うたわれるもの ~短編集~   作:やみなべ

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話がじぇんじぇん進んでねぇぜ! まぁ、私のいつもの仕様でございます。
今回は社でのご対面。もちょっと詳しく話してもよかったんじゃねぇの、聖上。
と思って、こんな形に。


鍵は然るべき者の手に 2

オンカミヤムカイ。

それは、トゥスクル國内でも異彩を放つ特別な地。

トゥスクルの国教である「ウィツァルネミテア」信仰の総本山。

『大神の眠りし地』とも称される、ある意味では皇の座する都よりも重要な意味を持つ場所だ。

 

なにしろ、その最深部には皇族といえども容易に踏み込むことは許されない。

それどころか、次期皇位継承者であるクオンですら、その存在を知らされていないほどだ。

そんな場所に今、オシュトルたち一行は賢大僧正(オルヤンクル)ウルトリィの導きにより足を踏み入れている。

 

地下に広がる広大な遺跡……旧人類の巨大都市や浄化された静謐な空間、かと思えば禍々しさすら漂う一帯など、形は違えど皆に息を呑ませるだけのものがいくつもあった。

だが、それら全ては前座に過ぎない。

 

本命は最奥。

巨大な封印痕の中央に位置する社。

そこで皆を出迎えた、失踪したはずのクオンの母「エルルゥ」。

母娘の感動の再会もそこそこに、オシュトルらは社にて待つ謎の男の前に通された。

 

「お連れしました」

「ご苦労であった」

 

板張りの広い部屋に通された一行を迎えたのは、帳により隠された何者か。

声から男だとわかるが、あまりにも存在感が希薄だ。

にもかかわらず、不思議と良く通る声が身と心に響き渡る。

 

あまりにも不可思議な感覚。

まるで、人ではないかのような……そんな荒唐無稽な感覚がオシュトルを支配していた。

 

「よく来た。オシュトル……いや、ハク…と呼ぶべきか?」

(こちらのことは、全てお見通しというわけか)

「『大いなる父(オンヴィタイカヤン)』と呼ばれし者たちを救う術、それが其方たちの目的であろう」

「……知っているのであれば話は早い。大いなる父(オンヴィタイカヤン)に、タタリに、ニンゲンに安らぎを与える術に心当たりがあるならば教えていただきたい。あるいは……」

「『鍵』か。それが汝の目的、汝の悲願……ああ、無論承知している。汝の苦しみも、理解しているつもりだ」

「ならば!」

「だが、それだけだ」

 

熱の籠り始めたオシュトルに対し、それは無慈悲に告げる。

理解はできる……しかし、それ以上のことはできないと。

 

「彼らは『永久に迷いし者』、あの煉獄から解放することはできぬ。

 あれは、ニンゲンが築いてきた叡智とは全く異なる事象によって変じたもの。

 其方が『鍵』を得て、太古の遺物をすべて暴いたところで、原因を掴むことすらできぬであろう。

 なぜなら叡智とは、歴史であり積み重ねそのもの。既知の事象ならば暴くこともできよう。既知の先にあるものなら(つまび)らかにもできるだろう。

だが、その道程から外れたものを知るには、新たに積み上げねばならぬ。そのためには、いったいどれほどの膨大な時間と、試行と、研鑽を要することか。ましてや、それをただ一人で行うなど……絶望がより深まるだけであろうよ」

「それは……」

 

もしこの男の言う通り、タタリ化の原因がニンゲンの叡智とは全く異なる系統の事象によって起こった物であれば、確かにそうかもしれない。

ニンゲンが築いた叡智は、何百年何千年という時間をかけた、無数の先達の試行錯誤の末。

全く異なる系統の事象を知ろうとするならば、それと同じことを新たにやり直さなければならない。

むしろ、既知の叡智が余計な妨げになる可能性すらある。

あらゆる障害と困難を跳ね除け、新たな叡智を築く。そのためには、いったいどれほどの……。

 

「其方に苦しみを与えることは、我にとっても本意ではない。

 意味のない事に、果たしてする価値はあるのか。

 それよりも、タタリと化する事を免れた幸運を噛み締め、多くの出会いを得た今生の生命を謳歌する方が、余程意味と価値があるのではないか? 違うか、ハクよ」

 

この地に足を踏み入れる前に、ウルトリィは言った「すべての希望が打ち砕かれるかもしれない」と。

その意味を、ハクは噛み締める。

 

同時に、男の語る未来にも思い馳せてしまう。

全てを忘れ、何もかも見なかったことにして、ただ今の時代を生きる一人の男として歩む。

それは確かに、できるかどうかもわからない……それどころか、限りなく不可能なことに挑むより、遥かに魅力的な未来だろう。

 

この時代に目覚めたばかりの頃ならいざ知らず、今の彼には多くの友が、仲間がいる。

オシュトルと偽ってのこととはいえ、心と魂で繋がった同胞(はらから)たち。

苦難もあった、失ったものも多い、それでも彼らとの日々は太陽にも勝る輝きを放っている。

 

(永い眠りにつく前……かつて多くのニンゲンたちと同じように地下で暮らしていた時と比べて、今の自分はどうだ。今ほど、あの頃の自分は“生きていた”か?)

 

あの頃のハクには、兄と義姉と姪が世界のほぼすべてだった。

自室に引きこもり、時折兄の手伝いや他の地下都市の情報を収集するだけの日々。

あの頃のハク(だれか)は、果たして本当に生きていたのだろうか。

そう思ってしまうほどに、今の彼はこの時代で“生きている”。

 

 

(それに……)

 

今の自分自身を振り返れば、自ずと傍らに立つ存在にも行き当たる。

不安を押し殺すようにオシュトルの服の裾を握り、彼の顔を見上げるクオン。

 

この世界に目覚めてからというもの、エンナカムイで過ごした初期を除き、常に彼女はハクの隣にあった。

兄を例外にすれば、世界中の誰よりも長い時間を共有し、今のハクにとって最初の「家族」というべき少女。

“ハク”の全ては、クオンから始まったといっても過言ではない。

太陽にも勝る輝きを放つ日々、その中心にいるのが彼女だ。

まさに、オシュトルの日々を照らす太陽そのもの。

 

「ハ、ク……?」

(クオン、自分はお前と……)

 

共に、歩んでもいいのだろうか。

オシュトルとしての役目を終えた後、もう一度ハクに戻ることができたならば……。

 

クオンは皇女だ。どこの馬の骨とも知れぬ男と一緒になることはできないだろう。

しかし、彼女の傍でなら働くのも悪くないかもしれない。先に自分の物になれといったのは彼女の方、それを反故にすることはないだろう。そして、彼女が心安らかに過ごす一助となれるのなら、それでいい。

そう思ってしまうくらいには、ハクはクオンを想っている。

あまりにも甘美な未来だ。だが、そうとわかっていても……。

 

「貴方の言う事は、確かに正しい。だがその結末、いったい誰が確かめた?」

「ほぉ……」

「限りなく低い可能性、極めて困難な道行であることは承知の上。

 しかし、可能性があるのならば賭ける価値はある。誰も、それを『不可能』と証明したわけではないのだから」

「……なるほど、まさにニンゲンならではの言だ」

「然り、某はニンゲンだ。不可能に挑み、足掻き続け、その果てに至った叡智の数々を某は知っている。

 ならば、某もまた先達に倣い、不可能に挑むまでのこと。いつか、求める場所にたどり着くことを信じて」

 

謎の男は、ハクの言葉をどう受け取ったのか。

場に静寂が満ち、誰も一言も発さない。

見捨てられたのか、それとも何かを吟味しているのか。

オシュトルにはどちらか判断する術はない。

そうして沈黙に耐えきれなくなった頃、オシュトルがせめて帳の奥を確かめようと腰を浮かせたところで再度声が響いた。

 

「……ならば、其方はまず知ることから始めるべきだな。

 其方たちが『災厄』と呼ぶもの、『ニンゲン』に起こった真実を」

「教えて、頂けるのか?」

「真実は一つ、されど見る者の思想・立場によって見方は変わる。

 あくまでも、我から見ての真実……ではあるがな」

「構わぬ。是非、ご教授いただきたい」

「では、始めよう。これは、一人の男の告解であり懺悔であり……糾弾である」

 

そう前置きし、男は語り始める。

この世の誰も知らない、ニンゲンの真実を。

 

「ヒトが神代(かみよ)と呼ぶ時代、世界を統べた種。神の如く振る舞い、できぬことなど何もないとすら思えた叡智を築いた者たち。天空を行く鉄の巨鳥、無数の人を飲み込み進む大蛇、ウマもなく走る車、星々の海を進む船……全て真実であり、彼らの叡智の結晶。その神なる業が道具だけでなく生き物にさえ及ぶのは、ある意味必然だったのだろう。

 農作物にはじまり、家畜へと至り、やがては自らと酷似していながら異なる存在をも創り出した。それは彼らの手足となって働く者たち」

「それが『ヒト』、か」

「あるいは『マルタ』、または『デコイ』とも呼ばれる、ニンゲンに従属することを定められた者。

 ヒトの世界では異物であるはずの其方が、極自然に溶け込むことができたのも……」

(そう、わかっていたことだ。デコイは…ヒトは、ニンゲンに対し好意を抱くよう設計されている。皆が自分を慕ってくれたのも、無関係ではないだろうな)

 

だから、オシュトルはクオンへの想いを告げることをしない。

自分の想いを知れば、クオンはその血に刻まれた通りに応えてくれる。

その可能性が、彼に想いを告げることを良しとさせなかった。

クオンのことを想うが故に、その幸福を、笑顔を望む。

ならばどうして、植え付けられた好意を利用するような真似ができるだろう。

オシュトルの仮面の有無など、関係ないのだ。

 

「それ故の“大いなる父(オンヴィタイカヤン)”だ。

だが、どれだけ神の如く振る舞ってみたところで、所詮彼らは神ではなかった。叡智の代償、繁栄のツケを支払う時が来るのは必然。大地が、空が、海が、世界が彼らを拒んだ。毒と穢れにより、彼らは住処を失い地下へと逃れた。

しかし、その叡智は世界をあるべき姿へと戻して見せた。長い、とても長い時間を要しはしたが、確かに彼らは自らのツケを払い切った。だというのに、その頃にはもう……」

(ニンゲンは、外の世界で生きられる身体ではなかった)

「毒と穢れから逃れるために地下を潜ったことが仇となった。本来、ニンゲンが生きること叶わぬ地下で生きるため、彼らは望み得る快適な環境を地下に作った。それが結果的に、彼らを弱くしたのだ。

 病に罹ることもなく、怪我を負う事すら稀。過酷な労働は全て叡智の産物が済ませてくれる。まさに理想郷だろう。だが、そんな環境に慣れてしまえば、どうなるかは火を見るより明らかだ」

「身体を動かさなければ、筋肉はどんどん衰えていく。それと同じこと、かな」

 

それくらいのことは、今の学問でもわかっている。

特に、薬師として様々な知識を学んだクオンにとっては自明の理だ。

病も怪我も忘れた身体の免疫機能は急速に衰え、只の風邪すら致命的なほどになっていた。

 

「ようやくあるべき姿に戻った世界に、出ることすらできない自らの脆弱さを彼らは嘆き、強い肉体を欲した。

 だが、世界の姿すら戻して見せた叡智を以てしても、それだけはできなかった。

 皮肉なことだ。植物を、動物を、世界すらも自在に操る彼らにも操れないもの、それがほかならぬ自分自身だとはな。いや、あるいは……それすらもあと少しで叶っていたのかもしれん。其方の存在そのものが、その証明か」

(確かに、災厄がなければ自分と同じ処置を…その発展形を受けた人々が今頃は生を謳歌していたかもしれないな。しかしその場合、クオンたちデコイはどうなって……)

「だが、そうはならなかった。そうなる前に、彼らはある者を見つけてしまったからだ」

「ある、者? まさか、それは……!」

「仮面の男、アイスマン」

「っ!?」

「その様子では、其方は知っていたようだな」

「仮面? ハク、なんなのそのなんとかって人」

「アイスマン。意味としては『氷の人』といったところか。

地中深くで氷漬けになりながらも眠り続けていた男を発見し、彼らはそう名付けた」

「そっか、氷の中から見つかったから……『氷の人』なんだ」

 

確かに知っている。なぜなら、その研究の情報を盗み出し兄に教えたのが他ならぬ彼なのだから。

あの時、彼は思ったのだ。そのあまりにも傲慢な研究に「天罰が怖くないのか」と。

その記憶が、目の前の存在に対する「大神(オンカミ)」という印象を強くする。

それを何とか振り払い、彼は改めて男の語りに耳を傾ける。

この男の正体も、ある程度目星がついてきたところだ。

 

「彼らはその男と顔を覆い外れぬ仮面の研究に乗り出した。氷の中ですら生き永らえた生命力、そこに希望を見出したのだろう。やがて、その研究の中である者たちが生み出された。それこそが……」

「人ではないヒト……クオンたちの先祖、か」

「そう。ある意味では、この世に生きるヒトは皆、アイスマンの子らと言えるだろう。

 それは、ヤマトの者たちとて例外ではない」

(確かにな。ヤマトのヒトは兄貴が孤独に耐え切れずに生み出した奴らだが、それも元をただせばアイスマン計画からの流用。まったく、ますます業が深い。

 それに、この口ぶりからしてアイスマンの存在がカギになるんだろう。アレが、全てを狂わせたってわけか)

「だが、その研究もやがて行き詰まることになる。遂に彼らは、貴重な研究対象を一時保存することを決定した。

 貴重な研究対象が劣化しないように。研究を進められるところまで進め、それでも問題を解決できなかった時、再度アイスマンを“活用”するために」

「酷い……目覚めさせておいて、そんな……」

(ああ、全くその通りだ。自分が眠った後に、あの連中そんなことまでしていたのか……)

 

状況がまるで違うとはいえ、オシュトルは自分を拾ってくれたのがクオンであることに改めて感謝する。

クオンは彼が一人でも生きていけるように多くのことを教え、自立を促すために説教をし、必要と思われる管理をした。だがそれらは全て、オシュトル(ハク)のことを思えばこそ。そこに、彼を利用しようというような思惑は一切なかった。あの時点の彼に利用価値が乏しかったといえばそれまでだが、価値があったとしても彼女はそうはしなかっただろう。

ましてや、もう一度眠らせるなど……理屈はわかるが、あまりにも非人道的に過ぎる。人権思想の発達していないこの時代でも、その非道さは明らかだ。

 

「しかし、そんな中にも良心を残す者もいた」

「いた、のか? そんなニンゲンが……」

「彼は自らの身が危ないことも承知の上で、アイスマンに脱走を促した。

 そのための道筋と手段を用意し、それは成功した。アイスマンは多くのヒトに紛れて、地上に逃れたのだ。

 一人の、目覚めてからの自らの世話役を任された娘と共に。その娘の名を『ミコト』、番号で管理されていた彼女に、アイスマンが付けた名だ」

「ミコト、それって……」

(確か、トゥスクルでは皇女や女皇を『ミコト』と呼ぶんだったな。それと、何か関係があるのか?)

「地上に逃れた二人は、他のヒトと協力しながら何とか生きていた。

 文化も文明もない、もっとも原始的な生活だ。当然、今のヒトの暮らしと比べても苦しいものだった。

 地下での生活と比べれば、雲泥の差だろう。家はおろか、風雨を防ぐ寝床にすら難儀する日々。農耕をしようにも、食べられる何かを見つけるところから始めなければならない。病に罹っても、植生が変わっていて何が薬になり何が毒になるかわからないような状態だ」

「それは、確かに……」

(苦しい、どころの話じゃないな。文字通り、全てを一から始めなければならない。

 農耕の知識があったとしても、そもそも食べられるものを見つけるだけで一苦労。薬も一つ一つ試していくしかない。正直、考えるだけで気が遠くなる。自分だったら、数日のうちに野垂れ死んでるんじゃないか?)

 

不謹慎かもしれないが、オシュトルとしては自分が当事者でなくて良かったと思う。

あの兄ですら、何もない地上に一人取り残されはしたが、地下の施設の助けを借りることができた。

それすらない状況で外の世界に放り出されても、途方に暮れるしかない。

そんな中で生き延びたアイスマンを、場違いと理解しつつ心から尊敬してしまいそうになる。

 

「だがそれでも、そこには地下にはないものがあった」

「自由、か」

「自由に伴う責任はあった。飢えて死ぬ者、事故や獣によって命を落とす者、あるいは病……数えればキリがない形で、多くの者たちが死んでいく。しかしそれでも、彼らは自らの意思で日々を生き、誰にも束縛されない自由があった。自らに自由がない事すら知らなかった彼らには、何にも代えがたいものだったろう」

「奴隷みたいな扱い、だったのかな?」

「いや、良くも悪くもだいぶ違うだろう。恐らく、衣食住に困ることはなかったはずだ。その意味で言えば、奴隷よりはるかに暮らしは良かったのではないか? ただ……」

「ただ?」

大いなる父(オンヴィタイカヤン)からすれば、家畜か実験動物くらいの認識だったのだろう。アイスマンですらあの扱いだ。いつ、どんな理由で使い潰されるかわからん」

「そう……」

 

躊躇う様に語るオシュトルの話に、クオンの表情が曇る。

大いなる父(オンヴィタイカヤン)をハクと帝しか知らないクオンは、彼らに対しそう悪い印象はない。

帝には思うところはあるが、それでも彼はハクの兄であり、アンジュの父。

実際、家族を思うその気持ちには確かに共感することができた。

だからこそ、自らの先祖のその扱いに彼女は衝撃を隠せないのだろう。

 

「やがて、アイスマンとミコトの間に子が生まれた。苦しくとも、そこには自由があり、妻と子がいる。

 それだけで満たされていたのだ。だがその日々は、呆気なく崩れることになる」

「な、なんで……」

(やはり、か……あの連中が、貴重な研究対象をみすみす手放すはずがないからな)

 

そうであるならば、再度保存しようなどという話にはなるまい。

 

「地下へと連れ戻されたアイスマンは二度と脱走などできぬよう拘束された。

 その上で、彼らが見せたのは、アイスマンのそれを模した仮面」

「やはり、それが仮面(アクルカ)の元となった物か」

「その仮面は、着けるだけで肉体を強化し弱った免疫機能も向上する代物だった。

 だが、アイスマンにとってはどうでもいいことだった。彼にとっては、自らの仮面のことよりも妻子の方がよほど重要だった。しかし……妻は人との間に子を成した貴重な個体として解体された後。

 その怒りが、憎しみが、彼の者を目覚めさせた」

「それは……」

「この國では彼の者をこう呼ぶ、大神(オンカミ)解放者(ウィツァルネミテア)と」

「「っ!?」」

 

その名に、クオンとフミルィルが僅かに息を呑む。

二人にとっては、幼い頃から慣れ親しんできた名だ。

それも、無理のない事だろう。

 

「望む全てを叶える存在」

「同時に、破滅へ導く禍日神(ヌグィソムカミ)でもあります」

「そう……だね。願いと代償は等価、得る分だけ何かを失う。それがウィツァルネミテアとの契約、そう伝えられているかな」

「物事には様々な見方がある。神とてそれは同じ。

 この國では『神』と崇められ、また別の國では『禍』として畏れられる」

「しかし、神などというものが本当に……」

「あれが、真実神であるかどうかはわからぬ。だが、神と呼ばれるだけの力を有していることは事実」

「それは、何故に」

「その者たちが言っていただろう。ウィツァルネミテアは願いを叶えることを喜びとする。

そして、ニンゲンたちには確かな望みがあった」

「まさか……!」

「不死の身体、それが彼らの望み。ウィツァルネミテアはそれを叶えた、『姿』と『知性』を代償に」

「その結果が、タタリだというのか」

「神などという超常の存在は、ニンゲンの叡智の範疇外。いくら調べたところで、原因などわかるはずもない」

 

確かにそれなら、帝が方々手を尽くしても原因すらつかめなかったことにも納得がいく。

神の御業など、それこそ人類の叡智の結晶たる科学の範疇外だ。

 

「だが、だがそれならば! もう一度願えばよいのではないか? タタリを元に戻せと」

「不可能ではない。しかし、そのための代償はどうする?」

「っ……それは」

「一人や二人ならまだしも、全てのタタリを……となれば、その代償は計り知れん。その代償を、如何にして贖うつもりか?」

「同じことの繰り返し……ううん、たぶん願う度にどんどん事態は悪くなっていくかな。

 それに、ウィツァルネミテアは封じられているから……」

「なるほど、願えぬ理由はわかった。だが、随分と悪意のある……いや、それも当然か」

 

なにしろ、ウィツァルネミテアであるアイスマンにはその理由がある。

身勝手な理由で再び眠らされそうになり、なんとか逃れたところでやっと得た幸福を踏みにじられ、挙句の果てに妻を奪われたのだ。どれほど恨んだところで、飽き足らないのも無理はない。

それはわかる。理解できるとは言わないが、理性では納得できる。

しかし、だからと言って感情までとはいかない。

 

「一つ、聞かせてほしい。ウィツァルネミテアは……アイスマンの心はそれで晴れたのか?」

 

それは、彼に発することのできるせめてもの反発だったのかもしれない。

気持ちはわかる。もし自分が同じ立場であったのなら、当然恨み憎むことだろう。

だがそうとわかっていても、あの結末を許すことはできない。

 

「…………晴れたのであれば、我が子と共に生きることもできたのだろうな」

「では……」

「アイスマンは恐れたのだ」

「何をだ? それほどの力がありながら、何を恐れる」

「その力をだ」

「自らの力を? なぜそのような……」

「其方は一つ思い違いをしている。アイスマンとウィツァルネミテアは必ずしも同一ではない」

「なに? それはどういう意味か」

「アイスマンは所詮、ウィツァルネミテアの入れ物、依代に過ぎない。

 アイスマン自身、己の内にそのような者がいることを知らなかった。

 そして、怒りと共にそれが目覚め、大いなる父(オンヴィタイカヤン)たちをタタリへと変えた。

 その凄まじい力に愉悦を覚えると同時に、その行いを恐れた。故に、願ったのだ。我を滅せよ、とな」

「だが、滅ぼせなかった」

「そうだ。ムツミの……天よりの一撃をもってしても、ウィツァルネミテアと化したアイスマンを滅ぼすことはできなかった」

(天よりの一撃って、まさかアマテラスのことを言っているのか!? 確かに、兄貴がアマテラスでの攻撃があったとは言っていたが、その一つという事か? それを受けても滅ぼせないって、どれほどの化け物なんだ……)

「次善の手段として、ウィツァルネミテアは封じられた。それ故に、この地はこう呼ばれる。神の眠りし地(オンカミヤムカイ)とな」

(それが、この地の名の由来か。アレは比喩でも誇張でもなく、只の事実だったと)

 

ウィツァルネミテアという神の存在を、正直オシュトルはまだ信じられていない。

しかし、神と呼ばれるだけの存在であるという事は受け入れている。

なにしろ、オシュトルの予想が正しければこれは伝聞や伝承などではなく、当事者から語られる事実だ。

ある程度以上の信憑性はあると考えていいだろう。

 

(いや、待て。そもそもその時アイスマンのいた施設は混乱の真っただ中のはず。その中でどうやってアマテラスを……ムツミと言っていたが、誰のことだ? それに……ええい! いったいどれから聞けばいい!!)

「その後のことは、其方も知っての通りだ。地下より逃れたヒトは方々に散り、それぞれの地で根を下ろし、集落を作り、やがて國ができた。この地では、彼らが地上に出る契機となった存在を『神』と崇め、『解放者』と呼んで讃えている」

「解放者、か。ニンゲンの軛から逃れたという意味で言えば、確かに解放なのだろうな」

「訂正」

「ですが主様、彼の者はヒトを楽園から追放した禍です」

「それは見方の違いだ。お前たちの言う楽園とは、地下の施設ないし都市のことだろう。確かに、衣食住は保証され快適な環境が与えられたあそこは理想郷と言えるかもしれない。

しかし、そこにヒトとしての尊厳はない。あの場所にいる限り、自由などなく、常に管理され、いつ生命を使い捨てられるかすらわからない」

「帝は違う」

「帝は私たちをそのようには扱われませんでした」

「それは帝がそうだったというだけの話だ。ヒトが千差万別であるように、ニンゲンもそうだ。命を使い捨てることに何とも思わぬものもいれば、己の命を捨ててでもヒトを逃がす者もいる。

 帝の元で育ったお前たちからすれば、彼の者は禍日神(ヌグィソムカミ)なのだろう。だが、非道なるニンゲンの元にいた者たちからすれば、正しく解放者だ。それを、お前たちは否定できるのか?」

「「それは……」」

(そして、解放者というのであればライコウもまたそうなのだろう。奴は、兄貴のゆりかごから民を解き放つために戦った。ふっ、むしろ真に解放者と言えるのは奴の方かもしれないな)

 

帝のゆりかごを奪われたことを嘆く民はいるだろう。その者たちにとってライコウは禍日神(ヌグィソムカミ)に違いない。逆に、その意味を理解する者たちは彼が解放者であることも理解するだろう。

ある意味、ウィツァルネミテアとライコウは非常に似た面を持つのかもしれない。

 

ただ、両者には大きな違いがある。

なにしろ、ウィツァルネミテアによる解放は結果論に過ぎない。

それに引き換え、ライコウは解放を目的として行動していた。

 

「では、この真実を踏まえた上で……」

「待ってほしい。もう一つ教えてくれまいか」

「なんだ」

「アイスマンとウィツァルネミテアは同一ではないと貴方は言った」

「確かに」

「であれば災厄の際、ニンゲンの願いを叶えたのはどちらだ? ウィツァルネミテアか、それともアイスマンか」

「その問いに、意味があるとは思えんが……」

「某が知りたいのだ。知ることそのものに、意味があることもある。違うか?」

「………………叶えた、というのであればアイスマンだろう」

「そうか……だが、なぜこの問いに意味がないと?」

「ウィツァルネミテアが目覚めた段階で、どちらにせよ願いは聞き入れられただろう。どちらが叶えたとしても、違いはない」

「なぜだ、ウィツァルネミテアが叶えたのであれば、もっと別の……」

「知性と姿に変わる代償……何を支払ったところで、その差は些細な物だろう」

(っ!? なるほど、意味がないとはそういう事か……)

 

あの言葉には、二つの意味が込められていたのだ。

ウィツァルネミテアが目覚めた段階で、願いを叶えるという結果は変わらなかった

同時に、願いの大きさ故に支払う代償もまた大きくなり、結果ニンゲンはニンゲンのままではいられなかった。

タタリになったのはアイスマンの影響だろうが、アイスマンの影響がなくてもニンゲンは滅んでいたのだろう。

なるほど、この問いに意味はないというのは確かだ。

 

「だ、だが! 支払う代償が大きいことがわかれば、それを辞めさせることも!」

「しない」

「なに?」

「ウィツァルネミテアは願いを叶える者。ただそれだけの存在。力の塊、と考えた方が分かり易いだろう。

願いの善し悪し、それに伴う代償、どちらも考慮などしない」

「なっ……」

「もう一つ、思い違いがあったな。そもそも、あれはヒトとは存在の在り方から違う。ヒトに植物の気持ちが理解できるか? 一夏で命を終える虫の死生観を共有できるか? あるいは、路傍の石ころが何を思うか想像できるとでも? それと同じだ。あれにヒトを理解することはできぬ。逆に、アレをヒトが理解することもできぬ。

 アレに善意や悪意があるかは我にもわからぬ。仮にあったとして、それがヒトの善意や悪意と同じとは限らぬ。アレが善しとすることが、ヒトにとっては悪かもしれん。あるいは、タタリへと変えることはアレにとって善い行いかもしれぬ。それほどまで、アレはヒトとは隔たった存在なのだ。ヒトの善悪で測れるのは、ヒトの行いだけだ。

夜、虫が鳴くことを悪と詰ることはあるまい? アレが願いを叶えるのは、それと同じだ」

 

願いを叶える存在だから、願われればそれを叶える。

そこに意思や感情はない。あったとしても、ヒトに理解できるようなものではない。

少なくとも、その存在と共にあり続けているであろう男は、そう判断している。

そして、恐らくはその判断は正しいのだろう。

 

「善悪という意味で言えば、ニンゲンすべてに対し不死の体を願った者たちも、決して悪意があったわけではないのだろう。彼らは彼らなりにニンゲンの未来を憂い、切り開こうと足搔いていた。ただその結果、彼らは目覚めさせてはならないものを目覚めさせてしまった。そういう事だ」

(誰が悪かったわけでもない、か。元凶ともいうべき研究者たちは、奴らなりの使命感に突き動かされていただけ。そう言えてしまうほどに、この男は長い時を過ごしているという事か。

 時の流れは救いでもあり、残酷でもある。兄貴やこの男は、その生き証人なわけだな)

「問いは終わりか? では、改めて問う。この真実を踏まえた上で、それでも其方は尚も足搔くのか?」

「…………無論だ。それが、某がこの世界に目覚めた意味であるはずだ」

「ニンゲンの叡智は力にはならないが?」

「なぜそう決めつける。貴方のおかげで事の真相は知れた。ならば、それを踏まえた上で調べるのみ。

 あるいは、過去の遺産から何か得るものがあるかもしれん。不可能かもしれない道ならば、あらゆる可能性を試すくらいでなければな」

「そうか……なるほど、あの子が認めたというのも頷ける」

(あの子?)

 

いったい誰のことを指しているのか、オシュトルには推し量ることはできない。

ただ、これで問答は終わりだという事は確かだ。

聞きたいことはまだあるが、それも本題からすればおまけの様なものだろう。

オシュトルもまた、極論すればことの真実を知るためにここに来たのではない。

彼の目的は元より一つなのだから。

 

「誰のことを言っているのかはわかりませぬが、某を認めたというのであれば、どうかマスターキーをお譲りいただきたい」

「それは……」

「お待ちください。太古の叡智を受け継ぐ資質を持つお方を、もうお一方お連れいたしました」

「何?」

 

ようやく本題に入ろうとしたところで、社の外で待っていたはずのウルトリィから声がかかる。

振り返れば、そこにはウルトリィと共に数人の冠童(ヤタナワラベ)を連れた男の姿。

 

「お前は……」

「フフッ……その方に鍵を預けるのは、少々早計かと。私とどちらが相応しいか、しっかり見定めていただかなければ。大いなる叡智を無駄にしてはいけませんからね」

 

慇懃な言葉遣いでありながら、そこには微かな嘲りの色がある。

まるで、自分こそが鍵を持つに相応しく、オシュトルでは相応しくないと言うかのように。

その男の名は……

 

「なぜ、お前がここにいるウォシス!?」

 




活動報告を更新し、そちらでリクエストを募集しております。
数の多いリクエストを採用するとは限りませんが…というか、募集していながら採用するかどうかすら不明ですが、案を頂けるとありがたいです。
こう、ビビッとくるものがあれば書くつもりです…たぶん。

ああ、それと思いついたネタがもう一つ。
マシロさまが異世界に召喚。ラノベなんかでよくある勇者として召喚されちゃうあれな感じで、他にも複数召喚されているのがいたり、転生者がいたりと混沌(カオス)な状況に加え、亜人は迫害されてたり、召喚者はほとんど俺TUEEEEする気満々の旧人類の学生だったりして…………あ、だめだ。それこそマシロ様TUEEEEになっちまう。ガチで戦乱の時代を治めちゃった人と勝負になるわけがねぇ。

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