2月に入り、周りが受験で慌ただしくなると、いよいよ出発が近づいてきたことを実感します。春の訪れもすぐそこまで来ているようです。
ちなみに、穂乃果ちゃん、海未ちゃん、クラスの皆……そして八幡君は試験を終え、あとは合格発表を待つだけみたいです。
私は何ともいえない気持ちで、ごろりとベッドに寝転がり、真っ白な天井を見つめた。
時計を見ると、すっかり11時を過ぎているのに、目を閉じる気にはならなかった。
「皆、合格してるといいわねぇ」
「うん、そうだね」
「皆とは最近連絡を取ったの?」
「この前、久しぶりに電話……お、お母さん!?」
いつの間にか、お母さんが私の隣に腰を下ろしていた。
「やっと気づいたわね。ノックをしても全然気づかないんだもの」
「あはは……ご、ごめんね」
「いいわ。もうすぐパリに行くんだもの。色々思うところがあるのは当然よ」
お母さんがさらさらと私の頭を撫でてくれる。
子供の頃から馴染んだ感触に気持ちは落ち着くけど、流石にこの歳になると恥ずかしくもある。
「も、もう……お母さん、私、子供じゃないんだよ」
「私にとってはいつまでも子供だもの。パリに行ったら、こういうことが中々できなくなるから、ね?」
「…………うん」
お母さんは何もかもお見通しな気がした。私の……私達の事も……。
それでいて私の決断を温かく見守ってくれている。
いつも優しい手の温もりは、それを伝えてくれていた。
*******
翌日、私はデパート内の本屋に来ていた。そのついでにウィンドウショッピングをしながら、いつもよりのんびり歩いていると、普段はない特設コーナーが目に入る。
よく見ると、バレンタインデーに向け、可愛らしくラッピングされたチョコや、手作りのためのデコレーションや、大勢に配るための大きな箱に入ったチョコなどが置かれていた。
そこを女子高生やカップルが家族連れが、楽しげに品比べをしている。
……そういえば、もうバレンタインデーなんだよね。
自然と足が動き、目についた物を手に取る。
「あっ、このデコレーション可愛い……これも……」
μ'sの皆やクラスメートに手作りを配りたいけど、これだけあると、目移りしてしまう。
そこて、近くにいるカップルの会話が聞こえてきて、彼の顔を思い出した。
バレンタインデーチョコ、かあ……ダメ、かなあ?
でも、穂乃果ちゃん達に渡して、彼に渡さないのも不自然……だよね?うん、不自然だと思う!
……友チョコなら、渡してもいいよね。
*******
試験が終わり、まだまだ気は抜けないが、少しゆったりとした気分の今日この頃。このままソファーで寝転がり、一日中惰眠を……いや、さすがにもう……
自問自答を始めかけたところで呼び鈴が鳴る。
……居留守……いや、出よう。
のろのろと立ち上がり、モニターを確認してみると、そこには信じられない人物が映っていた。
「っ!」
一気に意識が覚醒し、しかし現実と思えなくて、頭を振り、目をこすり、もう一度しっかり確認する。
間違いない。
何故?どうして?と疑問は尽きないが、急いで玄関へ行き、扉を開けた。
するとそこには、いつものサイドポニーを風に揺らしながら、南ことりが立っていた。
「…………」
「…………」
久しぶりとか、とりあえず寒いから中に入ればとか、色々言うべき言葉はあるのだが、頭の中がこんがらがって何も言えずにいると、彼女から先に口を開いた。
「……久しぶりだね」
「お、おう……」
「えっと……元気?」
「……ああ。そっちはどうだ?」
「わ、私は元気だよ。うん」
少し前に電話で話したばかりなのに、1年ぶりに会ったかのようなぎこちなさに、お互い苦笑してしまう。
「あー……それで、今日はどうしたんだ、いきなり……」
「あっ……ほら、今日、バレンタインデーでしょ?だから……はい、友チョコ」
友チョコという単語に心の中がチクリと反応したが、全力で無視して、普段の表情を心がけた。
「……そっか、何つーか、わざわざありがとな」
「どういたしまして。じゃあ、私はこれで……」
「……それなら……送る」
「え?だ、大丈夫だよ」
「いや、どうせ本屋に行くから。そのついでだ」
「ふふっ、じゃあ一緒に行こ?」
「ああ」
心の焦りを悟られぬよう、でも少し急いで、丁寧に靴を履く。
必死に搾り出した言い訳は、何のためだったのだろうか。
そんな言い訳も、もうじき春の陽射しが温かく溶かしてくれるのだろうか。
*******
外は思っていたよりも風が強く、マフラーに口元を埋め、それでも時折彼女と会話をした。
「八幡君、少し痩せた?ちゃんとご飯食べてる?」
「ん?……ああ、あれだ。普段人と話さない省エネ生活してるからいいんじゃね?」
「大学生になってから心配だなぁ……しっかり食べなきゃダメだよ?」
「……了解。てか心配なのはそっちだろ。色々と」
「あはは……まあそうなんだけど」
「もし寂しくなったら、MAXコーヒー送ってやるよ」
「遠慮します」
「そっか」
「ふふっ、でも向こうに行く前に飲んでおこうかな」
「おう、飲んどけ」
「は~い」
何てことのない話。
しかし、たったそれだけで二人に自然な笑顔が戻った気がした。
*******
駅に到着し、改札の近くまで行ったところで、夢が覚めたみたいに周りの喧騒が耳に飛び込んできた。
ことりは俺と正面から向き合い、穏やかな笑顔を見せた。
「じゃあ、受験結果が出たら教えてね」
「……ああ。帰り、気をつけてな」
「うん、ありがと。じゃあ……ばいばい」
その時、何を考えていたのだろう。
彼女の言葉の間に、いつもと違う響きに、体が勝手に動いていた。
俺は……彼女の細い腕を掴んでいた。
振り返った彼女の目が、驚きに見開かれる。
「……こと、り」
「八幡君……」
黙ったまま二人して見つめ合う。
久しぶり触れた彼女の体温が、鼓動を激しく高鳴らせた。
出会いの瞬間や、京都の風景、クリスマスの雪景色なんかが、頭の中をよぎった。
だが……それ以上は何かに塞がれた。
「わ、悪い……」
すぐに我に返り、手を離す。
彼女は驚いた目を一瞬伏した後、再び穏やかな笑顔を見せた。
「大丈夫だよ……それじゃあ」
「……ああ」
彼女は改札をくぐり抜け、エスカレーターに乗る。
これまでだったら、背中が見えなくなってもしばらく見送っていただろう。
しかし俺は、何かを振り払うように、すぐにその場を離れた。