「折本──」さて、この後に続く言葉は── 作:時間の無駄使い
──葉山隼人サイド──
「…お前、結局何が言いたい…」
背中に掛けられたその声に、ようやく振り返ると、ゆっくりとこちらへ歩いて来る、何処か怒りのこもった様な目をした比企谷が視界の中央へと据えられる。
いつもの様に、首が若干前に出て、それで居てダラんと下げられた様に見える腕にも、違いは無い。ただ、その瞳のみが、僅かな力を伝えていた。
「……ごめん…」
最初に、一言。
どうやら僕は結局、彼と対峙しなければ気が済まない様だ。
「…何で謝る…」
「……いや、…そうだな。独り言だ、忘れてくれ」
「……………」
「何が言いたいか、だったな」
「簡潔に言おうか。──奉仕部に戻れ、比企谷。…それで、全ては丸く収まる」
自分を叱咤する様に、彼に対して感情を露に言う。
「…随分なお節介だな、葉山隼人。……由比ヶ浜から聞いてないのか?俺は奉仕部を捨てたんだ。…今気になってんのは、俺のせいで雪ノ下が──」
「黙れよ、比企谷」
気付いた時には、目一杯引き切った腕を一直線に振り抜くところだった。
「ぐっは──」
左肩を狙った一撃が当たり、比企谷が鈍い声を出して倒れる。
「…自分の怒りが抑えられないなんて、初めてだよ」
そう言いつつ、倒れた比企谷を見下ろす。
だが、俺の期待とは裏腹に、痛みを抑えてこちらを見た比企谷の表情は、作られた怒りだった。
「────」
こちらを見るその目を見て、俺は驚きを隠せなかった。
しまった、と思ったが、もう既に遅い。彼に言い訳を与えてしまった事実に変わりはないのだから。
「………チッ…」
自分に対して、途轍もない怒りが巻き起こる。
これでは、比企谷に対して罪を認めさせる事になってしまう。…有りもしない、架空の罪を。
「比企谷…、君はどこまで…っ!」
放つ先を失った怒りが、どんどん溜まっていく。
だが俺は、どうしてもそれ以上動けなかった。
動く事は出来なかったが、それは俺に間を与える結果となり、幾分落ち着きを取り戻す事が出来た。
「……もう一度言う、比企谷。…奉仕部に戻れ。…不都合があるなら俺が除く。……だから、頼む。戻ってくれ……」
俺のその言葉を、彼はどう取ったのだろうか。
唇を噛み締めて居た事に気付いたのは、彼が去った後だったから、彼が受けた印象は、俺の想像とは乖離しているかも知れない。…だがそれでも、例え俺の希望的観測であったとしても、俺は、彼が応じてくれたのだと、信じて疑わなかった。
「──……俺に利があればな…」
* * *
──折本かおりサイド──
そんな事があったなんて事はいざ知らず、それから数日経ったとある日の事。
時刻は、あと少しで10時30分になろうかというところ。
空調の効いた涼しい店内から外を見ると、こちらへ歩いて来る男女を視界に認める。
…彼女が、恐らくはあの雪ノ下さんの、姉なのだろう。
少しもしないうちに男の方が私に気付いて控え目に手を上げる。女の方は何か鋭い目をもってこっちを見ていた。
その二人が店内に入って来て、そのまま歩いて私の向かいに座る。
「ごめんね。ちょっと遅くなっちゃって」
「大丈夫よ。まだ時間前だし」
そう言う彼とは逆に、彼女の方は、私と、その隣に座る津久井さんを静かに見つめていた。静かに、深く重い眼差しを、照らす陽射しに逆らう様に。
思わずたじろぎ掛けるが、相手は雪ノ下家の人間。それに、噂はかねがね耳にしている。自分の事でありながら恐らくでしかないのが何とも説得力に掛けるが、妹である彼女と対峙した時よりも更に警戒を強めていた様に思う。気を張っていなければ一気に食い物にされてしまいそうだった。
それは恐らく津久井さんも一緒だった様だ。
だが、その内向きなおどおどした性格に時折見せる
──雪ノ下陽乃へとしっかりと向けていた。
「紹介は…一応しておこうか。陽乃さん、こっちが折本かおりさん。…今の彼の恋人に当たる人だ。それで──」
「葉山君。…それは、ワザとですか…?」
「………その気は無かった、…すまない。言い直そう。…彼女が彼の恋人だ」
「知ってるわ。……そして、そっちの貴女が、津久井一奈さん、ね」
「はい。…貴女が、雪ノ下陽乃さん…雪ノ下さんのお姉さん、であってますよね」
各々が、警戒丸出しで…いや、雪ノ下さんに関しては敵意に近いものを向けながら、自己紹介を済ませていく。
視界の端に写ったカウンターの中の店員が、こちらの様子を伺っている素振りを見せたが、それもそうだろう。このテーブルに乗っているものは何も無い。当然、店側からしたら迷惑極まりない。その上、少なくとも部外者が口を挟める雰囲気では無いし、何より「雪ノ下」というブランドも居るとなれば、気にならない訳も無い。
「……それで?今日の目的は?」
睨む様な眼差しのまま、雪ノ下さんが重い口を開く。
それに対して、私はひと呼吸してから答えた。
「奉仕部を再建させます。…その為には、雪ノ下さんと比企谷の仲を元通りにする事が必要条件です。…その点についての雪ノ下さん側のアプローチを二人に頼みたくて呼びました」
少し畏まった口調になったのは、この雰囲気と、目の前に座る彼曰く「魔王」のせいである。
「ふーん、…奉仕部を、ね………。…それ、する意味あるかな?」
僅かに上げた顔には薄い
「貴女が奉仕部を再建する事に何の意味があるの?…しかも、貴女にとって本題はそこよね?…ワザとなのかは良いとしてさ。…それに、こっちに利益はあるの?貴女には比企谷君が居る。だから頑張るのは分かる。こっちは誰の為になればいいのかな?……まさか、雪乃ちゃん、何て面白い答えは無いと思うんだけど」
「────」
一瞬の絶句。
まさかたった一つの言葉だけで全てを理解されるとは、こっちの予想以上だった。
本題を隠したのは事実だし、それを見破られるまでは簡単に想像が付いていた。──しかし、その先まで…私の私欲の混じった目的まで見破られていたとは、想像してなかった。
「…そう、ですね…。確かに、雪ノ下さんの為『だけ』じゃないです」
「そうだよね。じゃないとおかしいもん。…それで?『貴女の為』に動く事にどんな利点があるのかな?」
「……奉仕部を再建するには、あの三人が元に戻る…いや、信用出来る関係にならないと、いけないと思うんです」
「そうだね…。それは確かに、間違ってないと思うよ。……今の比企谷君は、『貴女と出逢って』からあの二人を信じ切ってない様に見える。……それがどうかしたの?」
「私の目的は、比企谷に『比企谷らしく』なってもらう事です。…らしくある為に、あの二人との関係にプラスな変化が無い限りは比企谷は、少なくとも彼女たちを忘れるまでは『らしく』なれないと思います。……あの二人は……、…悔しいですけど、比企谷にとっては、それ程に大きな存在だと思いますから」
「……………」
私の話を聴いて黙った雪ノ下さんは、深く考え込む様な仕草を見せる。
「そして恐らく雪ノ下さんも、別の形で『らしく』なる事を望んで居る。…違います?」
「……一応、そう思った理由も、訊いていい?」
そこへ畳み掛ける様に質問を投げると、確証を求めんとばかりに質問で返された。
「一番の理由は、比企谷自身の話の仕方。…そして、葉山君からの、情報提供です」
* * *
「隼人の?」
たったそれだけを口にした雪ノ下さんに対して、その隣の葉山君が明らかに怪訝な反応を示す。
そして、紹介を終えて以来閉じていたその口を開いた。
「…冬のクリパのときの事か?」
「うん。…あの時の葉山君の言葉。それを変に思ってたら、比企谷の話で筋が見えたの」
無事に合同パーティーを終えた後だった。
あの後すぐに、私は比企谷のところへ向かって、適当な話でもして帰ろうと思っていた。
そんな私が比企谷のもとへ着いたとき、比企谷は葉山君と話をしていたが、構わず声を掛けて、話に割り込んだ。もとからそんな所で遠慮する様な私ではない。比企谷もそれを分かったのか、何かあったか?と直ぐに迎えてくれていた。
その話がどんな話だったかは聞かなかったけど、私が話に入ったとき、丁度葉山君の口から雪ノ下さんの話が出た。アイツとはそんなんじゃねぇ、と語る比企谷に苦笑した葉山君が、陽乃さんも君の事を気にかけてるみたいだし、と、唐突に言ったのだ。
何の話?と比企谷に訊いたら、後で、と誤魔化されてしまったが、後でその話を比企谷に訊いたら、ちゃんと答えてくれた。
「その答えが、陽乃さんが比企谷に元に戻って欲しい、と思ってるって考えた理由です」
「……まったく、隼人も、余計な事をしてくれたね。…それじゃ雪乃ちゃんなんかあげられないぞ?」
「こんな人前でそんなキラーパスを寄越さないで下さい…」
ここへ来て初めて大きな溜め息とともに笑顔を見せた雪ノ下さんは、葉山君をイジると、近くを通った店員を呼び止めて適当な注文をする。
どうやら、まだ話し合いは続きそうだ。