一話 皇子暗殺編
東ヨーロッパ帝国連合の主城、玉座の間。
呆れるほど長い真っ赤な絨毯を敷き詰めた謁見の場に、無数の重臣たちが集っていた。皆すべてが貴族と呼ばれる者達で帝国において上位の人間である。
今日は軍議の日であった。
征暦1930年。
栄えある東ヨーロッパ帝国連合は大西洋連邦機構との開戦を布告。戦火は激化の一途をたどっている。現在、両者の勢力は拮抗。戦線が膠着している今、帝国上層部は新たな戦いを決断していた。
奥の一段高い玉座に腰を据えた皇帝。それにそびえるように貴族たちが並んでいる。皇帝に近い者がより上位の地位にいるのだ。
皇帝の前に一人の男が跪いている。
金髪に蒼氷色の碧眼をもつ男ラインハルトは、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
それに反して謁見の間はシンと静まり返っていた。
それは先程ラインハルトが言った言葉にある。
要約するとこうだ。
『申し上げた通り。此度のガリア方面軍進攻には兄上マクシミリアン率いる軍だけで事足りるはず。この上更にわたし自らが向かう必要はないかと。無駄な労力を兵士に強いるのは将として愚の骨頂。であれば帝国西部における連邦の攻勢を防ぐため一刻も早く自分の領地に戻りたいのですが』
と、ラインハルトは憎たらしいほど不敵な笑顔で言い切ったのだ。
イヤに静まった空気の中、皇帝が頬を引き攣かせながら口をひらく。地鳴りのような声だった。
「つまり貴様は、戦場に向かいたくないと申すか。同胞たる帝国の将兵が傷つき血が流れるのを無視して自らは安穏と城に籠りたいというのか!」
謁見の間に響き渡る怒声は、参列する貴族たちですら喉を鳴らすものだったが、それを一身に受けるはずのラインハルトは風を凪ぐような気安さで笑みを浮かべ皇帝を見返す。
「別に戦場を恐れているわけではないですが、合理的ではないかと。過剰な戦力投出は各戦線のバランスを崩しかねません。連邦に隙を突かれる恐れがあります」
「黙れっラインハルト!たった一度しか戦場に立っていないお前に戦争の何が分かるというのか!」
栄光ある東ヨーロッパ帝国の長である皇帝がこれほどに怒鳴り散らすのも珍しい。
なぜこんなことになっているのかというと、そもそもの始まりは征暦1935年、帝国は中立国ガリアに進攻を決断。総司令官をマクシミリアン皇太子に据えガリア方面軍を結成させた。それが半月前のことである。
皇帝はこの編成に加え実子であるラインハルトを予備戦力として追加させようとしていた。理由としては何の事はない親心である。今年で二十三歳であるラインハルトは未だ初陣の一回しか戦争経験をしておらず、二回目の戦争経験を与えておこうと考えていたのだ。小国のガリアであればまかり間違っても命を落とす危険もない。だというのに当の本人であるラインハルトはあっさりと拒否する始末。本来引き連れてくるはずの軍勢は一人もおらず、ただ一人の供回りだけ連れて、主城にやって来たのだ。
これには皇帝としても怒りを覚えないわけがない。
「たった一度の戦場とはいえ戦争は戦争。それに俺はあそこで百の戦に勝る経験を得たと自負しております。であれば何の問題もありますまい」
「なにがありますまいだっ自惚れが過ぎるぞラインハルト!貴様は戦というものを甘く見過ぎだ!」
「さて、どうでしょうか」
軽く肩をすくめるラインハルト。明らかに皇帝の言葉を流している。
とうとう皇帝の堪忍袋の緒が切れた。
「もうよいわ!そこまで言うなら好きにするがいい!」
それが今日の軍議における最後の一言となった。
というかこの状況で普通に軍議を行えるわけもなく、皇帝が怒り顔で退出したのを機に自然と解散の流れになった。
貴族たちがバラバラと謁見の間から出て行くのをよそに一人の男がラインハルトに駆け寄った。
「一時はどうなるかと思いましたよ殿下。まさかあんなことを言うなんて....」
「アイスか」
寄って来たのは人の良さが伺える顔立ちのアイスと呼ばれた男。一丁前に正装などしているが街中で花でも売ってる方が似合いそうな優しいお兄さん風の若者だ。
「その様子ではやはり驚かせたようだな」
「やはり?....ってまさか僕に何も言わなかったのはビックリさせようとしていたからなんて言わないでしょうね!?」
「ふっ他意はない、許せよ」
「.....はあ」
絶対にうそだっ。アイスはそう確信したが何も言わずため息をこぼすだけに留めた。この人は昔からそうなのだ。真面目な顔をして平然とイタズラを仕掛けてくる。
幼い頃からの付き合いだが何度引っ掛けられたことか。
思い出すだけでため息が出る思いだ。
「一言でも言ってくれていればいいのに」
「そしたら必ずお前はお節介を焼こうとするだろう。二人して親父に怒られることはないさ」
アイスは納得しがたいといった顔でラインハルトを見る。
「しかし...」
「それよりもだ。俺が言った通りハイドリヒ領の国境地帯は警戒を怠っていないだろうな?」
「もちろんです。ヤハト砦を中心に幾つもの関所をもうけ向こうの動向を探らせています。何か動きがあればすぐにでも僕に知らせるよう厳命しています」
朴訥そうな若者のアイスだが、こうみえて帝国最西部ハイドリヒ領の若き当主である。
本名をアイス・ハイドリヒと言う。
「よし、それじゃあ手筈通りに頼むぞ」
「かしこまりました殿下」
恭しくかしこまるアイスに、ラインハルトは苦笑する。
「よせ、殿下などこそばゆい。昔のようにハルトでいい」
「公の場以外でなら喜んで」
「ここで俺のことを皇子と呼ぶのはお前ぐらいだぞ。なんせ俺は『帝国の虚け皇子』だからな」
面白いだろうとばかりに笑うラインハルトを困った表情で見るアイス。
「他の貴族の者どもは殿下の本当の姿を知らないんです。宮殿は古い考えが蔓延っていますから革新的な殿下の考えを理解できないんでしょう」
「それはガロア将軍の事を言ってるのか?」
「ええまあ」
簡単に首肯してみせるアイス。帝都の城中で帝国の将軍位にいる男をあしざまに言ってのけるのだから驚きだ。
「誰に聞かれてるか分からん。俺と二人だけの時にしろ」
「そうですね、それでは軽く一杯どうですか」
「いいな」
アイスはラインハルトを城内の自室に誘った。
主城の中には貴族の為に用意された本人専用の部屋がある、その一つにアイスとラインハルトは入る。
「どうぞ」
「ん」
ソファーに座るラインハルトにグラスを渡し、キャビネットから取り出した酒瓶をテーブルに置く。
グラスを渡されると直ぐに瓶から酒を注ぎ、グビッと一息に飲み下す。
「やはりアイスが揃える酒は美味いな」
「お誉めに預かり光栄です」
芝居がかった動作で首を折るアイス。早くも二杯目のグラスを傾けるラインハルトの対面に座ると自らも酒を飲む。
「ところでさっきは悪かったな」
「なんでしょうか?もしかして先程の軍議の際のことですか、僕に何も言わなかったことを?」
「ああ、仕方なかった事とはいえな」
「僕は気にしていませんが、何か理由があったのですか?」
「まあな、これで俺を担ぎ上げようとしていた奴らも俺に愛想を尽かしたはずだ。初陣しか知らない馬鹿な皇子が調子に乗っているぞってな。うっとおしい奴らだ。俺が皇位継承権第二位だからという理由だけで味方面しようと画策している。頼んでもいないというのに」
「害がないなら放っておけば良かったのでは?」
「皇帝になりたくない俺からしたら百害あって一利なしだ」
「なるほど」
アイスは納得した。確かに彼の人生目標からすると彼らの協力は大きなお世話といった感じだろう。
「たしか悠々自適にのんびりと家庭菜園をしながら暮らすでしたか」
「惜しい、それに付け加えて美人な妻と、だな」
ニカッと爽やかな笑顔のラインハルト。
それに対してハアっとため息をはくアイス。
本当にもったいない。この人が本気で上を目指せば皇帝の座に座るのも不可能ではないだろうに。恐らく歴代の皇帝の中でも随一の能力を秘めている。その素養を持っていることを自分は知っている。しかし現実とはままならないもので本人は悠々自適に生きる事を人生の第一目標に決めてしまっているのだ。
本当にもったいない。
しかしまあ、それを聞いてもそれだけで済ませる自分も自分だ。
こういった所は昔からの付き合いで彼の事を良く知っているからだろう。
「困ったものだ。皇帝になる意欲の高い長男マクシミリアンか次兄のフランツ兄上のどちらかに付けばよいだろうに」
「マクシミリアン様はラインハルト様とフランツ様の兄君とはいえ皇位継承権は第三位です。生まれが妾の子ですからしかたがない。もう片方のフランツ様は第一位の皇位継承権。ですが生まれた時から持病を患っています、皇帝になる者としての素質に欠けているのではないかとの声もあります。結果ラインハルト様に期待する者がいても不思議ではありません」
「ままならんものだな」
そう言うとラインハルトは豪快に酒を飲みほす。空になったグラスをテーブルに置くと立ち上がる。
「もう行かれるのですか?」
「うむ、セルベリアを待たせているからな」
「ほおっ『蒼き女神』が来ているのですか」
ラインハルトの言葉になぜかアイスも嬉しそうに立ち上がる。
「『蒼き女神』だと?なんのことだ」
「知らないのですか。帝国軍がつけた彼女の異名ですよ、元は南方戦線の兵士達の間で広まっていた言葉でしたが今では彼女の異名として定着しています」
「ああいや、それは知っているが....そうか、南方前線の戦地にいたとは聞いていたが、蒼き女神とはセルベリアの事だったのか」
一年前に戻って来た彼女は、当時の事をあまり語らない。ラインハルト自身も詮索しなかったことから初めてそれを聞いた。
「ある日突然『暇を頂いてもよろしいでしょうか、殿下に相応しい力を得てくるまで戻りません』と言って来てそれから音沙汰もなかった時は心配したものだが」
「帝国連合加盟国ヒルダに現れた謎の傭兵。各前線にて多大な功績を上げ続ける絶世の美女。南方諸国では伝説になっているようですよ」
「ただの噂話だと思っていた」
民間レベルの与太話が広まったのかと思っていた。だがしかし、彼女が噂の本人だとすれば納得がいく。あの力をもつ彼女ならば....。
「で、なぜお前まで部屋から出る?」
「いやあ、セルベリアさんにご挨拶でもと思って、ほら?滅多に会えないですし。こういう機会に是非」
「.....そういえば蒼き女神のこととかセルベリアの事を良く知っているようだな。もしやファンなのか?」
「ファン?とはなんでしょうか」
不思議そうに首を傾げるアイスを見て、ラインハルトは「そうか」と頷き。
「コレは通じないか。つまり好きなのかということだよアイス君」
「ええ!?ち、違いますよそんなんじゃなくて、ぼ、ぼくは!好きというより憧れというか....!」
驚くほど分かり易い。顔を真っ赤にさせて狼狽えている。
「ほう、やはりそうか」
「ご、誤解です殿下!」
「別に恥ずかしがることはないだろうに。さて行くぞ」
「待ってくださいよ、何でニヤニヤ笑ってんですか!?絶対に誤解してますよね!殿下ぁ.....!!」
歩き出すラインハルトの後ろをアイスは慌てた様子で付いて行く。
城の長い廊下を渡りきるとコテージに出る。そこの大階段を下りると多くの文官や武官といった士官が行き交っていた。城の構造の説明をしておくと大階段より上は上位階級の貴族しか立ち入る事を許されない上級区画でそれより下は下位貴族や市民階級の重臣たちが働く一般区画となっている。
大階段下のエントランスは上下が交差する場所でもあるため人の出入りが多い。
そのため普段なら彼らは慌ただしく横から横にと川のように流れていくのだが、その一角だけは違った。
目立たないエントランスの片隅に武官・文官問わず集まっている。
「うわあ凄い人だかり」
「あそこだな」
目を見開いて驚きを現すアイスを横に目星をつけたラインハルトは下階へと降りていく。
ラインハルトの存在に気付いた者達は一様に道を開けていく。
モーゼのように空いた道を悠然と歩いていきラインハルトはエントランスの片隅に向かう。
ざわざわとした空気にようやく気づいたのか壁となっていた帝国の臣下たちも慌てて道を譲る。
壁が開いた先には一人の女性が居た。
艶やかな蒼い髪を腰まで伸ばし、美麗な顔立ちはなるほど女神のようで、豊かな胸部に反したスラリと長い手足は野兎のように引き締まっている。
つまるところ絶世の美女が壁際に立ちながらどこか不機嫌な様子で立っていた。
「待たせたなセルベリア」
「っラインハルト様!」
蒼き女神ことセルベリアはラインハルトに気付くとパァッと表情を一変させた。その移り変わりようは月が太陽に変貌した様を思わせる程だ。
その魅力は風に揺れる稲穂のように男達を浸透していった。頬を染めて恍惚とする男達。それを横目で認識したラインハルトは内心で軽く引いた。
「お待ちしておりました殿下。軍議が終わってから時間がだいぶ経っていたようですが、なにかあったのですか?」
「いやなに、アイスに一杯誘われてな。軽く飲んできたのだ」
「そうでしたか、なにも大事なかったようで安心しました」
「久しぶりセルベリア....」
安心したように笑みを浮かべるセルベリアだったがアイスが笑顔で挨拶をしてくると、またもや表情が一変した。
笑みが無くなり冷ややかな目でアイスを見る。いきなり春から冬に逆転した。
「アイス殿。殿下の傍周り役ご苦労でした。これよりは私が殿下を守りますので必要ありません」
「え?いや、その~」
「それと、殿下を飲酒に誘うなら私が傍に居る時にしてください、いいですね?」
「はいっ!分かりました」
ぴしゃりと背筋を伸ばし新兵のように敬礼するアイス。貴族の貫禄は微塵もない。もう一度言うがこう見えてアイスは辺境伯であり領民からはハイドリヒ伯爵として敬われているのである。
「セルベリア。そうアイスを苛めるな、数少ない俺の友なのだ。できれば仲良くしてくれ」
「はっ申し訳ありません」
ラインハルトの言葉に綺麗な所作で答えると叱られた子犬のような目でラインハルトを見上げる。
「.....別に怒ってない。だからそんな目で見るな」
「は....?」
不思議そうにキョトンとするセルベリア。どうやら無意識のようである。キョトンと無防備なところも相まって幼さを伺わせる。凛とした風体のセルベリアがするのだからギャップが凄まじい。
もはやギャップ兵器。周りの男達が次々と撃墜されている。
なんという破壊力だ。帝都主城の大エントランスは既に焦土と化している。
これ以上は大政府業務の滞りに影響しかねない。迅速な撤退が要求される。
「ゆくぞセルベリア」
「はいっ殿下!」
セルベリアとラインハルトは重臣たちで荒廃したエントランスを抜けて出て行く。
ちなみにハイドリヒ伯爵は
「許せアイス、いずれまた戦場で会おう」
恍惚の表情で固まるアイスを置いて、その独白と共にラインハルトは城を出た。