怠惰な魔女は眠りたい   作:ネコジマネコスケ

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重石の骨

「ああ全く、あんたはどうして忙しい時に限って面倒事を持ち込むの」

「人を厄介者(トラブルメイカー)みたいに言わないでください。中尉、そもそも飛行脚の整備が満足に出来ないという時点でおかしいのです。普通は最低限そこだけでもまともにしておくべきでしょう」

「分かった、分かった。私の力不足だから、早いところスペアを選んできなさい。飛行訓練は自由にしていいから」

 

 事の発端はつまらない機体の故障だった。

 訓練中に黒煙を上げたレディの飛行脚は徐々にその力を失い、オアシスに不時着してしまったのだ。幸いにして速度が死んでおり、それなりに口煩い部下も操縦に慣れてきていたので怪我はなかったのだが、慌てて遥か上空に突き抜けていくような甲高い悲鳴を上げていたのが面白くて仕方がなかった。久々に胸のすく思いをしたというのは秘密である。

 それはそれとして、通常これは整備班の不始末となるのだが、備品が不足していたことは分かりきっていたことである。むしろ今までよくぞ何の支障もない程度まで仕上げていたものだ、と評価するのが優れた指揮官というものだ。

 自分が大笑いしたのですっかり膨れてしまった堅物の部下は放っておくとして、問題は整備班の設備をどうにかしてしまわねばならないということだ。

 

 実は最近と言わず、タリアも徐々にカッサンドラ・レディという少女のことを内心で認めるようになってきている。

 何といってもカッサンドラがこのみすぼらしい基地に配属されて、半年が過ぎようとしているのだ。多少なりとも出来る部分を見せていなければ、可能か否かはともかく本国に送り返されても仕方がない頃合だろう。

 端的にはカッサンドラが単独で飛行脚の訓練を行うことを許可している点や、不意の事故にもある程度対応してみせると考えている部分である。流石の彼女も大怪我に繋がるような事態において、部下を笑いものにするようなことはない。ないはずである。

 彼女が口に出すことはない。だが悪評は多くとも、部下からの信頼はそれなりに厚いのには相応の理由があるのだ。

 つまり中尉殿を的確に表すとすれば、性格は悪いが決して悪党ではないといったところなのだ。そんなわけだから、()()()()()()()()()()()()()()()という絶妙なバランスをもって、慕われたりズボンを盗まれたりしているのである。

 カッサンドラとて怒りはするが、嫌っているわけではない。中尉の注意に訂正を加えることはあっても反発することは少なかった。正しくは少なくなっていた。

 少女は了解しました、と短く答え、すぐに首を捻った。

 

「前から思っていたのですが、どうしてこの基地にあんなに飛行脚があるのですか? 部品が不足しているのに本体がある、というのもおかしな話ですが」

「そりゃ遺産に決まっているでしょう。あんたの前任者たちの残したものだよ。普通は本国に引き取られるところに無理を言って貰ったの」

 

 無理を言ったというか、脅しをかけたというか。

 過去のことなど今更気にしても仕方がない。大体、誰が咎めるというのだ。そもそも、何処の国の連中も下手に現地妻など作るから弱みを握られる。自業自得である。

 相手が脳足りんであったことが悪いのであって、自分はそれを許諾し、喉の奥に留めておく正当な報酬を得ただけなのだ。

 お題目には事欠かない。地域の防衛任務の為、弱卒を送っておきながら物資だけ掠め取るつもりか(これは食料や宿舎を指してのことである。要するに()()()()())等々いくらでも並べ立てることができた。

 思うに男連中というのは、そこまで女を囲っていたいものなのか。

 金が掛かるだけだ。ついでに手間と時間の浪費までもが付いてくる。家庭崩壊の危機を招くことを考えると、面倒事の出血大サービスと言ったところだろう。

 断言してもいいが、上手い商売女というのは自然と男の理解者であるかのように振舞うものだ。しかし財布の中身を見ればよく分かる。最低でも数人の客を取っているのが現実である。私有財産ではなく公共の宝石なのだ。時として病を伝染させてくれるのだから、全くありがたい話である。

 そんな浅ましい事情を悟らせないからあの手の連中は侮れない。近隣の町で協力を呼びかけても安い、の一言で黙らされた。あの時対応をしてくれた、如何にも婀娜っぽい女は鼻欠けにでもなっていればいい。

 

「ああ成程。しかし、確かその方々は」

「まあ、大半死んだね。随分前になるけど」

 

 カッサンドラの前任としてやってきた扶桑の新人は二ヶ月で死んだが、その前には経験のある魔女も所属していた。タリアの顔は僅かに苦々しく歪む。

 いい記憶ではないだろう。それは、彼女とどのような関係にあったかは別として、僚機が落ちたということだ。

 宿舎は離れていたかもしれない。

 もしかすれば仲も悪かったのかもしれない。

 だとしても、戦場を共に駆けた人間が、その多くが命を落としたということは軽くない。

 少女は上司の複雑な心境を察してか、ひと時の沈黙を選んだ。

 

「何。らしくもない」

「そういうことを言うから中尉は嫌われるのですよ」

 

 タリアの口がひん曲がった。

 元を辿れば彼女がカッサンドラに何度も言っていたのだ。その手の、自業自得であるといった旨の指摘は、読心の可能な中尉殿の専売特許のようなものだったのだ。

 それがここに来て逆転した。何ということだろう。正しく親愛なる中尉殿にとっては青天の霹靂、小娘にしてやられたということである。

 数年も近くで過ごさなければ性格など理解できないだろうと思われるかもしれない。だが、限定的な話ではあるが、日常とは掛け離れた場所で、通常に予想されるよりも遥かに密度の濃い日々を送っていたなら、その信頼関係のような何かは想定を超えて深まっていくものだ。

 軍隊というもの、或いは兵士という者たちは、言うなれば非日常を平凡なものとして通過せしめることを理想像として描かれる存在である。緊急時に慌てることのないよう、もしくは日常的な戦闘による緊張状態を少しでも和らげることが可能になるよう、彼らは訓練し鍛錬する。

 隊員は家族だ、などと口にする教官も多い。それほどに集団内部における連帯感というのは重要かつ不可欠なのである。

 そんな事情があるので、強情な部下とていつまでも上司の性格に無知では居られなかったのだ。タリアとしては不愉快というよりも機嫌の悪いことだろうが、彼女の言葉を引用するなら、それほど分かり易い性格をしているのが悪いのだ。

 

「全く、前の子はもっと素直だったのに」

「ですがその方は」

「他人のことはいいの。あんた、最近(こな)れてきたからって油断なんてしないようにね。こういう時が一番危ないのですよ」

 

 わざとらしく敬語を使ってやると、レディはこれみよがしに眉を顰めてくれた。素直というよりも正直な部下を持ててまことに光栄である。

 ただ、新人が晴れて新人扱いされなくなる時期が危険であることは事実なのだ。最初の緊張感が抜けてしまい、無意識の内に取り返しのつかない失敗を犯す。戦場に慣れてきたからこそ人間の過失が生まれるのだ。

 せっかく、である。

 

 タリアは一度唇に親指で触れ、鼻を鳴らした。

 彼女としては折角ここまで生き残ったのだから、といった考えを持っていたのかもしれない。結果としてそれを口に出しはしなかったが、彼女が何事かを思い浮かべて振り払ったことは間違いない。

 生き残ったと、ほんの半年の従軍経験を大仰に称しただろうことには彼女なりの思惑があるのだろう。

 傍若無人に見える女性であるが、他人の心には他の誰よりも敏感にならざるを得ないのだ。賞賛の言葉が直接音声でなくとも届くように、罵倒や恨み言、どのような原因であれ憎悪の感情もその固有魔法が常に受け止めてしまう。

 不快な想いをすることも多いだろう。

 だというのに、一切行いを改めないのだからこの女も救いようがない。何を考えて積極的に敵を作るような真似をするのか。真実は彼女の豊満な胸の中、であった。

 これは珍しい光景ではないのだが、カッサンドラの目線がじりじりと恨めしく中尉殿の鎖骨の下に突き刺さっている。

 気の毒にも十五歳という年齢は、女性として既に二次性徴を終えた年頃だと言える。残酷な話だ。人間には人間として然るべき健常な成長段階というものがある。この先神経質な眼鏡の少女が胴体上部を保護する防具を拡張する、その可能性は低いと言わざるを得ないだろう。

 どういった思考があるのか、引き締まった体格をしている少女は呟いた。

 

「中尉は」

「何よ」

「どうして志願されたのですか。別に、食べることに困っておられたわけではないでしょう」

 

 何を参考に腹を減らすことがなかったと判断したのか、追求してみてもいい。

 当然、無駄に機嫌を損ねることもないので思うに留まっておくが、大体この娘はこちらが心を読めるということを忘れてはいないか。

 この半年で随分この小娘も自分を舐めるようになったものだ。

 侮ったというか、買い被っているというか。

 まさか自分が国や市民の為に立ち上がったなどと期待される日が来るとは、思いもしなかった。

 

 夜間哨戒に向けて仮眠を取ろうか取るまいか、タリアがそんなことを考え始める夕方のテント内である。

 女はやけに不機嫌そうな面をして、少女は嫉妬丸出しの目をしていた。

 大きな溜息を吐いてタリアは仕入れた巻煙草に火を点けた。

 

「あんたが……私のことをそこまで買ってくれているとは嬉しい限りだけど。もっとつまらない理由だよ。楽に暮らしたかったの。最初はね」

「楽って」

「まあ軍に入ってから馬鹿だったって気付いたよ」

 

 本当に考えなしだったのだ。

 実家を継ぐにも女の身では厳しく思えたし、ならば手伝いだけやっておいて暇な時間は寝ていればいいかなどと考えていれば両親に怒鳴りつけられ、畜生めと勝手に軍の募集に応募し受かってしまった。

 訓練は苦痛ではなかった。やることをやっていれば、後の時間寝ていても文句は言われなかったのが、実家と比べて気分が楽に思えたからだ。

 そう、当初は言い伝えにあるような魔女も中には居るだろうと踏んでいたのだ。そんな感じの連中に前線は任せておいて、自分は適当に事務方に回って内地で勤務しようと目論んでいたのだ。

 ――そのはずが初端から前線に送られてしまい、気付いてみれば戦況は悪化する一方、徐々に同期の内でも戦死者が出始め、よくよく情報を整理してみればガリアもカールスラントも()()()()になっていた。

 以上のことから大失敗と分かった時には、既にアフリカに居たのである。言うまでもなく手遅れであった。

 

「中尉、あの、言い辛いのですが」

「言わないでよ。分かっているから」

 

 所詮は下町育ちの教養もない女なのだ。

 タリアは自分のことを卑下してそのように称するのではない。真実、その経験から自身がそこまで頭がいい方ではないと考えているのである。

 カッサンドラの視線も何やら同情的なものになっていた。

 

「でも引退はされないのですね」

 

 少女は小さく口元を緩ませていた。

 安心感に基づくものだったのか、それともからかいだったのか。

 敢えて真意を問うことはせず、タリアは口を閉ざして書類に目を落とした。

 照れ隠しのようにも見える。可愛らしいと思う人間がどれだけいるかというと、それは知れないが、二十三歳の女性はそんな仕草をしたのである。

 

「しかし、各地で統合航空兵団が戦果を挙げていますし、アフリカでもストームウィッチーズの活躍がありますからね。きっとこれから人類の反撃になりますよ」

「……そんなわけないでしょう」

 

 如何にしてか、その一言は場を綺麗に鈍色の空気に染め上げた。

 冷え切った声色で、それまでの暖かくも思われた会話を塗り潰すような言葉であった。

 

「そんなわけないって」

「あんた、学はあるでしょう? 歴史とかさ」

 

 ここまで何も考えていなかったとは、これは自分の失敗かも知れない。

 もう少し長く会話をすべきだったのだ。このお嬢さんは、現状を全然理解していない。

 ガリアは奪還された。アフリカも多少前線を押し上げることに成功した。それは正真正銘人類が成し得たことだ。戦績で、戦果だ。

 故にそれが目を曇らせる。何か決定的な一撃を与えたのだと、実体のない希望を抱かせるのだ。

 簡単な足し算と引き算の問題だ。人類がネウロイの侵攻を受け始めてほんの数ヶ月で失った領土と、この数年で取り返すことのできた領土、どちらが多いかなど子供にも分かる。

 消えた金も消えた町も消えた命も、何一つ取り返してなどいないのだ。人類がその手に取り戻したものは、ただの土塊だ。何千何万の命を消費して、たかだかいつも当たり前に踏みつけている地面を奪い返しただけで喜んでいるのだ。

 意味はあるだろう。徒競走に例えればいい。人類は全領土の奪還に向けての助走距離を得たのだ。最終目的へ至る一つの柱を建てたのである。

 然ればこそ、その第一歩を踏み出すだけで息切れをしているのに、何の勝ち目のあるものか。

 

「聞きたいけどね。未だかつて、相手の正体も分からないままに勝利した戦争があった?」

 

 カッサンドラは沈黙した。

 小規模の戦闘ならば、勝利も有り得ない話ではないだろう。

 ならば国家間の争いにおいては、どうだろうか。

 彼女はそう言っているのだ。

 

「推定される敵戦力は。目的は。大体、あいつらは何者なのか。それすら誰も分かっちゃいない。でしょう?」

「それは、そう、ですが」

「いい、よく聞きなさい」

 

 中尉はテントに彼女とカッサンドラ以外の人間が居ないことを確認し、声を潜めた。

 

「理由なんて魔力が減衰したと言えばいいから、早目に引退しなさい。稼いだ金でそれなりに暮らして、人類がどうとか、国の誇りがどうとか、そんな難しいことは無視しなさい」

「ですが!」

 

 大声を上げた少女にタリアはいいから、と静かに言い含めた。

 それは彼女の後悔なのだろう。カッサンドラ・レディを自らの基地に招くことを選んだのはタリアなのだ。死に最も近い戦場にうら若い少女を導いたのは紛れもないブリタニア空軍中尉、タリア・スミスだった。

 矛盾しているかもしれない。だがそれを弱さと呼ぶのは、余りにも情に欠けている。

 彼女が受け入れずとも、カッサンドラは他の前線に送られていただろう。

 しかし、如何なる選択肢があったにせよ、常に不機嫌で、不親切で、性格の悪い中尉殿は不義理にはならない程度の責任を感じていたのだ。

 最早、これを茶化しはすまい。優しさか、憐憫か、その根源は問わずしてタリアは年下の少女を、軍人としてではなく単純に普通の人間として気遣っているのである。

 気を配って、諦めろと告げているのである。

 

「結果はもう決まっている。でも、一部の化け物みたいな連中が輝かしい戦果なんて上げるから目が眩むの。お分かり?」

「そんなこと、どうして」

「見れば分かるじゃない。アフリカは、まあいいでしょう。他の地域で人間は何をやっている。協力なんて上辺だけ、戦後の取り分を必死に確保しようとしているよ。相手が何なのかも知らないのに」

 

 馬鹿馬鹿しい。

 本当にそんな調子で、戦争をしているつもりだから下らない。自分とて戦意旺盛とは言えないだろう。熱心な兵隊ではない。ならば、そのような上層部の為に死ぬ義理もない。

 じゃあ、とレディの声が震えた。

 

「なら、ならば、どうして中尉はここで戦っておられるのですか?」

「それは――」

 

 タリアの口が何度か上下に動き、閉じる。

 彼女は迷っているのだ。率直に言ってよいものか、それとも黙っておくべきか。

 

「そんなものは、成り行きだよ。それだけだよ。どうしようもないし、行き場もないからここにいる」

「――分かりました。では、私は飛行脚の選別がありますので、失礼いたします」

 

 冷静になったものだ。

 驚くばかりである。この基地に来たばかりのレディなら、噛み付いてきただろうに、本音を飲み込んで腹に据え置いて、引き下がった。

 気を遣われるほど、自分の顔は酷いらしい。

 机の引き出しから手鏡を取り出す。長く覗くことすらなかった。

 

「成程。酷い顔だわ」

 

 目の隈が真っ青で、頬は痩けて、髪は適当にナイフで切り揃えただけの化粧っけのない見た目だ。

 薬物中毒の患者のようだ。ひどい、ひどいとしか言えない。

 こんな顔になるから早く国に帰れと言っていればもう少し受け入れられたのだろうか。

 本音を言えば納得したのだろうか。

 人が死ぬ間際の心を読むのは嫌なのだと。

 自分の肩に遺骨が積み重なっていくのは、もう嫌なのだと。

 真っ直ぐに伝えていれば良かったのだろうか。

 

 タリアは一人で首を振った。

 そのせいでこの女は独りなのだというのに。

 

 


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