旗艦アルバトロスの爆発は遠く平原地帯からでも確認できた。
勢いよく上がった火柱が空に昇り、黒煙となっている。
壮絶な最後を遂げた大将に向けて敬礼する――北東戦線の決着を見届けたウェンリー准将はかねてよりの作戦を発動する事に決めた。
「全軍に撤退命令を指示してください」
「.....了解」
管制官達の働きによりウェンリーの命令は直ぐに各軍の指導部に行き渡る。
返答も直ぐだった。反応は様々だ。
曰く――我が軍は負けていないまだ戦える!など血気盛んに継戦を主張する者や、勘の良い物は早速“軍艦が撃沈したのはパエッタ大将の独断専行である”といった責任問題からの回避を口にした。
流石に表立って撤退を口にする者はいない。
ほとんどが反対意見だった。
戦後の事を考えて誰も自軍のせいで負けたと言及されたくないのだ。
総司令官が戦死した事を報じてなお反対意見が六割を超えている。
次席幕僚であるウェンリーの声もあまり効果がない。
連邦軍の弱点とも言える短所が出てしまった形だ。
どういう意味かと言うと例えば帝国軍は指揮権が上から下に一本化されている縦社会だ。上が駄目なら次に指揮権が移動する。
だが連邦軍の指揮権は横の並列社会である。そのため各部隊が独立した軍を持っているので意見が分かれやすいのだ。それを統括するのが総司令官の役目である。
逆に言えば総司令官が不在でも混乱が起きない強みがある連邦軍だが、現時点では全くの無意味である。今すぐ撤退に移らなければ各個撃破される恐れがあった。
現在、アスターテ平原には13万を超える大軍が存在する。
敵は14万といったところだ。数の上では拮抗している。勝敗の行方はまだ分からない。そう考える前線指揮官が居るのも無理はない。
だが連邦軍と帝国軍の間には大きな隔たりがある事を忘れている。
つまり連邦軍にはこれ以上の増援は存在しないが帝国軍はそうではないという点だ。
彼らは全軍で既に30万人以上もの兵力を失っている事を本当に分かっているのだろうか。
北東戦線はこれ以上兵力を捻出できない。
信じられない事にその事を多くの指揮官が失念していた。
何故か?――それは作戦企画書「ノーザンクロス作戦」の動員兵力600万という数字に惑わされたからだ。かつてない規模で行われる作戦によりその安心感が現実を見失わせた。
指揮官達はまだ戦える、負けるはずがない。そう信じた結果......全滅するのだろう。
新たな敵の増援によって。
何が何でも撤退しなければならない。
全滅を避けるために。
状況の危険性を訴えて説得している時間はない。
強制的に今すぐ実行する。その為の手は既に打っていた。
「カーン中将が撤退案に賛成を表明!約五万の軍が撤退出来ます!」
まず内通者であるカーン中将が撤退を支持した事を全軍に伝える。
彼はパエッタ大将の次に高位の階級である。軍に与える影響力は最も高い。
それによって流れが変わった。
抗戦から撤退へと。全体の意識が傾きつつある。
それでも前線の部隊は最後まで戦おうと腹を括る者もいた。
そういう者達を撤退に決断させたのはターニャの働きが大きい。
最も功績が高い第三十三装甲大隊があえて矢面に立ち、撤退を促したのだ。
復活した戦車部隊は大いに活躍した。
最後に本隊を引き継いだウェンリー准将が、約3万の兵を動かす事で、全軍の意識は一気に撤退に移る。駄目押しとばかりに、
「この撤退に関する全ての責任は僕が負います」
と言った事で各国の部隊長は納得した。
幸いとばかりに動き出したのである。その一連の流れは見事なものだった。
まるであらかじめ決めていた事を実行しているような整然としたものであった。
撤退作戦は成功し、数時間足らずで連邦軍はアスターテ平原を後にした。
**
敵ながら圧巻の撤退劇だった。
帝国軍は連邦軍の動きに追いつけなかったといって言い。
それ程に迅速な動きだった。
まるで最初から撤退を決めていたかのような、そんな流れがあった。
いやありえない。仮にそこまで読んでいた奴が居たとしたらゾッとする。
敗北を読んでいたと云う事はその過程すらも見えていた事になるからだ。
もしその男が軍の司令官だったら、また結果は変わっていただろう。
戦いに勝ったはずなのに薄ら寒い思いをさせられたのは初めてだ。
何てことを考えているのは余計な時間があるせいだろう。
俺はその報告が来るのを待っていた。
一分一秒が長い。
―――
――――
「第三衛生班より入電!セルベリア様の救助が確認されました!」
「搬送先はどこだ!!」
「ひいっ!?」
その報告を聞いた瞬間、通信兵に詰め寄った俺は尋問するように問い詰める。
後になって悪い事をしたと思うが、その時の俺には余裕がなかった。
また喪ってしまうのではないか。俺の胸中を占めていたのは圧倒的な恐怖。
......喪失の恐怖だ。
仲間を失ってしまう。もう十分だ。これ以上はもう耐えられない。
場所を聞きだした俺は急ぎ宿舎兼治療室に向かう。
高級士官が入れられる其処は軍令所の近くにある。
気づけば俺の歩みは走り出していた。
早く安否を確認しなければ。という使命感に似た感情に支配されていたのだ。
制止する護衛を置き去りに、伝えられた天幕を探し出すと、勢いよくその中に入った。
もう一度言う、勢いよく入ったのだ。確認する暇も惜しかった。
そういえば高級士官は男女で分かれていたと思い出したのはその後だ。
幕内に入って率直に思った事は――白いな。
美しい彫像を思わせるキメ細やかな肌、背筋から首にかけてラインに沿った白い背中が目に眩しい。
「......で、殿下?」
あちらもこっちに気付いたようで呆気に取られている。
上半身裸のセルベリアが治療を受けている所だった。
俺はそんな彼女の見事な裸身をマジマジと眺め。
そして一言、
「....良かった(怪我がなくて)」
俺はホッと胸を撫でおろした。
どうやらセルベリアは無傷のようだ。
怪我どころかシミ一つ無い。
長旅の垢を湿ったタオルで拭いたりとボディケアをしているだけのようだ。女医からも軽い問診で済んでいるようだし、ひとまず問題ないだろう。
本当に良かった。
「何がそんなによろしかったのでしょうか?」
満足気に良かった良かったと何度も頷いていると、なぜか女医からの視線が痛い事に気づいた。寿命が縮まるような心配が無くなり、ようやく俺は自分が何をしているのか客観的に観る事ができた。そういえば女性用の高級士官室は男子禁制だったな。
数倍の敵を前にした時も爆撃機が襲ってきた時も奇跡的に切り抜けて来たラインハルトだったが、この場をどうしたら切り抜けられるか全く思いつかない。
頼もしい味方のセルベリアは――駄目だ真っ赤になって思考に異常をきたしている様子だ。下手すれば敵になりかねない。そうなれば悪夢だ。迅速な撤退が求められる。そう、あの敵の様な引き際を思い出せ。
よし撤退だ。回れ右をして戸に手をかけようとして、
「殿下?後でお話があります」
巧妙に退路を断たれた。やるなこの女医。
案の定逃げられはしなかった。
まさかセルベリアがあの爆発を受けて全くの無傷だなんて思いもしなかった。――と思うのは俺が悪いのだろう。彼女がどれほど強いのか、あの日たすけた少女が強すぎる。それを忘れていた俺の――不備だな。
次回エピローグ。