。

 興味というか、セブルスの価値基準は魔法の練度や知識の深さなのだろう。真に賢しい者であるなら、何者であろうとセブルスは正当に批評する。ただ評価しないだけで。

 

「ふぅん、そういう考えか。でも君はマグルを許容してるんだろう? リリーと一緒にいる所をみると」

「言ったはずだ。僕は血筋に頓着が無い」

 

 セブルスの物言いは、どこか人を見下している部分があって、ジェームズもシリウスもそこが少し気にいらなかった。

 リリーからすれば慣れたものだ。悪気があるわけで無く、しゃべり方が癖になっていると言ってもいい。

 

「……そういえば寮の組み分け、どうなるんだろうな」

「ああ、確かに気になるね。四つの寮。でも僕は騎士道あふれるグリフィンドール一択さ!」

「奇遇だなジェームズ、俺もグリフィンドール志望だ」

 

 勇敢なグリフィンドール。

 知的なレイブンクロー。

 平等なハッフルパフ。

 狡猾なスリザリン。

 

 結局のところ、どこも適材適所というやつだ。

 この寮決めはむしろ魔法使いや魔女の人格が、どれに偏ったものかに依存する。更に性格の形成ににも大きく関わってくる事だろう。

 

「……リリー。四つの寮の中だと一番はスリザリンだ」

 

 シリウスとジェームズの作り出した空気を、一気に絶対零度まで持ってくる一言だった。

 セブルスは組み分け帽子のことを知っているので自分の意見を包み隠すつもりは無い。影響を与えようと言葉で揺さぶっても、最終的にはセブルスでもリリーでも無く帽子が決めるのだから。

 

「おいおいセブルス、冗談だろ? 闇の魔法使いの出身は全員がスリザリンなんだぜ!?」

「“全員が”ではなく“大半が”だ。『ブラック』、憶測で語るな。それは先入観というものだ。スリザリン生が魔法使いとして一際優れているという事実から来る先入観――あぁもちろん、闇の魔術師が確実に優れていると言っている訳では無いが……」

 

 セブルスはファーストネームで気軽に呼んできてくれたシリウスに対し、『ブラック』とファミリーネームだった。

 この程度のことで気にかけるシリウスではないが、今の空気から悟ってしまう。セブルスは自分を見下していると。

 

「はははっ! 本気かい!?」

「何がだ、ポッター」

「スリザリンになるくらいなら! 退学になった方がましだろう!? 愚かだな君は!!」

 

 直接的な言い方は避けてきたセブルスに対し、とうとうジェームズは相手を蔑むような言葉を投げつける。

 リリーはかなりはっきりした性格だ。場を和ませるなど頭に無く、セブルスを馬鹿にされた怒りからまず怒鳴りつける。

 

「ちょっと何よその言い方! 誰がどの寮にあこがれても関係無いじゃない! セブは愚かなんかじゃないわよ!」

「リリー、君は全く理解していないよ。スリザリンは最も邪悪な寮だ。きっと誰に聞いても同じ答えを返すだろう。セブルスがおかしいんだよ」

「俺もセブルスのその感覚は理解できないな」

 

 ジェームズがセブルスを否定しだしたことで、シリウスもそれに続く。

 スリザリンは悪だ。そんな固定概念や先入観は、別におかしい事ではない。実際に何人のスリザリン生が悪の道に走ったことか。

 

 悪の先導者は常にスリザリンだ。だからこの寮は他の寮から忌み嫌われている。

 

 言い争いになりそうになったところで手を挙げて静かにリリーを制したスネイプ。ジェームズたちの言葉は微動だにしない。仮にも精神は大人だ。しかもかなり卑屈な。

 

「どうやら君たちは学校よりも動物園の方がお似合いみたいだ。気をつけると良い。動物と勘違いされ、檻に閉じ込められないようにな。君たちの泣き声は僕たちに届くことが無いのだから」

 

 この場合セブルスもセブルスだった。

 むしろ卓越した比喩を用いた分、セブルスの方がたちが悪い。

 この三人。

 セブルスとジェームズが。

 セブルスとシリウスが。

 

 セブルスと、ジェームズとシリウスの二人が。

 

 犬猿の仲になるのにはそう時間を要することは無いだろう。

 

 どうやら運命は、分かっていても揺らぐつもりが無いらしい。

 

 

 汽車が止まる。目的地までたどり着いたようだ。

 新入生はここからボートでホグワーツまで移動するので汽車の時間は終わり。この嫌な雰囲気に終止符が打たれたのだった。

 

「どうやら到着したようだ。先に失礼する。……リリー、外で待っているよ」

 

 先に立ちあがってコンパートメントから出ようとするセブルス。

 その間際、廊下側に座っていたジェームズは確かに、意図的に、悪意を持ってセブルスに足を引っかけようとした。

 しかしそのような物理悪戯に後れをとるセブルスでは無かった。

 

「……ふん」

 

 極めて優れた開心術の達人であるセブルスは、ジェームズの浅はかな策略を見抜いていた。逆に出してきた足を踏みつけてやる。

 

「痛いっ!」

「君は甘いな」

 

 スネイプを害するのであればまず奇襲でもしなければ困難だろう。開心術とはそういうものだ。

 

 ジェームズに冷たい視線を送ったセブルスは静かに汽車から出た。

 

 




■スネイプから見たジェームズ
・傲慢で気にくわない。自分が人気者だと勘違いしているお調子者。上っ面だけが綺麗なだけの人間。おそらく親にさんざん甘やかされて育ったのだろう。


■スネイプから見たシリウス。
・誰彼構わず、自分“たち”の敵なら構わず牙を剥く。心の狭い人間であり、ポッターと同様に傲慢である。


■作者から見たスネイプ。
・愛には従順だし、かなり義理堅い人であることは知っているけど、やっぱり一言で済ませるなら「嫌な奴」であることに変わり無い。自分から誰かに歩みよろうと考えられない社会不適合者。無駄に正論なところが一番悪質。

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