「折本──」さて、この後に続く言葉は── 作:時間の無駄使い
何が起こっているのか分からぬまま、取り敢えず教室へ向かう。
学校へ登校し始めてからしばらく経つが、確かに俺はその間奉仕部には通っていなかった。
同じクラスの由比ヶ浜とは普通に話しかけられたら応える…と言った感じで、特に問題は無かったと言えるだろう。──が、
(…雪ノ下……あれは何だったんだ…?)
…今思えば、雪ノ下とは会っていなかった気がする。
そんな事が、通常の学校生活において、あるだろうか。
二ヶ月近くもの間、全く会わないなんて事、偶然にしては出来すぎている。一体いつからこうなって居たのか。それすら分からない。
ガラララッ…。
「あ、比企谷君。おはようございます」
「おーっす、ヒッキー!」
「ん…?…………あ、あぁ……」
教室へ入るなり声を掛けてくるいつも通りの二人。
…由比ヶ浜は、今までどんな気持ちで俺に接して居たのだろうか。
『あの件』の後から奉仕部へは一切通っていない。
由比ヶ浜から、雪ノ下に時間をくれ…と言われていたのもあるが、それ以前にこちらもこちらで行けるような状況では無かった。折本と津久井の、自分自身への割り切りと、互いへの割り切りに時間を要したからだ。
その後俺の方は割とすぐ片付き、折本と津久井は現状のように仲良くなれた。『分かり合える仲間』になれたのだ。
「…ヒッキー、どした?」
「どうかしましたか?」
「いや、何でもない──。……あー、いや」
「?…何かあるの?」
「由比ヶ浜、今日の放課後に時間くれるか…。ちょっと話がしたい。…場所はスタバにしてくれ」
「えっ!?…ひ、ヒッキー…と?」
「他に誰が居るんだよ……」
「わ、分かった…。何か分からないけど重要そうだし…」
「………何か、……あったんですね?」
「まぁ…な。今は詳しく言えないが………」
まだ何も、──何も知らない。
津久井に隠す必要があったから、言わなかったんじゃない。純粋に全く知らないのだ。
──だからそれを知る為に、俺は放課後を待った。
* * *
放課後早々、由比ヶ浜と一緒に以前に折本と行ったスタバに向かう。
夏の暑さ…とまではいかないが、日に日に確実に、気温は上がってきていた。
この総武高において衣替えというのは、二週間程度の期間を設けられていて、その中においては夏服冬服が混在する。
だからこの通り由比ヶ浜は夏服だし、俺は冬服だった。
これが七月初旬までには全員が夏服になるのだが、逆に言えば六月中旬までは冬服でいなければならない訳で、これに対して不満を漏らす生徒は相当数居た。俺の立ち位置を利用して一色に提言してもいいかもしれない。
学校を出て、方角的にコミュニティーセンターの方向へ向かい、途中から逸れる。
最後の交差点を曲がると、目の前にあるスタバに自転車を止めて入店する。
「優美子たち以外と来たの久し振りだー…」
「お前らいつも一緒でよくそんなに話すことがあるよな。何?どこかの情報メディアにでもなるの?」
「いや、意味分かんないし…。それにあのくらい普通じゃん?」
「いや知らねぇよ…」
「あー…ごめん、ヒッキー。……って、折本さん?とは話してないの!?」
「…………………」
「……うわー…」
「おい何だその『あんだけしてもらってたのに…』みたいな顔は」
店に着いて適当な注文をし、しばらく取り留めもない特に意味のない話をする。
ここまで由比ヶ浜と本格的に話をしたのは、もしかしたら年明け以降初なのかもしれない。イベントが多すぎて記憶が定かでは無いのだが…。
「──大体俺はいつも一人…だ。最近は小町とか、一色とか、折本、それに津久井とか、あとは戸塚とか戸塚とかから声かけられるから一人で居る時間は減ったかも知れんがな」
「ヒッキーがヒッキーの癖に順調にぼっちから脱出に向かってる……」
「うるせぇ」
「あはは…。……あ、そう言えば今日、何でわざわざスタバにしてまで私呼んだの?」
呆れ笑いの由比ヶ浜は、恐らくいつもの話をつなげるスキルが発動しただけなのだろうが、本題に触れてきた。
その質問に対しての俺の表情の変化を感じ取ったのか、不思議そうな顔をした後に、少し表情を落とす。
「…………その……な………。……雪ノ下に…ついて何だが…」
「っ………!……あは…は、…珍しいね、ヒッキーが他人の事心配するなん……て。………ちょっと変……かも」
「………教えてくれるか?……頼む」
「………………………」
俺のその言葉に、由比ヶ浜は更に表情を落とす。
この反応を見る限りは、どうやら教えてくれる気は無いようだ。
「……今朝、久し振りに雪ノ下と会ってな、そしたら…その、なんだ。……おかしかったんだよ…。しかも、陽乃さんまで一緒に居た。…何かあったんだろ?」
──俺はこの時、気付くべきだったのだ。
由比ヶ浜が、その華奢な身体を小さく震わせていた事に…。
「何かあった?………何かあったって言ったよね、ヒッキー」
「あ、あぁ……」
「……ごめん。今日はもう帰るね」
「は?…ちょ、おい由比ヶ浜!」
「…来ないで」
「っ………!」
暗く、重い瞳を最後に残して、彼女は俺に釘を刺した。
後になって考えてみれば、彼女が怒ったのも当たり前の事だったのだ。
『何かあった』などと無神経な質問を、平然と…ではなかったにしろ、口にしたのだから。──そう、『何か』ないわけが無いのだ。雪ノ下が、ああなる事など、今でも記憶を、目を疑うのだから。
それが分かっていたのに質問したのは、──まぁどうせ後から取ってつけたような言い訳にしか成りはしないが──『確証』が欲しかったのだろう。
危機感が、欲しかったのだ。
俺が何かしてしまったのでは、という『憶測』を『確証』に変えて、問題に取り組みたかっただけだ。
何故か?そんなの簡単だ。
──俺を、俺が犠牲にできるように、だ。
今までの色んな事件に関して言えば、俺がその中心であると仮定し、それに合わせるように動く事が殆どだった。…鶴見留美の時のような例外を除けば。
この時はそこまで考えていたわけじゃないが、どっちにせよ俺は聞いたところでこの道を辿っていただろう。
つまるところ、俺が問題の中心であれば、『いつも通り』に物事を解決できると、無意識に高をくくっていたのだ。
こうなってしまってはもう、俺が独自に動くには少々力が足らないので、また別の方法を取るしか無いのだが…。
取り敢えず、この時の俺は何が起きたのか、何をしでかしたのかに気付かないまま、結局帰路に着いた。
* * *
「たでーま…」
家の扉を開け、一応、と言わんばかりの声を出す。家の中は静寂と暗闇に包まれ、この季節によって暖められた生暖かい空気が、雰囲気を高めていた。
玄関から上がり、ポーチと玄関入口の灯りを点け、廊下もついでに点ける。
蛍光灯に電流が流れる時になる小さな音が幽かに聴こえ、物凄い空虚に襲われながら二階へと上がる。
ドアを開けたところで、荷物を机の脇へ放り、そのままベッドに倒れ込み、長い長い溜め息をつく。
「………………………」
時折吹く風に窓がカタカタと音を鳴らし、長くなってきた陽は住宅に遮られながらも掠めるように入ってきていた。どうやら、一階の大開口にはカーテンがかかっていたようだ。でなければこの時期に窓からの陽が無いなど有り得はしない。
結局、由比ヶ浜は何に怒ったのか、雪ノ下はどうしてああなってしまったのか。全く分からなかった。俺が何かしたのは恐らく間違い無いだろう。雪ノ下との接触など、恐らく入院中の『あの時』以来の筈だ。
あれから約半年。
その間に雪ノ下との接触をした事は、もう無いと言ってもいい。
接触が無いのに、俺が何かした。
この矛盾──そう、俺はここから解けていなかった。
この矛盾が、矛盾でなくなった時、初めて問題に取り組める…ような気がするのだが、残念ながら現実はそうではなかった。
そもそも、雪ノ下のあの反応だけでは、何が問題なのかさえ推察できない。
もともと雪ノ下は一人で抱え込みがちだし、その性格がある以上は、あんな反応くらいいくらでもするだろう。
だが、陽乃さんの言っていた『過敏』になっている理由が、そして、何に反応して居たのか。それも分からなかった。
(小田原先生にでも、聞いてみるか)
きっとあの人なら、頼るには丁度いいだろう。
平塚先生では陽乃さんに近すぎる。が、あの人はそうではないし、雪ノ下の事も知っている。俺が見ていないところの彼女も知っている筈だ。…まぁ、そういう意味では一番由比ヶ浜が最適だし、津久井でも折本でも、どちらともに少なからず知ってはいるのだろうが。
俺はそれだけ決めると、そのまま寝てしまった。