その日は最悪の目覚めだった。
最初に感じたのは朝日の木漏れ日でもなければ、小鳥の囀りでもない。
ラインハルトを覚醒させたのは激しい地面の揺れだった。
「――何だ!?」
飛び起きて辺りを見渡す。何が起きているのか把握するのに数十秒を要した。2月の梅雨のように思考が鈍い。それでも寝起きの気怠さを一瞬で吹き飛ばした原因を思い出す。
――戦いは?V2部隊に命令を与えてからの記憶がない。そこから倒れたのか、理由は....そうだ、俺は仲間を失ったんだ。
彼にはもっと生きて欲しかった。不条理な人生を歩んできた男がようやく幸せを掴もうとしていたのに。全ては俺の責任だ。.....だが悔いていられない。事実を受け止めて前を見据える。俺はまだ生きているのだから。泣き言は死んだ後で幾らでもできる。生きている間は戦い続ける、俺の為に死んだ者達の為にも。
まずは現状を把握する事から始めるべきだ。
「.....あれからどうなった?」
部隊を後退させる命令を出してからの記憶がない。
少なくとも俺が生きていると云う事は味方も生き残っているはずだが。
作戦は上手くいったのだろうか。
ラインハルトの目的は連邦軍を後退させる事にあった。
その為には爆撃機を撤退させる必要があると考えた。
最初から全滅できるとは思っていない。だがそれで十分だ。
ヴィンランド合衆国が航空機を投入したのはこれが初めての事。つまり戦略的観点から見ても無理はできないはずだ。全滅は避けたいだろう。そして恐らく爆撃機を操作するパイロットは合衆国の人間だと思われる。義勇軍として加入した合衆国の部隊が支援したと考えるのが妥当だろう。
ならば付け入る隙はある。
全滅を避けたいのであれば一定の数を撃墜するだけで撤退するだろう事は容易に推測できた。
敵が撤退を判断する数は分からなかったが、多くはないだろう。合衆国にとっても大事な虎の子のはずだからだ。
そして爆撃機が撤退すれば連邦軍も退かざるをえない。制空権を失った時点で勝敗は兵の数が物を言う。それでも戦場に留まろうと考える奴は無能か馬鹿か、一握りの天才だけだ。
十中八九敵は後退する、その瞬間こそが千載一遇の好機だ。
俺ならその瞬間、全部隊で攻撃を開始させる。
全力で一斉攻勢に転じれば兵力差で我が軍の勝利は確実だ。
それがラインハルトの考えていた作戦の全貌だった。
だがラインハルトは倒れ、その間の過程を知らない。それが一抹の不安となってラインハルトの表情を曇らせる。もしかすれば現状は好転していないかもしれない。
胸中に妙な焦りを覚えたラインハルトの前にひとまずの朗報が現れた。
ラインハルトが眠っていた簡易天幕の元に一人の男が入って来る。
その男を見てラインハルトは笑みを浮かべた。
「無事だったか」
「殿下もご無事で何よりです、直ぐに医師を...」
「必要ない少し頭が鈍いだけだ問題ない」
「そうですか」
その男――シュタインも笑みをたたえて返礼する。
別れた時から何も変わらない様子だ。目立った怪我はない。
激戦があったはずなのに。
「流石だな、俺が命拾いしているのもお前達の御蔭なのだろうな」
「痛み入ります、その御言葉で死んだ者達も報われましょう」
「ああ、皆は良くやってくれた。それなのにこの俺の体たらく済まなく思う」
「そのような事は....」
「――いい、それよりも爆撃機の撃退は上手くいったのか?」
「敵の新型飛行部隊は撤退しました、殿下の目論見通りです」
「そうかウェルナーもやってくれたか、奴には無茶をさせた後で労うとしよう」
ウェルナー達の働きがなければ、こうして無事に話をする事も出来なかっただろう。それほどにこの戦争で彼らが果たした功績は大きい。存分に褒美を与えてやらなければな。
ラインハルトはひとまず最悪の展開は免れた事に安堵した。
それから何があったかを知るべくシュタインに問う。
それを待っていたのだろうシュタインは淀みなく答える。
「背後より迫る連邦の歩兵部隊を特務試験部隊と共に一掃した後、殿下の元に馳せ参じました。お倒れになる前に出された命令に則り、我々は前線からの後退を行いました。時を同じくして連邦軍も後退を開始したようです、やはり例の飛行部隊の撤退が決め手になったのは間違いないかと」
「だろうな、あれは空からの圧倒的なアドバンテージがあってこそ効果を発揮する突撃戦法だ。空からの支援がなくなれば連邦軍に優位性はなくなる、むしろ全滅を回避した敵の判断が優れていた。.....いやこれは俺の責任か、俺が倒れさえしなければ直ぐに進軍命令を出し決着をつけられたはずだ.....」
首を振っての言葉にラインハルトは目を瞑る。
何があったのか段々と分かって来た。――だからこそ後悔の念が湧き上がる。
「――やはり俺のせいだな、司令官不在で一時的に指揮系統が乱れたんだろう?だから直ぐに攻撃は行えなかった。敵はその間に後退しただろうから戦闘は今も継続中か――」
「はい殿下が倒れてからちょうど1日が経過しました、その間に敵は平原中央のクレーター付近まで退き、先程までは攻略戦が行われていました、敵の防衛力は堅実で攻略の目途は未だ経っていません.....」
ラインハルトの顔が悔し気に歪む。シュタインの言葉は続き、
「――ですが攻撃に転じられなかったのは前線の被害が予想以上に重度なものであったためです、敵が退いたのに合わせて我が軍も編成を立て直す必要があったのです。それで遅れが生じました。なので殿下がお倒れになられたから決定的な好機を逃した、と云う訳ではありません」
早とちりしているラインハルトに言い聞かせるようであった。
爆撃の被害がそこまで及んでいたとは思わなかったラインハルトは「そうだったのか」と軽い驚きを口にした。ラインハルトをして爆撃機の威力は予想を超えていた。
やはり合衆国は危険だ。今までは連邦にばかり目を向けていたが今後は合衆国も視野に入れておかなければならないだろう。
「だが今はあの国よりも連邦軍を――っ!」
またもや大きい地面の振動を感じた。
だが地震とは違う。爆発で起きる人為的な一瞬の揺れだ。
その揺れの強さに危うくベットから転げ落ちかけるラインハルトを咄嗟にシュタインが支える。いまの揺れが先程、自分を覚醒に導いたものと同様のものである事を瞬時に理解した。同時に前日にもこの揺れを体験した事がある。
――まさか!?
ラインハルトの顔が一気に強張る。
動揺する主君を腕にかき抱いてシュタインは言った。
「ご自分の目で確認されるのが良いでしょう」
***
この戦争は今まで多くの予想を超えて来た。
信じられないような現実が次々と押し寄せて、こちらを翻弄しようとして来る。どんなに必死になっても現実は常識を外れて目の前に現れるのだ。
そして今日もまたラインハルトの想像を軽々と超えた。
丘の上にラインハルトは居た。
天幕が在ったのはラインハルトが倒れた場所からそう遠くない所にあったのだ。そして視線の先、より厳密には双眼鏡の先だが――の映る光景にはあの陸上戦艦が存在した。
先の戦いで鹵獲した超重戦車の一撃により大破したはずのそれだが、レンズ越しに見える戦艦は壮健な姿を誇っている。つまり全くの別物であるその戦艦は平原で帝国軍を相手に猛威を振るっていた。
艦橋上の機関砲のバラ射ちで吹き飛ばされる兵士達で血の海が作られている。
帝国軍は為す術もなく逃げ惑うしかない。敵は十万を超えている。圧倒的な兵力に前線の帝国軍は後退を余儀なくされていた。
目を疑う光景に立ち尽くしていたラインハルトの傍らにシュタインが立ち。
「約二時間前に敵の増援が現れました。計画通り我が軍はV2部隊でこれの迎撃に当たっています」と説明をするがラインハルトはそれどころではない様子で、血相を変える。
「どういう事だ陸上戦艦が二隻だと.....!?」
ラインハルトの絶叫が示す通りアスターテ平原で猛威を振りかざす戦艦の数は一つではなく、その後ろにもう一つ同質の物が鎮座していた。攻撃には参加せず戦場を傍観しているに留まっているようだが、戦場に与える影響力は甚大だ。ことラインハルトに与えた影響は大きい。二隻ある事が問題ではないのだ。複数存在する事が問題なんだ。いったい連邦にはどれほどの余力がある。まだまだ力を隠しているのではないか?そう疑わせるには十分な光景だ。
一隻だけでも苦戦は必死だというのに。それが二隻、あるいはそれ以上あるとなると絶望的だ。
このままでは全滅するぞ。
――逃げるしかない。
指揮官なら誰でもそう考えるはずだ。
ラインハルトも直ぐさま司令官として全軍に滅諦命令を下そうとした。
だが寸でのところで、おかしいと感じた。
こんな状況であれば、例え無能な指揮官でも撤退を決断する。
ならばなぜシュタインはそうしない。
俺が何かあった場合、指揮権はその下に引き継がれる。
彼は有能を絵に描いたような男だ。戦局を理解していないとは思えない。
だとすれば何故。
その疑問に答えるように戦場で変化が起きたのは正にその瞬間だった。
気付かなかったが、よく見れば北の方角でも戦いが起きている。
なんだ?と思って双眼鏡に目を当てる。
映ったのは奇妙な光景だった。
それは――
「あれは騎馬隊か?」
ラインハルトの目に困惑の色が灯る。
あのような部隊はラインハルトの軍には存在しないからだ。
しかし強い。騎馬突撃で連邦兵を蹴散らしていく様は見事というしかない。古来よりの戦いぶりを思わせる彼らの戦法だがそこに古さはない、まるで新しい近代兵科のようである。現代でも通用するように作られている完成された戦術だ。その後ろから遅れてやってくる大軍を見て、ラインハルトはようやく気づいた。
はためく旗印に見覚えがある。
紅の下地に金の馬鎧――ハイドリヒ伯の軍勢だ。
そうこの時、北より現れたのはアイスの軍だった。
北より迫っていた連邦軍の別動隊を迎撃する為に一週間前に別れた友が、敵を倒して戻って来たのだ。その数は6万。別れた時より倍の数だ。ハイドリヒ軽騎兵団も完全復活を遂げている。
あれがハイドリヒ伯として認められたアイスの力だ。
それは士気にも現れていた。
敵の兵器を見ても士気は衰えるどころか、
ここからでもハイドリヒ伯軍から立ち上がる気炎が見て取れるようであった。
位置的にちょうど陸上戦艦を前にしても臆した気配はない。
それどころか軽騎兵団は陸上戦艦に向けて突撃を敢行する程だ。
「無謀過ぎる!死ぬ気か!?」
見ているこちらが青ざめる程の突撃に思わず叫ぶ。
当然、陸上戦艦も北から迫る軽騎兵団を見過ごすはずがなく。
長大な四門の機関砲を差し向けると、狙いを定めて照射する。
四発の轟音が轟きハイドリヒ軽騎兵団に降りかかる。
地面が爆発して馬と人が吹き飛ばされる。衝撃で馬から投げ落とされた者もピクリとも動かない。何十人もの騎兵が犠牲となっても、なお止まる事はない軽騎兵団。
「止めなければ全滅するぞ!アイスに通告しろ!」
「それには及びません」
「馬鹿な....」
何を言っている?
焦るラインハルトとは裏腹にシュタインは何も問題ないとばかりに淡々としている。
どうやら彼らの突撃の意味を理解しているようだ。
そしてシュタインは意外な事を言う。ラインハルトを見て逆に問い返したのだ。
「お忘れですか?この戦いの筋書きは殿下が計画したはずです」
「なに?」
俺が計画した筋書きだと?
いったい何の事だ。俺がこの状況を作り出したというのか?
困惑を隠せない。
倒れたショックで忘れてしまったのか。
思い出せないラインハルトにシュタインは語り掛ける。
思い出せるように、讃えるように、
「強大な敵と相対し幾多もの苦難を乗り越え、ようやく我々は殿下の描いた到達点を迎える事が出来たのです。.....本来であれば到底起こりえるものではなかった難行、その御業は神すらも欺き、奇跡を現実のものに変える鬼策、殿下はあの日、ニュルンベルクで我々に伝えたその時から、この日を待っていたはずです......」
おもむろにシュタインは指をさす。
自然とそれに釣られたラインハルトの視線がアスターテ平原を見た。
シュタインの指し示す先にあるのはハイドリヒ伯の軍勢。
そう彼らは北から現れた。
つまりそれは、彼女が来る方角と同じだ。
――まさか。
緊張が高まる中、シュタインの声を聞いた。
「最強の矛の帰還を......」
瞬間、軍勢の中から信じられないような光が迸り放たれた。光の線が平原を割るかのように突き進み、瞬きをする刹那の間に軽騎兵団の頭上を飛び越え――そして陸上戦艦の艦橋が光に飲まれた。
その光景を戦場に居る誰もが見ていた。
誰もが理解できないなか、目を見開いたラインハルトは、それが反撃の嚆矢であったことを理解した。