怠惰な魔女は眠りたい   作:ネコジマネコスケ

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魔法のカード

 

 そこには封筒があった。厚さにして数センチにはなろうか。縦に置いてもそのまま直立することすらできるだろう。立てることそのものに意味はないが、いわゆる比喩表現というものである。中身は何か。正しく人の夢である。誰もが欲し、奪い合う。時として醜い争いの原因となり、時として争いを収める特効薬ともなる。

 如何なる魔女の創りし霊薬(エリクシール)か。それとも大自然の神秘とやらが生み出した代物か。

 否、(マネー)だ。金である。金銭、金貨、この場合は紙幣だった。

 積み重なった紙束が包みの質量と密度を上げているのだ。程よい重さ、心地の良い手触り、素晴らしいものである。有史以来人類が作り出したあらゆる物品の内で最も尊いものではないだろうか。

 

「あの、中尉」

 

 新人が怖々と何かを言っている。どうせ重要なことではないのだ。他人の思考を妨害するものではない。上司が相手ならば尚更である。この娘と来れば、不用意な言動と無駄に満ち満ちた反骨精神で砂漠の片隅に追いやられたというのに、未だ口煩く優等生的な苦言を呈して下さるのである。有難い限りだ。

 だが、何たることか。普段ならば鬱陶しいその声もこの日だけは耐えることができる。この手にある重みが何よりの報奨だ。

 

「中尉、よろしいでしょうか」

「何? ええ、今ならいいでしょう。訊いてごらんなさい」

「その、お持ちになっている給与袋は、私のものでは?」

 

 舌打ちの音がタリアの口から漏れた。まるで部下の給与を中抜きしてやろうかとでも思っていたような、非常に柄の悪い反応である。実行するかどうかという点は不明であるし、これまでに不道徳な行いをしてきたのかということも分からない。ここで描写出来ることとしては、二十三の女が不機嫌な表情で十五の少女に封筒を押し付けたということ、ただそれだけである。

 中尉殿が真に拝金主義者であるのかどうかは定かでない。少なくとも金子の重要性については大いに理解していることだろう。

 将官の懐にどれだけ上手く山吹色の焼き菓子を滑り込ませることが出来るのか。或いは金を回すことで彼らの嗜好にあった物資・人員を配備することが可能なのか。

 経済の一区画、特に出世という組織構造を賄賂という歯車で回そうとした時、金の延べ棒は最も燃焼効率の良い燃料の一つである。他にも使用可能な燃料としては、地位に家計、その他軍閥・出身等々、色とりどりの選り取りみどり。無論、誰もが全てを使用出来る程、安くないのは明らかだ。

 軍というのはどう足掻いたところで権力と切り離すことが不可能である。根本からして国家の運営に食い込んでいる。一国家はその国民によって成立する、などと高尚なことを述べる者もあるだろう。しかし、如何にお題目を並べようと金がなくては食料すら手に入らない。

 無理矢理に国が食料や土地を得んとすれば、それこそが国家間の紛争というものである。行き着くところは同じなのだ。

 

「額はそれなりにある。大事に使いなさい」

「……あなた、本当に中尉ですか?」

「何、没収されたいの?」

 

 いや結局同じことか、とタリアは上機嫌に漏らした。

 そう、珍しくも上機嫌なのである。皮肉な笑みは形を潜め、その顔に浮かぶのは厭らしい――もとい清々しい笑顔である。給料日に顔を顰めるものは少ないだろうが、それでも周囲の人間にとってみれば、女史が眉を寄せずして笑う光景など滅多に見るものではない。

 カッサンドラにとっても例外ではない。若き魔女は上官の変貌ぶりに冷や汗を流していた。彼女の心の声を代弁するのならば不気味、気色が悪い、意味不明、謀か。そのようなところだろう。

 何しろ彼女にとってみれば、上官殿が屈託もなく微笑む状況など想像もつかないものでしかない。驚天動地の領域である。現状屈託はあれども、嫌悪感を滲ませるような唇の歪ませ方をしていないというだけで少女は混乱をきたしている。

 

 全くもって失礼な反応である。自分だって嬉しいものは嬉しいのだ。

 例えば懐が温まった時、もしくは空腹が癒えた時である。一度か二度食料の配給が滞った際には死に目を見た。ネウロイを排除した直後に狩りに出て食料を調達する。あのような日々は二度とゴメンである。

 兎に角、今日は素晴らしい日だ。臨時収入を得ることができる。

 

 タリアは事前にやっつけておいた書類を文箱に放り込み、大きく伸びをした。出撃時以外はタンクトップ姿であることも多い女性である。カッサンドラの視線が一瞬恨めしそうなものに変わったが、彼女が気付くことはなかった。

 彼女はご飯にしましょう、と言って椅子を蹴倒した。

 時は夕暮れ、明々とした太陽が地平線に沈む時間帯である。この一日の内に襲撃はなかった。新人少尉は相変わらず穴掘りに駆り出され、その上司はコーヒーの世話になりながら机と向き合っていたのである。

 全員の財布が重くなった基地は俄かに活気づいていた。故郷の家族に仕送りをする者も、何か嗜好品を取り寄せようとする者も様々である。折を見計らっての市街地への遠征に賭けて箪笥貯金ならぬ鞄貯金に勤しむ者もまた然り。魔女のブロマイド購入に充てる男も少なくはないだろう。

 人気のある魔女の写真は高値で取引される。アフリカにおいてはマルセイユがその代表格であった。物々交換においてはこれに勝る品はない。金というのは使うのに場所を選ぶという意味では不便である。早々に現物に変えようという判断は間違いではない。手に入れることが出来るかというと、それはまた別の話であるが。

 ()()()()、勇猛果敢にして絢爛美麗なる少女の姿は目に優しいものだ。需要はあるだろう。ここで一つ蛇足だが、親愛なる中尉殿のそれは倉庫で木箱の下敷きになっていた。察するに無惨な程売れなかったらしい。

 さて、そういった次第であるが故、食堂は怒鳴り声と歓声とで賑やかな様子であった。兵にとって必要なものは適度な緊張と食糧、そして娯楽である。

 女遊びか酒遊びか、それとも賭博か。ここでは博打である。

 カッサンドラは僅かに表情を固くしたが、配給分の食事を受け取るとその不満を溜息に変えた。多少器用さを身に付けつつあるようだ。

 

「そんなに面白いものですかね、賭け事なんて」

「楽しいに決まっているじゃない。博打好きが家を潰したなんて話、古今東西珍しくもないでしょ?」

 

 自分ならばそのような間抜けなことにはならないが、博打というのは薬によく似ている。何となく熱中すると万事を賭け事に結びつけてしまうような気すらするのだ。もっとも、()()()()()を使っている自分が言えたことではない。ついでに自分も賭けが好きである。

 ポケットに突っ込んでおいたカードを机に叩きつける。乱暴に扱ったことに意味はない。

 新人の顔が瞬く間に見事な仏頂面へと変わった。賭け事やいわゆる行儀の悪い真似が嫌いな性質をしている。だがそれはそれだ。

 

「――家は潰さないけど、手元に有る札束を賭けることならできますね?」

「先程、大事に使えと」

「いやあ、ごめんね? 歳かな。忘れっぽくていけない」

 

 年増が、いい度胸ね――二人の視線がぶつかって火花を散らす。女の戦いは激しくも静かである。その初期段階においては、取り敢えず。第二段階、掴み合いの引っ掻き合いにシフトした場合は話が違うが、食堂の片隅で少女と女は周囲の空気を軋ませて向かい合った。

 両者の頭部に使い魔の部位は見られない。しかし何らかの魔力に類似した物質が、男臭い基地の大気に有り難くない花を添える。扶桑人だったなら、その色合いを菊の花と例えるだろう。

 要するに、タリアは哀れな新人から給料を巻き上げてやろうと言っているわけである。博打嫌いの新人に上官としての立場を利用して相手をさせるのだ。単に懐を潤すという意図だけでないことは確実である。

 カッサンドラ・レディとしては、この配属後初となる給料を実家の両親に送るつもりだったのかもしれない。弟妹に玩具の一つでも買ってやろうとしたのかもしれない。

 人情味溢れた一切の内情を笑い飛ばして、日頃の鬱憤を晴らしてやろうと張り切ってしまうのがタリア・スミスである。控え目に言って性根が腐っている。

 

 常在戦場、正にそのことである。敵が何時如何なる場所で現れるかなど分からない。今ならばいいだろう。成程、人類は連合軍として形だけでも連携している。しかしそれはこの戦役に限っての話だ。

 仮にネウロイを駆逐したとしよう。この殺風景な地平線の彼方まで、小数点以下の例外もなく連中を討ち滅ぼしたとしよう。有り得ないことだがその人の夢が成ったと仮定しよう。

 ならばどうなる。後に敵となるのは()()()()()。人類連合軍として手と手をとって団結した、その隣人だ。かつて握ったその手のひらをナイフで突き刺すのが軍人なのだ。

 だから、こういった流れには慣れさせておくべきなのだ。美辞麗句を以て若者を戦場に送り出す上官ども、二枚舌の乱舞する戦場、正常な士官ならば避けては通れぬ道である。

 扶桑には巧言令色鮮し仁(甘い言葉に気をつけろ)、という諺が古くより伝わっているらしい。だが泥を食らって金を吐くことすらも当然として求められる地位に就くのなら、巧言令色大いに結構。使わず死ぬより使って生きろ、である。

 これは指導なのだ。教導である。これより茨の道を行く部下へのささやかな教育(レッスン)だ。

 

「どうする? ポーカー、ブラックジャック、何でもいいよ」

「ちょっと待ってください。何で私がやることを前提にしておられるのですか」

「あれ、やらないの? いいのかな……どこかの誰かが博打をしていた上官に噛み付いて、挙句砂漠の端に送られたとか。そんな噂を聞いたことがあるけど」

「どうでもいいことは覚えておられますね!」

「若いからね」

 

 遂に歯軋りを始めた部下の姿にタリアは頷く。

 基本、煽り合いというのは性格の悪い方に軍配が挙がる。

 賭け事の強弱もそこに通ずる。ブラフもポーカーフェイスも、言うなれば素直に感情と思考を伝えない為の技法なのだ。

 結論から言えば、タリアは強かった。

 ()()()()()強かったのだ。

 

「降りる」

 

 レディの表情が歪む。良い手札だったのだ。ブラックジャックのルールは単純だからこそ奥が深い。感情の読み合いと咄嗟の判断が求められる。全くこの娘には向いていない。このゲームが、というよりも博打に向いた性格ではないのだ。

 思ったことはそのまま口に出る。考えたことを真直ぐ実行してしまう。感情を隠すなど不可能なのだ。観察していてとても面白い。

 新人の給与袋は厚さが三分の二程度に擦り減っていた。わざと勝たせて勢いづけて降りさせないようにしているのもあるが、負けず嫌いが幸いしてやめる気配がない。この娘、絶対にカジノで身ぐるみまで剥されるタイプである。

 魔女の給与は高い。せめてもの配慮だろう。都合がいい。一般兵よりも搾り取れる。

 

 賭博とはなんだったのか。確率論の追従する隙すら見えない完璧なプレイングである。降りるべき場面で降り、勝ちの機会を決して逃さない。好機を逃すとしてもそれすら計算。

 優れた賭博師は儲けない。兎に角負けないのだ。

 タリアはゲーム開始以来楽しげな表情を崩していない。それは崩す要素がなかったことも味方してのことである。

 半泣きの少女を前にしてご満悦とは中々にいい根性をしているが、彼女がそれだけ勝っていることもまた事実。

 お局が可愛らしい新人を虐めているその現場に踏み込んだのは、とある若い二等兵だった。

 

「あれ、中尉。賭博は禁止って言われていませんでしたか?」

「……気のせいよ」

「え、いや確かに……」

 

 タリアは何事かを口に出そうとした青年の襟首を力任せに引き寄せた。いいから余計なことを言うな、と彼女はヘッドロックをかけた男の耳に囁く。

 青年の顔はだらしなく緩んでいた。幸いにしてそれを目にしたものは彼の同僚のみである。必然的に彼は就寝までの予定を友人たちによる折檻で埋めることとなった。彼の幸福感の源は何なのか。その真相は彼の心に未来永劫美しき思い出として記録されるに違いない。

 しかしその口封じも手遅れだったようだ。二人の魔女が座る席の傍らには、副官に任命されている男が眇めた目で上官を睨めつけていた。

 

「中尉、以前申し上げましたことをお忘れですか?」

「いや、何のことだか……」

「確かに賭博は禁止と決めましたな? 着任したての新人から金を巻き上げないこと、と」

「人聞きの悪い。何のイカサマもしていないのに、ひどいじゃないですか」

 

 カードのすり替えや仕込みはしていない。あくまでも自分は自分の能力を有効活用して最大の利益を得ているだけだ。それをいかさま師のように言われるのは心外である。

 

 だが彼女の弁明など何のこと、副官は青筋を立てて怒鳴りつけた。

 

「街のカジノ一つ潰しておいてどの口が言いますか! 固有魔法を悪用する魔女なんてあなただけですよ!」

 

 ち、とタリアは舌打ちで返事をした。

 地獄で天から垂れた蜘蛛の糸を発見した誰かのようにカッサンドラが項垂れていた顔を上げる。自然、そこに湧き上がるのは一つの疑問である。 

 固有魔法とは何か。

 魔女は魔力を宿す。そして魔女の素質を持つ者は少ない。その少ない中の更に一部の魔女だけが行使する超常の力、それが固有魔法である。権能は様々であり、治癒や放電――果ては未来予知に至るまで――その力は多岐に渡るものだ。

 万能ではなくともその力は正しく魔法。アフリカの星、マルセイユなどもこれを保持しているとされている。

 

「固有魔法? 中尉が?」

「ああ、まあ。一種の念話よ」

「読心と正直に言われては如何ですか」

 

 余計な事を言う。

 良いではないか。この魔法のお陰で出世できないのだ。思考や記憶を読んでしまうのだから、それはもう都合が悪いだろう。本部にすら来て欲しくないに違いない。下らない。何が嬉しくて五十六十の男の心など覗くものか。

 迷惑しているのはこちらなのだ。目を媒体に発動するものだから不便極まりない。いわゆる魔眼というのに近いが、効果範囲が無駄に広いので腹が立つ。

 金儲けに使うくらい構わないはずだ。どうせ減るといっても金だ。生命を獲るわけではない。

 

「ということは、私の手札とか、全部分かって――」

 

 副官がカッサンドラの肩に手を置いた。

 出来レースもいいところである。相手の手など見えているも同然、思考が読めるのだから負けるわけがない。目を瞑れと言えば、それでは見えないと返されてしまう。

 そんなことだからタリアはギャンブル禁止とされていたのだ。誰ひとりとして今この時まで哀れなレディ少尉にそのことを告げなかったのは、誰かが口封じをした結果なのかもしれないが、憶測に留まる。

 

「返してください! そんなものはいかさまです!」

「嫌よ。何で」

「だ、だって不公平じゃないですか! 卑怯ですよ。汚いです」

「中尉、いい加減にしてください。そんなことだから悪評を流されるのですよ。売れ残りのブロマイド、もう忘れたのですか? 大赤字でしたよね?」

 

 残酷なまでの苦情の嵐である。これも日頃の、そしてこの日の中尉の行いが招いた悲劇であった。斯く言うこの副官も過去に金を巻き上げられ、故郷の娘にプレゼントを買う費用を奪い取られた者である。その甲斐あってか非難は轟々、言葉の刃は的確に女の急所を貫いていく。

 場末とはいえ部隊の指揮を任される程の魔女なのだ。普通ならばそれなりに人気は出る。その写真の収益が赤字となったということは、外部人気は推して知るべし。酷いことである。明言はするまい。

 タリアは少々の沈黙の後、据わった目をして十一歳、と呟いた。

 

「十一歳が何か?」

「最後に描いた水の都。純白のシーツのキャンバスに――」

 

 カッサンドラが拳を食卓に振り下ろした。大口径の拳銃を誤射したかと騒ぎになるほどの大音響が食堂に響き渡る。

 少女の顔は鮮やかに赤熱していた。ロマーニャ近郊の海で漁れる蛸を茹でたなら、丁度このような格好になるだろう、という具合である。

 タリアが優しく微笑みかけ、少女は頭を垂れた。

 

「少尉? 中尉殿、一体何を言われたのですか! そんなことでは」

「縄」

 

 副官の喉が一瞬で干上がった。

 タリアが何を言わんとしているのか、彼は理解したのである。

 非常に、非常に拙いことである。男にとっては途轍もなく非道いことである。

 

「……首輪」

「ちょ、中尉! 待ってください! 話し合いましょう。落ち着いて、落ち着いて」

「黒髪好きですものね、おじ様は」

 

 なんのことやら、と言いたげなお嬢さんにはまだ早い話である。

 自分だって知りたくはなかった。勝手に思考や妄想が入り込んでくるのだから仕方がない。ズボンのことも分かっているのだ。知っているから注意する気も起きないのだ。

 

「あの、黒髪?」

「いやいや、お嬢さん。単にね、おじ様は柴犬を飼いたいってだけよ」

「は、はあ。副官さんは犬がお好きなのですか?」

 

 この娘も大概単純だ。大いに助かる。

 身体を凍りつかせたままで言葉にならない呻き声を返す機械となった男は放っておいて、食堂から出る。仕返しだ。このくらいは許されるだろう。ブロマイドのことは漸く忘れてきたというのに、掘り返してくれたのだ。自業自得である。

 また少し休んで哨戒に出ねばならない。

 月は丸く、一際輝いているように思われた。戦利品は懐にある。眩しい程の月光はこの勝利を称えてくれているのだろう。

 この気分なら、心地よく仮眠を摂れそうだ。

 

 馬鹿らしくなって、彼女は白い息と共に短く笑った。

 

 


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