聖グロリアーナ女学院は、優雅と華麗さをモットーにしたお嬢様学校である。
だから生徒達は真面目だし、悪さをして退学になることも少ない。もしも事件を起こそうものなら、学園艦新聞の一面にデビューすることとなり、「参考資料」とされてしまうだろう。
それくらい、聖グロは平和だった。安泰していた――裏側では派閥だの、品位比べだの、何だのがあったりするが、手が飛ばない限りは何の事件性もない。よって、平和である。
「今日もお疲れ様です、ダージリン様」
玄関から下校しようという時に、隊員から頭を下げられた。ダージリンは「お疲れ様」と応え、優雅な足取りをもってして外に出る。
空は少しだけ暗い。けれど晴天と呼べるレベルであり、どことなく清々しい気持ちになる。
ふう、と微笑む。
それだけで、周囲にいる生徒もにこりと笑う。ダージリンは「ごきげんよう」と挨拶して、後は校門まで歩んでいくだけ。
自分が支持されていることも、尊敬されていることも、目の敵にされていることも、自覚はしている。聖グロではよくある事柄だ――それも、あと数か月だけの話なのだが。
「ダージリン様、ごきげんよう」
あまり接したことのない同級生が、こくりと頭を下げる。ダージリンも、「ごきげんよう」と返した。
結局、今の人とはあまり会話しなかったな。
学校とは限定的な世界だが、縁が無ければこういう人間関係も生じる。そうした人間にも、かけがえの無い友情や思い出を抱いているのだろう。
――本当、聖グロでは色々あった気がする。色々、変わってしまった気がする。
この学園艦から、空を眺められるのもあと何回までだろう。きっと数十回も無いんじゃないのか。
寂しい、とてもいい気分だ。さて帰ろう。
華麗に、優雅に歩き、校門を渡ろうとして、校門の陰から「スッ」と茶山が現れる。ダージリンは「ごきげんよう」と挨拶をし、
獰猛な早歩きを披露し、茶山の腕を引きずり込んでいった。
「ばかっ、ばかっ、ばかっ! 心臓に悪いですわッ!」
「ごめんごめん」
何やかんやで、いつの間にか牛丼屋の前まで連行された。茶山は気まずそうに苦笑して、ダージリンはこっ恥ずかしそうに歯を食いしばっている。
「いやあ、本当にごめん。驚かせたくて」
「もう……知りませんわッ」
茶山が、何とも言えない苦笑とともに謝罪する。ダージリンはぷりぷりと怒っておきながらも、茶山から離れようとはしないのだった。
「もう……突然すぎますわ、本当」
「言ったじゃない、春休みになったらここに来るって」
「それはそうですけれど、いくらなんでも唐突ですわ」
茶山が「えー」と漏らし、
「ダージリンも、いきなり訪問してきたじゃない。僕の家に」
「あ、あれは、ちゃんとワンクッションを置いているじゃない」
確かに。だが、心臓に悪かったのも事実といえば事実だ。
「いやでも、女の子が実家訪問だよ? 事前連絡なしだよ? ワンクッションなんて関係無かった気がするなあ」
「そ、そうかしら……? そうですわね、きっと」
どうやら、妥協してくれたらしい。ほっと胸をなでおろしていると、
「そういうことなら――次のサプライズ、期待なさって?」
まずい。
「……はい。で、そのー……」
「はい?」
「これから食べ歩きをするつもりなんだけれど、ダージリンはどうする? ティータイムは開催されたんでしょ?」
ダージリンが「えっ」と真顔になり、
「どうして知って?」
「訓練場でずっと見てたから」
ダージリンの顔が、かーっと真っ赤になる。
「ど、どうして見てたのっ!?」
「え、ダメ? もちろん、進入禁止ゾーンには入らなかったけれど」
「そ、そういうわけではありませんが……」
戦車道とは、文字通り戦車を用いて礼を表現する武芸である。戦車とは大きいだけでなく、美しさの象徴でもあるのだ、
が、
だからこそ練習は必須になるし、戦車が動けるデカい練習場も必要になってくる。前々から「強豪校の区別の仕方=学園艦の大きさ」なんて言われてきたものだが、実際それは当たっていると思う。
とにかく、聖グロの練習場は巨大だ。自然的な立地はもちろんのこと、わざわざ用意された市街地エリアまで存在する。今回はお上りさんのように見学していたのだが、「はー、すっごいねー」としか言いようがなかった。
あそこまで広ければ、練習なんて「見えてしまう」ものだ。実際、何人かの主婦も眺めていたし。
「で、戦車道を歩み終えた後は、ティータイムが開かれるんだよね?」
「ええ、まあ……」
「じゃあ、もう満腹のはずだよ。今日はここまでにしたほうが、」
「やります」
意志力が感じられる一声だった。茶山のヘラヘラした言動など、停止する他ない。
「食べ歩き、やりますわ」
「え……ダージリンって、食べる方?」
その時、ダージリンが不敵そうに口元を曲げる。お腹をさすりながら、
「これまで、数々の食べ歩きを経験してきました――胃も、それだけ大きくなっているのでは?」
「え、そうなの? そういうものだっけ?」
「そういうものよ」
ふふんと、自信満々そうに背筋を伸ばす。大丈夫かなあと思考しつつ、
「じゃあ、今日は……軽いもので済まそう。明日の昼休みから、本格的にってことで」
「構いませんわ」
返事をしたダージリンの目は、とても輝いていた。
これから先の事が楽しみで、何を食べられるのかが気になって、どんな不意が待っているのかを期待して――デートが出来ると、喜んでいて。
そっと、ダージリンを抱きしめた。
会えなかった期間なんて、せいぜい数週間程度だ。だが寂しくなって何が悪い、会えて嬉しくなって何が悪い。恋人同士とは、そういうものだろう。
だから、ダージリンも抱き返してくれた。胸に、顔を埋めてくれた。
「……好きだ。愛してるよ、ダージリン」
「はい、私もです。――だって私は、あなただけのダージリンですもの」
ダージリンを愛するようになって、161日目。もう二月だった。
―――
聖グロリアーナ女学院は、優雅と華麗さをモットーにしたお嬢様学校である。それ故に統率がとれていて、授業中に騒ぐ者など存在しない。
むしろ、授業時間はチャンスの一つなのだ。知力は勿論のこと、姿勢、品格、振る舞い――それをフイにするような者は、このお嬢様学校には存在しない。
そう、授業「中」は。
授業が終了して、待ちに待った昼休みが訪れる。早速とばかりに雰囲気が緩和され、皆が皆、思い思いの行動に移っていく。
勿論、ダージリンとて例外ではない。教科書とノートを閉じ、シャープペンと消しゴムを筆入れの中にしまう。それらを机の中に収納した後――少し勢い良く、立ち上がった。
瞬間、数人のクラスメートがダージリンを注目した。
それらは決して赤の他人ではない。戦友――つまりは戦車道履修者であり、「花束の共有者」でもあった。
まず、ポニーテールと目が合う。
『隊長、彼氏と会うんですか? 行ってらっしゃいませ』
ニヤつかれた。あくまで憶測でしかないが、絶対にこんなメッセージを送っている。
次に、ツインテールに目を向けてみるとしよう。
『いいなー羨ましいなー。よし、私も外食するか』
これまた良い笑顔を向けられた、しかも立ち上がった。空気を読んで別行動に走るだろうが、何だか恥ずかしくなる。
そう――
近頃、聖グロ戦車道履修者の間では、「昼休みに外食」が流行っている。発信源はもちろんダージリンで、その目的は「運命の出会い」を果たす事だ。
別に隠す事でもないのだが、聖グロは恋愛に貪欲だったりする。だから出会いを重要視していて、理想の人を見つけようものなら、その腕を絶対に離そうとはしない。だから、聖グロにおける破局率はゼロに近かったりもする。これは、「清楚であれ」という伝統もあるからだろう。
今度は、ショートヘアが起立した。これまた明るい表情をして――懐から青いバラを取り出した。
ダージリンは、あくまでにこりと応える。内心は、「なんでバラ配っちゃったかな……」とか思考していた。
「花束事件」の後、ダージリンは「幸運の証」として、青いバラを隊員達に配布したのだ。ただで枯れさせるよりはその方が良い、茶山の想いを無駄にしたくはない、その一心で――そのダージリンの気遣いのお陰で、いよいよもって外食ブームが燃え上がったというわけだ。
これも、新たな伝統の一つといえよう。
教室を見渡す。戦車道履修者は「お気をつけてー」と手を振るい、それ以外は特に気にも留めない。
人差し指で額を支え、心の中で唸る。
支持されることは嬉しい、嬉しいのだが、やっぱり恥ずかしい。交際とは難しいのだなあと、高校三年になって知った。
『隊長、報告お願いしますね』
ロングヘアーが、ウインクを決めた。ダージリンは、微笑んだ。
『隊長、今度彼氏紹介してください』
ベリーショートが、両手を合わせる。知るか。
『隊長! お幸せに!』
黒髪が小さく敬礼した。なるよなってるよ。
――その時、同じクラスメートであるルクリリが、トコトコと堂々と近づいてきた。まずい、ルクリリは結構アクティブだ。
ルクリリとダージリンが、机を一つ挟んで対面する。例に漏れずルクリリも微笑していて、ダージリンもアイアンスマイルを決めていた。
『b』
親指を立てられた。
ダージリンは優雅に、華麗に退散した。
茶山を意識して、162日目の出来事である。
―――
聖グロリアーナ女学院は、優雅と華麗さをモットーにしたお嬢様学校である。今日この日までお嬢様学校と高く評価されているのは、聖グロは決して騒いだりはしないからだ。
教室でも、廊下でも、戦車道でも、無駄に声を張り上げたりはしない。叫ぶ瞬間とは、それこそ身の危険を感じた時だけだ。
もちろん、この食堂でもそうだ。ルクリリとアッサム、オレンジペコとローズヒップが一堂に会しても、声の届く範囲は一同のみに、決して笑い声などは上げたりはしない。
今日も、食堂は平和だった。会話内容といえば、
「彼氏欲しい」
ルクリリが、フィッシュ&チップスをフォークで刺す。食事はあくまで清楚に、発言はストレートに。
「それを……私たちに言うの?」
「だから言うのよ」
アッサムが呆れ果て、オレンジペコが「うーん」と唸る。ローズヒップは、のんきな表情でサンドイッチを頬張っていた。
「しかし、出会いとは……どうにでもなるものではありませんし」
「だよね、そうだよね。だから隊長は、恋に夢中になっているのだと思うし」
咀嚼する。ここ最近におけるルクリリの食事サイクルはといえば、食堂→外食→食堂→外食→食堂だった。
「ですが。ダージリン様って、何となく『出会いそうな感』を出していません? その、ヒロインめいたものがあるというのか」
ルクリリが「あ、わかるわかる」と同意する。データ主義のアッサムも、反論はしなかった。
「流石戦車隊隊長というか、正統派美人って感じだもんね。あれはねー、出そうと思っても出せないよ」
実際、ドラマっぽい人だと思う。言動にしろ性格にしろ容姿にしろ、メインヒロインになるべくしてなった女性、という印象が強い。
だからこそ、「平民とお嬢様の恋」がよく似合っていると感じる。あれだけの人物に、普通の恋愛は割に合わない。
「そうですよね……はあ、私にも現れて欲しいな、そういう人」
「大丈夫大丈夫。オレンジペコは真面目で可愛いから、出会えるって」
オレンジペコが「そうでしょうか」と苦笑する。アッサムも、「ええ」と同意した。
「オレンジペコは、どういう人が好きなの?」
「えっ!? そ、それは……そうですね、その」
オレンジペコの頬が赤くなり、視線が斜め上に泳ぐ。それでも黙秘しないあたり、オレンジペコも恋に恋する女の子なのだろう。
「年上、年上がいいですね。読書家だったら、なおさら良いかもしれません」
「なるほど」
「いいわね、そういうの」
年上との恋愛――それも、良いかもしれない。
しょっぱなから「彼氏欲しい」と言っておいて、どんな人が好みなのかは全く分かっていないのだ。
「そういう人に出会えたら、一生をもって尽くします」
「くう……オレンジペコって強い子だね」
いい子に育って良かった。そんなことを勝手に思いながら、ルクリリは水を飲む。
「で……アッサムは?」
「は、は? 私、私ですか?」
ルクリリが、「当然じゃん」とばかりに頷く。オレンジペコも、目を輝かせて聞きたい聞きたいオーラを放っていた。
ローズヒップは、トマトスープをスプーンで掬っていた。
「……言わなきゃ、だめですか?」
「ということは、いるんだ。好きなタイプが」
アッサムが嫌そうに舌打ちする。露骨に睨まれた。
「……私は、その、ナイトのような人が、いいかな、って」
ルクリリとオレンジペコが、「ほほーっ」と感心を向ける。ローズヒップは「へえー」と頷いた。
「私が考え、導いて……殿方には、そんな私を守って欲しいというか」
「わかる」
たぶん、次に運命の出会いを果たすのは、アッサムなのではないだろうか。こんなお姫様に、孤独は合わない。
対して自分はどうだろう。イケメンであればそれで良いのか、性格で選ぶのか――たぶん、それが分からないから「出会い」なのだと思う。
「期待してるわ、アッサム」
「あ、ありがとうございます」
オレンジペコも、小さく拳を作った。願わくば、オレンジペコにも幸せになって欲しいものだ。
――ところで。
「ローズヒップ」
今現在、表情が一貫しているのはローズヒップだ。頷いたり同意したりはするものの、「反応」は示さない。
「えーっと、その、恋愛に興味とかは、ない?」
「ありますわ」
ローズヒップが、トマトスープをごくりと飲む。
「今度の春休み、殿方と一緒にドラッグタンクレースを見に行く予定ですし」
ふうんと、三人が昼食をとり、
「え?」
いの一番に反応したのは、オレンジペコだった。ローズヒップは「だから」と前置きし、
「春休みになったら、サンダースでドラッグタンクレースを見に行く予定ですの。殿方と」
ああ、そう、そうなんだ。
ルクリリとアッサムとオレンジペコは、同時に水を飲み、同時にコップを置いた。
ひと呼吸する、ローズヒップに注目する。
「ま、マジで?」
「まじですのよ」
いい天気ですね、みたいな感じで返事された。冷静沈着なアッサムが、ペースを守るオレンジペコが、ローズヒップをガン見している。
「な、なんで教えてくれなかったのっ。運命の出会いでしょ、それ」
「え、そうなんですの? その人とは友達として付き合っているのに?」
「……うーん……」
「彼氏でもないのに、運命と言うのには早すぎますわ」
ローズヒップの言い分も、分からなくはない。
彼氏ならまだしも、友達は正直微妙だと思う。「まだ」出会いではない。
「じゃあ……その人とは、何処で知り合ったの?」
「サンダースのレース会場ですわ」
うわそれっぽい。ルクリリは即座にそう思った。
「詳しく」
アッサムが問う、ローズヒップはあっさりと頷き、
「私、レースをするのも見るのも好きでして。長期休みの際は、いつもレース会場へ足を運んでいますの」
「ふむ……それで」
「今年……いえ、去年? まあいいですわ。冬休み中にレース観戦していまして……風圧で帽子が飛ばされてしまいましたの」
オレンジペコが「風……圧……?」と首をかしげる。
「ドラッグタンクレースは、とにかく直線的な速さが求められる競技なんですの。なので、アフターバーナーを積んだ戦車が多いんですのよ」
ルクリリが「かっこいい……」と漏らし、アッサムがタブレット片手に「そんなの本当にあるんですかあった」と驚愕している。オレンジペコは、頭を抱えた。
「――で、帽子は勢いよく吹っ飛んでいきまして、諦めようかと思った時……殿方がキャッチしてくれたんですの。私はすぐさま駆け付け、その人にお礼を言いましたわ」
ルクリリは思った。それ運命の出会いじゃん、と。
「殿方は『いいよいいよ別に』と笑ってくれました。……それがきっかけだったのでしょうね、レースについて語り合いましたわ」
「アクティブね……」
アッサムが感嘆の声を上げる。だがローズヒップならわかる、分かってしまう。
「同い年ということも判明して、話の流れでアドレス交換も致しましたわ。――聖グロにはレース好きがいないものですから、がっついてしまいまして」
だから「友達」なのか。
「それから、その人とはメールを送信したり、受信したり。それを繰り返しているうちに……その人は、夢を語ってくれましたわ」
アッサムが、興味深そうにローズヒップを見つめる。
「その人も、レーサーになるという夢を抱いていましたの。私はひどく共感して、感動して……いつの間にか、好きになってしまいましたの」
「そ、そうなんですか?」
オレンジペコの問いに対し、ローズヒップはこくりと頷く。
「だって、一途で熱いじゃありませんか。速いのは、私も好きですし」
そうか。
ローズヒップ、それは運命の出会いっていうんだよ。たぶん、未来のレーサーもあなたが好きだと思う。
「今度会った時、告白してみますわ。OKを貰ったのなら報告を、ダメだったら……まあ、報告ですわね」
そう言うローズヒップの表情は、実に明るい。不安とか、そういったものはないのだろうか。
「あの」
「なんですの」
「その……ローズヒップには、不安とかはないんですか? すごく明るいというか」
ローズヒップは、やっぱり何でもないような調子で、
「怖がっても、照れても、進展はしませんもの。ですから、想いをどんとぶつけるだけですわ」
軽快な笑顔だった。
自信満々で、後悔なんか二の次の表情だった。
「……すごいね、ローズヒップは。恋に、躊躇しないなんて」
「まだ友達ですので」
ローズヒップが、落ち着いた素振りで水を飲む。
「……恋人になったら、私はどうなってしまうのでしょうね」
初めて、ローズヒップが赤くなった。
――ルクリリは納得する。
ローズヒップは、モテる女の子だと。
ダージリンが新しい伝統を見つけて、163日目の出来事である。
―――
聖グロリアーナ女学院は、優雅と華麗さをモットーにしたお嬢様学校である。その生徒と交流を持とうものなら、間違いなく男どもから羨まれ、嫉妬され、表彰され、色々と可愛がられるだろう。
――ましてや。
「はい! どうぞッ!」
牛丼屋で待ち合わせをして、何やらダージリンが足を交差させていて、顔は完全に真っ赤で、何かを後ろ手で隠していて――茶山が「どうしたの?」と声をかけてみれば、ダージリンは勢いのまま、赤い包装紙に包まれた箱を差し出してくれた。
え、なんだっけこれ。誕生日じゃないし、何か祝い事、
あ。
「これ……チョコ?」
「そ、そうっ、そうかもしれませんわねっ。――はやく受け取りなさいっ」
内心ビビったので、引っこ抜くようにチョコを受け取った。
――失念していた。
今までバレンタインとは無縁の人生を送っていたから、つい流してしまっていた。今年から、「変化」が生じたというのに。
「あ、ありがとう……」
「――はあ、やっと、渡せた」
バレンタインは、渡す方も受け取る方も大変な祝い事であるらしい。何だかダージリンも疲れ切っていたし、茶山に至っては心臓が強烈に痛かった。
今更実感したのだ。本命チョコを作ってくれるほど、手渡してくれる程、ダージリンとは親密な仲だったということに。
「あ、開けていい?」
「ど、どうぞ」
割れ物を扱うような手つきで、包装紙を解いていく。どんなチョコなのだろう、どういう表現がされているのだろう。包装紙がめくれていくたびに、茶山の感情が高ぶっていく。
「あっ……これ……」
ケースの中には、弾丸状のチョコが横並びに整列されていた。思わず、
「すげえ……」
「そ、そう?」
ダージリンが、「感想を聞かせて欲しい」とばかりに寄ってくる。どう見ても弾丸で、恐らくは完全再現が成されているのだろう。
「い、一個食べてもいい?」
ダージリンが、手で「どうぞ」と促す。ここで全てを食べはしない、今は食べ歩きという大事な用事があるからだ。
後で撮影もしなければ。
「では、いただきます」
透明のフタを開け、弾丸チョコの一発を手でつまむ。それぞれの角度から弾丸チョコを眺めてみたが、形も色も匂いも弾丸チョコだった。
名残惜しいが、食べ物は口にするのが礼儀だ。一口で、弾丸チョコを口の中に放り込む。
「……ど、どうです?」
このことを大学の連中に報告したら、間違いなく粉微塵にされると思う。
「甘い……!」
――ましてや、聖グロ出身の「ダージリン」から、こんなにも甘いミルクチョコレートをプレゼントされたんだぞ。
この事を報告するのに、あと数年は待たなければいけないだろう。
「……よかった」
心の底から安堵したのだろう、ダージリンをまとっていた緊張感が消えていく。それを見て、茶山も安心感を覚えた。
「ありがとう。これは後で、じっくりと味わうよ」
「はい、茶山さん」
とりあえずは、弾丸チョコ箱を包装紙に包め直す。多少雑だが、晒すよりはマシだ。
そうして、互いに目が合う。こくりと小さく頷きあい、手を繋いで、未知なる飲食店へと歩んでいく。
ダージリンとのひと時を過ごして、164日目になった。
―――
春休みを利用しての食べ歩き旅行も、今日が最終日となる。ダージリンの足跡を追って、166日目が経過していた。
朝っぱらからビジネスホテルをチェックアウトし、「これで二度目か」と外出してみれば――髪をとき、緑色のベレー帽をかぶったダージリンが、「やあ」と真正面から待ち受けていた。
少し怯んでしまったのが、何だか悔しい。確かに、デートの約束は取り付けてはいたのだが。
「だから、九時でいいって……今、八時半だよ?」
「まあまあ」
笑顔で流されてしまった。こうなってしまえば、もはや勝ち目はない。
当たり前のように隣に立たれて、当然の権利であるかのように手を繋がれる。何度も経験したはずなのに、未だに心臓が飛びそうになる――それはダージリンも同じらしく、頬を赤く染めていた。
「行こうか」
「はい」
今日で、ダージリンと学園艦で過ごす日々が終わる。聖グロを卒業した後は、本土にある女子大へ通うつもりらしかった。
そのことを、ダージリンはとても喜んでいた。これからは、自分と会いやすくなるだろうと。
通うコースは、前とそれほど変わりはない。朝十時になるまで街並みを散歩しつつ、「あったかいねえ」「そうですね」と、夫婦みたいなことを口にした。
朝の聖グロリアーナ女学院学園艦は、とても静かだった。お陰で欠伸が漏れて、ダージリンも小さく「ふぁーあ」と声を漏らした。
――朝十時に到達した瞬間、まず「CLOSED」のサインボードがガタタタッ! と取り外される。間もなくして店の灯がつき、「ここで食うのが一番」とばかりに主張し始める。
軽い食事がいいなあと思えば、何処からともなく出店が並び始める。パラソルつきラウンドテーブルと椅子が持ち場につき、ここぞとばかりに店主がメインディッシュを見せびらかし始める。
休日特有のテンションもあってか、茶山の腹が一瞬にして減る。ダージリンの目も、きらりと光った。
広間には、既に大道芸人がスタンバっていて、観客も今か今かと待ち受けている。片手に食べ物を持っている者も多く、大道芸人と屋台は共同戦線を張っているらしかった。
「よし」
「はい」
突撃だ。
茶山とダージリンは、間違いなく「食べ歩き」をこなしていった。
まずはケバブを平らげ、次にミネストローネを味わう。焼きトウモロコシを食べたあたりで「まだいける?」「はい」と意思確認をしてから、フランクフルトをいただき、イングリッシュパイを頬張った。
色々な文化を咀嚼しながらも、まずは食事に対し、
「いただきます」
「いただきます」
そして、命に感謝をする為に、
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
これだけは、決して忘れない。茶山とダージリンにとっての、誓いの言葉だった。
胃も丁度良くキツくなってきたところで、ダージリンは「聖グロ戦車道博物館へ寄ってみたい」とリクエストした。
茶山は当然のように快諾し、現在進行形で博物館内を歩んでいる。初めて寄る場所だからか、視界がぐるんぐるんと回っていた。
「長いんだね、聖グロの戦車道は」
「ええ」
まず、右を見ても左を見ても戦車が並んでいる。何だか主砲が向けられているようで、些細な粗相すらも許さない圧力を覚えたものだ。
それもそのはずで、解説パネルには「歴代戦車隊隊長の愛車達」と刻まれていた。今もなお、聖グロの誇りを守り通しているに違いない。
「ここにいつか、ダージリンの戦車も並ぶのかな」
「そうだといいですわね」
知識はないが、なるべく聖グロの戦車だけは覚えておきたいと思った。ダージリンの戦いの記憶を、思い出を、継いでいきたいからだ。
「僕は並ぶと思うよ。ダージリンは、聖グロの為に精一杯頑張った」
「ありがとう。あなたにそう言われて、報われましたわ」
茶山は、黙って頷いた。
そうして、レンガで構成された博物館を歩んでいき――今度は、「ティーセットコーナー」なる場所へ到着した。
数々のディスプレイケースがあるが、その全てにティーセットが保管されている。隊長の個性が満遍なく発揮されているようで、薔薇の意匠、青いライン、赤迷彩、無地、「聖」の文字入りと、結構見ごたえがある。客入りも良い。
ちらりと、ダージリンを見つめた。
「……寂しくはなりますが、ここに寄贈しますわ」
茶山は、何も言わずに頷いた。
「それが、聖グロに対する恩返しですもの」
もう一度、ティーセットコーナーに目を移す。きっと何回も、何十回も、ダージリンのようなやりとりが繰り返されたに違いない。
そして、誰もがここに遺したのだろう。思い出を、誇りを。
「――卒業、するんだね」
何となく、口にする。
「ええ」
ダージリンが、茶山の隣に近づく。
「いい学校だった?」
視線を感じる。きっと、ダージリンが自分の横顔を見つめているのだろう。
「ええ。とても、とても……」
ディスプレイケースの中には、数々のティーセットが並べられている――その端に、意図的な空白があった。
「大好きでしたわ」
ダージリンに視線を向ける。
その瞳は揺れていて、赤くなっていて、嬉しそうで、優雅で、華麗で、愛おしくて。
だから、ダージリンの背中に手を回した。
茶山とダージリンは、同じ場所で、同じティーカップを、しばらくじいっと見つめていた。
楽しい時間というものは、あっという間に過ぎ去っていく。
博物館から出てみれば、聖グロの世界は夕暮れに染まっていた。
見上げる。
空が、これまで以上に遠い。二度と朝日なんて見られないような、そんな錯覚すら感じる。この空は、間違いなくこの学園艦だけのものだ。
ダージリンと目が合い、何も言わずに頷いてくれた。
手を繋ぎ、街へ戻って、出店を通り過ぎて、大道芸人を眺めて、交差点で止まって、横切っていく戦車を目に焼き付けて、帰路について――連絡船まで、たどり着いた。
ダージリンとは、少しばかり別れるだけだ。あと数週間もすれば、ダージリンは聖グロを卒業し、本土で暮らすことになる。
待ち遠しいはずなのに、何だか寂しいのは――ダージリンのことが、この学園艦のことが、好きだからだ。大好きだからだ。
「ダージリン」
にこりと、ダージリンが応える。
「またね」
ダージリンが、ゆっくりと歩み寄る。茶山は何もしないまま――ダージリンに、そっと口づけされた。
「……こんな格言を知ってる?」
茶山が微笑する。
「人生とは面白いものです。何かひとつを手放したら、それよりずっといいことがやってくるものです。――サマセット・モーム、イギリスの小説家の言葉ですわ」
ああ――その通りだ。
―――
連絡船が、海の遠く、遠くまで消えていく。もう茶山の顔が見えない、声も届かない。
けれど、寂しくはない。すぐにまた会えるから、一緒にいられるから。
寮へ戻る途中、ダージリンは自販機を横切ろうとして――足を止めた。
財布から小銭を取り出し、自販機へ投入する。迷うことなく無糖の缶コーヒーを選択し、それを取り出し口から回収した。
プルタップを、慣れた手つきで開ける。独特の重い匂いを嗅いだ後、ダージリンはごくりとコーヒーを飲んだ。
「……おいしい」
―――
聖グロリアーナ女学院は、優雅と華麗さをモットーにしたお嬢様学校である。
時には伝統に悩まされたり、マナーが面倒だと思うこともあるけれど――大好きで大好きで、仕方がない母校だ。
こうして私は、聖グロリアーナ女学院を卒業した。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
これで、春休み編は終了です。
次は大学編ですが、サッと終わると思います。3007日目まで、あっという間です。
何度か推敲はしてみましたが、もしかしたらミスをしてしまっているかもしれません。
その時は、ご指摘してくださると嬉しいです。
ご感想、いつでもお待ちしています。