3007日間   作:まなぶおじさん

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 「地主の家」の末妹として生まれて、はや十五年になる。
 地主である母は元聖グロ出身で、今は日本戦車道連盟の一員としてその影響力を振りまいている。父はといえば普通のサラリーマンなのだが、実に情熱的で、常に母を支えている。たぶん、父がいなければ今の母もいないだろう。

 ――そして、自分には姉がいる。
 自分が戦車道を歩み始めたのも、全ては姉がきっかけだった。姉は常に優雅で、華麗で、時には本質を突くような言葉を投げかける。戦車道を歩もうとも、美しさを保つために、絶対に紅茶をこぼしたりはしない。
 そんな姉が、とても格好良かった。心の底から尊敬していた。妹でいられて、とても幸せだった。

 ――姉は強いだけじゃない。
 仕事柄、両親はよく不在になる。家族から愛され、育ってきたからこそ、寂しさや孤独感を覚えてしまうこともよくあった。
 そんな自分のことを、姉は決して見逃しはしない。

「今日もお疲れ様。一緒に、ティータイムを開きましょう」

 そう言って、姉は優しく微笑みながら温かい紅茶を作ってくれる。この紅茶が、ダージリンティーが、自分は大好きだった。

 ずっと、この関係が続けば良いのに。

 気付けば、姉ももう高校三年生だった。青春真っ盛りで恋愛全盛期、それでも自分は「いやいやまさかね」と楽観視していたのだが、

 ……お姉様に、彼氏が、出来て「いた」らしい。


119~134日間

「なるほど、君が茶山君か。会えて嬉しいよ!」

 

 もう夕方なのに、どうしたのかと歩み寄ってみれば――父と母と、姉と男が、だだっ広い応接間のソファに腰かけ、ご対面していた。

 ああ、遂に来たのか。本当に、彼氏が出来たんだ。

 

 自分は「いい?」と母に聞き、そのまま母の隣にそっと座る。

 茶山の顔を拝見してみたが、のんびりとしていて、逆に頼りなさげな印象を抱く。真っ先に、「何故惚れた?」と、妹ながらに考えてしまった。

 しかしドッキリでも何でもないらしく、姉は常に茶山から離れようとはしない。たかが応接間へ案内されたぐらいで、ガチガチになっている茶山から。

 

「そうかそうか、君が……いやあ、僕と同じ気配がするね」

「どうも、どうも」

 

 茶山が、にへらと愛想笑いを浮かばせる。それを見て安堵しているのだろう、姉がくすりと微笑んでいるのだった。

 

「話は、娘から聞かせていただいています。心の底から、幸せにしてくださったようで」

「そんな……話盛ってない? ダージリン」

 

 姉が、首を横に振るう。きっぱりと。

 

「茶山さんは、私の心身を満たしてくれました。言葉で、食べ物で」

 

 母と父が、興味深く「ほうほうそれで」と頷く。

 

「聖グロには、あまり和食を食べてはならない、という暗黙のルールがあるのはご存知でしょう?」

 

 父と母が、こくりと同意する。

 

「ある日、私はどうしても和食が食べたくなって……その時に茶山さんと出会い、色々と手助けしてくださいました」

「ほう」

「それから、食べ歩きに付き添っていって――」

 

 そして、惚気長話が当然のように開始された。父も母も色恋沙汰に興味があるから、姉の一挙一動に注目しきっている。

 一方、自分は――仕方なく耳だけを貸していた。敬愛する姉の話でなかったら、「失礼します」とか言って途中退場していただろう。

 

「――ということがありました」

「……ふむ」

「私にとっての男性とは茶山さんであり、茶山さん以外と添い遂げるつもりはありません」

 

 父と母ときたら、実に良い表情できゃあきゃあと反応している。そこから「私の若い頃は」だの「あの頃を思い出すなあ」だの「花束で結ばれるんだねえ」だのと、両親にも火がついてしまったようだ。

 ため息をつく。

 

「どうしたんだい?」

 

 見られてしまっていたらしい。茶山と目が合い、淑女らしくにこりと微笑む。

 

「いえ、何でもありませんよ」

「そうかい? 何だかその、気分が良くないのかな、と」

 

 のんびりとしてはいるが、鈍感ではないらしい。ふうんと、心の中で頷く。

 

「ああ、紹介しますわ。私の妹で、中学三年生。戦車道履修者ですわ」

「へえ……ダージリンと似てて、とても可愛い妹だね」

 

 正直、ダージリンという名前にはあまり馴染みが無い。お姉様はあくまでお姉様だった。

 

「ありがとうございます。私もいつか、お姉様のような立派な戦車乗りになろうと考えています」

「へえ、いいねいいね。応援するよ」

 

 たぶん、本心から口にしているのだと思う。素で、明るい表情を浮かばせているのだと思う。

 けれど何処か気にくわないのは――やっぱり、不毛な嫉妬のせいなのだろう。姉の一番の理解者は、自分であったはずなのに。

 

「……あの」

「何かしら?」

 

 姉に声をかける。

 

「本当に、この人が婚約者なんですか?」

「そうよ」

 

 何の躊躇もなく、何の迷いもなく、姉は即答した。

 ――自分よりも大切な存在が、今、目の前にいる。

 

「もちろん、自分の意志で決めたわ。この人に、どこまでもついていくって」

「そう、ですか」

 

 嘆息。

 姉は女性だ、立派な淑女だ。容姿端麗で、気品に溢れている。

 だからこそ、恋の一つもするだろう。一途に想い続けるだろう――こんなことぐらい、中学三年の脳ミソでも理解しているのに。

 

「――あの」

 

 茶山の声。自分は、あえて緩慢な動きで茶山と目を合わせる。

 

「どこか、気分でも悪いのかな?」

 

 茶山が、心底心配そうに自分を見つめてくる。何だか嘘をついているような気持ちになって、目を逸らしてしまった。

 姉が、「ああ」と声を漏らし、

 

「いえ、そうではありません。少し、ね」

 

 ちらりと、それでいて強い視線を浴びる。姉には、自分の思惑などバレてしまっているらしい。

 

「そうなの? でもなあ……」

 

 父も母も、「大丈夫か?」と声をかけてくる。自分は、問題ないとばかりに首を振るう。

 

「少し、緊張してしまっただけです。ごめんなさい」

「そうかい? 気分が悪くなったら、無理しないで休んでね」

 

 気を遣われてしまった、にこりと笑われた。

 たぶん、姉は「正しい人」の事を好きになったのだろう。茶山なら、姉を幸せにしてくれるはずだ。

 それでもまだ受け入れられないのは、自分が姉のことを尊敬しているからだ。姉は強くて、美しくて、麗しくて、導けて、「頑張って私を追い越してね」と、頭を撫でてくれて――ただの、ふてくされだった。

 

「さて。そろそろ時間ですし、夕飯を作りますわ」

 

 父と母が、「何!?」と驚愕する。自分も「はい?」と素っ頓狂な声を上げた。

 

「花嫁修業の一環、と思ってくださいませ」

 

 父が「いやいやしかし」とうろたえ、母が「まあまあまあ」と喜ぶ。自分は、何とも言えない。

 

「今日はオムライスでも」

「あ、じゃあ僕も手伝うよ」

 

 茶山が、ソファから起立しようとして、

 

「殿方は、ここでお待ちを」

 

 姉から、手で抑えられる。実に良い笑顔だった。

 

「といっても、一人ではまだまだ……家政婦に、少し手伝ってもらいましょう」

 

 姉が、駆け足でキッチンまで向かっていく。

 父と茶山と自分があっけにとられる中、母だけは「変わったわねえ、あの子」と微笑ましくコメントする。

 

 

 その後は、見事なオムライスが四皿分用意された。姉曰く「まだまだ初心者」とのことだが、それを鵜呑みにするならば、姉は料理の才能があるらしかった。

 ――才能が開花されたきっかけなんて、とっくの昔から分かっている。目の前で、「はい、あーん」をされている男のせいだろう。

 口では「やめて欲しい」と言っているくせに、その顔ときたら実に明るい。そこは姉も分かっているらしく、「まあまあ」と受け流していた。

 

「いいねえ」

「いいわねえ」

 

 父と母が、我が子を見守るように微笑んでいる。自分は――納得はしつつも、まだ受け入れ難かった。

 どうしても、時間が必要らしい。

 

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

 

 その後、茶山が「空いてる部屋は何処ですか? そこで眠ります」と提案し、姉が「えっ?」と悲しげな表情を浮かばせた。

 ――そうか、そこまで進展してたのか。

 父も母も「遠慮せずに」と押し切り、後はそのまま、茶山は姉に連行されていってしまった。

 

 ため息をつく。

 姉はお嬢様であり、茶山は普通の大学生だ。だのに、順調なカップルっぷりを見せつけてくれている。正直疲れた。

 自分が通う女子校では、頻繁に「恋したいなぁ」という声が聞こえてくる。そのたびに「いつか、出来ますよ」とか適当なことを言うのだが――多分、恋愛というものは、突如として襲い掛かってくるのだと思う。

 だって、これまでの姉は、一言も恋愛なんて口にしていなかったはずだから。

 

―――

 

 姉の話によると、彼と出会って120日目が経過するらしい。なるほど、ラブコメするには順調な日数だ。

 

 そうして朝っぱらから、姉と茶山は何処かへ行ってしまった――と思いきや、午後三時には帰宅してきた。何をしに行ったのかと聞いてみれば、

 

「食べ歩きをしに行ったのよ」

 

 そのまま、姉と茶山が隣同士でソファに腰かける。

 ああ。そういえば、それがきっかけで付き合ったとかどうとか。

 食べ歩きで、どうやってロマンスまで運んだのやら――適当に推測してみたが、これっぽっちも掴めなかった。

 応接間のソファに居座りながら、姉と茶山をちらりと眺める。話題はやっぱり食べ物中心で、今日食べたもの、今日最高だったもの、今日甘かったもの、明日は何を食べようかなどなど、本当に食ってばっかりだったらしい。

 一人でティータイムを過ごしたにも関わらず、何だか腹が減ってきた。思うと、地元の料理店って何があったっけ。

 

「あら」

 

 姉は、人の視線をつかみ取るのが上手い。バレないように様子見しても、決まって声をかけられる。

 

「どうしたの? 何か、用事?」

「え、いや、その」

 

 茶山が、遠慮しないで、と言いたげに微笑む。

 ――本当、嫌なところが見当たらない男だ。

 

「……地元の名物って、なんでしたっけ」

 

 茶山が「ああ」と嬉しそうに声を上げ、

 

「中華が多いかな。もしかして興味がある?」

 

 何だか恥ずかしくなって、適当に視線を逸らす。そんな自分に対し、姉が「へえ」と前置きし、

 

「食べてみたくなった?」

「そ、そうとは言ってませんけど」

「あらそう? 残念ねえ」

 

 自分の返答をきっかけに、姉と茶山はまたしても食べ歩き談議へ戻る。

 別に誘っているわけでもなくて、本当に食べ歩きが好きなのだろう。茶山は終始笑顔だし、姉に至っては雑誌まで取り出している。次はここへ行こう、ここが評判らしいですわ、スイーツもいいね――

 腹をさする。先ほどまでは皆無だった食欲が、急に唸り声を出し始めた。そういえば、中華料理なんて最近口にしていないな――

 

「ねえ」

 

 再び、姉から声をかけられる。体全体がびくりと動いた。

 

「な、なんですか?」

「一つ、提案があるのだけれど」

 

 嫌な予感がする。一応、身構えておく。

 

「明日、三人で食べ歩きしない?」

 

 ほらね。

 自分は、ざーとらしくため息をついた。

 

「デートのお邪魔になるのでは」

「まあまあ、たまにはこういうのも良いじゃない」

 

 茶山も、肯定的に頷く。

 

「いいんですか? お姉様とは、恋人同士なんでしょう?」

「まあ、そうだけどね」

 

 茶山が、頭の後ろに手を当て、

 

「でも、僕は、ダージリンの家族とも仲良くしていきたい」

 

 自分の思考が、少し止まった。

 

「ダージリンのことは愛してる。それで、ダージリンの家族も、君の事も、好きになっていきたいんだ。仲良くしていきたい」

 

 たぶん、素で言っているのだと思う。

 姉は、笑顔で「ありがとう」と礼を言っている。茶山は、「当たり前のことを口にしただけだよ」と謙遜している。

 ――何が当たり前だ。自分は、茶山に嫉妬していたんだぞ。

 

「……そうですか。あなたは、本当に、お姉様のことが好きなんですね」

「え? ああ、うん」

 

 そして、当たり前のように頷くのだ。

 愛しきっているからこそ、恥など覚えない。身分違いなんて、愛というパワーがあれば何とかなると思い込んでいる。

 そんな風に、茶山は笑っていた。

 ――呼吸する。

 何となく、茶山のことをもっと知りたくなった。これも、一種の安心感によるものなのかもしれない。

 

「……茶山さん」

「はい?」

「――よろしければ、明日、食べ歩きについていっても構いませんか」

「え、いいよいいよ」

 

 即答だった。

 

「良かったわね」

 

 姉が、全部お見通しだとばかりに微笑んでいる。

 思う。

 この二人、釣り合ってるんだなあと。

 

―――

 

 姉が茶山と出会い、今日で121日目になるらしい。そんな二人は、食べ歩きを行う為に、昼に外出した――今日は、自分も同行している。

 

 地元とはかれこれ十五年の付き合いになるが、実は、地元に対する知識はあまり無かったりもする。

 育ちの良さのせいか、遠出することもしないし、派手に遊んだりもしない。なので、少しでも離れようものなら確実に道に迷うだろう。

 当然、どんな店が潜んでいるのかとか、どこがグルメスポットなのか、そんな知識はもぬけの空だ。料理店へ訪問する機会なんて、せいぜい家族サービスの時ぐらいだった。

 それは、姉も同じだったはずである。姉は、グルメ趣味なんてなかったはずなのに。

 

「この店の麻婆豆腐は、地元民から愛されているらしいですわ」

「ほうほう、麻婆豆腐……」

 

 緑色のベレー帽をかぶった姉が、実に嬉しそうに店を指さす。茶山も興味津々なのか、早速とばかりに入店した。

 本当、変わったんだ。

 寂しいようで、けれど納得しなければいけない。だって姉は、楽しそうなんだぞ。

 

 自分の腕を抱く。

 朝だろうと昼だろうと、空全体が白に覆われている。道路は雪に濡れて黒くなっていて、そこかしこに雪だまりの残骸が残っている。赤タイルの歩道も、何処か暗くて冴えない。ニュースによると、地元のどこかで車がスリップ事故を起こしたんだっけ。

 空気もすっかり冷たくなった。吸えば体が強張り、吐けば白く尾を引く。今年は風邪をひいてしまうのだろうか、去年は無病のまま乗り切ったのだが。

 ――さて、店に入ろう。姉が、手招きしている。

 

 

 難なく席に着き、店員からメニュー表を受け取る。様々なメニューが写真とともに掲載されているが、とりあえずは「普通の麻婆豆腐でいいか」と判断した。

 店内のイメージカラーは赤であるらしく、床も赤、壁も赤、天井も赤、照明は暖色と、実にストレートな中華料理店だった。中華料理店の知識はほとんどないのだけれど。

 壁には龍の絵画が飾られていて、こちらをぎらりと睨みつけている。何だか対抗心が芽生えたので、ガン見してやることにした。

 

「中々、いい雰囲気だね」

「そうですわね。麻婆豆腐……楽しみですわ」

 

 聖グロでは、中華料理も推奨されてはいないのだろうか。今でこそ「まあいいか」と思っているが、後になって腹が空くかもしれない。

 

「妹さんも、気に入ってくれるといいのだけれど」

「いえ、そうお気遣いなく」

 

 知っている。姉と茶山が、「ここが合うかな?」だの「いえ、妹の好みは……」だのと、雑誌を片手に、綿密に計画を立てていたのを。

 たぶん、二人きりなら適当に店を選んでいたのだろう。話を聞く感じでは、きっとそうだ。

 呼吸を漏らす。

 茶山は、本気で家族と向き合おうとしている。自分に好かれようと、手を尽くしてくれている。そんな茶山に対し、姉も協力を惜しまない。

 両想いってこういうことなんだなあと、何となく実感する。背が少し伸びた。

 

「茶山さんの、料理に対する観察眼は本物よ」

 

 姉が、自画自賛するかのように誇らしく微笑んでいる。茶山が喜べば姉も喜ぶ、姉が楽しければ茶山も楽しい、そういう人生を歩んできたのだろう。

 

「期待します、麻婆豆腐に」

「よかった」

 

 茶山が、にこりと微笑む。やっぱりどこか頼りないが、少なくとも血の気は感じられない。

 

「ご注文はお決まりでしょうか?」

 

 店員が近寄ってくる。ふう、と息を吐き、

 

「『この店おすすめの麻婆豆腐』、お願いします」

「私も、それで」

「僕も」

 

 店員が、「かしこまりました」と受け答えし、そのまま厨房へ進軍していく。

 久しぶりの中華料理だ。しっかりと評価してやろう。

 

 

「お待たせいたしました、当店おすすめの麻婆豆腐です」

 

 自分と姉、茶山の分の三皿が、「ごとり」と置かれた。

 まず、皿のサイズが実にボリューミーである。いわゆるミート皿という奴で、直径25cmくらいはあるだろう。姉も茶山も「でかい……」と口にし、自分は沈黙することしか出来なかった。

 しかもこの皿、平べったくないのである。いわゆるボウル、ボウル状なのだ――ここまでくると、何が何でも満足させてやろうという執念すら感じられる。

 次に中身だが、サイズと比例して豆腐の数が、肉の量が多く、スープがこれでもかってくらい紅い。出来立てということで、まるで火口のように湯気が立ち上っている。

 今は真昼間だが、これを食べたら夕飯はいらないんじゃないだろうか。

 しかし、自分の口元は完全に緩みきっている。姉も、茶山も、目が獰猛に輝いていた。

 

「では」

 

 姉が手を合わせる、茶山もそれに続く。自分は「ああ」と気づき、同じくして両手を一つにし、

 

「いただきます」

「いただきます」

「いただきます」

 

 最初は、あえてそっと箸を動かす。食事に緊張なんか似合わないはずなのに、つい圧力を感じてしまう。

 火そのものの匂いが、鼻孔を刺激する。視界を阻害する湯気が、かえって食欲を誘う。箸で豆腐をひとつまみし、慎重に口まで運んでいき――食べた。

 

「うまっ……」

 

 瞬間、何だか恥ずかしくなって、姉と茶山の顔を覗う。

 姉も「ん~~」と味わっていて、茶山に至っては何度も何度も箸を動かしていた。

 

「……ふう」

 

 何だかほっとする。自分は決して浮いてはいないのだと、同じ感情を共有しているのだと、心の底から安堵してしまった。

 

「どう?」

 

 姉が、微笑みながら感想を聞いてくる。最初から、答えを知っているくせに。

 

「……おいしい、です」

「それは、良かった」

 

 安心したのは、自分だけではないらしい。茶山もまた、自分のことのように喜んでいた。

 

「この店、いいですね。リピーターになろうかな」

「良い判断ね」

 

 姉が豆腐を頬張り、熱そうに目を閉じる。何て楽しそうに食事をするのだろう。

 

「あ、食べきれなくなったらいつでも言ってね」

「はい」

 

 ここまでデカいとは思わなかったのだろう、茶山が苦笑する。しかし小食というわけでもない、何とか頑張るつもりだ。

 

「それにしても……」

 

 豆腐を頬張り、かみ砕く。

 

「おいしい」

 

 姉が、まったくその通りだとばかりに頷く。

 

「これが食べ歩きの楽しさよ。計画を立てたり、時にはあてもなく歩いたりして、気が向いた時に何かを食べる。これぞ自由、という気がするわね」

「確かに」

 

 同意する。これを親しい者同士で行おうものなら、更にご飯が美味しく感じられるはずだ。

 食べ歩きには、ほぼマナーが存在しない。決められた食べ物も与えられない。自分の意志で、「これだ」と思って食べてみれば、自由と達成感と充実感と味がもれなくついてくる――なるほど、姉もハマるわけだ。

 今回はガイドつきだったから、次からはフリーで動いてみようか。その方が、疑似的な旅も感じられるだろう。

 

「……楽しかったですか? 茶山さんとの食べ歩きは」

「ええ」

 

 姉が、何の躊躇もなく返事する。

 

「最初は話し相手として、次第に友達として、恋人として――楽しいに決まってるじゃない」

「そうですか」

 

 今度、友達も誘ってみようか。最初は「何言ってるの」とか言われそうだが、美味いものには敵うまい。

 

「――しかし、本当に良かったよ」

 

 茶山の箸が止まる。

 

「はい?」

 

 茶山と目が合う。

 

「……いい顔で、ご飯を食べてくれて」

「え」

 

 そんなに顔を崩していただろうか。誤魔化す為に、水を飲む。

 

「ほら、妹さん、最初は無表情気味だったから。――何ていうのかな。いきなり現れた僕に対して、不安を抱いているのかなって……だから、何とかしたくってさ」

 

 麻婆豆腐に、視線を落とす。

 流石は年上だ。そういう予感も出来て、何とかしようと考えられる。そういうところも含め、姉は茶山のことが好きになったのだろう。

 

「まあ、最初は正直、そう思っていました」

 

 麻婆豆腐で体が熱くなったせいだろう、少しばかり気が強くなっていた。

 

「お姉様に理想の人なんて、見つかって欲しいような、そうでなかったような……フクザツだったんです」

 

 麻婆豆腐を食う、血液が熱くなる。

 

「で、あなたを見た時、正直に言いますと頼りなさそうというか、ナイトっぽくないというのか」

 

 言え言え、どんどん言え。クルセイダーの如く突っ込め。

 

「……でも、お姉様はあなたを信頼しきっている。『あの』お姉様がですよ?」

 

 姉は、特に異論を挟まない。妹だからこそ、そういうところも見てきたのだ。

 

「そしてあなたは――私なんかと仲良くしたいって、何とかしたいって、本気でそう言ってくれている」

 

 茶山は否定しない、恥ずかしそうに笑うだけだ。

 

「……姉のことを、愛していますか?」

「うん」

 

 やっぱり、即答だった。

 ――そうか。出会うべくして出会ったとは、こういうことを言うのか。

 

「少しだけですが、あなたの事を認めます。ただし、お姉様を困らせないように」

「気を付けるよ」

 

 年下にああだこうだと言われても、茶山は自分と目を合わせたままで返事をする。

 大学生である以上、こうした事態も予想していたのだろう。そして、受け入れもするのだろう――頑張れば何とかなると、そう信じて。

 ――少しだけ、罪悪感めいた感情を覚える。だから、

 

「その……今日は、ありがとうございました。麻婆豆腐、凄く美味しいです」

「そうか。良かった、良かった」

 

 姉も、笑顔で応えてくれた。

 ――姉は、自分の気持ちを尊重してくれたのだと思う。頭ごなしに「認めろ」と命じるのではなく、自分の意志で交際を認めて欲しいと、茶山のことを好きになって欲しいと、そう願ったのだと思う。

 「仲良く」というのは、つまりはそういうことだ。

 

 その時、姉が水を飲み、

 

「こんな格言を知ってる?」

 

 はっと、視線が姉に向けられる。来た、姉の格言が来た。

 はっと、他の視線が感じられる。来た、茶山も注目した。

 

「え……えと」

 

 二つの視線が突き刺さり、姉の顔が真っ赤になる。だが、ここで目を逸らす奴は何処にもいない。

 だって、自分も茶山も、姉のファンなのだから。

 

「……弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは強さの証だ」

 

 たぶん、茶山も目から熱光線を発したと思う。姉は「うう……」と弱りながらも、

 

「インドの指導者、マハトマ・ガンジーの言葉よ」

 

 それきり、姉は麻婆豆腐を食べることに逃げてしまった。

 ふと、茶山と目が合う。

 互いに、苦笑した。

 

 

 あれほどあったはずの麻婆豆腐も、話が乗ればあっという間になくなってしまうものらしい。これもまた、食べ歩きの魅力なのだろう。

 姉は満足そうにお腹をさすり、茶山は「ふぃー」と安堵している。自分は、空になった食器を見て何故か笑っていた。

 なるほど――これは、楽しい。

 

「皆さん、食べ終えました?」

 

 茶山と自分は、縦に首を振るう。

 

「そう。では、」

 

 まずは姉が、次に茶山が手を合わせる。少し遅れて、自分も両手を一つにした。

 

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

 

―――

 

 姉と茶山が付き添って、今日で122日目になる。どうも深夜に雪が降ったらしく、庭は数センチクラスの雪だまりに占領されていた。

 朝早くから家政婦が家を飛び出し、除雪スコップを武器に雪だまりを排除していく。大雪が降るたびに「私たちもロードヒーティングを設けようかしら」と検討するのだが、電気代を拝見し、見なかったことにするのも毎年恒例だ。

 だだっ広い応接間から、だだっ広い庭を眺め、自分はため息をつく。この前、家政婦達が除雪したばかりだというのに――

 そこで、姉と茶山が「おはようございます」と挨拶をする。父と母が「おはよう」と返し、茶山がそのまま外を眺め、

 

「ダージリン」

 

 姉がこくりと頷き、ばたばたと家の中を走る。一体何事かと思えば、二人はコートを羽織り、

 

「お父様、お母様」

 

 父と母が、「あ、はい」と返事するしかなかった。

 

「ちょっと戦ってきますね」

 

 姉がにこりと笑い、茶山が小さく頭を下げる。何を――最初に予想したのは、自分だった。

 

「もしかして」

 

 窓越しから、散々な庭を視界に入れる。

 海のような雪原に対し、必死になって抗う家政婦達の姿が目に映る。それぞれが悪戦苦闘を強いられている最中、玄関のドアが開かれ、姉と茶山が転がり込むように加勢する。

 家政婦達の動きが止まり、その一人が姉に近づく。恐らくは、「お戻りください」と告げているのだろう。

 だが、姉は「まあまあ」と笑顔で受け流し、茶山も握りこぶしを作っている――こうなった姉は、テコでも動かない。観念した家政婦は、二人分の除雪スコップをすぐに用意してくれた。

 まるで得意武器を手にしたかのように、姉と茶山は除雪スコップを両手で握りしめる。互いに目を合わせ、にこりと笑顔を交わした。

 

 何処で経験値を積んだのか、姉は慣れた動きで雪を放り投げる。指定個所である雪山に、雪の残骸がゴールインした。

 茶山の方も、実に楽しそうな表情をしながら、雪をシュートする。家政婦が頭を下げるものの、茶山は手で「まあまあ」と応える。

 

 父も、母も、自分も、ただただ固まっていた。だって姉が、家政婦に混ざって肉体労働を。

 

 茶山と姉は、ここでも決して離れようとはしなかった。なるべく近い距離で除雪作業を行い、軽やかな動きでスコップを宙に舞わせる。家政婦が拍手をするも、姉は「まあまあ」と笑顔で流すだけ。茶山も苦笑していた。

 ――姉と茶山が、仕切り直しとばかりに、互いの除雪スコップをこつんとぶつけあう。

 

 姉が、体全体を使って雪を放り投げる。その顔は、戦車道のものと何ら変わらない。

 茶山が、慣れた動作で雪をぶん投げる。その顔は、姉の表情と決して変わりがない。

 

 その時、姉と茶山の視線が重なった。

 姉が前髪を手で拭い――茶山に対して、「私に向けてくれた」笑顔を浮かばせていた。この瞬間が、この場面が、とても楽しくて嬉しいかのように。

 茶山も、喜色満面の笑みで姉とコンタクトをとっている。ついでに、姉の肩にかかっていた雪を手で払っていた。

 二人からしてみれば、除雪作業ですら、かけがえの無い時間なのだろう。それは誠意をもって語り合う為に、家を守り抜く為に、家族の為に、殿方を引き立たせる為に、男気を見せる為に――全て、二人なりの愛の表現だった。

 

「……そっか」

 

 姉は、背が伸び切ってしまったらしい。二人だけの空間、というものを手に入れてしまったらしい。

 苦労すらも、愛に替えてしまうその姿は――もう、認めるしかないじゃないか。認めたくも、なるじゃないか。

 

「よかったね、お姉様」

 

 うん、と頷く。その場で、腕をぶんぶんと回す。

 

「お父様、お母様」

 

 振り向き、真っ直ぐに両親を見つめる。

 

「ちょっと、私も手伝ってきます」

 

 父と母が、再びあっけにとられるものの――にこりと、表情が変わった。

 

「そうか。じゃあ、僕もリーマン根性を見せなくちゃなあ」

「なら、私も手伝うわ」

「ええ、母さん大丈夫?」

 

 母が、不敵そうに微笑み、

 

「私は日本戦車道連盟の一員よ? 体力には自信があるわ」

 

 関係あるのだろうか。まあいいや。

 自分も、にやりと笑い、

 

「なら私は、クルセイダー魂を見せてさしあげます」

 

 握り拳を作る。後はそのまま、自分の部屋までダッシュで向かい、上着を回収するだけ。

 

 お姉様とお義兄様を支えるのも、妹の役目だ。

 

―――

 

 朝っぱらから除雪作業に励んでいたはずなのに、気づけばもう真昼間だ。

 だだっ広い庭を何とかするのは、決して簡単なことではない。だが、庭が広ければ広いほど、家も比例してデカくなる。そして、デカい分だけ金を持っているものだ。

 たくさんの家政婦達が、加勢した姉と茶山が、父と母が、そして自分が、人海戦術をもってして雪だまりを徹底的に追い込んでやった。冬の帝国は、今となっては衰退の一途を辿っている。

 むなしいものだ。

 

 激闘を繰り広げた後は、ティータイムと相場で決まっている。一同は応接間のソファに座り、「はー」と安堵した。

 いくつかのスイーツを口にし、温かい紅茶を飲む。それで生き返ったのだろう、父が茶山に笑いかける。

 

「ありがとう、茶山君。君の男気、見せてもらったよ」

「いえ、家を守るのは当然のことです」

 

 そして、茶山は当たり前のように返すのだ。本当、姉のことしか見えていないのだと思う。

 

「あなたこそ、娘に相応しい人です。――改めてお願いを申し上げます。どうか娘と婚約を、この家を継いではいただけないでしょうか?」

「はい。両親にも、話は通しておきました」

 

 そして、茶山が頭を深々と下げる。

 

「こんな自分ではありますが。どうか、よろしくお願い致します」

 

 姉も、小さく頭を下げる。父と母は、嬉しそうに笑ったままだ。

 自分は――どんな顔をしているのだろう。

 

「――あなたも、茶山さんのことを、幸せにしてあげるように」

「はい、お母様」

 

 姉が、茶山の背中に手を回す。心の底から、乙女のように微笑んでいた。

 

「お姉様」

「なに?」

「……幸せに、なれたんだね」

 

 姉が、笑顔で「ええ」と返事をする。

 

「あなたも、私達のことを祝福してくれて、ありがとう」

「えっ」

「今、とてもいい笑顔をしているじゃない」

 

 そうか。そんな顔、してたんだ。

 この空気に、この瞬間に、この空間に、とてつもない幸福感を覚えていたんだ。

 

「茶山さん」

「何だい?」

 

 茶山は、決して猛々しくはない。けれど姉の幸せの為なら、それに連なる何かを守る為なら、この男は何だってする、してしまう。

 

「お姉様のことを、よろしくお願いします」

 

 そんな人、認めるしかないじゃない。

 

「はい。任せてください」

 

 やっぱり即答だった。

 ちくしょー。

 

―――

 

 夜中になって、なんとなく姉と話がしたくなった。認めはしたものの、どうしても寂しさは拭えなかったから。

 姉を自分の部屋へ連れ出す際、あらかじめ茶山に断りを入れておいたのだが、

 

「いいよいいよ、ゆっくり話しておいで」

 

 これだもの。

 ありがとうございますと、頭を下げた。

 

「――お姉様」

「うん」

 

 話題があるわけでもなく、話を促されることも無い。自分はベッドの上へ腰かけ、姉も椅子に座る。

 本当、色々あったと思う。姉の彼氏が訪問してきて、流れで食べ歩きをして、初めて除雪作業を行った――正直なところ、夢中になってみると結構楽しかった。

 見上げる。真っ白い天井が視界に入る。

 姉が帰省して以来、初めて二人きりになる。前までは当然の場面であったはずなのに、今となっては、それは茶山のものになってしまった。

 こういう変化もひっくるめて、これが恋なのかと痛感する。やがては、自分も同じ道を辿るのかもしれない。

 

「……お姉様」

「うん」

「お姉様は、茶山さんのことが好き?」

「ええ、愛してるわ」

 

 前までは嫉妬の対象だったそれも、今となっては安堵すら覚える。

 愛する姉に、居場所が出来たのだと。愛する姉に、心の支えが出来たんだって。

 

「今ならわかります。どうしてお姉様が、茶山さんの事を好きになったのか」

「そう。それは、良かった」

 

 優しい声だった。

 すっと、姉と目を合わせる。

 

「お姉様」

「うん」

「その……私よりも、茶山さんのことが好きですか?」

 

 姉がそっと、首を左右に振るう。

 

「私は、あなたの事が一番好き」

 

 まばたきをする。

 

「茶山さんの事は……誰よりも愛してる」

 

 ああ――

 そうか。やっぱり姉は、私の姉でいてくれるらしい。

 

「お姉様……その、ごめんなさい。茶山さんに、あんな態度をとってしまって」

 

 姉が、再び首を横に振った。

 

「いえ、予想はしてたわ。しょうがないわよね、恋愛ってそういうものよ」

 

 にこりと笑われる。

 

「だからこそ嬉しいの。あなたが、茶山さんを認めてくれたことが」

「……あそこまでされては、そうするしかありませんし」

 

 照れくさくなって、視線をぷいと逸らしてしまう。

 姉は、含み笑いをこぼし、

 

「そう。――また今度、三人で食べ歩きをしましょう」

「……はい」

 

 あの麻婆豆腐の味は、きっと忘れはしないだろう。姉と茶山が、自分の為に考えてくれた、あの味を。

 ――姉を見る。

 姉の目は、とても輝いている。これから先も、愛と希望を期待しているような、そんな瞳をしていた。

 

「……綺麗になりましたね、お姉様」

「そう?」

 

 くすりと、姉が微笑む。

 

「茶山さん、いい人ですよね。私が認めるくらいですし、きっとモテるんじゃあ、」

「ありえませんわ」

 

 きっぱりと言い切られた。

 

「そんなこと、断じて、ありえませんわ」

「え、それってモテないってこと?」

「そっ! そんなことは、ありませんけれどっ」

 

 ぷっと笑ってしまう。焦る姉なんて、大分見ていなかったから。

 

「と、とにかく! 茶山さんは私だけの男性です。おわかり? わかった?」

「はあい」

 

 からかうように返事をする、姉は「もうっ」とふてくされた。

 ――こんなに可愛い人だったっけ、自分の姉は。

 

「……お姉様」

「なによぉ」

 

 まだ頬を膨らませている。こんな姉、初めて見た。

 ……そう。初めて見た。

 

「さっきはごめんなさい。……えっと、こっちに、来てくれますか?」

 

 姉が、「うん?」と呟きつつ、自分の隣に腰かける。今年に入って、姉と最も近づいた瞬間だった。

 しばらく見ないうちに、姉の背が高くなった気がする。いつの間にか、前よりも肌が綺麗になった気がする。やっぱり、瞳が輝いて見えるような気がする。

 幼かった自分の事を、見守ってくれた姉は、もうここにはいない。恋をして、女性になった「ダージリン」が、私の隣に座っている。

 姉は、自分のことを「一番好き」だと言ってくれた。同時に、茶山のことを「誰よりも愛してる」と告げた。

 受け入れるように、静かに笑う。

 寂しいなあ、でも幸せになって欲しいなあ――だから、

 

「あっ」

 

 縋るように、姉を抱きしめた。

 「旅立つ」前に、少しだけ甘えさせて欲しい。

 

「……うん」

 

 姉は、私の背中を抱いてくれた。姉は、私の頭を撫でてくれた。

 

 

 思い出す。私が、戦車道を歩み始めた頃を。

 あの時は操縦がへったくそで、すぐに被弾しては白旗を上げていた。一度だけじゃない、二度も三度も四度も。

 周囲は「初心者なのだから」とか、「次頑張ればいい」とか、そんな風に私を励ました。けれど偉大な姉と比べてしまい、姉の前でつい「私は戦車道に向いていません。ごめんなさい、ばかな妹で」と、ヤケクソになってしまった。

 

 ああ、怒られるのかな。優雅でないと、美しくないと、指摘されるのかな。

 私はうつむいたままで、姉の顔を見ることが出来なかった――姉が近づいてきて、ぐっと身構えて、

 

 抱きしめられた。

 

「大丈夫、そんなことはないわ」

 

 とても優しい声だった。

 

「私も、最初は失敗ばっかり。あなたと同じ道を歩んできたのよ」

 

 私を落ち着かせるために、私の背中をさすってくれた。

 

「でもね、失敗すればするほど、人は成長するの。紅茶をこぼす量だって、減っていったわ」

 

 雑談をしているかのように、姉は明るく話す。

 

「大丈夫。投げ出さない限り、あなたはいつか、立派な戦車乗りになれるわ」

 

 たぶん、姉は笑っている。

 

「だって、私の、自慢の妹だもの」

 

 姉は、こんな私のことを信じてくれている。

 

「知ってるわよ。あなたは、決して怯まず、速度を恐れない戦い方をしているって」

 

 姉が――私の頭を撫でた。温かくて、暖かすぎて、涙が出た。

 

「その強みを昇華させれば、あなたは疾風になれる、なれるわ。――頑張って、私を追い越してね」

 

 

 その日、自分は姉と二人きりで眠った。

 

―――

 

 ダージリンと食べ歩きを計画して、もう134日目。冬休みなんてあっという間に過ぎ去って、ダージリンも学園艦へ戻っていった。

 本当、濃厚な冬休みだったと思う。ダージリンが実家に訪問してきて、ダージリンの両親から婚約を認められ、ダージリンの妹という食べ歩き仲間が出来て――しばらくは、冬休みはいらなかった。

 さて、今日も大学だ。しっかり生きよう。

 

 その時、ポケットに入れておいた携帯が震える。すぐさま引っこ抜いてみれば、「新着メール:ダージリン」の文字が。

 画面をスライドさせた。

 

『おはようございます。本土はまだ寒いようですね、風邪には気を付けてください。

冬休み、とてもとても楽しかったです。妹も、メールで『今度はピザが食べたいです』とか計画して……機会があれば、三人で寄ってみましょう。

――再び離れ離れになってしまいましたが、私は幸せに生きています。それも、婚約が認められたからでしょう。

あと少しで、私も聖グロを卒業します。その後は、戦車道に強いとされる女子大へ通うつもりです――私は必ず、プロになってみせます』

 

 指を、上下にスライドさせる。

 

『たぶん、くじけたり落ち込んだりすることもあるでしょう。なるべく頑張りますが、ダメそうになった時は……一緒に、食べ歩きをしていただけませんか?

私はそれだけで、幸せな気持ちになれます。ですから茶山さんも、くじけそうになった時は、いつでも私を呼んでください。お役に立てるのであれば、光栄です。

それでは、春休み中の出会いに期待します。あまり、心臓に悪いことはしないでくださいね。

 

あなただけの、ダージリンより』

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

これで、ダージリンの自宅編は完結です。次は春休み編ですが、こちらも短く終わると思います。
大学編ですが、もはや「壁」が無い以上、パパッと進行するかもしれません。すぐにエピローグへ突入し、3007日間が経過するでしょう。

ご指摘、ご感想、いつでもお待ちしています。

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