怠惰な魔女は眠りたい   作:ネコジマネコスケ

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輝けるもの

「レディ! カッサンドラ・レディ少尉!」

 

 タリア・スミスが苛々とした声を上げたのは、彼女とその部下が忙しい出撃から帰還して、仮眠から目覚めた夕暮れ時であった。往々にして不機嫌な顔が張り付いているような女ではあるが、怒っているという程に声を荒げることは珍しい。

 とりあえず未だ二十代であるからして、更年期障害という可能性は否定できる。気が短い女性でもない。平時のタリアは不親切に見えるし、時として意地が悪いように見える言動をすることもあるが、恐らく人格として性悪というわけでもないだろう。

 彼女の呼びかけに対し、そばに控えていた男は顎髭を親指で擦った。

 

「あの、中尉。どうされたのですか?」

「どうもこうもありませんよ、副官さん。あの神経質が勝手に掃除をしたおかげで、書類がどこにあるのか分からなくなっているのです。ああ、なんでこう余計なことばかり!」

 

 上官の机を無断で弄るとは何たることだ。

 これは別に、自分が掃除を怠けていたということではないのだ。

 日々使い慣れている仕事場だからこそ、どこに何が置いてあるかということは把握している。大抵のものは目立つように配置する上に、その場所を間違うという事態は稀である。当然だ、自分で置いた位置を忘れるなどという程年をとった覚えはないのだから。

 だが、頷かざるを得ないことは、確かにある。

 極々稀に、それこそ天文学的確率の上で書類箱が行方不明になったり、使い古したペンが自ら出奔したり、インクの瓶が転がってしまったりすることも、全くないわけではない。

 いや、だが、そのようなことは些細な問題なのだ。誰とて失敗はする。他人に厳しく自分に優しく、というのが性根の腐った人間だというのなら、自らに寛容になれる人間こそが他人を大事に扱うことができるというものである。

 

「中尉。私も整理整頓をなさるように、と日々申し上げておりましたが」

「私は何がどこにあるのかわかっているからいいのですよ!」

 

 仮にそれが事実だとすれば、掃除をする余地などない。

 この女、自らの所業を正当化する言い訳については一級品である。

 勿論のこと、部下が上司の仕事場を荒らすというのなら、特に軍において推奨は出来まい。ただし、今回の事情は荒れに荒れた畑の残骸を、雑草を抜き、地を耕し、再び実りある大地へと還元してやったようなものであるからして、その定義には当て嵌らないと言えよう。

 第一に、彼女は事前にカッサンドラからこの旨を伝えられていたのだ。すっかり当人は忘れているが、少女は出撃から戻ったところで上官に()()()()()(提案ではない)を伝達していた。聞き流して面倒臭いと適当に頷いたのは、中尉殿自身であった。

 

 何時からか、あの小娘はやたらと反抗的になったように思う。薬を使おうとすれば口煩く身体に悪いだとか金の無駄だとか、ご忠言をくれるようになっていた。

 別に他人が使うならば放っておいていただきたい。あれも戦闘に慣れてきてはいるが、単独で夜間哨戒に出せるほど楽観はできない。だから自分が毎度のこととして夜に出撃する必要がある。故に薬でもなければやっていけないのだ。

 何を言ってくれたところで将軍からの使用許可はおりている。大体こちらが立場は上だ。

 副官が溜息をついて、眉間を指で押さえた。

 

「おや、頭痛ですか。それとも目がお疲れで?」

「分かっているのでしょう、中尉。いい加減素直にご自分の非を認められては如何ですか。毎度のこと、子供じゃないのですから」

「まだ副官さんより若いですよ」

 

 年の事を男が口にすると、タリアは途端に――これは比較としての気分の落差であるが――機嫌を悪くした。机にべたりと突っ伏したまま、元から面白くもなさそうに寄せられていた眉が、その間の皺を深くしたのである。

 ()()()()()()()、と言ってはあまりに彼女が気の毒であるが、それなりに年のことは気にしているようだ。実際、女性に三十路が近い、など言うことは自殺行為と同じである。しかし、ここで副官が彼女に対して何か揶揄するようなニュアンスで物を言っていたということはない。

 単なる苦言。注文、忠告といったところだろう。彼は彼で、プライバシーに関わる部分では色々と問題がある、もしくは、極めて紳士的かつ熱烈的な被隷属的精神への崇拝者であると前置かねばならないが、一般的な意味において親切な男だった。つまり何事も、いくら異端とされうるような反倫理的とも思われる性癖であったとしても、表に出さなければそれは善人のそれと見分けが付かないものなのだ。

 

 どいつもこいつも、上官という存在をなんだと思っている。

 民間の話ではないのだ。これは軍事の話である。

 上官というのは偉くて当然だ。威張っているのが仕事なのだ。それをなんと心得ているのか。

 副官といい、あの娘といい、である。特に前者は今までここまで口煩くなることは少なかったように思うが、どうだったか。

 成程、合点いった。

 

「子供、ああ。副官さん……流石に、アレはないでしょう」

「違いますよ!」

「あ、扶桑人形でしたね、お好みは」

 

 男を黙らせるのにはこの話題が一番だと知ったのは何時だったか。

 人間凡そくだらないといって然るべき生き物だと思うが、面白いことに男衆というのは、仲間内ではどの娘と寝てみたいだとか、あの胸の形がいい、いや尻がいいなどと喋るくせに、こちらがお宝写真(グラビア)などを掲げて尋ねると黙り込むのが大半である。

 大体、連中がこの無駄に育った双子山を頭に浮かべつつ何をしているかということなど、とっくに分かりきったことなのだ。だというのに、この副官を含めてどうしてか彼らはいたたまれないような面をして地面を見つめるのだ。

 

「おお、いいことを思い付きましたよ、副官さん」

「やめてください」

「いえ、あの新人の前で肩が凝ると言ってみたくなっただけで」

「絶対に飛びかかられますよ、そんなことを言えば」

 

 タリアはげらげらと下品に笑って肩を回した。

 彼女にとって数少ない長所が胸部脂肪であった。勿論のこと、彼女自身それを自覚しており、煩わしいと思いつつもそこに多少の割合で優越感を感じてもいた。

 再三再四述べてきたことだが、カッサンドラのそれは名前の立派なことに比べると多少、少しばかり、気の毒と思える程度には貧相であった。肋骨の上に皮膚とせんべいが二・三乗っているようなものであった。実家はなかなか裕福だというのに、天が彼女に与えた耐寒性能はさほどよろしくないどころか恵まれていないと頷ける程に軽量化されていた。

 そしてカッサンドラ・レディ少尉は気が短い。改善の兆候を見せているとは言え、これは彼女の名誉に関わることだ。

 こういった事態に男性は慣れていない、というより慣れたくはないだろう。二股の末の痴話喧嘩、修羅場だというなら色男だと誇ることもあるかもしれないが、ただの女性の喧嘩に巻き込まれたいというのは、理解しがたい傾向である。キャットファイトを眺めたいというならともかくとして。

 

 そんなことを考えていれば、最初に怒鳴ったのを聞いたのだろう。貧しき者(レディ)がテントに踏み込んできた。

 

「――中尉、どうされたのですか。なにか御用でしょうか」

「まず、私の机を勝手に片付けないでちょうだい」

「事前にお伝えしていましたが」 

 

 カッサンドラが言った。

 

「ああ、まあそんなこともあったかもしれない。でもね、どこに何があるか分からないでしょう。困るのよね、そういうの」

「中尉……中尉。あの、メモが」

「メモ? そんなものどこにあるのよ」

 

 可能性としては、確かにありえない話ではないだろうが、その肝心のメモ用紙が見当たらない。見回してみても、どうにもそれらしきものは発見できない。

 

 これには位置関係を明らかにする必要があるだろう。

 タリアは比較的机との間に距離を設けず、天板に肘を突いて椅子に座っている。彼女が早速散らかした書類と筆記用具などもそこには転がっていた。

 灯台もと暗しという言葉が扶桑に存在するのだが、タリア=スミスの場合は今回は意図せずしてその諺を体現してしまっていた。

 例えばヘルメットを着用すれば視界が狭くなる。帽子を被れば上が見えなくなるのは当然のことだ。

 中尉、と言ったカッサンドラは、机の上――丁度タリアの胸の影で隠れていた書付を無表情で救出し、差し出した。そこには物品の在り処が全て丁寧な字で記されていた。

 

「あ、ああ、うん。そこにあったのね。いや、あー……」

 

 元からからかってやるつもりだったのだが、想定外のところで鼻っ柱をぶん殴ってしまった。

 こうなると追撃をかけるのは気が引ける。

 

 気まずい様子で煙管を探し始めたタリアである。

 何かと小心者なので、自分の考えを超えた事態には弱いのだ。

 少女は恨めしげにぶつぶつと口の中で呟き、遂にそれを言語化して口に出した。

 

「どうして……どうして中尉のはそんなに……」

「どうしてと言われてもねえ……血筋ってやつじゃないの、こういうのは」

 

 記憶を覗く限り、レディの親も似たようなものだ。自分の親もそれなりに大きい方だったと思う。

 馬や犬はかなり交配実験が進んでいたと覚えているので、たぶん人間も同じように親の性質が引き継がれるのだろう。男の上背などを考えると、やはり女の胸もそんなところではないだろうか。

 こういう問題はカールスラントのお家芸だったはずだが、思い出すとあの国はネウロイに滅法手酷く痛めつけられていた。そうなると豊胸実験など仮に誰かが研究するとしても発展は何十年と後の世になるだろう。何より何十年も後に人類が地上で生きていけているのかも怪しいのだ。そんな時に胸を大きくする試みなど、誰も手を出すまい。

 

 中尉殿は立ち上がりカッサンドラの肩を抱き寄せると、意味もなく何度も頷いてテントの骨組みを指さした。

 

「そう、そうね。このテントの骨組みみたいなものでさ。この中って骨組み以上に広くなることはないでしょう? それは、そう。うん、そういうふうに設計されたってだけでね、別に良いとか悪いとか、そういうことじゃないのよ。たぶん」

「そうですか」

 

 人によって事情は違う。

 この娘が訓練校でまな板だとか、そんな陰口を叩かれていたことは分かっている。

 打たれ弱いとは知っていたが、凹むところはここなのかと言いたくてたまらない。それを口にするほど馬鹿でもない。

 苛立ち紛れに弄って遊ぼうと思っていたのに、まさか落ち込まれるとは思っていなかった。

 

 彼女も意地は悪いが面倒見まで悪いというわけではない。

 すっかり消沈した部下に困った挙句、彼女は斜め上の行動に出た。

 何かくぐもった声がタリアの胸から発せられた。中尉殿は迷って混乱してか、胸の大きさで悩む部下を勢いのままに豊かな胸に沈めたのである。

 タンクトップであった。軍服などという味気なく硬い生地(軍服を好むという紳士もおられるだろうが)ではない、柔らかな綿の生地に雲を詰めたかのようなクッションに、少女カッサンドラは顔面から突っ込んだ格好である。なお中尉殿の顔はうなぎゼリーを調味料なしで食べてしまった人間を彷彿とさせる。

 

「あー、あの、うん。なんかそういうこともあるわよ。星の巡りが悪かったり、何かあるんじゃないの」

「……恨めしい、妬ましい……」

「あのね、あんたもう少し――ってやめなさい! 腹を摘むな!」

 

 追記しておくが、体脂肪の付きやすさというのもある程度遺伝する。タリアは要するに栄養素の吸収率が良いのだろう。

 悪態をついていた彼女はふと、自分たちを見つめる暖かい不愉快な視線に気がついたようで、顔を中年の男の方へと向けた。

 特務課に補充人員は必要なかっただろうか、とタリアが考えたことは想像に難くない。

 

 

 

 ――転じてそれは真夜中の上空であった。

 

 雲が千切れて月光を透かしている光景は、見慣れていても悪くはない。良い具合の三日月なので、これを写真に残したなら見事なものになるだろう。

 最近の子供はよく分からない。あれだけ自分に突っかかってきていたのに、飯を食うなりあの娘は寝てしまった。寝ている姿だけなら可愛らしいと思わないわけではないのに、起きてしまうと口煩く細かく面倒事ばかりを引き起こす厄介な部下になるので、人生とはままならないものだ。

 

 寒い、と呟いてタリアはマフラーを巻き直した。未だ彼女はカッサンドラを夜間哨戒にやることだけは許していなかった。タリアがナイトウィッチの真似事をしているのには、彼女の固有魔法がある程度レーダーの役割を果たすからという理由がある。

 未熟な魔女では最悪先制攻撃で墜落させられかねない。そうなってはこれまでの彼女らの努力は水泡と化す。慎重になりすぎるくらいで丁度良いと中尉殿は考えているのだ。それが攻め時ならば違うだろうが、人類は未だ防衛戦の真っ最中である。彼女はそれを十分に解していた。

 魔女の命は重く、魔女の力は大きく、魔女のもたらす影響もまた、当人の認識を超えるまでに肥大化しがちである。

 だから駄目なのだ、と彼女は部下に数回言い含めていた。

 

 あの娘もよく生き延びているものだ。

 今までで最長記録かもしれない。新人という意味なら間違いなく記録を更新しているだろう。

 ならば新人以外は、というと嫌な気分になる。

 何人が死んだことか。何人が堕ちたことか。死んだ中の何人が生きていれば、今も自分は満足に眠ることができていたのだろうか。

 問うても仕方があるまい。だが、一人の空はどうにも気分を感傷的にさせる。

 終わったことは考えても意味がない。

 あってもらっては困る。

 意味がある死など、そんなものは考えたくないのだ。

 

「おや、来た」

 

 彼女の固有魔法が大きな反応を示していた。異形の接近である。

 タリアはそれが稀に見る豊作であることを感知し、通信機を口元に近づけた。

 

「こちらクローバー7。応答願う。繰り返す。こちら――」

 

 あまりに反応がないので耳から通信機を外して眺めると、無線が一切働いていないことが表示の不具合で察せられた。即ちどういった次第か、通信圏内にいたはずの自分が味方との無線通信を絶たれたということだ。

 すわ故障か、と拳で叩いてみるが何も変わらない。整備班が怠けたわけでもないし、自分は基地を出る際に機器に異常がないことを確認している。

 

 ――ああ、成程、そういうこと。

 タリアは下げたライフルの弾倉を確認し、危機にも拘らず穏やかに笑った。

 

「機能特化型。通信を阻害する機能ね。ああ、そういうのは人が多いところでやってくれると嬉しいけれど」

 

 10や20ではきかない数だ。

 どうして今更と思うが、戦果は戦果ということなのだろう。ここ以外の区域が突破できないなら、戦力を集中させて、例え戦略的価値が少なかろうと防衛戦に穴を開けようとするのは道理である。

 この基地を突破して回り込む、或いは拠点・巣にしてしまうのか。

 何にせよ素通りさせるわけにはいかないだろう。反転する余裕はない。現在自分が敵の通信妨害圏内に入っているのなら、むしろ退いて基地全体をその領域に入れてしまうのは拙すぎる。しかもそれ以前に数が数なので、基地の全戦力を集中させたとて撃退は厳しかろう。どうあれ援軍が呼べなくなるのなら死体を増やすだけになる。

 

「となると、仕方ない」

 

 タリアは不意に左手を顔にやった。

 涙を拭く動作にも似ていたが、違う。

 その手は左目に掛けられた眼帯に触れていたのだ。

 否、触れたのではない。その手は眼帯を剥ぎ取らんとしていたのだ。

 

 撤退は無理。敵殲滅など論外。ならば無理を通してでも踏みとどまって、魔女の援軍を待つしかあるまい。

 自分だけならば、それが可能なのだから。

 

 明るい夜闇に炸薬が破裂し、初段が幅広の傘をもつ茸のような形状の大型ネウロイを狙撃した。

 スコープに押し当てられた右眼と共に、そこでは()()()()()()()()()()()()()()()魔力光に燦然と輝いていた。

 


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