怠惰な魔女は眠りたい   作:ネコジマネコスケ

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経験と年齢

 

 偏差射撃は空戦を行う上で必須とも言える技術である。

 敵機の機動を先読みし、軌道を塞ぐ様に弾丸を配置する。違う表現を用いるのならば、相手が自ら攻撃に当たりに行く形を作るということである。

 当然その実行には高度な空戦技術、的確な戦況判断――例えば三次元的空間把握などの技能が求められる。そして技能とは別として経験が生来の才能を補強する。なおこの場合の経験とは訓練、模擬戦、そして実戦、それらを複合的に解釈したものとする。

 手にした火器の特性、実際の運用、精神の作用。ここに列挙しかねる多くの要素を教本や製品情報のみにて補完することは、概ね不可能であると考えてもよい。

 さて、では何故このような基礎知識を述べているのか。

 その答えは模擬戦を五回ほど行った二人の魔女が示している。

 

「じゃ、一旦休憩。水飲みなさい」

「……了解」

 

 軽々とスレッジハンマーを肩に担ぐタリアと、息を切らして千切れた紙帯を握ったカッサンドラの姿は対照的であった。新人士官が肩紐でペイントガンを吊っていることからも、上司が制限を設けて模擬戦に臨んでいたことは明らかである。

 

 新人の戦闘技能は、決して悪いものではなかった。実戦経験がないという前提においては及第点を付けてやってもいい。何よりも基本に忠実。兎に角教本の通りに動く。自分は面倒で絶対にやろうとは思わない程の堅実な機動も、別に悪いことではない。

 勇猛果敢、大いに結構。だがそのお陰で簡単に死んでいただくのは困る。飛行脚に余裕があるのは事実だ。かといって無闇矢鱈と壊されては堪らない。人も物資も有限なれば、無駄な消費は困るのだ。

 その意味でお嬢さんの技術は悪くない。経費削減、物資節約。人命も貴重な資源なのだ。前回の新人と違って消極的に戦おうという姿勢は評価できる。

 

 少々表立たない話をする。

 ここでタリアはカッサンドラの慎重な戦闘傾向を良いものと考えている。ともすれば物資云々という件は、彼女なりの一種の照れ隠しであるというようにも受け取られるだろう。優しい性根を隠して敢えて冷たい態度を取る。魅力的ではある。

 然れども、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 彼女が配属されるまでのこの部隊に魔女は一人しかいなかった。ブリタニア所属のタリア・スミス中尉である。期間限定でそうではなかったこともあったが、親愛なる中尉殿が指揮を執るようになって以降、凡そ所属する魔女は一人でしかなかったのだ。

 一般兵の使うライフルや野砲の弾薬は人数の多さに伴って、少ないながらもそれ相応の量が送られていた。つまり同様に、魔女向けの物資も相応の量でしかなかったのである。嘗て部隊に所属していた魔女たちの置き土産があるにしても、余りに心もとない量であった。

 しかしこの度カッサンドラがロマーニャ軍から派遣されてきた。それは上層部に物資を要求する根拠となる。弾薬のみならず、食料や医療用品といった直接的な打撃力に該当しないものまでを手繰り寄せる材料となるのだ。

 魔女の命は()()。非魔女の兵と比べると格段に、である。命の価値を論ずることが傲慢という者もあるだろうが、()()軍を情で動かす程愚かしいことはない。重要な戦力を生かす為なら多少の融通を利かせることもある。

 ただし、この時は善意によって融通を利かせたというよりも、一方的にロマーニャから恩を売られる格好になることを防ぐ為という意味合いが強い。新人とは言えロマーニャの士官学校でトップの成績を誇った魔女を派遣させた挙句、ブリタニア軍所属の指揮官がそれを死なせたとあっては座りが悪いのだ。

 したがってブリタニアを始めとする他の国は表面的だとしても支援を行い、最低限便宜を図った形を採る。そうしなくては戦後が怖い。

 戦争とは往々にして戦前に結果が決まり、戦後にこそ成果を得る。何が相手だろうとその真実は普遍にして不変である。

 

 幸いにしてそれ故に、レディの存在は物資と等号で結ばれるのである。

 そして不幸にして哀しいことだが、自分は過去に少ない配給でどうにかやってしまった。追加物資を必要とする根拠をなくしてしまっていたのだ。そのせいで配給が少ないのだ。

 きっと、毎度厭味たっぷりの陳情書を本部に送りつけてやったこととは関係ないだろう。「()()()()()()()()()以前は扶桑の新人(十四の少女)がたった一人墜ちただけで済みました」などと書いてしまったのかもしれないが、何分二ヶ月程前のことなので定かではない。恐らくそんなことは書いていないはずだ。

 

「どうして当たらないのよ……」

「やりたいことを表に出しすぎ。あと上官には敬語。徹底しておきなさい」

 

 水筒を一本空にしたカッサンドラは大仰な仕草で項垂れた。圧倒的なまでの実力差を直視させられたのだ。年月を経た者が必ずしも若者より上を行くわけではない。然れども、今回の模擬戦においては、その経験の差があり過ぎた。

 

 基本的に模擬戦はペイントガン等で行うものである。

 語るにも残念なことだが、それは余裕がある基地だからできることだ。考えるだけで鬱々とした気分にさせられる。この部隊にその様な上等なものはひとつしかない。新人の訓練である以上自分が使うわけにもいかないだろう。

 よって扶桑人が行うという、細く切った紙を括り付け、それを標的として近接武装で狙う方式を採用した。敵戦力によっては自分も鉄槌を用いるので苦でもない。

 結果が五戦五勝、圧勝である。嬉しくもない。

 正直過ぎるのだ、この新人は。思ったことをそのまま実行してしまう癖がある。当たらないと思えば当たるように露骨な誘導を始めるし、太陽を背にしようという動きがあれば律儀に阻止しようとして上昇する。

 そこに射撃精度の粗さが加わってしまうのだからご愁傷様というものだ。

 間違ってはいないが、どういったものか。純粋である。否、単純である。未熟以前の性格としての問題だろう。

 何しろ、フェイントというフェイント全てに引っかかってみせるのだ。そんな調子なのだから、三戦目以降など柄にもなく嗜虐的に追い詰めてしまった。とても楽しかった。新人イジメは上官の特権である。

 

 性格の悪さを捻じ曲がった笑顔に表し、タリアは首をゆっくりと回した。枯れ木を手折るような音が鳴る。続く溜息が年寄り臭さを強調してしまっていた。外見が悪いわけではないのだが、この女の挙動というのは一々倦怠感に溢れている。

 大体ですね、と自棄になったカッサンドラが唇を尖らせた。

 

「何でそんなもの使っておられるのですか!」

「剣が折れたから持ち替えただけですよ」

「いや、それ以前に何でそんなものが……」

 

 実家が鍛冶屋なのよ、とタリア・スミスは細葉巻(シガリロ)に火を付けた。愛煙家の割には銘柄に拘らないようだ。この日はリベリオン製の安物である。味が分かるだけの味覚が残っていないのか、美味い、と彼女はぎらつく太陽に向けて煙を吹きかけた。心底忌々しいとでも言いたげな面である。

 カッサンドラが咳き込んでも、涙目で何かを訴えても、部下を弄って上機嫌な中尉殿は気付かぬふりを貫いた。新人の口煩いことについてはそれなりにストレスを溜めていたようだ。それにしても意地が悪い。

 

 赴任してきた頃から思っていたのだが、この新人は上官に対する敬意が足りない。自分がどれだけ敬われるべきものかと思えば仕方がないのかもしれないが、何時までも嫌々働かれては敵わない。

 勤務態度も評価の項目である。部下を動かす地位に居る者が、気に入らない任務に不貞腐れて噛み付くようなことでは拙かろう。命じられたことをやっていればいいというものでもないのだ。

 上司への円滑な対応、兵への働きかけ、それらは最早必須といっても良い能力である。部隊運用と士気の高揚、いずれも極めて重大な職務である。

 

 自らを正当化する為に必死になるのもまた、場末の戦場によくありがちな上官の有り様である。指揮官にあるまじきタンクトップ姿でよく言えたものだ。

 

「ま、これで少しは私を敬いたくなったでしょう」

「え、あ、はい」

「あんたね……もういいや」

 

 上官侮辱罪を発動してもよいのではないか、などと考えながらタリアは高度を下げた。彼女の足を覆うハリケーンが湿気た駆動音を鳴らす。

 敢えての選択であった。古い飛行脚は部品が手に入りやすい。砂塵によって故障が起き易いアフリカにおいては、単純な機動性能よりも整備性の方を重視するウィッチも多いのだ。

 模擬戦と訓練の終了を悟ったカッサンドラもその下降に付き従う。彼女の足に装着されている飛行脚も旧式のフレッチアである。部隊の予算が心配される布陣だった。

 

「――さて」

 

 注文は多いが、この新人にも物資以外の面で助けられることはある。

 というよりも助けられている、と言うべきか。

 

 二人が地上に戻ったのはアフタヌーンティーを堪能しようかという頃合であった。

 タリアの右目が部下を怒鳴りつけているカッサンドラの方に動く。少女はロマーニャ兵の顔面を声で威嚇しているようにも見える。タリアは実際そうなのだろう、と考えていた。

 カッサンドラは整備場を出たところで洗濯物に手を伸ばしている男どもに目を留めたのだ。その手の行先には一枚のズボンが爽やかな風にはためいていた。男所帯の軍において、その揺らめきは甘露の如く目にする者を誘惑する。どうやらその誘惑に負けた、正直な優男(ロメオ)が懐に仕舞い込もうとしたようだ。

 

 自分のズボンが紛失することは幾度かあった。ズボンのみならず衣服や下着がなくなったこともあった。犯人は分かっていたが、一晩経ってしまうと取り戻す気も失せる。何に使うのかは知っている。何に使ったのか想像できてしまう。そう思えばゴミ箱に捨てるのと大差はない。

 魔女のブロマイドではなく、彼らがお宝写真と呼ぶものの存在を知っているのだ。嫌悪というより呆れが先立つ。一応上官の私物を盗むのだから、それなりの罰を食らうというのによくやるものである。無論感心はしない。

 

「分かりましたか? いいですか、今後また同じことがあれば営倉に送りますからね!」

 

 その権限はこちらにあるのだが面白いので放っておく。

 生真面目に反応するから面白がって男衆もからかうのだ。可愛がられているのである。だらしないことも起こるが、菓子を分け与えたり食事を少しだけ増やしてやったりもしている。

 それを分かっているからカッサンドラも今回は見逃したのだろう。

 

「……怒るから調子づくのに」

「中尉はなんとも思われないのですか!」

「ズボンの一枚や二枚ならね」

 

 安眠を妨害されない限り勝手にさせておけばよいとすら思っている。注意したところで聞くわけもない。徒らに罰則を与えれば使える人員が減る。

 この部隊は歩兵戦力との連携を前提として戦闘を行うことも多い。特に航空戦力と共に地上戦力が認められた場合には、敵侵攻遅延の為曲射砲による支援が必須である。装填が数秒遅れただけで生死が分かれる状況において、人員の欠如は正しく致命的だ。

 要するに罰を与えるだけの余裕がない。世も末だ。

 

「普通そんなことを言うのは……」

「何?」

「いえ。あの、ふと思ったのですが、中尉はおいくつなのですか?」

 

 タリアは仮眠を取るべく自らのテントに向けて踏み出した足をはたと留めた。

 その止まり方は突然歯車のずれた機械のようだった。

 

「あんたが気にしても仕方がないでしょう」

「いや、単なる思いつきで」

 

 しばらく黙り込んでから、タリアは二十三、とだけ呟いた。

 

 魔力の減衰は軍属魔女の最も大きな心配事の一つである。魔力があるから戦えるのだ。魔法が使えるから同僚を守る事ができる。それをなくしてしまえば戦闘要員として軍に居続ける意味はなくなってしまう。

 残酷であるが、その時点で一線を退くより他がない。どれだけ同僚が苦戦しようと、どれだけ一般兵に犠牲が出ていようと、目の前でつい先日まで同等に戦えていた敵に友人が殺されようと――魔力を失えば何もできないのだ。

 個人差はあれ、十代が全盛期。それだけは多くの者に当てはまる。

 二十三歳という年齢はそういった意味で危ういと思われがちである。

 

「魔力は大丈夫なのですか!?」

「今のところ何ともないけど、何時まで続くか」

 

 いきなり飛べなくなるかも、と彼女は嘯く。

 

「そうなったら私は……」

「ま、一人で頑張ってね。ちゃんと本国から応援するからさ」

 

 冗談である。

 魔女は花に例えられることもあるが、花びらに皺が寄る気配もないのだから自分の体は意地が悪い。そんなことだから戦うしかないのだ。力があって、敵が居る。ならば生き残る為には戦うしかない。

 休暇の申請も通らないのだ。せいぜいこの新人には頑張っていただかねばならない。

 

 彼女はカッサンドラをテントの前で待たせ、一旦奥に入っていった。

 一分と経たずタリアはその手に新品の円匙(シャベル)を握って戻ってきた。表情はにこやかである。

 

「――ところで、さっきは何を言おうとしたのかね」

「ああ、いえ、お気になさらず」

「そ、じゃあ私は仮眠だから」

 

 タリアは円匙を部下の手に押し付けた。

 失言の代償は物理的に重かった。言葉になってはいなかったのだが。

 


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