怠惰な魔女は眠りたい   作:ネコジマネコスケ

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酒とズボン

 誰に言うでもなく思うことだが、砂漠は暑い。ブリタニアに比べると暴力的なその日差しは、慣れない人間に気の毒なほど害を為す。自分も最初に配属された頃は肌が焼けて、皮膚が剥けて、泣きそうになったものだ。

 その時と比べると随分日に焼けて、世間に揉まれて、知らぬ間に人は大人になるものだと気付く。年を食ったようで気に入らないが、ふと冷静にそう思う瞬間があった。

 レディなどはよく泣き言を言わなかったものだが、何を思っていたことやら。知っているがからかう程の事でもない。

 現実逃避はここまでとして、目の前の副官に向き直る。

 

「それで、増員は?」

「いえ、延期です」

「……ストームウィッチーズは」

「ご存知でしょう」

 

 タリアは煙草の煙をペン先にふきかけて肩を落とした。

 彼女と同じく、天幕の下で副官も面倒そうな顔で首を振っている。彼としても上官の機嫌は気になるところだろうし、同時に現状の不遇を思えば自然だろう。所属する魔女は二人、片方は熟達と老兵の間の綱渡りで、もう一人は実戦経験が半年にも満たない新人である。少々安心感に欠けていると言わざるを得まい。

 太陽が直上に輝く真昼のことだった。物資と共に受け取った書状の文字に、部隊の管理を行う二人は額を突き合わせて唸っていたのである。

 慢性的な人員の不足、物資の不足、軍には付き物である。

 だが幾ら普遍的なものであるとは言え、現場で戦う者たちにそれを甘受しろと押し付けるのは不配慮が過ぎよう。戦争などというのは、銃を担ぐ者にとって最も不利な賭け事である。親となり利益を得るのは何時でも商人か、それとも国家か。

 ともあれ、数十万分の一の命など目にも入るまい。それは非情の成すところではなく、必然である。

 指揮官は、この場合実際に総指揮権を有する者たちは、それを恣意的に無視しているのだ。同情で勝てる戦はない。優先度の示す通り、冷徹に裁定を下し最良を目指す。それこそが求められる大局的な判断というものだ。

 

 物資はまだ足りている。レディの配属は未だ有効な手札として手の内にある。

 問題は人間だ。今回は人員が足りなくなってきているのだ。

 確かに自分を含め、この陣地で戦う連中は戦場に慣れてきている。それは良い意味でのことだ。油断をする者を嗜める存在も確実に育っている。新人卒業祝いに砲火を頂く者は少ないと、報告できる程度になってきている。素晴らしいことだ。

 しかし無いものは無い。勝手にそこらから兵士が生えてくるなら、無論質の悪い冗談の域だが、さりとてその程度の超常現象の発生を望むくらい、真剣に拙い。

 唯一と言っても良いこの部隊の取り柄は豊富な砲兵――砲台である。

 地上型のネウロイ撃退は当然として、時に空戦型にも牽制程度の効果を期待して使うことはある。臨時指揮権を賜っているからには有効活用をするしかない。

 ここで日曜学校に通う鼻の垂れた餓鬼でも分かる質問をしよう。

 大砲は如何にして自己の赴くままに砲弾を吐き出さん。

 答え、そんなことあるわけがない。

 火力を活かそうにも、砲手が居ないのではやりようがあるものか。教導すれどもモノになるが早いか死ぬが早いか。一度の増員が延期になっただけで火の車だ。

 単純に数を見れば問題ないが、技能などを慮ればのんびりと構えてはいられないのだ。

 こういう時には無性に酒が飲みたくなる。強い酒だ。そう、スコッチが良い。

 

「副官さん」

「ダメです」

「今から真面目に仕事をしようと思ったのに、そうですか。ダメですか。よし、なら――」

 

 立ち上がろうとしたら、思い切り頭を押さえつけられた。乙女の髪に気安く触るとはとんだ紳士も居たものだ。

 報告書やら陳情書やら、その手のものを弄ぶのは慣れていても嫌いだ。

 苦手ではないのが悩みもので、結局やってやれないのではないから始末が悪い。

 

「そんなことをするからパパ臭い、なんて娘さんに言われるのですよ」

 

 汗臭い、オヤジ臭い、などと成人男性の急所を抉りながらもタリアは書類の束に取り掛かる。汗の臭気に関しては彼女とて他人に指を指せたものではないのだが、自覚はないらしい。大抵の場合、深刻な脇臭症についても、隣人に指摘されて始めてそれに気付くというのが現実である。

 彼女の場合、部隊のほんの一部に限るが、()()()()()()()()()()()()()へと至った男性陣によって好意的な評価を受けているというどこまでも下らない事実があった。それ故に、しかし何故か、かの女性の放つ芳香においてそれを口に出すものは少なかったのである。

 勿論彼女も察する部分はあるのだろうが、自覚症状が少ないのだから対応も適当(おざなり)なのだろう。その辺りの変態的(マニアック)な趣味嗜好については考えないことにしたのかもしれない。

 それとも、どうだろうか。自らの体臭を感知する程近寄る者が居たとして、それが如何なる意味であれ、好意的なものであると思われていたとしたら――自称乙女の女性としてはどのように受け取ることだろうか。

 生まれてこの方、間違いなく異性に言い寄られるという経験をしたことがないだろう中尉殿である。未知の領域に関して素人が考える物事というのがどれだけ飛躍した論理を展開するのかなど、今更強調するまでもなかろう。

 そう、彼女が非常に愉快な思考をしている可能性も否定できない。だとしたら下世話にも実に胸の踊ることである。

 

 書類が勝手に内容を読み上げて、ペンが自動的にサインを書き込んでくれたならどれだけ楽だろうか。考えたことを直接読み取り、文字にして印刷してくれるタイプライターなど発明されないのだろうか。是非とも発明家には努力していただきたい。

 機械仕掛けの箒を開発したという男性など、そういった方面に進んでくれはしないだろうか。無理だろう。

 面倒である。仮眠を摂りたい。どうやっても一日二日眠っても万全の体調にはならないだろう。それでも休暇のひとつやふたつ、認可してくれても良いはずだ。

 サインを書き込んだ紙を文箱に滑り込ませ、肩を回す。

 改めて思うに、自分――タリア・スミスという人間ほど勤勉な者がどれだけいるだろう。怠けたいところを我慢し、滅私奉公、人類の為に日々戦い続けているのである。

 何も兵士に限った話ではない。一般人を含めても、これほどに一所懸命働く乙女は居るのだろうか。いや居ない。

 論理的に考察して、自分は休息を許されていると言っても良いだろう。否、それどころか神に休憩せよとお言葉を承って然るべき境遇だ。

 

「――酒」

「ダメです」

 

 酒が必要なのである。

 アルコールを廃するという人間は、浅学を恥ずるべきだと言える。

 まず酒類を摂取することによって生まれる経済的な要素を考えに入れていない。酒には比較的多額の税が課せられている。ということは、アルコールを禁ずるというのは明らかに国家の財政へと打撃を加える意見なのだ。

 総額がどうあれ、収入源の一つを封じる。それが即時的な経済への影響に留まらないことは明白である。一度廃止したものを再度復興させるということは、存続させるよりも多くの資産を必要とする。

 またそれが嗜好品であったとしても、質の良いアルコールを生成する技術は捨てがたい。医療と酒精の関係は遥か昔へと遡って語られるものだったと記憶している。要するに一側面を見て全体を否定するというのは、そのものに含有される大きな利点をも容易く潰してしまうのだ。

 最後に娯楽としての存在であるということ。これは戦場において、何物にも代え難い重要な働きである。賭博、薬、そして花売り、どれも危険はある。だが薬よりも幾らか安全で、賭博ほど金は飛ばず、その手の接触によって妙な病が流行ることも(依存性を除き)ない。

 安価で手に入る娯楽品なのだ。これを否定して強固な部隊を築くことは、困難を極めるだろう。兵とて時には羽目を外したい時もある。しがらみを忘れて騒ぎたい、そんな時に何よりの友となる酒。神は人に天使の代わりに酒を与えた。

 

 再度の確認となるが、タリア・スミスはアルコール依存症寸前の女である。彼女の述べた()()()()()が、全くもって個人の意見と偏見と屁理屈に塗れたものであることは、まず間違いなかろう。

 そんな駄目人間丸出しの女は何かを勘付いたのか片眉を下げた。

 

「スミス中尉!!」

 

 仏頂面に出迎えられたのは、部隊の顔として絶賛売り出し中のカッサンドラ・レディ少尉であった。彼女のブロマイドは既に制作され、近隣の市街にて販売中である。

 その写真が自らのものより良好な売れ行きを見せていることが、またタリアの機嫌を多少悪化させているのだが、当の本人は全く知らない。写真の使い道も知らない。

 

「ああ、良かったですね。今回はアタリ」

 

 レディは一人の若い男を引っ張って連れていた。ブリタニアの兵である。彼は拙いことになったとは露とも思っていない様子でこちらを眺めている。

 これで三度目である。扶桑の言い回しでは三度目の正直という。

 この新人はズボン窃盗犯を捕まえたと言って、テントに踏み込んでくること二回、誤認であった為に頭を下げる羽目になったのも二回である。

 

「どうですか。私だってやればできます」

「そうね。うん。今、仕事しているのよ」

「つきましては処分を如何しましょうかと」

 

 話を聞きなさい――と、それでもタリアはペンを置いた。

 カッサンドラもこの時点で上司の扱いを心得つつあった。面倒くさがりで性格は悪いが、押しには弱い。意見をはねつける労力を厭うて、諦めて話を聞く方向へシフトするタリアの癖を、少女は無意識の内に理解しているようだ。

 カッサンドラを宥めつつ、タリアは今のうちにと酒瓶に伸ばした手を叩かれた。

 

「……まあそれで、あなたが犯人ということはもう分かっていますけど、何か申し開きは?」

「いえ、申し訳ないと。つい出来心で」

「そう。お嬢さん(レディ)は?」

 

 レディはうんと唸った。

 

「いえ、まあ当人が反省しているというなら、盗んだものを返していただくだけで」

「あんた、正気? いや、それでいいの? 本当に返して貰いたいの?」 

 

 成程、この娘は()()()()だ。上流階層の尊き教育の賜物だ。

 ズボンを使ってこの若き兵が何をしたのか知らないのだ。嗚呼、如何に伝えたものか。純情な乙女を前にしてたじろぐのは勇者のみにあらず。

 いや、思えば自分とて固有魔法がなければもう少し疎かったかも知れないが、このままズボンを返却させて終いとするのは、良心が咎める。

 白状するが、そういった視線が自分から逸れたことで気が楽になった節はあった。

 だからある程度放置していたのだが、どうしたものか。現状人員を減らすことはよろしくない。営倉送りは得策でない。ならばどうするか。

 

 タリアが顎に指を当てていると、副官が口を開いた。

 

「では特務課へ編入しては如何でしょう」

「――ああ、その手がありましたね」

「特務課……? そんなもの、ありましたか?」

「私が作った懲罰みたいなものよ。通常の任務に加えて特別な任務があるってだけ」

 

 この若者は間違いなく同じことを繰り返すだろう。内心では全く悪いことをしたとは思っていない。返す時に要らぬ世話を焼こうという思惑すら見えている。

 それならば痛い目を見て改心して貰わねばいけない。

 

「うん。ではあなたには特務課への編入を命じます」

「は。了解しました。それで、特務とは?」

 

 タリアは副官に目配せをした。中年は頷くと足早にテントから退出し、数分後に小袋を手に戻ってきた。

 娼妓を有する部隊は、少なくともこのアフリカにおいては少ない。魔女への一般兵の接触には、割合は不明であるが、そういった恋愛感情以外の思惑が含有されている場合もあるということは否定出来ないだろう。

 そこでタリアたちは考えたのだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

「そこにグリセリン軟膏が入っています。適宜使うように。勿論、日中の通常の任務にも参加してもらいます。よろしいですね? その他の備品は詰所に」

「はっ……え?」

「まあ、そんなに利用者は居ませんので頑張ってください」

「ま、待ってくださいよ! そんな横暴が――」

 

 銃声がその抗議を掻き消した。

 事情を察してタリアに詰め寄ろうとした男の足元に、二つの弾痕が穿たれている。

 机の下から平和の使者を抜き、撃ったのが中尉だった。肝を冷やして硬直したのが若い兵と――ついでにカッサンドラである。

 

「私のズボンも盗んだでしょう。ついでに夜中に同僚の財布から金を摺った。新兵に脅しをかけて金を巻き上げたね。訴えがなかったから見逃したけど」

「い、いや、それは」

「四の五の言わずにさ。こっちの銃と、そっちの銃。ぶち込まれるならどっちがいい? 重要なのはそれだけだよ」

 

 どっちでもいいよ、とタリアは息を吐く。

 心底気怠そうな表情である。溜まった書類を片付けることに疲れていたところに、これである。彼女もいい加減処理してしまいたくなったのだろう。

 その行動の効果は覿面だったらしく、青年はすっかり大人しくなって身を縮こまらせた。無表情に近い彼女の顔が、口を聞けば頭を撃ち抜くとでも言いたげに見えたのだろう。眼帯と相まってやくざな外見であった。

 

「なら決定ですね。副官さん、お願いします」

 

 副官が兵を連れて行ったので、肩の力を抜く。もしあの上で反抗されたなら、撃たねばならなかっただろう。それが義務だ。幾ら人員が足りないとは言え、放置しすぎたのかもしれない。

 第一、日頃から威厳のあるように振舞っていればもう少し楽に話が収まったのだろうが、残念ながら常時締め付けて機能するほど上等な連中ではないのだ。

 すかさず酒瓶を開けて直接喉に流し込む。適当に取った瓶はワインだった。デキャンタージュもなしに飲んだので舌に澱の独特の感触がする。どうやら勿体無いことをしてしまったらしい。

 

「中尉……私、気付きませんでした」

「は? いや、何が」

 

 何故か悔恨の表情を浮かべるレディである。

 気付かなかったというが、それはもしかしてあの若い兵士のことだろうか。自分は眼のおかげで読み取れたが、何の固有魔法もない者が感知することは不可能だろう。

 気にするようなことではない。

 

 困惑するタリアに、カッサンドラは畳み掛けるように言った。

 

「あの人が銃を隠し持っていたなんて、どうして分かったのですか?」

「……あ、ああ。成程。そっちね、うん」

 

 どう言えというのだ。

 否々、まさかここで一般的な人体の発達と男女の性差を解説しなければならないのか。いや、流石にそれはお嬢様も知っているだろうが、先程の下品な例えを解説しろというのは拷問ではないか。

 

「それは、そうね。うん。そう、あの……人体の神秘?」

「はあ。それでどこに隠していたのです? ポケットなどではないですよね」

「ああ、いや。それはねぇ」

 

 股間に、などと言えるわけがない。貴族の教育はどうなっているのだ。もう少しやりようというものがあるだろう。この娘とくれば()()()()すら見たことがないときた。

 

 苦肉の策としてタリアが選んだのは、逃避であった。

 話を逸らす。それしか彼女の良心を刺激せず、そして羞恥心を掻き立てない対応はない。

 

「――まあまあ、それはね。追々勉強すれば分かるようになる。答えを最初に教えられるクイズなんて面白くないでしょう」

「そうですね……確かに、一理あります」

「そうそう。ああ、思い出した。あんたの実家、政府にどれくらい干渉できる? 支援が欲しいから、ちょっと頼めないかな」

 

 またもや唸り始めたレディだが、こちとら心の中はお見通しである。ある程度の影響力を持つことは知っているし、駒として長女はそれなりに有用だ。戦場でその命が浪費されることは望むまい。

 跡取りでなくとも横の繋がりの為に娘は使える。好都合にも魔女だ。容姿は良いし、軍へのコネクションを築くことも彼女の両親は見通しているだろう。

 それはそうと、疲れる質問攻めからは抜け出せた。

 力を抜いて、デキャンタを取り出す。せっかくの酒だ。旨く味わうに越したことはない。

 

 タリアはそのように酒瓶を傾けたが、目の前には口煩く規則に喧しいことで有名な少女が居る。そしてそういった人間は、得てして空気を読むということを知らない。

 取り敢えず、中尉殿がワインを楽しめるのは数時間後のこととなりそうだった。

 

 


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