怠惰な魔女は眠りたい   作:ネコジマネコスケ

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熟練

 

 異形の襲撃はある程度予測されている。その予報に合わせて対策を練るのが常道だ。最近は外れることが増えてきたように思われるが、他の来襲を察知する方法というのは地道な哨戒、そして自分の固有魔法に限られてしまう。前者はともかくとして後者など採用以前の愚策だ。主に疲労という問題がそれを不可能にしている。自分が倒れては我らが基地など唯一度の襲撃で壊滅しかねない。

 思い上がりか。違う。事実である。苦々しくもそれが現状なのだ。

 新人はどう足掻いても新人で、魔力を持たねばその鋒は有効打足りえない。自分が文句をつけたところで何が変わるものか。不可能が可能へと切り替わることなど有り得ないのである。そのような夢物語が実現するというのなら、どれだけいいだろうか。科学の輩にも限界はある。魔法にも不可能はある。それが永久不変の実際である。

 軍に居り、魔女であるなら、戦う。戦わねばならない。

 確かに面倒は面倒だ。然れども怠慢が許される立場ではない。怠けたいが怠けられない。満足に休めないからこそ、最低限の休息を疎かにしてしまえば()()

 そう、本音を言えば休みたい。眠りたいのだ。

 ネウロイさえ来ていなければ、である。

 

「さあ、お待ちかねの出撃ですよ。嬉しいでしょ」

「……はい」

 

 大丈夫か、この新人。

 不安になるようなか細い返事がレディの喉から絞り出された。その胸中に渦巻くは死への恐怖と功名心。新兵にありがちなことである。悪いとは言わないが程々にして貰わないと戦闘に支障が出る。

 だが、戦っていただかねば困る。経験がないことは仕方がないが、それで終わっていては話にならない。恐れていては何も始まらないのだ。いや、恐れていても動けば何かが変わることもあるのだ。

 

 タリアは咥えた煙草を砂に吐き捨てて汗の滲む頭皮を掻き毟った。苛立ち、否、焦燥感からの仕草と見て間違いはなかろう。一応彼女の世話した新人の初戦闘になるというのに、当の本人が思いつめた顔のままでまんじりともしない。さしもの中尉殿も冷や汗を流さずにはいられないのだろう。

 真昼のことだった。直上に輝く太陽が殺伐とした喧騒を照らし出している。水を嫌うネウロイの特性から珍しいことではない。ただ決まりきったこととは言え、兵が些かの皮肉を感じることに不思議はなかろう。

 血を流すのは兵である。涙を流すのも、同時に泣く機能すら失うことも、人間にのみ押し付けられた権利であった。

 

 空に舞い上がる。使い魔の機嫌は悪くない。

 飛行脚の調子もいい。ひとまず自分の心配は要らないようだ。これから間違いなく足を引っ張られ続ける事になるのだから、この時点で不調が見つかれば、すぐにでも新人に基地での待機を命令すべきである。

 砂が口に入らないよう、スカーフをきつく締める。ゴーグルの革帯に噛んだ砂塵が擦れた。最初は痛いとその都度気にしていたが慣れるものだ。接敵までに再度弾倉を確認し、首を回す。

 

「今回は大型一機に小型が幾らか、それから地上戦力もアリ。あんたの任務は?」

「は、はい。大型の挙動に注意しつつ小型の排除。曲射砲の攻撃目標指定、及び弾着観測です。あと、空中戦力の排除の後に地上戦力の掃討も」

「よろしい、無理はしないように」

 

 通常間接射撃は観測、砲列、指揮がそれぞれ別個の班として設けられた上で行われるものである。勿論本来ならば一般兵でも観測は行えるが、自分たちの敵は異形である。観測兵を一々新しく手配・任命するのは非効率が過ぎる。

 可能性の話をしよう。通常兵器での破壊が困難ではあるものの、大型の火器ならば異形の迎撃も不可能ではないだろう。しかし非魔女の兵が携行する銃器では傷を助けることすら、らくだを針の穴に通すよりも難しいと言える。接敵しなければいい話ではあれども、理想の通りに事が進むことなど期待できない。何かの拍子に観測班が潰されては拙いのだ。

 以上の理由から、地上戦力が認められた場合に観測手となるのは自分、今回の場合はレディが適任である。最悪反撃せずに飛んでさえいれば、案外とどうにかなる。

 空戦魔女の戦闘において機動が重視されるのは、つまり敵の攻撃が回避できるからだ。こちらが敵を撃墜するまで生き残れば、勝てる。格闘戦の練度とはその論法をどこまで高度化せしめるか、それに尽きる。

 

 だというのに、とタリアは嘆息した。

 彼女の隣を飛ぶ少女の顔面は蒼白を通り越して紫がかっている。原因は当然極度の緊張、そして恐怖である。冷や汗は滝の如く、安全装置がかかっているにしてもその震える指がいつ引き金にかかるかと思えば、上官の心中は穏やかでない。

 友軍誤射(フレンドリィ・ファイア)など笑い話にもならぬ。タリアの任務は敵勢力の撃滅と新人の補佐、これにおいて背中を撃たれては堪らない。彼女のシールドはそこまで柔軟性に富んだものではないのだ。

 

「あのさ、もう少し肩の力抜きなさいな。確かに小型は面倒だけど、あんたの技術ならそんなに簡単には落とされないからさ」

「い、いえ……大丈夫です。問題ありません」

「そういう言葉はね、表情だけでも取り繕う努力をしてから言いなさい」

 

 薄々とは分かっていたのだ。この少女、本番に弱い。もっと厳しく言えば圧力に弱い。要するに打たれ弱いのだ。模擬戦の時も同じだが、一度失敗すれば調子を崩し、そこを突かれてまた失敗する。更に混乱して大失敗、であった。

 色々と文句は多いが指示には従うので分かりにくかった。順序が逆だったのである。嫌々物事をこなすのでその腹いせに無神経な言葉を吐き出すのだ。注文をつけるまではいいとして、反撃に弱いというのがどうにももの悲しい。

 よって負担の逃がし様がないこの状況では誤魔化せない。弱音の一つでも零せば助言のやりようもあるというのに、見栄っ張りもここまでくれば面倒だ。

 死にたくないのは当たり前、怖いのも逃げたいのも不思議ではない。せめて同年代の魔女が居れば吐き出せたのだろうが――こればかりは不運と割り切るより他がない。

 

 手を握ってやる程の温情をこの女に期待するのは間違いである。彼女はただ、開いている方の右目を魔力光に輝かせた。

 

「助けが要る時はすぐに連絡。何か不調があれば報告して。口に出せなくても自覚しなさい」

「問題ありません! 私は」

 

 命令、とタリアは部下の言葉を強引に捩じ伏せた。

 苛立ちの含まれた声に少女は口を噤む。同性ではあるが年齢の差は大きい。砕けてはいても威圧的な態度を取ることの少ない上司が、珍しくも語気を激しくしたのだ。気は強いが肝の小さいカッサンドラ・レディが黙り込むのも無理はない。

 危機にあってもそれを認知出来ないのでは対応が出来ない。如何にタリアが熟練であろうと、繰り返すが、不可能なものは不可能だ。

 

 墜ちてもらっては困るのである。生きているだけでは食料の無駄、という意見もあるだろうが、自分はそうは思わない。

 死んだ者に銃は使えない。砲撃を貰えば武器は壊れる。弾薬も無事では済むまい。飛行脚は修理できず、自分は死亡届を作成し、政府が遺族に弔慰金を出さねばならない。死体は働かないのだ。一人分の食糧の為に他の物資を無駄にし、金を出し、手間をかける。その方が余程無駄な出費である。

 レディについては今のところ物資源でもある。二重の意味で死んでもらっては困る。できるだけの援護をしてやるだけだ。

 

「さて、敵反応を確認」

 

 タリアは髪を掻き分け、無線機に呟いた。

 重々しい得物が僅かに嗄れた声を上げる。重機関銃だ。例によって彼女は名前に頓着していない。新人を守りながら戦うのであれば狙撃銃では難しい。背の鉄槌も鈍く熱を持っている。潤沢な魔力量によって打撃力は保証されている。

 対して彼女とロッテを組む少女は――呪文のように何事かを呟いていた。ただし、一人で。

 痛い、とカッサンドラが悲鳴を上げた。

 遂に堪りかねたタリアがカッサンドラの頭をはたいたのである。とてもいい音がした。

 

「あんたにも事情はあるだろうけど、今は忘れなさい。撃墜しなくてもいい。余裕があれば銃を構えるくらいでいいの」

「ですが……」

「あんたの任務は座標指定と弾着確認、それから私の背中から離れないこと。お分かり?」

 

 返事はなかった。

 遠方からの砲撃で途切れたのだ。斜めに展開した魔導障壁が殺意の奔流を受け流す。正面から受けるよりも楽だ。先制攻撃は敵に譲ってやった。仕方がない。次は貰う。

 大型一機、小型が十と少し。敵ながらきちんと編成されている。地上の戦車型の存在も考えると、本日の相手は多少気合を入れてきたようだ。何の関係があるだろうか。落とせば同じだ。いつもより疲れるだけだ。

 弾をバラ撒きながら掃射を躱す。小型の厄介なことは砲門が多数存在するということだ。多角的に狙われるというのは実に面倒である。運良く小型を一機落とせた。幸先は良い。

 

 着いて来い――タリアは大型の下方に針路を取る。彼女の後に自信のないエンジン音が続いた。二人を狙う射線が交差する。機銃も砲もあったものではない。空を舞う殺意という殺意が少女らを狙って殺到していた。

 無機質な赤光は止むことがない。その最中に魔女は鉛の魔法を叩き込む。古より繰り返された異形と魔女との微笑ましい触れ合いである。笑顔の代わりに凶器を交す争奪戦である。

 

「こ、こちらレディ少尉。攻撃目標を――」

 

 新人はそれでも任務を果たそうとはしているようだ。意外だったが感心である。

 どうあれ、敵は迅速に排除せねばならないが。

 間もなく地上では曲射砲による制圧が始まるだろう。だとしても過信はできない。あくまでも砲撃は足止めでしかないのだ。初めに曲射による侵攻妨害、砂丘を登られたならそこを塹壕から狙う。塹壕を越えられたなら詰である。

 

「四時方向、行くよ」

 

 身を斜めに切り落とすようなイメージ。発進するのではなく自由落下の感覚で射角の通らない懐に潜り込む。小型の射撃が左の頬を掠めた。摺り抜けながらぶん殴る。振り向きざまにハンマーの柄で新人を押し退け、尻を追ってきてくれた色男の中心を撃ち抜く。弾を数発無駄にした。

 数はそれほど多くもない。銃というのは便利だが、銃口の向いた方にしか弾は飛ばないのだ。左右に蛇行するだけでも格段に被弾率は下がる。射撃が当たればそれで良し、当たらなければ近付いてハンマーで殴ればいい。

 しつこい個体を目標とし、シールドを張った状態で突貫する。砲火を遮断、接近、粉砕する。大型が相手では通用しないが陣形を崩すのには有効だ。

 

 ただの経験である。

 カッサンドラ・レディに欠けていて、タリア・スミスに蓄積されたもの。正確な自己分析、敵戦力の把握、それらを含んだ行動選択こそがこの結果である。

 寄れば叩き、逃げれば撃ち、楽に避け、必要ならば強引に追い込む。その見極めが出来るか否か。

 シールドの使い方もまた然り。戦車による戦闘と同じ発想である。傾斜装甲の重要性と同様に、擬似的ではあるもののその強度を増加し体力を温存出来る。

 簡略化し、最適化する。手間を惜しむという思考はそこに行き着く。

 タリア・スミスは面倒くさがりで、女としては色々と終わっているが、幸か不幸か戦いには向いていた。

 

「ああ、全く」

 

 地上の敵が居ると手間が増える。対空砲火は中々当たらないが、当たる時には憎いくらいに追ってくるものだ。動いていれば当たるまいと思った時に限って、敵はやる気を出すのである。扶桑では空気を読むという文化があるらしい。そう思うと、取り敢えずネウロイは扶桑人が嫌いなのだろう。連中の空気を読まないことと来れば一級品だ。

 

 小型機を一掃したところで、タリアは大型から目を逸らさずに鼻を鳴らした。

 

お嬢さん(レディ)

「――は、はい!」

 

 それまでの感情に驚愕を大いに混ぜ込んだ表情でレディは応答した。そこまで驚かれると、これまでどれだけ自分は舐められていたのかと思ってしまう。それなりに経験のある魔女ならばこの程度はやってのけるものだ。しかし観測手としての役割は果たしていたようなので何も言わないでおく。

 大型を急いで潰す。終わったら地上の敵を片付ける。

 

「離れて待機。絶対に近寄るな」

 

 以上、とタリアは弾倉を入れ替えた。カッサンドラが泡を食って後退する。

 彼女の選んだ行動は、大型ネウロイの上方に突っ込むという明快なものであった。

 地上からの攻撃はそれだけで無力化される。何故ならば大型の、正にその図体が勝手に壁となるからである。となれば注意すべきは大口径の砲撃と機銃の射撃となる。

 わざわざ彼女が正面から攻勢に出たのは囮の意図もあるのかもしれない。

 

 砲火の嵐を潜り抜ける。大でも小でも生身に当たれば大差ない。デリンジャーだろうと8.8cmだろうと頭に当たれば人は死ぬ。同じことである。

 大型を相手にする時覚えておくことはたった一つ、コアを探すことだけである。

 中型にしても、であるが、ネウロイは原則コアを破壊しなければ消滅しない。敵の攻撃を避けるのは共通であるなら、特筆すべきは連中の巨大な体のどこにそれがあるのか見付け出す手間だ。

 

 重機関銃が火を吹く。深海魚のような形態の異形の装甲を鉛玉が食い荒らす。身体機能としてか何なのか、ネウロイは金属質の怒号を響かせた。

 硬い表皮を剥がされた恥辱に対してか。そのような神経が通っているのか。

 タリアは全くそのようなどうでも良いことを考えた。

 

 故意に射撃を集中させず、敵の表皮全体を削るように掃射する。

 これこそコアを見付け出す手っ取り早い方法である。場所が分からないのなら、適当に攻撃して探してしまおうということだ。自分ひとりでは幾つかの砲門を破壊するだけで弾薬を切らしてしまうので、この方が確実かつ楽である。

 崩れた装甲板の隙間から紅の光が漏れている。分かりやすくも中央だった。

 砲撃を無視、機銃の射線は面積を狭めた障壁で遮断し、肉薄する。渾身の力で修復の始まった装甲ごと打ち抜いた。

 

「さて」

 

 おじ様方を助けに行こうか――と。

 爆発から逃れ、いつものように気怠げにハンマーを肩に担いだタリアは、そこで漸く息をついた。戦場に想定外は付き物だが、何時だってドラマに溢れる展開が待っているかと言えばそうでもない。

 

 ――第一声は疲れた、そうと決まっている。

 水浴びをしたところで疲れまでが流れ落ちてくれるわけではない。そんな設備があれば是非とも導入をお願いしたい。何がどう転んでもこの部隊に最新の機器が配備されることなど有り得ないということは知っている。大人だって時として夢が見たいのだ。

 夕焼けが非常に、本当に眩しい。テントの中に差し込むものだけでも目が痛いほどだ。腹立たしい。太陽にケチをつけても仕方がないのは分かる。

 それも持ち主の居なくなった識別標を前にすればこそ、辟易する自分を非難する気は起きない。

 

 帰投後のタリアを待ち受けるのは被害と損害の報告である。そこに戦死者の報告も含まれるなら、彼女の疲労が尽きないことも肯けよう。

 

「中尉、一旦休まれては?」

「そうはしたいですがね、久々の格闘戦で疲れたのですよ」

 

 なら、と口を開いた副官に彼女は首を振って応えた。

 

「今寝たら、夜間哨戒の時間に起きられません」

「しかし……」

「そりゃ寝たいですよ。でも、これで襲撃があった日には永眠しちゃいます」

 

 有無を言わせず引き出しの薬を静脈に射つ。眠気覚ましとして重宝している。時々嫌な方へ入るのが問題だが、使わなければ無意識のうちにベッドへ飛び込むことだろう。

 仕事を早く終わらせるには、兎に角片端から片付けるしかない。新人に書類仕事を仕込もうとも考えているが、暫くは期待できまい。

 

「お嬢さんはどうです」

「ああ、食事をしてから寝てしまいましたよ」

「まあ、仕方ないですね。明日は朝から塹壕掘りですから、大目に見ましょう」

 

 報告などしてもらわなくてはならないことは多い。そうとは言っても初戦なのだ。無理に起こして機嫌を悪くされても嫌だ。この疲れている時にあの神経に障る声を間近で垂れ流されるのは御免こうむる。

 レディはと言えば、少々落胆した様子も見られた。自分の能力が期待したほどではなかったということではなく、まともに戦えなかったことが気になっていたらしい。地上型を相手にした時は悪くない活躍だったのだが、彼女としては不満だったようだ。

 

 タリアは副官に濃いコーヒーを淹れさせ、硬い椅子に深く座り直した。

 

「また人が減りましたよ」

「――そうですな」

「次の補充人員、いつ来るか覚えていますか?」

「近いうちに、だったかと」

 

 無気力に笑い、女は万年筆を手に取る。乱暴な字は単に育ちを表しただけのものか。

 数時間後、彼女はその日二度目となる出撃の為、テントを後にした。

 

 


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