怠惰な魔女は眠りたい   作:ネコジマネコスケ

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駆け回る日々

 

 砂を掘る。散々掘り続ける。延々と掘り進む。掘っては固め、掬った砂を麻袋に流し込み、数を数えるのが嫌になるほどにその作業を繰り返す。土嚢を積み上げる工程もあるのだから、時間を考えないようにする。炎天下、むさ苦しい男衆に混ざって従事する肉体労働は体力以上に気力を削ってくれた。

 上司の言うことにやたらと反発するのは愚策である。だが敢えて、心の中でだけでもこう言わせていただきたい。年増中尉よ、早く指揮権を私に寄越せ。

 思想は自由なのだ。口にさえ出さなければそれで済む。あの女が何を言おうものか。口の中で言葉を燻らせていては知る由もあるまい。

 誰にも文句など言わせるものか。遥々こんな僻地に来て何をするのかと思えば、もう二週間も塹壕を掘らされている。機械化航空歩兵とはなんだったのか。これではただの歩兵である。塹壕の整備と増築が重要であることは承知していても腹立たしい。

 魔女とは何時から塹壕掘りの代名詞となったのだ。

 

 そこには士官であるはずの自身がどうして二等兵がやるような仕事をさせられるのか、という憤りも含まれているに違いない。カッサンドラの表情はとてつもなく不機嫌なものだった。やたらしかめ面になっているわけでもないが、すっかり不貞腐れた御様子である。

 彼女が事前に予想したところでは、恐らく辺境の基地に送られ、新人ながらも訓練生として最優秀とも言える成績を残した自分がそれなりに活躍して、順調に隊員や部下に認められていくことになっていたのだろうか。否、そこまで楽観的ではないにせよ、それなりに良い待遇を期待していたのは確かであろう。

 ところが蓋を開けてみれば飛行脚の訓練すらままならず(配属以降一度のみ、しかも単なる基礎の復習)、只々竪穴を作り続ける日々である。悲しいが、未だカッサンドラ・レディは十五の娘である。不平不満は寧ろ必然、忠実に士官学校で学んでいたからこそ惨めさが増すのだ。

 射撃も飛行脚による機動の訓練も、まさか戦地において円匙(シャベル)で穴を掘る為に行われたものではなかろう。毎日のように土砂を切り崩し、土嚢を積み上げ、時として補強の木組みすら組み立てさせられる彼女の手のひらには、肉刺(マメ)の出来る段階を超えて(肉刺は潰れていた)硬いたこが形成されつつあった。

 しかもそれに準ずるが如く、神経質でしかなかった少女の表情もまた――堅く苛々としたものへと変わっていたのだ。一般兵の心労たるや、推し量るまでもない。軍隊というものは部下の下には部下が居り、更にその下には経験の多寡が地位として存在するものなのである。要するに割を食うのはいつも下端である。

 そこで切羽詰まった雰囲気の若い兵士がカッサンドラの煤けた背に声をかけた。

 

「少尉、こちらは我らがやっておきましょう。一度休憩を挟まれては?」

「何を言われますか。私は中尉殿、ええ、そうですね。タリア・スミス中尉のご命令を受けて掘っているのですよ。勝手に休むことなど」

「い、いえ。あともう少しですので、我々にも仕事を残していただきたいのです」

 

 真に控えめな二等兵の言い分であるが、その裏に機嫌が悪い新人士官に近くにいて欲しくないという理由があることは今更言及するまでもない。

 ただし、兵卒の内で誰が新人士官に進言するのかという尊い闘争があったことは明記すべきであろう。晩の安酒が勇者への報酬である。対価としては些か安価が過ぎるが、それも不運の一言で済まされるのは悲劇だろうか。

 

 そこまで言われてしまえば居座るのも心地が悪い。自分の仕事はまだ他にもある。正確には他にも命令を受けている。これ以上円匙を触っていなくて済むのならば、少しは心が晴れるというものだ。

 ではお願いしますね、とだけ頼んでおいて高い壁を乗り越える。普通の歩兵はほぼ例外なく男性であり、その背丈に合わせて作られた塹壕は自分にとって少々深過ぎた。女性としては平均的な身長なので当然である。

 

 さて、果たして貴重な航空歩兵戦力をこのように用いるべきか否か。

 こういった疑問に対する答えは、この隊の場合、是である。

 魔女の膂力というのはその魔力の許す限り一般成人男性のそれに大きく優る。彼女らが戦場で振り回す銃火器には非魔女にとって持ち上げることすら困難なものも多い。長期に渡る作業によって徒に兵の体力を消耗させることと、一人の新人を不機嫌にすること、どちらを取るのかという問題となれば自ずと答えは出る。

 これが戦闘経験のある、言い換えるのならば使()()()魔女だったのならば、或いは話が異なってくることもあるだろう。だが、カッサンドラ・レディという魔女を例にとった場合には――本人としては不本意だろうが――後者を選択した判断こそが正しいものと言えよう。

 

「済みません、前回の戦闘の報告書を」

「ああ、出来ていますよ。そこの机の上です」

 

 整備班の班長がスパナで指した作業台の上に、雑な字で書かれた書類は工具箱を重石に放られていた。その場で記入漏れがないか内容を確認する。

 この二週間で昼間の襲撃は三回、夜間の襲撃が二回発生したのだが、その都度の報告書に不備が発見されると自分が確認に走らされた。どのような形であれ部下からの書類を受理した時点で、その書類に対する責任は自らが負うことになってしまう。逆に言えば上司に上手く責任を擦り付けることも出来、それを知っているから中尉は自分を走らせたのだろう。それは理解しているが、穴掘りをした後で同じ道を往復するのは気分がよろしくない。休憩に入った班長を引っ張り出すのもバツが悪かった。よって今は現場で念入りに(一度不注意による確認漏れがあった)確かめるようにしている。

 

「はい、大丈夫です。確かに受け取りました」

「ええ、お疲れ様ですな、毎回大変でしょうに」

「これも任務ですから……はい」

 

 班長は少女の不貞腐れたような表情に、頬を太い指で掻いて口に出すべき言葉を誤魔化した。荒くれ者どもを纏める者であっても年頃の少女には弱い。常日頃の男所帯が、時折の少女との会話に苦手意識を植え付けてしまったのだ。

 ちなみに整備班は主にカールスラント軍の兵で構成されていた。言わずもがな、ロマーニャの男どもではこのような可愛らしい反応など望めない。軍属の魔女が入隊時より高い階級にありつけるのは彼らの輝かしき活躍のお陰でもある。

 余談であるが、タリアのロマーニャ人に向ける偏見というのは、そのあたりの事情が大きく影響を与えている。具体的なロマーニャ紳士たちの行いについては、紛失したタリアのズボンが彼らの背嚢の底に敷かれているのかもしれない、とだけ言及しておく。

 

 司令室は薄暗く、いつも通り煙草の煙で霞が掛かっていた。自分が入室する際には必ず一つ二つ咳き込んでしまう。どうしてこのような臭いが好きになれるのか分からない。そればかりか、旨いとまで口に出すその神経は理解不能である。そんなに煙を吐きたいのなら蒸気機関車の煙突にでも顔を突っ込めばいいだろうに。

 

「報告書をお持ちしました」

「はいご苦労。……うん、よろしい。あら、塹壕の方はどうしたの」

 

 部下に休むように言われてしまって、と事情を話すと、中尉は小さく頷いた。

 

「そう。なら物資の方に行ってもらいましょうか」

「だ、弾薬箱ですか」

「ううん、箱の弾倉に弾詰めておいて。訊けば分かるから。それから飛行脚はいいけど……あんたの銃、きちんと整備しておきなさい。使う時に使えないじゃ、お話にならないでしょ」

 

 またも雑用である。つい口を突いて出そうな文句を飲み込む。ここは軍なのだ。士官学校ではない。それに、確かに武器の整備はしないといけないと思い始めていたところだった。どうせ残り二週間は使う機会もないのだが、モノがモノなので念入りに磨いておかないと何が起こるか分からない。常在戦場、腹は立つが彼女の言うことは正しい。

 

「了解しました」

「はいはい、それじゃ駆け足。時間は有限だよ」

「――ところで中尉殿は今何を?」

「あんたが聞いてどうするのよ」

 

 ごもっともである。

 何となく意趣返しのつもりで尋ねてみたが見事な迎撃を受けた。自分が彼女の仕事を教えられたところで何にもならない。幼稚だった。上司の机にある冷めたコーヒーを見れば察しがつこうものである。自分が砂と格闘している中、彼女は襲い来る書類の山と揉み合っていたのだ。

 事務仕事というのは得てして軽視されがちである。それは勇ましい武勇伝と程遠く、地味で、一見して机と睨めっこをしているだけとも思われるからだ。飽くまでもそれは一般的な固定観念である。士官がその認識で居てはならない。事務方の業務なくして弾薬は前線に届かず、兵は飢え、そして必敗が待つのみである。文句を言いたくなることは多いが、それでも重要な仕事をしていることは理解している。

 

 短気な新人少尉はそうしてどうにか自身の不満に決着を付け、はて、とコーヒーの脇にある注射器に目を留めた。それ自体は何の変哲もない医療器具に過ぎないが、上官の机の上に鎮座している理由がない。

 

「これ欲しいの? どうしても欲しいなら余りはあるけど、オススメはしないよ」

「あの、何の薬ですか?」

「うん? ああ、これは元気の出るお薬」

「はあ……栄養剤か何かですか?」

 

 違うけど()()()()()()()()()()、とタリアは空の注射容器をくずかごに放り投げた。その表情は何処か後ろめたく、何時にも増して疲れたような影が見られる。

 カッサンドラの疑問に対して答える気はないらしく、彼女は不味そうにコーヒーを喉に流し込んで頬杖を突いた。半開きの片方だけの瞳が言外に部下を追い出そうと湿気を含んでいる。

 

 どうやら藪蛇だったらしい。これ以上機嫌を損ねても面倒なので、敬礼をしてからテントを後にする。薬に関しては噂に聞くシロモノなのかもしれないが、自分が口出しをする問題ではなかった。個人の意思で使用しているのなら介入すべきではないだろう。中尉に噛み付く程度ならばまだしも、モントゴメリー将軍に喧嘩を売るつもりはない。

 大体、今のところ週に一回は兵舎から大麻の臭いがしているのだ。どうして抗議など出来ようものか。大いに気に入らないが。

 

 忙しなく眼鏡の位置を直しながらカッサンドラは頭を振った。一度割り切ったはずの物事が延々と頭蓋に渦巻くのが彼女の癖らしい。

 軍人らしいきびきびとした歩調で、そして少女らしいちまちまとした歩幅で倉庫へと突入してきたカッサンドラを兵は生暖かい視線で出迎えた。彼らにとってカッサンドラは女性の範疇にあり、タリアは若干その範囲から外れつつある。

 

 銃口から手早く分解してしまう。そのまま鉄クズ入れにでも放り込みたかった。成程、どうやら自分は送り出してくれた教官殿に随分と嫌われていたようだ。分かっていたが思っていた以上に煩く思われていたらしい。

 幾らなんでもM30はないだろう。ブレダM30、言わずと知れた砂漠における最悪の軽機関銃である。百歩譲って威力の貧弱さは我慢するとしよう。自分がネウロイの弱点にまとめて当てることが出来ればどうにかなる範囲だ。

 だが汚れに弱く、耐久性も低く、連射速度も低く、装填が面倒で、その上肝心の精度までもが悪いとなれば手の施しようもない。わざわざ陸の方に手を回してまで新品を送りつけてくれたのだから涙が出る。クリスマスカードは添えられていなかったが、「くたばれ」と仰っているのだ。

 

 大きく溜息を吐いて少女は油で磨いてやった機関銃を組み立てた。押せば折れそうな可哀想な銃はゴミ箱行きを免れたらしい。

 カッサンドラの手が頼まれていた弾薬と空の弾倉を机の元に運んだ瞬間、彼女は愕然とした。

 

 ――ローダーがない。全て手作業で弾を込めろというのか。

 弾倉の多くは強いバネで弾を本体に送り込む構造となっている。

 よって弾をそこに押し込むにはそれなりの力が必要である。

 そして木箱には種類別に分けられた弾倉が、どう見ても数十は整列している。

 M30は挿弾子(クリップ)によって固定弾倉に弾を補充するという仕組みである。こうなってくると単なる劣等生が心優しく思えてくるのだから不思議である。泣きたい。

 

「――ああ、お嬢さん(レディ)、頑張っていますね」

「中尉……どうされましたか?」

 

 タリアが半泣きになったカッサンドラの元を訪れたのは、哀れな新人が指で弾を込め始めて一時間が経過した頃であった。三分の二ほどの作業が終わった光景を見て、彼女は少々の間居心地が悪そうに視線を彷徨わせた。

 

「あの、何か」

「ごめん。ローダー、作業着のポケットに入れたままだった」

「……中尉殿。弾倉の耐久性を実験したいのですが、よろしいでしょうか? ええ、有事に備えて人体への投擲を想定して」

「うん、本当にごめん。代わりに明日、飛行脚の訓練に付き合うからさ……よし、仕方ない。黄の14、マルセイユのブロマイドもつけちゃおう。どう?」

 

 中尉が盾にするように掲げたのは、自分の持っていないアフリカの星の写真であった。出回っているものと比べると気持ち幼いように見える。それだけ希少価値が高いということだ。

 何を隠そう、自分もファンなのだ。自慢だが彼女の名前はフルネームで言える。ハンナ・ユスティーナ・ヴァーリア・ロザリンド・ジークリンデ・マルセイユ。ファンを名乗るならばこの程度のことは出来て当然である。

 受け取ったブロマイドを大事に手帳に挟み込み、懐にしまう。

 

 新人士官が賄賂という文化を学んだ感動的なシーンであった。上官からの直伝である。なんと貴重な体験だろうか。

 

「ま、まあ仕方ないですね。物忘れは誰にでもありますから」

「なら良かった。ついでに言い忘れていたけど、武器はあるものを好きに使っていいからね。あんなもん倉庫の隅にでも置いときなさい」

「中尉……」

 

 そのような大事なことは先に言っておいてもらいたかった。だがあの()()()()()()を使わずに済むというならこれ以上のことはない。許可してくれるのだ。存分に使わせてもらうとしよう。

 きちんと良い(マシな)装備を回してくれる上司なのだ。何だかんだでこの中尉も意地が悪く、無愛想で、服装はだらしなく、説明を忘れはするが、悪い人間ではないのかもしれない。

 

 カッサンドラは他人のことを言えたものではないその仏頂面を緩めて、極めて正直かつ率直な礼の言葉を述べた。この時少女はタリア(上官)ブレダM30(劣等生)とを殆ど同様に解釈してみせていたのだが、本人は気付いているのだろうか。

 

「私、この隊に来て始めて中尉に感謝しました! ありがとうございます」

「あんたね、そんなことを言うからここにいるのよ? お分かり?」

 

 タリアは口をへの字に曲げた。

 

 


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