「な、なあ、ことり……」
「なぁに?」
「何で、逃げ出したんだ?」
「何となく、だよ?」
μ'sのメンバーに遭遇して、突然駆けだしたことりに手を引かれながら「チカァ!」、秋葉原の街を当てもなく走る。そこまで大した速度でもないので、頬をきる風は緩やかだった。
そして、彼女の長い髪が揺れる度に、甘い香りが初夏の匂いと共に、鼻腔をくすぐっていく。
やがて、足を運ぶ速度は緩やかになり、自然と並んで歩き出した。
「あはは……いきなりごめんね?」
「いや……大丈夫だ。そういや、今日はどこに行くんだ?」
「どこにしよっかなぁ」
ことりは唇に人差し指を当て、考え始める。何故お互いに考えてなかったかというと、一ヶ月ぶりに会えるということで頭がいっぱいだったからだ。無計画すぎるが、久々に顔を直接見れただけで、胸の奥から満たされていくのを感じた。心音が彼女に聞こえそうなくらい高鳴っても構わなかった。
「あ、そうだ!」
ことりは何か閃いたと言わんばかりに手をたたく。
「思いついた場所にどんどん行かない?」
「あ、ああ、別にいいけど……」
「その……色んな思い出、作りたいから」
「……わかった」
寂しげに伏せられた目を見て、さっきまで胸の奥が今度はチクリと痛む。
そのことを気づかないふりしながら、自分から彼女の手を強く握ってみた。
「じゃあ……甘い物でも食べに行くか。なんつーか……勉強疲れもあるだろ」
「うん、そうだね!行こっか♪」
ことりも手をしっかりと握り返してくれ、確かな熱が手を通して、また心を温めてくれた。
白い雲がまばらに漂う青空は、この前よりも色濃く見えた。
*******
「へえ、チーズケーキか……」
「うん。私ね、チーズケーキ好きなんだぁ♪」
ことりがμ'sのメンバーとよく利用している喫茶店に入り、チョコレートケーキとチーズケーキをそれぞれ注文した。
店内は決して広くはないが、女子から好まれそうなお洒落なインテリアで彩られ、聴いたことあるような、ないような、よくわからないジャズが控え目に流れていた。要約すると、俺のようなボッチには、縁のない店だということだ。ことりとデートしている俺に、ボッチとか噴飯ものの称号に思えるかもしれないが、学校では大して変化はないので、引き続き名乗っている。
「どうかしたの?」
「いや、ケーキの甘さが染みただけだ」
「うん、まだ食べてないよね。ふふっ……はい」
「……は?」
ことりはフォークで削ったチーズケーキの一部を突き刺し、こちらに差し出している。
「……いい断面図だな」
「はい♪」
「……いい匂いだ」
「はい♪」
「…………」
観念した俺は、チーズケーキを頬張る。
程よい甘さが口の中にふわりと広がり、本当に勉強疲れが癒やされていく気がした。これ、滅茶苦茶うまい。
そんな俺の様子を見ながら、ことりは満足げに微笑んでいた。
「私の好きな味、覚えてくれた?」
「……あ、ああ」
昔、何の作品かは忘れたが、『秘密は女を女にする』とか言ってた気がする。
きっと目の前の少女は、甘くほろ苦い素敵な秘密を沢山隠し持っているのだろう。
それは、俺がどんなに漁っても、暴ききれないに違いない。
目の前のとろけるような笑顔は、それを告げていた。
「今度は……八幡君の好きな味が知りたいなぁ」
しかし、俺の方はそんなに持ち合わせがないのだが。