うたわれるもの ~短編集~   作:やみなべ

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とりあえずif話はこれにて終了。
ラスト、弱冠面倒になったなんてことはない……はず。
ただまぁ、色々ともう少し世界が優しければこんな展開になっていたのかもなぁ、と思いたいですけどね。

とりあえず、今後のことは未定。
でも、いい加減Lost Codeの方を進めたいなぁとは思っています。


鍵は然るべき者の手に 5

「まっ、こんなもんだな」

「ああ、こんなとこだな」

「「お見事です、若様!」」

 

それなりに傷を負いつつも、どこか余裕を感じさせるオボロとクロウ。

まるで、「それなりに手応えはあったな」と言わんばかりの態度。

 

だが、普通ならその評価は不適切にもほどがある。

ただでさえ死を恐れず、傷を負ってもまるで動きの鈍らない不気味さを持った敵が十数名。

その上、力は強く敏捷性も高く、倒しても倒しても立ち上がってくる。

ただ倒すだけでも十分すぎるほどの手強さだというのに、完全に動きを止めるとなるとさらに厄介。

加えて、中核をなす冠童(ヤタナワラベ)たちは一線を画していた。

 

そして、増援として現れた異形。

ウォシスの言が正しいとすれば、仮面の者(アクルトゥルカ)の成り損ない。

それを相手取ってこの程度の消耗しかしていないなど、さすがに異常と言う他ない。

 

「なんつーか、あいつらが異形ならやっこさんたちは化け物じゃない?」

「同感ですね。我々がかつて相対した時には随分と手古摺ったものですが……」

「あのクロウとかいう漢、以前戦った時はやはり手を抜いていたという事か」

「うひひひ、トゥスクルの人たちはみんな強いなぁ。うち、一度死合ってみたいえ」

「やめるです、アトゥイさん。あんな人たちと戦ったら命がいくつあっても足りないのです」

「ですよねぇ……はは、はははは……うぅ、私はまだまだ未熟です」

 

さすがにショックが大きいのか、数多くの修羅場を乗り越えてきた皆をして、頬が引き攣るのを抑えられない。

特にキウルなどは、随分と顔色が悪い。自身の未熟は承知の上だったはずだが、それでもそれなりに腕に覚えはあった。その自信を完膚なきまでに粉砕されたのだから、無理もない話だが。

とはいえ、落ち込む者ばかりではない。アトゥイがそうであるように、他にも異なる反応を見せる者はいる。

 

「なるほど、貴様が敗れたというのも頷ける。あれほどの武人(もののふ)が揃っているとは、トゥスクル……侮れん國よ」

「然り。小生も、まだまだ精進が足りぬという事か。この身はヤマトと民、そして聖上の盾。それにふさわしき己であらねば……!!」

「ぐ、ぐぬぬ……ふ、ふん! ま、まぁ、確かに少々やるようじゃの。余だけでも何でもできたのじゃが……此度はあやつらの顔を立ててやったまでのこと! ほ、本当じゃぞ!」

「あらあら、中々頼もしいことを仰ること。では、次の機会があればお手並みを拝見させていただきましょう。もちろん、お一人で」

「ぬなっ!? そ、それは……」

「アンジュ様……」

「ふふふふふ……まぁ、とりあえずはこの子のことを可愛がってくだされば文句はありませんわ。今後は使う機会もめっきり減ってしまうかもしれませんが、ね」

 

アンジュの強がりを柳に風と受け流しながら、極々軽い動作で巨剣を放るカルラ。

相手が身動きが取れてなおかつこれを受け止められる怪力を持つアンジュだから良いようなものの、他の誰かにやったなら殺そうとしているとしか思えない。

しかし、彼らとて何も力づくだけでこの異形の敵を撃破したわけではない。

 

「違う」

「何らかの呪法の発動の気配がしました。恐らくは、それによるものかと……」

「あら、さすがは鎖の巫ですね。お察しの通りです」

「う~ん、要領は仮面(アクルカ)の力を抑える時と同じなんだけどねぇ」

「ありがとカミュち。やっぱりカミュちとウルお姉ちゃんがいると違う」

「へへ~ん!」

 

そう、トゥスクルには仮面(アクルカ)の力を封じる術がある。

当然、トゥスクルで一二を争う術者であるウルトリィとカミュにそれができない道理はない。

むしろ、この二人が本気で抑えにかかれば、本物の仮面(アクルカ)といえど無力化されても不思議はないだろう。

そんな力の持ち主たちに抑えられたのだ。

ただでさえ戦力差がある中では、この結末も当然というものだろう。

 

「さて、とりあえずは彼らの身柄をどちらが預かるかですが……」

「我らに引き渡してはいただけまいか? ウォシスは以前よりヤマトにて暗躍していた様子。できれば、真相を(つまび)らかにしたいのだが」

「お気持ちは察します。ではどうぞ……と言えれば、色々面倒はないのでしょうが」

(まぁ、そう簡単にはいかんか)

 

トゥスクル側にとっては、実の所ウォシス本人は取るに足らない存在だ。

一応、彼とて正式にこの地に招かれた人物ではあるし、國内で何かしらの問題を起こしたわけではない。

あの異形はさすがに放置できないが、他にいないかどうか、いたとしてどこにいるかさえわかれば処分は難しくない。今は気絶させて拘束しているが、その程度であればヤマトへの護送中……それも海に出る前に聞き出せるだろう。

問題なのは、国交が断絶している状態のヤマトとトゥスクルの間では、捕らえた者の扱いについての取り決めも当然ない事。

非公式な場で要請されて「はいどうぞ」では、色々と不都合が生じてしまう。

最低限、正式な使者を送って相互にやり取りをしてから……という、手続きを踏み必要がある。

もちろん、先日の侵攻や物資の支援に関わる諸々についての問題も解決した上でだ。

要は、実際にウォシスの身柄を引き渡すまでには、相当の時間を要するという事。

 

(まぁ、それほど急ぐ必要はないか。取り急ぎ重要なのは、マスターキーを持ち帰ることだ。

 さすがに、こいつを持ち帰ることについては口は出されんだろうし、今はそれで良しとするか)

 

マスターキーについては正式な所有者であるクオンが許せば、特に問題はない筈だ。

オシュトルとしても別に無理に持ち出すつもりはないし、穏便に済むのなら多少時間をかけても良いと思っている。元々、もっと時間がかかることを想定していたくらいなのだから。

むしろ、大幅に時間を短縮できた分、余裕があるくらいだろう。

まぁ、できるならその分の時間を使ってもう少しこの國を見て回ったり、クオンとの時間にしたかったりという思いがないわけでもないが……ヤマトの面々が来てしまった状況では、そうも言っていられないだろう。

 

「さて……オシュトル殿、傷の具合は如何か?」

「トウカ殿。いや、某のことであれば、心配は無用である。この程度ならば……」

「強がりもほどほどになされよ。遠目に見ても十分すぎるほどの重傷だ。クオン、応急で構わぬからオシュトル殿の手当を……クオン?」

「っ! クオン! どうしたクオン!!」

「姉様!?」

 

トウカからの呼びかけへの反応の薄さからクオンを振り返ってみれば、今まさにクオンが倒れようとしている瞬間だった。

慌てて崩れ落ちるクオンを支えるが、既に意識はなく息も荒い。

それどころか、うっすらとクオンの体から黒い靄の様なものがにじみ出し、絡みついている。

ただならぬ様子であることだけは、素人目にも明らかだ。

 

(いったいこれは……クオン自身は傷を負っていない以上、毒の線は薄い。そもそもこの靄はいったい……)

「いけない! はやく、この場を離れてください!」

「エルルゥ殿、それはどういう……」

「血の穢れとこの子が力を使ったことで、封印に綻びが生じようとしているのです」

「封印、それはまさか……」

「四の五の言わず急げオシュトル! 今はとにかく、クオンをこの場から離すのが先決だ!!

 エルルゥ! 兄者のことは任せるぞ!」

「はい!」

「クオンはわたくしが連れていきます、皆さんもお急ぎを。オシュトル様も仮面の者(アクルトゥルカ)、どのような影響があるかわかりません」

「急ぐ」

「彼の者が目覚めようとしているのやもしれません」

「オシュトル様!」

「ええい! 全員、既に縛りはないな。いったんこの場を離れるぞ!」

『応っ!!』

 

クオンを抱き上げたウルトリィのあとを、オシュトルは双子に支えられながら追う。

仲間たちも、それぞれ来た道を急ぎ引き返す。

仮面(アクルカ)を着けているからか。徐々にだが、オシュトルもこの場に不穏な気配がにじみ出していることに気付く。

 

(なるほど、ウルトリィ殿たちの焦りはこれが理由か。

 そして、クオンが今日まで社のことを知らず、エルルゥさんと会えなかったのも……)

 

オシュトルには、既にこの状況の意味がある程度わかっていた。

ウルトリィが再三に渡り争いを諫めていたのは、何もあそこが神聖なだけの場所ではなかったから。

あの社は神聖な地であると同時に、極めつけに危険な爆弾の真上だったのだろう。

常に清浄に保たなければならず、それこそ僅かな血の穢れだけでも爆発してしまいかねないような。

そんな場所で血を流した上、さらにクオンが縛りを振り払うために秘めたる力に手を出したことはウルトリィたちの様子から想像に難くない。

 

そして、クオンがこの社の存在を知らなかったのも同じ理由だ。

社の主とクオンの関係がオシュトルの考えている通りなら、クオンの存在はある種の呼び水になりかねない。

あるいは、クオン自身が社の主に引き摺られてしまう可能性もある。

だからこそ、可能な限り接触を絶たねばならなかったのだろう。

 

(何とか持ち堪えてくれよ、クオン!)

 

強く強くそう願いながら、痛む体に鞭を打ちながら走るオシュトル。

彼らの足が止まったのは、地下遺跡が一望できる浄化されていると言われた場所。

 

そこまで引き返してきたところで、ウルトリィはようやくクオンをオボロが引いた羽織の上に降ろす。

とはいえ、その息は未だ荒く、滲み出る靄はより色濃くなっている。

とてもではないが容体が良くなっているようには思えない。

 

「姉様! しっかりしてください姉様!」

「あの、どうすればクオン様は……」

「フミルィル……“アレ”は持っていますね?」

「ぇ……は、はい」

「では、それをクオンに。それと、鎖の巫の御二方」

「なに?」

「調停者が私たちに何用でしょう」

「力添えを。わたくしとカミュも全力を尽くしますが、絶対とは言い切れません」

「うん。ここは、あまりにも深淵に近すぎるから……お願い、力を貸して!」

「「……」」

 

ウルトリィとカミュからの頼みに、二人はどこか曖昧な表情を浮かべる。

元々表情の変化に乏しい二人だが、それでもどこか迷っていることは明らかだ。

どうも口振りからして、ウルトリィたちに確執の様なものがあるらしい。

しかし、それだけであれば拒否するはずだ。それをせず、迷う様子を見せるという事は……

 

「二人とも、某からも頼む。お前たちがウルトリィ殿たちに対しどのような思いを抱いているかは知らぬ。

だが、クオンは我らの仲間だ。それは、お前たちにとっても同じはずだ。だからこそ……」

「……分かった」

「調停者の要請を受ける筋合いはありませんが、主様のご命令とあらば」

「ああ、それでお前たちの折り合いがつくのなら、それで良い」

「ありがとうございます」

「フーちゃん!」

「はい。クーちゃん、これを」

「あれは!?」

 

フミルィルが懐から取り出したのは、ヤマトの面々ならば一度は目にしているもの。

しかしそれが、今この時にフミルィルの懐から出たことに、皆驚きを隠せない。

 

「小生の仮面(アクルカ)……そうか、フミルィル殿がお持ちだったのか」

「……本来であれば、機を見てお返しするつもりだったのですが……申し訳ございません」

「いや、それは構わぬ。むしろ、それでクオン殿が助かるのなら」

「なるほど、仮面(アクルカ)の力を使ってクオンさんを助けるんですね!」

「いいえ、逆です」

「ぇ、逆?」

 

希望を見たとばかりに表情を明るくするキウルに対し、ベナウィがどこまでも冷静な口調で否定する。

 

「門の役割は外からの流れ込むものを招き入れることですが、別の役割もあります」

「……外から入り込むものを拒む、ですか」

「? だが、それがどうしてクオンを助けることになるというのだ?」

「それは……」

 

察しの良いオウギが第二の役割を言い当てるが、ノスリの言うようにそれが何を意味するかまではわからない。

だが、ある程度クオンの事情を察しているオシュトルにはその意味が分かった。

 

(なるほど、仮面(アクルカ)を使ってクオンに流れ込む力を制限しようとしているのか。

 あるいは、クオンから向こうに力が流れ込むのを抑えようとしているのか、そのどちらかという事か)

「貴様らは知らんだろうが、ここには仮面(アクルカ)の力の源泉が眠っている。貴様らで言うところの『根源』という奴だ。今クオンには、その力が流れ込んできている。クオン自身ですら、抑えきれん程にな」

「はぁ、せやからトゥスクルの人たちは仮面(アクルカ)の力を抑える方法を知ってたんやね」

「で、ですが、なぜそのようなことに……」

「クオンは、言わば生まれながらの仮面の者(アクルトゥルカ)。引き出せる力は、仮面(アクルカ)の比ではないのだ」

「ヤマトでのことは俺らも知ってる。あんたらにも、憶えがあるんじゃねぇですかい?」

 

そう言われて、皆の脳裏に浮かんだのはオムチャッコ平原でのオシュトルとミカヅチの一騎打ち。

際限なく高まり戦い続ける両雄を、クオンが腕づくで治めたのは誰の目にも衝撃的だった。

だが、あの力が仮面(アクルカ)と同じものだというのなら納得もいく。

それも、クオンが仮面の者(アクルトゥルカ)以上の力を引き出せるとなれば、尚更だ。

 

「姉様は、大丈夫なのですか?」

「社からは離れましたし、幸いにも仮面(アクルカ)がクオン様に流れ込む力の『関』の役割をしてくれていますから」

「それに、ウルトリィ様とカミュ様はトゥスクル屈指の術者。加えて、鎖の巫の力も借りれば必ず!」

「そうですか、良かった……」

 

トゥスクルの双子が言う通り、ウルトリィたちの力が上手く作用しているようで、クオンの状態は安定しつつある。それを示すように、身体から漏れ出る靄も徐々に薄まってきている。

別に疑っていたわけではないが、彼らの言っていることが全て事実であることが証明されたわけだ。

 

「しかし、この娘は本当に何者なのだ。生まれながらの仮面の者(アクルトゥルカ)など、聞いたことがないぞ。それとも、トゥスクルではそのような者が他にもいるのか?」

「ミカヅチ殿」

「わかっている、別に詮索しようというわけではない」

 

まぁ、ミカヅチの疑問ももっともだろう。はてさて、クオンの正体を知ったら皆はどのような反応を見せることやら。特にアンジュは、トゥスクルの皇女に色々反発していたし、相当度肝を抜かれるはずだ。

とはいえ、少なくともオシュトルの方から真実を告げるわけにはいかない。このあたりは、トゥスクルの面々もあえて言及しないつもりなのだろう。

誰もが、丁重にクオンの素性については触れないようにしている。

 

(できることもなく、ただ見ているしかないというのはもどかしいものだな。

 …………………………いや、既にマスターキーは手に入れた、遺跡のどこかにはまだ使える施設があるかもしれん。それを使えば、何かできることも……)

「だめ」

「なに? だめ、とはどういうことか」

「それ、使えない」

「それは、使える施設や設備がない、ということでしょうか?」

「違う」

(まさか、クオンが手荒く使ったからとかじゃないよな?)

「正しくは、あなたでは鍵を使えない、という事ですわ」

「なに!?」

 

イマイチ要領の掴みにくいアルルゥに代わって補足してくれたカルラの言に、オシュトルは目を見開く。

それも当然だ。鍵を使えないのでは、その先にある太古の叡智に触れることすらできない。

それでは、せっかく手に入れた鍵も宝の持ち腐れだ。

 

「さて、わたくしも詳しく理解できているわけではありませんので、ここはわかる方にご説明願いましょう。ちょうど、処置も終わったようですしね」

 

カルラにつられて視線を移せば、そこには穏やかな寝息を立てるクオンの姿。

とはいえ、結果こそ穏やかなものだが、そのための労力は計り知れないものだったのだろう。

クオンに処置を施していた四人が四人とも、荒く息をついている。

ウルトリィとカミュの消耗具合を見れば、それがどれだけの難事なのか想像に難くない。

 

「ではカミュ、お願いできまして?」

「う~ん、カミュもあんまりうまく説明できる自信はないんだけど……でも、カミュしかいないんだよねぇ」

 

どこか億劫そう……というか、躊躇い気味にカミュは自身の額に手を当てながらうんうん唸り始める。

まるで、深い深い記憶の底からその情報を引き出そうとしているかのように。

 

「えっとね、鍵の方に“せきゅりてぃ”っていうのをかけて、クーちゃんにしか使えないようにしたんだって。

 え? あ、前の持ち主からちゃんと手順を追って引き継ぐと、使えるようになるらしいよ。クーちゃんはエルルゥ姉様から引き継いだんだけどね」

「なるほど」

「では、クオンさんから正式に引き継げば、主様も使えるようになるのですね」

「え~っとぉ……それが、決められた“いでんし”っていうのがないとダメなんだって。エルルゥ姉様とクーちゃんにはそれがあるんだけど、オシュトル様はどうかな? アルちゃんにはあるんだけど、他に誰にあるかはちょっと……」

「せきゅりてぃにいでんしと、いったい何を言っておるのじゃ?」

「さ、さぁ……」

「むぅ、はなしがむずかしてさっぱりだぞ」

(セキュリティに遺伝子認証、ね。あの口振りからすると、割と最近になって設定したものらしいな。

 これが最後の条件である「認知」の意味か。鍵を使うには所有者の協力が必要だが、所有者だけでは太古の叡智には触れられない。だが、自分だけでは太古の叡智にたどり着けない。上手くできている。

 だが、今の時代にそんな設定をいじれるやつがいるのか? それに、クオンとエルルゥさんで共通する遺伝子って……あの二人、実の親子とかじゃないはずだが……いや、気になる点は他にもある。なぜカミュさんはそんなことを知っている? それに、まるで何かと対話するかのようなあの口振りはいったい……)

 

オシュトルはあずかり知らぬことだが、カミュの中にはカミュ以外の人格が存在する。正確には、その人格が主人格なのだが。

とはいえ、その人格は単独で太古の叡智に触れることを可能とし、やろうと思えばアマテラスさえ操作できる規格外の存在。マスターキーの設定をいじる程度、造作もない事だろう。

鍵の存在を知り、それがいつか必要になることを知った時、皆はその人格に協力を求めたのだ。この鍵が万が一にも悪用されない、そのための枷を付けることを。

その人格…ムツミはそれに協力し、鍵には随分と厄介な枷がはめられた。

 

ちなみに、クオンとエルルゥという全く血縁のない筈の二人に共通する遺伝子というのがアイスマンのものであることに気付け、というのはさすがに無理な注文だろう。

クオンがアイスマンの直系であることは推察できても、エルルゥやアルルゥが子孫であることを見抜くのはほぼ不可能なのだから。

 

「では、アルルゥ殿ならば……」

「ムリ」

「アルちゃん、引継ぎしてないもんね」

「つまり、クオンの目覚めを待つしかないという事か」

 

社での様子を見るに、エルルゥにはあそこで何かしらの役目があるらしい。こちらに来てもらうことは無理だろう。クオンに至っては考えるまでもない

鍵を扱える二人が動けない以上、太古の叡智やその遺物に触れることができないのだから、最早お手上げだ。

まぁ、クオンの容体は安定し、今は静かに眠っているので当面の心配はないのだろうが……。

 

(ならば、今自分にできることは……)

 

自問の答えは間もなく見つかる。

最後にひとつ、確認しておかなければならないことがあった。

正確には、確認事項が新たに浮上したというべきかもしれない。

 

「ウルトリィ殿、お疲れのところ申し訳ないが少々よろしいだろうか」

「……はい」

 

既にオシュトルの言わんとしていることを察しているのか、ウルトリィはやや躊躇いがちに首肯する。

どこまでオシュトルの意図を読んでいるかは不明だが、全てを見抜いている……という事はさすがにないだろう。

ただ、どこに用があるかは察しているはずだ。だからこそ、彼女は僅かなりとも躊躇いを見せている。

今あそこに近づくのは、特に仮面の者(アクルトゥルカ)には危険なのだ。

 

しかし、それはオシュトルも承知の上。

客観的に考えるなら、別に今すぐでなければならない案件ではない。

いくらか間を置いてからでも何ら問題はないし、先に片付けるべき問題はいくらでもあるのだから。

だがそれでも、オシュトルは“今”それをすべきだと思う。

後回しにしても問題はない。だが、その“後”が必ず訪れるという保証はない。

特にオシュトルの体は既に限界を迎えている以上……時間が味方とは限らないのだ。

 

「兄様、何を……」

「旦那、何をするつもりか知らねぇが俺も……」

「いや、その必要はない。そう心配そうな顔をするな、別に危ない橋を渡ろうというわけではない。

 ただ、最後に確かめておきたいことがあってな。すぐに済む、ここで待っていてくれ」

「いや、だがな……」

「あの、せめて手当だけでも」

「……そうだな。ではルルティエ殿、頼めるか?」

「はい!」

 

さすがに本職のクオンには及ばないものの、ルルティエは慣れた手つきで処置を施していく。

まもなく応急処置を終えたオシュトルは、ウルトリィと共に再度社を目指す。

だが、社の雰囲気は当初の冷たく澄み切った空気は既になく、代わりに濁った禍々しいものへと変貌していた。

 

「これは、くっ……」

「お気を強く持ってください。ここはいま、荒ぶる大神(オンカミ)の御霊が漏れ出しているのです。

 心に隙が生じれば、瞬く間の内に吞まれてしまいます」

(……なるほど、これはその神の力に仮面(アクルカ)が影響されているという事か)

 

それ自体は、最早不自然でも何でもない。

元来、仮面(アクルカ)とは神の依り代たるアイスマンの仮面を模して造られたもの。

仮面(アクルカ)を通して神の力を魂魄を代価に得ているのだとすれば、ウィツァルネミテアの性質とも合致する。

ならば神の力の濃い場所や神の近くでは、仮面(アクルカ)からなんらかの影響を受けても不思議ではない。

 

「ふ~……感謝する、ウルトリィ殿」

「いえ、微力ながらわたくしもお力添えは致しますが、あまり長くは……」

「承知しております。用件が済めば、某も早々に立ち去りましょう」

 

ウルトリィが何らかの呪法をかけてくれているようだが、彼女には悪いが気休め程度にしかなるまい。

それだけの力の波動を、オシュトルはヒシヒシと感じ取っていた。

 

(アイスマンやクオンはこんなものと繋がっているのか。仮面(アクルカ)を通して感じるこの存在感……これを制御しろ、というのは酷な話だ。ヒトやニンゲンの手に負えるもんじゃないぞ)

 

正直、アイスマンに対しては「なぜ……」という思いが強かったが、今となってはそれが無理な注文であったことがわかる。

こんなものがひとたび目を覚ましてしまえば、とてもニンゲン如きに御せるものではない。せいぜい、ある程度方向性に干渉するのが精いっぱいだろう。

 

社の主はタタリへの変貌を自身の意思によるものだと語ったが、あまり鵜吞みにはできない。

本人はそう振り返っているようだが、力そのものに……あるいは神の意志に影響を受けていないとは言い切れない。主自身も、アイスマンの意思とは関係なく、ニンゲンは滅んでいたと語っていた。

最早検証は不可能なのだろうが、その時のアイスマンは本当に彼自身だったのか。それすら疑わしいと思えてしまう。

 

「本来であれば、わたくしやカミュが時間をかけて浄化してから御出でいただくべきなのですが……」

(確かにこれは、急いだ方が良さそうだ……)

 

だが同時に、今来てよかったとも思う。

これを再度浄化してからとなると、果たして次に来られるのはいつになることやら。

故に、オシュトルは無礼と承知の上で急ぎ社の中へと足を踏み入れる。

社の戸を開けば、そこには荒ぶる御霊を鎮めようと祈りをささげるエルルゥの姿。

彼女はオシュトルが戻ってくるとは思っていなかったらしく、反射的に振り向くと驚きに目を見張る。

 

「え? どうして」

「失礼、少々確認したいことがございまして。今は、話せる状態であるか?」

「それは……」

「ああ、なんとかな。あまり時間は割けんが、少し位ならば可能だ」

「ですが……」

「すまないな。だが、次の機会があるとも限らない以上は、尚更だ」

「かたじけない」

「それで、話とは?」

「まず、いくつか確認させていただきたいことがあるが、構わないだろうか」

「……」

 

オシュトルの問いに、社の主は何も返しては来ない。

だが、それは明らかな肯定の意の表れだった。

 

「貴方は大いなる父(オンヴィタイカヤン)が氷の中から発見したアイスマンその人で間違いないか」

「相違ない」

「同時に、その身に神が如き何か……ウィツァルネミテアを宿している」

「そうだ」

「そして、クオンの父でもあるトゥスクル建国皇……名をハクオロ。

 某の……いや、自分の名の由来であり、かつてクオンが言った由緒正しき『うたわれし御方』」

「………………………」

 

社の主は答えない。答えるまでもないからか、あるいは答えたくないのか。

オシュトルにとっても、これはあくまでも確認作業。ほぼ確信している事柄ばかりで、答えが返ってこなくても特に不都合はない。

しかし、最後の問いだけは別だ。この問いにだけは、主自身に答えてらわなければならない。

故に、時間がないと承知していながら、オシュトル……否、ハクは辛抱強く答えを待つ。

 

「………………ああ、その通りだ」

 

その決意を感じ取ったのだろう、主もようやくその重い口を開きハッキリと肯定する。

 

「やはり、そうか……だが、クオンめ、随分と大層な名を付けたもんだ」

 

あの時は「パッとしな」と思ったものだが、由来がわかればむしろ大層すぎて重たくすらある。

同時に、知らなかったとはいえ随分と罰当たりな感想を漏らしたものだとも思う。

由来である当の本人が神の依代というのもあるが、トゥスクルの者に「パッとしない名前」なんて言ったことがばれたら、それこそ袋叩きにされても文句は言えない。

カルラは「帝の名をつけるようなもの」とかつて言っていたが、まさしくというわけだ。

 

「それで、そのようなことを確認してどうする?」

「いや、大切なことだ。貴方はかつてニンゲンをタタリに変えた後封じられたと言った。

だが、少なくともそのあとに一回……恐らくは数度封印と覚醒を繰り返しているのではないか。

そして、最後の覚醒と再封印がトゥスクル建国の折だった」

「その通りだ。私は目覚める度に子らに干渉してきた。この國が生じるより以前、この地が戦乱に明け暮れていたことは知っていよう。その原因のすべてが我とは言わない。だが、一因に我の存在があったのは事実だ」

(つまり争いを促し、時に戦火に油を注いだという事か?

 いやだが、それでは矛盾する。ならばなぜ、この地は今トゥスクルとして治められている?

 奴の言う事が真実なら、どのような目的があって戦を引き起こしていたかはわからんが、トゥスクルとして統一されているのは不都合なはずだ)

 

しかし同時に、トゥスクル建国以前のこの土地が戦乱の地であったことも事実。

小規模な平和はあったようだが、どこも長続きはせず、その範囲も限られていた。

帝の治世の元、長く平和を謳歌し、他国からの侵略も跳ね除けてきたヤマトとは大きく異なる。

 

故に、トゥスクルの存在はこの地では特別なのだ。

全土を平定したわけではないが、大半の土地を治め、いくつかの國と盟を結ぶことで戦乱の時代を初めて終わらせた奇跡の國。その意味は、ヤマト出身者にはわからないほど大きい。

 

とはいえ、なぜ今になってトゥスクルという形で戦火を治めさせたのか。

いや、むしろ逆か。目覚めと眠りを繰り返していたことは予想通りだったが、その度に戦を助長していたことが予想外だった。

正直、こうして言葉を交わしていてもそういったことをする黒幕的な印象は受けないのだが……。

そんなオシュトルの困惑を読み取ったのか、社の主……トゥスクル建国皇「ハクオロ」はどこか苦さを感じさせる声音でその訳を告げる。

 

「我は、争いを以て子らの成長を促そうとしたのだ。戦とは競争であり淘汰の究極。戦火が子らを強く鍛え上げ、届かぬ者らを振るい落とす。そう考えた我は、目覚める度に世に火を放ち続けた」

「確かに、戦の中でこそ多くの技術は進歩する。実際、トゥスクルの医学や薬学、武士(もののふ)たちはヤマトから見ても突出している以上、それは事実。ヤマトのように太古の叡智による後押しを受けなかったとすれば、いっそ驚異的だ。だが、貴方はそれを辞めた。それは、なぜ……」

「……元は、ヒトを高みに導くため」

「高み?」

「そうだ。我と同じ高みにヒトが至れば、我は孤独から解放される。それが、どちらの願いだったのかは、我にもわからんがな」

(アイスマン……いや、ハクオロとウィツァルネミテア。それが、悠久の時の中で在り続けた者たちの願い。

 ハクオロのだとすれば、まだ理解はできる。滅ぶこともできず、ただ在り続けるしかないことは苦痛を覚えるのも無理はない。だから、それを癒す存在を求めるのはわかる。だが、ウィツァルネミテアだとすれば、ハクオロに宿ったことでは満足しなかったという事か。本当にそれを求めているのかすら、怪しく思えてくるな。

 まぁ、どのみち戦火をまき散らすなんて方法は碌なもんじゃないが……しかし、なぜ今になってという疑問は残る。長い時間の中で冷静になって辞めたという事か?)

 

あり得なくはない話だが、やはり不自然さが拭えない。

言葉を交わし受ける印象からも、これだけの國の土台を作り上げた事実からも、そのような真似をする人物にはどうにも思えない。いっそ別人のようにすら思えるほどだ。

 

「そんなに意外か、我の所業が」

「まったく、貴方は人の心が読めるのか?」

「そういうわけではない。だが……そうだな。我にとっても、それらの行いにはどこか実感が薄い」

「実感が、薄い?」

「無責任な話だがな。確かにそれが我自身の行いであると自覚している。だが、どこか遠い出来事のように感じている自分もいるのだ」

「あの、それは……」

「エルルゥ、お前の気持ちはうれしい。しかし、それが我の行いであり、我の罪であることから目を逸らしてはならないのだ」

「いえ、そうとも言い切れません。記憶を失われたことが、一因にあるのでしょう」

「記憶を? だが、あなたが記憶を失うほどのことが起こり得るのか?」

 

そう、これほどの力を持つ存在が記憶を失うほどのことが起こるとは到底思えない。

そんなことが起こるとすれば、先にニンゲンや世界が滅んでいるとさえ思えてしまう。

 

だが、何事にも例外がある。

何人たりとも届かぬ絶対的な存在であろうとも、自分自身になら傷を負わせることができるように……。

 

「かつて、我らが大神(オンカミ)は二つに分かれておられたのです」

「二つに?」

「先ほども語ったな。我はうちに宿りしこの力に愉悦を覚えると同時に恐れもした。その時、我の心は二つに割れたのだ。そして、封じられる前に分かれた二つの心は戻ることなく眠りについた。その結果……」

「神の力が二分され、二つの存在として安定した、ということか」

「そうだ。以後、我らは目覚める度に子らに干渉すると同時に争い続けてきた。『ヒトを導く』そう謳ってな」

「ですが、大神(オンカミ)が対峙することになれば、それこそ取り返しのつかないことになっていたでしょう。同じ存在であるが故に憎悪し、その衝動のままに争えば……それこそ世界が滅んでしまいかねません」

(アマテラスの直撃を受けて生きてるような存在だもんな……世界が滅ぶ、がシャレにならん。

 しかし、力の二分か。それが本当なら……)

 

この事実は大きな意味を持つ。オシュトルの中で、一つの案が芽生えた瞬間だった。

 

「最後の目覚めは、我にとっても予想外だった。よもや、この地に踏み込む者がいるとはな。

 その結果、我らは二つに分かれて以来初めて対峙することになった」

(つまり、寝床に誰かが入ってきたせいで目が覚めたのか。そしてその結果、正面対決が勃発。片方は深手を負って逃走したは良いが記憶喪失、と)

「あとは概ね、お前の知る通りだ。トゥスクルを興し、戦乱の果てに我は我が分身と改めて対峙した。

 我が分身は『ヒトを導く』と言う。しかし、我にはもうそれを善しとすることはできなかった。

 お前も言ったとおりだ、ハク。この世界は最早ヒトのもの。ニンゲンも、ましてや神などが出る幕はない。

 我は無用、ヒトは己の意思で生きていく。故に、我は分身と一つとなり、ここに封じられたのだ」

(なるほど、記憶を失ったことで逆にフラットに世界と自分自身、そしてヒトを見ることができるようになったのかもな。とはいえ、完全な封印はやはり無理か。既に、こうして意識だけでも目覚めている。完全に封が解けるのも時間の問題だろう。ならば、その意味でも対処は急いだ方がいいかもしれん)

 

だが、収穫はあった。むしろ、危険を冒してまで今知ることができたのは大きい。

封印の地の浄化が終わる前にオシュトルの命数が尽きていたらと思うと、ゾッとしない程度には。

 

「それで、確認したいことは終わりか?」

「ええ、無理を聞いていただき感謝する。そして、不躾ながら一つ聞いていただきたいことがある」

「ほぅ……」

「貴方は、会いたくはないのか。クオンと、トゥスクルの皆と、愛した者たちと」

「そ、れは……」

「オシュトル様、何を……」

「く、くくく…ハハハハハハハハハハハ!!! まったく、何を言い出すかと思えば……愚かな問いだ」

「……」

 

何がどう愚かなのか、オシュトルは問わない。言わんとすることがわかるからだ。

会いたくないはずがない、という意味で愚かな問いだというのが一つ。

同時に、会えるわけがない、という意味でも愚かな問いだ。

彼が封印から逃れるという事は、神が世に解き放たれるという事。

『この世界はヒトのもの』『神の出る幕などない』と考えるが故に、封印から逃れるわけにはいかないのだから。

そう、確かに愚かな問いだ。その愚かさをオシュトルは理解している、理解した上で彼は別の道を探したいのだ。

 

「だが、ただ愚問を口にする漢でもあるまい。何を考えている」

「先ほど、貴方は心が二つに分かれたことで神の力諸共二つの存在になったと言った。

 それはつまり、力そのものを分かつこともできるという事だ」

「可能不可能ならば、可能だろう」

「ならば、某に力の一部を分け与えていただきたい」

「……」

「同胞を救うためにも、神の力を解き明かす必要がある。そのためには、手元にサンプルがあった方が望ましい。

 とはいえ、これは某個人の事情。他者を巻き込むのは本意ではない」

 

故に、自分自身をサンプルにする。

この漢のこれまでの足跡を考えれば、納得のいく思考の流れだ。

 

「それに……」

「それに?」

「神の力とやらがあれば、自分も少しは長生きできるだろ?

 これまでのことに悔いはないが、かと言って早死にする趣味もないしな。

 これからのことを考えれば、時間はいくらあっても困らんだろ」

 

あっさりと、まるでなんでもない事のように語る。

他の者が言えば「浅ましい」とすら思うかもしれない。

しかし、この漢が口にするとどこか清々しくすらあった。

実際、ハクは「できれば長生きしたい」とは思っているのだろう。だが同時に、目的のためには自身の死も恐れない。死を恐れはしない、同時に可能な限り生を望む。

別に何も不自然ではないし、極々当たり前のことだ。

当たり前のことの筈なのに、この漢が口にするとどこか小気味よい。

 

「ふむ。つまり、我の解放を対価に神の力を求めると? 確かに、契約としては可能だ。

 だが、それをすればお前は契約により縛られることになる。形はどうあれ、必ず我を解放することになるだろう。例えそれが、神を解放することになったとしても」

(念を押すってことは、それだけの強制力があるってことか。

さぁ、なんとか上手い事言い包めないとな。ここからが正念場だ)

「お前とて分かっているはずだ。次に目覚めた時、我が今の我である保証はない。また、世に戦火を放つやもしれん。それは、決して許されないことだ。

 ……具体案を示せ。我を封印より開放するだけでなく、神から解放するための策を。戯言とあれば、如何にあの子の見込んだ漢と言えど、容赦はせん」

 

封印から逃れ、神から解放され、一人の漢として家族の元へ。

なるほど、それはハクオロにとっても理想的な未来。

 

しかし、それは言うほど簡単なことではない。

具体的な案もなく乗ることはできない。

神を宿したまま解放されれば、それこそ取り返しのつかないことになるかもしれないのだから。

だが、ハクとて何の方策もなしにこのようなことを口にしたわけではないのだ。

 

「昔、まだ自分が地下都市で暮らしていた頃のことだ。

 自分には兄貴と義姉、それに姪がいた。その姪がな、色々な本やら資料やらを持ってくるんだ。

 ピクニックやキャンプと言った外の世界を楽しむ話もあれば、昔のおとぎ話とか、な」

「……」

「その中に、どこかの國には八百万もの神様がいるという話があった。

 ええっと、アレはなんと言ったかな……」

八百万(やおよろず)の神。この世の万物、それこそ厠や食物に至るまで、全てに神が宿るという。この場合の八百万とは数ではなく『無限に近い』、という意味だな。多神教としては、まぁありふれたものだろう」

「お、詳しいな。氷の中に閉じ込められる前はそういうことを仕事にしてたのか?」

「専門ではないが、一応は考古学者をしていたよ」

「ははっ! なるほど、血は争えないという事か。クオンも遺跡を調べるのが趣味だからな、親に似たんだろう」

「だが、それとこれと何の関係が……まさか、お前」

「その上察しも良いと来た。ああ、多分あんたの考えている通りだぞ」

 

我が意を得たりと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべるハク。

エルルゥもウルトリィも話についていけないようで疑問符を浮かべているが、続く言葉は理解できた。

 

「あんたの力は分けることが可能。なら、簡単な話だ。この世の全て、ヒトだけでなく石ころや落ち葉、水一滴にもその力を分けちまえばいい。文字通り、みんな神様にしちまうのさ。

神様の力なんて一人で背負うからややこしいことになるんだ。一人で無理ならみんなで背負えばいい。

アンタはなまじ人より優れてるから何でも背負い込んじまうんだろうが、自分は小賢しい頭とよく回る口だけが取り柄だからな。皆に助けてもらわんとどうにもならん。ここまで来れたのだって、みんなのおかげだ。

だから、今回もみんなを頼る。その範囲が少し広がるだけの話だ」

「我とて、別にすべて一人で背負い込んだつもりはないのだがな……」

「アンタの場合、ヒトに……特に仲間や家族にこれ以上迷惑をかけたくないとか思っちまう口だからだろ。

 だがな、自分に言わせれば遠慮なく迷惑や苦労を分かち合ってこそだと思うぞ。

 アンタの周りの連中も、そう言うんじゃないか?」

「……ああ、確かにその通りだ。どうやら、私は驕っていたらしい。いかんな、どうやらいつの間にか考え方まで神のそれになっていたらしい」

「神の力なんてものを持ったからこそ、だな。で、どうする。自分の案は採用か?」

 

一人だけ強大な力を持つからこそ浮いてしまうのなら、皆に分け与えて平均化してしまえばいい。

皆が特別な力を持ってしまえば、それはもう特別ではない。

 

そして、別にこれで本当に神の力を全て分けられなくてもいいのだ。

ある程度分散化して、神だけを封じられるまでに弱体化させてしまえばいい。

今神を封じていられるのは、依代であるハクオロが封印されることに協力的だからだ。

もしその気になれば、いつでも封印を破ることができる。

つまり、神だけを封じても簡単に破られてしまうという事。

 

だからハクオロから離れさせるわけにもいかない。しかし、神だけを封じられるようになればその必要はなくなる。ハクオロから神を離すためにはまた別の方策が必要かもしれないが、神だけを封じられるようになれば、粗方の問題は解決するのだから。

とはいえ、これにも問題がないわけではない。

 

「確かに、悪くない案だろう。しかし、それはつまり世界の全てが小さな仮面の者(アクルトゥルカ)、クオンの劣化した状態になるという事。それは、ウィツァルネミテアから力を得ることも可能という事だ。対価を得たウィツァルネミテアは、その分だけ力を取り戻す。

 それを長く続ければ、いつか封を破るだろう。そうなれば、結局は元の木阿弥だ」

「たしかにな……」

「それでは意味がない」

「そうか? いつかのことはその時の当事者に任せればいいだろう。なにも、今の自分たちがすべて解決することはないんじゃないか? というか、そもそもいつか封印が破られるかもしれないのなんて今だって変わらんだろ。いつまでもあんたがその力の主導権を握っていられるとは限らんのだし」

「それは、そうだが……」

「言ったろ、みんなで分かち合えばいいんだ。それは今を生きる連中だけじゃない、これから先の未来を生きる連中も含めてだ。課題を残して、いつかの誰かが解決してくれることを祈ろうじゃないか。そう、神様にでもな」

「…………………………………………まったく、調子の良い漢だ」

「自分は命を削るほどに働いたんだ。正直、これ以上は働きたくない。時間外労働手当がついたってご免だ。

 未来のことは未来の連中が頑張ればいい。アンタも、こんなとこでうらやまけしからん食っちゃ寝生活を満喫してないで、家族サービスにでも精を出せ。十何年もほったらかしって、ダメ亭主にもほどがあるだろ。

 良いから働け、労働の有難みを思い知れ! というか、自分だけ働くのなんぞ納得がいかん!!」

 

いつの間にか戻っていた素の口調で、何ともダメ人間なことを並べ立てるハク。

しかし、それがハクオロにはいっそ清々しくあるらしい。

未だ禍々しい気配で満たされた社でありながら、御簾の奥からはどこか楽しそうな雰囲気が漏れている。

 

「それが本音か? だがまぁ、働かざるもの食うべからず、か。そうだな、休暇もそろそろ終わりにすべきか。

 無論、休暇を終わらすために働いてくれるのだろう?」

「仕方がないが、報酬次第ではやってやらんでもない」

「我の解放に尽力することを対価に、お前に人並みの寿命を約束しよう」

「ん~……まぁ、そんなものか。元々、心許ない寿命が人並みになるんだ、贅沢は言えんか」

「なに、落胆するには早いぞ。それは尽力することに対する対価だ。それとは別に、成功報酬を用意しよう」

「なに?」

「ああ、一応言っておくがこれは契約とは別口だ。あくまでも、一人のニンゲン、ハクオロからのだ」

「まぁ、そういう事なら……」

 

契約の一環となると何を言われるか不安になるが、ハクオロとしてなら大丈夫だろう。

だが、それは油断と言うもの。今度はハクが驚かされる番だった。

 

「トゥスクル始祖皇として約束しよう。私を解放した暁には……」

「暁には?」

「クオンを嫁にやろう」

「ぶはっ!?」

「ははは! どうした、そんなにうれしいか?」

「いやいやいや! アンタ自分が何言ってるかわかってるのか!?」

「無論わかっているぞ。むしろ、お前こそわかっているのか? これは千載一遇の好機だぞ。

 オシュトルのままではどうやってもクオンとの婚姻は無理だ」

「それはまぁ……」

 

ヤマトの総大将であるオシュトルでは、クオンを嫁に貰う事も、クオンの元に婿に行くことも不可能。

それをするには、どちらも國の中での立ち位置が重要過ぎる。

かと言って、オシュトルの仮面を外してハクに戻ればどうかと言うと……

 

「ハクとしては……尚更無理だよなぁ」

「ああ。オシュトルの隠密衆の顔役だったとはいえ、事実上の無位無官だ。

 その上死んだはずの漢……如何にクオンが保護者をしていたとはいえ、一國の皇女の相手としては認められまい」

 

そう、クオンとハクの間にはそれだけの身分の差がある。

どれほどお互いが思い合っていても、周りがそれを許さないし、許すわけにはいかない。

それこそ、余程の特例でもない限り。だが、その特例を可能にする鶴の一声を放てる者がいるとすれば、それは……。

 

「始祖皇が許すと言って逆らえる奴なんて……いるわけないよなぁ」

「まぁ、無条件にとはいかんだろう。しかし、我を解放した立役者となれば話は変わる。

 それに、クオンがこの國で特別なのは皇女と言うだけではなく、我の唯一の直系だからというのもある。

 他にも我の血を引く者がいれば、相対的に重要度は下がる」

 

つまり、解放されたハクオロがエルルゥあたりと子を為せば、皇位継承者がクオン以外にもいることになるのだ。

その状態でなら、クオンをハクと結ばせることも少しはやりやすくなる。

 

「どうだ、悪くない報酬だろう?」

(あ~、やばい。この人のこと舐めてたわ。相手はトゥスクルの土台を築いた傑物だったんだよなぁ。

 人を使うのが巧いわぁ……ベナウィとかカルラさんを従えてたのも納得)

 

根っからの怠け者であるはずのハクのやる気を引き出すのは非常に難しい。

渋々働かせることはできるが、率先して働かせることができたのは彼の考え方を熟知した帝か、今は亡きオシュトルくらいなもの。

オシュトルの場合、死に際の頼みという事である種の例外だ。帝にしても、実兄と言う強みがある。

そういったものがなく、本当に言葉と報酬だけで全身全霊で働こうと思わせたのはハクオロが初だ。

クオンと言うジョーカーを握っていたとはいえ、これは紛れもない快挙である。

 

この時点で、既に攻守は逆転した。

少し前までハクが握っていたはずの主導権はハクオロの手中に落ち、ハクオロは実に楽しそうにハクの答えを待っている。

 

「で、返答や如何に」

「……………誠心誠意働かせていただきます、お義父さん」

「ああ、ただしオボロの説得だけは自力でなんとかする様に」

「ちょっ!? ある意味それが一番の関門だろ!?」

「アレは私よりよほどクオンの父親をしていたからな。さすがに、父としての役目を奪うわけにはいかん」

(本音もあるんだろうが、絶対に楽しんでやがる……)

 

相手があのオボロでは、絶対に「お前に娘はやらん!」と言うに決まっている。

クオンやハクオロのために尽力したことを忘れるような漢ではないだろうが、「それはそれこれはこれ」という奴だ。

絶対に猛反対するに決まっている。これはハクがどうこうという事ではなく、「クオンを嫁にする(奪う)」ことに伴う必然だからだ。

 

とはいえ、これで契約は成立した。

あとは、ハクの頑張り次第という事。

 

 

 

数年後。

トゥスクルの皇城では、一人の嬰児を抱く始祖皇夫妻と共に娘夫婦の姿もあったとか。


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