明けましておめでとうございます!
昨年中は大変お世話になりました。
永らく更新が滞ってしまいすいませんでした。言い訳は3話目の後書きで。
オムニバスと言いつつ、1話1話が長くなってしまったので3話にバラしました。
では、1話目/同時3話更新でスタートです。
あの日、留美の家庭教師――比企谷さんの話をネタに留美をからかっていたときの話。
「もう…………。恋愛ウォッチャーとか偉そうに言ってるけど、それって絢香はいっつも横から見てただけって事でしょ? だからそんな……」
そんな留美の言葉にちょっとかちんと来たあたしは、
「失礼な。あたしだって人を好きになったことぐらいあるっての」
思わず反射的にそう言ってしまった。
「え!! 誰!! そんな事一言も……」
当然、彼女はびっくりして食いついてくる。泉も声さえ上げなかったものの意外そうにじっとこっちを見る。あ~……失敗したカモ。
「ええい騒ぐでない。遠い昔の話じゃよ」
大げさに声色を作って冗談のように言ってごまかす。
でもそう、過去形。昔の話。それにあれが本当にいわゆる「恋」に当たるものだったかなんて――本人であるあたし自身よく分かってなかったんだよね。
あの時はただ、何て言うかこう……漠然と「この人の事好きだな」と思っただけで。
でもさぁ……いくら昔の話とはいえ、その相手が、目の前の親友がずっと想い続けている「彼」だったってのがねぇ……。
うん、やっぱ言えないわ。ちょっぴり卑怯かなーとは思うけど。まあ小学生の時の話だし、ここは許してもらおう。
そう、あれは――
* * * * *
晴れてはいるものの、見上げる空の色は青というより水色に近い淡い色。そこに、北風に吹き伸ばされたような長い筋雲が幾筋も平行にたなびいていて、嫌でも今が真冬なんだという現実をあたしに突きつけてくる。
また一台のバスがあたしの横を通り過ぎていく。それを横目で見ながら、
「はぁ……。な、舐めてたわ……バスで15分って、歩くと結構掛かるんだなぁ……」
そう
そんな事をしたところで、寒空の下黙々と……いやブツクサ言いながらだけど、とにかく――歩けど歩けど目的地はまだ遥か先――という状況が変わるわけでもないんだよね~。
ああぁ~~、もうなんでこんな事に……って自業自得なのはわかっちゃいるんだよ。ただとにかく今は、今朝のうっかりなあたしを呪ってやりたい。
まあでも、せっかくここまで歩いたんだし、今更駅に戻るってのもないよな~。
一息入れて再び歩き出そうとした時、歩道をあたしとは逆方向からゆっくりと走ってきた自転車が、ちょうどあたしとすれ違おうかというタイミングでキイっと甲高いブレーキ音を立てて止まる。
「綾瀬……だよな? お前、こんなとこで何やってんの……?」
そう自転車の上から声をかけて来たのは……。
◇ ◇ ◇
お線香と風除け付きのライターは肩掛けバッグの中入れてあるし、昨日買って花瓶に活けておいた花束を新聞とビニールで包んで、あとは……そうだ、パスカードいくら分残ってるかわかんないから、財布にチャージ用のお金入れとかなきゃ……。
慌ただしく出かける準備をしていると、
「おねーちゃんお出かけするの?」
と、幼稚園年少、下の弟の「コウ」がちょっと何かを期待するような目をして聞いてくる。あわよくば自分も連れて行ってもらおうというつもりなんだろう。可愛い弟よ、連れて行ってあげたいのは山々だけど……でも今日はそういうわけにはいかないんだ。ゴメンね。
「今日はね、ちょっとお使いに行ってくるんだ。だからコウはお留守番」
「えー、ぼくもお使い行く~」
「ゴメンねー、今日は一緒に行けないんだ」
「でもぼく……」
「こらコウ、おねーちゃんを困らせないの。今日はお兄ちゃんと一緒に遊んでて」
お母さんにそう言われたコウは、唇を尖らせて言う。
「だってお兄ちゃんいっつも意地悪するから」
「してない!」
「するもん!」
負けじとお兄ちゃんことコウのひとつ上のレイが言い返し、二人はうがーっとお互いを威嚇するように睨みあう……といっても二人とも幼稚園児。端から見てると可愛いもんだけどね。
「ほら喧嘩しなーい!!」
「でもぉ…………」
「…………」
「お利口さんにして待ってて。帰ってきたら遊んであげるから」
「……うん。ほんとにほんとに約束だからね……」
そう渋々言いつつもコウは未練たらたらって感じだなぁ。
そこに仕事着のお父さんがひょいっと顔を出す。
「絢香、
「はーい。ありがと、おとーさん」
「おうよ。 まあ…………
「……うん」
お父さんは弟たちの目を気にしてるのかちょっぴり歯切れの悪い言い方をする。
コウはなんだか不思議そうな顔してるけど、年中になった途端に何故か急に生意気になった、お兄ちゃんことレイの方はあたしのお出かけなどには興味が無いらしく、もうさっきまで読んでた漫画に夢中だ。そもそもちゃんと話を聞いてたんだかどうだか……。
そこで弟たちをなだめていたお母さんが聞いてくる。
「あ、絢は何時頃出るの?」
「ん~……もう行くよ。今出れば22分の電車乗れるし」
あたしは時計をちらっと確認してそう答える。
「ん……いってらっしゃい。姉さんによろしくね」
「うん……いってきます。おかーさん」
今出ると、最初に乗ろうと予定してた電車より3本も早いのに乗れちゃいそうだ。別に急ぎの用事というわけでは無いんだけどな~。ま、いつまでも家にいるとまたコウが
「やっぱり一緒に行きたい」
とか言い出すかもしれないし。私の方は早くて困ることなんて無いからね。弟の未練をすっぱり断ち切るためにもそのまま出たほうが良いだろう――そんな風に考えて家を出たんだよね。
で、失敗に気が付いたのは電車を降りてから。
改札を出たとこにある切符販売機兼カード用チャージ端末にパスカードをセットして、鞄から財布を出そうとしたら……無い! 財布が入ってない!
のオォぉぉぉぉぉ…………。なんて大げさに頭を抱えても無いものは無い。
そういえばお金の準備だけしてそのまま置いてきちゃったんだっけ。バタバタと慌てて出てきちゃったからなぁ……。
電車乗る前にチャージしようとしてればすぐドジに気付いたんだろうけど、駅に着いた時、電車の時間にちょうどピッタリだったから、ラッキーとばかりにそのまま改札通っちゃったんだよね……。
幸いにもここから自宅の最寄駅――つまりついさっき乗ったばかりの駅――まで戻るくらいのチャージ残高はある。ここで私の選択肢は2つ。
その1:一度家に財布を取りに戻って改めて出直す。ぶっちゃけめんどくさいし、なんか負けた感ある。またコウがグズりそうだし。
その2:普段ならバスを使う道を徒歩で往復する。前来た時は片道15分くらいだったから、ちょっと時間かかるけど歩いても行けそうな気がする……。う~ん、選ぶならこっちかな。幸いというか予定よりだいぶ早く家を出てるし、もともと歩くのは嫌いじゃない。
「おし! いっちょやったるかぁ!」
空元気で気合を入れたあたしは、駅構内にあった地図で目的地を確認し、冬晴れの空のもと、一路目的地へと向けて歩み始めたのでした。
◇ ◇ ◇
で、さっきの地図と前に何度か来てるときの記憶を頼りに歩いているから道は間違ってない……はず。本当は乗るはずだったバスが目の前を通り過ぎて行ってるんだから間違ってないよね? たぶん……。
どうやら単に目的地はあたしが漠然と考えていた以上に遠かったということらしい。
そんなわけで心が若干くじけかけていたところで
「え……比企谷さん?」
目の前には友達の想い人、素敵なゾンビチック・アイの持ち主比企谷さん。ちょっともこっとした暖かそうな上着にマフラーでしっかり首元をガードした冬仕様。あたしが彼をお見かけする時はほぼほぼ制服姿なので、比企谷さんの私服姿はなかなか新鮮に映る。
「やっぱり綾瀬か」
「こんなとこで何してんですか?」
「いやだから、俺が訊いてるんだけど。ちなみに俺は本屋の帰りな」
「むむ、わざわざ離れた本屋に買い物とか、さてはエッチな本ですね。そんな事してると金髪の吸血鬼に眷属にされちゃいますよ」
「ばーか。俺はそーゆうのはデジタル派なんだよ……ってそうじゃなくて、気分転換にちょっといつもよりでかい本屋に行こうと思っただけだ。ついでに
「なるほど、雪女の従僕ですか。確かに便利にこき使われてるようではありますが」
雪女と聞いて、それは誰のことだろう? とか一片も考えないあたしも大概酷いな。
「誰が従僕だ……いや、案外当たってるような気もしないではないが……。 それにもしかしてその
おぉ、留美から「八幡は小説なら何でも読むよ」とは聞かされていたけど、
「ををっ、さすがは
「人の名前をピアノの発表会に花をお届けに来そうな高級生花店みたいに言うのはやめろ……。
「失礼、噛みました」
「違う、わざとだ……って、何が
「ほほう……って、いやいやそこは『かみまみた』まで言わせてくれる流れじゃないんですか!?」
まったく、不完全燃焼この上無い。
「さすがにそこまでネタ引っ張るのもなぁ」
そんな事言ってー……「僕」とか言っちゃってけっこうノリノリだったくせに……。
「いいじゃないですか。あたし今日は……ちょっとそういう気分の日なんです」
「そういうって……」
「……迷子な
あたしが胸の前で祈るように両手の指を組み、わざとらしい上目遣いをすると、
「そんな無理やりな運命は無いだろ……。で、お前は何してんの?」
比企谷さんは付き合ってられないと、呆れたような顔をしながら訊いてくる。
「いやー、実は〇〇霊園に行く途中なんですけど」
「はぁ? 歩いてか?」
「はい」
「駅から?」
「まあ」
「なんでバス使わないんだよ。歩いたら結構あるだろ」
「あー……実は今朝財布を忘れちゃいまして、パスカードは持ってるんですけど残高が心細くて……」
そうしてあたしは大雑把な事情を説明する。
「そうか……じゃあとりあえずバス代位なら……いや、どうせここまで来たならその方が……」
なにやら考えてる様子の比企谷さん。
「よし、絢瀬は後ろに乗れ」
やがて彼は何でもない事のようにそう言う。
「え?」
「自転車なら大してかからん。乗せてってやるから俺の後ろに乗れってこと」
「そ……でもそんなご迷惑を……」
「ここでほっとくのもなんか心配だしな……。ま、二人乗りがまずいなら、バス代貸したほうがいいか?」
あたしは……
「じゃ、じゃあ……ホントに乗せていただいても良いですか……?」
そう、答えてしまっていた。
◇ ◇ ◇
あたしを乗せた比企谷さんの自転車は軽快に飛ばしていく。あたしは彼の腰のあたりに軽く掴まって、自転車の荷台からの眺めをちょっと新鮮な気持ちで味わっていた。
あの後比企谷さんはあたしの荷物を前かごに入れてくれ、あたしは言われたままに荷台に跨がってるんだけど――これが意外に快適。荷台は幅広で平らだし、後輪の車軸に取り付けられていた折り畳み式のステップも大きめでしっかりしてて、踏ん張りが効くというか……安定感がある。
バス通り沿いの広い歩道。自転車通行可の青い標識。視線を上げれば遠くに高速道路の高架らしきものが延々と続いているのも見える。
景色の流れていくのが想像していた以上に速い。それに、たまに友達とふざけて二人乗りするときのようなギクシャクした感覚やフラフラとバランスを崩すようなことが全く無い。
なんていうか……いかにも二人乗りに慣れてる感じの比企谷さん。肩幅の広い背中が頼もしく感じられて、女子としてはちょっとキュンとしてしまう。こ、これは数多の恋愛漫画とかに倣って彼の背中に抱き付くべきか?……って、いかんいかん。
この比企谷さんは大切な友人の想い人。ここで変な感情を持ってしまうと色んな意味でヤバい。
だいたいこの比企谷さんは、なんであたしなんかの面倒を見てくれたのかねぇ?
ま、これはあくまであたし個人の考えなんだけどさ……あのクリスマスイベントを通じて思ったのは……この人、年下の女の子には無条件で甘いところがあるみたいなんだよね。
お兄ちゃん体質というか……同世代には遠慮がち――あえてひどい言い方をすれば卑屈っぽい態度の比企谷さんは、しかし何故か年下には妙に堂々としていて面倒見が良いのだ。
全身から、こう……頼ってもおっけーみたいなオーラが出てるんだよね。あのクリスマスイベントの時も、実は小学生チームからの信頼度は抜群に高かったんだ。まあ、留美とセットで生暖かく見守られてたっていう事情もあるけど(笑)
こういう態度を年下以外の相手にも出来ればきっともっとモテるのに……いや、もう十分モテてましたねそういえば。本人に自覚があるかどうかはさておき。
う~ん、やっぱり分かる人には分かる魅力ってことなのねー。
そうこうしているうちに自転車が霊園の入り口に到着。比企谷さんは駐車場の端の方にすうっと寄せて自転車を止めた。
彼の言ったとおり、確かに大して時間もかからず目的地である霊園に着いてしまい、自転車を降りてお別れしなければいけないのがちょっと名残惜しいくらいだ。
なーんて思ってたんだけど……。
「ここで良いか? 俺はしばらくこの辺ぶらついて待ってるからゆっくり行ってこい」
なんと! 比企谷さんは当たり前のように帰りも送ってくれるつもりでいたらしい。
くぅっ、もぉー……そういうトコだゾ! うっかりしたら惚れてまうやろー!
でも……こんな寒い所でただ、待っててもらうくらいならいっそ……。
「もし、お時間あるなら……比企谷さんも来てもらえませんか?」
◇ ◇ ◇
断られるのも覚悟していた誘いに、存外抵抗なく比企谷さんは付いてきてくれた。
きっちりと碁盤の目状に区画された広い霊園。入り口から1分程歩いて目的の区画に到着したところで、あたしは荷物を一度預かってもらうことにする。
「それじゃあ、ちょっとこれおねがいします。できればあんまり傾けないように……」
「おう。 ……これ、何入ってるんだ?」
「あ、お供えの和菓子です。お父さんとあたしで作ったんですよ」
「そういやお前、あやせ屋の娘だったっけ」
「はい」
「じゃあ、将来は和菓子屋の跡取りか」
「……それは……」
「……?」
適当に答えればよかったんだけど、何故かそれが出来ずに答えに詰まってしまった。
比企谷さんはそんなあたしの様子を訝しげに見ていたものの、それ以上突っ込んで聞いてきたりはしない。
霊園内にいくつか設置されている水場のうちの一番近いところでお茶碗と花立を洗い、備え付けの手桶に水を酌む。
比企谷さんは「綾瀬家の墓」の前でちょっぴり居心地悪そうにして待っていてくれた。
花立てに花を活け、お線香に火をつける。それから比企谷さんに持ってもらっていた包みを開いて、小ぶりな重箱の蓋を開ける。その箱ごとお菓子をお供えし、湯呑茶碗には持ってきたマグボトルのお茶を注ぐ。気温が低いせいか、茶碗の大きさに似合わない盛大な湯気が立ち昇った。
あたしが静かに手を合わせると、比企谷さんも手を合わせてくれているのが横目に見えた。
「…………」
「…………」
しばしの沈黙。あたしは心の中でここに眠る大切な人に近況を報告する。学校の事、友達の事、おとうさんの事。みんなの事も。
伝えたいことを一通り語り終えたあたしは、立ち上がって比企谷さんの方に振り向き、
「じゃあ、一緒に食べましょうか。お好きなのをどうぞ。ちゃんとお茶もありますよっ」
そう言って、さっき備えたばかりの重箱を持ち上げて両手で彼の方に差し出した。
「え! いやそれは仏さんの……」
「あー……。最近はですね、お墓に備えたお菓子とか飲み物とかは、持って帰るかその場で食べてしまって下さいっていう決まりになってるんですよ。なんでもカラスとか浮浪……じ、自由生活者さんとかがお墓を荒らすのを防ぐためだとかで……」
あたしはちょっとびっくりしてる比企谷さんにそう説明する。
「ああ。そういえば駐車場のとこの掲示板にもそんな事書いてあったな」
「あたし一人じゃ食べきれませんし、持って帰るよりはこの場で食べてもらったほうがお菓子も喜ぶと思って……実はそのためについて来てもらったんですよ」
比企谷さんはフッと笑って、
「お菓子が喜ぶって……うまく言えんが、良い……面白い言い方だな」
そんな事を言う。
「あはは。変ですかね?」
「いや。ただ、綾瀬が自分とこのお菓子を大事に思ってるというのはわかった」
そう言って彼は重箱に手を伸ばす。
「どれが綾瀬の作ったやつだ?」
「え? あ、この『一口どら焼き』とかこの辺がそうです。作ったって言っても白玉と餡を包んだだけとかそんな感じですけど……」
あたしがそう言うと、比企谷さんは 一番端のどら焼きをひょいと摘まんでそのまま半分くらいかじり、モグモグと食べる。
あたしがマグボトルの蓋(カップとして使えるタイプ)にお茶を注いで差し出すと、彼はすずっとお茶をすすり、
「うん、美味い。形もきれいだし……お前才能あるぞ。本気でやるのも良いんじゃねぇか」
不意討ちのようにかけられた言葉。……この言い方は……きっとさっきのあたしの煮え切らない態度に何かを感じてくれたからこその今の言葉なんだろう……多分。
あたしは墓石の方に向き直り、そのまま比企谷さんの顔を見ずに言う。
「あたしのママ……
比企谷さんは何も言わない。一度顔を上げたあたしと一瞬だけ視線を合わせ、またすっと墓石の方に目を遣る。きっとあたしが続きを話し易いように――あるいは話したくなければ話さなくてもいいように。
「ママはあたしが幼稚園のときに病気で…………。今のお母さんはママの妹……ほんとは叔母に当たる人なんですよ……」
お父さんとお母さんたち姉妹は、同じ町内に住む子供の頃からの知り合いで両家とも家族ぐるみの付き合いだったとか。
彼女は、ママが亡くなった後もずっとあたしたち父娘と家族同然に接してくれて……それにそもそもあたしにとって今の「おかーさん」は元々年の離れたお姉ちゃんみたいな存在だったんだけどね。
それから一年ぐらい経って、「おとーさん」と「おかーさん」は、双方の両親の勧めもあって結婚。父は再婚なんてまだ早いって躊躇したみたいだけど、それでも決心した理由のひとつには、幼いあたしに母親が必要だと思ったって事もあるんじゃないかな。
その後年子の弟二人が生まれ、元々叔母と姪で顔立ちが似ている母とあたし。事情を知らない人から見ればごく普通の家族になって……現在に至る……と。
一度話し始めたあたしは止まらなくなり、溜め込んでいた何かを吐き出すように、連々と今まで誰にも話したことがないようなことまで彼に話してしまっていた。
そう、このあたし一人のお墓参りそれ自体があたし自身の何かを吐き出すためにしているようなものだ。
家族みんなでお墓参りに来る時は、幼い弟たちの手前「ママ」と声をかけるのがはばかられる。今のお母さんも、「お母さんのお姉ちゃんのお墓だよ」と弟たちには説明していた。
いつの頃からかそれが無性に苦しくなって、去年から、ママの命日の直前の休日にはあたし一人でお墓参りに来るようになったんだ。
お父さんやお母さんには言い出しにくかったけど、いざ話してみたら二人共なんだか納得するような顔をして笑ってた。
「…………だから、迷子娘の気分、か」
比企谷さんがポツリと漏らす。
「弟たちはお父さんと今のお母さんの子で、あたしとお母さんが違うってことは知りません。両親はもう少し大きくなってから話すつもりでいるみたいですけど」
「今一生懸命お店を盛り上げてるのはお父さんとお母さんなんです。だから……」
「だから?」
「さっきの話ですけど……やっぱり、お店を継ぐのはあたしじゃなくって――レイかコウ……弟二人のどっちかが良いと思うんですよね~」
そう言ってわざと茶化すように言う私に、しかし比企谷さんはまるで諭すように言葉をぶつけてくる。
「……絢瀬に継ぎたいって気持ちがあるなら、そう言ってみれば良いだろ」
……さすがに鋭いなぁ。それともあたしが分かり易過ぎるのか……。
うん、そのとおり。あたしは出来ることなら将来和菓子職人になって、尊敬するお父さんの技を受け継いで行きたいと……家の店を守って行きたいとも思ってる。でも……。
「あたしがもし『お店を継ぎたい』なんて言ったら……お父さんもお母さんも絶対『良いよ』って言ってくれちゃうと思うんです。たとえ本音では違うこと考えてたとしても」
そう、両親には両親の考えがあるだろうし、それにあたし自身の中にも、弟が店を継ぐのが当たり前だと思う心が確かにある。
職人の世界はなんだかんだ言ってもまだまだ男社会だ。男の子がいる家なら、その子とお嫁さんが家業を継ぐってのがうちみたいな業界の一般的な考え方だと思う。
「でも、やりたいって気持ちはあるんだな」
「それは……」
「本音を話すのは悪いことじゃねえよ。ここには綾瀬とお前のママさんしか居ないんだから遠慮する必要無いだろ」
「……比企谷さんがいるじゃないですか」
「俺は、『俺なんかいてもいなくても同じ』みたいな空気に慣れきってる男だ。そういう空気を読みすぎて最近は俺自体が空気まであるから気にするな」
上手いこと言ったみたいな顔ですごく悲しい事を言う比企谷さん……。「空気」ならそんな風に女の子に優しくしてくれないと思う。
「親に言いにくいなら、言い易くなるように状況を整えたり、逃げ道を作っておいたりするのも手だぞ」
3つ目のお菓子を頬張りながら彼が言う。
「……?」
「例えば……『弟たちに他にやりたいことが出来たら、あたしがお店継ごうかなー』とかな。で、弟の『他の夢』を全力で応援する、とかな」
「それじゃレイとコウが……」
「じゃあ、もしお前の弟たちが、家を継ぎたくないと思ってたとして、それでも店を継がせるってのは良い事なのか?」
「そ、れは……」
「弟、二人ともまだ幼稚園だったよな。これから大きくなって、『マリーンズの選手になりたい』とか『成田空港で働きたい』とか『専業主夫になりたい』とか言い出すかも知れないだろ」
「専業主夫は無いと思います……」
「そうか? あとは、『弟かお店継ぐときは暖簾分けでもしてもらおうかな』とか『兄弟3人でお店やろうか』とでも言っときゃいい」
「いやいや何言ってんですか。このご時世に、暖簾分けとか経営的にも厳しいでしょ」
「……意外と冷静だな。お前ホントに小学生かよ……」
姉弟で一緒に、というのもナシだ。こんな小姑がいたら将来弟のお嫁さんになる人がやりにくいだろうし……。
待てよ、いっそのことあたしが弟のどっちかと結婚すれば――ここは「千葉」兄妹の結婚が赦されている約束の地!
なら、姉弟で結婚ってのもワンチャン有りか? いやねーよ!
などと、あたしが脳内でお馬鹿な事を考えていると、
「今から具体的な話としてそう考えろって事じゃない。お前が小学生であることを最大限に活かす戦略みたいなもんだ」
「戦略……とは?」
「つまりだな、今みたいなことを小学生らしく無邪気に言っておけば、自分の希望を両親に伝えつつ、かつその後の展開によっては撤退もしやすい状況を作れるわけだ」
……成る程、あくまでもよくある子供の夢、みたいな感じにしとけば、両親は、「あたしを後継者と考えた場合、レイとコウは……」などと真剣に悩むのはまだまだ先の話でいいという事になる。その上でちゃんと、あたしがお父さんの技を学びたいと言えば教えてもらえるであろう環境……というか了解が貰えるわけだ。
これは――うん、両親の心に変な負担を懸けずに和菓子職人を目指したい、というあたしにとっては満点に近い方法論かも。
「比企谷さん……腹黒いですね」
「そこは、戦略に長けてるとか言っといてくれない?」
なんて反論しつつも、腹黒と言われた比企谷さんは何故か嬉しそうだった。
それから比企谷さんは、帰りもあたしを駅まで送ってくれた。彼の背中がなんだかとても頼もしく感じられて……「超寒いっ」とかわざとらしく言ってその背中にくっついてしまったのはきっと……。
別れ際、駅前の自販機でコーヒーまで奢ってくれた比企谷さん。冷えた体にあの甘くって暖かいコーヒーは沁みたなー。
◇ ◇ ◇
そして今――中学生になったあたしは本気で菓子職人を目指してる。
あの日家に帰ったあたしは、勢いに任せるように「和菓子職人になるための勉強をしたい」と両親にお願いした。先のことはわからないけど、家を継ぐくらいの気持ちもあることも。
その時、比企谷さんに知恵をつけてもらった作戦通りに、弟の気持ち次第だという話や、場合によっては暖簾分けしてもらうのも良いなー、みたいな話とかもしたけど……でもそんなのはただのおまけ。こういう逃げ道とか予防線とかが「ある」と思うことであたしは両親に本音を言えたんだ。
比企谷さんは「戦略」とか言ってたけど、きっとそれ自体が重要じゃ無いってことは分かってて言ってくれてたんじゃないかなぁ。
それに気付いた時はなんだか面映ゆくって嬉しくて……ふと気が付くと何故か比企谷さんの広くて温かい背中を思い浮かべたり、クリスマスの時に頭撫でてくれたことを思い出していたりと、
「きゃは、あたしってば恋する乙女みたいじゃん」
などと頭悪い突っ込みを入れたくなるような浮かれ状態だったんだ。
で、あたしはその浮かれた気分のまま――お世話になったお礼だと自分に言い訳して――感謝の気持ちを込め、比企谷さんのためにバレンタイン用の練切菓子を心を込めて作ったのでした。 ……いやけっこうマジで。本格的な練切細工なんて初めてだったし……あれ3つ作るのに5時間近くかかったんだからね!
* * * * *
あの後……あたしのお母さんのこととか、家を継ぐ継がないの話だとか……比企谷さんはもしかしたら……留美にだけは話すんじゃないかな、なんてちょっと思ったりもしてたんだ。別に口止めもしなかったし、もしそれで自分からは話しにくい事をそれとなく伝えて貰えるなら……まあそれもいいかな~、なんて。
でも、留美の様子は変わらないし、ついこの間あたしがポロッと漏らしてしまったお母さんの話にも本気でいぶかしがっている様子で……。
だからはっきりと確信が持てた。比企谷さんはあの日の事を誰にも話してないし、あれから今に至るまで、まるであの墓参りの時の話が無かったかのようにあたしに接してくれている……。なんていうか「気遣いの人」だよね。苦労してそうだなぁ……。
一度だけ意味ありげな表情を見せたのは、あの少し後……あたしが六年生のときのホワイトデー直前にうちのお店で「お母さん」と顔を合わせた時ぐらいだろう。
まあそんなわけで、その時は全く自覚が無かったものの、振り返ってみれば当時のあたしは間違いなく比企谷さんに恋してたんだよね。
もっともその頃から留美が本気で彼に惚れてるのを目の当たりに見てたわけで、あれと比べちゃうと……あたしの気持ちなんて恋と呼ぶのもおこがましいような些細なものだったんだけどさ……。
今はどうなんだって? いやだから昔の話だってば。
まーその……家族とか以外で誰か好きな男性の名前を挙げるとすれば、とか聞かれたら、真っ先に彼の名前を思い浮かべるくらいには好ましく思ってる……かな?
いやほらね、比企谷さんとは留美を通じてだけど会う機会はけっこうあるし、そういう時、留美と仲良さげに話してる様子とかを見てると、
「いいなぁ、留美は……」
なんて思う気持ちも……有ったり無かったりしますけど……。ごめん……ちょっぴり、ほんのちょっぴりだけ気持ち引き摺ってるかも……。
でもだからといって留美を応援する気持ちに偽りは無いし、本当に、心の底から留美の恋がうまく行ってほしいなと思ってる。
ま、身も蓋もない言い方をすれば比企谷さんより留美のほうが好きだし。 ……って、つまりあたしってもしかして今流行りの百合っ子なのん?
あたしにその
でも、今目の前で比企谷さんの家庭教師の時の話を恥ずかしそうな、嬉しそうな顔で話す留美を見てると自信が揺らぐ。この照れたような幸せそうな表情を見ていると……それだけでご飯三杯イケるわ。これは男子も女子も惚れちゃうね!
結論。あたしは――留美と比企谷さんがセットで好き! ということでおーけー。
結局あたしはこの図体のわりにお子さま脳なのか、はたまた逆に子供らしくなく覚め過ぎているのか……自分が恋愛するより誰かの恋を眺めてからかっている方が性に合っているってことなんだろーな、今んトコは。
だから、いつか留美と比企谷さんがくっついて、二人セットでからかうことが出来るように――
「留美……頑張れ」
何の脈絡もなく、いきなりそんな声をかけられた留美は、あたしに一瞬キョトンとした目を向けたあと、
「うん!」
と、微かに頬を染め、目を細めて鮮やかに微笑った。
ほぁぁ ……親友の笑顔が可愛すぎて死ねる……。
1/3
香という字には横恋慕属性がついているのかもしれません。
↑
全国の○香さん、香□さんに謝れ!
1月9日 誤字修正。clpさんありがとうございます。