「折本──」さて、この後に続く言葉は── 作:時間の無駄使い
* * *
──折本から『別れよう』と言われて、俺はどんな顔をしていただろうか。
その瞬間の折本のように、ゆがんでいただろうか。それとも、普段通りだっただろうか。……いや、流石に普段通りではなかったはずだ。心臓を握りしめられるような痛みを味わったのだから。
では、果たしてどちらに対して、顔をゆがませたのだろうか。
──痛みか
──気持ちか
似ているようで、全く異なるこの二つのどちらが理由で俺は顔をゆがませたのか。それとも別な事が理由だったのか。
折本にフられた事に対して、反論が無かった訳では無い。言わなかったのではなく、言えなかったのだ。
折本の事を好きで、そして折本も俺の事が好きで、そこに津久井も入ってきた。
いつもいつも他人を優先し、自分を卑下して見る俺。
中学二年の時、ひたすらに俺の事を理解しようと努力し続けていた折本。
文化祭実行委員会で、俺の行動の理由を理解し、それでも周りに言わずに俺の意思を尊重した津久井。
この件があってから、俺と折本の中で関係は変わっていった。
恋人から、ただの男子女子へと。
ただ、この件がなければ折本との関係もはっきりさせていなかった可能性もある。
だから、これは試練なのだ。
俺は、折本が好きだ。これは自信を持って言える。
だけど、これだけでは折本が納得しない。折本は津久井の事もよく知って欲しいと俺に言う。それが自分の為であり、津久井の為だから。
俺は、折本のその意見自体には賛成だ。
確かに、津久井の事をフれるほど俺はよく津久井を知らないし、そんな簡単に分かるものでもないだろう。
──だが、津久井からみたら、これは施しになるのではないのか。
津久井は優しい。
これは、俺が知っている数少ない津久井の情報だ。
でも、だからこそ津久井は遠慮してしまうのではないか。
恐らく、津久井はもう勘付いているだろう。俺が折本と付き合っている事には。
──だが、そんな俺達が、自己整理の為に別れた上に、その理由の中に一部とはいえ自分が関係していると分かれば、津久井は絶対に遠慮してしまう。
それを、どうするか俺は決めかねていた。
どうするのが正解なのか。……いや、この際間違っていてもいい。
目的は、俺が二人を理解する事。それだけだ。
──俺は映画を観ながらそんな事を考えていた。
* * *
映画を観終え、映画館を出て、次の目的地へと歩いて向かう。
折本と津久井が先行し、その数歩後ろから俺が付いていく形でいくつかの信号を渡った。
俺にしか分からないかも知れない程度の陰のある笑顔で、努めて楽しそうに話している折本と津久井は、それだけ見れば仲の良い友達のようだ。…すると俺は必然的にストーカーになるのだが。まぁ荷物持ち程度の役目は果たしているので完全に害悪ではない点だけは主張しておこう。──今回の目的からすれば、それでは駄目なのだが。
俺は、折本に対して少なからず迷惑をかけている。
折本に告白する前からそうだった。
俺は、折本と中学で知り合い、そして告白するまでの二年間で折本の事を好きになった。
折本みたいにずっと見ていた訳じゃない。もちろん、一目惚れなわけも無い。
ただ、折本の魅力に惹かれたのだ。
いつも活発に動いていて、クラスの中心にいて、運動も勉強もそれなりにできて。
最初にできた折本に対するイメージはこんなだった。
だけど、やっぱりどんな興味のない奴でも一緒にいれば少なからず情報は入ってくるわけで。
──それは、興味のない折本の事だったが、確かに興味深いものだった。
当時、俺の中学では有名な奴といえばこいつ、みたいな奴が一人いたのだ。
それが、バスケット部エースにしてキャプテン、更にとあるクラスの学級委員長まで務めている
ルックス最高。バスケもエース級。更に学級委員長で成績も良好。教職員からの期待も厚い。
我が校のみならず、他校からも黄色い声援がくるような奴だった。
──そして、中一の夏、事件が起こった。
そんな女子を総なめにしているようなイケメンが、当時人気のあった折本に告白したのだ。
その噂が流れた時、俺は『ほーん……』くらいにしか思っていなかった。その時の俺にとっては本当にどうでも良かったのだ。折本とは同じクラスなだけで接点などなかったし、強いていうなら噂の所為でクラスがうるさくなって迷惑だ、ぐらいにしか思っていなかった。
ところが──
『ごめんなさい。……あなたのような人とは付き合うつもりはありません──』
彼女は、そう言ったのだ。
俺はこの時、職員室に提出物を出しに行った帰りだった。
そして更にこう続ける。
『──確かに、いい人です。……でも“それだけ”です。……私は、そんな人とは付き合うつもりはありません』
──そう言った彼女は、片瀬をその場に残して帰って行った。
俺はこの時から、徐々に折本を意識していくようになったのだ。
──折本は、恐らく俺と同じ“なにか”を求めているのだ、と。
* * *
そんな事があってから、折本の周囲は変化した。
アンチ折本派と折本派だ。そして俺はそもそも折本の周囲に入っていない。
そんな事はどうでもいいが、気になっている事はあった。
折本があの日言った『あなたのような人』。言い換えるならば、同じ時に言っていた『そんな人』。
それが、どんな人を指すのかが気になっていた。
あなたのような、のあなたが誰を指すのかは、当然片瀬の事だろう。
つまり、片瀬のような人とは付き合うつもりはない、という事なのだが、それがどれをさしているのか全く分からない。
流石に、いい面の事ではないだろうから悪い面の事だろう、というのは想像がつくのだが、そこから先に話が進まないのだ。──片瀬の悪い面なんか、俺が知っている筈もなかったのである。
──だが、答えは直ぐに出た。
折本に告白したのを聞いた日から、わずか一週間後。
──今度は別の女子に告白したのだ。
この件で、俺はようやく理解したのだ。
『片瀬の告白には、形しかない』と。折本はそれを嫌ったのだと。直ぐに繋がった。
それを知って、更に折本の事を意識し始めていた俺は、この頃になってようやく折本との初接触をする事になる。ここは俺があまり話したくないので割愛させて頂くが、簡単にいうと、俺へのイジメが始まった頃であり、折本が俺の事を意識し始めた時期……らしい。
* * *
俺はその後、進級して二年になったあと、三年に上がる準備が始まる冬に、折本に告白した。……と言っても、目的はけじめをつける為だったが。
その時の俺は折本が俺の事を観察していたなどいざ知らずその行動に至った訳だが、互いに互いを意識していた事もあり、その結果成功する事になる。(この時は後日、折本から呼び出されたデートの時に告白し直したが、土日だけ、というのは変わらなかった)
これが、俺と折本の初接触前から付き合うまでの流れだが、津久井の場合は、折本より数段上から始まる事になる。……津久井が俺に気持ちを明かしているからだ。
津久井は、俺と折本が抱えていた問題に整理をつけるきっかけをくれた。もちろんそれは副産物であり、津久井の目的は俺との交際にある。──それを、真剣に望んでいる。
だが、俺は下手には動けない。だから自分の周りを整理して答えを出そうとした。
それが、この間今日の顔合わせ会に津久井を誘った時の事。
だがそれを津久井は拒否した──。つまり答えは分かっているのだろう。
──そして、あの時が伝える最後のチャンスになってしまった。
──俺が折本と別れてしまったから。
確かにけじめをつけて最初からやり直す事には納得したが、これではあまりにも津久井に残酷だ。
なぜなら、彼女がいなくなった隙を狙え、と言っているようなものだからだ。
もしかしたら違う──俺が雪ノ下にしたように幻想を抱いているだけなのかもしれないが、津久井はそう言われて動けるような奴じゃない。
つまり、今の俺たちの状況を伝えるのは、津久井にとっては終わりを意味してしまう可能性があるのだ。
“私の所為でお二人が別れるなんてあって良い訳がないんです……。だったら、私が引きます”
こんな感じだろうか。津久井はそういう奴だ。──俺と同じ、自分より他人を優先してしまう。
だが、こうなってしまっては別れた意味がない。……全くない訳ではないが、何かしらの溝は出来るだろう。絶対に埋まらない、どこからも確認出来ない不可視の溝が。不可視でありながら、確かに存在する溝が。
──だったら、どうすればいい。
どうすれば──
そこまで考えて、ふと視線を上げた直後だった。
交差点まであと少し、信号が赤なことから待つことになるのは明白だった。そこへ──
──俺たちの前方の道路から、ダンプカーが突っ込んで来た。
「折本!津久井!」
──頭で考えている暇さえ、なかった。
二人を引っ張り、振り回すようにして端っこに飛ばし、ダンプカーの車線から外す。
──直後
──全身を貫く火傷するような痛み。
──普段では到底見られない道路の真上の信号に並ぶ高さの視線。
──視界の隅々まで広がる赤。紅。緋。
その瞬間、全てを悟った。
これってグロ系のタグつけた方がいいんでしょうか。だいぶオブラートに包んで『何が』とは言及していないんですが。