プロローグ ガリア公国潜入編
戦争が始まって早くも数カ月が経とうとしている。
ラジオから流れる国営放送の話では帝国軍の攻勢は激しく、既にブルールを始めとした東部から中部の主要都市が制圧されてしまったらしい。ガリア正規軍は今も必死の抵抗を続けている。それを聞くと自分も銃を手に戦地に向かいたい義憤に刈られるのを必死に抑え込む、そんな事を今日だけで何度繰り返した事か。
だがそんな自分の願望は叶えられない。
ガリア公国南部の国境――そこの検門官である自分にはガリアの玄関口を守る義務がある。
最前線である中部地方から此処まで100km以上の距離があった。
何と言っても帝国の宿敵である連邦領は目と鼻の先だ。帝国は容易に手を出せない。
その為、戦時下でありながらも国境付近は依然として戦前と変わらない雰囲気がある。
ここにいる兵士達は平和な日常を共有していた。
流石にカードゲームに興じるような不謹慎な奴はいないが、温かくなってきた気候が眠気を誘うのか欠伸を噛みしめる者は少なからず存在した。
仕方がない、最初の内は富裕層あたりが外国に避難する等の仕事があったが、それも日に日に少なくなっている。朝を除けば一日に五十人程度が通過すれば多い方だろう。
今の時刻は昼を過ぎた頃合い。一番暇な時間だ。
他の職員達は談義で盛り上がっている。
そんな光景を横目にぼんやりしていると、車両の音が聞こえて来た。
やがて道路の先から一台の車輛が現れた。
ブロロロと音を吹かせながら大型のトラックがこちらに向かい走って来る。
見たところ一般車ではないな。
検門所のゲート手前で兵士達がトラックを手で制止する。
指示が見えたのか兵士達の前で車輛は止まる。エンジンは掛かったままドアは開き、中から中年の男が降りてくる。服装は極めて平凡に揃えていて、武器は携帯していない、どこにでもいる街の男だ。にこやかに笑顔を浮かべている。
協力的な様子に兵士達も警戒を解いた。
商会の人間でガリア公国に軍需物質を届けに来たらしい。内容は嗜好品だ。連邦の嗜好品は質が良いからな、高級士官用だろう。
直ぐさま職員が台帳を確認して照会する。
確かに同様の名の商会が通知してある。聞いた事の無い会社名だ。しかも気になる事に緊急の搬送だ。送り先は王都ランドグリーズ。通常であれば前もって当局に知らせておくはずだ。
同僚の兵士と話し合う。
「どう思う」
「問題ないだろ、緊急とはいえ正規の手続きは済んでる。戦時下でこれから物入りになるからな。むしろこれからドンドン運搬されてくるかもしれない、いちいち構ってられんよ」
「......そうだな」
だが何か引っかかる。
長年の勘だが、男が何かを隠している気がする。
探りを入れてみるか。
「一応中身をらためさせてもらうぞ」
「構いませんよ。.....ですが一つ言い忘れていた事があります。
......実は荷物の他に男女を二人乗せているんですよ」
「なに!密入国者じゃないだろうなっ....?」
「とんでもない。ちゃんと通行手形は持っていますよ。我が商会の大事なお客様でして......これです」
男から手渡された証書を見る。不備は見当たらない。
連邦国籍の男とガリア国籍の女か。労働関係の仕事に従事しているようだ。
珍しくもないガリアでも一般的な職業だ。
この時分に観光ではないだろうが。
通行目的を聞いたら通しても問題ないだろう。
「分かった。顔を確認したい、呼んでくれるか?」
「分かりました」
男はトラックの後ろに回ると扉を開いた。
男が丁寧な口調で話す声が聞こえる。大事なお客様というのは偽りではないらしい。そして事情を説明し終わったのだろう、荷台から男が現れた。
検門官は瞠目する。今まで何千人という通行者を見て来た。
だからある程度、その人間がどういう者なのか一目見ただけで推測できる。
そんな俺が一見して思ったことは――この男は只者ではないと云う事だ。
どう見ても平凡な街の男ではない。
まずその目だ、見ただけで圧倒される力がある。常人とは違う。
まるで老獪な官僚のように静かな重みがあった。
服装こそ平民らしい物だが。それだけに違和感がある。
隠しきれない凄みと言えるものが男にはあった。
貴族と言われた方がまだ納得するかもしれない。
そう思うのは俺だけではないはずだ。
「.....どうした」
「っ....失礼しました」
悪い癖だ。考えに没頭していた。
相手が何者なのか考えるのは後だ。職務を忘れてはいけない。
咳ばらいをして、
「規約に則り幾つか質問をさせていただきます。ガリア公国への入国は初めてですか?」
「ああ」
「入国目的は?」
「....安否確認だ。妻がガリアに居る家族を心配していてな」
「奥様ですか.....?」
確かにガリア国籍の物だった事を思い出す。
夫婦だったのか。安否確認の為に王都に向かうのなら妥当だな。あそこには戦火から逃れた国境沿いの避難民が集まっていると聞く。件の女性が金髪の男に手を引かれて来た。
ダルクス人だ。民芸品であるダルクス紋様の布を頭に巻いている。
「妻のイムカだ」
「っ....」
その言葉に一瞬、女性は男の方を見るが何も言わず検門官に対して頭を小さく下げる。一言も喋る気配はない。ガリアは保守的な国だ。差別的要因からダルクス人を妻にするガリア人は珍しい。だから少しだけ意外に思ったが、連邦は他より差別が少ない、この組み合わせも珍しくなかった。
帝国だったらこうはいかないだろう。
検門官の頭から一つの疑いが除外された。この二人が帝国のスパイであるという疑いだ。
それ程に帝国のダルクス人に対する偏見と差別は根強く。
帝国にとってダルクス人は劣等民族でしかない。
人権無視で国際的世論が批判しているぐらいだ。
抱き寄せられている女性からは男に対する確かな信頼が感じられる。
親密な関係である事は明らかだ。
荷台の中をあらためていた兵士を止めさせる。
これ以上調べても無意味だろう。
幾つかの質問を終えて早々に切り上げる。
「質問は以上です。ありがとうございましたっ
未だガリア国内は情勢が不安定なので十分に気をつけて下さい」
「忠告に感謝する。帰りもまた君達に見送られたいものだな」
そう言うと彼は奥さんの手を引いて荷台に乗り込み。
それを確認した商会の中年男は、ハンチング帽を脱ぎ兵士達にお辞儀をしてハンドルを握る。エンジンはかけたままだったので直ぐにトラックは動き出した。ゲートを潜り抜けガリア領内に入っていく。その後ろ姿を見送る検門官が口を開いた。
「いったい何者なんだろうな?一般人とは思えないが」
「少なくとも良い所の出だぞ、話し方で分かる」
「商会の男の反応から見るにどこぞの御曹司かね」
「ダルクス人の妻を持った御曹司か?きな臭い話だな」
戦時下のガリアは身をくらませるにはうってつけだ。
危険ではあるが愛の逃避行というやつか。
どちらにしてもガリア公国に害をあだなす敵ではないだろう。
――だが、
「やはり一応、本部に連絡は入れておこう」
「おいおい本気か?」
同僚の兵士が呆れたように言ってくる。必要性を感じていないのだ。
当然だ。ゲートを通した警戒度の低い相手を、わざわざ調べるというのだから。意味が分からない。
「あの男は何かを隠している。何か重大な事を」
「根拠は?」
「長年の経験からくる勘だ」
ますます呆れた兵士が肩を竦める。
疑い深すぎるのは分かる。何もなければそれでいい。
だが何かが起きてからでは遅いのだ。
最前線で戦っている兵士が居る。彼らが命を懸けて戦っているのに、俺達があぐらをかくわけにはいかない。どんな些細な異変でも徹底して見極める、それが俺達ガリア情報部――国境監視官の戦いだ。
もう見えなくなったトラックを見る。
本部が動いて何もなければ帰ってくるだろう。
だがあの男――ハルトと名乗った男の顔を思い出しながら検閲官は予感を覚えていた。
もう彼らがこの国境を越えて戻る事はないかもしれない。そんな予感を......。