「まさか、君があの時の女の子とそんな関係になってるとはな」
「……まあ、色々偶然が重なったんですよ」
約一年ぶりに再会した平塚先生は、相変わらずの長い黒髪にスーツ姿だった。そして、多分ど……
「歩くか?まだ高速出てないが」
「いえ、遠慮します……」
読心術の達人である。決して独身だなんて考えてないからね!
先生は俺の方を一瞬チラリと見て、どこか嬉しそうに微笑んだ。
「いい顔つきだ。初めて君を見た時と見違えるようだ」
「そりゃあ、時間が経てば嫌でも変わりますよ」
「誰もがいい変わり方をするとは限らない。彼女との出会いは君にいい変化をもたらしたんだな」
「……そうですが、それだけじゃないですよ」
「?」
「先生や奉仕部……それに依頼で関わった奴等もいます。まあ、本当にいい変わり方してんのかは今はよくわかりませんけど」
「……そうか。そう言ってもらえて嬉しいよ」
結局、今の自分は過去の積み重ねなのだ。先生が俺の変化をいい方向へ受け取ってくれたのなら、それはそれまで出会った全てが関わっているのだろう。
窓の外に目を向けると、既に空港が見えてきた。
俺は、積み重なった過去のど真ん中にいる特別な人の姿を思い浮かべた。
*******
高速を降り、空港まであと少しだが、何か事故でも起こっているのか、渋滞が発生していた。
平塚先生も舌打ちしながら遠くを見るが、状況が改善する気配はない。
「……ここにきて渋滞か。すまんな」
「いえ、先生のせいじゃないんで……あの、ここからは走ります」
ドアを開け外に出た俺に、先生は驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔で頷いた。
「先生、本当にありがとうございました」
「ああ、行ってこい!」
礼を言い、ドアを閉め、全力で駆け出す。
これはこれで俺らしい展開だ。
全力で走るのは久しぶりだが、少しの不安もない。
すぐそこに彼女がいることを考えれば、足は驚くほど軽く思えた。
「はっ……はっ……ことり……!」
思わず彼女の名前を口にする。
ずっと目を逸らしていた。
肝心な事から逃げていた。
諦めるのに慣れていた。
それが当たり前の事に思えていたから……。
だが、今は違う。
今だけ手を伸ばせば、声を上げれば、何かが変わる気がする。
俺は歯を食いしばり、必死に脚を動かした。
*******
「ことりちゃん、元気でね!」
「手紙送りますから。それと、体には気をつけてください」
「はい、お守り。皆応援しとるからね」
「うん、ありがとう!」
皆からの励ましの言葉が胸に沁みるのを感じながら、私はこの前の電話を思い出した。
『……頑張れ』
不器用な応援の言葉。ぶっきらぼうでも温かい声。
直接聞く事はできないけど、私は……それで十分だから。
二人で過ごした時間の中で、彼の優しさを……温もりを心に刻んだから。
私は……
*******
「ことり!!!!!」
「えっ?」
大声を出すのが久しぶりすぎて、自分の声に驚いたが、どうにか届いたようだ。もちろん、周りの目も一斉にこちらに向けられるが知ったこっちゃない。
俺は、驚きに目をぱちくりさせている彼女の前に立った。どうやら、まだ俺が目の前にいるのが信じられないようだ。
「え?は、八幡、君?……どうして?」
「はぁ……はぁ……わ、悪い。言い忘れた事が……あった……」
「言い忘れた事?」
息を整えながら、何とか彼女と向かい合う。
今だけは周りの視線も騒音も気にならなかった。
不安げに揺れる瞳を見据え、はっきりと一文字一文字噛みしめるように、彼女に届くように、俺は想いを口にした。
「……ことり…………お前の事が好きだ」
「っ!」
ことりは驚きに目を見開き、口元を手で覆う。
周りにいるμ'sのメンバーからも何やら声が上がるのが聞こえる中、ことりはふるふると首を左右に振り、こちらに一歩踏み込んできた。
「……何で?……どうして?……私、今からパリに行くんだよ?」
「ああ、もちろん応援してる。それは変わらない」
「じゃあ……何で……」
「……待ってなくていいから」
「え?」
「別に待ってなくていい。必ず……俺も、お前みたいに夢見つけて、叶えるから。お前の隣に立てるように頑張るから……それだけ伝えたかった……」
「……………………か」
「?」
「八幡君のばかっ!」
ことりは初めて怒った顔を見せ、ぽかぽかと胸元を叩いてくる。
その瞳は、今にも溢れ出しそうな涙で濡れていた。
「ばかっ!ばかっ!私の気持ち、考えてよっ!」
「……悪い」
やがて涙は音もなく頬を伝いだす。
俺の制服の袖を掴んだ彼女は濡れた瞳で見上げてきた。
頬は紅潮し、薄紅色の唇は震えている。
その綺麗さに目を奪われていると、やがて言葉が紡がれていった。
「私だって……私だって……八幡君が好きだよぉっ!」
飾らない真っ直ぐな言葉。
その響きは、不思議なほど優しく心を貫いた。
そして、彼女は勢いよく抱きついてくる。
久しぶりに鼻腔をくすぐった甘い香りは、あのクリスマスの日と変わらなかった。
俺はそっと彼女を抱きしめる。ずっと欠けていたパズルのピースが見つかったような気がした。
「……ことり」
「八幡君……好きっ……大好きぃ……」
「……言うのが遅れて悪かった」
「ううん……私も言わなかったから……怖かったから……八幡君と離れられなくなるのが……好きになりすぎちゃうのが……」
「そっか……それは、まあ……俺もそうだ。好きな分、怖かったよ」
「でも……大丈夫だよね。また、会えるよね。会えるんだよね。私も……八幡君の隣に立てるように頑張るから」
「ああ……だから……行ってこい」
「うん」
ことりの体が甘やかな感触と体温を残してゆっくりと離れる。
見つめ合うと、そこにはいつもの笑顔があった。
「……あの、八幡君。ボタンちょうだい?」
「あ、ああ。学ランじゃないけど……」
一番上のボタンを外し、彼女に手渡すと、それを大事そうに抱きしめた後、そのまま唇を重ねてきた。
俺もそれに応え、お互いを刻みつけ合う。
「…………」
「…………ん」
一つに溶け合うような深い口づけも、やがて離れていく。
ことりは自分で涙を拭い、さっきよりも力強い笑顔を見せた。
「そろそろ行かなきゃ。またね、八幡君」
「……ああ、またな。ことり」
そして、搭乗口へと颯爽と歩いて行く。
彼女は振り返らなかったが、そこに迷いも不安もなかった。
きっとまた逢えるから。逢ってみせるから。
その時に最高の笑顔を交わせるように、今日という日を心の奥深くに焼き付けるように、その背中を見送った。
見えなくなっても、しばらくそのままでいた。
*******
離陸した飛行機の中。私の心の中は、驚くほど穏やかで、そして前向きだった。
「八幡君……」
掌には彼のくれたボタンがある。その小さなボタンには、まだ温もりが確かにある。
それをペンダントに仕舞い、遠ざかる日本を見下ろした。
私も待っててなんて言わない。
絶対にあなたの元へ行くから。
……大好きだよ。八幡君。