3007日間   作:まなぶおじさん

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 戦車道全国大会がまき散らす緊迫感とは、何も選手だけが抱くものではない。
 日本戦車道連盟の方々も、観客も、おっさんも、おばさんも、そしてOGも、否応なく全国大会の空気に飲まれていく。これは、去年も今年も来年も変わらない。

 予選の時点で叫ぶ観客もいれば、冷静になって見守る者もいる。最初期は割と「まあまあ」な空気なのだが、決勝が近づくにつれて、観客の口数は段々と減っていく。
 何せ、戦車道とは展開が早い。無駄に感情を張り上げてしまっては、おいしい場面を見逃してしまうかもしれない。
 ――決勝戦まで進めば、後は見守るだけ。それが力になると、応援になると、支えになると、勝機へ繋がると、観客の皆は信じている。

 そして、センチュリオンの主砲から火が噴いた。弾丸は「まだ」直撃しない――当たったか外したかなんて、ほんの一瞬で決まるはずだ。なのに何故分からない、どうして解らないフリをする。
 現実を受け入れろ、

 オレンジペコのセンチュリオンが、黒森峰女学園のフラッグ車を撃ち抜いたことに。白旗が「シュポンッ」と上がったことに。

 茶山は呆然となって、現実を視認していって、聖グロリアーナ女学院の優勝という実感を得ていって、間、観客が怒り狂うように歓声を上げて――
 茶山は、ため息をついた。目頭が、熱くなっていく。
 そうか、本当に勝ったんだ。宿敵、黒森峰女学園に勝利したんだ。聖グロリアーナ女学院が、初めて優勝したんだ。
 僕の目の前で、ダージリンの眼前で、全てをやり遂げたんだ。

 特設モニターが、生徒同士の一礼を映している。叫びたいだろうに、泣きたいだろうに、互いを称える為に「ありがとうございました」と交わしあっていた。
 ダージリンに、目を向ける。
 ダージリンも茶山を見つめていて、にこりと微笑んだ。

 茶山とダージリンは、重く腰を持ち上げた。そのまま自販機まで歩んでいき、無糖の缶コーヒーを二つ分購入した。
 同時にプルタップを開け、何の躊躇いも無く飲み干す。

 苦かった。

 ダージリンと運命の出会いを果たしてから、320日目。ダージリンも、気づけばもう大学生だ。


334~1709日間

 ダージリンと善き友になって、334日目。

 茶山が、ダージリンが、アッサムが、ルクリリが、オレンジペコが、ローズヒップが、ローズヒップの友人が、聖グロの戦車道履修者達が、まずは好きにグループを作る――既に固定化されているようなものだから、それほど時間はかからなかった。

 各々椅子に座り、テーブルを挟んで互いに向き合う。ここまでは、いたって真面目な空気といえるだろう――テーブルの上に、和食洋食野菜デザート等が乗っかっていなければ。

 さて、

 この場にいる全員が、ジュースの入ったコップを手にとる。それを大げさに掲げて――

 

「聖グロ優勝、おめでとうございますッ! 乾杯ッ!」

 

 茶山が音頭を取り、その他全員も「乾杯ッ!」とコップをぶつけあう。バイキング店で、弾き合う音が鳴り響いた。

 宴の発端は、何を隠そうダージリンである。聖グロ優勝があまりにも嬉しくて嬉しくて仕方が無かったものだから、急きょ「夏休み、みんなでバイキングに行きましょう」と計画を立てたのだ。最初は「どうしようかな」という声が多かったのだが、ダージリンが「お代は全部払う」と宣言した瞬間、全ての聖グロ戦車道履修者は「了解!」と即答した。

 そんなわけで、現在のバイキング店は、ほぼ聖グロ生徒で埋まっている。

 

「今日の主役は、間違いなくオレンジペコよ」

「そんな、皆が頑張ってくれたおかげです」

 

 そう言いながらも、オレンジペコは喜色満面の笑みを浮かばせている。ダージリンは、そんなオレンジペコの頭を撫でた。

 

「オレンジペコは素晴らしい隊長ですわ。一生、ついていく予定ですのよ」

 

 ローズヒップがザンギをかっ食らう。見事な食べっぷりに影響されたのか、ローズヒップの友人もザンギを手にとった。

 

「聖グロの未来をあなたに託して、正解だったわ」

「うん。私もそう思う、思うよ」

「アッサム様、ルクリリ様」

 

 堪えきれなくなったのだろう、オレンジペコが静かに涙を流した。

 だが、誰も止めようとはしない。今日ばかりは笑えと、泣けと、声を出せと、皆が心の中で承認している。

 

「あっ、あなたも何泣いてるんですのっ、もう」

 

 ローズヒップの友人――もとい彼氏も、「うう」と咽び始めた。これも青春だと、茶山はオヤジ臭く思考する。

 

「いいなー、彼氏。この、いい男捕まえてきて」

 

 ルクリリが、隣に座っているローズヒップに肘突く。ローズヒップは「えへへ……」と、顔がすっかり真っ赤だ。

 彼氏も、「たはは」と照れまくっている。

 

「羨ましいっ」

 

 冷徹に、しかし楽しそうに苦笑しながら、アッサムがフォークでパスタを引き込む。後はそのまま、「ごゆっくり」とばかりにパスタを頬張った。

 

「うう……涙が、止まりませんね……」

「――こんな格言は知ってる?」

 

 全員のメシの手が止まる。

 

「涙で目が洗えるほどたくさん泣いた女は、視野が広くなるの」

「……ドロシー・ディックス。アメリカのジャーナリストの格言ですね」

 

 涙目のままで、オレンジペコが返す。アッサムは「はあ」と両肩をすくめ、ルクリリは「へえー」と頷き、ローズヒップは「ふーむ」とサラダを食べ始め、ローズヒップの彼氏が「知らなかった……」と感心した。

 

「君」

 

 ローズヒップの彼氏が、茶山に視線を向ける。

 

「君とは、仲良くなれそうだ」

 

 たぶん、実に気持ちの良い笑顔を浮かばせていたと思う。ローズヒップの彼氏も何かを察したのか、手を差し出し――硬く握手した。

 

 

 その後は、好きに食って好きに飲んで好きに話し合った。こういう場は、己が土産話を自然と披露したくなるものである。

 例えば、オレンジペコは戦車隊隊長ならではの苦労話を暴露してくれた。ダージリンは、そりゃあもうひどく共感したものだ。

 次にアッサムだが、何と演歌にハマり出したらしい。相性が良いらしく、茶山は「いいね」と同意した。

 更にルクリリだが、趣味のプロレス観戦に影響されて、バックドロップをマスターしてしまったらしい。一同は恐れ、ルクリリとはケンカしないように誓い合った。

 ローズヒップとその彼氏だが、将来はレーサー夫婦として生きていきたいらしい。オレンジペコが「もうそこまで考えているんですね」とコメントし、ローズヒップと彼氏は真っ赤になって沈黙した。

 

 ――肝心のダージリンはといえば、

 

「まったく、どうしてまほが同じ大学に来たものやら。忌々しい」

「まほもお嬢様ですし、プロを目指しているでしょうからね」

「どうしてプロなんか目指すのかしら」

「西住流の後継者ですし」

 

 これである。

 ダージリンがふてくされながらミートパイをかじり、アッサムはあくまで冷静に返答し続ける。一方ルクリリは、「これうまいですね」と、茶山と一緒におしるこを味わっていた。

 

「ちょっと、茶山さんっ、聞いてますのっ?」

「聞いてる聞いてる」

「支えてくれるんじゃなかったんですのっ」

「仲良さそうじゃない」

 

 ダージリンが通う女子大は、とにかくお嬢様が多く、とにかく戦車道に強い。試しにサイトを見て回ったが、どのページにも「戦車道」という単語がついて回ってくる徹底ぶりだ。ここ最近は、プロリーガー育成にも力を入れているらしい。

 最初は「大丈夫かなあ」と思ったが、ダージリン曰く「敵はまほだけ」らしい。なので仲良く主砲を撃ちあったり、負けを認めなかったり、食堂でにらみ合ったりと、健全な関係を築き上げているそうだ。

 なので、まほ関連の話題は話半分で流すことにしている。ライバルと争うこともまた、青春であるから。

 ――問題は。

 

「まあ、まほに関しては、いつかは私が勝ち越すから良いとして」

 

 ここで初めて、ダージリンがため息をつく。

 アッサムとルクリリと茶山が、ダージリンを横目に見る。

 

「どうしたんですか?」

「ああ、いえ。ちょっと、鬱陶しい問題を抱えていまして」

「本当ですか? 聞かせてください、力になります」

 

 オレンジペコが身を乗り出す。ローズヒップも、彼氏も、何事かと真剣な顔つきになる。

 

「ありがとう。――まずは自慢話になってしまうのだけれど、大学に『ダージリン派』たるチームが出来ましたの」

 

 オレンジペコが、「すごい」と目を丸くする。

 

「まあ、『まほ軍』なんてのも出来たんですけれど」

 

 実に嫌そうに舌打ちする。オレンジペコが「ひっ」と怯える。

 

 ――そう。

 恐るべきことに、ダージリンは一年にして頭角を現したのだ。ダージリンが通う女子大は、良くも悪くも実力主義的な面があるにも関わらず、だ。

 だが、納得もする。ダージリンは隊長としての素質があるし、何より口が上手い。すぐさま大学での人気者となり、今では一年の象徴として崇められているとか。

 ちなみに、「口が上手い」を「ストイックだ」に変換させただけで、西住まほの現状を語ることも出来る。

 

「隊長、オレンジペコを怖がらせちゃ駄目ですよ。――あ、私もダージリン派の一人でね、なんと隊長の戦車に乗ることになったんだ。通信手として」

「私は変わらず砲手を」

 

 オレンジペコが「すごい、無敵じゃないですか」と、称賛する。

 戦車道の縁とは強いものであるらしく、アッサムもルクリリも、数人の聖グロ生徒も、ダージリンと同じ大学へ入学した。目的は勿論、プロになる為だ。

 

「まあ、『いつもの』聖グロといった感じですわね。だからこそ、良い成績を残せるのかもしれません」

 

 といえども、ダージリン曰く「まだまだ」だそうだ。やはり、高校と大学は違うらしい。

 

「……結果、目立ち過ぎたのでしょう。ある先輩が、私に対してありがたい忠告をしてくれましたわ。『調子に乗るな』って」

 

 ローズヒップが「はあ?」と言い放ち、彼氏が「はああ?」と呆れる。

 

「元々目立ちやすい生まれですし、こういう場所ではよくある話ですわ」

 

 ふん、と鼻息を漏らす。

 

「ただ、いちいち失敗を指摘してくださったり、まほに負けるたびに良い笑顔を浮かばせたりと……ああ、充実した戦車道を歩んでいますわ」

 

 後はそのまま、ミートパイを咀嚼し始める。茶山はもちろん、ルクリリもアッサムも、このことは把握している。

 ルクリリからは『隊長を励ましてください』とメールが届くし、アッサムに至っては事の詳細を報告してくれる。そのたびに、茶山はダージリンへメールを送信したり、週末になれば食べ歩きへ招待したりもしている。

 今となってはダージリンも実家暮らしだ。それがありがたい。

 

「……ひどい輩もいたものですわね。許せませんわ」

「はい。戦車道履修者の風上にも置けない人です」

 

 ローズヒップの彼氏も、まったくだと頷く。

 

「――ああ、ごめんなさい。空気を汚してしまって、つい」

 

 ダージリン以外が、首を横に振るう。

 

「こうした場所ですし、言いたい事言っちゃいましょうよ、ね?」

 

 ルクリリが、フォークに刺した肉じゃがをダージリンへ差し出す。

 ダージリンは――含み笑いをこぼし、肉じゃがを頬張った。

 

 

「ねえ、ローズヒップ」

「何ですか? ルクリリ様」

「ドラッグタンクレースっていつやるの? 興味あるんだけど」

「まじですの!?」

 

 

 好きに食べ、身も心も満たされたところで、ダージリンが両手を合わせる。

 茶山も続いて同じ姿勢をとり、皆が「ああ」と手を重ね、

 

「ごちそうさまでした」

 

―――

 

 ダージリンの顔を覚えて338日目。携帯が揺れたので、ポケットから引っこ抜いてみると、

 

 着信メール:オレンジペコ

 

 ほう。

 興味深く拝見する。

 

『こんにちは、この前は本当に楽しかったです。今度は、私からダージリン様に何かおごりますね。

それにしても、例の件……本当にあれですね、ひどい話です。ダージリン様は、実力で活躍しているだけなのに。

私も何とかしてサポートしますが、一番の支えは茶山さん、あなたです。

お願いします。ダージリン様に負担が感じられた時は、出来る限りのフォローをしてあげてください。

 

突然のメールで申し訳ありませんが……よろしくお願いします』

 

 茶山は、オレンジペコに対してすぐさまメールを打ち出した。

 タイトルは、もちろんこうだ。

 

『任せてください』

 

―――

 

 ダージリンと意思疎通して、344日が経った。

 今現在は、週末ということでダージリンとクレープを食べている。まるでいつもの光景であり、平和そのものだった。

 

「どうだい? 調子は」

「――やっぱりレベルが違いますわね、大学の世界は。まほは勿論、他の同級生まで」

 

 それでも、あくまで意識する相手はまほだけらしい。

 凄いなあと、茶山は思う。聖グロの戦車隊隊長だなあと、実感する。

 

「ですが、大分コツは掴めてきましたわ。このままいけば、程々の戦歴は得られるでしょう」

 

 町の中にあるベンチに腰掛けながら、ダージリンはクレープをかじっていく。

 ホイップクリームが口の中に吸い込まれたのだろう、ダージリンの目が笑った。

 

「応援するよ」

「ありがとう。あなたのその言葉で、何度救われたことか」

「これぐらいしか出来ないけどね。でも、自信はある」

「誇ってくださいな」

 

 少しだけ、世界が静かになる。

 ダージリンは大学生になったが、その気高さは決して消えはしていない。むしろ、輝きを増したとすら思う。

 空は今日も晴れていて、暖かい。車が横切っていくたびに、なぜだか「ああ、今日は休日か」と実感する。平日は、あまりものを見ないからかもしれない。

 

「……そういえばさ、あの先、」

 

 本題を口にしようとした瞬間、ダージリンの手が茶山の太ももの上に重なった。

 

「大丈夫。あの後、みんなから励ましのメールが届きましたので」

 

 見上げる。

 ダージリンは、今日も幸せに生きているらしい。それがひどく嬉しくて、たまらない。

 そんなダージリンが見られて、今日まで生きてこられて、本当に良かったと思う。

 

「茶山さん」

 

 声をかけられる。なんとなく、視線は上の空のままだ。

 

「心配なさらないで。私は、あなたが生きているだけで、明日も頑張れます」

 

 呼吸する。まだ、ダージリンの顔を見ることができない。

 だって、恥ずかしい顔をしているだろうから。

 

―――

 

 ダージリンと世界を歩んで、348日が経つ。季節は秋、少しだけ肌寒い。

 茶山はベッドに転がりながら、ルクリリからのメールを眺めている。

 

『こんにちは、元気ですか? 私はこの前、プロレス観戦をして上機嫌です。今度、新しい技を取得してみようかな、と思ったり』

 

 クソ恐ろしいことを伝えられた。なるだけ対人はやめてねと返信しておこう。

 指をスライドさせる。

 

『そういえば、もう少しで隊長の誕生日です。忘れていませんか? 忘れていませんよね? 私たちは、大学で直接手渡すつもりです。

なのでトリは……あなたにお任せします』

 

 当然、覚えている。自分が生まれた日付よりも。

 プレゼントはもう購入した。後はその日が来るのを待つだけだ。

 

 

―――

 

 そうして、ダージリンの誕生日が訪れる。

 ダージリンに惚れて367日目、あっという間に一年が過ぎてしまった。これからも、特別な事を抜きにして付き合っていきたいものだ。

 

 そんなわけで、校門近くでダージリンを待ち受けては、「ばかっ、驚きましたわっ!」と怒られた。その際に、ダージリンが持つ手提げ袋が翻る。

 袋の中には、沢山のプレゼント箱が――なるほど、やはり人望は篤いらしい。

 

 で、その後が中々上手くいかない。不意を突いて渡そうにも、今のダージリンは「今日は誕生日」と意識しているだろうし、プレゼントも渡されたばかりだろう。どう足掻いたところで、意識の不意を突くことは困難だ。

 それに、校門前で驚かせたのも悪手だった。根に持ったダージリンは「ほれ渡してみなさいよ、渡せ」と意地悪く笑い続ける。こうして防衛態勢をとられては、いよいよもって観念するしかない。

 大人しく、赤い包装紙に包まれた箱を手渡す。

 

「あら、何かしら。今日は何か、特別な日でしたっけ? うん?」

 

 実に冷徹で冷酷で冷却された声色だった。やはり、口の上手い人を怒らせてはいけないのだろう。

 ――しかし、

 

「これ……スカーフ? 赤い」

「うん、緑色のベレー帽に似合うかなって。あと、ダージリンは赤ってイメージだから」

 

 ダージリンが、優しい手つきでスカーフを巻き付ける。未だに信じられないような表情で――けれども、温まったように微笑した。

 

「そんな。こんな、高いものを」

「ダージリンを驚かせたり、喜ばせる為なら、僕はなんでも」

 

 ダージリンが、スカーフを抱きしめる。顔を赤くしながら、両目をつむりながら、何度も「ありがとう」と口にして。

 

 ――やっぱり、ダージリンを驚かせることだけは、やめられない。

 

―――

 

 ダージリンに憧れて、370日目だ。愛はまだ満たされない、それでいい。

 自室でダージリンティーを口にしていると、充電器に挿しておいた携帯が震えた。カップを置き、床に放置しなっぱなしの携帯を引っこ抜く。

 

 新着メール:アッサム

 

 指をスライドさせる。

 

『こんにちは、元気でしたか? こちらは元気です、隊長はルンルンです。

あのスカーフ、あなたがプレゼントしましたね? もう毎日毎日見せびらかしてきて、こちらのやる気を削いでくれます。

最初は祝いましたが、隊長ときたら、チラッとスカーフを見せつけたり、戦車に乗る時も必ず身につけて……あなたは悪くありません。ただ、その……疲れます。

 

ですが、楽しそうな隊長が見られて何よりです。やっぱり疲れますけど。

私も早く、惚気話がしたいものです』

 

 ため息をつく。アッサムに『ゴメンナサイ』と返信する。

 携帯を充電器に差し込み、再び椅子へ腰掛け、ダージリンティーを味わうことにした。

 

―――

 

 聖グロ派になって、375日目。ポケットに入れておいた携帯が震える、何だろうと手に取る。

 メールの送信者は――ダージリンだった。何かあったのかなと画面をスライドさせ、

 

『妹に撮影してもらいました。見てください』

 

 まず、この一文で茶山の心臓が止まりそうになった。更に「添付ファイル付」というテキストを目の当たりにし、体温が沸騰した。

 画像ファイルの総数は、全部で五枚。どれもがダージリンを被写体にしていて、一枚ごとに私服、ポージングが変化していた。中には、ダージリンティーを口にしているものまで。

 そこまでは良かった。実に平和的で、微笑ましくて、魅力的なメールといえる――全ての画像に、赤いスカーフを強調させていなければ。

 めちゃくちゃ恥ずかしくなった。

 しかも、この画像は「撮ってもらったもの」だ。撮影者はたぶん、「まだ撮るのー? お姉様ー」とウンザリしたに違いあるまい。

 あのダージリンのことだ。納得出来るまで、何度も何度も何度もリトライしたことだろう。今度、妹には何か奢ってあげなければ。

 

 ため息をつく、画像を保存する。

 さて、正直な感想を送信しよう。人差し指で、携帯の画面に触れて、

 

 新着メール:オレンジペコ

 

 あ、丁度良いタイミングで。

 

 新着メール:ルクリリ

 

 は、

 

 新着メール:アッサム

 

 ――、

 

 新着メール:ローズヒップ

 

 どうも、プレゼントは大成功だったらしい。

 ダージリン以外の人にも、プレゼントを渡したことはある。大抵は普通に喜ばれ、大切にされたものだ――大爆発を起こすなんて、誰が予想出来ただろう。

 これもサプライズなのだろうか、そういうことなのか。

 茶山は、死地に赴くような表情をしたまま、オレンジペコのメールを開いた。

 

 それぞれのメールの内容を、乱暴に総括すると、『隊長が自撮りするなんて! 綺麗! 可愛い! やったね茶山さん!』だった。

 

―――

 

 ダージリンの幸せを願って、はや492日目。冬休み中、ダージリンが不意打ち気味に実家訪問してきた。

 これで二度目だし、メールをよこさなかったので、何となく予想はしていたが――やはり、ビビってしまう。

 しかし、だからこそやめられないのだろう。礼儀にうるさいダージリンだからこそ、サプライズの爽快感をよく理解しているはずだ。

 そして、自分も懲りるつもりはない。ダージリンを驚かせることは最高に楽しいし、内心、どんな反撃が来るのかなと心待ちにしていたりもする。

 そんな人間関係が、今日もこれからも続いていく。正月を過ぎて、次の年に入ったとしても。

 

「で、いつ結婚するの?」

「早いよ母さん。まずは大学を卒業しないと」

 

 正月の朝というものは、実に穏やかで、全くもって気だるい。茶山もダージリンも、気の抜けた表情でおしるこを口にしている。口の動きもどこか緩慢だ。

 だが、残すつもりはさらさら無い。このおしるこは、母とダージリンの共同作品なのだから。

 

「ええ、まずはプロになって……即、結婚する予定ですわ」

「え、そうだっけ?」

「ええ」

 

 しれっと、今後の予定を決められてしまった。まあいいやと思いながら、

 

「プロかぁ……やっぱり、勝率高く無いとダメかな?」

「それもありますが、やはり振る舞いも大事ですわね」

「振る舞いというと」

「ファンサービスとか、インタビューとか、写真撮影」

 

 なるほどなあと、頭の中でぼやく。

 戦車道とは「武芸」であるから、気品さも必然的に求められることになる。勝利する事も大事だが、勝つだけではダメ、ということなのだろう。

 母は、分かったようなそうでないような感じで、「大変ねえ」と一言。

 

「でも、ダージリンは完成されてるし、大丈夫じゃない?」

「そうかしら」

 

 くすりと、ダージリンが微笑む。

 茶山は、うん、と頷く。

 

「容姿端麗だし、雰囲気も最高だし、僕のような平民にも相手してくれるし」

 

 ふと、ダージリンが首を横に振るう。

 

「それは違いますわ」

「違うの?」

 

 ダージリンが、微笑ととも頷き、

 

「私が、あなたを求めているの」

 

 母が、「あらあ」と顔を赤くする。

 たぶん、自分も似たようなツラを浮かばせているだろう。だから何も言えない、なんとも言えない。これだけでも死にそうなのに、

 

「――私だけの茶山さん、ですから」

 

 とどめを刺された。

 

 なんとか生き返って、ただただおしるこを食べて、餅を飲み込んで、小豆を噛み砕いて、

 

「ご、ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした」

 

 片付けるために、お椀を手に取ろうとして、

 

「殿方はここでゆっくり」

 

 鮮やかにお椀が回収され、茶山は居間にぽつんと取り残されてしまった。

 そこで、母がニタニタと笑いながら、

 

「で、いつ結婚するの?」

 

 ダージリンがプロになってからだよ、もう。

 

―――

 

 ダージリンの世界に入って、613日が経過した。気づけばダージリンも大学二年生で、大分板について来たように思える。入学当時の、どこか新鮮な雰囲気はもう感じられない。

 相変わらずまほとは、色々な手段を用いて争いあっているらしい。それは戦車道だったり、歌だったり、ダンスだったり(これは劣勢らしい)、料理だったり(これは優勢)、正座我慢大会だったりと、順調に交流を深めていっている。

 ――問題は、例の先輩だ。

 アッサムやルクリリからのメールによると、先輩とやらは、ダージリンの些細なミスも見逃さず、ご丁寧にご指摘してくださるらしい。

 しかもありがたいことに、趣味に対してまであれこれと口にしてくださったようだ。紅茶を飲んでいる暇があったら戦車に乗れ、食べている暇があったら改善しろ、これはあなたの為に言っているのよ――

 

 大学生としての建前を捨て、先輩のことを正直に評価するならば、クソそのものだった。

 

 舌打ちが、自室の中で木霊する。

 ダージリン曰く、『気にしてない』とのことだが、ルクリリからは『ストレスを感じていますね』と報告を受けることがある。やはり、全てを隠し通せるわけではないらしい。

 当たり前だ。

 ダージリンは女の子なのだ。笑う時は笑うし、怒る時はしっかり怒る。時には、苦痛だって帯びる。

 ――人一倍我慢強いだけの、乙女なのだ。

 

 充電器から携帯を引っこ抜き、衝動的にダージリンへ電話をかける。

 助けたい、何とかしたい、腹が立つ、愛してる、支えたい、守りたい、ぶちのめしたい――それら感情をイコールさせた結果、この行動しか思い浮かばなかった。

 

『もしもし、ダージリンです』

「あっ、ダージリン」

『まあ、こんな夜中に……どうなされました?』

「あ、いや、その……少し、話がしたくなって」

 

 ダージリンが、『そう』と返事した。嬉しそうに。

 どうしてこの人が、馬鹿な理由で嫉妬されなければならないのだ。

 

「最近、大学はどう? もう二年になるでしょ」

『ええ。最近はダージリン派も大きくなっていって……まあ、まほ軍も何故か、比例して巨大化していますけど』

 

 世にも恐ろしい声を出すが、まほのことを「嫌い」と評価したことはない。良くも悪くも拮抗していて、堂々と真正面から争い合う為だろう。

 これを、仲が良いという。

 

「あ、そうそう、最近はサークルも作りましたわ。『紅茶と戦車』という、ティータイムを主に行うサークルを」

「おっ、聖グロらしいね。いいね」

『加入者も多く、賑やかなものです』

 

 出来たばかりのサークルだが、たぶん、女子大の「伝統」になると思う。ティータイムが嫌いな戦車道履修者なんて、きっといない。

 

『……ほぼ同じタイミングで、『カレー愛好会』なる忌々しいサークルも出来ましたが』

 

 口ぶりから察するに、まほが主催しているのだろう。そしてたぶん、「紅茶と戦車」と、ほぼ同じくらいの規模に違いなかった。

 

『まあ、いずれは私たちのサークルが凌駕するでしょう』

「がんばってね」

 

 昼飯を賭けても良い、きっとその日は来ないと。

 ――沈黙。

 

「あ、えっと、その……」

『は、はい』

 

 不意に緊張感が訪れる。かけるべき言葉がある癖に、中々口に出せない。

 自室を見渡すが、特に代わり映えなどしていない。壁には名物ラーメンカレンダーがかけられていて、床には携帯の充電器が放置されている。以前のように、雑誌が散らばったりなどはしていない。

 学習机を見る。置きっぱなしの教科書に、ノートに、ペンに消しゴム――ティーセット。

 聖グロを卒業する前に、ダージリンは、愛用していたティーセットを博物館へ寄贈した。その事に全く後悔はなく、むしろ光栄だとすら思ったらしい。

 ――そしてダージリンは、前と同じティーセットを購入した。理由は、

 

 あなたと、ずっと繋がっていたいから。

 

 ――勇気が沸いて出てきた。

 お姫様を救うことは、王子の使命だ。

 

「ダージリン」

『はい』

 

 ダージリンの声に、真剣さが孕む。

 

「その……」

 

 言え、ありったけ言え。

 カップの取っ手を握りしめる、これだけでもう十分だ。

 

「ダージリン。僕は、ずっと、絶対にダージリンの味方をする、応援もする。だから、絶対に負けないで、屈しないで」

 

 いきなり何のことかと思っただろう。――だが、ダージリンは戸惑いもせず、質問もせず、ただただ茶山の言葉を待っていた。

 

「正直に言う、その先輩はクソだ。僕が前に出て、言葉でぶちのめしたいってくらい大嫌いだ。僕のダージリンを傷つけやがって」

 

 一人で熱くなる、深呼吸する。

 

「ダージリン、君は決して独りじゃない。困ったことがあったら僕に相談して欲しい。……僕だけじゃない、みんなも君を支持してる。疲れたら、ティータイムで一休みしよう」

 

 カップを、人差し指で撫でる。

 

「愛してる」

 

 言いたかったこと全てを、脳ミソから吐き出した。

 ――冷静になろうとしても、体温が高ぶっていく。こんなにも手前勝手にモノを言ったのは、何年ぶりだろうか。

 再び、沈黙が訪れる。

 まだ、沈黙が居座る。

 今も、沈黙が、

 

『茶山さん』

 

 破られた。

 

『……私は大丈夫、本当に大丈夫です。ダージリン派の皆が助けてくれますから』

 

 茶山の呼吸が、止まる。

 

『それにいつか、戦車道で圧勝する予定もありましたから。ふふ、ふふふ』

 

 ダージリンが悪そうに、しかし楽しげに笑う。

 こういうところが、本当に恐ろしいと思う。ダージリンの劣勢なんて、反撃される前フリでしかないのだから。

 

『――けれど』

「けれど?」

 

 ダージリンが、「ふう」と息を吐く。

 

『……茶山さんの言葉を、激励を、応援を、もっと聞きたい。これからもずっと、あなたの情熱を独り占めにしたい』

 

 鼻で呼吸する。

 

『茶山さん。――あなたのくれたスカーフは、あなたの魂そのもの。大学でも、戦車の中でも、あなたは私を守ってくれていますわ』

「そう……なんだ」

 

 か細い声しか出せない。

 あまりの喜びに、感情が追い付いていないから。

 

『……このスカーフ、もっと早く手に入れたかったですわ』

 

 え、

 

『そうすれば、私は全国大会で優勝出来たでしょうから』

 

 重力に従うように、茶山はうなだれていく。

 嬉しい、喜ばしい、愛おしい――これら以上の言葉を、探し出すことが出来ない。それがひどくもどかしくて、とてもたまらない。

 

―――

 

 ダージリンのことを尊敬し始めて、もう619日が経つ。これからもきっと、続いていくだろう。

 

 今現在、茶山は大学の食堂でうどんを啜っている。真正面に座っている男友達が「あー暇だなー」と背筋を伸ばし、茶山は「そうだなー」と同調する。

 それでいい、と思う。それがいい、と実感する。刺激なんてものは、大抵はロクでもないものなのだ。

 無事平穏が一番、平和が最高。友人のぼやきすらも、どこか癒しにすら聞こえる。

 

 携帯が震え、ポケットから引きずり出す。画面には、「新着メール:ルクリリ」の文字が。

 

「どしたの」

「友人からメール」

 

 内容はなんだろう、プロレス関連かな。ヘラヘラした気持ちのまま、メールを開封する。

 

「え」

「どした」

「あ、いや、なんでもない、うん」

 

『茶山さん、大変です。隊長と先輩が、戦車で『ケリをつける』ことになりました。この後、私も参戦します。

これまでは膠着状態だったのですが……先輩が、馬鹿なことを言ってしまったのです』

 

 指をスライドさせる。

 

『そのスカーフ、何? キザったらしいわね。と』

 

 平和じゃなくなった。

 ルクリリに『頑張って』と返信し、携帯をポケットにしまう。

 ――椅子の背もたれに身を預け、途方に暮れたまま見上げる。視界に映るは、争いも汚れも知らなさそうな、白い天井だけ。

 

 挑発を受けた時、ダージリンは喜色満面の笑みを浮かべたに違いあるまい。そしてすぐさま、実に丁寧な言葉遣いで「表に出ろ」と指示したはずだ。

 心の中で祈る。

 戦車に乗れる体のまま、生きて帰って欲しいものだ。先輩が。

 

 

 数時間後、ダージリンとアッサムとルクリリからメールが届いた。まずはルクリリのメールを読んでみよう。

 

『勝ってきました、ひどかったです。

まず、先輩の戦車以外を片付けました。その後はじわじわと包囲していき、士気をくじいた後で一斉発射――可哀想でした。

まあ、正直に言いますと、ざまあみろおとといきやがれって感じです。

スカッとしました。これでしばらくは、先輩も懲りる事でしょう。やっぱり恋って強いですね』

 

 次に、アッサムのメールを開く。

 

『今日もお疲れ様です。

先ほど、隊長と先輩が『練習試合』を行いました。半ば決闘みたいなものでしたが。

結果は圧勝でした。隊長の手腕によるものか、先輩が大したことなかったのか、或いは両方かもしれません。

で、隊長ときたら、試合が終わった後で『ありがとうございました』と頭を下げました。すっごくいい笑顔でした。

やっぱり、この人を敵に回してはいけませんね。

――これからもどうか、隊長をよろしくお願いします』

 

 最期に、ダージリンのメールを展開する。

 ――1文字もテキストが打たれておらず、茶山が首をかしげる。画像が一枚添付されていたので、読み込んでみると、

 

 先輩のものであろう、ボロクソにやられた戦車を背景に、ダージリンが世にも恐ろしい笑顔でピースサインをしていた。

 

―――

 

 ダージリンの事を守ると誓って、657日が経過した。日光というか、夏が蒸し暑い。

 

 もう、戦車道全国大会の決勝戦だった。もう、そんな時期だった。

 ダージリンと共に、特設モニターを注視する。試合内容は聖グロリアーナ女学院 対 黒森峰女学園――オレンジペコとローズヒップにとって、最後の全国大会となる。

 聖グロも黒森峰も、絶対に妥協せず絶対に違えず絶対に屈しない。あとは、目に見えない実力差のみが全てを決め、

 

『フラッグ車、大破! 優勝は、黒森峰女学園ッ!』

 

 ほんの少しの間を置いて――観客が、大爆発を起こした。

 中には笑っている者が、中には泣いている者が、中には叫ぶ者が、中にはうなだれる者が、中には二人で踊る者が、中には、

 ダージリンは、小さく拍手していた。

 だから、茶山も手を叩く。

 

 聖グロは、全力をもって黒森峰と戦った。戦車道を以って、武を表現しきった。

 オレンジペコ率いる聖グロ戦車隊は、間違いなく華麗で優雅だった。

 

―――

 

 愛するべき人を知って、もう692日目だ。

 今日は河川敷で花火大会が開催されるらしく、家の前の人通りが随分賑やかだったりする。フリーだった頃は、窓から花火を眺めては「へー綺麗なもんだ」とか感想を漏らしていた。

 ――勿論、今年は花火大会へ出撃する予定だ。

 そうなった原因はといえば、勿論ダージリンである。朝早くから『今日、花火大会へ行く?』とメールを送信したのだが、ダージリン曰く『行けたら行きますわ』とのことだ。

 これは一種の前振りで、「待ち合わせ時間は教えないが、必ず迎えに行く」という意味がある。なので、茶山は現在進行形で身構えていた。

 

 既に午後六時、あと少しで花火が打ち上げられる。

 自室の窓から外を覗き見てみると、やはり人の流れは止まってなどいない。今頃、河川敷は観客で埋まっていることだろう。

 空を見る。

 何度も見た満天の星空が、今となっては心を高ぶらせてくれる。あの星々に混ざって、花火が咲き誇るのかと思うと――

 

 チャイムが鳴った。

 瞬間、携帯とサイフをポケットに突っ込み、ドラッグカーの如く駆け抜け、自室のドアを雑に開ける。そのまま階段を乱暴に下っていっては、遠く感じられた玄関へ到着し、

 

「はい……ああ、リンちゃん! 今、息子が丁度降りてきたところよ」

 

 だと思った。

 タキシードを着こむかのように、服を整える。母が「入っていいわよー」と、電話越しで許可を下した。

 玄関のドアが開く、やっぱりダージリンが来てくれた――赤い浴衣姿で、髪は整えたまま。

 

「え、あ……」

「今晩は、茶山さん」

 

 ダブルサプライズを食らい、茶山の意識が、体が凍った。

 女性の浴衣姿なんて、何度も流し見したはずなのに――当たり前だ。相手はダージリンなんだぞ。

 

「あらー、かわいい!」

 

 居間にいた父も駆け付け、「おお、これは……」と感嘆の声を漏らす。ダージリンが一礼した。

 一方茶山は、目も脳ミソも心の中も、「最高だ」としか発想できなかった。

 

「花火大会へ行こうと思いまして。茶山さんを、連れていっても構いませんか?」

 

 父と母は、「どうぞどうぞ」と笑顔で快諾した。一方茶山は、「本当にこの人が僕の彼女……?」と、世迷い事を思考している。

 

「ありがとうございます。さあ、行きましょう」

 

 手を伸ばしてきた。

 

「う、うん」

 

 靴をはき、ダージリンの白い手をぎゅっと握る。

 

「頑張れよ」

「何をだよ」

「何だろうな」

 

 父の適当な言葉を背に、茶山とダージリンは河川敷へ歩んでいく。

 

 

 河川敷へ通ずる道すら混み気味だったのに、肝心の河川敷といったら――戦場だった。

 普段は人気の少ないスポットなのだが、今となっては右を向いても左を見ても人だらけで、老若男女問わずの激熱ロケーションと化していた。

 河川敷の世界へ、少しだけ入り込む。

 提灯がぎらぎらと河川敷を照らし、喧騒がやんややんやと飛び交い、屋台のオヤジが美味い美味いと主張し、名物「花火高射砲」がどかんどかんと並んでいる。そんな祭りっぷりをよそに、河は無関心そうに流れゆく。

 

「人、多いですわね」

 

 ダージリンの表情は、実に明るかった。

 色とりどりの着物が視界に映り、学生グループらしき連中が「あっちいこーぜー」と、何処かへ指さす。子供が屋台のオヤジ相手に「これちょーだい」と注文し、オヤジが「毎度!」と元気よく返事した。

 数多いカップルの一組が、「高射砲ってかっこいいですねぇ、好きになりましたぁ」と評価する。デカいものは、男女問わず好かれるものであるらしい。

 

「さて……食べ歩きしよう」

「はい!」

 

 微笑を浮かばせていたダージリンが、ぱあっと笑顔になる。手を繋いだまま、焦らない足取りで、屋台のド真ん中を突っ切っていく。

 何でもありの飯の匂いが、食欲を誘う。

 

 

 筒から火薬が発射され、夜空に火が花開く。観客の絶叫とともにメインイベントが迎え入れられる中、茶山とダージリンはわたあめを、スルメイカを、りんご飴を、フランクフルトを――まだ食う、ダージリンだって食う。祭りの勢いに背中を押されるまま、屋台という屋台を攻略していく。

 

「綺麗ですわね」

 

 茶山が頷きながら、かき氷をかっ食らう。そのままごくりと飲み込み、次の言葉をするりと思いついた。

 ――このセリフに対し、男である茶山は、

 

「君の方が綺麗だよ」

 

 あえてダージリンの方は見ない、こっ恥ずかしいに決まっているからだ。――強烈な視線を感じようとも。

 

「茶山さん……あ、あなた、大真面目にそんなことを」

「ダメ?」

「……ダメ、じゃないですけれど」

 

 だよね。

 爆発的な緊張感が解けて、含み笑いがこぼれてしまう。それが気に入らないのか、ダージリンは「まあ」と口にした。

 

「そうやって、人の感情をもてあそんでっ」

「ダージリンに対しては、嘘はつかないよ。嫌われたくないもの」

「……そう」

 

 感情が読み取れない、静かな声。ダージリンの方へちらりと視線を向けると、どこか嬉しそうな表情で花火を見つめていた。

 安堵して、小さくため息をつく。

 これでもかとばかりに花火が連射され、星空が虹色に彩られていく。闇の恐ろしさなどどこにもない、今日ばかりは情熱だけが活きている。

 

 数分後、アナウンスとともに花火高射砲がリズム良くぶっ放された。

 数メートル離れているはずなのに、衝撃がダイレクトに伝わってくる。ダージリンが「きゃー」と黄色い声を上げた。

 数秒の間を置いて、戦車を象った花火が空中に炸裂する。観客が大歓声を上げ、あまりの興奮に拳を振り上げる者もいた。茶山は「聖グロの戦車じゃなかったな」と悠長にコメントする。

 

「あら……よく知っているのね」

「聖グロだけはね」

「どうして、そこまで聖グロに熱心なのかしら?」

 

 分かっているくせに、ダージリンはにやにやと質問をする。茶山が「それはだねー」と前置きし、

 

「――ダージリンがいるからだよ、もう」

 

 再び、ダージリンの手をぎゅっと握ってやる。ダージリンがびくりと震えたが、すぐに応えてくれた。

 

「良い理由ですわ」

 

 不純である気もしなくはない。

 だけど、動機なんて大抵はそんなものだと思う。

 

「この数年、僕はダージリンに色々な事を教えられた」

 

 再び、花火高射砲がぶっ放される。しんみりとした空気が消え失せ、内心「いいねえー」と躍る。

 花火高射砲は、地元では古くから伝わる伝統の一つだ。元々は倉庫に眠っていた高射砲に対し、「解体しようかな――あ、花火大会あるじゃん」みたいなノリで使い始めたのが、事の発端らしい。

 元が軍用ということもあって、頑丈で逞しく、発射音が心地良くうるさい。この単純な派手さが地元住民に気に入られ、瞬く間に人気コンテンツと化した。今となっては、「打ち上げ花火専用高射砲」たるモノも存在するとか。

 今度は、戦闘機型の花火が空を舞った。

 

「……そう?」

「うん。聖グロのこととか、戦車道についてとか、紅茶に関してとか、本当に色々。ダージリンからは、たくさんの影響を受けたよ」

 

 花火高射砲が火を噴く。整頓された発射音の連鎖は、かえって聞き心地が良い。

 花火高射砲は、発射音と爆発音の調和が最重要視される。観客はもちろん、全国の花火ファンからの評価も高い。最も評価の高い花火職人には、高射砲型トロフィーが献上される。

 

「……それは、良かったですわ」

「うん。――絶対に守りたい人も、見つかったからね」

 

 ダージリンが、「それは?」と聞く。期待するように、とても嬉しそうに。

 

「……君だよ」

 

 ――頬に、暖かい感触が伝わった。あまりにも恥ずかしかったので、確認なんて出来やしなかった。

 

 この空に、チャーチルの形をした花火が輝いた。

 

―――

 

 ダージリンについていくと決めて、700日目。これからも、こうした日々は続く。

 食堂でカレーを注文し、友人と映画について語り合う。友人は昔から映画が好きで、ジャンルは何でも良いのだという。とにかく、映画館で映画を見られれば良いのだとか。

 最近は「戦車で恋愛」の続編が上映されているらしく、ダンスシーンが見ものだとか。今度、ダージリンも誘ってみようかな。

 そんな時、携帯が震えた。

 茶山が「ごめん」と一言断り、ポケットから携帯を抜く。アッサムからのメールが届いていた。

 

『こんにちは、お元気でしたか? 私たちは相変わらずです。

相変わらず隊長はスカーフを見せびらかしてきますが、そのことを指摘出来る者はいません。正直、何とかしてください。

それはまあ良いとして、ここからはヨタ話として聞いて欲しいのですが――例の先輩が、何か妙な動きを見せ始めました。

戦車道で大敗して以来、直接ちょっかいを出してはこなくなったのですが、何か怪しい本を読んでいるのだそうです』

 

 指をスライドさせる。

 

『その……こんなことを書くのは気が引けるのですが、オカルト関係の本を漁っているみたいです。

もしかしてあれでしょうか、そういうことでしょうか? 一応、警戒した方が良いかもしれませんね、どうしようもありませんが。

 

一応、報告しておきます。最近は寒くなってきましたから、風邪などには気を付けてください』

 

―――

 

 茶山と向き合って、729日目。これからも、この人生は続いていくのだろう。

 今日は何となくカレーが食べたくなって、食堂で注文をする。数分後にはカレーが提供され、その出来立てっぷりにいよいよ腹が鳴った。

 トレーを両手に、少し駆け足で席に座る。さあ食うぞと、スプーンを手にとり、

 真正面の相席には、よりにもよって西住まほが居座っていた。

 まず、ダージリンは「やあ」とスマイルを決める。まほもお嬢様だからか、「元気か?」と微笑を浮かばせた。

 ――多分、ほぼ同時に腰を下ろしたのだろう。そうでなければ、こんなミスが起こりうるはずがない。

 小さくせき込む。

 さっさとカレーを食べて、せっせと食堂から出ていってしまおう。それがいい。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 被った。

 だが、不快感は抱かない。むしろ、「流石」と称賛した、してしまった。

 

「ふむ……おいしい」

 

 少しだけ、ダージリンの表情が明るくなる。流石はお嬢様大学だからか、ご飯の味はしっかりと保障されていた。

 ちなみに人気メニューは、天丼定食だ。今度注文してみようかな、と考えている。

 

「ほう」

 

 実に上機嫌そうに、まほが声を漏らす。

 

「お前も、カレーの魅力に気づいたようだな」

「……まあ、カレーは人気食品ですし」

 

 そうだろうなと、まほが頷き、

 

「どうだ? カレー愛好会に入ってみないか?」

 

 まほが、挑発的な笑みを見せびらかす。ぜんぜん歓迎なんてしていないくせに、よくもまあ言えるものだ。

 

「いえ、私は『戦車と紅茶』でのお付き合いがありますので」

「そうか、残念だな」

 

 全くもって、心のこもっていない「残念」だった。

 カレーは好きだが、まほの目の前でカレーを食べたのは実に失敗だった。これでは、サークルの質で負けたような気がしてならない。

 

「まあいい、カレーが好きならいつでも来い。――私は、心が広いからな」

「ありがとう。では、機会があればいずれ」

 

 本心など、あっけなく霧散していた。周囲の生徒達が「怖い……」と怯む中で、ダージリンとまほは互いに一歩も退かない。

 

「そういえば、この前は見事だったな」

「この前? ――ああ、試合」

 

 まほが、スプーンでカレールーを白米にかける。

 

「フラッグ戦だというのに、殲滅戦へ持っていくとはな。本当、嫌っていたとみえる」

 

 だが、まほは咎めることなく、

 

「正直、私も先輩のことは好きじゃなかったからな。ああいうのは嫌いだ」

「好きになる人なんて、いるのかしらね」

 

 同時に、コップに入った水を飲む。

 

「ま、いるにはいるんだろう。グループも出来ていたようだし――だから正直、お前の勝ちっぷりには爽快感を覚えた」

「あら、ありがとう」

 

 ふふん、と微笑する。

 

「これで、私の方が戦車道は上、と」

「それは違うだろう」

 

 即答された。

 

「私とお前、勝敗結果は五分五分。私が勝てばお前が勝ち、お前が勝てば私が勝つ……なんなんだろうな、これは」

 

 全くもって面白くなさそうに、まほが眉をハの字に曲げる。

 

「――互角、とでも?」

「互角? お前とか? ありえないな」

「それはこちらのセリフです。たまたまですわ、た、ま、た、ま」

「ああそうだな、たまたまだな。まあ、壁は高ければ高いほどいい、乗り越えがいがある」

 

 あからさまに、「お前はこれ以上上達しない、首を洗って待て」と宣告された。

 ダージリンは、あくまでからっと微笑し、

 

「壁? 壁ね……それは、あなたの方では?」

「ほう?」

 

 ダージリンが、カレーを頬張る。何度かかみ砕き、飲み込んで、

 

「あなたはお堅い気質持ちでしょう? なら、あなたこそ壁に相応しい。私はそれを乗り越える騎兵といったところですわね」

「ふむ、その意見にも一理あるな」

 

 まほがカレーを咀嚼する。周囲の生徒は、ごくりと口ゲンカを見守っていた。

 

「なら私は、壁を高く積み上げるとしよう。突破の出来ない騎兵を見るのは、まこと忍びないが」

 

 沈黙する。

 あくまで優雅に、華麗にカレーを味わうが、目に込められた殺意だけは手放さない。

 

「……ところで」

「何か?」

「そのスカーフ、最近になって見かけるようになったな。――噂によると、そのスカーフのことを馬鹿にされて、練習試合に持ち込んだらしいが」

 

 ダージリンが「ええ」と、嬉しそうに声を明るくし、

 

「これは、茶山さんからいただいたものなの」

「ほう」

 

 ダージリンが、スカーフを愛おしそうに撫でる。

 

「このスカーフは、私にとっての誇りなの。それを傷つける者は、誰であろうと許さない」

「そうか。……いいな、いいよな、そういうの」

 

 ダージリンが、同調するように微笑んだ。

 

「私は、世界一の幸せ者よ」

 

 そこで、まほが「いや」と首を振るい、

 

「私の方が幸せ者だ。くじけそうになった時、孤独を感じた時、いつも支えてくれる人がいるからな」

「ああ、そういえば彼氏持ちでしたっけ」

「そうだ」

 

 ダージリンが、「ふむ」と口にし、

 

「それは良いことですわ。……私は、幸せを祈られるほどの幸福者ですけれど」

「ほほう、良いな。――私は、沢山の遊び方を教えて貰ったぞ。だからこそ、サークルを作れたと思う」

「善き人を見つけたようですわね。でも流石に、私ほど満たされてはいないでしょうけれど」

「何を言う。私は、この世界の事がもっと好きになったぞ。これからも、躍るような人生を送りたい」

「なるほど……結論を言わせていただきますと、私の方が幸せみたいね」

「いや、それは違うな」

 

 ダージリンとまほに、太陽のような笑顔が生じた。

 

「ん?」

「ん?」

 

 食堂が沈黙する。

 

「この後、『授業』がありましたわよね?」

「ああ、『授業』があったな」

 

 一方は、淑女らしくカレーを味わう。一方は、愛好家らしくカレーを堪能する。

 ほぼ同時に食べ終え、ほぼ同時に水を飲み干し、ほぼ同時に手を合わせる。

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

 間。

 

「こんな格言を知ってる?」

「聞こう」

「両虎人を争って闘えば、小なる者は必ず死し、大なる者は必ず傷つく。戦国策に書かれてある文章ですわ」

 

 まほが「ほう」と、同意する。決して否定はしなかった。

 

「勝ってやる」

「負かしてあげますわ」

 

 同時に席から立ち上がり、トレーを片付けに行く。現在は引き分け状態だ、絶対に勝ち越してやる。

 戦車道も、サークルの規模も、幸せも、全部まほに勝ってやる。

 

 まほの、金属板で出来たネックレスが不敵に光った。

 

―――

 

 ダージリンのことをよく知ろうとして、763日が経った。

 自室で、無意味に床へ寝転がりながら、ダージリンのメールを開く。

 

『今晩は、もう冬になりましたね。年を取ったせいでしょうか、時間の流れが早く感じられます。

風邪などはひいていませんか? 悩みを抱えていませんか? 困ったことがあったら、すぐに私に伝えてください。私は、あなたの味方です。

私の方は、特に問題ありません。例の先輩も鳴りを潜めましたし、あとはまほを乗り越えるだけです』

 

 画面を、上下に操作させる。

 

『ただ気になるのは……例の先輩が、あやしげな本を読み漁っている、という点でしょうか。

アッサムによると、呪いめいた言葉が書かれた本だとか、どうとか。もしかして、私は呪われてしまうのでしょうか。

――まあ、気にすればするほど効果が高まりそうなので、無視することにします。それよりも、あなたから与えられる幸福に身を委ねたいものです。

スカーフは、今でも大切に身に着けています。もちろん、ベレー帽とセットで。

 

これからもどうか、元気でいてください。繰り返しになりますが、困ったことがあったらいつでも頼ってください。

あなただけの、ダージリンより』

 

―――

 

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

 

 ――今、暇ですわよね? 実は一つ、ストックしておいた怪談がありまして。是非、茶山さんと愛する妹に聞いて欲しいかなと。

 ささ、紅茶でも飲みながら、私の話を聞いてくださいな。

 

 

 大学の教室でね、突如として凄い眠気に襲われたのよ。こんなことってあるんだなあって思いながら、流されるように寝てしまった。

 ……で、目を覚ましたのだけど、もう夕方だったわ。教室には人がいないし、「何やってるんだろ」とか呟きながら、私は教室から出て行った。

 もう遅い時間だったのかしらね、廊下で人とすれ違うことはなかったわ。物音も聞こえてこない、虫一匹も見当たらない――大学には、私だけが取り残されていた。

 

 何だか怖くなっちゃってね、駆け足で大学から出ていったわ。もちろん、それまで人と会うことは無かった。

 それでキャンパスまで到着したのだけれど――そこに、一両の戦車が放置されていたの。

 私は首を傾げたわ。この戦車、何処かで見たような……って。

 まあ、後回しにしたわ。一刻も早く、自宅へ帰りたかったから。

 

 大学から少し歩けば、街並みが出迎えてくれたわ。でも、もう遅い時間だからか、人影らしいものは見当たらなかった。

 何となく見上げてみるとね、もうすっごい真っ赤なの、空が。このまま落ちてくるんじゃないかってくらい、圧迫感があったわ。

 私は、なるだけ早歩きで街並みの中を進んでいったわ。看板とか、建造物の窓は光っているのに、道路には車一台も通らない。通行人も存在しない。

 この時の私は、「遅い時間だからかな」としか思えなかった。

 とにかく、自分の家に帰りたかった。

 

 それで、街並みを歩いているとね――建物と建物の隙間から、何かが覗いていたの。

 びくりと、気配を察したわ。これは何、何が私を見ているのって。

 自分の両足は、びくともしなかった。不安と恐怖と好奇心を抱いたままで、隙間を覗いてみたの。

 

 戦車の主砲が、こっちを「狙っていた」。

 

 足が動くようになって、私は全力で走った。真っ赤な空の下で、誰ともすれ違わないまま、私は曲がり角を曲がった。

 ――足が止まった。その先には、あの戦車が待ち構えていたから。

 声も出なかったと思う。私は迂回して、何とか帰宅しようとしたのだけれど――行く先々に、あの戦車が待ち受けていたの。

 久々に「逃げた」わ。もう他人が欲しくて欲しくてたまらなくなって、コンビニへ駆け込もうとした。

 

 ……自動ドアが開かなかった。窓越しからコンビニの中を眺めてみても、店員さんは何処にもいなかった。

 次は交番、次は警察署、次はゲームセンター、次はカラオケ店と、とにかく人がいそうなところへ飛び込んでみた。

 けれど、何処も開かない。人気すら感じられない。私はカラオケ店の前で、「なんで?」と恨めしそうに口にしたわ。

 そうだ携帯――駄目だった、電源を切らしてしまっていたわ。ああもうと、苛立っていると、

 

 後ろから、肩を叩かれた。

 

 心臓が跳ねて、急に体温が奪われていって、けれども首が勝手に動いてしまって、

 あの戦車が、私の背後に佇んでいた。

 逃げた、気づけば逃げていた、そうすることしか頭に無かった。

 

 何とか住宅街まで駆け込んで、自宅へ通ずる道へと右折して――戦車が、待ち構えていた。

 今まで楽観視していたのか、それとも現実逃避していただけだったのか。今更になって、私は命の危険を感じたわ。

 絶対に死にたくない、何としてでも家に帰る。それだけを考えて、私はありとあらゆるルートを走り回った。

 曲がった先には、戦車がぼうっとしていることもあった。時には、何もないこともあった。

 時々、知らない家の呼び鈴を鳴らしてみたのだけれど、まったく反応が無かった。家の中を覗き見しても、お母さんもお父さんも子供もペットも、命らしいものはまるで存在しなかった。

 

 試合を行う以上に、私は頭を使ったわ。たぶん、血管の一本や二本は焼き切れていたと思う。

 それぐらい思考した。全ては生き残る為に、家に帰る為に、家族に会いたいが為に。

 遠回りして、迂回して、時には知らない道を通ったりもした。息なんてとっくに切れていたけれど、鞭打って何とかしてみせたわ。

 

 そして、ようやく自宅が見えてきた。この時ばかりは、家の大きさに感謝したわ。

 私は生還したんだって、あの戦車に勝ったんだって、ようやく家族に会えるんだって、父に抱きしめてもらうんだって、母に慰めてもらうんだって、妹とティータイムをするんだって――正門まで、ふらふらと歩いていったらね、

 

 家の前に、戦車が立ちふさがっていたの。

 

 私は、氷漬けになってしまった。

 もう、どうすることもできなかった。

 生気がまるで感じられない戦車は、最初こそ黙りこくっていたのだけれど――主砲がね、うぃーんって動いたの。

 後はそのまま、作業的に、私の顔面へ照準を定めた。あれが地獄へ通じる穴なんだなって、なんとなく思った。

 

 悠長に考えたわ。痛いのかなって、そうでもないのかなって、この後どうなるのかなって、何でこんなことになったんだろうって。

 受け入れられないがまま、私はため息をついたわ。

 

 その時、私の手を誰かが掴んだ。

 

 体に力が入っていなかった私は、後は流されるがままに連れ去られていった。

 ――その後、だったかしら。聞き慣れた発射音が鳴り響いたのは。

 あの場に居たら、私は成仏していたでしょう。だから私は、手を掴んでいる人へお礼を言おうとしたわ。

 

 でも、口は動かなかった。発音することが出来なかった。

 なんでだろうと疑問に思いながらも、私はただただ引っ張られていった。廃墟みたいな街の中を、駆け抜けていった。

 けれど、ぜんぜん怖くなかった。この人なら大丈夫、この人なら正しく導いてくれる――そんな確信が、あった。

 

 走って何分が経過したのかな。私は、ある一軒家の前に突っ立っていたの。

 表札にはこう書かれていたわ、

 

 「茶山」って。

 

 

 そこで、私は目を覚ましたの。場所は大学の教室で、もう夕暮れ時だった。それでも何人かの生徒が残っていて、サークルメンバーが「あ、おはようございます」と挨拶してくれたわ。

 携帯を取り出してみると、電源はしっかり入っていた。何気なく外を眺めてみると、寂しい黄色の夕焼けが両目に沁み込んだわ。

 この時、何となく思ったの。

 

 ああ、帰ってこられたんだなって。

 

 よく考えてみたら、誰もいない大学なんてありえないのよね。街だって、夜遅くだからこそ賑やかになるものですし。なんで受け入れていたのかな。

 まあ、夢だからとしか言いようがないわよね。夢の中に入ると、価値観とか、認識とかがガラッと塗り替えられることもありますし。

 何はともあれ、現実じゃなくて良かったと思いましたわ。

 

 ――でもね、手には温かさが残っていたのよ。

 身に着けているスカーフと、同じような温かさが。

 

 これで、私の怪談はおしまい。

 

 

「何ですかそれ」

 

 妹が、不満タラタラそうな表情を浮かばせていた。ダージリンの実家の、だだっ広い応接間での出来事である。

 まあ、分からないでもない。正月早々の怪談なんて、あまり良いものではない気もする。

 

「金持ちの家で怪談を聞く……珍しいのかな? いや、屋敷にホラーはありがちというか」

「ちょっと、やめてくださいっ」

 

 怖がりの妹が、何としてでも茶山の思考を遮ろうとする。茶山は「あ、ごめん」と小さく頭を下げた。

 

「どう? 茶山さん。この話……面白かったかしら?」

「え? うーん、そうだね。興味深いというか、奥深いというか」

 

 茶山が、顎に手を当てる。

 

「何となく、ですけれど。ただの夢とは思えなかったの」

「……まあ、なんとなくわかりますけどね。でも夢、夢ですよね、お姉様、ねっ?」

 

 ダージリンは頷かなかった。唸り声を上げながら、「夢だったのかしら」と考察する。

 

「ちょっと、やめてください! ああもうっ、新年早々何してるんですかっ」

「……何してるんだろうね」

 

 たははと、茶山が苦笑する。ダージリンは、未だに思考の海の中へ潜ったままだ。

 

「お姉様聞いてます? お姉様っ」

「……ううん、わからないわね」

「分からないのはこっちのセリフですっ。ああもう、めでたいんですから、食べ歩きでもしにいきましょうっ」

 

 食べ歩きという単語を耳にした瞬間、ダージリンの脳ミソに火がついた。

 それだ、と思った。良い案だと、同調した。

 

「いいわね、そうしましょう」

「行こう行こう」

 

 ダージリンと茶山の賛同を得られ、妹が、ほっと胸をなでおろす。

 

「それでは、出かける準備をしておきます」

 

 後はそのまま、妹が上着を取りに駆けていく。

 ――応接間で二人きりとなり、ダージリンが小さくため息をついた。

 

「災難だったね、夢の中とはいえ」

「ええ、おかしな夢でしたわ」

 

 ダージリンが、口に手を当てる。

 

「……私のことを、執拗に追っていた戦車」

「え」

 

 茶山が、まばたきをする。

 

「夢の中では思い出せませんでしたけれど、目を覚ました時――」

「……わかったのかい?」

 

 ダージリンが、重く頷く。

 

「あの戦車、」

 

 頭の中で、戦車がすうっと姿を現す。人に向けるべきではない主砲は、ダージリンの瞳へ照準を合わせていた。

 

「先輩の、ものでしたわ」

 

 ダージリンにとってのヒーローと出会って、820日目の出来事である。

 

―――

 

 ダージリンに共感を抱いて、829日が経過する。

 唐突な自宅訪問を食らい、ダージリンの実家へお邪魔して、怪談を聞いては食べ歩きを行なって――全くもってやりたい放題な冬休みを過ごしていった。

 去年もこんな感じだった気がする。

 まあいいや。

 そんなわけで、なんとも無いまま大学が始まった。学友と再会して、授業を受けて、食堂で天丼を食べて、そこで友人とお喋りをして、アッサムからメールが届いて、

 携帯を操作する。

 

『こんにちは、元気にしていましたか? 私は相変わらずです。

もう少しで、可愛い後輩たちが入学してきます。こう書くと、なんだかあっという間だったなって気がしますね。

早く後輩たちに会って、隊長のお惚気を共有したいものです』

 

 苦笑しながら、画面をスライドさせる。

 

『本題に入りますが――例の先輩、退学したそうです。原因は『事故』に巻き込まれ、怪我を負ったからだとか。

命に別条は無いそうですが、後遺症が残ってしまい、戦車道を続けることは不可能になってしまったそうです。

……正直、複雑ですね。好きではない相手とはいえ。

茶山さんも、どうか事故などには気をつけてください』

 

 アッサムに対し、本心から『アッサムさんも気をつけてください』と返信する。

 鼻息。

 こんな結末を辿ることになるとは。正直なところ、微妙な気持ちになる。

 個人的な恨みも抱えているし、やっぱり好きになれないが――これ以上、憎む気にもなれない。とりあえずは、人並みの人生を送れるように、心の中で祈っておいた。

 

「どした茶山、なんだか深刻そうな顔して」

 

 ハンバーグを頬張りながら、友人が声をかけてくる。

 対して茶山は、なんでもなかったように苦笑し、

 

「いや、大したことじゃないよ」

 

―――

 

 ダージリンと寄り添って、887日が経過した。もう春になる。

 ダージリンからの誘いで、週末になって食べ歩きを絶賛堪能中だ。今回は入店コースを辿るらしく、うどんやそば、いくら丼と、いつも以上にパワフルで、いつも以上に軍事費がかかっている――のだが、なんとダージリンが、「今日は奢りますわ」と笑顔で宣言したのだ。

 もちろん却下しようとしたのだが、凄く上機嫌そうに「まあまあ」と言われ、後は流されるがままラーメン店で醤油ラーメンを味わっている。ダージリンはとんこつ派らしい。

 

「今日は……その、アグレッシブだね」

「そう思う? そう見えるかしら」

 

 奢る宣言といい、表情といい、食事内容といい、今日のダージリンは実に押しが強い。何か良いことがあったのだろうが、全く見当もつかなかった。

 

「うーん、誕生日……は過ぎたか」

「ええ」

「じゃあなんだろう、進級、じゃないよね」

「ええ」

「戦車道?」

 

 ダージリンが、黙って頷いた。

 並みの頭脳をフル回転させる。戦車道における良い事とは何だろう、誰かに勝ったとか。

 真っ先に思い浮かんだのは――

 

「……西住さん相手に、勝ち越した?」

「残念ながら、未だ引き分けですわ」

 

 広過ぎず、狭過ぎずの店内で、謎は見事に迷宮入りした。

 ダージリンにとっての、問答無用の幸福とは、それしか思いつかなかった。

 

「降参、白旗」

「ふふ……実はね」

 

 よほど嬉しいことがあったに違いない。ダージリンは、次に言うべき言葉を溜めて貯めてタメ込んで、そして、

 

「大学選抜チームの一員に、選ばれましたわ」

「へ、へえー」

 

 まず、本能のままに声が漏れた。

 次に、言葉の意味について理性が解読し始める。

 ダージリンは、戦車道ありきの女子大へ通っている。入学者のほとんどがプロを目指していて、生徒の数だけ対抗心や向上心、そして意志力が溢れている。

 下手な男顔負けの精鋭集団の中で、「お前こそ戦車道を歩むにふさわしい」と認められるのは、それこそ入学試験で受かることよりも困難を極まるだろう。自分なんぞ、一生かかってもたどり着けない極地だ。

 ダージリンは、戦車道の世界の中で、戦車道の未来を託された。大学選抜チームの一員として、しっかりキメてこいと背中を押された。

 ダージリンの、優雅で華麗な姿が、この日本で輝こうとしている。このまま順調に歩めば、いずれは――

 

「マジ……かよ」

「はい」

「マジかよッ!」

 

 ダージリンが、満天の笑顔を浮かばせる。

 

「マジか! ああ……」

 

 感極まって泣きそうになる。涙を流したのは、かれこれ何年前だったか。

 ――そんなことはどうでも良かった。

 とにかく今は、ダージリンが全てだ。

 

「よかった、ほんとうによかった」

「ありがとう。これも、みんなのお陰よ」

 

 茶山が、うんうんと頷く。

 感情が高ぶっているのだろう、店内の濃い匂いがよくよく鼻に伝わってきた。

 

「よし、今日は僕がおごるよ」

「いいえ、今日は私が奢ると決めているので」

「そんなこと言わずに」

「まあまあ」

「そう言わず」

「まあまあ」

 

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

―――

 

 ダージリンティーが好きになって、985日目。茶山は大学四年生へ進級し、ダージリンも気づけば三年生だ。本当、年を食うと時の流れが早い。

 そんな風に人生をほっつき歩いていると、ダージリンが通う女子大で文化祭が開催されていた。勿論、強い関心を抱く。

 

『今日は、私の大学で文化祭が開催されます。ですが茶山さんは、私にとらわれることなく自由でいてください。

無理して文化祭へ来る必要はありません。ここは女子大ですし、男の方が来客するのは恥ずかしいでしょう。

茶山さんの恥は、私の傷でもあります。ですから、茶山さんは部屋にいるなり、食べ歩きをするなり、好きにしていてください。

 

あなただけの、ダージリンより』

 

 というメールを、文化祭のど真ん中で見直していた。

 ダージリンが「来るな」と言った理由は、とっくの昔から知っている。「戦車と紅茶」が、メイド喫茶を開店するからだ。

 当然、ダージリンの晴れ姿は見届けなければならない。そうした下心もあるにはあるのだが、真面目な目的もあったりはする。

 

 今現在、「戦車と紅茶」と「カレー愛好会」の間で、売り上げバトルが開催されているのだ。原因は「目が合った」かららしい。

 ダージリンもまほも、大学選抜チームの一員だからかよく目立つのだろう。この争いは文化祭公式サイトでも取り上げられていて、リアルタイムで売上金がカウントされている。

 お互い勝負事は嫌いじゃないらしく、サイトのコメントによると、

 

「紅茶、クッキー、そして優雅で華麗な雰囲気……これこそ、人が求める空気でしょう」

「カレーは、老若男女問わず好かれる食べ物です。疲れたり、お腹が空いたら、是非ここへ」

 

 と、書かれてある。ウェイトレス服を着たまほと、メイド服姿のダージリンが、笑顔で睨み合っている画像つきで。

 別に罰ゲームとか、そういったものはないのだが、この場合における敗北は実に屈辱だろう、キツかろう。

 なので、自分は「義務」で文化祭に参上した、というわけだ。ダージリンの店に貢献しなければならない。

 

 周囲を見渡す。

 女子大の文化祭だからか、当然ながら女性が多い。お嬢様大学だからか、美人揃いだと思う。

 だからといって、出し物まで堅苦しいとか、そんなことはない。屋台は乱立しているし、射的まで用意されている。中には自作アクセサリー売り場もあったりして、好きなように開店しまくっている感じだ。

 ただ、飯ごうで炊いた米が提供されたり、主砲を象ったネックレスが人気商品だったりと、流石は戦車道の大学だった。空に、パンツァーファウスト状の風船が舞う。

 

 客入りもかなりのもので、家族連れが意外にも多い。きっとこの後は、「何で来たのよ、もー」とか怒られるに違いない。

 他にも、雰囲気を楽しんでいるカップルが居たり、老夫婦が食べ歩きをしていたりもする。そして、出会いを求めて歩きさまよう男もいた。

 頑張れ。

 心の中で応援しつつ、まずはダージリンの居るクラスへ足を運ばなければならない。食べ歩きは、その後だ。

 

「いらっしゃいませ、ご主人様」

 

 メイド喫茶「Tank&Tea」は、大変とても繁盛しているらしい。店内からは沢山の男の声が聞こえてきて、それに応えるように女性も話に混ざっている。この時点で、売上金は悪くないと察した。

 しかし――いざとなると、何だか恥ずかしくなってきた。

 首を振るう。

 売り上げに貢献する為に、カレーに勝って欲しい為に、少しでも力になる為に――ダージリンのメイド姿を見る為に。

 茶山は、力強い足取りで入店した。

 

「いらっしゃいませ、ご、」

 

 勇気は出してみるものらしい。茶山を出迎えてくれたのは、リーダーメイドであるダージリンその人だった。

 

「……こっちへ」

「はい」

 

 否応無く手を握られ、廊下にまで連行される。その時、メイド姿のルクリリが「いってらっしゃいませー」と手を振ってくれた。

 

 

「なんで……なんでここに来たのッ?」

 

 怒気の孕んだ声とともに、ダージリンに強く睨まれた。

 しかし、まったくもって怖くはない。これぞ古風といった感じの、ロングタイプのメイド服がダージリンを魅せているからだ。

 もはや怒り顔すら、可愛く見えてしまう。

 

「いやあ、売り上げに貢献しようと思って」

「十分ですっ、あなたがいなくても問題ありませんわっ」

「そんなこと言わないで」

 

 「ふんっ」と、ダージリンにそっぽ向かれてしまった。

 

「それにほら……ダージリンの晴れ姿、見たかったし」

「……予感はしてましたわ……」

 

 心底後悔するように、ダージリンが頭を抱える。彼女の晴れ舞台を見届けない彼氏なんて、地球上に存在するはずがない。

 ましてや、茶山とダージリンは、サプライズに対してサプライズで返し、更にサプライズで反撃してはサプライズで借りを返す関係なのだ。ダージリンも、半ば無駄な抵抗と知ってメールを送信したに違いない。

 

「……迷惑は、かけないようにっ」

「もちろん」

 

 そんな返事をよそに、茶山は実に良い笑顔を浮かばせていた。

 Tank&Teaとは、一体どんな世界が広がっているのか。メイドに変身したダージリンは、一体どんな動きを見せてくれるのか。それが楽しみで楽しみで仕方がない。

 

「あ、ダージリン」

「何ですのぉ」

「写真、撮ってもいい?」

「……どうぞ」

 

 

 Tank&Teaは、まずまずの広さの一室を借りて、今日も絶賛営業中だ。

 しかし、大学の日常が垣間見えるのはそれだけで、まず、赤いカーペットが敷かれている点が凄い。これだけで、客からは「しっかりしてる」と刷り込ませられる。

 お次に机と椅子だが、全て「白」で統一されている。大学の備品なのか、或いは私物なのか――たぶん前者だろうが、「無造作ではない=拘っている」という熱意が伝わってくる。これもまた凄い。

 次に壁だが、戦車の肖像画が飾られている。油絵らしく、質量と「メイドらしさ」が感じられる。この計算っぷりも凄い。

 明らかに私物であろう、暗い黄色混じりのカーテンからは「ここでも妥協しないからな」という主張が聞こえてくる。ここまでやるか感が凄い。

 次にメイド達だが、流石はお嬢様大学、言うことはない。容姿端麗で雰囲気も良し、しかも客と雑談に付き合いつつ、一歩引いていたりと、安全面も確保してある。真面目に凄い。

 出されてあるメニューも、見るからに形が整っている。市販のものか、手作りか――たぶん、両方だろう。腹が減ってきた、凄い。

 この非現実っぷりに、知能指数が若干危うくなったものの、最後にダージリンを見てみることにする。

 

「もう、私を見ていないで、はやく席にお座りを」

 

 凄い。

 

 

 客入りが半端なく、既に窓側付近の一席しか空いていなかった。

 ダージリンに案内されるがまま、椅子に腰掛け、メニューを手渡される。

 

「ご注文は、ご主人様」

「じゃあ、このTank&teaおすすめクッキーセットと」

 

 紅茶は何にしようか。

 近くの席から「俺、隣の県から来たんだ」と主張する声が聞こえてくる。対してメイドは、「まあ、お疲れ様です。ここで体を癒してくださいね」と笑顔で接客をこなしていた。

 ――オレンジペコだった。

 目が合い、にこりと表情で挨拶される。茶山も、小さく頭を下げた。

 

「あ、失礼。じゃあ、紅茶は……このアールグレイで」

 

 その時、ダージリンが深々と頭を下げる。

 

「申し訳ありません、ご主人様。アールグレイは人気商品のため、品を切らしていまして」

「あ、そうなの」

 

 凄いなあ、と思う。当たり前といえば当たり前なのだが、紅茶も品切れを起こすんだなあ、と思う。

 そして、大して離れてもいない席から聞こえてくる、「アールグレイですね、かしこまりました」の一声。

 

「……アールグレイ」

「申し訳ありません」

「……アッサムティー」

「それも現在、切らしておりまして」

 

 呼吸。

 

「ダ、」

「ダージリンティーですね、かしこまりました」

 

 最高の笑顔だった、変更などさせてもらえなかった。ダージリンが、部屋の奥へと姿を消していく。

 椅子の背もたれに身を預けながら、窓の外を眺める。

 

 空は、他人事のように晴れ渡っている。最近はよく暖かくなった。

 大地では、変わらずに祭りが踊っている。普段は関係者以外立ち入り禁止だが、今だけは、この瞬間は、全ての人間を受け入れている。

 年を食ったせいか、「それがいい」と思うようになった。子供の頃から巣立ちした今だからこそ、賑やかさが愛おしい。

 ダージリンも、今は喧騒を楽しんでいるのだろう。それで良いと思う。

 お嬢様だって、時にはお転婆さが必要となる。

 

「愛されてますね、ご主人様」

 

 茶山を現実世界へ引き戻したのは、まだ入学したばかりのオレンジペコだった。

 顔つきが、体型が、メイド服としっかり似合っている。可愛かった。

 

「そ、そうなのかな?」

「ええ。ダージリン様、嬉しそうでしたから」

「だといいなぁ」

 

 苦笑する。確かに、メイド服姿を見られるのは、とんでもなく恥ずかしいことだろう。

 だが、見たいものは仕方がない、しょうがないのだ。愛する者相手なら、尚更のことだ。

 そんな言い訳をぽつぽつ考えながら、茶山はメイド服姿のローズヒップを、ぼうっと眺めていた。

 ローズヒップは話し上手らしく、引く手あまただった。

 

―――

 

 恥ずかしかった、疲れた。

 茶山へメニューを届けた後、店の主導権をアッサムに預け、ダージリンは階段の踊り場まで退避していた。

 見られた。やっぱり見に来た――違う。見にきてくれた、か。

 だからこそ、心底疲れた。働くだけならまだしも、茶山に見られながらなんて、とてもでないが耐えられない。後で借りを返さなくては。

 ため息をつく、壁に寄りかかる。

 恋って、本当に恥ずかしい。

 

「あーあ……」

「あーあ……」

 

 意味もなく、声を上げる。

 人とすれ違っていくが、着ぐるみ姿の客引きだったり、パンツァージャケットを装備していたり、中には男装をした生徒がいたりと、メイド服だろうが何を今更だった。

 

 思うと、何でメイド服を着ているんだっけ。

 思い起こす、すぐに思い出す。

 まず、サークルらしいことをやってみたいと、自分が提案した。次に、「それなら喫茶店が良いのでは?」とオレンジペコが提案した。更には「何か変化をつけたいですわね」と、ローズヒップが意見した。

 そこで「メイド喫茶、これどうです?」という、ルクリリからの決定打が飛んできた。ダージリン含むサークルメンバー一同が「いいね!」とノッて、後はそのまま部屋を借り受けては、出来る限り本格的に仕立てようとした。

 こればかりは「他の店に負けてたまるか」と、サークルメンバーが自発的に燃え上がった。センスを総動員させ、予算を何度も計算し、いざとなれば私物を引っこ抜いてきた。やっとこさメイド喫茶を完成させたところで、「ズレてる!」とか「色合いがちょっとキツくない?」とか、好き勝手に文句を言い合ったものだ。

 で、メイド服を調達して、身につけてみれば――これがまた大いに盛り上がった。変身願望というものもあったのだろう、これで接客も悪くはないと考えた。

 

 が、ダージリンだからこそのうっかりミスに気づいてしまった。茶山が来たらどうしよう、と。

 なので、茶山には「なるべく」来るなとメールで伝えておいた。結果は予想通り。

 まあ、いいけどね。知ってたからね、ドンピシャだったからね――そうして、ダージリンは強がった。

 

「来るなんてね……」

「来るなんてな……」

 

 どうも、お隣も同じ境遇らしい。心の底から同情する。

 ちらりと視線を向け、まほと目が合い、確認した後に真正面へ視界を戻す。

 一瞬にして、視線を元通りにした。ダージリンと同じく二度見したらしく、まほのショートヘアが揺れていた。

 

「なんであなたがここに」

「なんでおまえがここに」

 

 ハモった。周囲からはよく「仲が良いですね」と評されるが、そんなことはない。断じてない。

 ぼんやりしていたダージリンの表情が、一瞬にして戦車道のものへと変貌する。

 

「……休憩してましたわ」

「そうか、休憩か」

 

 まほが、首をこきりと回す。疲れが溜まっているのだろう、目が細い。

 

「そちらの店は?」

「今はエリカに任せてある。心配するな、必ず私たちが勝つから」

 

 ダージリンが、「ああそう」とばかりに息を吐く。

 

「お前も、随分とお疲れのようだな。何かあったか?」

「ええ、ちょっとどころじゃないトラブルが」

 

 まほが、力なく「ほー」と漏らす。いつもなら「ほほう」と食いついてくるくせに。

 

「ちょっとどころじゃない、か。それは、普通の大学暮らしではありえないことか?」

「ええ、ありえませんわね」

「なるほどな。実は私も、そんなことがあってな」

 

 まほが尻尾を出してきた。たぶん、ダージリンに対して何らかの共感を察したのだろう。

 

「同時に言ってみます? 疲れの原因を」

「ああ、そうだな。そうしよう」

 

 ロクにタイミングも合わせず、

 

「彼が来てしまいました」

「彼が来てしまったんだ」

 

 だろうと思った。

 だが、今回ばかりは「まあいいか」と思った。疲れていたし、上機嫌気味だったから。

 

「本当、男の人って……メイド服とか好きなのかしらね」

「さあな、私はウェイトレス姿だが」

 

 今のまほは、白と黒でまとまったウェイトレス服を着用している。半ば執事のようなスタイルなのだが――悔しいことに、めちゃくちゃ似合っている。自分には合うだろうか。

 

「まったく、来るなとメールに書いたのに」

「ちゃんと、『絶対に来るな』って書きました?」

「……いいや」

 

 だろうと思った。

 ダージリンは、ふん、と鼻息をつく。

 

「恋する者は、恋した者の姿なら何にでも興味を持つものですわ」

 

 まほが「ほう」と頷く。

 

「……そして、恋した者の姿にしか、興味を抱かない」

 

 まほが沈黙する、たぶん赤くなっているのだろう。そうでなければ自分の立つ瀬がない。

 

「……だからなのかしらね、わざとスキを作ってしまったのは」

「かもな、そうだろうな」

 

 お互い、順調に恋しているらしい。良いことだ。

 

「あえて聞きますが」

「何だ」

「『彼』のことは、好きですか?」

「ああ」

 

 まほの横顔を見つめる、まほがこちらに振り向いた。

 

「大好きだ」

「そう」

 

 たぶん、本気で安堵したのだと思う。ダージリンは、安らぐように口元を緩めた。

 

「お前は、『彼』のことは好きか?」

「ええ」

 

 まほが、にこりと笑う。答えなんて知っているくせに。

 

「愛してますわ」

「そうか」

 

 まほが、銀板のネックレスを指でいじる。きっと、プレゼントされたものなのだろう。

 対抗してスカーフに触ろうとしたが――メイド服を着る都合上、外していたことに気付く。

 

「しかし、知らなかったな」

「何がです?」

「愛してくれる人とは、女子大だろうが何だろうが、何処までもついてきてくれるんだな」

 

 まったくもって、迷惑じゃなさそうに言う。

 

「ええ、それはもう何処までも追いかけてきますわ。海の向こう側であろうとも」

「ほう、今度聞かせて欲しい」

「いつかまた今度」

 

 ダージリンがにこりと微笑み、壁から背を離す。そうしてスカートを摘み、一礼した。

 

「そろそろ行きますわ」

「分かった。私もそろそろ行くか」

 

 まほが、うんと背筋を伸ばす。

 さて――勝ちに行こう。今日と明日は、みんなのメイドさんとして生きると決めたのだから。

 

 携帯を取り出す、茶山へメールを送信する。ただ一文だけ、『来てくれてありがとう』と。

 

 

 売り上げバトルの結果はといえば、結局は引き分けに終わってしまった。何となく予想はしていたが。

 お互い「なんで勝ても負けもしないのよ」とぶつくさ言いつつ、ライバル店で食事をとるサークルメンバーも数人いた。もちろん、カレー愛好会からの侵略も受けた。

 あとは流れで記念撮影して、後夜祭のダンスパーティーに茶山を巻き込んで、まほも彼氏とダンスして、はいおしまい。

 

―――

 

 ダージリンと言葉を交わして、1058日の時が流れていた。

 高校戦車道全国大会も終了し、茶山は自室でティータイムに浸っている。

 今はアールグレイを味わっているのだが、ダージリンにバレたら不機嫌になりそうなので、秘密厳守だ。自分は世界一、自由に紅茶を味わえない男だった。

 

 アールグレイは――なるほど、これも飲みやすい紅茶だ。匂いにも存在感があって、「喫茶店感」がある。

 飲み物に関しては、苦い方が好みになって来た気がする。

 

 ――机の上に置いておいた携帯が、やかましく震える。バイブレーションの短さから、メールだろう。

 電源を入れる、画面が点灯する。「新着メール:ダージリン」の文字。

 指を画面に押し当て、スライドさせる。

 

『今晩は、元気ですか? 私も元気です。

今は夏休み中ですが、練習へ参加する日々が続いています。大学選抜チームも楽ではありませんね、紅茶は手放しませんが』

 

メール画面を、上下に流す。

 

『それにしても、この前の大会は番狂わせでしたね。まさか知波単学園が優勝するとは……やはり、『沈黙しつつ、突撃』を覚えたからでしょうか。練度は高いんですよね、あそこは。

――なんとなく、戦車道も変化しているのだと、実感します。変わらないものは、ありませんからね。

ですが、あなたと関係だけは、永遠にこのままであって欲しいものです。

 

私は今度こそ、全国大会で優勝を果たしてみせます。このスカーフと、ベレー帽とともに』

 

―――

 

 ダージリンが一番になって、1067日目を迎える。

 ――あっさりと、大学戦車道全国大会の火蓋が切って落とされた。茶山は、ダージリンを見守るだけだ。

 それでいいと、茶山は断言する。

 

 戦車は女性のものだ。男はそれを見届けるだけでいい。

 だが、ダージリンは言うのだ。スカーフが、茶山の魂が、戦車の中でも守ってくれていると。

 

 光栄だった。

 あとは、ダージリンを信じるのみ。

 

―――

 

 ダージリンに夢中になって1100日が経つ。

 自室で、やや季節外れのアイスをかじっていると――ポケットに入れておいた携帯が振動した。

 取り出し、メールを確認する。アッサムからだった。

 

『今晩は、最近は寒くなってきましたね。この季節の練習試合は、なかなかどうしてこたえるものです。

――なんだかんだいって、あと三勝すれば優勝です。自分たちの腕が通用しているようで、安心しました。

ですが、相手は『敵』ではなく、同じ戦車道履修者です。私たちと同じく信念があり、友情を抱き、愛を知っているでしょう。

だからこそ妥協しません、絶対に勝ちます。その為に、ここまで道を歩んで来たのですから。

 

ですが、週末は隊長のケアを引き続き、お願い致します。

あなたがいるからこそ、隊長はここまでやってこられました。そう思います』

 

―――

 

 ダージリンの言葉を耳にして、1107日が経過した。

 大学戦車道全国大会関連のサイトを見て回っているが、なるほど、ダージリンとまほは高い評価を得ているらしい。既に、「豪のまほ、圧のダージリン」と呼ばれるくらいには。

 まず、まほが動き回って敵陣を引っ掻き回す。ついでに何両か潰して、自分だけは生きて帰る。

 ダージリンは、とにかく狙撃スタイルで援護する。しかし動かないというわけでもなく、徐々に進軍し、敵の空間を圧縮していく――この戦術が、今の大学選抜チームにとっての基礎だった。

 

 三年なのに、上級生からも認められている。

 すごいな、と思う。真似できないな、と感心してしまう。

 ダージリンとまほは、間違いなくプロ候補だろう。実際、それを推奨する声もいくつか上がっている。二人とも仲良く争い合いながら、高みへ、さらに高みへと登っている。

 空のティーカップを、ゆらゆらと揺らす。ダージリンが遠い人に思えてきた。

 そんなことはないのに、先ほどまで一緒に食べ歩きしてたのに。

 

 苦笑する。

 たぶん、夢みたいな状況に盛り上がっているのだろう。

 ダージリンの前進とは、自分の進行でもある。

 

―――

 

 そして、あっという間に決勝戦だ。冬も近い。

 ダージリンの大学選抜チームも、相手選抜チームも、当然ながらプロレベルの腕前を持ち、そして礼儀正しい。

 これぞ宿敵、まさに戦車道だった。

 

 茶山は今、両親とともに特設モニター前で座っている。両親は何も語らない、茶山も口を閉じている。この場全体が、殺気めいた沈黙に飲み込まれていた。

 主砲が唸る、それも一瞬ですぐ静かとなる。

 戦車が走る。観客にとっては、足音のようなものだ。

 また一両から、白旗が上がる。感嘆か、絶望か、どこかからか唸り声が響いた。

 

 ――殲滅戦は、冷徹に進行していく。最後の生き残りはダージリンで、敵との距離はだいぶかけ離れている。

近づく暇はない、先に当てたもの勝ちだ。

 先に――

 

 着弾、白旗。

 

 視認したくなかったが、したくもなかったが、目ん玉は目の前のモノをよく映していた。

 

 ダージリンの戦車が、黒煙を上げていた。車体に、白旗が直立していた。

 

 つまるところが、負けた。ダージリンが、敗北した。

 

 ため息をつく。

 携帯を取り出し、ダージリンにメールを送信する。内容はこうだ。

 

『お疲れ様でした。とっても格好良かったよ。今度、何か食べに行こう』

 

 一つの青春が、過ぎ去っていく。ダージリンに心惹かれて、1133日目だった。

 

―――

 

 大学戦車道全国大会の熱風も、冬の訪れで冷めてきて――冬休みのしょっぱなから、ダージリンの実家訪問を食らった。

 この行動の早さには流石におったまげて、「早すぎない?」と指摘したが、ダージリンは「あなたの傍が一番ですもの」と言い切り、茶山の一切合切を制圧した。

 ダージリンと交わしあって、1182日目の出来事である。

 

「別にいいんだよー、大掃除の手伝いしなくても」

「いえいえ、私も家族の一員ですし」

 

 居間で、ダージリンは窓を拭き、茶山はゴミの分別を行なっている。うわくっせえなと思考しつつ、

 

「家族、か。いや本当、どうしてこんなことになったんだろうね?」

「分からないものですわ、運命というものは」

 

 同意する。時折、ダージリンと交際しているという事実が嘘くさく思うこともある。

 だが、学習机の上に置いてあるティーセットが、そんな世迷いごとなど否定するのだった。

 

「この本、いらないか?」

 

 父が物置部屋から顔を出し、本を掲げてみせる。だいぶ古くなったグルメ雑誌だ。

 

「うん、捨てて」

 

 何も言わずに、父が物置部屋へ引っ込んでいく。父はかなりの読書家で、この時期になると「少しは整理してちょうだい」と母からどやされるのだ。

 その都度、かったるそうに返事をするのだが、物置部屋が改善されたことはない。今年もきっとそうだろう。

 

「窓拭き、完了しましたわ」

 

 ダージリンが敬礼する、茶山も同じくポーズをとった。

 

「じゃあ、ダージリンは休んでて、」

「お父様の手伝いをしてきますわね」

 

 待ってという前に、ダージリンは駆け足で物置部屋まで突撃していった。

 本当、行動派なんだなあと思う。

 

「いい嫁さんをもらったわねえ」

「うるさいよ」

 

 風呂掃除帰りの母が、茶山の後ろから早速からかってきた。

 ダージリンという恋人が出来てから、両親ときたら子供のように茶化すことが多くなった。そんなに大きな変化なのだろうか――なのだろう。

 

「で、」

「プロになってからね」

 

 何度も聞いた。

 ゴミの分別もあらかた終了したので、ゴミ袋を縛り、手を洗う。

 さて、ダージリンは何をしているのやら。

 

「ダージリーン」

 

 物置部屋に顔を出す。母の掃除グセのおかげで、爆発的に埃が舞ったりはしない。

 窓がない密閉空間なので、暖色の電球がぎらりと光っている。その光は、身を屈しているダージリンと父を映し出していて――

 

「え、何してるの」

「茶山さんのアルバムを、拝見させていただいてますの」

「へー、アルバムかあ」

 

 間。

 

「ああっ!? 何アルバムッ!?」

 

 思わず大きい声が出る。ダージリンの視線が、幼稚園児の頃の茶山から、現在の茶山へと移り変わる。

 

「はい、幼いころの茶山さんを拝見させていただいています。可愛いですわ」

 

 男の茶山からしてみれば、そんなもの過去の恥でしかない。猿のように飛び掛かり、床に広げっぱなしのアルバムを奪取した。

 

「え……茶山さん」

「駄目! 見ないで!」

 

 珍しく声が荒む。よりにもよってダージリンに見られるとは、末代の恥だ。

 ダージリンが、目で「見せて」と訴える。父も「いいじゃないか」と口にするが、これだけは絶対に死守しなければならない。

 何故ならば、「何が映っているか忘れた」からだ。それは子供の頃の笑顔かもしれないし、泣き顔かもしれない。もしかしたら、大学生の身分では想像もつかないような醜態を晒しているかも。

 何にせよ、アルバムは厳重に管理しなければならない。彼女が出来たのであれば、なおさらだ。

 

「茶山さん、そんな……思い出は善きものではありませんか」

「じゃ、じゃあ、ダージリンは、アルバムを見せてくれるのかい?」

 

 ダージリンが「うーん」と唸る。

 

「ええ、構いませんわ。今まで生きてきた証ですもの」

 

 電球よりもまぶしいことを言われて、茶山の心がもだえ苦しむ。これが人柄なのかと、これがカリスマなのかと、これが隊長格なのかと。

 

「く……だ、だめだめ。こればかりは克服できない」

 

 クソ情けないことを、堂々と言う。だが本心だった。

 

「……そうですか」

 

 途端に、ダージリンの表情が暗転する。この世の理不尽さを受け入れたかのように、ダージリンは黙ってうつむいた。

 瞬間的に、世論がダージリンへ傾く。父は「お前最低だな」と顔全体で主張しているし、母は「見せてあげなさいよー」と、まるで他人事だ。

 

「う、ううっ」

「……私、帰ります」

 

 え。茶山と父の視線が、ダージリンへ集中する。

 

「帰ります、私。茶山さんに拒絶されてしまっては、ここにいる意味がありませんわ」

 

 まるで生きていないかのように、ダージリンがふらりと立ち上がる。茶山は、圧倒されて何も言えない。

 

「この寒い中で、独りでさみしく、帰りますわ……交通手段も使わず」

 

 じゃあ何分かかるんだよと、心の中で突っ込む。ましてやダージリンは女の子だ、一人で帰らせるなんて、

 

「わ、わ……分かった、分かったよもう。見ていいよ、もうっ」

「ほんとうに?」

「ああもういいよいいよ、好きにしてもうっ」

 

 そうして、ダージリンの表情が花火のように明るくなった。

 知ってた。たぶん、父もこうなることは予想していただろう。

 

「やっぱり茶山さんは優しい人でしたのね……流石、未来の旦那様」

「褒めても何も出ないからね」

「出ないからこそ、嬉しいこともあるのよ」

「そうですかそうですか」

 

 ほれ、とアルバムを手渡す。格好良い写真だろうが、何でもない写真だろうが、恥ずかしい写真だろうが、もうどうにでもなれ。

 写真とは思い出であり、過去だ。それらは決して消せるものではないが、今の為に全てを変えることは出来る――そうやって、自分を慰めることにした。

 

「何かを食べている写真が、多いですわね」

「ええ、昔っからこいつは食いしん坊で」

「あらあら、変わっていないのですね。そういうの、いいなあ……」

 

 どうやら、喜んでくれているらしい。茶山からすれば恥で爆発しそうだが、それでもアルバムを捨てる気にはならない。

 何だかんだいって、過去ありきの自分だろうから。食いしん坊のままだったからこそ、ダージリンと出会えたのだから。

 

「あ、泣いてる。可哀想……けど、可愛い」

「あっ、見るなッ!」

 

 この後は幾度となく、ダージリンの悲しい顔、明るい表情を見ることになった。これも良い思い出である。

 

―――

 

 ダージリンと共に歩むと決めて、1200日目。まだ足りない、始まったばかりだ。

 

 自室でダージリンティーを味わいながら、茶山は食べ歩きガイドブックに目を通していた。

 どうも、近所にケーキ屋がオープンしたらしい。ケーキとは意外にもすばしっこいもので、積極的に求めないと食えなかったりする――今度、立ち寄ってみようか。

 頭の中で適当なプランを練っているところ、充電器に刺さった携帯が震えた。誰かなあと、緩慢な動きで携帯を引っこ抜く。

 メールの送信者は――ダージリンだった。

 

『今晩は、元気でしたでしょうか。最近は大学内で風邪が流行っていて、何人かのサークルメンバーが欠席しました。

選抜メンバーの一部も感染してしまいましたが……それでも、練習は続きます。今は連携を中心に、強化しているところです。

今年は必ず、全国大会で優勝してみせます。その為なら、嫌で嫌で仕方がないですが、まほとも手を組みます。ええ、本当に残念ながら。

 

プロになるという明確な夢は、時には重荷になることもあります。本当になれるのだろうか、とさえ考えます。

全国大会で負けた時は、ひどく自己嫌悪したものです――ですが、すぐにあなたが助けてくれましたね』

 

 指をスライドさせる。

 

『本当に、救われた気持ちになれました。こうして練習を続けていられるのも、友人がいるから、家族がいるから、茶山さんがいてこそ。

……あなたは何度か、『これしか出来ないから』と、食べ歩きに誘ってくれることがありますよね。

それは違います。あなたとの食べ歩きがあってこそ、私は身も心も満たされるのです。そうして、『また頑張ろう』という気になれるのです。

 

本当にありがとうございます。私も精一杯、あなたを愛します。ですから、私を手離さないでください。

あなただけの、ダージリンより』

 

 すぐに返信する。ダージリンの全てを、これからを、未来を支えていく為に、茶山は真剣にメールを打ち込む。

 これが力になるのなら、男としてこれ以上幸せなことはない。

 

―――

 

 ダージリンのナイトになると決めて、1232日が経つ。今日はバレンタインだ。

 

 授業終わり、腹の調子も良し、程よく疲れた。さあ帰宅して夕飯だ――席から立ち上がろうとした時、携帯が震えた。

 何だ何だと見てみると、友人からのメールだった。さっと開封してみると、

 

『キャンパスのベンチに、すげえ美人が座ってるぜ。誰なんだろうな。モデルか? アイドルか? 見たことねえ』

 

 ふーん。

 自分にとってのアイドルとは、理想像とは、ダージリンしかいない――嫌な予感がしたので、メールを打ち込む。

 

『どんな容姿だ』

 

 興奮気味なのだろう、すぐにメールが返ってきた。

 

『金色のロングヘアーが美しい、同年代っぽい女性だぜ。ベレー帽が似合ってる、いいスカーフを身に着けてるな』

 

 お礼のメールを送信し、すぐさま教室から出ていく。いつもより駆け足気味で、まさかまさかと頭の中で考え込む。

 今日は何かあったか、あってしまった。そのものズバリ、ロマンスの日じゃないか。

 けれど、いやしかし、最近は練習とかで忙しいはず――だめだ、そんなリアリティは捨てろ。だって、相手は――

 

 キャンパスへ到着した時、間違いのない存在感が伝わった。

 キャンパスにはいくつかのベンチが設けられているが、その一つに「モデルさんっぽい綺麗な人」が、ベンチへ腰かけている。若い男は勿論、教師、女子生徒までもが、ひそひそと注目していた。

 当然、茶山もモデルさんっぽい人に注目していた。普通なら「綺麗な人だなあ」で通り過ぎるのだが、今回は「綺麗なだけじゃない」ので、放置するわけにもいかない。

 だって、あの人は――

 

「君だれ? 綺麗な人だね」

 

 果敢にもナンパする生徒が現れ、モデルさんっぽい人が「ちょっと用事がありまして」と対応する。ナンパ慣れしているらしく、あの手この手で心を鷲掴みにしようとするが――結局、「また会えたらよろしくね」と追い返されてしまった。

 周囲は、「凄い人だな」と評価する。茶山は、「知ってる」と小さく呟く。

 その時、茶山と目が合った。

 すっと、モデルさんっぽい人がベンチから立ち上がる。茶山ときたら、人気の無い場所まで誘導を開始した。

 

 

 結局、大学の外にまで出ていってしまった。観念したように立ち止まり、あえて後ろへは振り向かない。

 

「そこのあなた」

 

 強い女性の声がした。聞き覚えがあったが、あえて視線を合わせない。

 

「あなたよ、そこのあなた」

 

 強い口調に気圧され、ぐきりと体を向けた。お嬢様的な金髪に、日本人離れした青い瞳、白を強調した清楚な服装に、情熱的な赤いスカーフを身に着けている。

 

「あなた……どうして私のことを素通りするの?」

「……当たり前じゃない」

 

 デジャブが生じる。

 同じようなやりとりを、この前にやったような気がした。

 

「あそこで、僕の彼女だって言えないよ。男たちに敵対されちゃうよ」

「ふむ……」

 

 ダージリンも、思うところがあるのだろう。顎に手を当て、「それもそうですわね」と納得した。

 

「申し訳ありません、急にお邪魔して」

「いや、いいよ。今回はそっちの勝ちだね」

 

 ダージリンが、「やった」とばかりに微笑む。やっぱり怖い人だなあと、茶山は苦笑した。

 

「……練習は?」

「明日、二倍働くと宣言してきました」

 

 無茶だ、とは思わなかった。代わりに、「やるんだろうなー」とさえ考えた。

 

「さて、どうして私はここにいるでしょう?」

「くれるんでしょ? 甘いもの」

 

 ダージリンが得意げに頷き、鞄からチョコを取り出した。今回は袋詰めスタイルらしい。

 

「ふむ、これは……パンツァーファウスト型チョコレート? す、すごい」

 

 見るも手作り感溢れる、精巧な出来のチョコレートだった。それが何本も、袋の中に詰め込まれているのだ。

 腹が減る――というよりは、早く味わいたかった。あっという間に、甘いものが食べたいという気分に支配されていく。

 

「どうぞ、召し上がって」

「い、いただきます」

 

 袋の封を開け、慎重な手つきでチョコの一本を掴む。

 正直、食べるのが物凄く勿体なかった。ここまで来ると、可愛いというよりも格好良さを感じる。本物同様、爆発しそうな説得力すら感じられた。

 

「さあ、食べて」

 

 しかし、促されるがままに食べてしまうのだ。

 ――甘い。

 

「うまい」

「やった」

 

 ダージリンが、ぎゅっと拳を作る。かわいい。

 

「これ、本当に、僕の為に?」

「ええ」

 

 ダージリンの頬が赤く染まり、視線は斜め下へ。何でもない歩道の横を、車が通り過ぎていった。

 

「……あなた以外のチョコなんて……」

 

 本当に、ダージリンは情熱的な女性だと思う。自分だったら、そんな言葉は言えやしない。

 けれど、それで良いのだと思う。何となく、その方が釣り合っている気がしてならない。

 

「ダージリン」

「は、はい」

 

 ダージリンの瞳が、茶山へ移る。

 

「必ず、お返しするね」

「そ、そんな、無理なんてしなくてもいいですわ」

「するからね」

 

 強く言った。ダージリンはしおしおとうなだれていき、か細い声で「はい……」と返事した。

 

「……ダージリン」

「はい……」

「愛してる」

 

 そんな姿がとても可愛くて、お礼が言いたくて、応えたくて、茶山は感謝の言葉を述べた。

 

 少しだけの間を置いて、ダージリンは小さく口づけをしてくれた。

 

―――

 

 茶山に心奪われ、1260日目。

 今日も今日とて、大学選抜メニューという名の特訓を受けてきた。毎回疲れるし、時には喉も痛くなる。指摘を食らいまくって、「わかりましたわ」と、何度も口にすることもしょっちゅう。ここまで来るとお約束めいた言葉になってきて、逆に安心する。

 

 疲れた。今日は散々指摘された気がする――いつものことか。

 帰路につきながらも、頭の中で弱点を整理する。

 目立った弱点はといえば、やはり連携関係だろうか。特にまほとの。

 豪のまほ、圧のダージリンと呼ばれているらしいが、あれは半ば「結果的にそうなっている」だけで、意図した面は少なかったりする。まあ、いきなり聖グロと黒森峰が力を合わせるというのも、結構な無茶振りなわけで――

 

 首を鳴らす。あの敗北以来、ダージリンとまほは、黙って手を組むようになった。戦車道以外では相変わらずケンカしてばっかりだが、戦車道が関わると、自然と「しょうがないなあ」と、気持ちが切り替わる。

 なるほど、自分も少しは背が伸びたらしい。

 まだまだ連携にはアラがある。だが諦めるつもりはないし、好きで練習を受けているのだ。自分は、戦車道の女なのだから。

 

 家に着く、今日も疲れた。少しだけ横になろうか。

 体から力が抜けていき、小さくあくびを漏らす。よくもまあ、毎回毎回練習に耐えられるものだ。

 

「ただいま戻りましたわ」

 

 見慣れた玄関まで足を運ぶと、父がぱたぱたと近づいてきた。ダージリンが「はて」と、まばたきする。

 

「お前に、宅配物が届いているぞ」

 

 へえ。

 時折だが、ダージリンはこうしたプレゼントを貰い受けることがある。それは茶葉だったり、スプーンだったり、ファンレターだったり――今回は何が届いたのやら。

 

 宅配物が入っているらしい小包は、応接間のテーブルの上に置かれてある。

 子供みたいだが、やはり、プレゼントとは心躍るものだ。家族から「お前宛に郵便だぞ」と言われるたびに、何かこう、勝った気持ちになる。

 ――ましてや、

 

「ああっ……」

 

 声が漏れる。当たり前だ、当然だ、こうなるのは必然だ。

 贈り主が、茶山だなんて。

 はっと、父に首を向ける。父は穏やかに笑うだけで、特に口も開かない。

 ――いつの間に、茶山と共同戦線を張るようになったんだ。男だからか。

 まあいいと、視線を小包に切り替える。

 はやる気持ちを抑え、あくまで丁寧に、少しずつ封を開けていく。何だ今度は何を送ってきた、何を贈ってくれた。

 

透明の、小さな袋が姿を現した。

クッキーが、戦車の形をしたクッキーが入っていた。

 

「これっ」

 

 思わず声が出る。今日はホワイトデーで、前にチョコをプレゼントした記憶も残っている。

 感嘆の吐息が漏れる。

 今日という一日に相応しい、男性ならではの贈り物だった。

 

 クッキーのことをよく見てみると、その全てが聖グロ仕様だった。茶山のことだ、何度も見直したに違いあるまい。

 本当、私のことしか見てないんだなあ。

 そろそろ夕飯だ。その後で、紅茶とともにクッキーを味わおう。甘いものは別腹、という格言もあるのだし。

 記念撮影も忘れないでおこう。後で送信しなければ。

 

 夕飯を食べ終えた後、ダージリンは二度目の「いただきます」を告げた。

 もちろん最後に食べるのは、チャーチル型のクッキーだ。

 

 

「ごちそうさまでした」

 

―――

 

 ダージリンと手を繋ぎあい、気づけば1271日が過ぎた。

 記念日という奴になるのだろうか。本日をもって、大学を無事卒業した。

 

 もう、あそこの食堂で飯を食うこともあるまい。授業を受ける機会も、文化祭に急かされる日々も、学友からの愚痴を聞かされるかったるさも、今日この日をもって、全て失われた。

 心地よい寂しさを抱く。何だかんだいって、大学も思い出の地になった。

 そんな余韻に浸りながら、茶山は大学から出ていく。ただ廊下を歩いているだけで、沢山の笑顔が、幾多もの泣き顔が、告白をする男が、告白される女性が、「頑張れよ」と応援してくれる教師が、壁に寄りかかっている誰かが、何もかもを見た。

 友人に関しては、彼女が出来たからといって、真っ先に映画館デートへ突っ走ってしまった。薄情者め。

 まあ、いいか。そうして、茶山はエントランスを抜け、

 

 春の世界が、茶山を出迎えた。

 緑の木々が、青空が、うっすらとした春の匂いが、たくさんの卒業生の姿が、視界に入り込む。

 

 振り返る。

 卒業生を送り出したところで、大学は何も変わらない。輝きもしなければ消えもしない。

 だからこそ寂しい。悪くない。

 

「先輩」

 

 真正面を見る。

 

「卒業、おめでとうございます」

 

 いつの間にか、居て欲しい人がいた。

 

 

 記念として、やっぱり街中で食べ歩きをすることにした。

 ベンチであつあつのたい焼きを頬張りながら、ダージリンがにこりと、

 

「就職も、決まったそうですわね」

「よくやったよ」

 

 感情にもリセットがかかったのか、その声は実にふぬけている。全部やり終えた後なんて、案外こんなものだ。

 

「これで、簡単には出会えなくなってしまうのでしょうか」

「どうかなあ」

「……あ」

 

 珍しいことに、ダージリンが指を鳴らした。思わず、ダージリンの横顔を注目する。

 

「私の家に住めば、必ず会えるじゃないですか」

「……それってさ、つまり」

 

 ダージリンが「ええ」と、実に嬉しそうに声を出し、

 

「結婚すれば、この問題は解消されますわね」

 

 本当、この人はすごいと思う。

 自分なんかには、絶対に口にできない。

 

「……ダージリンはさ」

 

 ダージリンが、「はい?」とまばたきする。

 

「やっぱり情熱的だよね。僕なんかには、真似できないよ」

「いえ、私も茶山さんにしか、こんなこと言えません」

「それでもだよ。ああ、僕は幸福者だなあ……」

「ええ。――私もあなたに出会えなかったら、きっと恋なんかしなかった」

 

 茶山が、「大袈裟だよ」と返す。内心はバカみたくはしゃいでいるくせに。

 

「……こんな格言を知ってる?」

 

茶山の動きが止まる。ダージリンの口元が曲がる。

 

「お腹がすいている時に、キスをしたい女なんていないわ――アメリカの新聞記者、ドロシー・ディックスの格言なの」

「……ほう」

 

 ダージリンが、ベレー帽を正す。

 

「あなたに満たされなければ、恋なんてできなかった」

 

 本当、この人は凄いと思った。

 

―――

 

 ダージリンが好きなものを食べるようになって、1282日が過ぎた。もう、そんなに経っていた。

 

 早速仕事疲れで死にそうになりつつ、茶山はメールを拝見していた。

 送信者はルクリリ、長い付き合いになったなあと思う。

 

『今晩は、元気でしたか? 私は相変わらず元気です。

最近、隊長があなたのことばかり話すんですよ。大人になると会えなくなるとか、それがいいとか、そーんなことばっかり。

でも、そういう話を聞くのも好きになってきました。私も早く、彼氏が欲しいものです。

 

そういえばここ最近、また隊長の腕前が上がってきました。まほ軍の扱いが上手くなったというのかな。

まあ、相手も同じことを考えているでしょう。それが連携なんですけれどね。

なんというか……今年は優勝しそうです』

 

 苦笑しつつ、ルクリリに『彼氏、見つかるといいね、応援する』と送信する。

 

―――

 

 ダージリンが人生の目標となって、1310日が経過する。それはこれからも変わらないし、変化するつもりもない。

 会社帰りにも何となく慣れてきた。ミスしたり成功したりしつつ、今日も元気に暮らしている。

 

 そういうわけで、ダージリンティーを味わいながら、オレンジペコのメールを開く。

 

『今晩は、社会生活はいかがですか? 話を聞く感じ、大変そうですね――心から、応援します。

ダージリン様ですが、あなたへの愛情は変わっていません。常にベレー帽、常にスカーフと、体全体で惚気ています。羨ましいです。

最近は西住さんとも仲が良く、今日も腕相撲で勝負しては負けました。その後、紅茶当てで勝敗がトータルになりました。

 

戦車道の方も順調で、まほ軍もダージリン様の指示に従うようになりました。やはり、戦車道の縁とは堅いものなのですね。

心配することは、何一つありません。安心してください。

――ですが、なるべくなら、週末はダージリン様のお相手をしてあげてください。時々見てしまうんですよね、ダージリン様の遠い顔を。

 

お疲れのところ、察します。なるべくで構いません』

 

 我ながら凄まじい速度で、『僕がダージリンを支える』と、テキストをぶっ込んでいく。

 茶山からしてみれば、「なるべく」ではなく、「させて欲しい」のだ。それでダージリンの夢を手助け出来るのなら、ダージリンが栄光を掴めるというのなら、自分は喜んで力を貸す。

 

 自分の腹を、ぽんと叩く。

 茶山という男は、何か食えば気分が一新されるタイプだ。

 

―――

 

 ダージリンへ恩義を覚え、1331日が経過した。

 大洗学園艦は、今日も元気に海を旅しているらしい。卒業生として、よかったよかったと思う――今となっては、聖グロの支持者だったりするが。

 

 本日も会社勤めを果たし、そのまま自室へ寝転がる。

 ――父は、こんな生活を何十年もこなしているのか。

 心の底から尊敬する。今度、何か本を買ってあげよう。父は活字も漫画も資料も読み漁るタイプだ。

 

 ポケットに入れておいた携帯が震える。何かなと引っこ抜けば、ローズヒップからのメールだった。

 

『今晩は、お元気でしたか? 私は元気です。

先週は、隊長と食べ歩きをしたみたいですね。お陰で良い笑顔で、ルンルンでした。

西住さんもデートをしたらしく、とても上機嫌でした――まあ、目が合った瞬間に勝負事が発生したのですが。

まずはタップダンス勝負で、西住さんが勝利しました。隊長は涼しげな顔をしていましたが、絶対にやせ我慢してましたね。

次にジャグリング勝負が始まったのですが、隊長の圧勝でした。あのバランス感覚は天才級だと思います。

 

とまあ、大学では普段通り仲良しこよしです。それは戦車道でも変わらず、隊長曰く『今だけ』息ピッタリだそうです。

そういうことにしておきましょう。

 

茶山さん、あなたは精一杯のことが出来ています。これからもどうか、隊長と遊んでくださいね』

 

 茶山は、「すごいなー二人とも」と苦笑しつつ、ローズヒップに対し『ありがとう』と返信する。

 ローズヒップといえば、彼氏とはしょっちゅうレース観戦を行っているらしい。それはF1だったり、バイクだったり、ドラッグカーだったり――そうした報告を耳にするたびに、茶山も何だか幸せな気分に浸れるのだ。

 年を食ったから、というのもあるだろう。若い恋はいいなあ、と考えているからだろう。

 けれどやっぱり、根本は「自分が幸せ」だからだ。自分のことを好きになれないで、他者を祈れるはずがない。

 

 ダージリンは、茶山の人生すらも彩らせてくれた。

 その恩を返すために、来週末もダージリンと遊ぼう。

 

―――

 

 聖グロを支持し始めて、1354日が経過した。

 今日は春らしく、実に暖かい。いつの間にか樹木が緑色に生き返っていて、その枝の上に鳥が二羽、止まっていた。世界は愛で出来ているらしかった。

 

 そんなことを思いながら、茶山は高熱を出して死んでいた。

 

 まさか、今年中に発病するなんて。

 どこで感染したのかなあと思考したが、頭を使うだけ気持ち悪くなってきた。何も考えないというのも、これまた難しい。

 自室の布団で寝転がる、吐き気は今の所ない。「さっきはあった」が。

 茶山の免疫力は、結構ムラっけがあるタイプだ。数年は全く発病しないくせに、いざ風邪となると決まって高熱を叩き出す。そうなれば吐き気、悪寒、頭痛、咳などなど、ありったけの症状が体内で姿を現わすのだ。生まれてこのかた、微熱というものを知らない。

 

 なんてこったい。

 就職して二ヶ月くらいだというのに――もしかしたら、緊張し過ぎたのかもしれない。

 まあいい、考えるだけ無駄だ。むしろ害にすらなる。さっさと眠って、とっとと完治しよう。

 両目をつぶる。前に発病したのはいつだったか、確か中学時代だったっけ。

 

 

 夕暮れにまで差し掛かった頃、チャイムが鳴った。

 下で、母が応答する気配を感じる。やっぱり実家暮らしは最高だなあと考え――

 

「茶山さんっ、大丈夫ですか?」

 

 なんともいえない無表情のまま、茶山は天井を見つめていた。

 十分に考えられる場面であったはずなのに、どうして自分は『風邪にかかっちゃった。ダージリンは気をつけてね』なんてメールを送信したのか。

 相手はあのダージリンだぞ、茶山の恋人だぞ。そんなの、看病確定じゃないか。

 

「ああ、来てくれたんだ」

「はい。あなたを支える事が、私の使命ですから」

「いいよいいよ、大丈夫。時間が経って、治まってきたし」

 

 ダージリンが、「ふう」と安堵する。

 

「ですが、まだ苦しんでおられる様子……私が、あなたを守ります」

「いやいや、母さんもいるし」

「一人より二人」

「いやいや」

 

 ダージリンが、布団をかけ直してくれた。

 

「まあ、まあ」

 

 にこりと笑われた。

 こういう時のダージリンに対しては――どうしようもないので、受け入れるしかない。

 

 

 その後も、ダージリンは何度か氷を変えてくれたし、お粥まで食べさせてくれた。ダージリンは終始穏やかで、何度も「辛いことがあったら、いつでも呼んでください」と、声をかけてくれた。

 看病だって大変だろうに。

 茶山も、数回ほど「いつでも帰っていいからね、大丈夫だからさ」と口にした。けれどダージリンは「お気になさらず」と、茶山のことを見守り続けた。

 空気を吐く。

 将来は、良いお嫁さんになるに違いない。結婚相手が羨ましい。

 

「茶山さん」

「……うん?」

 

 緩慢な返事だった。

 

「本当に、大丈夫ですか? 本当に」

 

 茶山が、「うん」とだけ。

 

「……良かった」

 

 心の底から安堵しているのだろう。ダージリンの表情が、そう訴えている。

 

「……嬉しいですわ」

「何がだい?」

 

 ダージリンが、布団の上に手を置く。

 

「あなたの命に、恩返しが出来ていることが」

 

 心の中で、感嘆のため息が漏れた。

 

「――何かしたっけ」

「しましたとも」

「何だっけ」

「数えきれませんわ」

 

 ダージリンが、横になっている茶山の頭を撫でた。

 母の手のように暖かい。この世でもっとも大切な温もりが、体全体に響いた。

 

―――

 

 ダージリンに認められて、1381日が経過する。

 ここ最近は、大学戦車道全国大会関連のメールが、よく届くようになった。年を食うと、年月の流れが早くなる。

 

 そのメールの送信者はダージリンだったり、アッサムからだったり、時にはルクリリからだったり、オレンジペコからも届く。ローズヒップは、今日もダージリンとまほの争いを見届けているらしかった。

 ダージリンティーに口つける。ここ最近は、コーヒーよりも味わう機会が多くなった気がする。

 熱い、そして落ち着く。

 携帯が震える、送信者はアッサムだ。

 

『今晩は、元気でしょうか。 この前は大変だったようですね、心中察します。

私たちですが、これまで通り戦車道を歩み続けています。優雅に、華麗に、そして相手に圧力を。

これからも、このやり方は変わらないでしょう。あとは、他者の力を信じるだけです。

 

あと数週間で、全国大会です。やるべきことも、すべきことも、やらなければいけないことも、全て行いました。

当日になりましたら、是非見にきてください』

 

 メールを打ち込む。そんな大切なことは、会社に頭を下げてでも見届けるつもりだった。

 

 ダージリンの青春が、終わりを迎えようとしている。

 

―――

 

 ダージリンは、戦車道を歩み続けていく。茶山は、これからも大人として生き抜いていく。

 そうして茶山と想いを交わしあって、1499日が経過した。

 

 戦車道とは、決して平坦なものではない。時には坂道にぶち当るし、下り坂で絶好調をかますこともある。壁と遭遇した時は、迂回して別ルートを辿ったりしたものだ。

 そんな風に旅していたら、大学戦車道全国大会が始まっていた――あっという間に、決勝戦まで到達していた。気づけば、そうなっていた。

 

 選手宣誓を交わし合い、選抜チームが各々の戦車へ乗り込んでいく。もはや、仲間の表情に迷いなどはなかった。

 何となく、景色に目を泳がせる。

 空が、忌々しいくらい青い。戦車で存分に暴れてくださいとばかりに広がる草原が、何だか余計なお世話に感じる。遠くに山が見えるが、何だか登りたくなってきた気がする。

 

 ――大きく息を吸い、大きく息を吐く。

 緊張はしている、だが勝利を信じている。それなのに決意が固まらないのは、たぶん、責任感のせいだ。

 

 自分は、ダージリン派の一番偉い人だ。だからこそ皆を支え、皆を導き、「ついてきて良かった」と実感させなければならない。

 出来るのだろうか、皆の夢を叶えることが――

 

「おい」

 

 声に引っ張られるがまま、ダージリンは振り向く。嫌な予感がしていたが、やっぱり西住まほからだった。

 

「どうした、緊張しているのか?」

「まさか」

「強がるな」

「強がってなんか」

「私はしてるぞ」

 

 うわ白状した。何だかこっちが子供みたいで、恥ずかしくなる。

 

「……私もしてますわ」

「だろうな。大変だよな、隊長格というのも」

 

 一年の頃は単なるチームリーダーだったというのに、今となっては大学選抜チームのリーダー格だ。プロになることを夢見ているものの、この事態は予想していなかった。

 しかし住めば都というもので、隊長の椅子というのも悪くはなかった。リーダー格だからこそ、スカウトからの評価も高まっているし。

 

「本当、命令を考えるというのも、難しいものですわ」

「ああ。失敗したら自己嫌悪に陥るよな」

 

 ダージリンが、「ええ」と頷く。

 

「――だが」

「何」

 

 

「『隊長のお陰で勝てました』って言われると、嬉しくないか」

 

 まほが、素直に笑っていた。

 ――大学生活を通じて、まほについて分かったことがある。

 

「……ええ。残念ながら、同意しますわ」

「ああ。だから、隊長はやめられないよな」

 

 まほは、戦車道が大好きなんだってこと。

 

「――ダージリン」

「何」

 

 まほが、パンツァージャケットを正す。

 

「信じてるからな」

 

 まほの両目が、ダージリンを射抜く。

 

「任せて」

 

 ダージリンの瞳が、まほを捉える。

 

「相手チームは、去年と同じ。それ故に強い」

「ええ。今年こそ、借りを返さなくては」

 

 まほが、ちらりと戦車群を眺める。

 

「ルール上では、三十両対三十両の殲滅戦だが、」

 

 まほが、見せつけるように金属板の首飾りを掲げる。日光を浴びて、ぎらりと主張した。

 

「これで三十一両だ」

「へえ」

 

 返すように、スカーフをきゅっと握る。緑の中で、紅はよく似合う。

 

「これで三十二両」

 

 間を置いて、含み笑いがこぼれ落ちる。やがて、こんな場だからこそ陽気に笑い合う。

 

―――

 

 ダージリンが、ようやく戦車の中へ入ってきてくれた。たぶん、心の整理とかで大変だったに違いない。

 

 ルクリリは、改めて「隊長」について思う。隊長というのは誰よりも偉くて、尊敬されて、輝いていて、強くなくてはいけない。

 大学選抜チームとはいえ、弱音を吐く隊員もいる。去年の大会終了後なんてひどいもので、「私、向いていないのかなぁ」と、愚痴をこぼす隊員が続出した。

 そんな時、ダージリンは優雅に、華麗に激励し続けた。隊員一人一人の弱点、利点を知り尽くしていて、どちらかといえば利点を磨くよう指摘したものだ――ちゃんと隊員の顔を見て、目を合わせて。

 

 だから、ダージリンが偉いことに誰も異論を唱えない。隊員の皆が、ダージリンにはもっと輝いて欲しいと願っている。

 だからこそ、ルクリリ含む皆に、もう迷いはなかった。全ては隊長の為に、名誉の為に、誇りの為に、私の為に、戦車道を歩み続ける。

 

 ――隊長はいつ、弱音を吐いても良いのだろう。

 聖グロ時代の頃は、正直分からなかった。「必要ない」とすら思った。だって、ダージリンはいつだって毅然としていたから。

 けれど、背が伸びて分かったことがある。

 試合に負ければ、ダージリンだって悔しいのだ。むしろ隊長だからこそ、人一倍気負うかもしれない――そんな顔を、ダージリンはずっと隠してきた。少なくとも、聖グロ時代では。

 

 大学生になったダージリンは、時々だが「表情」を見せるようになった。年齢を重ねたからこそ、限度というものが知れたのだろう。

 それに――今の隊長には心の支えが、相談相手がいる。自分のあずかり知らぬところで、感情をぶっつけているに違いない。

 だから、隊長は前よりも強くなったのだと思う。隊長としての風格が、磨き上げられていったのだと思う。

 一生、この人についていこう。

 

「おかえりなさい。準備は?」

「ええ、万全よ」

 

 ダージリンに対し、アッサムが「どうぞ」と紅茶を手渡す。ダージリンは、まず匂いから味わうタイプだ。

 

「ふむ」

「……ここまで、来ましたね」

 

 感慨深そうに、どこか安らいだ調子で、アッサムが呟く。

 

「ええ、あっという間でしたわ。戦車道も、大学も」

「恋愛も?」

 

 ルクリリが、わざとそんなことを言う。アッサムが嫌そうに睨みつけてくる。

 

「ええ――これからもきっと、楽しくなるのでしょうね」

「そうですよ、きっと」

 

 少しだけ、沈黙。

 

「こんな格言を知ってる?」

 

 アッサムが「やれやれ」と苦笑し、ルクリリが観念するように首をかしげる。他のメンバーも、「またかー」とか思っているに違いあるまい。

 

「運命は我らを幸福にも不幸にもしない。ただその種子を我らに提供するだけである。フランスの哲学者、ミシェル・ド・モンテーニュの言葉よ」

 

 つまり、どうとでもなるということか。

 了解、隊長。

 

「さて――」

 

 ダージリンが、紅茶を一口飲む。

 獰猛に笑ったりはしない。華麗に、優雅に、

 

「All tanks advance!」

 

 すまし顔で、戦うだけだ。

 

―――

 

 決勝戦に至るまでが長かったはずなのに、試合はもう終盤に差し掛かっていた。

 ダージリン側が二両、ダージリンとまほしか残っていない。対する相手側は一両、隊長格のようだ。

 腕前は互角で、たぶん頭の回転速度も同じくらいだろう。ダージリンと相手戦車は、互いに物陰で息をひそめている――まほはといえば、「頑張り過ぎた」結果、弾が底を尽いた。

 

 観客は、沈黙を貫いたままだ。そこには殺気も、歓喜も、不安も、悲観も無い。信じるべき者を信じているだけ。

 茶山は信じた、願った、そして幸せを祈った。その想いを捧げるは、勿論――

 

 その時、相手側の戦車が動いた。速い、いや遅い。遅い分だけ照準は安定していて、

 ダージリンも、決着をつけるべく物陰から姿を現した――まずい、緊張感と焦れと「あと一歩」に誘われた。相手戦車は既に停車していて、主砲がダージリンを睨みつけている。

 ダージリンが察した時にはもう遅い。計算通りの狙撃が、完璧な弾道をもってしてダージリンに食いつこうとする。

 

 しかし、相手も「人間関係」までは勘定に入れられなかったらしい。まほの駆る戦車が、ダージリンと相手戦車の間をぶっちぎっていったのだ。

 まほの戦車が被弾し、「慣性を保ったまま」吹っ飛んでいく。もはや遮るものなど何もない。相手側にとっても、ダージリンにとっても。

 お互い姿をさらけ出したままだ。腕前を考えれば、「先に撃った者が勝つ」。そう、先に撃てさえすれば優勝出来る。

 

 今、相手戦車は何をした。ダージリンは、何かしたっけ(・・・・・・)

 ――人間は、極度の緊張感と、興奮を抱くと、思わず笑ってしまうものらしい。

 感情をありったけ移入し、何もかもを確信して、茶山は、「指示を下した」。

 

「「撃て」」

 

 轟音。

 

 ――聞き覚えのある、女性の声が心に届いた。

 

―――

 

 優勝を確認し、ダージリンとまほのヒーローインタビューを見届け――茶山は、両親とともに会場を後にした。

 その際に、母から「いいのかい?」と聞かれたが、茶山は「ああ」とだけ。父は、黙って車を走らせた。

 

 帰宅し、車のドアを閉める。空は既に夕暮れ時で、数時間前は何してたんだっけ、とか思う。

 父と母は、穏やかに笑ったままだ。「家族」が活躍して、心の底から喜んでいるに違いない――自宅のドアに、鍵を刺し込む。日常が戻ってくる。

 

 

 自室で、茶山はダージリンティーを揺らしていた。

 見慣れた紅茶が、どんなものよりも綺麗に見える。ゆっくりと口元を曲げ、「今頃は何をしてるのかな」とぼんやり思う。

 

 ダージリンへありったけのおめでとうメールを送信したが、見るヒマがあるのだろうか。戦車道の星となった、ダージリンに。

 今頃は、沢山の人に囲まれているだろう。そして、色々な話を振られているはずである。そこにはきっと、茶山が介入する余地はないのだろう。

 けれど、今はそれで良い。ダージリンは報われるべき人だ。

 すっかり遠い存在になってしまったが、何だかそれが心地良い。寂しさすらも、「まあいいか」で受け入れられる――これが、恍惚というものなのかもしれない。

 

 ダージリンティーを口にする。この味が、この熱さが、この香りが、確かな繋がりを感じさせる。

 ダージリンティー以外を飲もうとしたら、妬かれてしまって。それが可愛くて、つい――含み笑いがこぼれる。

 

 その時、チャイムが鳴り響いた。

 ティータイムを中断する気はないので、対応は親に任せることにした。今は、余韻に浸ることで忙しいのだ。

 

「あなたに宅配便ですって、降りてきなさーい」

 

 こんな夜遅くに宅配かよ。

 ダージリンティーを全て飲み、心底かったるそうに席から立つ。人気者は辛いものだ。

 

 階段を早歩きで下り、母から「早く開けてあげて」と急かされる。なんだ開けてないのかよと、鍵を開けるまでは不自然さに気づけなかった。

 

「はい、何ですかいった、」

 

 とても綺麗な配達人だった。

 金色のロングヘアーが、茶山の心を捕らえて離さない。透き通った青い瞳が、茶山の顔だけを映し込んでいる。白に近い肌が、言いようのない緊迫感すらも抱かせる。

 その容姿を彩るように、緑色のミリタリーベレー帽がアクセントを生み出す。――赤いスカーフが、茶山に恥と高揚感を与えてくれた。

 

 とても見覚えのある、配達人だった。

 

「……ええっと、配達物は?」

 

 配達人がにこりと笑いながら、自分の顔を指さす。

 茶山は「えー」と、わざとらしく反応し、

 

「母さん。この配達人、住所を間違えてるみたい」

「間違ってなんかいないでしょ、ここ以外どこだっていうの」

 

 まあねえ。

 茶山は呆れたような、笑うしかないような、そんな顔をする。

 

「……今、忙しいんじゃなかったっけ?」

「ええ」

 

 あっさり言った。茶山は頭を掻く。

 

「抜け出して、きたの?」

「いいえ。インタビューはきっちり受けて、打ち上げの途中で帰っただけですわ」

 

 それも大事なんじゃないかなあと思う。まあ、後の祭りだ。

 

「――いいの?」

「はい」

「僕よりも、仲間たちのことを考えなきゃ」

 

 ダージリンが、首を左右に振るう。

 

「チームメイトも、笑って承諾してくれましたわ。むしろ、早くいけいけって急かされましたし」

 

 ありがとう、今度ケーキでもプレゼントしてみよう。

 

「まほも同じだったようで、どーんと背中を押されてましたし」

「いいねえ」

 

 顔も知らない彼氏に対し、「頑張れよ」と応援する。

 

「……まあ、でも。ダメって言われても、私はここに来たでしょう」

 

 ダージリンの頬が、赤くなる。目線が、壁に逃げている。

 恥ずかしそうに、指と指を合わせていた。

 

「……いいのかい? そんな」

「ええ」

 

 ダージリンと目が合う。青い瞳が、海のように輝いていた。

 ――茶山の心なんて、あっという間に鷲掴みにされる。

 

「だって、」

「だって?」

 

「あなたのお傍こそが、私の帰るべき場所ですから」

 

 見上げる。

 何の変哲もない天井が、何だかぼやけている。目頭がむやみやたらに熱い。声がロクに出てこない。呼吸が荒んでいる。

 思い出そうとする。

 最後に涙を流したのは、いつ頃だったっけ――

 

 締め付けられるような情熱が、体全体から伝わってきた。ダージリンが、茶山の胸に顔を預けている。

 良かった――

 こんなにも愛してくれる人を、愛することができて。

 

「ダージリン」

「はい」

「……おかえり」

 

 情熱を届ける為に、茶山も抱きしめ返す。

 ダージリンは何もしない、離れようともしない、離してもくれない。

 

「ただいま」

 

 

 後は、何の言葉も無く抱擁を解いた。全て伝えきったからか、名残惜しさなんてまるでない。

 ――母にずうっと見られていたが、何を今更だ。親だし。

 

「……リンちゃん」

「はい、お母様」

 

 母が、本当に嬉しそうに笑顔を浮かばせる。

 

「夕飯、食べにいかない?」

 

 ダージリンが、子供のように目を見開かせる。口元が、とてもとても釣り上がっていく。

 

「はい! ……お母様、お手伝いいたします!」

「あ、じゃあ、」

 

 手で制されて、

 

「殿方は、居間でお待ちを」

 

 ウインクされた。やっぱり、台所には触れてもらえないらしい。

 

 

 玄関で靴を脱ぎ、ダージリンは家族の仲間入りを果たした。今日は何が出るのだろう、何でもいい。

 茶山は居間で腰かけ、「さて」と携帯をいじる。

 

 そろそろ、あれを買うか。ダージリンも、卒業が近い。

 

―――

 

 偶然にも茶山と出会って、もう1501日が経過していた。

 

『優勝、本当におめでとう。自分のことのようで、嬉しい気持ちでいっぱいだよ。

スカウトもかかったそうで、夢に一歩近づいたね。流石ダージリンだ。もっともっと尊敬したい。

 

本当に、完璧な人になったね。優雅で、華麗で、そして強い――君を少しでも手助けできたこと、光栄に思うよ。これからも応援する。

もしも辛くなったり、不機嫌になったりしたら、いつでも僕を呼んでほしい。君を支えることが、僕の生き甲斐だから。

 

最近は寒くなったから、風邪などには気をつけてね。

君が、幸せに生きられますように』

 

 ダージリンは、このメールを何度も何度も見返している。そのたびに笑みがこぼれ、胸が熱く締め付けられ、出会えて良かったと実感するのだ。

 ああ、私は生きている――

 そんな当たり前が、今更が、とてつもなく愛おしい。

 

「ほんと、良かった」

 

 消えそうな声で、世界にささやく。

 ――ベッドの上で、寝転がる。

 とっくの昔に、返信は行った。だからこそ、このメールを名残惜しそうに眺めているのだ。

 

 茶山からのメールが待ち遠しい。

 完全に恋する乙女だった、知ってた。この出会いがなければ、今なんてあっただろうか。

 静かに、息を吐く。

 無い、そう思う。茶山なしの世界なんて、想像したくもないから。

 

 携帯が震えた瞬間、ダージリンの神経が逆立った。画面に「新着メール:茶山」の文字が表示される前に、ダージリンは「きた」と脳で呟いていた。

 獣のような速度で、身を起こす。一体どんな文章を書いてくれたのだろう、どんな想いをぶつけてくれるのだろう。

 

 ああ、やっぱり大好きだなあ。

 

―――

 

 ダージリンと出会って、1548日目。

 

 空気も街並みも商品も、今となってはすっかりホワイトクリスマス日和だ。盛大に雪が降り、明日は除雪だなと愚痴りつつ、茶山はダージリンとともに街の中を歩んでいた。

 やっぱりカップル連れが多く、中には腕を組んでいたり、ショッピングを楽しんでいたり、明るく雑談を交わし合っていたり、キスまでしていたりと、実にメリークリスマスだった。

 

 一方、茶山とダージリンはといえば、やっぱり食べ歩きを実行していた。

 あんまんからスタートし、立ち食いそばで「新鮮ですわね」と評価をいただいては、あえてソフトクリームを味わって上機嫌になる。甘いものは、いつだって強い。

 そうして、しばらくはウィンドウショッピングを楽しみ――喫茶店で、クリスマスを締めることにした。提案したのは茶山だ。

 

「結局、やることは変わりませんでしたわね」

 

 ぜんぜん悔いていない顔で、ダージリンは紅茶を口にしている。互いが飲んでいるのは、勿論ダージリンティーだ。

 

「これしか知らないからなぁ」

 

 茶山の方も、全く反省していない苦笑を浮かばせる。食べ歩きこそ、互いにとっての最善だと知っているからだ。

 ダージリンも、同意するように頷き、

 

「それでいいのです、それで」

 

 茶山が「そっか」と口にしようとした時、ダージリンが「はい」と箱を差し出した。

 唐突だったもので、思考が追いついていない――追いついた。箱は手づかみできる程度の大きさで、赤い包装紙に包まれている。

 ダージリンが笑顔になる、茶山は観念したように苦笑する。

 先に、やられてしまったか。

 まあいいやと、包装紙を解いていく。ゆっくり、少しずつ、丁寧に、

 

「これ」

「えっと……どう、です?」

 

 銀色の腕時計、だった。ギラギラしすぎておらず、嫌味の無い主張性が瞬く間に目に焼き付く。本人のスマートさを強調してくれるような、正統派な高級感が伝わってくる。

 一目見て、「絶対に高い」と思った。

 けれど、そんなことは口にしない。ただ一言、

 

「……ありがとう、ダージリン」

 

 腕時計をそっと掴み上げ、慎重に腕に巻いていく。

 この瞬間、茶山の身が引き締まった気がした。腕時計の力が、ダージリンの想いが、茶山と一つになったからだ。

 

「絶対に、大切にする」

 

 左手で、腕時計を撫でる。ダージリンも、笑顔のままで目を濡らしていた。

 ――深呼吸をする。

 次は、自分の番だ。

 

「……ん?」

 

 右手に拳を作ったまま、茶山が窓の外に視線を移す。ダージリンも反応したのか、茶山と同じように外を注視した。

 

「あの人、誰だったかな……有名人、だったような?」

「え、誰のことです? うん?」

 

 我ながら、流暢に動き切ったと思う。

 ガンマンのような手さばきで、ポケットから素早く箱を取り出しては、それをしれっとテーブルの上に置く。おまけに、ダージリンの側へ箱をすっと押した。

 

「茶山さん、一体どんな人を、」

 

 ダージリンが、疑問顔で茶山へ注目して、茶山の微笑に首をかしげて、テーブルの上にある小さな箱を見つけて、何かを察して、声が漏れて、おそるおそる箱を開けて、

 

 銀色の、内堀の指輪が、ダージリンへ捧げられた。

 

「――あ」

 

 こうして、ダージリンの動きが止まった。

 ここは喫茶店だ。様々な人がいるし、色々な物が置いてある。ジャズだって流れている――けれど、今の茶山にとって、そんなものは見えもしないし聞こえもしない。

 

「今まで、ダージリンの事をずっと愛してたよ」

 

 今の茶山は、結婚指輪しか見えていない。

 

「今も、ダージリンの事を愛してるよ」

 

 今の茶山は、ダージリンしか見えていない。

 

「これからも、ダージリンのことをずっと愛し続けるよ」

 

 今の茶山は、ダージリンと寄り添う未来しか視えていない。

 

「ダージリン」

「はい」

 

「僕と、結婚してください」

 

 ダージリンの瞳が揺れる。

 茶山の決心は揺るがない。

 

 必然的な沈黙だった。数分かかっても、何年かかってでも、地獄に落ちようとも、茶山はダージリンの言葉を待つだけだ。

 やるべきことはやった、するべきこともした、やりたいことも決めた。だから、茶山はここにいられる。ダージリンの事を、信じられる。

 

 ――だから、ダージリンが涙を流した理由も、すぐに分かった。

 

「茶山さん」

「はい」

 

 店内で、定番のクリスマスソングが流れる。

 ダージリンが、穏やかに笑った。

 

「あなただけのダージリンに、なります」

 

―――

 

 新着メール:ルクリリ

 

『今晩は。明日は結婚式ですね……何だか、あっという間だった気がします。

プロになってまだ数か月ですが、試合そのものはあまり変わっていませんね。むしろ撮影、インタビュー、ファンサービス……これらの方が、新鮮な気がします。

けれど、そういったことがとても楽しいです。聖グロの精神は持っているつもりですが、やっぱり派手好きですね、私。

 

けれど、そんな私を受け入れてくれた隊長のことが、大好きです。これからも、隊長の声として励みます。

この先もずっと、茶山さんと幸せに生きていってくださいね。また一緒に、プロレス観戦しましょう』

 

 

 新着メール:アッサム

 

『今晩は。お元気でしたでしょうか? 私は今日も元気です。

明日は結婚式ですね。本当に、本当におめでとうございます。ここまで来るのに長かったような、短かったような……データ上では、1000日を超えていますけどね。

聖グロ時代からお付き合いをして、大学生になっても想いはそのまま……本当、素敵な恋をしましたね。羨ましいです。

私も、気が向いた時には食べ歩きをしてみます。おすすめの店、紹介してください。

 

隊長、どうかお幸せに。困ったことがあったら、いつでもご相談ください』

 

 

 新着メール:ローズヒップ

 

『今晩は。明日は結婚式ですね、心から祝福します。

まるで自分のことのようで、まったく眠れません。彼も同じらしく、ずっとレース番組を見続けています。

前までは、恋愛なんて知りませんでした。結婚の大切さが、よく分かりませんでした。

ですが、今ならわかります。説明は……できませんが、分かります。だからこそ、隊長にはずっと幸せでいて欲しいです。

 

プロとは、決して楽ではないでしょう。色々大変だと聞きます。

でも、隊長のインタビュー姿とか、写真とか、見ていると盛り上がってくるんです。全部保存してありますよ。

――私は、隊長のファンです。だから、困ったことがあったら、いつでも駆け付けます。

たまにはレースを見て、すかっとしましょう。

 

それでは、お幸せに!』

 

 

新着メール:オレンジペコ

 

『今晩は。ご結婚、本当におめでとうございます。明日は、必ず駆け付けますね。

……ダージリン様が恋に落ちたと知った時は、それはもうびっくりました。出会いって、分からないものなんだなあと。

そして、ダージリン様を見て学びました。恋は、人を素敵にするということに

 

私は、ますますダージリン様のことが好きになりました。必ずプロになって、追いついてみせます。

――本当、この縁が続いて良かったです。ダージリン様の幸せを見届けられるなんて、私は光栄です。

これからもどうか、私と末永くお付き合いしてください……あ、茶山さんを優先に、最優先にですよ?

 

色々とお疲れ様でした。これからは、幸せに生きてくださいね』

 

 

新着メール:西住まほ

 

『今晩は。明日は結婚式だが、体調は万全か? なるべく、睡眠時間を確保するように。

たまたま時間がとれたので、明日はお前の幸せを見届けてやろう。嫌だと言っても行くからな。

 

お互いプロになって、同じチームになっても、やっぱり対抗心は消えないな。――まあ、分かっていることだったが。そうだろう?

ここだけの話だから、絶対に言わないで欲しいんだが……お前とはこれからも、こんな仲を続けていきたい。

だからこそ、お前の幸せを心の底から祝ってやる。だからお前も、私の結婚式に参加するように。

 

まあ、あれだ。達者でな』

 

 

「お姉様」

「何?」

「――お幸せに!」

 

「うん」

 

―――

 

「――ダージリン様は、優雅に、華麗に、そして乙女らしく、茶山さんと共に歩んでいきますか?」

「はい」

「ダージリン様は、これからの戦車道を、人生を、茶山さんと共に歩んでいきますか?」

「はい」

 

 教会の中で、ダージリンは赤色のウェディングドレスを、茶山は白のタキシードを着こんでいた。

 まさか、自分がここで立つことになるなんて。それも、憧れの人であったダージリンと――今なら受け入れられる。人生とは、分からないものなのだと。

 

「茶山さんのことを、愛していますか?」

「――はい」

 

 牧師役のオレンジペコが、にこりと笑う。実は先ほど、「牧師役、誰かやる?」とルクリリが質問し、オレンジペコがハイスピードで「はい!」と立候補したのだ。

 何故、オレンジペコが手を上げたのか――理由なんて多すぎて、逆に分からなかった。

 それで良いのだと思う。ダージリンとオレンジペコの仲とは、ある意味茶山よりも深い。

 

「茶山さんを、これからも支えていくことを、誓いますか?」

「誓います」

 

 オレンジペコが、こくりと頷く。次に、茶山へ視線が向けられた。

 

「茶山さんは、これからもダージリン様を癒し、満たし、支えていきますか?」

「はい」

「茶山さんは、ダージリン様の手をとり続けますか?」

「はい」

 

 全部即答したかったが、それはそれでマナー違反な気もするので、少しだけ間を置いている。

 

「……茶山さんは、」

 

 オレンジペコが、笑顔になる。

 

「ダージリン様のことが、大好きですか?」

 

 呼吸する。

 

「大好きです」

 

 オレンジペコが、「だよね」と頷き、

 

「これからも、ダージリン様を愛し続けることを誓いますか?」

「――誓います」

 

 ダージリンから、指輪を手渡される。内側には、誓いの言葉が刻まれていた。

 ダージリンが、顔を真っ赤にして指輪を嵌める。茶山もまた、ダージリンと同じ顔で、ダージリンと同じ動きで、指輪を嵌めた。

 

 ――沢山の戦車道履修者達が、父が、母が、ダージリンの両親が、妹が、オレンジペコが、アッサムが、ルクリリが、ローズヒップが、未来のレーサーが、友人が、戦車と紅茶メンバーが、カレー愛好会のみんなが、まほが、嵐のような拍手で誓いを祝福してくれた。

 これだけの人数を見て、改めて、ダージリンの顔の広さを思い知る。本当、人から愛される人柄をしているのだろう。

 

 そうして、茶山とダージリンが、教会から外に出る。空は清々しいほど晴れていて、6月の透き通った匂いがする。

 どうやら、天候も機嫌が良いらしい。幸先が良いとはこのことだ。

 

「では……はいッ!」

 

 ダージリンが、笑顔でブーケトスを行う。青いバラの花束が宙を舞い、まほは「おーいいぞ」と腕を組んでいた。

 誰もが、我先にと手を伸ばし、

 

「キャッチッ!」

 

 誰よりも高く飛翔し、力強く花束を確保したのは、

 

「ルクリリ、がめついわよ」

「そお?」

 

 アッサムが苦笑し、ルクリリが「たはは」と笑う。ルクリリのパワーを前にして、流れに納得したのだろう、ルクリリもまた盛大な拍手で迎えられた。

 

「じゃあ、乗りましょう。操縦はお任せを」

「ありがとう」

 

 ダージリンと茶山は、教会前で用意しておいたブライダルタンクへ乗り込む。聖グロ生徒ということで、今回はホワイトカラーのセンチュリオンが選ばれた。後ろには、八つの薬莢がワイヤーで結ばれている。

 ブライダルタンクとは、全国で広まっている伝統のようなもので、戦車道履修者が結婚をする場合によく執り行われる。戦車そのものには「戦車道を歩んで良かった」という意味合いが込められており、付属される薬莢には「不幸を願う悪魔がいるなら出てこい、ぶっ飛ばしてやる」という願掛けがなされている。

 ブライダルタンクの操縦者は、勿論花嫁だ。このまま新婚旅行を行うもよし、空港へ向かうもよし、やりたいことを成すのもよし。

 

「さて――何処に行こうか」

「そうですわね」

 

 ダージリンが、途方もなさそうに見上げる。そこで茶山と目が合い、口元が曲がった。

 

「今、思いつきましたわ」

「お、奇遇だね。僕もだよ」

「同時に言います?」

「言おっか」

 

 分かっているくせに、もったいぶる。このクセは、これからも続いていくことだろう。

 偶然をサプライズに変えられる限り、茶山とダージリンは、ずっとこのままでいられる。

 

「食べ歩きをしましょうッ!」

「食べ歩きをしていこうッ!」

 

 

 ダージリンと運命の出会いを果たして、1709日目。

 今日をもって、自分はダージリンと結ばれた。




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

これで、大学編は終了です。次の話で、全てが終わります。
本当に、ここまで進んだんだなあと実感してます。

何度か推敲しましたが、もしかしたらミスがあるかもしれません。
その時はどうか、ご指摘してくださると嬉しいです。

どのような感想でも構いません。お気軽に、書き込んでくださると嬉しいです。

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