雑な所は見逃して頂けると嬉しい。
言峰綺礼。
月面で行われた聖杯戦争において、ムーンセルから監督役という特別な役割を与えられた上級AI。全体の監督という事もあって、一参加者である私とはあまり関わりが深いという事もなかったが、それでも色々と彼には世話になった覚えがある。
そして月の裏側に落ちた先では何故か購買部の店員となっており、各種アイテムを販売して私の迷宮攻略を助けてくれた。表側の監督役というよりも、私としては直接助けてくれた分こちらの印象が強い。
直接戦う事など無い筈の役割を与えられているというのに矢鱈と強く、ある程度のエネミーなら自分の腕で粉砕してしまえる戦闘能力を持つ。この世界で振るった八極拳も、元を辿ればこの男が私に仕込んだ技術である。
そしてマスターとしての適性もあるらしい。サクラ迷宮の奥地にあった空間の歪みの先で、何故か凛のランサーを引き連れた彼と一戦交えた事がある。あの戦闘は色々と凄かったし、酷かった。コードキャストって何だっけと暫く悩んだものだった。
しかし、それら月の裏側での出来事を、言峰自身は記憶していない。BBが引き起こした裏側の事件は無かった事となり、それを覚えているのは私とギルガメッシュだけだ。表で再会した彼との間に、購買部で感じていたよりも遠い距離間で接された事はよく覚えている。
「さて、君とカウンター越しに話すのも購買以来か。無事にすべてを成し遂げたようだな。遅くなったが、感謝と祝福を贈らせてもらおう」
そんな言峰が今私の目の前で笑っている。しかも話す内容から、彼が裏側での出来事を覚えている事は容易に察せられる。
「え、あ? えっと、え……?」
動転しすぎて、意味を成さない音が途切れ途切れに口から零れる。珍しく考えが纏まらない。
―――何で此処に居るのか? 何故裏側の事を覚えているのか? どうして屋台なんてしているのか?
何故。何故。何故。疑問ばかりが浮かんでは増えて、どれから聞いたものかと頭の中がこんがらがる。
思考の袋小路に追い込まれそうになっている私を見かねたのか、今まさに私を悩ませてる男から助け船が出された。
「君の疑問にも答える事にしよう。先ずは掛けたまえ」
「あ……うん」
傍に置いてあった安っぽい椅子に腰を落ち着ける。座面は特に汚れておらず特に劣化も無い。屋台の中を見回せば、壁やカウンターもまだ新しかった。
出された水を飲んで一息つくと、漸くある程度の冷静さが戻って来た。
「……その、確認だけど。私が知ってる言峰神父で合ってるんだよね……?」
私をマスターと呼び、月の裏側の事について言及している以上確実にそうなのだが、一応聞いておく。
「無論だ。私の名は言峰綺礼。ムーンセルの上級AIであり、聖杯戦争の監督役。そして購買部最強の店員だ」
ほんの少しだけ口角を上げて言峰が言う。ムーンセルや聖杯戦争に言及したのなら確定だ。本人であると確認が取れたのなら……次に聞く事なんて決まっている。
「その、どうして此処にいるんだ?」
「此処というのは地上かね? それとも世界そのものか?」
両方だと食い気味で返す。思わず前のめりになってしまうのは仕方ない事だろう。
言峰はAIだ。その存在は電脳空間にあるのであって、地上には無い。肉の身体を持って現実世界に存在している筈が無いのだ。
またこの世界に彼がいるというのもおかしい。彼の誕生した故郷とも呼べる場所はムーンセルであり、この世界にムーンセルは存在していないのだから。
そう聞くと、言峰はこちらを馬鹿にするように小さく笑う。記憶の中でも比較的印象に残っている表情だった。
「確かに、その疑問は尤もと言えよう。しかし―――よりにもよって君がそれを聞くのかね」
私? 何をと思ったが、確かに言われてみればそうでもある。
地上的にも世界的にも存在しているのが有り得ないというのは私も同じだ。しかし私の場合は―――
「―――あ」
そこまで考えて、彼が言いたい事に気付く。そして質問の答えにも辿り着いてしまった。
……そうだ、有り得ない事が実際に起きているのだから、原因なんて分かり切っている。
月を爆破するなんてとんでもない事は、それを出来る殺せんせーがやった。なら、世界やら空間を超越するような存在は?
私はそんな常識を覆す奴を、そしてその実例を知っている。
「―――ギル、ガメッシュ……」
「正解だ。彼がやった事だとも」
「…………ッ」
ごすん。そんな音と衝撃が頭蓋骨に響く。
言峰の返事を聞き終わるかどうかという所で、私の額はカウンターへと沈んでいた。といっても誰かに後頭部を殴られたとかそういう事じゃない、単に力が抜けただけだ。ちょっと痛い。
「ふむ、無事正解へ辿りついてくれて何よりだ。これで心当たりがないとでも言われようものなら、流石の私も絶叫によるツッコミを敢行するところだったとも。
……しかし勝手に自己完結されるというのもつまらないものだ。これなら初めから叫んでおけばよかったか―――『おまいう』、と」
言峰が何か言っているが、それも頭に入ってこない。真新しい木目を超至近距離で見つめながら、深く深ぁく溜息を吐いた。
―――あの金ぴかめぇ……言峰がいるなら教えてくれてもいいじゃないか!
私の本当の素性を知る存在がいるという、私が知っておかなければならない事を今の今まで黙っていた事に対して、ふつふつと怒りがこみ上げる。王様が私に黙って色々とやるのは今に始まった事では無いし、それが王様のやり方だと私も理解しているが、それでもちゃんと言うべき事は言ってほしいと思う。自分で決めて自分で動く人だから連絡も相談も不要なんだろうけど、せめて報告だけでもお願いしたい。
「落ち着いたかね?」
「……うん、なんとか」
起き上がった私に言峰が語り掛ける。その声も表情も、随分と愉しそうだった。それを見て、あぁホントに言峰だぁと思う私も随分と毒されてしまったのかもしれない。
「そっか、王様の仕業だった訳だ」
「結論を言ってしまえばそういう事になる。しかし、やはり君と私では状況が違う。細かい説明は必要だろう」
「うん、それはお願いできるかな」
先程までの混乱は既に私の中には無い。大本の原因が理解できた上に、これから補足説明までしてもらえるのだから、慌てる必要が無いのだ。
乱れた前髪を弄りながら話を聞く姿勢になった私に、しかし言峰は待ったをかける。
「とはいえここは劇場ではなく、私も吟遊詩人ではないのでね。体験談を語って聞かせるのが仕事ではない。
そしてお客様でもない人間を居座らせるというのは、それはそれで店的に宜しくないというもの。
……さて、そういう訳だお嬢さん。ご注文は?」
「ッ……!」
その言葉に、話を聞こうとしていた私の意識はがらりと変わる。
……そうだ、ここは屋台。食事を提供する場所だ。加えてそこの店主は、かつて私に
「―――店主の、おすすめを一つ」
あえて料理名を出さず、うっすらと笑いながらそう告げた。
「―――あたためますか?」
「うん、お願い」
購買にて揶揄い半分でよく口にしていた言葉に、つい笑みがこぼれる。冷蔵庫から取り出される食材達を前に、期待は自然と高まっていく。
「さて、私がこの世界に来るようになった経緯だが」
あ、はい。料理しながら説明するんですね。
一瞬でテンションの落ち着いた私を見てくすりと笑った言峰は、ネギを刻みながら話し出した。
◆
「月の聖杯戦争は君の優勝で幕を下ろした。そして君の願いにより、ムーンセルは万能の願望器から一介の観測装置としてその在り方を再定義した。最早彼の願望器は人類に干渉する事は叶わない」
そこまでは良いかと問われて、一つ頷く。結構と言って、言峰はニンニクを手に取った。
「そしてムーンセルがただの観測装置として存在する以上、聖杯戦争は開催されない。ならば聖杯戦争に使用された物は全て不要となる。
不要となったのなら、どれだけ精巧に作られていてもリソースの邪魔でしかない。故に纏めて月の裏側へと破棄された」
「破棄……」
「そうだ。月見原学園の校舎も、エネミーの配置されたアリーナも。そして、運営に関係するNPCも。上級AIである私でさえ例外ではなかったよ。
とはいえ、裏側に廃棄されて直ちに崩壊が始まったという訳でも無かった」
ニンニクをざりざりとおろし金ですり潰しながら言峰は言う。行為や視線で「こんな風になればよかったのに」と言っているような気がするのは気のせいだと思いたい。
「旧校舎が裏側の領域でその存在を保てていた理由と同様に、本校舎を構成するリソースはサーヴァント数体分に匹敵する。それを使用すれば、旧校舎同様に虚数空間内でもある程度の安全性が確保される。その事は君もよく理解しているだろう」
「……言峰がやったのか?」
確かに理論上は可能だし、桜も裏側でそれをやっていた。だが、それが可能な程の権限を有しているとなると、上級AI以外に考えられない。自分の行く末なんて微塵も興味無さそうな彼がそんな事をしていたとは考えにくい。
それ故に聞いた事だったが、案の定違うと返って来た。
「同じ上級AIとして構築された者の一体に、理解の困難な思考回路を搭載した者がいてね。彼女曰く、『廃棄処分に異議アリー!ムーンセル中枢に乗り込んで訴えてやるんダカラー!』と言っていたか。
そのために色々と行動していて、そのうちの一つだとも。私自身を戦力としてスカウトしに来た事もあったが、断ったよ」
「……そ、そう」
何だろう、その上級AIに凄く心当たりがある。具体的には、私とは別のアプローチで裏側からの脱出を目指していた彼女が。色々と要求を叶えては、そのお礼として幾つものインテリアをくれたあの人は、最終的には裏側を脱出できたんだろうか。
仮に彼女だとすれば、必死の思いで裏から表へ帰還してみれば、再度裏側へ叩き込まれたという事になるんだろうか。自力で脱出した際の記憶が残っていたのならば、だが。
ともかく。言峰は月の裏側に廃棄されてからは、特に何の行動もしていなかったらしい。
しかしそうした環境にも変化が訪れる。時間の概念が無い月の裏側でただ何もせず過ごしていた言峰の前に、もう二度と会う事は無いと思っていた男が現れたのだ。
「……王様か」
「そう―――英雄王、ギルガメッシュだ」
「ぐっ」
その言葉と共に、言峰は豆腐を取り出した。台詞とのアンバランスさに思わず吹き出してしまう。
「……人が真面目に話している時に、その態度は何かね。君が真剣な場面でもふざける
「ッ……!」
唸りかけた拳をどうにか宥め、ごめんと一言謝った。
落ち着け私。言峰の言ってる事は至極真っ当だ。真面目な話をしてる時に笑う私が悪いというのも間違いではない。
だからこの悪態は私の中だけに留めておくんだ。
―――お ま え が い う な 。
どう考えても確信犯のくせに! 豆腐を出した時のキメ顔でバレバレなんだぞ!
「……ふぅ」
心の中で叫んだことでどうにか気持ちを落ち着かせる。多分私の内心なんて言峰には御見通しなんだろう。笑い顔が鬱陶しい。
「さて、話を戻そうか。
……といっても、然程難しい話があった訳ではない。裏側で再会した君のサーヴァントに、私は契約を持ちかけられたのだよ」
「……契約?」
「そう、サーヴァント契約だ。もっとも、目的を達成するまでの期間限定という、歪なものだがね」
『ムーンセルめはどうあっても我を此処に封じておきたいらしい。しかし生憎と、我に奴の都合を聞いてやる義務は無いのでな。早々に此処を発つ。
しかしこの身はサーヴァント。マスター無しでの単独顕現など、平時であれば流石の我とて不可能だ。
アレの元へ向かうには要石が、つなぎのマスターが必要だ。
……貴様で良い神父。ここで朽ち果てるのを待つくらいなら、その魂は我に使わせろ』
一字一句同じという訳ではないそうだが、大体こんな感じの言葉を言峰に向けて一方的に告げたらしい。あの王様は。どこをどう切り取っても人にものを頼む態度じゃないんだよなぁ。それを了承する言峰も言峰だとは思うが。
「しかしそんな事をムーンセルが許す筈も無い。当然、多くの英霊がムーンセルに召喚されて我々を止めるべく立ちはだかった。
そんなサーヴァント達を英雄王は真っ向から叩き伏せた。人類史の英雄英傑達が鎧袖一触なのだから凄まじい。彼が裏側に封印されたのも納得というものだ」
それは、すごい。
シンプルにそう思った。
彼の実力が桁外れなのは理解しているが、それでも話を聞く限りではかなりの数のサーヴァントが敵だった筈だ。もしかすると、聖杯戦争に参加した数よりも多いかもしれない。
多分私が指揮を執っていた時よりも強いのだろう。自身の相棒の未だ底知れない実力に、ぞくりと震えた。
「そうしてムーンセルの追っ手を振り切り、奴の手が届かないこの世界へと転がり込んだという訳だ」
「はぁ……」
想像よりもずっと激しかった彼らの旅路に、呆れにも似た溜息が零れる。本人は料理をしながら何でもない事の様に話しているが、大量のサーヴァントを相手に撤退戦なんて普通に考えれば絶望も良い所だ。
「どうした? 顔が赤いが」
「い、いや……何でも、ない」
ただまぁ、こうまでしてムーンセルを出ようとする理由の幾らかは私を迎えに行くためであると、彼本人の口から聞いている。
だから、何だろう。王様がそのためにここまでしてたっていう事を改めて見せつけられるみたいで。それを考えると、胸の奥が嬉しいやら恥ずかしいやら申し訳ないやらでもやっぱり嬉しいやらで、すごいムズムズする。恋愛的なそれとは違うのだが、心が温かくなる。
顔に移って来たその熱を誤魔化す様に、中華鍋を振るう言峰に質問を続けていく。
「ちなみに、この時に裏側の記憶はある程度取り戻した。実感そのものは薄くてね、思い出したというよりは知っているという感覚の方が近い」
「成る程」
私が裏側の事を思い出したのはギルガメッシュと契約していたからで、同じ条件が満たされたから記憶が戻ったという事なんだろうか。認識の違いは、私と彼の状況の違いによるものだろう。
粗方の疑問が解消されたところで、いよいよ最後の一つに取り掛かる。
「……それで、言峰がこっちの世界にいる理由は王様が原因だって分かった。
だけど、どうして地上に居るんだ。私みたいな都合のいい肉体があったとは思えない」
そう、言峰の存在において、一番理解が出来ないのがこの部分だ。
AIに過ぎない彼が、何故生身の肉体を持って地上世界に存在しているのか。これがよく解らなかった。
私の肉体であるこの中学生の岸波白野は、交通事故で意識不明の昏睡状態へと陥っていた。ギル曰く、肉体は無事だが魂が無い状態だったとの事。
だから王様はその器に魂だけになっていた私を入れる事で肉体とした。元が同じである以上相性は良かろうと。
言峰がここへやってきた経緯が同じなら、王様が「魂の無い言峰綺礼の肉体に、言峰神父のデータを放り込んだ」という事になる。
しかし、それが全て揃う条件を有する世界なんて、果たしてどれくらいあるだろうか。ましてやそんな都合のいい肉体があったとして、それが私の魂があるこの世界に存在している確率はどれくらいだろうか? 多分天文学的数字が出てくるだろう。それに、いかに顔見知りとはいえ間に合わせのマスター一人に対して、王様がわざわざ肉体を用意するとは思えない。精々が世界突入前に別れて、「あとは好きにしろ」くらいだと思う。
「それなのだがな……」
言峰が少しだけ眉を顰めた。おや、と思う。彼がこういった表情を浮かべるのは珍しい。大きく振るわれた鍋の中で、豆腐が翻った。
やがてラー油を手に取った言峰が口を開いた。
「正直、私にもわからん。気付いたらこうなっていた」
「え?」
―――何だそれ。
呆気にとられた私をよそに、言峰は話し続ける。
「そうとしか言いようが無い。英雄王との契約を維持したまま、彼が世界の侵入を果たした結果、私は肉体を持って地上にいる。それだけだよ」
「それだけって……」
霊子体の受肉をそんな事で済まされてしまっては色々と反応に困る。言峰自身が特に何も気にしてないようなのが、逆にこちらの不安を煽る。
「とはいえ、ある程度の推測は立てられる。不確定要素しかない穴だらけの理論だが、聞くかね?」
「お願い」
言峰の言葉にすぐに頷く。憶測でも何でもいいから、原因くらいは知っておきたい。私と現界している原因が違う以上、もしかしたらある日突然王様や言峰がいきなり倒れて動かなくなった、なんてことがあるかもしれない。そんな時に、参考にするくらいは出来るだろう。
「英雄王はその自慢の財宝を膨大な魔力リソースへと変換して、世界の壁を突破した。その際、契約のパスを通じて私の方にも彼の魔力が逆流してきたのだよ。
英霊の対城宝具数十発に匹敵する魔力だ。いかな上級AIとて、人の身で処理できるものではない。そのまま内側からはじけ飛んでもおかしくは無かったのだろうが、結果として私は此処に居る。
これから察するに、英雄王の魔力で満たされた状態の私が彼の一部であると世界に認識され、その結果英雄王の現界と共に受肉した。……そんな所ではないかな」
「それは……」
言峰の説明は、粗削りではあったが一応の納得がいくものだった。恐らく、だろうと憶測だらけではあったが、ある程度の説得力はある。魔術的な事柄というのは物理的な要因よりも概念的なそれの方が重要だ。
サーヴァントとして霊体化も可能なギルガメッシュと、人間として受肉している言峰の違いは気になるが、お互いが丁度いい形に収まったという事では無いのだろうか。私の礼装類も固有結界になっているくらいだ。ならば地上に出現したAIが人間になってもおかしくは無いのかもしれない。
とはいえ、それで受肉できるのかという疑問は残るが、出来ている以上はそういう事なんだろう。多分言峰は契約した相手の影響を受けやすい体質だったとかそんな感じだと思う事にする。
「無論、今君の手に令呪がある事からも分かる通り、私と英雄王の契約は切れている。彼と私には、もう何の関係も無い。世界を越えたその直後にではさらばだ、と契約を切られてね」
「……ごめん」
自然と謝罪の言葉が口から出ていた。いくらなんでも協力者に酷すぎる。それが彼だと分かってはいるが、せめて労いの言葉一つ無いのかと思うと頭が痛い。
「気にする事はない。幸い、彼の黄金律の恩恵で先立つ物はあった。それを元手にこの世界で生きてみようと思い、今に至るという訳だ」
「あぁ、それで屋台なのか」
「そういう事だ。こうなった以上、最強の屋台を目指す」
抱えていた疑問がすっきりした。私も彼も、王様に振り回された被害者という事だろう。それがそういうものだと思って受け入れている時点で結構な手遅れ感がしないでもないが、それこそ今更なので気にしない。最強の、という言葉にかつて購買員として初めて出会った時の事を思い出して、くすりと笑みが漏れた。
「さて―――そして、その屋台で売り出す逸品。私のオススメがこれだ……!」
話の終了と時を同じくして仕上がった料理が私の前へと運ばれてくる。
「おぉ……」
器の中には、私が期待した通りの光景が広がっていた。
先ず目に入るのは、痛いほどの赤色。香辛料が大量に投入されているそれは、立ち昇る湯気を凶器に変える。無論赤一色という訳ではない。葱の緑や豆腐の白など、目にも鮮やかだ。これらすべてを口に頬張った時の幸福を考えると、口内には自然と唾液が湧き出してくる。
そう、これこそが至高の一品。赤と白が織りなす究極の美味。これこそが―――
「―――お待たせしました。麻婆ラーメンです」
「ちょっと待て」
聞き捨てならない名称が聞こえた。ラーメン? 豆腐じゃなくて? 何でラーメン屋の暖簾が掛かってるんだと疑問に思ってたけど、まさか本当にラーメン屋だったのか?
いや、これが本当にラーメンだとしても、だ。
「……麺が、見当たらないんだけど?」
「底の方に申し訳程度に入っているだろう」
自分でそんな事言うのかと思ったが、何故あるのか疑問だった割り箸を使って底を探ると、言葉通りの物が出て来た。ずるりと啜ると、普通の中華麺に麻婆が絡んでそこそこ美味しい。
とはいえ本当に申し訳程度の量なので、二口程度でなくなってしまう。そうなると、後は普通のおなじみとなった麻婆豆腐だ。
「ッ……!」
口に含むと、猛烈な辛さが波濤となって口内に押し寄せる。口の中全てを「辛い」の一つで蹂躙し、全てを押し流すそれはさながらノアの大洪水、いやナピュシュティムの大波が如く。
その大波に揉まれながらも感じるのは、豆腐やネギといった別の食材の味、そして香辛料が織りなす複雑な旨味。それらは堪能する暇さえ与えられず、辛さの暴力によって意識の外へ逃げてしまう。そしてそれを求めて、飲み込んだことで喉と胃に熱を感じながら、更なる一口を匙に乗せて頬張る。その繰り返しだ。
―――あぁ、やっぱり美味しい……!
レシピを購入して地上でも作っていたそれだが、やはり言峰の作ったものと比べると、自分の物は二重の意味でまだまだ甘いと思い知る。使っている材料や手際の問題だろうか。それは良く解らないが、本場と模倣なら本場が勝つというのは道理である。
残り少なくなった麻婆を、多少の行儀の悪さに目を瞑り、スープを飲み干す様にして喉へと流し込んだ。飲み込んだものを燃料に、腹の中で炎が燃えているかの様な熱がある。その心地よさを感じながら器から顔を上げると、物凄いドヤ顔でこちらを見る言峰がいた。
「堪能して頂けたようで何よりだ。一口も食べずに文句を言うクレーマー共に見せてやりたい程だったよ」
「……そんな人がいるのか。人生を損してるな」
「あぁ―――まったくだ」
言峰曰く、そんな人達には食べ終わって料金を払うまで席を立たせないようにしているらしい。正しい対応だと思う。
「あ、でも欲を言えばもう少し麺が欲しかったかな?」
「……何を言う。あんなものが麻婆に必要だとでも? 麻婆を邪魔しないように、あの量に抑えているというのだぞ」
「いや、ラーメンなら麺が無いと。それなら普通に麻婆豆腐として出した方が良いよ。ラーメン屋名乗ってる以上、メインはラーメンで、麻婆豆腐は添え物でないと。
言峰のやってる事は、麻婆豆腐を推しすぎるあまり、逆に麻婆豆腐を貶める事になってると思うよ」
「―――何? いや、ふむ……
なるほど、他の人間が言うなら何を馬鹿な事をと一蹴する意見だが、君が言うのであれば一考の余地があるか。
貴重な意見、感謝する。今後のメニュー開発の参考にさせてもらうとしよう」
私の言葉に愕然としていた言峰だったが、やがて持ち直した。
うん。麻婆ラーメンとして見るなら麺が少なすぎるし、麻婆豆腐として見ても麺なんて不純物が入ってる。正直どっちつかずの雑な仕上がりだったから、思い直してくれたのは嬉しい。麻婆豆腐が素晴らしい出来であるだけに、その事だけが気がかりだった。
しかし、ラーメンとしても私の中で相当上位に食い込む事は間違いない。同じ中華料理同士相性が良いという事なのだろうか。村松君が自分ちのラーメンを不味いと言っていたが、今なら同意できる。これに比べれば、あのラーメンは不味かった。わざわざ告げに行くほどの事でもないので、この感想は心の中に仕舞っておこう。
「ところで少女よ、おかわりは要るかね?」
「是非」
言峰の勧めに全力で答える。麻婆に嫌な顔をする王様もいないのだし、折角だから全力で堪能させてもらうとしよう。
ごとん、ごととんと置かれた第二第三の麻婆豆腐に、私の心が高鳴った。
◆
「言峰に会ったのか」
日が傾く頃になってようやく帰宅すると、既に王様が帰宅していた。近くにはこの数日ですっかり見慣れてしまった服屋のロゴが描かれた袋が置いてある。あの独創的な感性が相当お気に召したらしい。
「……言峰に聞いたのか?」
「たわけ、連絡を取るまでもなく匂いで判るわ。まったく貴様という奴は……その薄い腹にどれだけ詰め込んできたというのやら」
「四杯」
「…………そうか」
王様の表情が、何かもう色々と言いたい事があったけどそれら全部をひっくるめて飲み込んだ顔になった。
うん、まぁ私も正直食べ過ぎたと自分でも思う。しかし久しぶりに堪能した本場の味に加え、再会したかつての知己である。話がはずめば食も進むというもので、気が付けば四つの器を空にしていた。夕飯はギルの分だけでいいかもしれない。
にょいんと開いた蔵の中から、恐らくは置くだけタイプの消臭剤の原典らしきものを取り出した王様は、置いてあったワインを飲み始めて見向きもしなくなった。
「……というか、言峰がこっちの世界にいるなら教えて欲しかった」
「言えば会いに行くだろう。そして食うために通うようになるのは想像に難くない」
「ぐ」
図星だったので何も言えない。これからも週2ペースで通うつもりではある。
「一応聞いとくけどさ、こっちの世界に来てる知人で、私がまだ知らない人っているの?」
「我がこの世界に連れて来たのは言峰の奴一人だ。そう何人も引き摺って来る理由も無い」
「そっか」
つまり、ラニやジナコには会えないという事だ。まぁ言峰を連れてきた経緯から察してはいたので、会えないという悲しさよりも、もう驚かされないという安堵が強い。
「奴にはなるべく近づくな―――と言いたいが、まぁ良かろう。アレが何を出来るとも思えん」
限度は守れよと私に告げて、王様はソファーに横になってしまった。限度というのは多分、以前決めた週三食の制限の事だろう。だけど王様は言峰が私に何をすると思っているのやら。食の開拓であれば是非お願いしたい所である。
「あぁ、そういえば雑種よ」
「んー?」
台所で夕飯の準備をする私の背中に、ギルガメッシュが声を掛けて来た。
「貴様が組み上げた例のプログラムだがな、何者かが
「え、嘘」
思わず調理の手が止まる。
確かに急ごしらえで穴も多いけど、それでもこの世界から見て数世代先の技術を駆使して構築された防御機構だ。それを突破されたという事だろうか。
火の勢いを弱めながらそう聞くと、違うと返って来た。
「あちらも小手調べだったのだろうよ。数回突破を試みたが、いずれも跳ね除けられている」
「そっか……良かった」
安堵のため息が漏れたが、だからといって安心はできない。私の事情を知ってか知らずか、ハッキングで情報を得ようとしている存在がこれで明らかになった。たまたま私の所に来たのか、それとも狙ってきたのか。目的は何なのか等色々と分からない所はあるが、少なくとも安穏と構えていられなくなったのは確かだろう。
「ちょっと早急にプログラム組み直さなきゃかぁ」
「そうしておけ。攻略させるとしてもかなり先ではあろうが、壁に弾かれる音というのも耳障りだ」
「分かった。近いうちにやっとくね」
殺せんせーの暗殺に加えて、電脳面での新たな問題と、やる事が多い。削られる睡眠時間を思うと、少しばかりげんなりする。
どうかこれ以上厄介事が起こりませんようにという願いは、この王様といる限りきっと叶わないんだろう。
それでも、願わずにはいられなかった。
言峰受肉の理由は、ギルが泥の影響で受肉した時に、その泥で蘇生したのと似たような理由と思って下さい。
そして言峰の登場により、白野の偽物説がより一層濃くなることに……
ちなみにギルの言うアレとは言峰の事ではありません。
・
英霊紀行良いですね!
メソポタ女神sは可愛いなぁもう!