もしあの英霊がカルデアに召喚されたら   作:ジョキングマン

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帝都ランサー

 

 ----強さとは、何か。

 

 サンタオルタ師匠の「今年に向けて必勝サンタテクニック--突進女はこうやって追い払え--」特訓を終え、マイルームに戻ろうと帰路についていた時に、そんなことがぱっと浮かんできた。

 生まれたばかりだった頃の自分には、思い至る事すらなかったであろう疑問。

 誰かの役に立つという使命に駆られるだけで、自分自身を見出せていなかった自分では、考えつかないことも当然だ。

 つまり、今はそれだけ余裕が出てきたということだ。

 

「強くなる、かあ」

 

 無意識に、唇からつぶやきがこぼれる。

 強くなるとは、どういうことなのだろう。

 筋トレ、走り込み、鍛錬。日々努力を積み重ねて、自分を鍛え上げていくことが一般的なイメージだ。

 しかし自分はサーヴァント。筋トレをしても筋肉は増えないし、走り込んでも持久力は上がらない。

 ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィとして霊基を形成されたその瞬間から、全てのステータスは決まるのだ。

 

「おや、あれは」

 

 自分には関係のないことだと割り切ったその時、通路の奥からこちらに走り込んでくる影が見えた。

 その数は二つ。フリルをふんだんにあしらったドレス姿の少女と、対して布面積の少ない恰好をボロ布で隠した少女。

 遠目でも分かるほど見慣れた少女二人に、軽く嘆息して呼び掛けた。

 

「こら、ジャックにナーサリー。廊下は走ってはダメと言っているでしょう」

 

 自分の声が届いたのか、それとも目視でこちらを発見したからか。

 元気よく疾走していた二人は動きを止め、自分に向けてぶんぶんと手を振っていた。

 

「あっ、ジャンヌだ!」

 

「こんにちは、ジャンヌ。今日もいいお茶会びよりね」

 

 ナーサリーライム。ジャック・ザ・リッパー。

 本来、全盛期の姿で召喚されるはずのサーヴァントでは珍しい子供の姿のサーヴァント。

 というのも理由があって、ナーサリー・ライムは「子供たちの英雄」として絵本が具現化した存在。ジャック・ザ・リッパーは堕胎で命を落とした水子たちが、「切り裂きジャック」という曖昧な概念の形を借りて生まれた存在だからだ。

 それとは抜きに声だけ渋い絵本作家もいるが、とにかく子供の英霊というのは珍しい。

 

「ええ、こんにちは。でも、走ってはダメですよ。転んでけがでもしたら、ナイチンゲールさんが用意したアルコール風呂に肩まで浸からせられちゃいます」

 

「うええ。それはやだ。あの匂いきらい」

 

「絵本を水につけるなんて、ひどいのだわ!」

 

 苦虫を噛み潰したようにジャックが舌を出す。ナーサリーも青ざめた顔で身体を震わせていた。

 なかなか効果てきめんのようだ。次から注意をするときはこの手法を使ってみよう。

 それはともかく、彼女たちが走っていた理由が気になる。いつも以上に楽しそうに駆け回っていたので、何か琴線に触れる出来事があったのだろう。

 

「それで、いったいどうしたんですか? なにかあったみたいですけど」

 

「そうだよスパンム!」

 

「スパンムじゃありません! いい加減スパムから離れてください!」

 

 脊髄で会話しているのではないかと思うほど反射的にしゃべるジャックに、呆れながらも話の続きを待つ。

 

「さっきね、さっきね。向こうでおじいちゃんにおもしろい動きをみせてもらったんだ」

 

「おじいちゃん? おかあさん(マスター)ではなくて?」

 

「うん。おかあさんはおかあさんだよ?」

 

 疑問を呈した言葉に、当然だよとばかりに少女は小首を傾げる。

 どうにも話がかみ合っていない。そもそも、カルデアにおじいちゃんと呼ばれるほど高齢の英霊などいただろうか。

 ----無論、実年齢ではなく歳月の話だ。これは今すぐ訂正しないと物騒なことになりそうな気がした。

 おかあさん(マスター)みたいに、ジャック特有の呼び方なのか。大きな疑問も残るが、少女二人はこちらに気もかけず次々と話題をあげていく。

 

「なんていったかしら。たしか、えーと、ホッキョクケン?」

 

「なんかさむそう。ちがうよ、ナットーケンだよ!」

 

「えー、納豆!? いやだわ、ねばねばするしくさいわ!」

 

「くさいのはいや。くさいもん」

 

「ねー」

 

「ねー」

 

 変な意気投合をして、けたけたとはしゃぎまわる子供二人組。

 というか、どちらもまるで初耳だ。大方、面白い動きとやらに夢中になりすぎて話をろくに訊いていなかったのだろう。

 このまま放っておくとどんどん脱線していって、よく分からないうちにどうでもよくなってしまうのがこの二人あるあるだ。

 元の話に戻せなくなる前に、強引に話を引き戻す。

 

「私にも見せてください。もしかしたら、名前が分かるかもしれません」

 

「いいよー。どんなんだっけ?」

 

 快諾したジャックが、速攻でナーサリーに尋ねる。

 問われた方も眉をしかめて、どういう動きだったかを懸命に思い出していた。

 すると、閃いたのかナーサリーは右腕を引きしぼり、ぎこちないながらもドレスを揺らめかせて、身体を軽く右に捻る。

 

「たしか、こう?」

 

 くいっと、引き絞った右ひじを掬い上げるに虚空へ突きだした。

 幼い少女がやるには、あまりに似合わない動き。もし虚空ではなく人間に向かって繰り出したら、ちょうど顎の部分を突き上げた肘が砕いているように思えた。

 そこから導き出される推測は、対人を意識した技の動き。そして、先程二人が適当に上げていた名前のニュアンスからして東洋、それも中国系の武術。

 刹那、脳裏に光明が走った。

 

「……もしかして、八極拳?」

 

 口から出たつぶやきに、待機していた少女二人から大喝采が巻き起こった。

 

「そうだー! ハッキョクケンだ、ハッキョクケン!」

 

「ジャンヌすごーい! よくわかったわね!」

 

「えへへ、当然です。サンタたるもの、頭が良くなくっちゃあいけませんからね!」

 

「さすがサンタさん!」

 

 惜しみない賞賛を贈られ、つい胸を張ってしまった。

 実は、ついさっき受けてきた師匠の特訓の中に”極東のツインテ少女も八極拳を修める時代だぞ”とよく分からない理論を告げられて知識を叩き込まれたばかりだったのだが、それは心のうちに止めておく。

 

「ハッキョクケン、ハッキョクケン。うん、覚えた」

 

 ジャックが指を立てて、再度忘れないように数回復唱している。

 今度こそ頭に叩き込んだようで、満足げに笑顔を浮かべた。

 

「おかあさんにも見せてくるー!」

 

「じゃあね、ジャンヌ。あとでお茶会をひらくから、その時いっしょにあそびましょ?」

 

「はい。その時はぜひとも呼んでください」

 

 ナーサリーが開くお茶会は、甘いお菓子にいい匂いの紅茶が出てきて本当に楽しいひと時だ。特訓のあとに良い楽しみができた。

 互いにさよならの手をしばらく振った後、二人は出会った時と同じように驚くほどの速さで通路を駆け抜けていった。

 いきなり現れて空気をかき乱し、満足したらさっそうと吹き去っていく。さながら突風のような二人組だ。

 

「……って、走っちゃダメっていったそばから」

 

 思わず不満がこぼれるが、今はつばと共に呑み込んでおく。

 近い将来、本当にアルコール漬けの風呂桶に放り込まれないといいが。何分先駆者がいるようなので、冗談と笑い飛ばすこともできないのが恐ろしい。

 二割増しで疲れがたまったのを身体で感じつつ、ずっと引っかかっていた語句をもう一度口に出してみた。

 

「おじいちゃんで、八極拳……」

 

 カルデアで八極拳となると、思い当たる人物はほぼ限られてくる。

 確かに、雰囲気や口調は老年を匂わせる人だ。しかし、おじいちゃんと呼ばれるほど老いた見た目はしていなかったはずだ。

 一度気にかかった疑問が、髪にひっついたクモの巣のようにまとわりついてくる。

 

「……ジャックとナーサリーは、向こうから来たんでしたよね」

 

 つぶやきと同時に視線を向けた先には、道中に設けられた休憩所があったはずだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 時間にして数分。そんなに遠くない距離に休憩所はあった。

 十人くらいが休める程度の椅子や机が対照的に設置されており、近くには水やお湯が出る給湯器も設置されている。

 しかし、平時もそれほどにぎわっているわけではないこの場所だが、この時間は見渡す限り人の姿などどこにもなかった。

 

「あれ、誰もいませんね」

 

 覗き込んでみたところ、天井に設置された蛍光灯が空しく広場を照らしているだけだった。

 シミュレータルームを利用しているサーヴァントが多い関係上、カルデア本来の通路を利用するサーヴァントというのはそれほど多いわけではない。だいたいはスタッフか文系の英霊、もしくは誰かが逃げ回る時によく利用される経路の一つというのが自分の認識だ。

 通路を使う人間が少ない以上、こういう各所に設置してある休憩所に居座る英霊も少ない。

 ただ、今回はジャックとナーサリーの言う人物がここにいると踏んで訪れてみたのだが、既にもぬけの殻のようだ。

 

「もう帰っちゃいましたか」

 

 独り言が空気に吸い込まれるほど、あたりはしんと静まり返っている。

 徒労だったと思って踵を返しかけたその時、一つの机に湯呑が置いてあるのを偶然発見した。

 

「コップ……いや、湯呑茶碗でしたっけ。戻し忘れですかね」

 

 気になったので、近寄って確認してみる。すると、どうも飲み終わって片付け忘れたわけではないらしい。

 なぜなら、その湯呑にはまだお茶が半分ほど残っているからだ。

 顔を近づけてみると、鼻頭をほのかに湯気がくすぐる。淹れてからそれほど時間も経っていないようだ。

 

「どこかに行っちゃったんでしょうか」

 

 自然、独り言が多くなる。

 まさかお茶を半分だけ飲んで帰ることはしないはずだ。突然オラオラ系の英霊に乱入されて逃げ出したということもあるが、とくに騒ぎもなかったのでその線は薄い。

 

 直後、思っていたよりも近い距離でしわがれた声が響いた。

 

「--行くも何も、ここにいるのだがな」

 

 意識外からの呼び掛けに、反射的に声の方角へ目線を向けてしまう。

 そこで待ち構えていたのは、刻まれたようにしわの深い顔をした男の顔だった。

 カミソリのような細く鋭い双瞳が、目と鼻の先でこちらを見下ろしていたのだ。

 

「どわあっ!?」

 

 外見や突然呼び掛けられたことよりも、想像以上に近い距離に驚いて後ずさってしまう。

 いつの間にか、お茶の置いてあった席に老人が腰かけていた。

 色素の抜け落ちた白髪を短く刈り上げ、近代風の黒いコートを肩にかけるように羽織っている。

 いや、それよりも。この黒いコートの老人が近づく気配を全く感じ取れなかった。

 ともすれば、はじめからそこにいたのではないか(・・・・・・・・・・・・・・・・)と思うほど突然現れたのだ。

 こちらの悲鳴にも特に反応せず、老人は置かれていた湯呑を手に取ってかさついた唇を湿らせる。

 

「顔を見るなり悲鳴とは、儂も随分と怯えられたものよ」

 

「い、いつの間にここに?」

 

「先ほども言っただろう。儂はずっとここにいた。単にお主が儂の気配に気付けんかっただけだ」

 

 湯呑を机に置いて、さも当然という風に老人は語る。

 ずっといたとなると、休憩所を覗いた時からこの席に座っていたということなのか。

 だが、サーヴァント特有の反応がつい今しがたまで感じ取ることができなかった。まさか、わざわざ宝具を使ってまで自分から身を隠していたというわけでもあるまい。

 ただし、それに当てはまるクラスが一つ存在する。

 

「あ、あなたはアサシンのサーヴァントですか?」

 

「うむ? まあ、一応そうなるか」

 

 やや歯切れの悪い口調で老人は答えた。

 アサシンクラスのサーヴァントなら、クラススキルにある『気配遮断』によって他者から気配を察知されにくくなる能力が付与される。

 だが、この老人は気配遮断どころではない。まるで透明になったと言い換えてもいいほどに、全く気付くことができなかったのだ。

 やはり宝具を使ったのか、それとも『気配遮断』を上回るスキルを有しているのか。いずれにせよ、多大な疑問が次々と湧いて溢れてくる。

 まず、何よりこの老人は何者なのか。

 

「あなたはいったい、誰ですか?」

 

「なに、しがない老骨だ」

 

 肩で一度笑い、男はうそぶいた。

 いったい、どこの世界に完璧に気配を消せる老人がいるというのか。

 

「まさか、ジャックやナーサリーが言っていたおじいちゃんっていうのは……」

 

「さっきまでいた子らのことか。子どもの英霊までいるのは流石に驚かされたぞ。しかし先の者といいお主といい、最近の児童はませた服装を好んで着るのか」

 

「ま、ませてませんから! 健全、健全です!」

 

 やや呆れ気味に老人は嘆息していた。反論を返すが、訊いているのかいないのか。

 しかし、やはり彼がそうらしい。確かにこの外見なら、ジャックの「おじいちゃん」呼びは至極当然と言える。

 師匠曰く『高ストレス下が長く続くと人は若くして老け顔になるぞ。アッくんのように』とのことだが、これは緩やかに歳をとっていった老け方の人間だ。

 それでも、この老人が結局何者なのかまでは分からない。最近トナカイさん(マスター)に召喚された英霊だろうか。

 おそらく東洋人で八極拳の使い手、というところまでは想像できる。ただ、自分の中では厳めしい面構えの青年を思い描いていたので、とても意表をつかれた気分だ。

 意図せず、思考が口から漏れてしまう。

 

「八極拳といったら書文さんだと思っていたのですが、まさか違う方だったなんて」

 

「ほう。お主、よく知っておるな」

 

 意外そうに老人が軽く目を見開いた。

 微妙な会話のかみ合い方に、思わず尋ね返してしまう。

 

「えっ、なんのことですか?」

 

「名前だ。まだ名乗っていないはずなのだが。儂を李書文と知ったうえで尋ねてきたのなら、その心意気は評価しよう」

 

 さらりと自らの真名を明かし、老人は深くうなずいた。

 だが、突然告げられた真名に、ほつれた糸がさらにこんがらがってしまったように整理が追い付かなくなってきた。

 

「えっ、ええ?」

 

 混乱の波が怒涛の勢いで押し寄せてくる。

 目の前の老人は李書文と名乗った。だが、自分の知っている李書文とは全く違う姿をしているのだ。

 そもそも、李書文は既にカルデアにサーヴァントとして召喚され----これは特例がありすぎるので除外しよう。

 他にも大小さまざまが疑問が現れてくる。ここでその時、一つの可能性が思い浮かんだ。

 

「あっ、もしかしてそういう薬を飲んでしまったんですね?」

 

「儂は薬など飲まん」

 

 一転して、老人の目つきが殺意を帯びたものに変化した。

 途端、足が生まれたての小鹿のように震え、背中につららを突っ込まれたような気分になった。蛇に睨まれた蛙、ということわざはこの場面で使うのが最適解、などとどうでもいいことが脳裏をかすめる。

 殺される。

 純粋に、単純に、その一言だけが感想だった。

 その直後、ふっとどすぐろい気概が老人から抜け落ちた。

 

「ああ、すまぬな。我ながら子供相手に大人げない」

 

 同時に、殺気が霧散する。

 全身を圧迫していた何かから、急激に解放されたかのような気だるさが心身を襲った。

 息苦しいと思ったら、本当に息を止めてしまったらしい。止めていた分を取り戻そうと、勝手に呼吸が荒くなる。

 老人の琴線に触れてしまったことを詫びようとしたが、唇は未だにわなわなと震えて思う通りに動いてくれない。

 

「あ、あの……その……」

 

「いや、無理にしゃべらんでもよい。儂も変に怯えさせてすまなかったな。だが、儂は自分で淹れたお茶しか飲まん。これだけは覚えておくといい」

 

 言って、老人は再び湯呑を傾ける。

 自分という自己の確立は、元の自分(ジャンヌ・オルタ)がキング・ギルガメッシュに誤って提供された薬を服用したことで生まれた。

 本来の自分(ジャンヌ・ダルク)のあり得ない可能性の、さらにあり得なかった過去の存在。それが己、ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィの由来。

 で、あるならば、この李書文と名乗る老人もまた、若返りとは逆効果をもたらす薬を服用して生まれた存在だと推測したのだ。

 ところが、話はどうも違うらしい。

 

「えーと、もしもの可能性の世界からとか、イベント特有とか、どこか別の宇宙から来たとかでもないんですよね」

 

「なんだそれは」

 

 わけがわからんと男はしわだらけの眉間をひそめる。分かり切っていたことだが、そんな可能性も捨てきれないのがカルデアの召喚基準のおかしなところだ。

 つまり、この老人は正真正銘、正史に残された李書文そのものということなのか。

 だが、それはおかしい。『もしも』でも何でもない英霊だとしたら、大きな矛盾が生じるからだ。

 

「でも、書文さんは既にいらっしゃったはずですよね。クラスはランサーでしたけど」

 

 そう、李書文という英霊は既に召喚されている。

 外見も白髪の老人などではなく、燃え盛る焔のような赤髪を後ろで一本に束ね、近づく者すべてに喧嘩を吹っ掛けに行くくらい危なっかしい、暴走マシンのような青年だ。

 第一、サーヴァントの身体は生涯のなかでの全盛期の姿で召喚される。自分やジャック、あとはナーサリーのような概念に近い存在や、もしくは創作のなかの人物などは当てはまらないが、伝承や歴史に語られる人間ならば若いころの姿がもっとも輝いていた時代だろう。

 ランサーの李書文も、実際に若い姿で召喚された。ならば、あの姿が李書文という人間の全盛期。

 目の前の老人は、存在そのものが矛盾してしまうのだ。

 

「なに、ここには若いころの儂もおるのか?」

 

 すると、興味深そうに李書文が質問してきた。

 

「あっ、はい。今、どこにいらっしゃるかまでは分かりませんが、あの人のことですから誰かに勝負でも挑んでいると思いますよ」

 

 相手はケルト系の武勇伝大好き英霊かギリシャの喧嘩っ早い英霊か。どちらにせよ、彼らに槍一本で勝負を仕掛けている光景は想像に難くない。

 返答を訊いた李書文は少しの間固まっていたかと思うと、何かを悟ったのか深々とかぶりを振った。

 

「そうか。此度の状況、そういうこと(・・・・・・)もあり得るのか。いやはや、老いぼれとなったこの身になって、これほど血が湧き立つことはない。聖杯にかける願望などなきしものであったが、この巡りあわせに聖杯が関わっておるというのなら、不謹慎ながら感謝しかない」

 

 謝々、と短く呟き、両手を合わせて虚空へと軽く頭を下げる。

 彼が何を閃き、何に対して感謝しているのかは分からない。おそらく、この先ずっと分かることもないと思う。

 けれど今この瞬間、周囲すべてに闘気をぶつける猛々しい李書文の姿が、ようやく老人と重なって見えたような気がした。

 

「あの、私からも質問があるのですけど、いいですか?」

 

「構わんが」

 

 短く李書文が承諾する。

 

「あなたが李書文だとすると、私の知っている書文さんは何者なんでしょうか。まさか双子の弟とか、生き写しの息子とかですか?」

 

「儂には弟などおらんかった。子もそれほど似た顔とは呼べんなあ」

 

 懐かしむように李書文が遠く何処かに目を向ける。

 その後、ふっと視線をこちらに戻してはっきりと断言した。

 

「しかし安心せい。お主の知っている李書文も、間違いなく儂である」

 

「ですが、それだとおかしいんです」

 

「何がだ?」

 

 と、李書文が口元を下げて疑問を呈する。

 そんな彼に、サーヴァントは全盛期の姿で召喚されること、そして若い李書文が召喚されているということは、全盛期ではない姿で召喚されることがおかしいという最大の疑問を説明した。

 しかし、全てを訊き終えた彼が最初に取った行動は、それを軽く笑い飛ばすことだった。

 

「何じゃ、そんなことか」

 

 と、彼は簡単に納得してしまう。

 どれだけおかしいことかを事細かに説明したのに、まるで何でもない風に受け流してしまったのだ。

 あまりにそっけない当事者の反応に、思わずむっと頬が膨らんでしまう。

 

「そんなことか、ではありません! 論理的に考えてあり得ませんもん! 特別な事情なくして、全盛期の姿で呼ばれないなんてことは、英霊召喚の論理に合いません!」

 

呵々々(かかか)。まあ落ち着け。ほれ、茶でも飲め」

 

 まくし立ててしまった自分に、くつくつと笑い声あげながら老人は茶を差し出してきた。

 いつの間に自分の分を用意してくれたのか。言いたいことはまだまだあったのだが、出された好意を無下にすることもできず、黙したまま受け取る。

 そして、煮え切らない気持ちを発散させようと、湯呑の中身を一気に喉へ流し込んだ。

 

「あちゃちゃちゃちゃ!?」

 

 瞬間、熱を持った身体をさらに過熱させるような熱湯が、口内から勢いよく喉元を焼き尽くしていった。

 反射的に両手を開き、口元を抑えて身体をばたつかせてしまう。

 --自分が湯呑を持っていたことに気づいた時には、既に中空を陶器が舞っていた。

 

「あっ!」

 

 その時、どこからかぬっと手が伸びてきて、落とした湯呑を綺麗に片手で受け止めた。

 

「虚け者。そうやって茶を飲むからじゃ。落ち着けと言っておろうに」

 

 手にした湯呑を机に戻し、老人がおしぼりを差し出してきた。

 触れてみると、ひんやりとした感触が肌を伝う。すぐさま受け取って、唇に押し当てた。

 地獄のような灼熱から、天国のような涼しさへ。脳まで冴えるような冷やし具合に、乱れた動悸が急速に落ち着いていく。

 こちらの容態が安定したのを見計らったのか、李書文が話を本筋へと戻した。

 

「さて。それで、儂がこの姿で呼ばれるのはおかしい、じゃったか」

 

「ふぁ、ふぁい。正確には、ふぁかい頃のひょ文しゃんが全盛期だから、です」

 

 おしぼりを当てながら喋ってしまったせいか、自分でもよく分からない言葉になってしまった。

 対して老人は、喉元で低く鳴らす独特な笑い声を再びあげる。

 

呵々(かか)。儂にとって、若々しい肉体の頃は最高だった。無謀と呼ばれる修行にも心身は応え、重なる連戦にも涼しい顔をして耐え抜いた。そういう意味で、お主の言う全盛期は確かにその時期を指すのだろう」

 

「でしたら----」

 

「だがな。儂にとって、真に六合大槍を修めた時期はそこではない。それこそ晩年に差し掛かろうという頃であったか」

 

 一瞬、彼が何を言っているのか判断に困った。

 栄華を極めた青年期の李書文は、真の意味で全盛期ではなかったということなのか。

 生前を思い返すように、ポツリポツリと老人は語る。

 

「若いころの儂はな、そりゃあ血気が多かった。武術の道を極めんとひたすら鍛錬に打ち込み、練習だろうと容赦なく相手を殴り倒した。加減を違えて殺したことも幾度かあったな」

 

 さらりと殺すという言葉が混ぜられ、またも背中に冷たいものが走る。

 しかし、今度はそれを堪えて老人の話に耳を傾けた。

 

「昼も夜も時間を忘れて修行に明け暮れた。いつしか弟子を持ち、妻子を持ち、それでも鍛錬を続けた。その果てに、ついに六合大槍を完成させた。だが、その頃になって肉体は既に老いぼれていたことにようやく気が付いた」

 

 そう言って、木の幹のようにしわくちゃな手の平を彼は視線を落とす。

 ひどく傷だらけで、指や掌も歪に曲がっているように見える。生前負った骨折などの手傷が、英霊の身に昇華されて尚呪いのように残されていた。

 己が犯してきた所業を、生涯を、決して忘れさせまいとばかりに。

 

「そんなに長い間、あなたは修行していらしたんですね」

 

 いつしか、老人が放つ気概に圧倒されていた。

つまるところ、この李書文は「武」の頂に達した李書文の姿であるというのか。老いてさらに全盛期を迎えたという例は初めてだ。

 李書文の享年は七十とされている。そして、彼は幼少期の頃からその姿になるまで、ひたすらに武術に打ち込んでいたという。

 クリスマスに生まれ、まだ一年にも満たない歳月しか過ごしていない自分には、スケールが大きすぎて想像すらできない。

 目的に向けて修行を繰り返すのは、単純かつとても論理的だ。だが、その時間までを考慮してしまうと、最早狂気とすら思えてしまう。

 

「でも、めでたく目的の武術は修得できたんですよね」

 

「ああ、修めたとも。するとどうだ、今度は死が目前にまで迫っていることを自覚してしまった」

 

 自嘲気味に老人は鼻で笑った。

 

「せっかく一つの道を修めただけだというのに、もう終わりとはどういうことかと嘆いたものだ。死を超えてみせようと足掻いたものの、結局は寿命ではなく一服盛られるという、我ながらあっけない最期だった」

 

 ひどく他人事のように締めくくり、彼は湯呑に口つけた。

 自分にとってその物語は、思うように生きていくことができなかった悲しい話にしか思えない。しかし、老人にとっては既に終わった仕事であるかのように、俯瞰した目をしていた。

 

 故に、一つの素朴な疑問が心の中に残された。

 

「どうして、そこまで強くなりたかったんですか?」

 

 その言葉に、彼の動きが一瞬止まったような気がした。

 ゆっくりと腕を組み、己の積み上げてきた生涯を掘り返すように熟考している。

 

「そうさな」

 

 低く、眠れる獣のように老人は唸る。

 もうしばらく唸ってみたと思ったら、唐突に彼は顔を上げた。

 

「幼き頃のことなど、当に忘れてしまった」

 

 果物ナイフのようにすっぱりとした返答。あまりに潔く返されたため、こちらが思わずぽかんとしてしまった。

 考えてみればそれもそうだ。数か月程度の歳月しか過ごしていない自分でさえ、一週間以上前に食べた夕ご飯のこともほとんど覚えていない。

 それが数十年以上前の記憶ともなれば、摩耗してしまって当然である。

 しかし、彼の言葉には続きがあった。

 

「--だが、これだけは言える。儂は、(わっぱ)であった時から武術が好きだった、とな」

 

 若い頃の彼にも負けないくらい爛々と輝く瞳で、穏やかに笑いながら断言した。

 その瞬間、確信した。これこそが、李書文という男の原動力なのだと。

 使命でも、義務でもない。単純に強さに憧れ、武術が好きだからこそ続いた、七十年の日々だったのだ。

 思わず、期待してしまう。

 自分には関係のないことだと割り切った僅かな欲。とことん強さを追い求めたこの老人を見ていると、押し込めたはずのそれが奥底から盛り上がってくる。

 

「--私も」

 

「うむ?」

 

 無意識に発せられた声色は震えていた。

 こんな自分でも、望んでいいのだろうか。大きな不安とほんの少しの希望が、緊張となって喉元を干上がらせる。

 ぐっと生唾を呑み込み、鈍長な声帯を絞りあげ、燻っていた感情を目いっぱいに乗せて絶叫した。

 

「私も! あなたみたいに、強くなれますか!」

 

 疲弊した身体から出たとは思えない声量だった。李書文も目を丸くしている。

 今まで自分には縁のないことだと、どこかで諦めている気持ちがあった。けれど、強くなりたいかと訊かれたら、そんなのイエスに決まってる。

 なぜなら、恩返しがしたいから。

 強くなって、他のカルデアの英霊の方々やトナカイさん(マスター)の役に立ちたいから。理由など、まとめてしまえばこんなものだ。

 男の瞳が、孫娘を見るような老人のものから凶拳李へと切り替わったように思った。

 

「……ふむ」

 

 こちらを見透かすような鋭い眼光が、つま先から頭までを観察する。

 一瞬の沈黙後に、李書文は断言した。

 

「----残念だが、お主では無理だ」

 

 袈裟懸けに切り捨てるがごときの言い方だった。

 あっけなく光が砕かれ、青白く染まっていく自分の顔色をよそに、彼はさらに壁を突き立てていくかのように根拠をあげていく。

 

「お主は、核となった聖女の反転(オルタ)がおる。そも、ジャンヌ・ダルクという少女は一騎当千の武勇を誇った英雄というわけでもなし。英霊に昇華され、要塞のような堅牢さや空母のような火力を得ようとも、根本的に功夫が足りんのだ」 

 

 残酷に、しかし正確に、老人は一人の聖女の生涯を語る。

 史実で記される通り、成長した自分(ジャンヌ・ダルク)は剣をとって道を切り開くのではなく、旗をなして道しるべとなることを選んだ。

 軍を導く希望の御旗であり続けたのだ。

 だがしかし、実際に戦場で切り結んだことのないジャンヌ・ダルクは近接戦闘に長ける筈もない。

 不屈の精神や憎悪の炎を纏ったところで、本人の体術は一般兵のそれとどっこいか上回るくらいだ。

 となれば、そんな彼女を霊核の基盤に据えた己がどう奮闘したところで、彼女を超える身体能力が身につくことはない。

 目が覚めてみれば、なんとも簡単なことだった。

 

「そう、ですよね--」

 

 まぶたの裏に、塩辛い水分が溜まる。意図せず、血が出そうなくらいに唇をかみしめていた。

 バックボーンが違い過ぎた。所詮、自分には泡沫(うたかた)の夢に過ぎなかった。

 考えてみれば、こんな小さな体躯で何ができるというのか。これではマスターの盾になることすらできやしない。

 今にも爆発してしまいそうな激情を抑え込み、ぺこりと李書文に頭を下げた。

 

「すみません。やっぱり忘れてください。私には、過ぎた夢でし----」

 

 謝罪の言葉は、しわがれた声に遮られた。

 

「だがな。無理、というのは、儂のような強さを目指した場合になる」

 

 口を開けたまま、ぽかんと固まってしまう。激情に蓋するのに躍起になっていたせいか、言っている意味に理解が追い付かなかった。

 空になっていた湯呑を片手に乗せ、李書文はそれを眼前に持っていった。

 

「お主が真に目指すべき強さ。それは、儂ではない。儂は確かに強くなったのかもしれぬ。だが思い返せば、過程で命を殺めすぎた。どれだけこの拳が重みを増しても、そこについて回る異名は”殺人拳”これ三文字」

 

 びきりと嫌な亀裂音が走った。

 次の瞬間、彼が手にしていた湯呑は水風船を握りつぶしたかのように木っ端みじんに吹き飛んでしまった。

 力任せに潰したようには見えなかった。ツボをおすかのように、湯呑に指を突き立てながら握ったことで破裂したのだ。

 あっけにとられる自分に、凶拳は元の好々爺のような微笑みを浮かべる。

 

「お主の強さは、また別にあり。儂でもなく、聖女でもなく。お主だけの強さを手に入れるべし」

 

 ぽんと、ごつごつしたものが頭の上に乗せられた。

 それが自分の頭を撫でつける李書文の手のひらだと理解した瞬間、ようやく脳が覚醒して瞬時に頬を染めにかかった。

 

「ちょ、ちょっと書文さん!? 子どもじゃないんですから!」

 

「何言うておるか。子供じゃ子供」

 

 呵々々(かかか)と唸るように笑う。

 やがて満足したのか、もしくはささやかな抵抗を受け入れたのか。すっと手を放し、老人は静かに立ち上がった。

 

「さて、行くか」

 

 コートを羽織り直し、短くぼやく。

 

「行くって、どこへですか?」

 

 その質問に、彼は心の底から愉快そうに答えた。

 

「--年寄りの、小さな楽しみを満喫しにな」

 

 それきり彼は歩き出し、一度もこちらを振り返ることなく通路の奥へと消えていった。

 黒い背中が見えなくなっても、ずっとその方角を見つめていた。

 一分、五分。いや、もっと短かったかもしれない。

 縛り付けられたように固定していた視線を泳がし、そして小さく復唱した。

 

「私だけの、強さ----」

 

 正直、その意味は未だによく分からない。

 分からないが、心の奥底で固まっていた鐘に響くものだった。錆が剥がれ、新たな自分として新生した気分にさえなっていく。

 

 ----私にも、こんなに強くなる理由ができてしまった。

 カルデアのサーヴァントたちのために。トナカイさん(マスター)のために。

 そして、こんな自分にも可能性を見出してくれた、一人の武人のために。

 

---------------

クラス:ランサー(此度の現界ではアサシン)

 

真名 :李書文

 

キャラクター紹介

 アサシンとして召喚された、武術が全盛期の李書文。

 「神槍」の名に恥じない卓越した槍捌きに加えて、李氏八極拳の創設者としても知られるほどの八極拳の達人。

 得物を失おうとも、生涯を通して磨き上げた武術は美しいとさえ評されるほどに合理的、かつ殺人的。

 

パラメーター

筋力:C

耐久:D

敏捷:A

魔力:E

幸運:D

宝具:-

 

小見出しマテリアル

 若いころに比べて落ち着きがまし、穏やかな性格になってとっつきやすくなっている。(当社比)

 ただし、そのうちに秘めた闘争心は健在。スカサハを始め、名だたる英雄たち相手には隙あらばと拳を握りしめる。

 とある聖杯戦争絡みで沖田、信長、マックスウェルなどと面識がある。面識があるだけで仲が良いわけではない。とくに信長には恨みこそなかれ不満はある様子。

 中国武術を極めたが、異文化の格闘術への興味も尽きない。古代の大英雄、アキレウスなどが披露した格闘術の師にも興味を抱いている。

 そして、このような現状でなければ絶対に経験できない戦いであるとして、若いころの自分との一戦という望みを見つけた。

 




ノッブ「祝、ぐだぐだ本能寺復活!」
おき太「もうおわりましたけどね」
ノッブ「なぜじゃ!?」
BB「二頭身の時代は終わり。これからは可愛い可愛いBBちゃんコラボが待ってますよ!」
ノッブ「でもお主の話は御蔵入りじゃぞ」
BB「せ、先輩じゃないから悔しくないもん…」

四月二日に投稿すると言ったな。あれは嘘だ。
いやほんと申し訳ないです。消えたデータ復旧してたら仕事が忙しくなりの重なりで遅れてしまいました…。
復旧前にはベオウルフとかもいたんですが、話の再構成上仕方なく今回は御蔵入りに。また別の機会で出してあげるから待ってて!

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