あの日たすけた少女が強すぎる件   作:生き残れ戦線

59 / 105
五十八話 

第15軍団長ヒューズ・フェリクスは気性が短く粗暴な男だ。

自己中心的と言ってもいい。自分の理想の為であればその他大多数は地獄に落ちても致し方ない。

常に優先すべきは自分の考えであり。結果、部下が何人死のうともそれが許されると考えている。

ハッキリ言って屑野郎だ。だがそれがまかり通る。

なぜなら彼には戦術家としての高い才能があったからだ。周りの者よりも遥かに。

才能だけで中将にまで上り詰めたからこそ。

 

『凡人どもが天才であるこの俺に尽くして働くのは当たり前の事だろう』

そんな事を平然と(のたま)う。

だが、それこそが究極的にいって指揮官の才能なのだろう。人を死なせることを躊躇わない。

凡人なら足踏みしてしまう事でも彼はノータイムでそれをやる。だから強い。

――今回もそうだった。

 

アスターテ平原の遥か地平線の先から現れる帝国軍。その数は膨大であり、一帯の平原を覆い尽さんとする勢いだ。どこにそんな数の兵を隠していたのかと驚愕を拭えない。目の前の光景が信じられなかった。

まるで蟻の巣穴の様に、そこから何万という兵士が這い出てくる。

 

「......敵の狙いはコレだったか」

「敵は大軍です助けに行くべきでは!」

「いや――!本隊は動かさない、あれは『釣り野伏せ』だ。周囲を警戒せよ、左右にも兵を伏せているかもしれん」

「ですが......!」

「落ち着け。心配せずとも前線部隊に命令は事前に与えておいた。何かあれば前線部隊は守りに徹するようにな。それよりも情報を調べさせろ、あれはハイドリヒ伯の軍ではない。あれだけの規模だ帝国軍の可能性が高いが。.......少し話が違うな」

 

今、正に今、奇襲を受けていると云うのに、

ヒューズ中将は敵が何者なのかの方が気になるようで遠い戦場を見据えている。

その間にも帝国軍は我が軍に対して攻撃を開始した。

逃げるハイドリヒ軍を追いかけていた15軍団は新たに出現した敵の攻撃に対して無防備すぎた。それまで狩人だと思って目の前の獲物を追っていたのに、実は罠に掛けられていたのは自分だったのだと気づいた時にはもう遅い。突如として出現した帝国軍が牙を剥く。

それでも危ういタイミングで防戦の陣形を作る事に成功したが、

敵はこちらの予想を遥かに超えて来た。

 

「強すぎる.....!なんだあの軍は!?」

 

敵は圧倒的に強すぎたのだ。あっという間に崩壊する前線。

右翼なんかは二時間も持たなかった。そんな馬鹿な!

次々と味方の部隊が倒されている。破壊の音が徐々に此処に向かって迫っていた。

帝国軍は右翼を突破すると回り込むように迂回しながらこちらの後方を目指して動き出した。敵の狙いが直ぐに分かった。こちらの退路を断つ気なのだ。

帝国重戦車を先頭に土煙を上げて接近してくるのが遠目からも確認できた。

ヒューズ中将も指揮をして対応する。予備部隊が迎撃に動くが、ダメだ敵の機動力の方が早い。よしんば敵の前に立ちはだかっても唐竹を割る様に突破され、間もなく撃破される。時間稼ぎにもならない。

舌打ちを一つ、

 

「撤退するぞ。後ろの森林部まで後退する。.......敵は強い。だが同時に敵の作戦は失敗した」

「我が軍に撤退の隙を与えた事ですね」

「そうだ。釣り野伏せは全軍を三隊に分け、二隊をあらかじめ左右に伏せさせておき、機を見て敵を三方から囲み包囲殲滅する戦法だ。だが敵はこの平原という立地故に正面にしか全軍を伏せていない。これでは我が軍の退路を断つことは出来ない。不完全な策だ」

 

このまま後退して森林部で戦闘を展開、本軍と合流すれば勝てる。

そう言ったヒューズ中将は、15軍団に撤退の指示を出した。命令が伝播し、全体は緩やかに動き出す。一つの生き物のように、第15軍団は背後のライン川に向かってゆるやかに後退を始めた。

ライン川には渡川用に幾つか即席の工作橋を架けてある。

それを渡って対岸に退却するのだ。ちょっとやそっとでは壊れない作りだ。

狭い橋ではないがそれでも7万もの第15軍団を渡らせるには少なくない時間が必要となるだろう。いったい何人がこの橋を渡れるだろうか。想像もしたくないが。

それでも本隊を逃すには十分過ぎる時間がある。

だからヒューズ中将だけでなく自分を含めて周りに居る誰もが全く恐怖を感じてはいなかった。

 

――その瞬間までは。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後列にいた兵士たちが早くも橋を渡り始めた。数百人の兵士が渡り出してもビクともしない橋を見て人知れず安心を覚える。流石は連邦製の工作橋だ高品質なんだろう。重戦車や兵器の類も運ばれて、それが長蛇の列を作っていた。背後からは相変わらず激しい戦闘の音が遠くに聞こえる。何十何百と放たれる砲弾の音が地面を震わせる。あまりの激しさに地面が揺れる様な錯覚を覚える程だ。

 

―――――――――

―――――――――?

―――――――――!?

 

――いや違う!

 

砲弾が地面に着弾する衝撃だけにしては地面の揺れが激し過ぎる。何万という人間の踏みしめる足音だけでこんな音は聞こえない。もっと超越した計り知れない何かが地面を伝って近づいてくるような。そんな音だ。地震とかそういった類の。

無意識に感じていた、人間の力では抗いようのない猛威が迫る感覚を。

もう誰もがその異常に気づいていた。ゴゴゴゴゴと地面を震わせながら迫る轟音を。

凡そ生物の本能に訴えかける恐怖の衝動が足元から這い上がり。

全員がゆっくりと音の迫る方に視線を向けた。

 

普段は気にも留めない身近な日常の風景の一部。それがどれほど恐ろしい力を発揮するか誰も考えた事はないだろう。目の前にしてようやく気づくのだ。

それが世界を一変させる程の災害だと云う事に。数秒後――それが全員の目に映った。

ライン川の上流から流れ込む水瀑布の迫るその瞬間が!

 

「........あ」

 

逃げる暇はなかった。いや、誰もが動けなかったのだ。目の前に迫ってくる圧倒的な力の奔流が。世界を構成するうえで下位の存在である人間に微動だにすることを許さなかった。仮に動けたとしても間に合わなかっただろう。それ程に全ては一瞬の出来事だった。圧倒的である自然の激流が全てを洗い流すまで10秒と必要なかったのだ。人も戦車も工作橋も悉く、凡そ人間の作り出したあらゆる物が創造主を含めて水の中に消えていった。

後に残ったのは濁流する河川が道を閉ざす光景だけ。

全員が息を吞み暫し呆然とするしかなかった。

 

「まさかこのタイミングで川が氾濫するなんて.....」

半ば現実逃避から漏れた声に対して鋭い叱声が飛ぶ。

「馬鹿か!これが本当に自然的に起きた事だと思っているのか!?」

 

それが氾濫する川を呆然と見ていたヒューズ中将の最初に言った言葉だ。

彼が狼狽する顔を初めて見た。

 

「どういう事ですか......?」

「分からないのか!?これだから凡人は......!

これは水計だ。上流に堰を作り機会を見て放流したのだろう。

......だが情報部からこんな情報は届いていない。そんな施設があるなんて聞いてないぞ.....!」

 

ヒューズ・フェリクスは震える声でブツブツと思案に耽る。それまであった余裕の表情が崩れた、その大きな要因は予めライン川に関する資料を読んでいた事が関係する。連邦の秘密情報部SIS(地域課)の諜報員が戦前の八か月前、帝国のあらゆる地域を諜報活動の一環として隈なく調べ上げた事がある。彼らの活動は人知れず行われた。

内容は多岐に渡り、ライン河川の調査もその一つだ。

その結果、ライン川に関する一つの報告書が出来上がった。帝国軍の上層部が知ればその完成度に驚異を抱いた事だろう。あらゆる治水施設の有無が事細かく網羅されたソレは戦況を有利に働かせる。.....はずだった。

 

「情報部の報告が間違っていた?いやありえない!文字通り命を懸けている諜報員が誤った情報を送るはずがない。だとすれば調査以降に作られたと考えるべきだ。しかし.....」

 

情報部の調査以降という事は施工から一年もない、それでは堰堤(えんてい)が半年間程度で作られた事になる。ありえない。治水という重要な施設がそんな急ピッチで作られるはずがない。堰堤を作るにあたって重要なのは耐久性と安全面だ。このふたつが考慮されてなければ決壊などの大事故に繋がりかねない。目の前の光景がそれだ。

つまりだ、上流のどこかにあるであろう堰堤が作られた理由は。

 

「軍事利用目的。それも我が軍の退路を断つために作られた事になる......」

 

自分で出した結論が信じられない。と云った様子で放心するヒューズ。彼はまさしく天才だった。濁流する川を見ただけで敵の意図を瞬時に見抜き、正しく敵の狙いを理解した。

だからこそ恐ろしい.....。

 

なぜならば敵は最低でも半年前から連邦軍の動向に気付き、罠を張り待ち構えていた事になるからだ。連邦軍の一大反攻作戦『ノーザンクロス』は帝国に気付かれるよりも早く進撃を始める事に意味があった。迎撃の暇を与えない程のスピードで軍を動かし勢いのままに首都を落とす。

その為には作戦決行まで敵に気付かれてはならない事が重要だった。上手くいったと思っていた。だが違ったのだ。敵は気づいていた。我が軍の到来を予期していた。そうでなくては目の前の光景を証明できない。いつだ、いったいいつから敵の術中に嵌っていた。ハイドリヒ伯を追撃した時からか。防衛線を突破し国境を越えた時か。調査以降の半年前からか。それとも、

 

「......1年前の最初からか?」

 

理解した瞬間、背筋に氷柱が差し込まれた様な感覚と共に、

動員兵力600万を超える史上最大の作戦、その足元が根底から崩れ去る錯覚を覚えた。計り知れない恐怖が襲う。恐らくこの事に気づいているのは世界で俺しかいない。そう思ったからだ。

帝国の掌の上にある事を知らない連邦軍。これは全ての戦線で戦う同胞達に危険が迫っている事を意味する。救えるのは俺しか居ない。――とヒューズはここまで読んだ。

 

天性の読みの深さだ。ただ惜しむらくはここまでの罠を用意したのが帝国軍などではなく、これら全てをたった一人の男が画策したのだと云う事だが、流石にそこまで正確に分かるはずがない。

それでも目の前の敵が異質である事は当に理解している。不完全と思っていた敵の作戦は川の氾濫によって完全なものとなった。恐らくだが情報部の報告から罠は無いと判断して川を渡った事さえ敵は計算に入れていたのだ。裏の裏をかいた敵の策に戦慄を拭えない。

いったい何手先を読んでこの状態を作り出したというのか。

 

「帝国の指揮官は化け物か......?」

 

凡そ何百手と先読みしなければ実現しなかった筈だ。失敗も含めてあらゆる展開を想定しながらリアルタイムの調整をしつつ己の作戦を成功に導いた敵に畏怖を覚える。美しいとすら思った。

例えばチェス等では卓越した打ち手同士は駒の動き一つで相手の考えが読めるというが、戦場にもそれがあるとヒューズは考える。ハイドリヒ伯を囮として誘い、伏兵を用い、後退を促し、退路を断ち、殲滅する。一連の流れを見て敵は冷酷にして緻密な完璧主義者だと云う事が分かる。恐らくだが敵の目的は我が軍の全滅だろう。完全に戦いの流れは敵に傾いてしまった。ここからの逆転は無い。退路を失い絶望的な状況と言える。諦めて投降する局面だ。

 

――普通の凡人ならば。

 

「俺が天才だから気づけた。だから生き延びる義務がある。伝えなければならない敵の真の恐ろしさを......。そうしなければ連邦軍に勝利は望めない」

「閣下.....?」

 

ヒューズ・フェリクスは天才だ。それを疑う余地はない。どんな状況だろうと彼は最善手を打つ事が出来る。そして、人を死地に向かわせる事に何の躊躇いもない。それが必要な事であると判断すればノータイムでそれをやる。だから今回もそうした。怪訝な表情で窺う副官に向けてヒューズは言った。

 

「本隊以外の全ての部隊は敵帝国軍に全力攻勢を開始せよ――」ちょうどその時、夕日が地平線に沈み、途端に闇が染まり出す「――全部隊が攻勢を仕掛けているその間に、本隊は闇夜に乗じて――逃走する」

 

東部戦線600万の同胞を救うために――彼は6万の部下を切り捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。