特に意味はなし、こんなやり取りがあったかなぁと思ったら何となく書き起こしてしまった。ただそれだけ。
今後も、こんな感じで思い立ったものをぽつぽつ書いていくと思います。
大國ヤマトの帝崩御と、後継である皇女アンジュの暗殺未遂より端を発した内乱が一応の終結を見て早数日。
艱難辛苦の果てに取り戻した帝都、その大内裏の一室にて、新たに帝に即位したアンジュとその腹心にしてヤマト総大将を務めるオシュトルは、此度の内乱における勲功について話し合っていた。
「では、ソヤンケクル殿を左大臣に、ゲンホウ殿を右大臣に任ずるという事で……」
「うむ! あの者たちの働きの大なること、疑う余地はない。とはいえ、ソヤンケクルはすでに八柱の一角。これ以上となると、もはや大臣の位以外あり得ぬし、それだけの能力も備えておろう」
「確かに、ソヤンケクル殿の豊富な経験や人望はその地位にふさわしいものでしょう。
また、ゲンホウ殿も一度は野に下ったとはいえ、元は八柱将。なにより、御二方は古くからの友にして好敵手とのこと。再び並び立つとなれば、此度の内乱で疲弊した民や兵を鼓舞することにもなりましょう」
古くからの友という事であれば、同じく八柱将を務めるクジュウリ皇オーゼンもまたそうだが、あの両名は特に互いをライバル視し、張り合う傾向にある。
さすがにお互いに良い年なのである程度自制してはいるようだが、顔を突き合わせた時のやり取りには年に見合わぬ稚気が垣間見えた。
これが険悪な仲であれば新たな政争の種にもなりかねないが、あの二人のそれは「喧嘩するほどなんとやら」の類。お互いが見える位置に配置すれば、より一層能力を発揮してくれるだろう。
「ですが、そうなりますと同格であるオーゼン殿は如何いたしましょう。あの方の働きもまた、お二人に劣るものではありませぬが」
「そうじゃな、
「であれば、治水・開墾に関する部署とその大臣職を創設し、これに任じては如何でしょう。オーゼン殿は武勇以上に、自ら陣頭に立ち荒れ地を開墾した功績を以て八柱将に任じられた方。新設の役職ということで権威は左右大臣には劣りますが、オーゼン殿の手腕を最大限に活かすという意味では、これが最も適しているかと」
「なるほど……ん、じゃがなぜ今まではなかったのじゃ?」
「聖上……よもや、ヤマトの政の仕組みをお忘れか?」
「ひっ!? む、ムネチカ……も、ももももちろん知っておるぞ! こ、これはその……オシュトルが知らぬかもしれぬからな、その確認じゃ!」
(ありゃ完全に忘れてた顔だな……)
傍に控えていたムネチカからの鋭い視線に、アンジュの顔が青褪める。
如何に國の頂点である帝に即位しようと、あらゆる意味で頭の上がらない教育係には勝てないのだ。
特にそれが、散々逃げ回っては小言と折檻を頂戴していた勉学方面となればなおのこと。
(厳密に言えばなかったわけじゃないが、基本的には各國の裁量に任されていたからな)
なにしろ、ヤマトの國土は広大な上に通信手段が未発達。
故に、即応性を高めるため属國の皇や各地の豪族にはかなりの裁量権が与えられていた。
その方が朝廷としても様々な面で都合は良いのだが、今はそうもいかない事情がある。
(とはいえ、今回の内乱でヤマト中がガタガタだ。各國の裁量に任せようにも、そんな余裕のあるところの方が少ない。その上、下手に自由にさせると不穏な動きを見せる可能性も捨てきれない以上、当面は中央集権体制で行くしかないか)
前帝が在位の頃であれば、その絶対的な権威もあってヤマト國内で帝に反旗を翻そうと思うような者はいなかった。だが、新たに即位したアンジュは年若く、先日には大きな内乱まで起こっている。
それは、見方によっては朝廷の弱体化を示しているとも言えるだろう。
ヤマト傘下の属國のほとんどはそんなこと考えもしないだろうが、可能性がある以上は備えないわけにはいかない。今はとにかく、盤石な体制作りが急がれる時期だ。
アンジュの治世が安定期に入りさえすれば、またかつてのような地方分権体制に戻すこともできるのだろうが……それも一年や二年でなんとかなる話ではない。
(まぁ、いずれは元に近い形に戻しはするだろうが、それでも國土の開発を統括する部署は有用だろう。兄貴の頃なら、旧人類の技術も使って何とでもなっただろうが、今はそうもいかん。
ヤマト全体規模での土木工事なんかもあるだろうし、この機に整備しておけば後々都合が良い。
っと、皇女さん……じゃなかった、帝さんの説教の方は……)
「よろしいか、聖上も最早ヤマトの帝。これまでのような心構えでは……」
「うぬぬぬ……わかっておる、わかっておるから、そろそろ終わりにせぬか?」
「いいえ、まだまだ申し上げねばならぬことが山ほどあります故」
「ぐぎぎぎぎ……これじゃから嫁き遅れは説教が長くていかん」
「なにか?」
「い、いや、何でもない!」
(あれは当分終わらんな……)
やや温くなってしまった茶を啜りながら、オシュトルことハクは気長にムネチカの愛の鞭が終わるのを待つことにする。
断じて、ここのところ働き詰めなので少しでも休みたかったとか、万が一にもこちらに飛び火してはたまらないとか、そんなサボり癖は働いていない。
「さて、これで主だった方々への恩賞は概ね決まりましたな」
「ぬぁ~、やっっっっっっっっっっっっっっっと終わったのじゃ~。まったく、ヤマトを取り戻してからまだ何日も経っておらんというのに、なんという忙しさじゃ……少しくらい休んでも罰は当たらんじゃろうに」
(まぁ、その気持ちは心底同意するんだが、そうもいかんのが現実だからなぁ)
「何を仰っておられる。此度の内乱で、どれほど民が、國が疲弊したとお思いか。ようやく取り戻したからこそ、國の立て直しこそ急務。戦の後こそ、帝の真なる戦と心得られよ。
ましてや、恩賞の遅れは聖上の御為に命を賭して戦った方々への不義に他なりませぬ。むしろ、数日おいてしまったことを恥じるべきではありませぬか」
「あ~、あ~! わかっておるから小言はやめよ!」
(やれやれ、立派な帝への道のりはまだまだ遠いか……)
とはいえ、今回決まったのはあくまでも主だった面々への恩賞だけ。
他にも決めなければならないこと、やらなければならないことは山積している。
まぁそれも、左右大臣をはじめ他の者に分担できるようになるので、少しはマシになるだろうが。
「まぁ、あまり根を詰めても仕方ありますまい。このあたりで、小休止とまいりましょう」
「うむ、さすが余のオシュトルじゃ! よくわかっておる!」
「……オシュトル殿がそう仰られるならば」
ムネチカも、さすがにその辺りは弁えているので異論を挟んだりはしない。
その間にも、ウルゥル・サラァナの二人がせっせと書簡を片付け、茶と菓子の用意を整えていく。
「自信作」
「どうぞ、お召し上がりください」
「おお、これは『しゅう』ではないか! そういえば、久しく食べておらんかったのう。
ほれ、其方らも食べよ」
「では、小生もひとつ」
「頂戴いたします」
噛む度に口内に広がる甘さが心地良い。
これまでも食べる機会はあったが、強大な敵の存在が常に頭にあったこともあり、その味を堪能していたとは言い難かった。最大の懸案事項が解決したことで余裕ができたのか、今までよりずいぶんと美味く感じる。
それはアンジュやムネチカも同様らしく、普段であれば他愛のない雑談なり政務の延長の話なりが出るのだが、今回は皆食べることに集中している。
「ところで、あやつらのことはどうしたものかのう?」
「あやつら、とは?」
「ほれ、いるじゃろ。ヤマトの民でもないのに、わざわざ我らと共に戦った物好きが」
「クオン殿とフミルィル殿、ですか」
「フミルィルの呪法は大いに皆を助けたし、ムネチカのことで恩もある。
それと、なんじゃ……クオンにも感謝しておらんわけではないからのう」
フミルィルに対しては割と素直に感謝しているようだが、対抗意識を持っているクオンにはどうにもへそ曲がりな物言いになっている。
とはいえ、事実は事実として受け入れなければならない。
むしろ、クオンの存在が公私両面においてアンジュをはじめとした皆の助けになっていたのは、疑う余地もない。
(
その上、帝さんをはじめとした皆の体調管理も一手に引き受けてくれていた。そもそも、チキナロを通じてクオンが届けてくれた秘薬がなければ、帝さんの回復はもっと遅れていただろう。それを思うと、正直ゾッとせんな……)
如何に兵を鍛え、彼らを束ねる将の結束が固くとも、仰ぐ御旗が弱っていては勝てる戦も勝てはしない。
特に、まだ床に臥せっていた頃のアンジュは体だけでなく心まで弱っていた。
そんな有様では、兵だけでなくオシュトルをはじめとした将の士気にも大きく影響したことだろう。
(デコポンポとの戦…はまだ何とかなったとしても、自分は果たしてミカヅチを退けられたかどうか)
アレはほとんどオシュトルとミカヅチの決闘のようなものだったが、アンジュが心身ともに衰弱していた状態で、ああもあの男に抗うことができただろうか。
如何に亡き友との誓いがあり、守るべき妹がいたとはいえ、それは此度の内乱でも極めつけの難事だったはず。
ある意味、あの瞬間こそがオシュトルにとって最大の試練だったかもしれないほどに。
(それに、オシュトルや自分のことで追い詰められていたネコネを支えてくれたのもクオンだった。いや、支えられていたのは全員に言えることか……まったく、つくづく足を向けて寝られんな)
「確かに。聞けば、小生の身柄を預かるようフミルィル殿に頼んでくださったのもクオン殿だとか。
フミルィル殿も、立場が危うくなることも厭わず小生をお傍においてくださりました。
何卒、御二人から受けた御恩に報いて頂きたく存じ上げます」
「某からも、お願い申し上げる」
「わ、わかっておるわかっておる! 余とて、あの二人を軽んじるつもりはない。
じゃから、二人揃って頭を下げるでない。これでは、余が二人への褒美を渋っているようではないか……。
余とて、あやつらのことは友と思うておる。同じ釜の飯を食い、命を預け合った友を蔑ろにするなどありえん!!」
(ま、確かに帝さんの性格上、ここでケチることはないだろうな。それこそ、統治者としての器が疑われる。
むしろ、問題なのは……)
あの二人の立ち位置が、未だ不明瞭なことだ。
クオン本人は否定しているが、彼女は間違いなくトゥスクルでも相当な名家の出だろう。一応は隠そうとしているようだが、端々から気品や育ちの良さが滲み出ている。
フミルィルも「チリメン問屋」の娘を名乗っているものの、正直信憑性はないに等しい。
これではどの程度の褒美で答えれば妥当なのか、判断がつかないのだ。
かと言って、二人の働きを考えればあまり後回しにするわけにもいかない。
全く以て、頭の痛い話である。
「叶うのならば……」
「? どうしたのじゃ、ムネチカ。何か思うところがあるのなら申してみよ」
「では、畏れながら申し上げます。ある意味、クオン殿ほど聖上のお体を理解している方はおりませぬ。また、その薬師としての手腕は見事の一言。それは、此度の内乱で聖上もご理解しておいでのことと愚考いたします」
「うむ。なにしろあやつ、余以上に余の体のことを知っておるからのう」
色々と思い当たる節があるのか、弱冠ゲンナリとした表情を浮かべるアンジュ。
大方、ちょっとした体調の変化を「これくらいは大したことない」と軽く見ていたら、即座に看破されてありがたいお説教と味はともかく効果は折り紙付きの薬を処方されたとか、まぁそんなところだろう。
オシュトルにも思い当たる節がないわけではないので、ただただ同意するばかりだ。
「それに、エンナカムイのお抱え薬師ですら余の喉を癒すはできなんだ。あの秘薬をクオンが調合したかどうかは知らぬが、それを手に入れる伝手があるだけでも評価に値するじゃろうな」
「然り。であればこそ、クオン殿には宮廷お抱えの……いえ、聖上付きの薬師として、今後とも力を尽くしていただければと……」
(確かにな。クオンの知識と技術は、お抱え薬師と比較しても遜色ない……どころか、下手をしたら上回りかねん。まぁ、トゥスクルは十数年前まで戦乱続きの土地だったところに起こった國らしいしな。皮肉な話だが、大概の技術は戦時にこそ著しく発展する、医学も例外じゃない。しかも、國名の由来は当代一の薬師からもらったもの、とクオンが嬉々として話してくれたな。それなら、医学が発展しているのも納得ではある)
さらに言えば、トゥスクルはヤマトと比べて温暖な気候だ。それはつまり、植生も豊かという事になる。
ヤマトにしか自生しない物もあるだろうが、入手できる薬草の幅は広い筈。
そういった様々な要因もあって、トゥスクルの医学は発展を遂げてきたのだろう。
「なるほど、信頼のおける腕の立つ薬師は貴重ですからな。ムネチカ殿の仰ることも理解できる」
帝付きの薬師ともなれば帝の側近中の側近だ。
ある意味、その重要性は全軍を統括する総大将や多大な影響力を有する大老をも上回る。
なにしろ、帝付きの薬師の手腕によって日々の帝の体調が決まるといってもいい。逆に言えば、その気になれば帝の体調を思うがままに操ることさえできるのだ。
本人に意思と技術があれば、帝を傀儡にすることも不可能ではない。丁度、かつてアンジュがそうされそうになったように。
だからこそ、アンジュは自らの傍に仕える者には慎重にならざるを得ない。
本来なら大勢の女官が仕える筈の所を、今のところ事実上ルルティエがお傍付きとして一手に担っていることからも、拭い切れない警戒心がうかがえる。
その意味では、人柄と手腕の双方に信頼がおける上に、有事には兵あるいは将としても戦えるクオンはこれ以上ない人材と言える。
未だ、帝暗殺の真犯人あるいはその黒幕が判明していない状況ではなおのことだ。
加えて、ここで万が一にもアンジュが倒れるようなことになれば、ヤマトは今度こそ本当に空中分解するだろう。
ようやく帝に即位したアンジュだが、年若い彼女には当然ながら子はおらず、前帝以外に係累もいない……ことになっている。
つまり、アンジュの跡を継げる者がいないのだ。オシュトルならば強引に引き継ぐこともできるだろうが、納得しない者は必ず出てくるだろう。故に、アンジュが倒れた後に待つのは熾烈な覇権争い。
それを防ぐ意味でも、帝付きの薬師という立場は極めて重要性が高い。
「ふぅむ……そういうことであれば、植物御苑を任せるのも良いかもしれんのう。あそこならば大抵の植物は手に入るし、薬草園もある。薬師ならば、喉から手が出るほど欲しい地位であろう」
(まぁ、珍しい南国の植物まであるらしいからな。薬草の調達という意味でもそうだが、新薬の研究なんかでも利点は計り知れない。帝さんの言う通り、ある意味薬師としては最高の栄達だろう。だが、問題はそこじゃないからなぁ……)
なるほど、クオンが市井の……あるいは一介の薬師であればそれで良い。
アンジュは信頼できる薬師を得て、クオンは薬師として臨みうる最高の職場環境を得る。まさにWin-Win。
だが、ここで立ちはだかるのがクオンの立ち位置の不明瞭さだ。いや、より正確には、彼女がトゥスクルでも高い身分の出でほぼ間違いないという事。
「聖上の仰る未来は、まさに我らにとって理想的と言えましょう。ですが……」
「なんじゃ、何か不都合でもあるのか? 確かにクオンは外つ国の出じゃが、その程度のこと問題にならぬだけの働きをあやつはしておろう。ヤマトでの身分がないというなら、貴族なり豪族なりに据えれば良い。幸い、デコポンポの席も空いておるしの。クオンがあやつ以下という事はありえまい」
「確かに、クオン殿ならば豪族または一軍の将としての器もありましょう。あるいはその人徳を以てすれば、一國の皇すら勤め上げることも不可能ではありますまい」
「そうじゃろう、そうじゃろう。なにしろ、曲がりなりにも余の友であるからの」
「また、クオンやフミルィル殿を介してトゥスクルとの国交を再開することもできるでしょうな」
「む……まぁ、そうじゃな」
トゥスクルの皇女とは些かの確執があるだけに、アンジュの眉間に皺が寄る。
とはいえ、トゥスクルそのものに隔意があるわけではない。あくまでも、気に食わないのは彼の國の皇女であり、それもアンジュの個人的感情でしかない。
むしろ、以前ヤマトを訪れた大使たちの印象は悪いものではないし、クオンやフミルィルの祖國となれば無碍に扱うのも気が引ける。それでなくても、思惑はどうあれ多大な支援を受けた借りがある。
ただでさえ國も民も疲弊している以上、敵に回すより今度こそ友好関係を築いた方がいい。
なにしろ、大國ヤマトをして「勝てなかった」唯一と言って良い國がトゥスクルだ。帝崩御という不測の自体があったとはいえ、あの時点で攻めあぐねていたのも事実。仮に戦が続いていたとして、果たして勝つことができたかどうか……。
(いや、たらればの話をしても仕方がないな。そもそも、戦が政治的目的を達成するための手段であることを考えれば、『トゥスクル侵攻』という目的を達成できなかったヤマトの敗北であり、『国土防衛』という目的を果たしたトゥスクルの勝利というべきだろう。
さらに、ムネチカの話では仮面の力を抑える術も有していたというし。
やはり、敵に回すよりも握手を交わす方が無難な相手だ)
問題なのは、友好的な態度を示していたトゥスクルに一度は侵攻したという事実。
ここからの関係改善は容易ではないだろうが、それなりの身分があるであろうクオンやフミルィルを介すれば、確かに国交再開の可能性は大いに広がるはず。
「しかし、だからこそクオンやフミルィル殿をヤマトに引き込むわけにはいかぬのです」
「な、なぜじゃ! あやつらがおれば、あの高慢ちきな女とて話くらいは聞くであろう」
「本人たちは隠しておりますが、二人がトゥスクルでもそれなり以上の家門の出であることはまず間違いありませぬ。一介の民であればいざ知らず、國を支える家門の娘を断りもなく引き込めば、それこそトゥスクルの反感を買うことになりましょう」
「むむ……」
自国の民、それも有力者の娘ともなれば立派な国家の財産。次代を担う人材として育てても良し、あるいは他国や国内での政略結婚に使うもよし。はたまた、親である有力者への人質等々……使い道はいくらでもある。
それを勝手に引き込むという事は、言わば強盗に等しい。
当人たちが了承したとしても、トゥスクル側が納得すまい。
もっと人権思想などが発達していればまた話も違ってくるだろうが、現在のヤマトやトゥスクルの文明段階では無理な相談というものだ。
少なくとも、ヤマトの一員として二人を迎え入れるためにはそれ相応の準備と交渉が必要になる。
下手なことをすれば、それこそ戦の火種になりかねない。
「故に、御二人にはトゥスクル側として関係改善に手を貸していただくしかないのです。
聖上も、どうかご理解のほどを」
「おのれ~、またもあの女が立ち塞がるというのか……」
(トゥスクルの皇女、か。結局、その思惑ははっきりせんままだったな)
内乱が本格化する前、以前より物資の支援を行っていたトゥスクルの皇女が大量の追加物資と共に突如エンナカムイを来訪した。その目的は、ヤマトに対する宣戦布告と、アンジュ擁するエンナカムイにトゥスクルの軍事行動への不干渉を要求するというもの。それはつまり、トゥスクルのヤマト侵攻を黙認しろという事だ。
当然、アンジュはその要求を退けたが、トゥスクル側も「はい、そうですか」と帰ってくれる筈もなし。その後は皇女二人の決闘となり……危うい場面は数多くあった物の、なんとかトゥスクルには手を引かせることに成功した。
ただ、改めて思い返しても腑に落ちない点が多い。
(ヤマトへ侵攻すること自体は、あの国の立場で考えれば特に不自然じゃない。先に仕掛けたのはヤマトだし、大國の侵攻に危機感と警戒心を相当刺激されただろう。一度は撤退したとはいえ、次にヤマトを制する誰かが同じことをしないとは限らない以上、自国と民の安全を守るために行動するのは筋が通っている。ましてやそれが、後継者問題で国が割れている状況となれば好機以外の何物でもない。
だが、トゥスクルが豊かな国で、大きな戦を前にしても物資に余裕があったと仮定しても、態々エンナカムイにそれを融通する理由はない。いや、そもそも正統な後継者がいるとはいえ、断りを入れる必要だってなかったんだからな)
しかし、トゥスクルの皇女はその必要のない事を敢えてやった。
挙句の果てには、自ら辺境のエンナカムイに足を運んでの宣戦布告。
これがデコポンポのような無能なら、「バカがバカなことをしている」あるいは「自己顕示欲の発露」など、適当な理由で済ませることもできるだろう。
(だが、あの皇女の凄みと滲み出る格……とでも言えばいいか。とてもではないが、そんなタイプには思えん。
ならば、その行動には必ず何かしらの意味があるはず。少なくとも、あちらにはそうするだけの意義なり価値なりがあったんだろう)
そう、如何に皇族とはいえ、あれほどの物資を意味もなく消費するような真似はできない。
もしもそれほどまでに無能で、周りがそれを許すようなら、先の戦でヤマトが負けるようなこともなかっただろう。
なにより、クロウとベナウィ……あれほどの
そして、万が一にも誤った判断をしそうになれば、あの二人は確実にそれを諫める筈。
あの二人が何も言わなかった以上、なにかしらの理由があったのは間違いない。
(とはいえ、その理由は皆目見当がつかんわけだが……トゥスクルの情勢がもっと詳しくわかれば、あるいは推察することもできるのかもしれんが、さすがにあちらに草を送る余裕はなかったしな。
クオンにそれとなくトゥスクルの詳しい話を聞こうとしても、誤魔化されてしまってあまり突っ込んだことは聞けなかった。考えられるあちらの意図があるとすれば、それは……)
そこまで考えて、オシュトルは小さく首を振ってその可能性を否定する。
それは彼の国の皇女が訪れた時も思い至り、しかし「なんの利もない」と否定した考え。
(自分たちを守るため、か。それ以外に思い浮かぶものはないが、かと言ってそれをする理由がない。
全く、あれほど厄介な女は他にいないぞ。あの国は、つくづく自分たちにとっては鬼門らしい)
これならまだ、エンナカムイ側に従属を要求してくれた方がわかりやすかった。
なのに、あちらの口ぶりからすると、ヤマトを制した後も自治を認めるつもりでいたらしい。
わざわざ労力を払ってまで潰す必要のある勢力とみていなかったという事かもしれないが、それにしても寛容なことだ。アンジュの存在は、ヤマト平定後の厄介な火種になりかねない。
万全を期するなら、何かしらの対処が必要だろうに……。
(いや、待てよ。帝さんに手を出さないことで、国民感情を味方に付けようと……違うな。それなら貴族か豪族か、あるいは属国の皇として遇し、重用して見せた方が効果的だろう。少なくとも、放置なんて中途半端な対応に意味があるとは思えん)
「しかし、ではどうすればいいというのじゃ。恩賞を与えるのは必須、じゃが地位を与えるわけにはいかぬ。
あと与えられるものがあるとすれば、煌びやかな財とか貴重な南国の果物とかか?」
「確かに、その辺りが妥当ではありますな」
「正直、クオンたちがそんなものに興味があるとは思えんがのう」
「「…………」」
アンジュの呟きに、オシュトルもムネチカも押し黙る。
彼女の言う通り、少なくとも金銀財宝の類を「いらない」というほど無欲ではないだろうが、かと言ってそれに執着するような者たちではないのは二人も理解している。
もしそうであれば、危険を冒し、命を賭してまで、自分たちを助けたりはしなかっただろう。国に残っていれば、一生遊んで暮らせる……というほどではないにしても、まず間違いなく生涯安泰であったことは間違いないのだから。にもかかわらず尽力してくれた者たちが、今更そんなものに執着するとは思えない。
まぁ、果物や菓子の類であれば、それなりに喜びはするだろう。
とはいえ、あの二人の働きに見合うだけとなると、それこそ山のような量になる。
とてもではないが、腹に収まりきる前に腐ってしまう。それではせっかくの褒美の意味がない。
「与える恩賞に困るという意味では、ヤクトワルト殿も同様とはいえ……御二人はその比ではありませぬ」
「うむ、なにか良い案はないものか……」
(トゥスクルとの国交再開に手を貸してもらう……ってのは、どう考えても褒美の類じゃないからな。
ヤクトワルトも地位とか官位には興味がない分やっぱり悩みどころではあるが、シノノンのこともあるから今後の生活の保証を基本にしていけば何とかなるだろう。とりあえずは、帝都に屋敷と年金……ん、この場合年金で表現はあってるのか? まぁそれは追々考えるとして、あとは将として正式に招くなり、剣術指南役でも受けてもらえれば体裁は整うんだがな。他国の出とはいえ、そっちとは完全に切れてるからあとは本人をどう説得するかだし)
同じように褒美に困る相手としてウルゥルやサラァナもいるが、こちらはオシュトルの直臣、あるいは私兵の様な扱いになる。そして実際、彼女らがその領分を超えることはなかった。
そのため、彼女らに褒美を与えるのは帝であるアンジュではなく、主であるオシュトルの役目という事になる。
(となると、やはりクオンとフミルィルへの褒美は金銭なんかで済ませるしかないか……)
正直、それは些か体面が良くないというか、帝からの褒美としては格式に欠けるので、本当に最終手段だ。
地位や権力という形で褒美を与えるのは、それまでの功績に対する評価であると同時に、今後の働きへの信頼の表れだ。同時に、周囲に対して「功を挙げれば厚く遇する」という態度を示すことにもつながる。
それを怠っては、民の心が離れて行ってしまうだろう。だからこそ、できればその手段は取りたくない。
少し聡い者なら事情を察するだろうが、そうでない者もいる。一日も早く国を安定させなければならない時に、不和の種を撒く愚を犯すわけにはいかない。
「国交さえ再開できれば、やりようはあるのですが……」
「ちなみに、どのようなやり方があるのじゃ?」
「そうですな。『皇室顧問薬師』とでも名付けた名誉ある職に任ずる、あるいは何か格式のある名称……例えば、『
「む? そのような役職は聞いたことがないが?」
「でしょうな、即興で考えました故」
「なるほど。地位や権力ではなく、あくまでも名誉と格式を以て遇する、という事か」
「然り。それならば、両名をトゥスクルの民としたまま、その働きに報いることができよう」
まぁ、その名誉と格式もまたあの二人にとってはさして意味のあるものではあるまい。
だが、そもそも二人はそういった見返りを求めて手を貸してくれたわけではないのだ。クオンは仲間、あるいは友として一度は去ったオシュトルたちの元に舞い戻り、フミルィルはそんなクオンを支えるべく参じた。
そんな二人に対して報いる一番の方法は、心からの信頼と感謝に他ならない。
褒章という形をとるのは、周囲の者たちを納得させるために必要だからだ。
「ほぉ……じゃが、それは今もできるのではないか?」
「やろうと思えばできますが、あちらを刺激することになるでしょう」
「そうなのか? というか、それにはどんな意味があるのじゃ?」
「まず意味としましては、ヤマト国内における実際的な権限はありませぬ。ただ、名誉と格式を以て二人の働きを評価し、同時に今後の働きへの期待の表れとします。これならば、二人をヤマトに引き込むことなく、相応しい褒美を与えることができましょう。また、クオンやフミルィル程の者に授ける褒美として、逆に箔をつけることにもなるかと。ゆくゆくは万人が羨望し、敬意を払う真の名誉と格式を伴うことになりましょう」
「ふむ……続けよ」
「反面、財などのように形ある褒美ではない分、ヤマトに引き入れようとしているとみられる可能性が高いのです。名誉あるはあるがそれ以上ではないことを伝えられる状況でなければ、官位を授けるのと違いはありませぬ」
要は、別に引き込もうとかそういうわけではないのに、余計な誤解を生んでしまいかねない、という事だ。
しっかりと先方にその旨と内容を伝えられる下地が整ってさえいれば、ある意味最も適した褒美の形ではあるのだが。
その下地を作り直さなければならない状況では、やはりこの案も実行には移せない。
「つまり、どの道あの国との繋がりを回復せんことにはどうにもならんというわけか」
「御意」
「国交が回復した後であれば、クオン殿を薬師として招く方法もありますが」
「なに? そんなうまい方法があるのか?」
正直、クオンに主治医になってもらうことに関しては諦めざるを得ないと思っていただけに、アンジュの目が大きく見開かれる。
「して、その方法とはなんじゃ? 申してみよ」
「はっ、畏れながら申し上げます。その方法とは……」
「その方法とは?」
「オシュトル殿がクオン殿を娶ればよろしいかと」
「ほうほう、オシュトルがクオンを娶るか。なるほどなるほど……ん、娶る? それは、つまり……」
「つまり、オシュトル殿とクオン殿が
格が釣り合わぬという事はありますまい。また、御二人の婚姻を以て両国の和平の証にもなるかと。
付け加えれば、御二人は互いによく知る間柄にございます。これぞ、まさに良縁と申せましょう」
「…………………………………」
(口をパクパクさせちゃってまぁ……ありゃ、言いたいことは山ほどあるが言葉にならないってところか)
アンジュのオシュトルへの思いを知るだけに、
とりあえず、いつでも耳を塞げるようこっそり準備だけはしておく。
「逆に、ヤマトからはどなたかを嫁、あるいは婿入りさせるがよろしいでしょう。
さすれば、ヤマトとトゥスクルの絆は確かな物となり……」
(その場合、フミルィルにオーゼンの所の息子を婿入りさせるのも手か。どうも、兄弟揃ってすっかりフミルィルの虜だったみたいだし)
クジュウリ皇オーゼンの子どもたちで主に言葉を交わしたのは、長女であるシスとその弟にして長男のヤシュマだが、そのほかの兄弟たちとも一応は面識がある。
その際、男どもの視線が完全にフミルィルにくぎ付けになっていたのはよく覚えている。
まぁ、フミルィルの意思を蔑ろにするつもりはないので、彼女が望めばの話だが……。
「さすれば、クオン殿は我らがヤマトの一員。ヤマト総大将の奥方とあらば、聖上付きの薬師としても文句のつけようがございませぬ。我らにとって、理想的な未来かと」
(自分とクオンが夫婦か……もしそんな未来があるのなら、それはどんなに……)
しかしそれは、決して叶う事のない未来だ。
その場合、クオンの夫はオシュトルであってハクでは、ない。
そして、ここにいるオシュトルはハクが扮しているだけの紛い物。
ならば、その未来が訪れることは、きっとない。
クオンとオシュトルの婚姻がトゥスクルとヤマトの繋がりを示すものであるならば、二人の命ある限り維持されなければならないのだ。
だが、ハク自身はヤマトがある程度安定し次第、オシュトルとしての仮面を外し旅に出るつもりでいる。
そのためには、婚姻という名の鎖があっては困るのだ。この鎖がある限り、ハクはオシュトルであり続けなければならない。なぜならその鎖の存在そのものが、「両国の架け橋」という名の新たな役割をオシュトルに要求する。これでは、いつまで経ってもオシュトルを離れることができない。
ハクとて、単に自由になりたいからオシュトルを辞めるのではない。
彼は彼なりに、ハクとして為すべきことを定めている。今はオシュトルとして為すべきことを為す。しかし、オシュトルが必要なくなれば、今度はその為すべきことを為さなければならない。
ましてや、クオンはハクにとってかけがえのない存在だ。
その彼女を、「国のために」自分の噓に付き合わせるのは本意ではない。
ハクは、クオンの幸福を心から願っている。受けた恩に報いることもできず、傷つけ、悲しませることしかできなかった恩知らずと自覚しているが、それでも願わずにはいられない。
あの生命溢れる少女に、少しでも幸多き未来を、笑顔が曇ることのない道行をと。
例えそこに、ハクも
「な、な、な……」
(さぁて、そろそろかねぇ……)
「ダメじゃダメじゃダメじゃダメじゃダメじゃダメじゃダメじゃダメじゃダメじゃダメじゃダメじゃダメじゃダメじゃダメじゃ、ぜ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ったいにダメなのじゃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!!
オシュトルは余の半身! 余と共に歩み、ヤマトを導くのが天命なのじゃっ!!
クオンなんぞに髪の毛一本、血の一滴たりともくれてやるものか!」
(やれやれ、こりゃなだめるのも一苦労だな)
さらにその後、「オシュトル殿の婚姻がならぬとなれば、聖上にトゥスクルより婿を取っていただきましょう」「なぜそうなるのじゃ!?」「もとより、国同士のつながりを深めるための婚姻は皇族同士が基本なれば。無論、その場合にはトゥスクルの皇女殿下にもヤマトより婿を取っていただくことになりましょう」「オシュトルはダメじゃぞ! 絶対じゃぞ!」「無論、ヤマト総大将を他国へ婿に出すわけにはまりませぬ故」「ちなみに、誰を考えておる」「ヤシュマ殿はクジュウリの次期皇、イタク殿はナコクの皇ですし、あとは……」などと、どんどん話が逸れて明後日の方向に飛んで行ってしまったりしたとかなんとか。
さらに数日後。
帝都奪還に尽力した主だった者たちへ褒美が与えられた翌日。
オシュトルはネコネを伴い、懐かしき旅籠屋「白楼閣」を訪れていた。
「この度はお忙しい中、お時間を割いていただき感謝いたす。カルラ殿、トウカ殿」
その目的は女将であるカルラ、
ただし、その場にはクオンやフミルィルの姿もある。
「あらあら、さすがにヤマト総大将たるオシュトル様ほどではありませんわ」
「というか、お前は基本的に何せずここで酒を飲んでるだけだろうが」
「何もしていないなどと人聞きの悪い。下の者の仕事を取るなど主のすることではない、それだけですわ。
わたくし、こう見えて勤労意欲を持て余していますのよ」
「どの口でそのようなことを……」
「諦めよう、トウカお母様。どうやったって、カルラおか…お姉様に口では勝てないかな」
「ふふふ、お姉様たちもお変わりないようで何よりですね」
(何もせずに酒飲んでゴロゴロするだけの日々……なんと羨ましい)
オシュトルになってからというもの、役割に徹して控えていた怠け癖がひょっこり顔を出す。
そんな、内心の羨望を何とか押し殺し、オシュトルはさっそく本題に入る。
生憎、白楼閣で気楽に談笑を続けられるほど、総大将という立場は暇ではない。
「ごほん、早速で申し訳ないが……」
「性急ですわね」
「仕方ないかな。戦が終わったとはいえ、オシュトルはまだまだ忙しいし」
「クーちゃんも、ネコちゃんと一緒に毎日お手伝いしていますものね」
「ま、まぁ……さすがに大変そうだし、当然かな」
「あのクオンがなぁ、時が経つのは早いものだ」
「抜け出して遊びまわっていたのが懐かしいですわね」
「な、何の事かな、カルラお…姉様」
「さぁ、何の事かしら? どこから、とは言ってませんわよ」
(まだまだ役者が違うな)
不満そうに睨むクオンと、楽しそうにそれを受け流すカルラ。
二人の心温まるやり取りに苦笑を浮かべつつ、オシュトルは本題に入る。
「まずは、クオンとフミルィル殿、二人への此度の戦における褒美についてだが……」
「気にしないで…っていうのは、さすがに無理かな?」
「すまんが、諦めてくれ。エンナカムイだけでなく、多くの者たちの間で二人の存在は知れ渡っている。
その功に報いなければ、聖上の度量を疑われてしまう」
その辺りの事情はクオンも承知している。先の言葉も、無理とわかっていてのものだ。
彼女としては、本当に褒賞など別に必要ないのだが……友であるアンジュのことを思えば、受け取らないわけにはいかない。アンジュにはまだまだ、多くの困難が待っている。そんな友に、余計な手間を取らせるわけにはいかないのだ。
「わかった。とりあえず、もらうだけもらっておくってことで良い?」
「ありがとうございますです、姉様」
「かたじけない。フミルィル殿は……」
「はい、私も異論はありません」
「では、聖上の御言葉を伝える」
「待たれよ、オシュトル殿。その、いいのか? このような場で……」
「これは正式なものではなく、あくまで事前の通達であれば」
「それって、先に知らせておかなきゃいけない内容ってことかな?」
クオンの問いにオシュトルは答えない。つまり、聞けばわかる、という事なのだろう。
それを察したクオンは、それ以上問うことはせず静かに続く言葉を待つ。
そしてそれは告げられた、予想の斜め上の形で。
「望むがままの褒美を与える、それが聖上のご意思だ」
「………………それって、丸投げって言うんじゃないかな?」
「身も蓋もない言い方をすれば、そうだ」
白紙の小切手と言えば聞こえは良いが、要は適当な褒美を考えるのが面倒になったのだ。
まぁ、原因にクオンたちの立場の複雑さがあるので、その気持ちもわからないではないが。
にしても、これはさすがに……。まぁ、確かにそれなら先に知らせておかなければならないというのも納得だが。
「つまり、本番前に褒美を考えておけ、ということでしょうか?」
「そうなりますです。できれば、あらかじめ知らせておいてもらえると助かるのですが」
「まぁ、ヤマトの帝に叶えられない願いの方が少ないだろう。聖上も、遠慮なく望みを申せと仰せだ。
実際、二人の……特にクオンの働きはそれに相応しいだろう。
命の危険を顧みず聖上を帝都よりお救いし、毒に焼かれた喉を癒した。さらに、帝都奪還にも尽力してくれたのだ。クオンから受けた恩は、計り知れん」
「………………はぁ、わたくしも受け取るって言っちゃったし、考えておくかな」
「頼む。とはいえ、中身はそれほど気にすることはない。聖上より『思うが儘の褒美を与える』権利を賜ることが、最大の褒美なのだ。さすがに辞退されては困るが、受けてさえくれるならばあとはなんとでもなる」
地位や官位の様に今後への信頼や期待を表すものではないが、ある意味ではこれ以上ない褒美だろう。
『帝に対し望みを要求する権利』、それはオシュトルですら持ち得ないものだ。外つ国の出であっても厚く報いるという、新たな帝の器量を示すことにもつながる。
それに、もしもクオンたちが地位や官位を望んだ場合でも、自ら望んだことという事でトゥスクル側に口実を与えずに済む。
はじめはムネチカもオシュトルも唖然としたものだが、存外悪くない……むしろ妙案と言える。
むしろ、問題なのは……
「次に、御二人についてだが……」
「あら、わたくしたちになにか?」
「皆が聖上と某を救い出す際、御二人が力添えしてくださったことは承知している」
その言葉に、フミルィルとカルラを除く面々の顔に大なり小なり緊張が走る。
オシュトルは敢えてそれに気付かないふりをしたまま、具体的な表現を避け、二人が手を貸し、それによってアンジュとオシュトルが助かったという事実のみを告げる。下手に込み入った話をするのは、望ましくないからだ。
同時に、詳しい状況を知っていることを匂わせることも忘れない。
本来、宮廷であり帝の住居でもある大内裏は、正規の手順以外での侵入を許してはならない場所。
にもかかわらず、あの時彼らは白楼閣の地下から水路を通って侵入を果たした。
通った水路そのものは既存のものだし、それが大内裏につながっていたことも問題ではない。
地上地下を問わず、大内裏へとつながる道にはすべからく厳重な警備がなされているからだ。
あるいは、特別な手段を取らなければ通れない構造をしているか、だろう。
しかし、あの日彼らが侵入した経路には一切警備の手が及んでおらず、道順にさえ気を付ければそれ以外には特に障害らしきものもなかった。
その意味するところは一つ、あれがヤマト側には一切知られていない非正規のものであったという事。
恐らくは、カルラとトウカが密かに用意していたのだろう。
それを何の目的で用意していたかは、問うべきではない。問えば、オシュトルはヤマト総大将として二人を……そして二人の関係者を罰しなければならなくなる。
如何なる理由があろうと、大内裏への不正な侵入経路の存在を許してはならないのだから。
(だが、あの経路がなければそもそも自分たちは帝さんやオシュトルを助け出すことすらできなかった。
その恩を仇で返す様な真似はしたくないし、クオンの家族となれば尚更だ。
となれば、自分にできることは……)
「……それで?」
「鎖の巫が宮廷への侵入の手引きをするまでの間、匿ってくださったことにまず御礼申し上げる」
「え?」
「なるほど……そういうことですの」
「待たれよ、オシュトル殿。それは……」
「クオンとハク殿率いる隠密衆は、帝都に帰還後白楼閣に潜伏。聖上が毒に侵され、その犯人として某が捕らわれたことを知り救出に動く皆を、あなた方が手助けしてくださったと聞いている。
白楼閣であれば、食事や休養を取るための寝床は問題ないとしても、得物の手入れや矢の補充、あるいは情報収集のためにはどうしても外部との接触が不可欠。だが、某の隠密であった皆は自由に動けるような状況ではなかった。そんな中、必要となる様々なものを調達できたのはあなた方の協力あってのこと。
また、鎖の巫が呪法にて道を作れる場まで導いてくださったのもあなた方とか。間違い、ありませぬな?」
確認の形をとってこそいるが、実際には「そういうことにしておけ」という念押しだ。
大まかな流れに嘘偽りはない。ただ、大罪に当たる非正規の経路の存在をなかったことにしてはいるが。
「聖上も、御二人には大変感謝しておられる。白楼閣には税の優遇をはじめ、いくつかの措置を取らさせていただく。今後とも、帝都にて善き商いを為されるがよい」
「ええ、ありがたいことですわ」
「……はぁ、わかった。帝よりの格別の恩情、感謝いたす」
「ああ、それと……」
「まだ何か?」
「未だ、聖上への恭順を善しとしない不届き者が潜伏している可能性があるのでな。
地下を含めて、一度徹底的に洗い出すことになろう」
「なるほど、それは必要ですわね。また、どこから賊が侵入しないとも限りませんもの」
「うむ」
それはつまり、あの時使った経路はもう使えないという事であり、他の経路があったとしても露見するだろうという事。
その旨を知らせた上で、「くれぐれも尻尾は見せないように」という警告を行っているのだ。
恐らくは、表向きにもそのような形で公表し、公式の文書にも記載される。
ハクたちが使った経路の存在は、一切合切なかったことになるわけだ。
それが唯一、カルラとトウカを罰さずに済ませる方法だから。
「では、某はこれにて失礼する」
「ええ、またのお越しをお待ちしておりますわ。
次いらした時は、良い酒と肴を用意しておきましょう」
「かたじけない」
「トウカ、送って差し上げなさい」
「ああ」
「ネコネ」
「はいです、兄様」
そうして、オシュトルとネコネは白楼閣を後にした。
残されたクオンは、カルラとトウカが罰されずに済んだことに安堵する。
話がアンジュ救出に遡った時は気が気ではなかったが、彼が上手くやってくれるらしい。
もちろん、カルラとトウカが唯々諾々と罰せられることはないだろうが、そうなれば新たな火種になるだろう。
そうならずに済んだオシュトルの機転と配慮には、感謝の言葉もない。
「ふふふ、甘い事。まるで蜂蜜のようですわ。あれで、ヤマト総大将が務まるのかしら?」
「カルラお姉様」
「あらあら、怖い顔をして……わたくし、蜂蜜も蜂蜜の様に甘い殿方も嫌いではありませんわよ。
そう、主様がそうであったように、ね」
「カルラお母……」
思わず「お母様」と口にしそうになるクオンだが、尋常ならざる殺気がそれを阻む。
クオンは慌てて自分の首が繋がっていることを確認し、ほっと息をつく。
「なにか?」
「お、お姉様。もしかして、気付いて……」
「さぁ、なんのことかしら。それにしても、困った漢。そうする以外に道がなかったとはいえ、どう責任を取ってくれるつもりなのやら」
「せ、責任って……」
「釣った魚にエサをやらないのは感心しませんわ。いっそ、一思いに食べてしまえばよろしいのに、ねぇ?」
「た、食べ……何を言ってるのかな!?」
「まぁ、魚の方にも責任がないとは言いませんけれど」
(もしか……しなくても、やっぱり気付いている。絶対、全部気付いた上で言ってるかな!?)
オシュトルの正体も、クオンが胸に秘めた思いも。
それらすべて承知したうえで、カルラは揶揄って遊んでいるのだ。
そうとわかっていながら、クオンは顔が赤くなるのを抑えられない。
(もう! もう!! もう!!!)
「それで、どうしますの?」
「ぇ、どうって……」
「褒美のこと、彼のこと……まぁ、色々ありますわね。あなた自身のことも含めて」
「それは……」
「いっそ、ハクの墓をトゥスクルへ、とでも頼んでみます? そうすれば……」
ハクがトゥスクルの民として扱われる形にすれば、いつか彼がその仮面を外した時、その身柄はトゥスクルの預かりとなる。
ならば、クオンと共に歩む道も……カルラはそう言いたいのだろう。しかし……
「それはダメ、かな」
「……」
「一応、ハクは死んだことになってる。エンナカムイにも、ハクのお墓がある。
だけどわたくしは、たとえ嘘でもハクが死んだことになんてしたくない」
「そう……」
クオンも仲間と、あるいは一人でその墓を参ったことはある。
だが、一度たりとも「ハクの墓」と口にしたことはない。「あそこ」とか「お墓」とか、そういう遠回しな表現を用いてきた。
それはひとえに、自分だけはハクの死という嘘を肯定してはならないと思うから。
嘘が必要なことはわかる。
だから、嘘を否定はしない。その代り、肯定もしない。
いつかオシュトルの仮面が必要なくなった時に、「おかえり」と言う為に。
「なら、頑張って女を磨きなさいな」
「うん!」
「まぁまぁ、私も一肌脱ぎますよクーちゃん」
「ぇ、あ、うん……まぁ、そのうちね、そのうち」
それは、帝都奪還後に人知れず行われた穏やかな日々の一幕。