と言っても、導入というだけあって短い上にほとんどクオンの一人語りですが……その辺りはご容赦を。
トゥスクル皇女、
本人もそのことを深く理解していたし、自分があらゆる面で他者より恵まれていることもわかっている。
生まれてすぐに父…正確には叔父にあたる男やその従者と共に各地を旅し、幼少期を母の一人が居を構えていた辺境の村で過ごしたりもした。そんな日々の中で、民の生活が決して楽ではないことも、彼らの明日が上に立つ者に左右されることも自然に学んだ。
故に、皇族という立場に生まれながら、彼女は生きることの難しさも大変さも身を以て知っている。同時に、助け合わなければ生きていけないヒトの弱さも、互いに支え合うからこその強さもだ。
なにより、彼女自身が多くの愛によって育まれたからこそ、その尊さを知っている。
そして、自分の立場に伴う責任もまた。
そんな彼女だからこそ、家族はクオンが旅に出ることを許したのだろう。
クオンは生まれながらに、この地に生きる誰よりも大きな責任を負う事を定められている。皇族であるだけでなく、神の血を受け継いだ半神半人である彼女は、あまりにも特別過ぎたのだ。
彼女が自由を謳歌できる時間はあまりに短い。その生の大半は、負った責任を果たすことに費やされる。
だからこそ、僅かな猶予の間だけでも自由に……それが皆の願いでもあった。
無論、自由に伴う責任を負うことも含めて送り出すあたり、愛するが故の厳しさもあったのは間違いない。
まぁ、さすがに海を渡ってしまったのは予想外と言えるだろうが……。
それはともかく、クオンが他者よりあらゆる面で恵まれているのは事実だ。
何もそれは出生に関わるあれこれだけでなく、整った容姿や健康な肉体、明晰な頭脳もまた彼女が多く持つ優れた点の一つ。
凡そ望み得る全てを持って生きているかのようなクオンだが、そんな彼女にもないものがある。
その一つが……「両親」。
彼女は、実の両親の顔を知らない。その温もりも、声も、何も知らない。家族は二人のことをたくさん語って聞かせてくれたが、そこに「体験」が伴う事はなかった。
そう、彼女が生を受けた時、父は誰の手も届かぬ場所に旅立った後で、母はクオンを産み落として間もなく命を落としたのだ。
そのことで悩み、苦しんだこともある。
周囲から惜しみなく注がれる愛に「疑念」を抱いたことも、なかったわけではない。
それは、ある意味仕方のない事。だって、血縁者は我が子のように愛し育ててくれた叔父只一人。彼女と他の家族の間には血の繋がりという最も分かり易く、確かな繋がりがなかったのだから。
しかし、そんな経験も無駄ではなかった。
家族とどう接していいかわからなくなった時も、「どうせ本当の家族じゃない」と辛く当たった時も、彼らは変わることなくクオンを愛してくれた。家族という繋がり、その本質は「心」であり「絆」なのだと言うように。
クオンもそんなことはわかっていた。
なにしろ、彼女はそういう家族の中で育ったのだから。
それでも抱いてしまった様々な感情は、クオンの成長に必要なものだった。
酷いことを言ってしまったことを謝罪する彼女に、皆は言い回しこそ違えどそのように返して笑っていた。
なにもかも家族にはお見通しだった。そのことがたまらなく恥ずかしく、同時にどこか嬉しい。
それが家族なのだと、今のクオンは受け入れることができる。
なにより……
(証なら、ここにある)
胸に手を当て、褪せることなく灯り続ける暖かさを実感する。
それは、心に宿る「絆」という名の温もり。クオンと家族を繋ぐ掛け替えのないものだ。
そしてもう一つ。クオンは結われていた髪をほどくと、白い輪のようなものを手に取った。
これは……母から譲られた髪飾り。彼女はそれを複雑な心境で見る。
クオンには多くの母がいるが、これはその中でも最も多くの時間を共有し、薬師としての師でもある特別な女性「エルルゥ」から譲られたものだ。
それはエルルゥの一族で母から娘へ、娘から孫へと受け継がれてきた家伝の品。エルルゥに実子がいない以上、本来なら妹のアルルゥが受け継ぐべきもの。
にもかかわらず、エルルゥはこれをクオンに受け継がせた。良くも悪くも、クオンはその日のことをよく覚えている。
「クオン」
「なぁに、母様?」
「あなたも随分大きくなったわね。本当に、時が経つのは早いわ……」
「クオンね、大きくなったら母様みたいな立派な薬師になるかな! でねでね、國のみんなを元気するの!」
「そう」
クオンの幼い宣言に、エルルゥはただただ優しい眼差しで答える。
その道行の困難さを知るが故に。
多くの死と、それに伴う悲しみに直面するであろう未来を思って。
同時に、自身に憧れ、自身と同じ道を歩まんとする愛娘への愛おしさを噛み締める様に。
「……ねぇ、クオン。あなたに、これを」
「え? 母様、これって……」
「
「でも、でもこれってすごく大事な物だって! たくさん思い出が詰まってるって!」
「ええ、それはとても大切な物。私がおばあちゃんから受け継いで、みんなとあなた、それにハクオロさん……あなたのお父さんと過ごした思い出が詰まった物」
「なら、アルルゥ姉様に!」
「だから、あなたが持っていて」
「……だって、わたくしは」
「これをあなたに渡すのは、あなたが薬師になるからじゃない。この國の皇になるからでもない。
あなたが、私の何より大事な娘だから。だから、あなたに受け取って欲しいの」
「母…様……」
もう、以前のように家族の絆を疑ったりすることはない。
今更、証になるようなものを渡されたところで何も変わらない。
自分たちは家族。心で、絆で、魂で繋がった家族なのだから。
故に、これは家族の証として渡すのではない。親から子へ受け継がれたものを、また子へと受け継ぐ。これまでに幾度となく繰り返されたことを、また行う。本当に、ただそれだけ。
そこに特別な物はなく、だからこそ特別なこと。
「いい、クオン。薬師にならなくても、血の繋がりがなくても、あなたは私の可愛い娘。私はどこにいても、どんな時でも、あなたを愛してる。みんなもそう。どうかそのことを、忘れないで」
そう告げた母は、翌日忽然と失踪した。
誰に行方を聞いても、答えは「知らない」「わからない」の一点張り。
母は自分を見捨てたのではと思いもしたが、そうではないという確信がある。
家伝の髪飾りを譲られたからではない。母の愛を、クオンは信じているが故に。
そして、母は髪飾りを委ねる際にこう続けたのだ。
「それは、いずれ現れるであろう資格を持つ人が必要とする“鍵”。
遠い未来かもしれないし、もしかしたら明日にでも訪れるかもしれない。
一人なのか二人なのか、それどころかどんな人なのかすらわからない。
だから、もしその時があなたの代で訪れたら、これをどうするかはあなたが見極めなさい。
大丈夫。あなたなら、きっと……」
(そう、母様はこれを“鍵”と言っていた。そして、帝も同じことを……)
遠い過去から戻ると同時に、つい先ほどの出来事を思い返す。
そこで語られた数々の真実はどれも重要なものではあったし、特にハクに関することはクオンにとっては最重要事項だったと言えるだろう。
だがそれらとは別に、決して無視できない内容も含まれていた。
(ますたーきー、全てを統べる鍵。帝がトゥスクルに侵攻してまで欲したもの……か)
母から託された髪飾りを見つめながら、クオンは何度もその言葉を繰り返す。
偶然……とは思えない。まったく接点のない二人から語られた、あまりに共通点の多い話。
いつか来るであろう時、それが今なのかもしれない。
ならば、これを託されたクオンには見極める責務がある。
(そう、見極めないといけない。ハクを……じゃなくて、この鍵がなんなのかを。
そのためにも、トゥスクルに戻らないとかな)
エルルゥは確かに見極めろとは言ったが、資格を持つ者をとは言わなかった。
そもそも、今更ハクを見極める必要などない。彼になら、この鍵を委ねても良いと思う。
問題なのは、ハクではなく鍵そのもの。
一応、帝より鍵についてある程度説明されたが、正直クオンにはほとんど理解できなかった。
それはつまり、この鍵が如何なるものなのか判断できないという事。
果たして本当に、これはハクに委ねても良い物なのだろうか。
ハク自身に問題はなくても、鍵に問題があるかもしれない。
それを確かめるためにも、トゥスクルに帰る必要がある。
かつて、トゥスクルで鍵の反応があった、と帝は言っていた。
なら、どこかで鍵が使われたりしたのだろう。その時のことを調べることができれば、この鍵が如何なるものかわかるかもしれない。
丁度、ハクも鍵を探すためにトゥスクルへ渡るつもりの様なので、それに同行するのは色々と都合が良い。
(本当は、ハクに伝えるべきなのかもしれないけど……)
そうすれば、わざわざトゥスクルに帰らなくても鍵の正体がわかるかもしれない。
聖廟では帝への警戒心もあって言い出せなかったが、ハクだけに伝えるならば問題はないだろう。
そうわかっていながら、クオンはどうしてもそれを口にすることができなかった。
(鍵の正体を追っていけば、もしかしたら母様に行き着くかもしれない)
鍵の前の持ち主はクオンの母であるエルルゥだ。そして、十数年前も彼女の手にあった筈。
ならば、鍵を追う事はエルルゥを追う事にも繋がる。当初、ハクを見つける以前のクオンの旅の目的の一つは、失踪した母を探すことにあった。今も母に会いたいという思いは変わらずにある。
なら、その機会を失いたくないと思うのは、ある意味当然の心理だろう。
(それにわたくし……すごくドキドキしてる)
ハクと、愛した男と共に故郷に帰る。残念ながら表向きは両国の関係修復のための大使、裏では鍵の捜索という色気も味気もない帰郷になるが、それでも胸が高鳴る事に変わりはない。
さらに帝もさほど結果を急いではいないようだったことも、クオンに鍵について告げることを躊躇させる要因だ。
「せっかくだし、ハクに見せたい場所がいっぱいあるしね。べ、別に逢引きとかそういうのじゃなくて、あくまでも調査のためかな! うん、もしかしたらこれがハクの探してる鍵じゃない可能性もあるし、そのことも含めて調査は必要かな! 調査なら、色々動き回るのはむしろ当然!! そ、その途中で、お母様たちに紹介する機会があったとしても、それは本当に偶々でしかないというか……」
いつの間にか、思考が完全に声に出ていることにも気づかずに、クオンはトゥスクルへの道程や、ついてからの案内について
機嫌よく尻尾を揺らす本人はこの上なく幸せそうだが、締まりのない緩み切った表情でぶつぶつ言う姿は……割と不気味だった。
この場にだれもいないことが、せめてもの救いだろう。
多分、次回は時間がキングクリムゾンして大社からになると思います。
途中経過はあんまり変化の余地がないですしね。