霧の様に漂う毒ガスを掻き分けながら。門を通り抜け進み続ける。
まもなく視界を遮っていた邪魔な毒霧が晴れ。
そして、予想していた通りの光景が目に映った。
数百メートル前方で、帝国軍とガリア公国正規軍が激しい戦いを繰り広げている。
だが、誰の目に見ても戦況はガリア軍が優勢だった。
ガリア軍は帝国軍を中心に据え左右から攻撃を仕掛けていたのだ。
等間隔で並ぶ多数のガリア軽戦車による砲撃が、空気を震わせ、着弾の響きが平原に乱発する。
その様子を眺めながら「やはりこうなっていたか」と眉根を寄せた凛々しい表情でセルベリアは呟いた。
最後に城壁の上から見た光景から想像していたが、やはり敵は要塞の壁を崩した後、目標を帝国軍に変え。挟み込んだのをいい事に好き放題狙い撃ちにしているようで。ガリア軍の攻撃に抵抗する帝国軍の反撃は上手く統制が取れていない様子だ。
それもそのはず、退却しようとしていた要塞の入口は毒ガスによって封鎖され、あまりの事態に混乱した事だろう。あげく挟撃を許してしまい、もはや絶体絶命の窮地と言っても過言ではない。これではまともな指示を出す余裕もないだろう。
普通の指揮官なら匙を投げてしまっている状況だ。
しかし、目の前の帝国軍の指揮官はよほど肝が据わっているのか知らないが、徹底抗戦の構えを崩していない。白旗を上げて降伏する気配はなかった。
フッと口角をセルベリアは上げて。
――おもむろにヴァルキュリアの槍を右翼のガリア軍に向ける。
.....士気が死んでいたなら見捨てる他なかったが、これならまだ、目の前の帝国軍には助かる望みがある。
目標に狙いをつけて、勢いよく力を込めた。
「光よ......!」
言下に蒼い炎のオーラが揺らめき、螺旋を描き反応を見せたヴァルキュリアの槍が必殺の光を撃ち飛ばす。
一直線に放たれた光線は見事、
それで終わらず、今度は左翼側のガリア軍に視線を移すと、狙いを変えて槍先を向けるセルベリア。
そして先程と同じ光景が繰り返される。
渾身の力を溜めた蒼き奔流が迸り、密集するガリア軍部隊が光に焼かれた。
遠目からでもガリア軍の混乱が良く分かる。
もはや勝利を確信して攻勢をかけていただけに、認識外からの奇襲にはさぞかし驚いた事だろう。未知の攻撃にあっさりと恐怖を宿したガリア軍の両翼部隊は攻撃の手を止める。
敵が態勢を立て直すまで、これで少しの間だけ時間は稼げる。
その間にセルベリアは前方の帝国軍と合流するつもりでいた。
ヴァルキュリアの槍と盾をしっかりと握りしめ、動き出そうとしたその時、背後から近づく存在に気付いた。
素早く振り返る。夥しい量の毒ガスで遮られた要塞の門が映った。
毒ガスのせいで未だ視認できながい。が、気のせいではない。耳を澄ませば確かに足音が聞こえてきた。
「......物好きな奴も居たものだ」
まさか自分の他にも要塞前の帝国軍を助けようと駆けつける者が居ようとは思わなかったので、少しだけ興味をもった。
待つこと暫し、程なくして人影は現れる。
分厚い毒ガスの膜を破って出て来たのは一人の帝国兵だった。前時代的な赤銅色の鎧兜を全身に纏った一般的な装備の他に、幾つもの道具を身に帯びている。
「うわっ!?」
待ち構えていたセルベリアに気付き驚きの声を上げる帝国兵。
......いきなりの挨拶じゃないか。
それを見て少しだけムッとするセルベリア。面妖な者に出くわしたとでも云うような驚きようにジトリと半眼になる。
と、そこで気づく。
そういえば今の私はヴァルキュリアだったな、ならば驚くのも無理はないか.....。
この状態のセルベリアを見て驚かなかった者はいないのだから。
一応納得すると、安心させる様に言った。
「私は帝国軍第08都市駐在師団遊撃機動大隊長セルベリア・ブレス大佐だ。今作戦における友軍の救援に向かう途上である。貴様は何者だ.....?」
「っ!?し、失礼しました!自分はガリア侵攻部隊第5師団所属カール・オザヴァルドであります!」
続けて「兵科は衛生支援兵、肩書きは団長補佐です大佐殿!」と云う言葉にセルベリアは成る程と頷いた。
ガリア侵攻部隊第五師団とは正に今現在、危機に瀕している前方の部隊の事だったはずだ。
「つまり目的は一緒というわけだな」
「はい!お供させていただきます!」
「......わかった。後方に退避せず、此処に来たと云うことは死ぬ覚悟も出来ていると云うことだろう。ならば私から言う事は何もない、時間が惜しい今、止めはしない.....」
そう言って前に向かって進みだすセルベリア。敬礼をしていたカールはその背を見て笑みを浮かべる。
貴重なラグナエイドを持つ衛生兵だ。後方に戻らされるかと思ったのだろう。
「ありがとうございます!」
言ってセルベリアを追いかける。
......団長、みんな、待っていてください、必ず向かいます。怪我をしていたらきっと治してみせますから。
と使命感に燃えていたカールに、前を行くセルベリアが。
「......やはり先に謝っておく、すまん」
唐突に謝罪の言葉を言って来た。いったいなんで謝られたのか全く分からず首を傾げていたカールが訊ねようとしたその時――
ドゴオオオオン!!
「え?」
被害こそなかったものの、着弾の風圧が頬を撫でてくる程度には近い。そんな距離にいきなり迫撃砲の弾頭が落ちてきた。
帝国軍を狙った流れ弾だろうか?いや、違う。よく見れば左右に展開するガリア軍の全砲門が何やらこちらを見ているような......。
鉄兜の中で顔を引き攣らせるカール。ダラダラと汗が流れてきた。
「な、なんだか僕たちを狙っていませんか......?二人しかいないのに何でわざわざ?」
「お前が来る少し前に私が敵の攻勢を崩した。その間に合流するつもりだったのだが、どうやら混乱を収めたようだな.....」
しかも攻撃を邪魔されたガリア軍はさぞかし憤慨しているのか、下手人のセルベリアに向けて、 一斉に攻撃を仕掛けてきた。
「死にたくなかったら死ぬ気で走れ!」
「ま、待ってくださいセルベリア大佐!?」
走り出すセルベリアの背を慌ててカールは追いかける。
野戦砲の弾が飛来した。
快晴の青い空を埋めつくさんばかりの勢いで。
あ、これは死んだ。と青年が思った瞬間――放たれた弾雨が地を叩き、舞い上がる粉塵。
爆音と振動の大合唱がカールの鼓膜を震わせた。
「うわあああああああ!?」
直ぐ傍で起きた爆風に晒されながら。カールは涙目で走る。
後に味方の救援に激しい弾雨の中を無傷で駆けつけた事から『鉄人』の異名を与えられる事になる若きエースの姿であった。
――――――――――――――――――――
死にもの狂いで走り続けた青年と終始余裕の表情を崩さなかった美女は何とか要塞前の帝国軍と合流する事に成功した。
そして現在。
ぜいぜいと疲労の表情を滲ませるカールを引き連れたセルベリアは帝国兵の男に案内を受けている最中だった。
思ってもみなかった来援に当初は酷く驚かれたものだが、衛生兵であるカールの存在を知るやいなや、その場の隊長格の男が連れて行くよう指示を出したのだ。
聞いてみたところ、どうやらこの部隊を統括する師団長が負傷したらしい。
なんでも呆れた事に団長自らが率先して前に立ち、迫り来るガリア兵と戦っていたらしく、何十人という敵を討ち続けた果てに仲間を庇い銃弾を受けたのだとか。
それを聞いてセルベリアは納得した。
恐らくは団長自らが獅子粉塵の活躍を見せていた事が部隊全体の士気高揚に繋がり、この絶望的な状況においても一歩のところで踏みとどまっていたのだろう。
しかし、代わりに指揮を副官に任せていた事で思い切った軍事行動が出来ず、亀の甲羅の如く耐え続けるしか出来なかったと云うことか。部隊の統制が上手く取れていないと感じたのはその為だ。
「団長が倒れてもうダメかと思ったよ、衛生兵はみんな要塞に留まらせてたから。あんた達が来てくれて助かった」
最初に想定されていたガリア侵攻部隊第5師団の作戦内容はあくまでガリア正規軍の進攻を寄せ付けない為の壁である。外敵を威圧するだけでよく、戦闘行為は二の次といういわば門番の様な役割を求められていた。
それでもなお敵が向かってくる場合は要塞に籠り防衛せよ、と云うのが首脳陣が描いたシナリオであり。
描いたシナリオ通りならば野戦を行う必要がないため衛生兵等は要塞に収容した傷病兵の治療を優先的に行わせていたのだ。
カールがこの部隊の一員でありながら要塞に居たのはそう云う理由があった。
だからこそ、セルベリアは思った事を口にする。
「師団を束ねる指揮官自らが率先して前線に立つなどと少々迂闊過ぎではないか?将が討たれれば部隊が瓦解するのは目に見えている、今回の負傷も自業自得としか言えない.....」
それに対して前を歩いていた案内役の男がムッとした表情になる。
「仕方なかったんだ、この絶望的な状況で士気を保つためにジェシカ団長は前に立って俺達を鼓舞し続けてくれた。アレがなければ俺達はとっくに終わっていたさ。それに団長は恐ろしく強い、味方を庇いさえしなければ......!」
「ジェシカ.....?それが中佐の名前か?」
「ああ、そうさ。
・
・
・
・
それっきり会話は途絶え、セルベリア達は歩き続ける。
やがて帝国軍の中心に到着したセルベリアの前に件の人物が現れた。
いや、現れたと云っても彼女は部下達に守られながら地べたに座り込んでいたのだが.....。
外見としては柔らかな金髪を肩の辺りで切り揃え、意志の強い碧眼の瞳をもった美女と表すのが妥当だろうか。
傷が痛むのか顔をしかめてその美貌には陰りがある。
本当に軍人かと思う華奢な体には将官だけが着る事を許される黒地の軍服を纏っていた。
ここまでが、セルベリアが彼女を見て抱いた感想である。
これまで出会って来た一般的な将校を見て覚えるものと同じ何気ないものだった。
だが彼女はそうでは無かったらしく。
案内役の男が紹介するセルベリアの姿を見て驚いた表情になっていた。
「セルベリア・ブレス!?なぜ貴女が此処に.....?」
どうやら相手は自分の事を知っていたらしく、自己紹介してもいないのに顔だけを見て名前を当てられた。
これにはセルベリアも少しだけ驚いた。
「私の事を知っているのか?」
「っ......外見などを人づてに聞いただけです、それ以上の事は知りません。ええ、貴女の過去とは全く関係ありませんから.....」
尋ね返すとジェシカはハッと表情を変え、フイッと視線を逸らした。
『私なにも知りませんよ?』とでも言うような素知らぬ素振りだが、あからさまに怪しい。というか嘘が下手過ぎる、何かを隠しているのは明白だった。
ジッと見詰めるがセルベリアには気まずそうにしている彼女が何を隠しているのか分からない。
問い詰めようと口を開きかけた。
――と、そこで。
「ジェシカ団長!怪我をしていると聞きました!直ぐに治療します!」
セルベリアの横を超えて前に飛び出たカールがジェシカの前で跪き、容態を確認しようとする。
そんなカールにジェシカは申し訳なさそうに言った。硝煙塗れのボロボロの鎧を見て。
「ありがとうカール。すみません、私が不甲斐ないばかりに、貴方に無理をさせてしまいました」
「僕の方こそ申し訳ありません。僕の任務は団長の傷を癒す事なのに、直ぐにそれが出来ず.....」
「それでも貴方はちゃんと私の元まで来てくれました、感謝します」
申し訳なさそうにするカールに向かってジェシカは優しく笑みを浮かべるとそう言った。
鎧兜で分からないが照れた笑みを浮かべているカールは抱えていた荷物の中からラグナエイドを取り出すと、それをジェシカの傷口に当てる。
「銃弾は貫通しているようなので、このままラグナエイドによる治療を開始します。少しだけ痛みを感じるかもしれませんが我慢してください。......大丈夫ですか?顔がすぐれないようですが.....」
「っ.....え、ええ。大丈夫ですカール。何も問題はありません、ありませんとも。......うぅ」
いや、絶対に問題はあった。
何故かジェシカはカールの持つラグナエイドを見て顔を蒼褪めさせてしまっているのだ。
白磁の様に白い肌だからより顕著に表れていて良く分かる。心配になったカールが訊ねるのも仕方ない事だろう。
まるで歯医者を嫌がる子供の様な、大人びた美貌に反したその姿に親近感めいたものを感じる。
なにせセルベリア自身も幼少の体験によってラグナイトの発光現象が苦手だった。
どうしても虐待染みた実験の記憶が脳裏をよぎるからだ。
もしかしたらジェシカにも何かしらのトラウマがあるのかもしれない。
目をギュッと瞑るジェシカに対して、恐る恐ると云った様子でカールはラグナエイドを使用した。
容器に閉じ込められたラグナイトの原石が発光すると、痛みが和らいでいるのか穏やかな顔になっていく。
それから何事もなく無事に治療は終わった。
ジェシカの治療が済み、周囲に控えていた兵士達から安堵の声が広がる。
だが、コレで一安心とはいかない。
事態は何も改善されてはいないのだ。戦闘は続いている。今もガリア軍から届けられる砲撃の音が断続的に聞こえていて。
帝国重戦車を盾に凌いでいるようだが苦戦は免れない様子だ。
全滅は時間の問題だろう。
「時間が惜しい。早速で悪いがこの状況を打開するべく動くとしよう」
その言葉にジェシカは表情を曇らせた。
「ですがどうすればいいのでしょうか.......。情けない事ですが私にはこの戦況を覆す策はありません」
......そもそも彼らをこのような窮地に追いやってしまったのは私の責任だ。彼ら第五師団の命を預かる者として自分は選択を誤ってしまった。
やはり私は隊を統べる者として失格なのだろう.....。だけど諦めることは許されない。
指揮官として大勢の命を束ねる重圧が彼女の肩に圧し掛かる。そのプレッシャーは計り知れない。
だが彼女はもう一度立ち上がらなければならない。それが指揮する者の義務なのだから。
足に力を込めて立ち上がろうとする。
震える彼女の肩に―――ポンと手が置かれた。
ゆっくりと振り返るジェシカの目に、不敵な笑みを浮かべるセルベリアが映る。
そして.....。
「大丈夫だ、後は任せてくれ。必ずこの戦いを勝利に導いてやる」
たったそれだけで、もう大丈夫なのだと。
鉛の様に重い責任という枷から心が解放される。張り詰めていた緊張の糸が解けていくのを感じた。
......まさか貴方に助けられるなんて、運命とは何て皮肉なのでしょうか。
複雑な心境を表情に滲ませたジェシカは。
それでも、皆を助けてくれるなら.....。
「........貴方に私の命と部下の命を託します。だからどうか力を借してください!」
「――そのために私はここに来た」
力強くセルベリアは頷いた。
―――――――――――――――――――――――――――
「フハハハハ!この戦い儂らの勝ちじゃな!」
双眼鏡を構えて遥か前方を眺めるその男――ゲオルグ・ダモンは勝利を確信していた。
三千の正規軍と要塞から撤退したダモンは直ぐさま平原に待機させておいた主力部隊と合流し、時期を見計らっていた。
そして、要塞が完全に制圧され、要塞前に帝国軍が現れたのを見て、ようやく重い腰を上げたダモンは作戦を開始。両翼の部隊を前進させる。
事を仕損じぬよう大量に投入した戦車部隊は要塞前に近づくと、帝国軍を包囲すると見せかけて、仕掛けを施していた要塞の壁に向けて全砲撃を放つ。
描いていた作戦は見事成功を収め、流体ラグナイトガスは要塞に飛び散り。多くの敵が死んだことだろう。
その中にガリア人が居た事はダモンにとって重要ではない。
そして、壁を破壊した両翼の部隊は流れるように次の作戦に移った。
逃げ場を失った帝国軍の駆逐である。非情なダモンらしい作戦であった。
一斉に放たれるガリア軽戦車の砲撃は籠の鳥である帝国軍を襲い。ダメ押しにガリア兵を差し向わせた。
兵力・地の利共にガリア軍が圧倒的に勝っているのは、もはや明白である。
その光景は安全な中央の部隊の中で観戦していたダモンに勝利を確信させるには十分であった。
「大成功じゃ!全ての作戦は完遂され!要塞の敵も全滅し、もはや儂の邪魔をする者は何処にもおらん!帝国軍め儂の力を思い知ったか、ガハハハハハ!!」
上機嫌なダモンに水を差す声がポツリと紡がれた。
「.....閣下は本当に陸戦条約で禁じられている毒ガス兵器を使用したのですか.....な、なんてことだ.....!」
高らかに笑い声を上げるダモンの横に立つのは副官のハインツ。
未だ現実を受け入れられない彼は信じられない様子で震わせた口から言葉を漏らした。その声音にはダモンに対する不信感がありありと込められていた。
反感の声を聞いたダモンは興を削がれたとでも言うように肥えた顔を歪めると、
「先ほどちゃんと教えてやったであろうが?今回毒ガス兵器が使われたのは事故であると。良いか?流体ラグナイトガスを貯蔵していた要塞の壁に砲弾が直撃してしまったのは防ぐことの出来ない不可抗力であった、なんせギルランダイオ要塞を奪還する為の必死の一戦だったのじゃからのう。ここを抜かれてはガリア公国存亡の危機となる。故に今回の様な誤りが起きてしまったとしても仕方のない事だったのじゃよ」
勿論それは明らかな嘘である。
ダモンは確かに毒ガスの有無を知っておきながら、ガリア軽戦車部隊に要塞の壁を撃たせた。
事実、ギルランダイオ要塞から逃げる際にはその作戦内容を自信満々に言ってのけたのだから。
つまり、今さらダモンが言っている言葉の意味は、陸戦条約を違反した責任を逃れる為の建前でしかない。
流体ラグナイトガスが漏れだしたのはあくまで事故であり、意図的なモノではないと、つまりはそういうことである。それが真実であると副官にも事実確認の強要を行った。
ダメ押しするようにダモンは言った。
「よいな?我が軍が毒ガスを行使した事実はなかった。あるのは痛ましい悲劇だけじゃ、そもそも帝国軍が攻めてこなければこんな事にはならなかったのじゃからな、儂らは何も悪くはない。その事を肝に銘じておけい」
ガリア公国軍最高司令長官の言葉を前に、一介の副官が反論できるはずもなく。
「......はい、ガリア軍に毒ガスを使用した事実は.....ありませんでした......っ!」
「それで良いのだ、フワッハッハッハ!」
「――――将軍閣下」
またもや顔をしかめる位の大声で笑いだすダモンに、前方を見据えていたもう一人の副官が声を上げた。要塞後部において避難するダモン達を出迎えた男だ。その表情には少しだけ焦りがある。
「戦場の様子を見て下さい。何やら帝国軍の動きに変化が起きている様です」
「なんじゃと.....?」
もはや勝利は確定しているこの状況で何を焦っているのだ.....。
訝しんでいる様子のダモンは面倒そうに手元の双眼鏡を覗いて、遥か前方の戦場を視界に映す。
そこでは確かに副官の言った通り、帝国軍がおかしな行動をとっていた。
それまでは挟撃する自軍の猛攻撃に敵は亀の甲羅の如く防戦一方だった。その敵が今やこちらに向かって前進を開始しているではないか。
しかしそれを見て、ダモンはふんと鼻を鳴らした。
「自殺行為でしかない、どうやらただの悪あがきのようじゃな。最後に儂らと一戦を交わし、華々しく散ろうとでも言うのじゃろうて。それよりも突出した左翼と右翼の部隊は何をしておるのか、簡単に抜け出されおって」
「閣下、後方に退避するべきかと」
副官が心配するのはもっともで、観戦目的のダモンは何を考えたか最前列に居るからだ。
挟み込むガリア軍の間から抜け出た帝国軍はグングンと速度を上げて、ダモンの居る本隊に向けて
このままでは真っ先にダモンの居る部隊が眼前の帝国軍と接触してしまうだろう。
それでもダモンは焦りを見せず。
「なに、心配するでない。儂自ら指揮を執ってやる。五千の部隊を前に出し帝国軍の足を止めよ」
ただそれだけでいい。それ以上の指示は必要ない。ダモンはそう考えた。
ダモン旗下の部隊を、こちらに向かい迫る帝国軍の前方に置き。
前進する帝国軍を追いかける形の右翼と左翼のガリア軍を利用して包囲する事が狙いだ。
合わせて三万もの兵力からなる包囲殲滅を行い、今度こそ帝国軍は全滅を余儀なくされるだろう。
はたして指示通りダモン直轄のガリア正規軍が前進を始める。
横一列に並ぶ八十輌もの軽戦車が、ヴィイイイイン――とラジエーター特有の音を響かせながら前に進み、
その後ろを五千からなる兵士が追従する。
そして、前進する帝国軍の進路上に立ち塞がった。
その光景にダモンはにんまりと笑みを溢し。
「これで完全に帝国軍の詰み、儂の勝利じゃ。ガハハハハハ!」
後は帝国軍を本隊で抑え込んでいる間に、右翼と左翼の到着を待てば自然と包囲陣は完成する。
勝利はあと一歩の所まで来ていた。
ガリア正規軍と帝国軍が接触しようとする。まさにその時、
―――ダモンの視界を一条の蒼き閃光が走る。
「は......?」
押し寄せる帝国軍の先頭から、突然不可思議な色の光が瞬いたかと思ったら、視界の先で軽戦車の装甲が吹き飛んだのだ。爆発の威力は凄まじく。驚く事に衝撃の余波でまとめて数輌もの戦車が宙を舞った。
呆然とその様子を眺め.....。
「.......なんじゃとお!?」
我に返った瞬間ダモンは叫んでいた。
何が起きたのか理解できない光景に、驚愕を露わにする。
いったい何が起こったのだ.....?
ポカンと口を開けて呆気に囚われている中、またもや光線が放たれた。立ち塞がっていた部隊が光に吞み込まれていくのをダモンは黙って見ている事しか出来ず。
後に残るは高熱で焼き切られた鉄の残骸と焦げた大地に崩れ去る無数の灰塵。
恐怖と怒声が平原に響き渡る。
そして――
混乱に包まれるガリア正規軍に対して、帝国軍は待ってはくれない。それどころか受けた痛みを倍返そうと、怒気を露わに前進していた帝国軍が、遂に衝突する。
瞬間――
戦場は一気に混沌と化し、平原に流血と硝煙の臭いが立ち込める。
「なんだ、なんなのだこれは.......!?」
勝利に彩られていた輝かしい光景はそこになく、あるのは鮮血と死に溢れたおぞましい戦場だ。
正規軍が倒されていくのを呆然とした様子で見ていたダモンは、これは悪い夢だと錯覚を覚えた。
......勝っていたのだぞ、一瞬前までは確かに儂の勝利がそこにあったのだ!
それがどうだ。今や帝国軍の勢いは収まる事を知らず。抑え役であった正規軍は鎧軸一触が如きやられ様で敵の進攻を許す始末。
このままでは両翼の部隊が敵の後背を突く前に、本隊は壊滅するであろう。
「いかん!いかんぞー!誰でもいい敵の進攻を食い止めよ!」
必死に叫ぶが、もはやどうにもならない。周りの副官達も戸惑いの表情で顔を見合わせるのみ。
ダモンの叫び声だけが空しく響いた。
と、その時――横に配置していた軽戦車の一つに光線が直撃した。蒼い光をともなって爆発を引き起こす。
「ヌオオオオオオ!!?いったい何なのだこの光は!?どこから.....!」
爆風に髭をなびかせながら慌てて双眼鏡を覗き見る。
拡大する視線の先に、一人の女を捉えた。
浮世離れした絶世の美女が、その手に奇妙な槍を構え、帝国重戦車の上に立っている。どうやらあの女こそが光の正体であるらしく。幾度も渦巻く槍の先より蒼き光の奔流を迸らせている、その度に戦場からガリア公国の誇る戦車や兵士が消えていった。
その光景から目を離せないでいたダモンはある事に気づく。
眼前の敵を槍の力で一掃しながらも、
女は誰かを探すように戦場を見渡していて.....。
やがて女の紅い瞳がダモンの視線と交差する――
途端に心臓を鷲掴みにされたような気分になる。まるで首筋に剣刃を突きつけられたような、血の気が引く思いのダモンは慌てて双眼鏡から目を外す。気づけば恐怖で口を開いていた。
「て、撤退する!早くここから逃げるのだ!!全軍撤退-----!!」
言うや否やダモンは脂肪の詰まった体を揺すりながら急いで停めていた車両に搭乗する。
ここに居たら助からないと、あの女の目を見た瞬間に直感したのだ。
獣の勘とでも言うのか、その判断は正しかった。
もし仮に逃げようとせず、呆然自失と其処に突っ立っていたら、間違いなくダモンは捕虜にされていただろう。
現にセルベリアの姿は既に重戦車の上になく。
ガリア兵を薙ぎ払いながら、猛然と戦場を突き進んでいるからだ。
あの肥えた男――ダモンを視認した瞬間セルベリアは飛ぶが如く走り出していた。
その進攻を阻むガリア兵を、紙を裂く様に容易く薙ぎ払っていき、瞬く間に最後尾を抜け出すと....。
五分と経たずダモンが立っていた場所に到達した。
しかし、その時にはダモンの乗った乗用車の姿は遥か遠くに在り。周囲は正規軍で固められている。
ダモンは這々の体で戦場から逃げ出したのだ。
そして、この瞬間をもって、ギルランダイオ要塞を巡る戦いは、終息に向かっていった.......。