「誰もいないね」
「まあ、この時期じゃな。少し早いだろ」
遊園地を出た私達は、今度は千葉の海に来ていた。
五月の砂浜に人の影はなくて、波音が微かに聞こえるだけだった。
「そうだね。でも、ちょうどいいかも」
「……ことり?」
彼の視線を背に受けながら、靴を脱いで駆けだした私は海面を踏みしめた。
彼は目を丸くしながら、慌てて追ってきた。
「あはっ♪冷たいよ!八幡君もはやく!」
「……いや、風邪ひくぞ」
「大丈夫……きゃっ!」
「っ!」
うっかりに滑ってしまい、そのまま全身を海に浸してしまう。
私を支えようとした彼も足を滑らせていた。
「…………」
「あはは……ごめんね?」
「別に……一人だけ濡れるよりましだろ」
「ふふっ、それっ♪」
私は八幡君の顔を目がけ、思いきり海水を掬い上げた。
その塊は、的確に彼の顔全体に命中し、「わぷっ」と彼の声が漏れ聞こえた。
「お、おい、いきなり……」
「だってもう私達濡れてるから関係ないよ」
「…………」
彼は無言のまま、微かに笑みを見せ、私に何度も水をかけてきた。
「きゃっ!もう、何するのっ」
「そっちが先にしたんだろっ……と!」
「わぁ!むぅ……えいっ!えいっ!」
二人して、水をかけ合い、ずぶ濡れになった髪が貼りつく顔を見て笑う。
しかし、彼は急に顔を夕陽みたいに染め、そっぽを向いた。
「どうしたの?」
「いや、何つーか、服……」
「え?……!」
彼の言葉で、自分の服が透けてしまっている事に気づく。
慌てて胸元を隠し、彼の方を見た。
「あの、八幡君……」
「見てない」
「…………」
「見てない」
絶対に嘘だけど、今回は特別に許します。
おもむろに彼は自分のジャケットを脱ぎ、私に差し出してきた。
「とりあえず、着とけ」
「え?でも、八幡君が……」
「俺は別に着てても着てなくても変わらん。それに…………だよ」
「え?今、何て……」
「いや、何でもない。ほら、早く……」
「あ、うん……ありがとう!」
彼はジャケットを手渡すと、ゆっくりと砂浜に向けて歩き出した。
……さっき、私は聞き返したけど、本当は聞こえてたんだよ?
『他の奴に見せたくないんだよ』
照れてるのが可愛くて、つい聞き返したけど、あと……もう一回言っていた欲しくて……
「……どうした。ニヤニヤして」
「し、してないよ!」
私はその言葉が心に残した熱に任せ、彼に背中から抱きついていた。
「……どした?」
「もう少し……このまま」
風が私達のずぶ濡れの身体を撫で、冷やしていく。
波音はさっきよりはっきりと響き、足元を拭っていく。
彼の体温と自分の体温が混ざり合い、心音さえ重なりそうな気がした。
ふと見上げた空はすっかり朱く染まっていた。