また少し時間が経つと、受験生にとっては少し早い桜の時期。桜の咲いた俺は、その日の夜に彼女に電話した。
「……もしもし、八幡君。この前はいきなりごめんね」
「いや、大丈夫だ……その……クッキー、ありがとな。美味しかった」
「あ、うん。どういたしまして……ふふっ、八幡君にしては素直だね」
「俺はいつでも素直だが……自分に対しては。それよか、報告がある」
「どうしたの?」
「……その……言ってただろ。受験結果聞かせろって。受かったから連絡したんだよ」
「あっさり言っちゃうんだ……全然溜めないあたりが八幡君らしいね……おめでと」
「……ありがとう……それと、この前の事なんだが……」
「八幡君」
「?」
「私ね、あっちに行く日が決まったよ」
「……そっか。いつだ?」
「八幡君の卒業式の日と同じ……」
「…………」
「あっ、その……ごめんね?」
「……謝らなくていい。てか、謝ることなんか何もないだろ」
「あはは……」
「……こういう時、何て言えばいいんだろうな。俺が人に対して頑張れって言うのも違う気がするし……」
「そんなことないよ。八幡君からなら嬉しいな」
「……じゃあ……頑張れ」
「うん。八幡君も……頑張れ」
どちらも慣れない響きに笑い合い、「じゃあ」と通話を終える。
……見送りいけないのは……いや、俺は行かないほうがいいだろう……どうせ、音ノ木坂の友達が沢山来るだろうし。
俺は心の中でもう一度「頑張れ」と念じて、読書を始めた。
そのまま文字列を追っている内に、何の感動もなく一冊を読み終えてしまった。
*******
三月になり、総武高校は卒業式の日を迎えた。
アニメやゲームの世界のような満開の桜の演出はないが、人生の一つの分岐点だと考えれば、少し感傷的な空気に浸れる。
ベストプレイスにて、ぼんやりと青空を見上げながら色々と考えていると、誰かの足音が聞こえた。
「あっ、いたいた!八幡!」
「……戸塚?」
戸塚がいつになく真剣な表情で駆け寄ってくる。ちょっと早めの第二ボタンのおねだりだろうか。ブレザーだけど。
起き上がり、制服を整え、心の準備をすると、その瞳から感じた何かに、頭のスイッチが切り替わった。
「……どうかしたのか?」
「八幡……卒業証書は代わりに受け取るから、行ってきていいよ」
「行くって……どこに?」
「言わなくてもわかるでしょ?」
「…………」
いきなりすぎるが、すぐに何の事を言っているのか理解した。
戸塚が何故知っているかなんて容易に想像がつく。
俺は頭の中に、瞼の裏に彼女の顔が浮かびそうになるのを堪えた。
「……もういいんだよ。ちゃんと終わらせたから」
「本当に?」
「……嘘ついてどうすんだよ」
「そんなに、哀しそうなのに?」
「っ!」
つい自分の頬に触れ、できもしないのに確認しようとしてしまう。
「八幡よ。行くがいい」
「……材木座」
無駄にいい声で登場した中二病は、普段……いや、初めて見せるようなシリアスな空気を醸し出している。
「お前までどうしたんだよ」
「いいから聞くがいい。マユミから連絡があったのだが、搭乗時間を考えると今から出てもギリギリなのだ」
「いや、だから……っ!?」
戸塚がいきなりバチンと俺の顔を両手で挟み込み、じっと目を合わせてくる。
「八幡、本当にそれでいいの!?」
「…………」
「小町ちゃんもずっと心配してたんだよ?由比ヶ浜さんや雪ノ下さんだってそうだ!八幡、全然大丈夫じゃない!」
「…………」
「僕がしてるのは余計なお世話かもしれないし……その……恋愛とか全然わからないけど、八幡が今のままなのは絶対に嫌だ!」
「っ!!」
真っ直ぐな言葉が心に突き刺さる。
俺は瞑目し、彼女の……ことりの姿をはっきり思い浮かべる。
…………伝えてないこと、あったな。
「戸塚……」
「?」
「……卒業証書、代わりに受け取っといてくれ」
「うん。じゃあ、早く車に……」
「車?」
「ほら、あれ!」
戸塚が裏口の門の方を指さす。
そちらに目を向けると、赤いアストンマーチンが泊まっていた。
「あれは……」
「雪ノ下さんに頼んだんだ。連絡先知ってたから」
「…………」
わざわざここまで……。
胸の奥に、じんと温かいものを感じていると、戸塚は俺の背中をバシンと叩いた。
「さ、早く!」
「……ありがとな」
全力で裏口の門までダッシュすると、背後から声が飛んできた。
「八幡よ!さらに向こうへ!プルスウルトラだ!」
……やっぱり材木座は材木座だった。さっきまでのシリアスが台無しである。
俺は苦笑いしながら、助手席のドアを開け、挨拶しながら乗り込む。
「……お久しぶりです」
「お客さん、どちらまで?」
こういう場面の定番の台詞に何故か胸が熱くなりながら、俺は一呼吸置いて、はっきりと告げた。
「……空港まで」