「八幡……八幡……?」
「…………」
「八幡ってば!」
「……え?あ、ああ、悪い……どうかしたか?」
いかん。どうやらぼーっとしていたようだ。
何度か瞬きをして、目の前を見ると、天使のような怒り顔の戸塚が目の前にいる。笑ってても怒っても天使とか、戸塚マジ天使。
そんな何度目になるかわからない当たり前の事実を確認していると、戸塚は心配そうな表情を見せ、俺の前の席に腰を下ろした。
「どうかしたか、じゃないよ。八幡ってば最近ぼーっとしてばっかだよ?もしかして具合悪い?」
「……いや、大丈夫だ。まあ、あれだ……正月ボケというか……」
「もう新年始まって一ヶ月だよ。センター試験も終わったし」
「……ああ、まあ大丈夫だ。戸塚、今度テニスやろうぜ」
「や、やっぱり八幡がおかしい」
確かに。自分からスポーツやろうとか言い出すあたり、全然俺らしくない。
まあ、何が原因かなんて、考えるまでもないのだが。
「…………」
「……どした?」
じっと俺を見ている戸塚に尋ねると、数秒だけ目を伏せ、やたら真剣な瞳を見せた。
「八幡……何かあったら言ってね?」
「……ああ。てか、この時期に心配させてすまん」
「ううん、大丈夫。でも、本当に何かあったら言ってね」
……周りから見ておかしいのは昔からかもしれないが、今は方向性が違うらしい。いいか悪いかはわからんが。いや、どっちもよくねえよ。
……小町にも、ここ最近心配かけてたな。
ふと窓の外に目を向けると、いつの間にか千葉の街が雪に白く染められているのに気づいた。
*******
家に帰り、ベッドにごろりと寝転がる。
ここ最近勉強している時以外は、ずっとこうしている気がする。
何かを考えることもなく、音楽も流さずに、ただ天井を見つめるだけの空虚な時間。
いや、本当は逃げているだけだと気づいている。
瞼を閉じれば、暗闇の中に彼女の笑顔が浮かんでくるから。
だから俺は真っ白な天井を見つめているのだ。
『私達、友達に戻れるかな……』
……しかし、いつまでも逃げてばかりもいられない。
この一ヶ月、このタイミングをずっと掴めずにいた。
まだ早い気がしたのも事実だ。
だが、小町や戸塚に気を遣わせるのも違う。
……あいつと約束したから……。
俺はゆっくりと通話を押し、彼女の声を待つ。
「……もしもし、八幡君?」
「……おう」
「…………」
「…………」
お互いに言葉を探す沈黙。
不思議と居心地の悪さはなく、ただ声を聞けたことに、俺は心の底から安堵していた。
それまで抱えていた不安は、あっという間に溶けてなくなった。
「……あー、その、元気か?」
「うん。そっちは?」
「まあ、ぼちぼちだ……」
「ぼっち?」
「ああ、相変わらずぼっちで……おい」
「ふふっ。ごめんね。久しぶりにからかいたくなっちゃった」
「いや、いいんだけどね……」
「センター試験、どうだったの?」
「自己採点の結果はまあ大丈夫だ」
「そっか」
「……そっちはどうだ?」
「こっちはもうフランスに行くだけって感じかな」
「……そっか」
「…………」
「…………」
また沈黙が訪れる。
微かな吐息の音が聞こえ、お互いの何かを確かめるような気配。
もしかして、まだ早かったということだろうか。
「…………ふふっ」
「?」
突然吹き出したことりに、ついポカンとなってしまう。
「もう、八幡君硬すぎ……私達、友達、でしょう?」
「あ、ああ……」
「だから、その……あんまり考えずに、もっと普通にお話しよ?何でもない話でいいから」
「……そう、だな」
その声の向こうの微笑みが見えた気がした。
そして、その空想につられるように、こちらも頬が緩む。
「……じゃ、じゃあ、昨日……何食べた、とかは?」
「ふふっ、大丈夫だよ。昨日は……」
*******
気がつけば一時間ほど話し込んでしまい、どちらからともなく、自然な流れで会話を終えた。
「……じゃあな」
「うん…………またね」
通話が途切れても、俺はしばらくスマホを耳に当てたままでいた。
もしも……いつか、この感情を、この胸の高鳴りを恋と呼ばなくなる日が来るとしたら、その日は心の底から彼女と笑い合えるのだろうか。
少なくとも、今は想像できなかった。したくなかった。
しばらくすると、俺は約一ヶ月ぶりに深い眠りにしずんでいった。