そして、鶴見留美は   作:さすらいガードマン

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 いつも読んでくださってる方、本当にありがとうございます。今確認したところ、お気に入りが556件に伸びていました! この、のんびり更新の地味な作品を沢山の方に気に入っていただけたこと、あらためて感謝です。

 今回は随分お待たせしてしまいました……。でも、おかげさまで、年度末の忙しい時期もようやくゴールが見えて来ています。まだ忙しいことに変わりはありませんがww。


 さて、クリスマスイベントへの準備は最終段階へと進んでいきます。では、どうぞ。



鶴見留美は聖夜に願う⑦ 直方体の世界の中で

「るーちゃん、準備オッケー?」

 

 照明が落とされ、非常灯の明かりだけの暗い中、舞台袖の絢香が私に声をかけてくる。

 

「る……、はいはい。あーちゃんも?」

 

「うん」

 

 そう頷いて、絢香は右手を上げて軽く左右に振り、台本片手に舞台下に立っている八幡に合図を送った。八幡は、耳元に手をやり、インカムを操作して何か指示を出すと、私の目を見て小さく頷く。その所作が妙に様になっていて、いつもよりちょっとだけかっこよく見える。ふふ、さすがはプロデューサーさん。

 

 私も八幡に向かってこくんと頷く。

 

 

 

『1ドルと78セント……。それで全部……』

 

 ゆっくりとナレーションが流れ始めた……。半分だけ降ろされていた幕がゆっくりと上げられていく。私は床に座り込み、お金(おもちゃ)を数えている。まだ照明は点かない。

 最初に、舞台奥のスクリーンが暖炉のある部屋の絵を映し出す。泉ちゃんによって描かれた背景は「正面に暖炉のある、小さいながらもよく手入れされた暖かな雰囲気の部屋」 わずかに遅らせて私にスポットライトが当たる。

 

『でも、やっぱり1ドルと78セント。明日はクリスマスだというのに』

 

 ナレーションに合わせて、私はがっくりと俯いた……。

 

 

 

 

 今、コミュニティーセンターの三階ホールでは、総武高側の出し物である、演劇『賢者の贈り物』のリハーサルが行われている。本番をあと三日後に控え、衣装やかつらも付け、照明なども全て本番と同じように行う。また、「通し稽古」という形で、途中でセリフを間違えたり段取りの違いがあったりしても途中で流れを止めない。

 本番と違うのは、お客さんが居るかいないかという事と、あとは、みんなが、さっきの絢香のように声を出して動きを確認しても良いということだけだ。だから、スタッフ役の子たちが、

 

「ここで照明つけまーす」 とか 「背景、お店の中に変わります」 とか、本番では出せない声を出しながらお互いのタイミングを確認している。

 

 ……それにしても背景の絵、すごいなあ……。さすがは泉ちゃん、というべきか。『デラたちの部屋』『繁華街』『髪用品店』、昨日訓練室のプロジェクターで初めて見せてもらった背景の絵はどれも暖かな色味で、ごちゃごちゃせずに良くそれぞれの雰囲気が出ている。こうして見ると、余計なものが入らない、という「絵」の「写真」に対しての強みがよく分かる。……しかも、場面転換の時に、数秒だけ、『マダム・ソフロニーの髪用品店、髪のことなら何でも。シャンプー、カツラ、取り揃えております』などと描かれた看板が映ったり、鍋を火にかける場面では美味しそうな料理が登場したりというなかなか見事な演出になっている。

 僅か数日でこんなに描けるなんて……やっぱり『絵』は彼女にとって特別なものなんだなあ……。

 それが、ステージの大画面プロジェクターで表示されると、拡大された迫力もあってかより雰囲気が出ていて……。いけない、気を抜くとつい背景を見てしまう。これが本番だったら主役がお客さんに背を向けっぱなしになってしまう。当日は、お母さんも見に来てくれるんだから、ちゃんと頑張らなきゃね。

 

 

 

 **********

 

 

 

 衣装合わせの翌日、私達小学生に一枚ずつプリントが配られた。「クリスマスイベント観覧申し込み用紙」……?

 

「みんな、ちゃんともらったかなー。足りなかったら手を上げてくださーい」

 

 一色会長さんが声をかける……どうやら全員に渡ったようだ。

 

「じゃあ、雪ノ下先輩、お願いします」

 

 雪ノ下さんが一歩前に出る。

 

「みなさん、いつもありがとう。……実は、何人かのご家族の方から、イベントを観たいという御要望をいただきました。ですが、このイベントは元々施設のお年寄りと保育園のためのもので、ご家族をご招待出来るだけの予算は正直ありません」

 

 雪ノ下さんは一度言葉を切る。

 

「そこで昨日話し合いを持った結果、お菓子と飲み物の代金を「協力費」という形で負担していただければ、保護者の方々にも参加いただけるだろうという事になりました。幸いこのセンターのホールは十分な広さがありますし。

 今、みなさんにお配りした用紙は、そのお願いと参加人数把握のためのものです。申し訳ありませんが、期日が迫っていますので、明後日までに提出をお願いします。尚、お金はこちらに書いてあるように当日受付で…………」

 

「…………」

 

 

 

 

 

「ね、るーちゃんちはどうなの。イベント来れそう?」

 

「るーちゃんって……。それ、そんなに気に入ったの? 絢香」

 

「ノンノン。あたしの名前は『あーちゃん』よ。はい、『あーちゃん』、りぴーとあふたーみー」

 

 絢香は、右手の人差指を立てて左右に振り、ぱちーんとウインクをしながら言う。

 

「……あーちゃん……」

 

 私が半ばため息混じりにそう言うと、

 

「ぐーっど!」

 

 絢香は親指を立てて、嬉しそうにへへっと笑う。

 

 ついさっき、劇のあとのサプライズ? の練習を保育園の子たちとしていた時に、私がけーちゃんから「るーちゃん」と呼ばれているのに気づいた絢香。その後、けーちゃんに何かお願いしたようで、絢香はめでたく、『あーちゃん』の称号を手に入れた!

 絢香はこれが大変お気に召したようで、けーちゃんたち保育園生が帰ったあとも、誰彼構わず「~ーちゃん」と呼び、呼ばれたみんなを面食らわせている。

 

「あーはいはい。うちは、お母さんの当日の仕事次第かな。在宅勤務の日なら来れるかも。……で、絢……あーちゃんのうちはどうなの?」

 

「あはは。うちは来る気満々だよ~。「イベントを観たいという御要望」って、あれ、うちも入ってるもん。……それにしても、「御要望」だってさ、ぷぷ。そんな大袈裟なもんじゃ無いんだけどね~。あたしが、『コミセンでステージに立つよ』って言ったら、『え~、見たい見たい』って」

 

 何となく想像できてしまう。やっぱり絢香のご家族だなぁ……。あれ、こんな風に思うのって失礼かな? でも、絢香だし。ふふ。

 出会って一月も経っていない彼女のことをこんな風に思える事が不思議でもあり、嬉しくもある。気に入った相手には一気に距離を詰めてくる、しかもそれを不快に感じさせない絢香の性格のおかげだろう。

 このイベントに参加している小学校三校の六年生は、私立に進学する者を除いて、来年同じ公立中学校に進学する。だから、あと三ヶ月ちょっとで、もしかしたら私たちは同級生になっているかもしれない。「絢香と同級生……」そんな他愛のない事を考えるのがなんだか無性に楽しかった。

 

 

 

 そんな事があり、その夜、家でお母さんに例のプリントを渡すと、

 

「イブの日の午後なら東京出勤じゃないから観に行けるよ」とのことで、お母さんもイベントを見に来てくれることになった。

 ただその後、「留美がお世話になってる八幡くん達にもご挨拶しなきゃね~」なんて言ってたけど……聞かなかったことにしよう、うん。

 

 

 

 **********

 

 

 

「……キャンドルサービス、ちょっと時間がかかりすぎるわね」

 

 雪ノ下さんがストップウォッチを見ながらそうつぶやく。

 

「う~ん、けっこうテーブルの数増えちゃったからね~。ヒッキー、どうしよっか?」

 

「話の雰囲気的に、デラとジムがばらばらに回るってわけにもいかねえだろうしな……。留美、綾瀬、けーちゃんはお年寄りの席だけ回ることにして、ホールのサイドからもう一班か二班、小学生に出てもらうか。増えたテーブルは保護者席が多いんだからそのほうがいいだろ」

 

「じゃあ、左右の入り口に一班ずつ待機してもらいますかね~、あ、でもそれだと~……」

 

 

 

 劇のリハーサルが終わり、今はその後のキャンドルサービスの時の動きとかを確認している。八幡たちが話してるのをぼうっと眺めながら私が小さくため息をつくと、

 

「留美、まだ気にしてんの? あれ、留美だけが悪いってわけじゃないでしょ」

 

 そういって絢香は私のおでこを指でちょんとつつく。

 

「うん……それはわかってるんだけど、さ」

 

 

 

 *********

 

 

 

 リハーサルでちょっとしたトラブルがあった。

 

 私が髪用品店で、『その値段で構いません。どうぞ髪を切って下さい』とセリフを言うと、一瞬舞台が暗くなり、少しの間だけ幕が下りる。そしてその後、幕の外ではジャキ、ジャキと髪を切る音が効果音として流れる。

 幕が降りているのは時間にして30秒ほどで、私はその間にロングのウイッグを止めている三本のピンを抜き、女主人役の中原さんが服の中に隠しているショートカットのウイッグと取り替え、前と後ろの二箇所をピンで留めてもらい、幕が再び上がった時には髪が短くなっている、という段取りだったんだけど……。

 

 私がロングのウイッグのピンを抜き、カツラを外そうとしたら……痛っ。ウイッグが外れない! どうやら私自身の髪がウイッグの何処かに絡みついてしまったらしい。どうしよう、カツラを付ける前、後ろ髪のまとめ方が甘かったんだ……。私と中原さん、ふたりが焦れば焦るほど手元がおぼつかなくなり……結局、流れを切らないはずのリハーサルを一度止めることになってしまった。

 

 その問題は、私が髪からみ防止用のターバンみたいなものを着ける、ということで一応解決したんだけど……どうしても「迷惑をかけてしまった」という気持ちが拭いきれず、後半の演技には今ひとつ身が入らなかった。

 

 八幡たちは、

 

「気にすんな。誰かが悪いわけじゃない。むしろ本番じゃなくて良かったってだけの話だ」

 

「そうよ、鶴見さん。こういう問題点を見つけるためのリハーサルでもあるのだし」

 

 そんなふうに言うだけで、誰も私を責めたりしなかった。

 

 

 

 *********

 

 

 

 ふと、奥で従姉である書記さんと話していた泉ちゃんと目が合う。……いつから来てたんだろう。今日、リハーサルを始める時にはまだ来てなかったはずだけど……。さっきの、見てたのかな……。

 泉ちゃんは私の方に来ると、心配そうな声で、

 

「留美ちゃん……髪、大丈夫だった? 痛くない?」

 

 そう聞いてくる。……ああ、やっぱり見てたんだ。かっこ悪い所みられちゃったなぁ。

 

「泉ちゃん……。うん、大丈夫。まだここがちょっとだけヒリヒリするけど平気」

 

 私は右耳の後ろ辺り、さっき髪が引っ張られた所をちょんと指差して笑顔を作る。

 

「そう、よかったぁ」

 

 泉ちゃんは胸を撫で下ろすようにすると、少しだけ遠慮がちに、

 

「ね、その……背景、実際ステージで見てどうだった? あれで大丈夫かなぁ?」

 

 そう不安げに感想を聞いてきた。

 

「あ、うん! 何ていうか、色がとってもあったかくって、お話にはピッタリだって思ったよ、それに……それに……」

 

 あれ、なんだろう、普通に絵の感想を話そうとしてるだけなのに、なんだか胸が痛い、どんどん言葉が出てこなくなる。……なんで? あ、なんだか涙出そう、どうしよう、なに……これ……。

 

「……留美ちゃん……?」

 

 

 泉ちゃんが不安そうな顔で私の顔を覗き込もうとした時、突然、絢香に後ろからがばっと抱きつかれた。

 

「きゃ」

 

「へへっ。るーちゃんもいーちゃんも何辛気臭い顔してんの? クリスマスイベントなんだよ? もっと明るく盛り上がっていかないと」

 

「ちょっと絢香……」

 

「ねえねえ、いーちゃん、留美ってばさっきのこと自分のせいだってまだ気にしてんの。みんなそんなこと無いよって言ってるのにさ」

 

 違う。今のは別にさっきのことでおかしくなったわけじゃ無い……。

 

「別にこれは……」

 

 言いかけて身を捩るように振り向いて絢香の顔を見上げると、とても優しく、それでいてちょっと切なそうな瞳で私の顔を見つめ、頷くように微笑った。

 

 あ……わざと、だ。絢香は私の泉ちゃんに対する態度がぎこちないの、ちゃんと気付いてるんだ……。だから今、無理やり割り込むみたいにして、私を助けてくれたんだ……。

 絢香は私の頭を優しく、包むように撫でてくれる。

 

「あ、ごめ……私、ごめんねっ……」

 

 思わず涙が溢れる。でも、私はその一(しずく)だけ涙を流し、それでどうにか気持ちを踏みとどまらせた。

 

「へへっ、特別だよ~。私は比企谷さんみたいに簡単にほいほい人の頭撫でたりしないんだからね~」

 

 絢香は冗談めかしてそう言ってくれる。……ふふ、八幡、言われてるなぁ。こんな状況なのになんだか頬が緩んでしまう。

 

 

 

 

 

「……泉ちゃんも、なんかゴメンね」

 

 ようやく少し落ち着いた私が謝ると、

 

「んーん。気にしないから大丈夫。……それであの、綾瀬さん、『いーちゃん』ってわたし?」

 

 泉ちゃんは私に優しく言うと、それからなんだか訝しげに絢香に尋ねる。

 

「そう。ちなみにあたしは『あーちゃん』ね。こっちが『るーちゃん』で、比企谷さんが『はーちゃん』」

 

「え、え?」

 

 絢香が得意顔で答える。泉ちゃんはますます何のことだかわからないみたいでオロオロしてる。

 

「あはは。あのね、保育園の代表の子、居るでしょ。彼女が自分のこと「けーちゃん」って言ってて…………」

 

 

 話題が変わり、いつの間にかさっきの変な胸の痛みは感じなくなっている。……もしかして私は「あの時」の自分自身の言葉を怖がっているのかもしれない。自分の言葉がもう一度彼女を傷つけることを……。

 

 もしそうなら、きっとこのままじゃ何も進まない。元通りに心の底から笑い合うことも出来ない。……でも、じゃあどうしたら良いの? ……答えはまだ見つからないまま。 

 

 

 

 **********

 

 

 

 イベント二日前、終業式の日。絢香たちは学校の行事があるので、今日は遅れるか、もしかしたら時間によっては来れないかもしれないと言っていた。

 リハーサルが変なことになってしまい、後半の、特にジムとのセリフ合わせをもう一回ぐらいはしておきたいところだけれど……絢香がいないんじゃしょうがない。

 

 少し時間の空いてしまった私が、あの二階と三階の間の踊り場に行くと、八幡が飲み物を片手にベンチに座ってボーっとしていた。

 私に気付いた八幡は、黄色と濃い茶色の、蜂の体みたいな色の缶コーヒーをくいっと一口飲み、

 

「おう、留美お疲れ」

 

 と、だるそうに片手を上げた。

 

「八幡もね。……サボり?」

 

「ばーか、今日は俺、超働いてるっつ~の。……今はアレだ。千葉県民のソウルドリンクを飲んで英気を養ってるところだ」

 

「八幡、それ好きだよね……。甘すぎない?」

 

「その甘いところがいいんだろうが。……人生、色々と苦いことも多いしな」

 

 八幡は髪をかきあげ、格好をつけたように言う。……でも、苦いこと……か。

 

「ね、八幡……。サボりついでに、ちょっとだけセリフ合わせに付き合ってくれない?」

 

「だからサボってないっての。……綾瀬たちは?」

 

「今日は学校の行事で遅れるって。もしかしたら来れないかもって言ってた。子供会がどうとか」

 

「そうか……。ま、いいだろ。どうせなら、このまま上に登ってステージ行くか? 今なら開いてるぞ」

 

「うん。……あ、でも台本私のしか……」

 

「いや、俺も持ってる。まあ、劇だけじゃなく、イベントの流れ全部一冊にまとめたやつのほうだけどな」

 

「そか、じゃあよろしくね、『はーちゃん』」

 

「あいよ、『るーちゃん』」

 

 

 

 **********

 

 

 

「で、どっからやる?」

 

「あ、じゃあ、あの失敗したとこ。髪を切った後から」

 

「おう。って、ここ、あんまりセリフ無いぞ」

 

 ホチキスで閉じてある資料の、台本の部分をパラパラめくっていた八幡が言う。

 

「うん。だから、八幡はナレーション読んで。それに合わせて私が動くから。で、ジムが帰ってきたらジム役」

 

 幕が降りたままの舞台に立つと、世界からそこだけ四角く切り離されているような不思議な錯覚を覚える。遥か頭上のライトだけが灯されており、ステージの上には何もない。床のあちこちに様々な色のテープが貼られているだけだ。演劇、コンサートそれぞれで立ち位置や楽器を並べる位置を示すテープ。

 私のテープは白。幅の広いテープをほぼ真四角にちぎって、真ん中に大きく数字が書かれている。

 私はステージの隅に台本を置くと、このシーンの始めの立ち位置の番号が書かれたテープの所に立った。……八幡に向かってコクンと一つ頷いて合図を送る。

 

「あー『デラは、ジムの喜ぶ顔を思い浮かべながら、次々と時計店や宝石店を巡ります…………』」

 

 八幡のナレーションに合わせ、私は花から花へと渡るちょうちょのように、ウキウキとした足取りで白いテープを番号順に渡り、ジムへのプレゼントを探す……。

 

 

 

 

 ……そして、ジムの金時計にぴったりのプラチナの鎖を買って帰宅した後の場面へ。

 

 ジムが帰ってきて、デラの姿を一目見ると、唖然として何も言えなくなってしまう。それで、デラが何を言っても、

 

『髪を……切っちゃったって?』とおなじような言葉を馬鹿みたいに繰り返すだけ。

 

 私は八幡の目を下から覗き込むようにして訴える。

 

『お願い、ジム。私のことを嫌いにならないでちょうだい。……髪は短くなってしまったけれど、ちゃんとお洒落もしたし、いつもよりちょっとだけ上等のお肉も用意したのよ。……それにワインだってあるわ』

 

 八幡は、セリフの無いところだから一応演技しとくか、みたいな感じで台本通りに首を振り、俯く。

 

『お願いよ……ジム。今日はクリスマス・イブなのよ……』

 

 その今にも泣き出しそうなデラの声にハッとして、ジムはデラを抱きしめて……。

 

 

 

「……って、八幡、なんでぼーっと立ったままでセリフ読もうとしてるのよ」

 

 動かずに私のセリフを待っている八幡に文句を言う。

 

「え、いや別に演技とかいらんだろ、俺は。それにさすがにこのシーンはな……」

 

「誰も!……、誰も見てない、から。……私、勇気出したいの。だから、ね……」

 

 ちょっと大きな声で彼の言葉を遮ったものの、そのあとの言葉はどんどん尻すぼみになってしまう……。

 八幡にからしたら私が言ってる事は支離滅裂だろう。……それでも、私は八幡の制服の裾のあたりを両手できゅっと掴み、(すが)るように彼の目を見上げる。

 

「…………」

 

 八幡は、私の目を見て何かを感じたのだろう。しょうがないとでもいう風にひとつ溜息をつくと、台本を持っていない右腕をそっと私の背中のほうに回し、優しく後頭部をかかえるようにして、ほとんど力を入れずに抱き寄せた。

 私の頭がぽてんと八幡の胸にくっつく……。

 

「八幡……」

 

「……『ジム?』だろ。そこは」

 

 見れば、八幡は左手に持った台本を片手で器用に広げたままだ。

 

 もう……ばか正直で鈍感なんだから……と、いうわけじゃないらしい。私のくっついている八幡の胸からはドクン、ドクンという大きな鼓動が伝わってくるし、顔も赤いし、声もどこか震えている。照れ隠し、なのかな。そう思ってあらためて八幡を見ると、なんだかカチコチに固まってる……。ふふ、少しは私のこと、女の子って意識してくれてるのかなぁ。

 もっとも私は八幡よりドキドキしてるし八幡より顔を赤くしてるし、八幡より声も震えてるけどね。……こんなに自分の鼓動がはっきり聞こえるのって私の記憶にある限りでは初めてじゃないかな。自分で何かの病気じゃないかと心配になるレベル。

 まあ、昔から恋は病気みたいなものだって言われてるみたいだし……うん、これが恋だとしたなら、何の心配もいらない。むしろ心地良いドキドキでさえある。

 

 はぁ、しばらくこのままでいたいなぁ。でも、演技を続けないでいると、八幡が変に思っちゃうかもしれないから、

 

『ジム?』

 

 そうセリフを言い、ジムを……八幡を見上げる。八幡は懐からプレゼントの箱を取り出し、そっとテーブルの上に置く、というふりをする。

 

「えと、『デラ、僕のことを勘違いしないでおくれ。 髪型とか化粧とかシャンプーが変わったとか、そんなもので僕のかわいい奥さんを嫌いになったりするもんかい。 でもね、その君へのプレゼントを開けたら、 さっき、しばらくの間どうして僕があんな風におかしかったか解ってくれると思うよ』」

 

 心臓をきゅんと締め付けられたような気がした。……セ、セリフだからっ。それに何ていうか棒読みだし。でも、そう分かっていても、この密着した体勢で『僕のかわいい奥さん』とか言われると、鼓動がさらに一段と速くなる。……「奥さん」かぁ。ふふ。……このまま離れちゃうのはちょっぴり残念だけれど、そうしないと話が進まない。私は八幡からすっと体を離し、プレゼントを開ける動作をし、ちょっと大袈裟に喜びの悲鳴を上げて演技を続ける……。

 

 

 

 

 

 

 そうして、最後まで一通りセリフ合わせを終えると、八幡はどこかホッとしたような表情で台本をぱたんと閉じた。

 

「んんっ、と。留美、お疲れさん」

 

 両手を頭の後ろにまわすような格好で軽く伸びをしながら八幡が言う。

 

 よし、林間学校の時のお礼を言うならきっとこのタイミングだ。さっきので勇気も出た。今日のお礼と、そのついでに合わせて、って形なら夏の事を言ってもそんなに唐突って風にはならないと思うし……。私は意を決して真っすぐ八幡の方を向き、彼の相変わらず疲れたような横顔を見上げる。

 

「……八幡、その、色々ありがとう」

 

「どういたしまして、だ。それに、留美には俺たちの劇に出てもらってる訳だし、どっちかって言えば礼を言わなきゃならんのは俺の方かもな」

 

「ううん……。私がお礼を言いたいのは、今日のことだけじゃ無いの……」

 

「留美?」

 

 八幡は私の雰囲気が変わったのに気が付き、怪訝な顔をして私の正面へと向き直る。

 私は……勇気を振り絞る。今まで言えずにいたことを言うために。いつかは言わなきゃいけないことだから。

 

「あの、林間学校の肝試しの時の事……」

 

 そう言っただけで、なぜか明らかに八幡の表情が少し辛そうに歪んだ。

 

「あの時、私を助けてくれたお礼を、ずっと……ずっと言いたかったの」

 

「……やっぱ、気付いてたのか……。まあ、キャンプファイヤーで写真撮ったりした時からそんな気はしてたけどな……」

 

「うん……。今まで言えなかったけど、私は……」

 

「やめとけ留美」

 

 強く、けれど冷静な声で静止され、私は一瞬言葉を失う。私を見つめる八幡の瞳はひどく悲しそうで、何かを後悔しているようにさえ見える。

 

 

 

「……どうして?」

 

 やっと、一言だけ声を絞り出すようにして尋ねると、八幡は、

 

「俺は留美に感謝してもらえるような事は何もしちゃいない。……俺はお前の周りの人間関係をバラバラにしようとしたんだ。むしろ恨まれても仕方ないとさえ思ってる」

 

 そんな、私が思ってもみなかった事を口にして俯く。

 

「恨むだなんてそんな事……。私があの時どれだけ辛かったか、八幡たちのおかげでどれだけ楽になれたか……だから私はっ……」

 

 私がそう訴えると、

 

「まあ、そういう事も、もしかしたらあったかもしれない。……けどな、留美の感謝を受け取るべき相手がもし居るとしたら、それは実際に体を張って損な役回りを演じてくれた葉山たち三人だ。……間違ってもあんな最低の筋書きを考え、その上悪役を他者に押し付けて、結局最後まで何もせずに見ていたような俺なんかじゃない」

 

 八幡はきっぱりとそう言いきった。そう言う八幡のどこか悟ったような表情は、私にそれ以上の反論を許さない。だけど……だけどさ……。

 

「八幡……わ、私が八幡に感謝しちゃ……ダメなの?」

 

 なんとか、それだけ言えた。……声が震えてる。自分でも半分涙声みたいになっているのが分かる。ねえ、どうして? あの時、何か見えない檻のようなものにとらわれていた私を開放してくれたのは――間違いなく八幡なのに……。

 

 そんな私の様子を見た八幡は、がしがしと頭を掻きながら、

 

「まあ、アレだ。その……『今日のお礼』って言うんなら、いくらでも感謝されてやる。実際、慣れない事やったからすっげー疲れたわ。少なくとも、俺には役者は向いてないって事はわかった」

 

 無理やり空気を変えようとするように、ちょっとおどけた調子でそう言って、彼は照れたようにニイっと笑った。……良かった、怒ってるわけじゃ無さそうで私は少しホッとする。

 うん。八幡が何にこだわっているのかわからないけど、今は……いいや。

 

 私はコホンと一つ咳払い。

 

「じゃあさ、あらためて、……八幡、今日は練習付き合ってくれてありがとうございましたっ」

 

 私はわざとらしく、ちょっと大袈裟にお辞儀をする。45度の最敬礼とか言うやつだ。 

 

「おう。まあ、役に立てたならなによりだが」

 

 そう偉そうに言って八幡は私の頭を軽くぽんっと撫でる。……ホント、八幡は私の頭を何だと思ってるんだろう。絢香が言うとおり、気安く撫ですぎだよ……。でも、それで嬉しくなっちゃう私も大概だけどね。ふふ。

 

 それに、なんだかちょっと心が落ち着いた。まだ不安が完全になくなったわけじゃないけど、でも、きっと大丈夫。

 

「うん。……じゃあ、向こうに戻ろっか」

 

 私は、この八幡と二人だけの時間に少し名残惜しさを感じながらも、舞台の端に寄せて置いておいた台本を取りに向かう。

 

「なあ、留美」

 

 八幡が背後からぼそっと声をかけてくる。

 

「ん? どうしたの」

 

 私が足を止め、上半身だけ振り向くと、

 

「例の葉山たちな、イベント当日来るってさ。そう一色が言ってた。……さっきの話だけど、もしあいつらに礼を言うつもりなら、俺が話通しておこうか?」

 

 私の方を見ないままそんな事を言った。

 

「……ううん。当日時間があるかも分からないし、……それにそれはちゃんと自分で言わなきゃいけない事……なんじゃないかな」

 

「そか。んじゃ、この話は終わりだな」

 

 二人並んで舞台を後にする。舞台袖のパネルを操作し、八幡がステージの明かりを消した。

 

 

 照明が落ちて暗く静まり返った舞台を振り返り、ほんの少しだけ立ち止まる。次にここの明かりが灯るのは、イベント本番当日、クリスマスイブの日。……開演の日は、もう目の前に迫っていた。

 

 

 




 長方形の舞台の上には様々なドラマがあります。留美とその周辺の関係も少しずつ変化してきました……。

 長くも慌ただしかった準備も終わり、次回、海浜高・総武高合同クリスマスイベント、開幕です。

 ご意見、ご感想お待ちしています。



 P.S. 前回、一話分の長さについてご意見を伺ったのですが、どうやら、「少しぐらい長くても無理に分割する必要は無い」という意見が多いようなので参考にさせていただきました。
 また、その回の更新で、瞬間的にデイリー9位まで上がったと報告をいただきました。大変嬉しいです。……が、まあ、これは三話連続更新によるドーピング効果みたいなものでしょう。それでも、これもみなさんに沢山読んでいただければこその結果です。
 あまりいい気にならず、じっくりと書いていきたいと思っておりますので今後もよろしくお願いします。

 ではまた次回。

3月18日 誤字修正 報告ありがとうございました。

1月9日 誤字修正 reira様 ありがとうございました。

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