3007日間   作:まなぶおじさん

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 聖グロリアーナ女学院は、優雅と華麗さをモットーにしたお嬢様学校である。
 だから生徒達は真面目だし、悪さをして退学になることも少ない。もしも事件を起こそうものなら、学園艦新聞の一面にデビューすることとなり、「参考資料」とされてしまうだろう。
 それくらい、聖グロは平和だった。安泰していた――裏側では派閥だの、品位比べだの、何だのがあったりするが、手が飛ばない限りは何の事件性もない。よって、平和である。

「今日もお疲れ様です、ダージリン様」

 玄関から下校しようという時に、隊員から頭を下げられた。ダージリンは「お疲れ様」と応え、優雅な足取りをもってして外に出る。
 空は少しだけ暗い。けれど晴天と呼べるレベルであり、どことなく清々しい気持ちになる。
 ふう、と微笑む。
 それだけで、周囲にいる生徒もにこりと笑う。ダージリンは「ごきげんよう」と挨拶して、後は校門まで歩んでいくだけ。
 自分が支持されていることも、尊敬されていることも、目の敵にされていることも、自覚はしている。聖グロではよくある事柄だ――それも、あと数か月だけの話なのだが。

「ダージリン様、ごきげんよう」

 あまり接したことのない同級生が、こくりと頭を下げる。ダージリンも、「ごきげんよう」と返した。
 結局、今の人とはあまり会話しなかったな。
 学校とは限定的な世界だが、縁が無ければこういう人間関係も生じる。そうした人間にも、かけがえの無い友情や思い出を抱いているのだろう。
 ――本当、聖グロでは色々あった気がする。色々、変わってしまった気がする。
 この学園艦から、空を眺められるのもあと何回までだろう。きっと数十回も無いんじゃないのか。

 寂しい、とてもいい気分だ。さて帰ろう。
 華麗に、優雅に歩き、校門を渡ろうとして、校門の陰から「スッ」と茶山が現れる。ダージリンは「ごきげんよう」と挨拶をし、
 獰猛な早歩きを披露し、茶山の腕を引きずり込んでいった。


161~166日間

 

「ばかっ、ばかっ、ばかっ! 心臓に悪いですわッ!」

「ごめんごめん」

 

 何やかんやで、いつの間にか牛丼屋の前まで連行された。茶山は気まずそうに苦笑して、ダージリンはこっ恥ずかしそうに歯を食いしばっている。

 

「いやあ、本当にごめん。驚かせたくて」

「もう……知りませんわッ」

 

 茶山が、何とも言えない苦笑とともに謝罪する。ダージリンはぷりぷりと怒っておきながらも、茶山から離れようとはしないのだった。

 

「もう……突然すぎますわ、本当」

「言ったじゃない、春休みになったらここに来るって」

「それはそうですけれど、いくらなんでも唐突ですわ」

 

 茶山が「えー」と漏らし、

 

「ダージリンも、いきなり訪問してきたじゃない。僕の家に」

「あ、あれは、ちゃんとワンクッションを置いているじゃない」

 

 確かに。だが、心臓に悪かったのも事実といえば事実だ。

 

「いやでも、女の子が実家訪問だよ? 事前連絡なしだよ? ワンクッションなんて関係無かった気がするなあ」

「そ、そうかしら……? そうですわね、きっと」

 

 どうやら、妥協してくれたらしい。ほっと胸をなでおろしていると、

 

「そういうことなら――次のサプライズ、期待なさって?」

 

 まずい。

 

「……はい。で、そのー……」

「はい?」

「これから食べ歩きをするつもりなんだけれど、ダージリンはどうする? ティータイムは開催されたんでしょ?」

 

 ダージリンが「えっ」と真顔になり、

 

「どうして知って?」

「訓練場でずっと見てたから」

 

 ダージリンの顔が、かーっと真っ赤になる。

 

「ど、どうして見てたのっ!?」

「え、ダメ? もちろん、進入禁止ゾーンには入らなかったけれど」

「そ、そういうわけではありませんが……」

 

 戦車道とは、文字通り戦車を用いて礼を表現する武芸である。戦車とは大きいだけでなく、美しさの象徴でもあるのだ、

 が、

 だからこそ練習は必須になるし、戦車が動けるデカい練習場も必要になってくる。前々から「強豪校の区別の仕方=学園艦の大きさ」なんて言われてきたものだが、実際それは当たっていると思う。

 とにかく、聖グロの練習場は巨大だ。自然的な立地はもちろんのこと、わざわざ用意された市街地エリアまで存在する。今回はお上りさんのように見学していたのだが、「はー、すっごいねー」としか言いようがなかった。

 あそこまで広ければ、練習なんて「見えてしまう」ものだ。実際、何人かの主婦も眺めていたし。

 

「で、戦車道を歩み終えた後は、ティータイムが開かれるんだよね?」

「ええ、まあ……」

「じゃあ、もう満腹のはずだよ。今日はここまでにしたほうが、」

「やります」

 

 意志力が感じられる一声だった。茶山のヘラヘラした言動など、停止する他ない。

 

「食べ歩き、やりますわ」

「え……ダージリンって、食べる方?」

 

 その時、ダージリンが不敵そうに口元を曲げる。お腹をさすりながら、

 

「これまで、数々の食べ歩きを経験してきました――胃も、それだけ大きくなっているのでは?」

「え、そうなの? そういうものだっけ?」

「そういうものよ」

 

 ふふんと、自信満々そうに背筋を伸ばす。大丈夫かなあと思考しつつ、

 

「じゃあ、今日は……軽いもので済まそう。明日の昼休みから、本格的にってことで」

「構いませんわ」

 

 返事をしたダージリンの目は、とても輝いていた。

 これから先の事が楽しみで、何を食べられるのかが気になって、どんな不意が待っているのかを期待して――デートが出来ると、喜んでいて。

 そっと、ダージリンを抱きしめた。

 会えなかった期間なんて、せいぜい数週間程度だ。だが寂しくなって何が悪い、会えて嬉しくなって何が悪い。恋人同士とは、そういうものだろう。

 だから、ダージリンも抱き返してくれた。胸に、顔を埋めてくれた。

 

「……好きだ。愛してるよ、ダージリン」

「はい、私もです。――だって私は、あなただけのダージリンですもの」

 

 ダージリンを愛するようになって、161日目。もう二月だった。

 

―――

 

 聖グロリアーナ女学院は、優雅と華麗さをモットーにしたお嬢様学校である。それ故に統率がとれていて、授業中に騒ぐ者など存在しない。

 むしろ、授業時間はチャンスの一つなのだ。知力は勿論のこと、姿勢、品格、振る舞い――それをフイにするような者は、このお嬢様学校には存在しない。

 そう、授業「中」は。

 

 授業が終了して、待ちに待った昼休みが訪れる。早速とばかりに雰囲気が緩和され、皆が皆、思い思いの行動に移っていく。

 勿論、ダージリンとて例外ではない。教科書とノートを閉じ、シャープペンと消しゴムを筆入れの中にしまう。それらを机の中に収納した後――少し勢い良く、立ち上がった。

 瞬間、数人のクラスメートがダージリンを注目した。

 それらは決して赤の他人ではない。戦友――つまりは戦車道履修者であり、「花束の共有者」でもあった。

 まず、ポニーテールと目が合う。

 

『隊長、彼氏と会うんですか? 行ってらっしゃいませ』

 

 ニヤつかれた。あくまで憶測でしかないが、絶対にこんなメッセージを送っている。

 次に、ツインテールに目を向けてみるとしよう。

 

『いいなー羨ましいなー。よし、私も外食するか』

 

 これまた良い笑顔を向けられた、しかも立ち上がった。空気を読んで別行動に走るだろうが、何だか恥ずかしくなる。

 そう――

 近頃、聖グロ戦車道履修者の間では、「昼休みに外食」が流行っている。発信源はもちろんダージリンで、その目的は「運命の出会い」を果たす事だ。

 別に隠す事でもないのだが、聖グロは恋愛に貪欲だったりする。だから出会いを重要視していて、理想の人を見つけようものなら、その腕を絶対に離そうとはしない。だから、聖グロにおける破局率はゼロに近かったりもする。これは、「清楚であれ」という伝統もあるからだろう。

 

 今度は、ショートヘアが起立した。これまた明るい表情をして――懐から青いバラを取り出した。

 ダージリンは、あくまでにこりと応える。内心は、「なんでバラ配っちゃったかな……」とか思考していた。

 「花束事件」の後、ダージリンは「幸運の証」として、青いバラを隊員達に配布したのだ。ただで枯れさせるよりはその方が良い、茶山の想いを無駄にしたくはない、その一心で――そのダージリンの気遣いのお陰で、いよいよもって外食ブームが燃え上がったというわけだ。

 これも、新たな伝統の一つといえよう。

 

 教室を見渡す。戦車道履修者は「お気をつけてー」と手を振るい、それ以外は特に気にも留めない。

 人差し指で額を支え、心の中で唸る。

 支持されることは嬉しい、嬉しいのだが、やっぱり恥ずかしい。交際とは難しいのだなあと、高校三年になって知った。

 

『隊長、報告お願いしますね』

 

 ロングヘアーが、ウインクを決めた。ダージリンは、微笑んだ。

 

『隊長、今度彼氏紹介してください』

 

 ベリーショートが、両手を合わせる。知るか。

 

『隊長! お幸せに!』

 

 黒髪が小さく敬礼した。なるよなってるよ。

 ――その時、同じクラスメートであるルクリリが、トコトコと堂々と近づいてきた。まずい、ルクリリは結構アクティブだ。

 ルクリリとダージリンが、机を一つ挟んで対面する。例に漏れずルクリリも微笑していて、ダージリンもアイアンスマイルを決めていた。

 

『b』

 

 親指を立てられた。

 ダージリンは優雅に、華麗に退散した。

 

 茶山を意識して、162日目の出来事である。

 

―――

 

 聖グロリアーナ女学院は、優雅と華麗さをモットーにしたお嬢様学校である。今日この日までお嬢様学校と高く評価されているのは、聖グロは決して騒いだりはしないからだ。

 教室でも、廊下でも、戦車道でも、無駄に声を張り上げたりはしない。叫ぶ瞬間とは、それこそ身の危険を感じた時だけだ。

 もちろん、この食堂でもそうだ。ルクリリとアッサム、オレンジペコとローズヒップが一堂に会しても、声の届く範囲は一同のみに、決して笑い声などは上げたりはしない。

 今日も、食堂は平和だった。会話内容といえば、

 

「彼氏欲しい」

 

 ルクリリが、フィッシュ&チップスをフォークで刺す。食事はあくまで清楚に、発言はストレートに。

 

「それを……私たちに言うの?」

「だから言うのよ」

 

 アッサムが呆れ果て、オレンジペコが「うーん」と唸る。ローズヒップは、のんきな表情でサンドイッチを頬張っていた。

 

「しかし、出会いとは……どうにでもなるものではありませんし」

「だよね、そうだよね。だから隊長は、恋に夢中になっているのだと思うし」

 

 咀嚼する。ここ最近におけるルクリリの食事サイクルはといえば、食堂→外食→食堂→外食→食堂だった。

 

「ですが。ダージリン様って、何となく『出会いそうな感』を出していません? その、ヒロインめいたものがあるというのか」

 

 ルクリリが「あ、わかるわかる」と同意する。データ主義のアッサムも、反論はしなかった。

 

「流石戦車隊隊長というか、正統派美人って感じだもんね。あれはねー、出そうと思っても出せないよ」

 

 実際、ドラマっぽい人だと思う。言動にしろ性格にしろ容姿にしろ、メインヒロインになるべくしてなった女性、という印象が強い。

 だからこそ、「平民とお嬢様の恋」がよく似合っていると感じる。あれだけの人物に、普通の恋愛は割に合わない。

 

「そうですよね……はあ、私にも現れて欲しいな、そういう人」

「大丈夫大丈夫。オレンジペコは真面目で可愛いから、出会えるって」

 

 オレンジペコが「そうでしょうか」と苦笑する。アッサムも、「ええ」と同意した。

 

「オレンジペコは、どういう人が好きなの?」

「えっ!? そ、それは……そうですね、その」

 

 オレンジペコの頬が赤くなり、視線が斜め上に泳ぐ。それでも黙秘しないあたり、オレンジペコも恋に恋する女の子なのだろう。

 

「年上、年上がいいですね。読書家だったら、なおさら良いかもしれません」

「なるほど」

「いいわね、そういうの」

 

 年上との恋愛――それも、良いかもしれない。

 しょっぱなから「彼氏欲しい」と言っておいて、どんな人が好みなのかは全く分かっていないのだ。

 

「そういう人に出会えたら、一生をもって尽くします」

「くう……オレンジペコって強い子だね」

 

 いい子に育って良かった。そんなことを勝手に思いながら、ルクリリは水を飲む。

 

「で……アッサムは?」

「は、は? 私、私ですか?」

 

 ルクリリが、「当然じゃん」とばかりに頷く。オレンジペコも、目を輝かせて聞きたい聞きたいオーラを放っていた。

 ローズヒップは、トマトスープをスプーンで掬っていた。

 

「……言わなきゃ、だめですか?」

「ということは、いるんだ。好きなタイプが」

 

 アッサムが嫌そうに舌打ちする。露骨に睨まれた。

 

「……私は、その、ナイトのような人が、いいかな、って」

 

 ルクリリとオレンジペコが、「ほほーっ」と感心を向ける。ローズヒップは「へえー」と頷いた。

 

「私が考え、導いて……殿方には、そんな私を守って欲しいというか」

「わかる」

 

 たぶん、次に運命の出会いを果たすのは、アッサムなのではないだろうか。こんなお姫様に、孤独は合わない。

 対して自分はどうだろう。イケメンであればそれで良いのか、性格で選ぶのか――たぶん、それが分からないから「出会い」なのだと思う。

 

「期待してるわ、アッサム」

「あ、ありがとうございます」

 

 オレンジペコも、小さく拳を作った。願わくば、オレンジペコにも幸せになって欲しいものだ。

 ――ところで。

 

「ローズヒップ」

 

 今現在、表情が一貫しているのはローズヒップだ。頷いたり同意したりはするものの、「反応」は示さない。

 

「えーっと、その、恋愛に興味とかは、ない?」

「ありますわ」

 

 ローズヒップが、トマトスープをごくりと飲む。

 

「今度の春休み、殿方と一緒にドラッグタンクレースを見に行く予定ですし」

 

 ふうんと、三人が昼食をとり、

 

「え?」

 

 いの一番に反応したのは、オレンジペコだった。ローズヒップは「だから」と前置きし、

 

「春休みになったら、サンダースでドラッグタンクレースを見に行く予定ですの。殿方と」

 

 ああ、そう、そうなんだ。

 ルクリリとアッサムとオレンジペコは、同時に水を飲み、同時にコップを置いた。

 ひと呼吸する、ローズヒップに注目する。

 

「ま、マジで?」

「まじですのよ」

 

 いい天気ですね、みたいな感じで返事された。冷静沈着なアッサムが、ペースを守るオレンジペコが、ローズヒップをガン見している。

 

「な、なんで教えてくれなかったのっ。運命の出会いでしょ、それ」

「え、そうなんですの? その人とは友達として付き合っているのに?」

「……うーん……」

「彼氏でもないのに、運命と言うのには早すぎますわ」

 

 ローズヒップの言い分も、分からなくはない。

 彼氏ならまだしも、友達は正直微妙だと思う。「まだ」出会いではない。

 

「じゃあ……その人とは、何処で知り合ったの?」

「サンダースのレース会場ですわ」

 

 うわそれっぽい。ルクリリは即座にそう思った。

 

「詳しく」

 

 アッサムが問う、ローズヒップはあっさりと頷き、

 

「私、レースをするのも見るのも好きでして。長期休みの際は、いつもレース会場へ足を運んでいますの」

「ふむ……それで」

「今年……いえ、去年? まあいいですわ。冬休み中にレース観戦していまして……風圧で帽子が飛ばされてしまいましたの」

 

 オレンジペコが「風……圧……?」と首をかしげる。

 

「ドラッグタンクレースは、とにかく直線的な速さが求められる競技なんですの。なので、アフターバーナーを積んだ戦車が多いんですのよ」

 

 ルクリリが「かっこいい……」と漏らし、アッサムがタブレット片手に「そんなの本当にあるんですかあった」と驚愕している。オレンジペコは、頭を抱えた。

 

「――で、帽子は勢いよく吹っ飛んでいきまして、諦めようかと思った時……殿方がキャッチしてくれたんですの。私はすぐさま駆け付け、その人にお礼を言いましたわ」

 

 ルクリリは思った。それ運命の出会いじゃん、と。

 

「殿方は『いいよいいよ別に』と笑ってくれました。……それがきっかけだったのでしょうね、レースについて語り合いましたわ」

「アクティブね……」

 

 アッサムが感嘆の声を上げる。だがローズヒップならわかる、分かってしまう。

 

「同い年ということも判明して、話の流れでアドレス交換も致しましたわ。――聖グロにはレース好きがいないものですから、がっついてしまいまして」

 

 だから「友達」なのか。

 

「それから、その人とはメールを送信したり、受信したり。それを繰り返しているうちに……その人は、夢を語ってくれましたわ」

 

 アッサムが、興味深そうにローズヒップを見つめる。

 

「その人も、レーサーになるという夢を抱いていましたの。私はひどく共感して、感動して……いつの間にか、好きになってしまいましたの」

「そ、そうなんですか?」

 

 オレンジペコの問いに対し、ローズヒップはこくりと頷く。

 

「だって、一途で熱いじゃありませんか。速いのは、私も好きですし」

 

 そうか。

 ローズヒップ、それは運命の出会いっていうんだよ。たぶん、未来のレーサーもあなたが好きだと思う。

 

「今度会った時、告白してみますわ。OKを貰ったのなら報告を、ダメだったら……まあ、報告ですわね」

 

 そう言うローズヒップの表情は、実に明るい。不安とか、そういったものはないのだろうか。

 

「あの」

「なんですの」

「その……ローズヒップには、不安とかはないんですか? すごく明るいというか」

 

 ローズヒップは、やっぱり何でもないような調子で、

 

「怖がっても、照れても、進展はしませんもの。ですから、想いをどんとぶつけるだけですわ」

 

 軽快な笑顔だった。

 自信満々で、後悔なんか二の次の表情だった。

 

「……すごいね、ローズヒップは。恋に、躊躇しないなんて」

「まだ友達ですので」

 

 ローズヒップが、落ち着いた素振りで水を飲む。

 

「……恋人になったら、私はどうなってしまうのでしょうね」

 

 初めて、ローズヒップが赤くなった。

 ――ルクリリは納得する。

 ローズヒップは、モテる女の子だと。

 

 ダージリンが新しい伝統を見つけて、163日目の出来事である。

 

―――

 

 聖グロリアーナ女学院は、優雅と華麗さをモットーにしたお嬢様学校である。その生徒と交流を持とうものなら、間違いなく男どもから羨まれ、嫉妬され、表彰され、色々と可愛がられるだろう。

 ――ましてや。

 

「はい! どうぞッ!」

 

 牛丼屋で待ち合わせをして、何やらダージリンが足を交差させていて、顔は完全に真っ赤で、何かを後ろ手で隠していて――茶山が「どうしたの?」と声をかけてみれば、ダージリンは勢いのまま、赤い包装紙に包まれた箱を差し出してくれた。

 え、なんだっけこれ。誕生日じゃないし、何か祝い事、

 あ。

 

「これ……チョコ?」

「そ、そうっ、そうかもしれませんわねっ。――はやく受け取りなさいっ」

 

 内心ビビったので、引っこ抜くようにチョコを受け取った。

 ――失念していた。

 今までバレンタインとは無縁の人生を送っていたから、つい流してしまっていた。今年から、「変化」が生じたというのに。

 

「あ、ありがとう……」

「――はあ、やっと、渡せた」

 

 バレンタインは、渡す方も受け取る方も大変な祝い事であるらしい。何だかダージリンも疲れ切っていたし、茶山に至っては心臓が強烈に痛かった。

 今更実感したのだ。本命チョコを作ってくれるほど、手渡してくれる程、ダージリンとは親密な仲だったということに。

 

「あ、開けていい?」

「ど、どうぞ」

 

 割れ物を扱うような手つきで、包装紙を解いていく。どんなチョコなのだろう、どういう表現がされているのだろう。包装紙がめくれていくたびに、茶山の感情が高ぶっていく。

 

「あっ……これ……」

 

 ケースの中には、弾丸状のチョコが横並びに整列されていた。思わず、

 

「すげえ……」

「そ、そう?」

 

 ダージリンが、「感想を聞かせて欲しい」とばかりに寄ってくる。どう見ても弾丸で、恐らくは完全再現が成されているのだろう。

 

「い、一個食べてもいい?」

 

 ダージリンが、手で「どうぞ」と促す。ここで全てを食べはしない、今は食べ歩きという大事な用事があるからだ。

 後で撮影もしなければ。

 

「では、いただきます」

 

 透明のフタを開け、弾丸チョコの一発を手でつまむ。それぞれの角度から弾丸チョコを眺めてみたが、形も色も匂いも弾丸チョコだった。

 名残惜しいが、食べ物は口にするのが礼儀だ。一口で、弾丸チョコを口の中に放り込む。

 

「……ど、どうです?」

 

 このことを大学の連中に報告したら、間違いなく粉微塵にされると思う。

 

「甘い……!」

 

 ――ましてや、聖グロ出身の「ダージリン」から、こんなにも甘いミルクチョコレートをプレゼントされたんだぞ。

 この事を報告するのに、あと数年は待たなければいけないだろう。

 

「……よかった」

 

 心の底から安堵したのだろう、ダージリンをまとっていた緊張感が消えていく。それを見て、茶山も安心感を覚えた。

 

「ありがとう。これは後で、じっくりと味わうよ」

「はい、茶山さん」

 

 とりあえずは、弾丸チョコ箱を包装紙に包め直す。多少雑だが、晒すよりはマシだ。

 そうして、互いに目が合う。こくりと小さく頷きあい、手を繋いで、未知なる飲食店へと歩んでいく。

 

 ダージリンとのひと時を過ごして、164日目になった。

 

―――

 

 春休みを利用しての食べ歩き旅行も、今日が最終日となる。ダージリンの足跡を追って、166日目が経過していた。

 朝っぱらからビジネスホテルをチェックアウトし、「これで二度目か」と外出してみれば――髪をとき、緑色のベレー帽をかぶったダージリンが、「やあ」と真正面から待ち受けていた。

 少し怯んでしまったのが、何だか悔しい。確かに、デートの約束は取り付けてはいたのだが。

 

「だから、九時でいいって……今、八時半だよ?」

「まあまあ」

 

 笑顔で流されてしまった。こうなってしまえば、もはや勝ち目はない。

 当たり前のように隣に立たれて、当然の権利であるかのように手を繋がれる。何度も経験したはずなのに、未だに心臓が飛びそうになる――それはダージリンも同じらしく、頬を赤く染めていた。

 

「行こうか」

「はい」

 

 今日で、ダージリンと学園艦で過ごす日々が終わる。聖グロを卒業した後は、本土にある女子大へ通うつもりらしかった。

 そのことを、ダージリンはとても喜んでいた。これからは、自分と会いやすくなるだろうと。

 

 

 通うコースは、前とそれほど変わりはない。朝十時になるまで街並みを散歩しつつ、「あったかいねえ」「そうですね」と、夫婦みたいなことを口にした。

 朝の聖グロリアーナ女学院学園艦は、とても静かだった。お陰で欠伸が漏れて、ダージリンも小さく「ふぁーあ」と声を漏らした。

 

 ――朝十時に到達した瞬間、まず「CLOSED」のサインボードがガタタタッ! と取り外される。間もなくして店の灯がつき、「ここで食うのが一番」とばかりに主張し始める。

 軽い食事がいいなあと思えば、何処からともなく出店が並び始める。パラソルつきラウンドテーブルと椅子が持ち場につき、ここぞとばかりに店主がメインディッシュを見せびらかし始める。

 休日特有のテンションもあってか、茶山の腹が一瞬にして減る。ダージリンの目も、きらりと光った。

 広間には、既に大道芸人がスタンバっていて、観客も今か今かと待ち受けている。片手に食べ物を持っている者も多く、大道芸人と屋台は共同戦線を張っているらしかった。

 

「よし」

「はい」

 

 突撃だ。

 

 

 茶山とダージリンは、間違いなく「食べ歩き」をこなしていった。

 まずはケバブを平らげ、次にミネストローネを味わう。焼きトウモロコシを食べたあたりで「まだいける?」「はい」と意思確認をしてから、フランクフルトをいただき、イングリッシュパイを頬張った。

 色々な文化を咀嚼しながらも、まずは食事に対し、

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 そして、命に感謝をする為に、

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

 これだけは、決して忘れない。茶山とダージリンにとっての、誓いの言葉だった。

 

 

 胃も丁度良くキツくなってきたところで、ダージリンは「聖グロ戦車道博物館へ寄ってみたい」とリクエストした。

 茶山は当然のように快諾し、現在進行形で博物館内を歩んでいる。初めて寄る場所だからか、視界がぐるんぐるんと回っていた。

 

「長いんだね、聖グロの戦車道は」

「ええ」

 

 まず、右を見ても左を見ても戦車が並んでいる。何だか主砲が向けられているようで、些細な粗相すらも許さない圧力を覚えたものだ。

 それもそのはずで、解説パネルには「歴代戦車隊隊長の愛車達」と刻まれていた。今もなお、聖グロの誇りを守り通しているに違いない。

 

「ここにいつか、ダージリンの戦車も並ぶのかな」

「そうだといいですわね」

 

 知識はないが、なるべく聖グロの戦車だけは覚えておきたいと思った。ダージリンの戦いの記憶を、思い出を、継いでいきたいからだ。

 

「僕は並ぶと思うよ。ダージリンは、聖グロの為に精一杯頑張った」

「ありがとう。あなたにそう言われて、報われましたわ」

 

 茶山は、黙って頷いた。

 そうして、レンガで構成された博物館を歩んでいき――今度は、「ティーセットコーナー」なる場所へ到着した。

 数々のディスプレイケースがあるが、その全てにティーセットが保管されている。隊長の個性が満遍なく発揮されているようで、薔薇の意匠、青いライン、赤迷彩、無地、「聖」の文字入りと、結構見ごたえがある。客入りも良い。

 ちらりと、ダージリンを見つめた。

 

「……寂しくはなりますが、ここに寄贈しますわ」

 

 茶山は、何も言わずに頷いた。

 

「それが、聖グロに対する恩返しですもの」

 

 もう一度、ティーセットコーナーに目を移す。きっと何回も、何十回も、ダージリンのようなやりとりが繰り返されたに違いない。

 そして、誰もがここに遺したのだろう。思い出を、誇りを。

 

「――卒業、するんだね」

 

 何となく、口にする。

 

「ええ」

 

 ダージリンが、茶山の隣に近づく。

 

「いい学校だった?」

 

 視線を感じる。きっと、ダージリンが自分の横顔を見つめているのだろう。

 

「ええ。とても、とても……」

 

 ディスプレイケースの中には、数々のティーセットが並べられている――その端に、意図的な空白があった。

 

「大好きでしたわ」

 

 ダージリンに視線を向ける。

 その瞳は揺れていて、赤くなっていて、嬉しそうで、優雅で、華麗で、愛おしくて。

 だから、ダージリンの背中に手を回した。

 

 茶山とダージリンは、同じ場所で、同じティーカップを、しばらくじいっと見つめていた。

 

 

 楽しい時間というものは、あっという間に過ぎ去っていく。

 博物館から出てみれば、聖グロの世界は夕暮れに染まっていた。

 見上げる。

 空が、これまで以上に遠い。二度と朝日なんて見られないような、そんな錯覚すら感じる。この空は、間違いなくこの学園艦だけのものだ。

 

 ダージリンと目が合い、何も言わずに頷いてくれた。

 手を繋ぎ、街へ戻って、出店を通り過ぎて、大道芸人を眺めて、交差点で止まって、横切っていく戦車を目に焼き付けて、帰路について――連絡船まで、たどり着いた。

 

 ダージリンとは、少しばかり別れるだけだ。あと数週間もすれば、ダージリンは聖グロを卒業し、本土で暮らすことになる。

 待ち遠しいはずなのに、何だか寂しいのは――ダージリンのことが、この学園艦のことが、好きだからだ。大好きだからだ。

 

「ダージリン」

 

 にこりと、ダージリンが応える。

 

「またね」

 

 ダージリンが、ゆっくりと歩み寄る。茶山は何もしないまま――ダージリンに、そっと口づけされた。

 

「……こんな格言を知ってる?」

 

 茶山が微笑する。

 

「人生とは面白いものです。何かひとつを手放したら、それよりずっといいことがやってくるものです。――サマセット・モーム、イギリスの小説家の言葉ですわ」

 

 ああ――その通りだ。

 

―――

 

 連絡船が、海の遠く、遠くまで消えていく。もう茶山の顔が見えない、声も届かない。

 けれど、寂しくはない。すぐにまた会えるから、一緒にいられるから。

 

 寮へ戻る途中、ダージリンは自販機を横切ろうとして――足を止めた。

 財布から小銭を取り出し、自販機へ投入する。迷うことなく無糖の缶コーヒーを選択し、それを取り出し口から回収した。

 プルタップを、慣れた手つきで開ける。独特の重い匂いを嗅いだ後、ダージリンはごくりとコーヒーを飲んだ。

 

「……おいしい」

 

―――

 

 聖グロリアーナ女学院は、優雅と華麗さをモットーにしたお嬢様学校である。

 時には伝統に悩まされたり、マナーが面倒だと思うこともあるけれど――大好きで大好きで、仕方がない母校だ。

 

 

 こうして私は、聖グロリアーナ女学院を卒業した。




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

これで、春休み編は終了です。
次は大学編ですが、サッと終わると思います。3007日目まで、あっという間です。

何度か推敲はしてみましたが、もしかしたらミスをしてしまっているかもしれません。
その時は、ご指摘してくださると嬉しいです。

ご感想、いつでもお待ちしています。

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