ルーラーの真名。俺も出会って間もなく、それを知るのははじめてだ。しかし、心の中で期待している人物がいたことは否めない。
高潔な、清廉な、人々を助けるためだけに生きたように見えるその姿は、憧れと重なるものがあった。
だから、思わず祈ったのだろう。助けを求める資格なんてないけれど。
最後に見てみたかったのだ。
あの十年前に見た笑顔に重なるかはわからないが、人々を救う人の再来を。
ルーラーが言葉を紡ぐ。
真名、それはサーヴァントにとって易々と開示していいものではない。それを明かすということは、英雄としての弱点も明かすことに他ならないからだ。だが、ルーラーは約束は違えないと、聖書の頁を捲りながら、言葉を紡ぐ。
「我欲がないこと、聖書に私がいること、様々理由はあると思いますが、私はこれもまた主の導きだと信じています。私は召喚される時にきこえたのです」
ルーラーが、こちらを真っ正面から見つめ、柔らかく微笑む。美人に微笑まれ少し心拍数が上がったかのように錯覚する。
「貴方の、士郎の祈るような助けを呼ぶ声が」
そう、あれは祈りに他ならない。助けを呼ぶ声をあげるには自身は多くを犠牲にしてきた。だから、祈った。
「ならば、聖女として助けを呼ぶ声にこたえたかった」
明確に彼女に祈ったのかはわからない。無我夢中というやつだ。だが、召喚された彼女を見て直感した。
「それが、私、聖女マルタとしての生き方だからです」
自身が憧れた救いの担い手であると。
時刻は夜半を過ぎ、街も自然も静まりかえっている。2月の夜。雪こそ降ってはいないものの、僅かな街灯の灯りに照らされた夜道は、どこか幻想的で現実味を失いそうだった。
「ねえ、ルーラー。その格好見ているだけで寒々しいんだけれど、何か着たらどう?」
凛が鼻頭を少し赤くして、提案をする。後ろには霊体化を禁止されたアーチャーが、自前でどこからか出した黒いシャツとパンツを履いており現代風に馴染んではいるが、季節には真っ向から馴染んでいない。
「生憎とサーヴァントは寒さを感じません。現代に馴染み、目立たないことを考えるなら必要にもなるでしょうが、今は日付も回って間もない時間ですし、これで許してください」
人目という話をするなら、自身は巡礼の修道女と言い張るにも目立つ出で立ちだ。胸と背中は十字を模したように大きく開き、手には甲の部分から肘までを守るような手甲。足にも同様に具足が膝下までを守っている。物々しい装いであることは否めない。
いやこれは、戦闘用というか、外敵から守護するための装備であって決して拳闘の威力増大が目的の装備ではないのよ?
「凛、サーヴァントの服を気にするというのもおかしな話だろう。我々にとっては最初に纏うその姿は呪的な加護を施したりしている場合も多い。特に聖女ともなれば、その聖衣に何かしらの祝福がされてる可能性もある」
「おもいっきし現代服に身を包んだあんたに言われても説得力ないけど、言ってることはわかるわ。でもね違うの、これは私の心の贅肉。そう、わかってるけどね、でもね言わせて」
言葉を区切ると、凛は一つ大きく息を吸い
「こんな抜群のプロポーションを惜しげもなく晒されると、女としてのプライドとかに罅が入りそうで堪えられないのよ」
マルタの身体を指してそう恨みがましくのたまった。
真名の開示に対する反応は様々だったが、それほど大きくはなかった。
士郎はやはりかみたいな得心のいった顔。そしてどこか眩しいものを見るような眼差しを向けてきた。
凛やアーチャーは、僅かな驚きを見せはしたものの、冷静にそこから得られる情報を分析するに留まり、口に出して根掘り葉掘り尋ねるのはフェアではないと判断したのか
「そう、主婦の守護聖人だったかしら?随分と家庭的な英霊なのね」
そんな何気ない一言で終わらせた。
そして、あまり遅くになっても良くないと、急ぎ準備をして衛宮邸を出たのは十数分前。冬木教会はかなり離れており、バスや電車などの交通機関もない時間、仮にあってもこの格好で乗るのは不味いと言うことで暢気な会話をしながら向かっているところである。
聖杯で知識として知ってはいるものの、やはり田舎育ちと言うか二十世紀も後の街並みというのは物珍しく、ついつい士郎にあれこれ尋ねながら、先を行く。
今は、本来ではあるはずではなかったマスターとの、コミュニケーションを築く時間と割りきり、まだ理解してない互いを知るために会話をしていく。
士郎は困っていた。
自身がそれほど饒舌ではないとか、美人と話すのに四苦八苦するとか、そういった程度の問題ではない。
マルタの距離感と目のやり場だ。
彼女の言葉は聖女らしく、静かな語り口なのだが、動きがそうでもない。
おそらく今まで垣間見てきた"素"の部分なのだろう。見知らぬ街に内心テンション上がってて、動きが活発なのが見てとれる。
「士郎。この街灯の電気というのはどのような仕組みで動いてるのですか?」
本人も気づいてないのか、手を何気なく取って引っ張ってきたり
「このような素材の布が私の時代にもあれば、人々はより豊かに暮らせたのでしょうか」
胸元に腕を手繰り寄せパーカーの素材を吟味したり
そうやって動く度に、揺れる。年頃の男子としては眼が向くのはもう根源のレベルでどうしようもない。我欲がないとは言ったが三大欲求は健在のご様子。
「チッ」
視線だけで呪い殺せそうな眼差しを後ろから感じる。俺が何かしたのか、何故遠坂がイラつくんだ。
「えーと、ルーラー」
「はい、どうしましたか?」
おおよそ真横で少し首を傾げながら、見上げてくる。彼女も身長は高いほうだが、流石にまだ自身のが高い。その柔らかい上目遣いを直視しきれず、少し目をそらしながら彼女に申す。
「あーその、やっぱり何か着たほうが良かったんじゃないか。その、正直に言うと目のやり場に困ると言うか。いやこれは、俺の主観というか、客観的に見てそうであって、別に疚しい気持ちがあるとかでは決して、ない、はず」
髪が揺れるたびに後ろのお尻がチラチラ見えるのが心臓に良くない。昔の聖衣はみんなこんなにも過激だったのだろうか。
自身の忠告というか申告に、マルタは自分の服を少し見て、成る程といった表情を作ると、すぐにいつものような聖女の微笑み……のはずなのに何処か悪戯めいた目で距離を縮めてええええええ!!
「あら、疚しい気持ちがないのであれば問題は無いのでは?私に今視線を向けている男性は貴方と、あちらのアーチャーはまた別ですから、大丈夫でしょう。それとも、士郎はおよそ初対面の淑女の肢体をなめ回すように眺める趣味のあるマスターなのですか?」
マルタは自身のマスターである士郎を少しからかいながら、自分の言葉にあたふたして赤面する姿に眉尻を下げる。
なんか、放っておけない弟みたいで、可愛いものね。
いやらしい目を向けてきたことは、現代の服より露出が多いというなら仕方ない。いきなり悟れというのは無理があるし、それを嗜めてきたことは好感が持てる。ただニヤニヤと眺めるだけの男だったら気づいた時点で一発いれてる。
私も少し浮かれすぎていたかしら。反省ね。
一応自身はスキルとして天性の肉体を備えている。これには魅了効果もあるので、意に反して士郎を魅了してしまいかねない。
マスターを魅了するサーヴァントなんてどんな悪女よ。
だが、ついつい新しい弟が出来たみたい、と少し警戒心をなくしていたのは否めない。かといって舎弟と思っても駄目だから難しいところだ。
その素質も如実に感じているが、今は彼のサーヴァントとして自分が使われる側だ。彼の、聖杯戦争に対する考えをしっかりと聞いたわけではない。だが、主が導いた人が悪だとは到底思えない。もし、仮に悪なら
しばい……もとい祈りで根性叩き直せばいいだけよね。
このような他愛もない悪戯をしたくなるのは、家族の戯れにも近い。
この年になる頃には家族での平穏な生活はなく、旅に続く毎日だった。決して辛いだとか、不幸と嘆いたことはなかったが、ベタニアでの暮らしを懐かしむことも少なくはなかった。
だから、新しく出来た弟ぐらいの年の頃の子を、可愛がるのも悪くない。それを見て臍を噛むような表情の子は、妹にでもなるのかしら?
だから、所作なく天におはします主に祈る。
どうか、ラザロの時みたいな悲しい思いをしなくて済むように、私に、彼のこの波乱に満ちた運命の始まりを、守護する力を与えたまふことを。
そんなことを思っているうちに目的の場所に近づいたのか、歩みを緩める一行。
不気味なほど静かに佇む教会。
「これが、冬木教会……」
士郎も初めて足を運んだのか、ぼんやりと確認するように呟く。
「ええ、そうよ。曲者の似非神父がこの先にいるから、ルーラーには耐えかねるかもしれないけど、勘弁してね」
「信仰は、人それぞれです。会いもしないで悪と判断するのは、それこそが悪だと私は思います」
「なら会ってから悪と判断するのは有りなのね。その場合はどうするのかしら」
凛が独り言のような問いかけを残して、教会へと進む。
もしも悪だった場合?そんなのは決まっている。
幕間のようなものです。少しルーラーと士郎の心情を纏めたかったので。
マルタさんの服装は再臨の二段階目をイメージしてます。後ろから半ケツと紐が見えちゃうあの再臨です。